幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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運命のエリュシオン*

 原因は小さなすれ違い。

 

 彼女は全てを悉く受け入れ、彼女は全てを悉く拒む。運命は彼女たちを生まれながらに宿命づけた。

 

 境界はそれを無残に線引きする。

 元々は同じ一つであったのに…なぜこうなってしまったのか。答える術はない。

 

 逃げた。目を背けてひたすら逃げた。

 それぞれが反対へ、逃げていった。二人の距離は遠くなるばかり。一番近いはずなのに、いつの間にか一番遠くなってしまった。

 願い、懺悔し、投げ出してまた願う。

 無駄だと分かっていても止めることはできない。

 

 

 

 簡単に言えば、似た者同士だった。

 ただそれだけ。

 だけどそれが…彼女らには何にも代え難い、かけがえのないものだった。

 

 どうか、願わくば…────

 

 

 *◆*

 

 

 どこまでも続く長い回廊。

 一歩一歩を踏みしめるたびに、ドス黒い重圧がその身へと重くのしかかってゆく。常人であれば恐らくこの時点で気が触れる、失神するなどの異常をきたすだろう。かの霊夢もその身にビリビリと圧倒的なプレッシャーを感じていた。

 

 たがどんなことにも終わりは来るものであって、この永遠とも思える長い重い回廊は唐突にその終わりを告げた。

 霊夢の前に現れたのは煌びやかに装飾された扉。

 豪華絢爛に飾られたその扉はこの館の主人が待ち構えるには少々役不足にも見える。少なくとも霊夢はそう感じた。

 

 小細工はない。

 あっても特に問題はないが、そのような小細工を弄すような存在ではないだろう。

 紅魔館の主人に会ったことなど一度もない。しかし、そうどこか確信めいたものを感じながら、霊夢はその扉を躊躇なく開いた。

 

 鮮血をぶちまけたかのような部屋の内装は、充満する禍々しい妖力と気持ちが悪いほどに混ざり合い、なんとも形容し難い凄まじい空間を作り出していた。

 あまりの妖力濃度に空間が水の中のように…そして蜃気楼のようにグニャグニャと捻れ、歪んでいる。霊夢はそのあまりの悪趣味さに眉を顰め、その張本人を探し…すぐに見当をつける。

 

 中央に机と椅子があるが、そこには誰もいない。いや、先ほどまで奴は確かにいたのだろう。

 だが今、奴は────

 

「…いるわね」

 

 霊夢が言葉を発する。

 空間は歪みながらも、その凜とした声を如何なく部屋中へとじわりじわり浸透させてゆく。霊夢は何処に視線を合わせるでもなく…虚空へとさらに語りかけた。

 

「悪寒が走るわ、この妖気。強力な妖怪のくせに…どうして隠れているのかしら?」

「────あら。能ある鷹は、尻尾を隠さず……ってやつよ。知ってるでしょ?」

 

 部屋がクリアになった。

 その禍々しく留まるところを知らない強大な妖力が、ギュッと一箇所に収束され、元の形を成したのだ。

 霊夢の目の前に現れた、ある意味暴力的なまでの妖力を身に秘めた少女。荘厳な佇まいとその存在感に…霊夢は、不覚にも思わず一歩その身を引いた。

 

 ──なるほど、手強い。

 

 霊夢をもってして、そう思わしめたその存在。

 それこそが、最強にして()()の吸血鬼。

 ”紅”の名を冠する絶対的支配者。

 

「こんばんは、レミリア・スカーレットよ。以後、お見知り置きを」

 

 レミリアはスカートの裾を僅かに持ち上げ、優雅にお辞儀した。それはここまで辿り着くことのできた霊夢に対するレミリアなりの確かな称賛であった。

 しかし霊夢はそれを軽く突っぱねた。

 

「お見知り置きする必要性を感じないわね」

「どうしてかしら? 私は貴女との末永い友好関係を望んでいるのだけど」

「まず仲良くする必要がない…これが一つよ。そして────」

 

 霊夢はお祓い棒をレミリアへと突き出す。鋭い眼光がレミリアを射抜いた。

 

「あんたはここで終わりだから」

「…へえ? 言ってくれるじゃあないの。まあ、それが嘘でも偽りでもないのが、貴女の怖いところなんだけどねぇ…」

 

 まるで分かっているとも言わんばかりの言いようである。動揺は一切見られない。

 レミリアは月夜に照らされ紅く輝く目を細め、悪戯っぽく笑みを浮かべる。

 

「貴女はその目で咲夜を殺したんでしょうね。この殺人鬼」

 

「…一人までなら大量殺人犯にならないからセーフよ。まず人間じゃないのを殺しても殺”人”鬼にはなりはしない。メイドは精々器物損壊程度じゃない?」

 

 カラカラと笑いながらからかうレミリアを霊夢はつまらない様子で一蹴する。

 一つ明記しておくと、咲夜は死んでいない。

 二人ともそこのところはよく理解っている。二人が言っている本質的な意味合いはそこではない。もっと、すれ違っているものだ。

 

「さて、本題に入りましょうか?」

「そうそう、迷惑なの。あんたが」

「短絡ね。しかも理由が分からない。私は自分が住み良いように環境を整えているだけ、言うなら家の模様替えよ」

 

 つまりレミリアはこう言っているのだ。

 ──ここ(幻想郷)は私のものよ。貴女にとやかく言われる筋合いはない…と。

 

「だって可哀想だと思わない?そんなにお外に出して貰えないのよ。私は日光に弱いから。少しは譲歩してくれてもいいでしょ?だって幻想郷は全てを云々かんぬん…とは八雲紫の談よ」

 

「…あのバカ…また意味の分からないことを」

 

 霊夢は今日一番の面倒臭そうな表情を浮かべると、お札を周囲に展開し浮遊させる。かなりマジな方の臨戦態勢である。

 

「あいつの言う事は胡散臭すぎてね。信じてる奴を見るのはあんたが初めてよ。

 まず、そもそもだけどあいつがなんと言ってようが私には関係ない。あんたは兎に角ここから出て行ってくれる? すぐに」

「ここは私の城よ? 出て行くのは貴女だわ」

「この世から出て行って欲しいのよ」

 

 あまりの物言いにレミリアはやれやれといった感じで肩を竦める。彼女が思っていたよりもさらに霊夢は尖っていた。

 少しの譲歩も許してはくれないだろう。

 

 ──全く…教育がなってないわね。

 

 レミリアは眼前に飛来したお札を掴み上げた。

 お札から迸る霊力の波動がレミリアの素手を焼いてゆく。

 並みの存在であればこの時点でアウトである。

 しかし彼女は大して気にした様子もなく、それを握り潰した。

 そして、浮かべたのは壮絶な笑み。

 裂けた小さな口から真っ赤とともに覗いたのは白く鋭い八重歯。レミリアが吸血鬼であることを否応なしに実感させる。

 

「しょうがないわね…今、お腹はいっぱいだけど」

「…貴女は強いの?」

 

「さあね。貴女に言わせれば私は箱入りお姫様だから。まあ、そこそこには」

「……中々できるわね」

 

 数回、お祓い棒で床を叩く。

 すると八卦の模様が浮かび上がり、そこより何かの球体が半ば回転しながら現れた。白と赤が混ざり合い、陰と陽の対極と調和を示す。博麗神社最大にして最強の秘宝”陰陽玉”である。

 かつて人類史最恐の悪霊や、容姿美白淡麗な凄腕侍が追い求め続けた博麗一族のみが使用できる伝説の神具であり、その効力は日の本全ての妖を討ち滅ぼしても事足りると謳われたほどだ(八雲紫談)

 しかしレミリアにとってはそれすらもただの玩具。暴風となって吹き荒れる霊力を物ともせず余興を楽しんでいる。

 

「本気で私と殺り合うつもりなのね?ククッ…ここ数百年はそんな愚か者は見なかった。貴方は愚者? それとも勇者?」

「どちらでもない。私は巫女、博麗の巫女よ」

 

「その意気…いいじゃないの。ますます貴方の全てが欲しくなったわ。殺した後に私の眷属にしてあげる。光栄に思いなさい」

 

 ついにレミリアが臨戦態勢をとった。その身から放たれる重厚な妖力は空気を振動させ、部屋をへしゃげてゆく。

 そして、紅魔館の一室が吹き飛んだ。

 

「こんなに月も紅いから本気で殺すわよ」

「こんなに月も紅いのに…」

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しい夜になりそうね」

 

「永い夜になりそうね」

 

 言葉が発せられ、二人が次の行動に身を移すまでには刹那と呼ぶほどの間すらなかった。二人は爪を、棒を振るい…

 爪は霊夢の頬を抉り、棒はレミリアの胸を貫いた。しかしレミリアはそんなこと関係ないとばかりにさらにお祓い棒を自分の胸に射し込むと、紅く輝く爪を振るった。

 音はない、その一振りは音速を遥かに超えたスピードだったから。霊夢はお祓い棒を放棄し回避する。レミリアの爪から放たれた風圧が壁と床を切り裂き、その衝撃は遠く離れた魔法の森の木々を粉砕した。

 

 だがそれを気にする余裕はない。

 休む暇も与えず超スピードで突っ込んできたレミリアを抑えようと霊夢が結界を展開する。しかし予想外だったのはここからで…結界がレミリアの殴打とともにへしゃげ、ひび割れてゆく。

 これが意味することは…レミリアの放つ一撃は軽く見積もっても幻想郷を破壊しかねない威力が内包されているということだ。

 霊夢も勿論負けじと反撃するが、どれもが吸血鬼として桁違いの再生能力を誇るレミリアには全く通用しなかった。

 必殺の博麗の札でも足止め程度にしかならない。

 封魔針はレミリアの硬い皮膚に阻まれ、上手く刺さらない。

 お祓い棒はレミリアが無理矢理引っこ抜いた際に砕けてしまった。

 陰陽玉から放たれる霊力波や弾幕はそれなりに効力があるのだが、その攻撃だけはレミリアには決して当たらない。

 

 レミリアは紛れもなく…霊夢がこれまで戦ってきた相手の中でも最高級の力を持っている。判断材料はその身体能力だけではない。先ほどから霊夢に纏わりつく嫌な何かが一番大きい。

 自分の行動が自然的に何らかの形で阻害されている感覚であった。もっともそれは霊夢ほどの勘を持ってしないと気づけない、ほんの僅かな違和感ではあるのだが。

 

 とてもじゃないが咲夜は比較対象にもなりそうになかった。実力がどうとかそんなレベルではない。根本的な部分から何もかもが違うのだから。

 

 ステップを踏むようにしてレミリアの攻撃を結界でいなしつつ、反撃の隙を窺っていた霊夢だったが、どうにも中々それを見せてくれない。それだけレミリアの動きは洗練されているということなのだろうが…霊夢にはそれだけでないように思える。

 

「一手二手三手────ここよ」

 

 瞬間、レミリアの小さな手が何倍にも大きく見えた。レミリアは腕をストレッチさせ爪から魔力の斬撃を繰り出す。

 それは伸びて伸びて、霊夢の結界を突き破り、脇腹を掠めた。あと少しでも反応が遅れていれば上半身と下半身がサヨナラをしていた。

 

「く…っ!」

 

 霊夢は負けじとレミリアの顳顬を蹴り上げる。普通の蹴り…なのだが、莫大な霊力の上乗せされた豪脚から繰り出されるその蹴りは、易々とレミリアの首を引きちぎった。

 正真正銘、霊夢のマジ蹴りである。

 

 しかし引きちぎれた頭と体は霧となって霧散し、再び元の状態へと形成された。

 レミリアはコキコキと首を回しながら身体の調子を確かめる。

 

「んー…本当に勘がいいのね。オマケにこの世の理をしっかりと理解している。咲夜が敵うはずもないわね、これじゃ」

「…」

 

 先ほどのレミリアストレッチを躱せなかったら…最悪死んでいた。いや、普通ならレミリアにあそこまでの行動を許すはずがない。

 自分の過失かと思うが、生憎そんな気はしない。一つ一つの動作が念入りに計算されているように感じる。もっとも、目の前の箱入りお嬢様がそんなタイプの戦闘を好むようには見えないが…

 

「…あら、もしかして気づいた?」

「なんとなく。最悪ね」

 

 霊夢は札を投げつつ、レミリアへと言い放った。その能力を。

 

「全てが納得いったわ。随分と陰湿な能力を持っているのね…未来に干渉するなんて。たかが妖怪の身で」

「そうは言っても、そこまで大した能力ではないわ。運命ほど易いものはない。今日もまた一つ、常識を覆されたんだもの」

 

 若干拗ねたような顔をするが、やはりレミリアは楽しんでいる。自分の能力が看破されたことがそんなに嬉しいのか、霊夢には甚だ疑問である。

 

「運命は無限に広がるわ。様々な道がある。けれど選べるのはそのうちの細い細い一本の道だけ。…なら、ちゃんと考えて選ばなきゃダメでしょ? 命は一つきりなんだから」

「妖怪がほざくわね。なら試しに私がこれからしようとしていることを…」

「天照大御神? っていう神を降ろして太陽光で私を浄化しようとしているわね?残念、思考誘導も完璧なのよ。それにもしその天照大御神を呼び出しても、異変に使っている紅霧を全て自分に纏えば防げる。神の力でさえも私には及ばない」

 

 無い胸を張り上げ、ドヤ顔を決める。

 レミリア有頂天。

 

「フフ…貴女正直凄いわよ? 半分の確率でこの私に勝てるんだもの。咲夜やパチェでもこうはいかないわ」

 

 もっとも、と付け加える。

 

「一本でも勝ち筋があるのなら、私に敗北はない。それがこの世の予定調和よ!」

 

 ダンッ、と床を踏みしめる。

 するとレミリアの足から紅色の魔力波が吹き荒れ、徐々にその勢いを増してゆく。圧倒的な魔力の高まりを感じた。

 

「ッ! 夢符『二重結界』!」

「紅符────」

 

 霊夢の周囲がシェル構造の結界に包まれると同時に、レミリアはスペルカードを発動した。

 

「────不夜城レッド」

 

 

 

 

 

 

 紅魔館は半壊していた。

 レミリアを起点とした魔力の超爆発によって、彼女の周りには何もない。ただ大地の奥深くまで続く空洞が真下にあるだけ。だが今回はこれほどの規模で済んでよかった…と安堵すべきだろう。この濃密な魔力の奔流は、レミリアが範囲を指定していなければ幻想郷を易々と消し飛ばすほどのものだったから。

 瓦礫も全て爆風によって吹き飛ばされ、霊夢がガラガラと瓦礫を崩しながら出てくる。爆発そのものはシェル構造によって無類の固さを誇る二重結界が防いだのだが、爆風は防ぎきれなかったらしい。

 

「ケホ、ケホ…いったいわね…! あのクソ蝙蝠、やってくれたわ!」

 

 悪態を吐きながら立ち上がる霊夢。巫女服についた埃を払い、ついでにレミリアの接近からの上段蹴りを肘で抑え込む。

 そしてレミリアの胸ぐらを掴み上げると、背負い投げの要領でレミリアを頭から地面に叩きつけ────

 

「霊符『夢想封印』」

 

 ────容赦なく爆撃。幻想郷にまた一つ巨大なクレーターが出現した。

 しかしレミリアは霧状になって攻撃を回避していたらしく、霊夢の眼前へと余裕の表情で降り立つ。

 

「どうかしら? 実力の差を思い知って?」

「…」

 

 霊夢は言葉を発することなくレミリアを睨む。そんな霊夢の様子に機嫌よくしたのか、レミリアは得意げに語り出した。

 

「今までの運命で私が貴女を殺せる瞬間は、軽く見積もって五回はあった。疑問に思わない?なんで自分は死んでないのって」

 

 興味ない…と訴えるように霊夢は白けた目を向けるが、レミリアはよっぽどそのことについて話したかったのだろう。霊夢の返答を待たずして口上を続けた。

 

「余裕よ、強者としてのね。自惚れ、慢心…何とでも言わせておけばいい。強者たらしめるそれに価値を見出せぬ者なんて、私と肩を並べる資格もない」

 

 自負もここまでくれば矜持になるのか。

 霊夢は相変わらず呆れた目でレミリアを見る。

 

「だからこそ興味があるのよ。貴女や八雲紫のような存在にはね。私と同じステージにありながら生き方、在り方が私とは全く違う。あのお化けですら私と同じだったのに…。私にはそれが何故なのか分からない。けどそれを分からなきゃ八雲紫には勝てない…」

 

 レミリアの掌を起点とし、巨大で真っ赤な魔法陣が生成されてゆく。術式としては霊夢が先ほど陰陽玉を呼び寄せるのに使ったものとほぼ同じ。しかし呼び出されたものは完全に別物であった。

 

「そろそろ余興は終わりにしましょう?神槍『スピア・ザ・グングニル』!」

 

 レミリアが手にしたのは膨大な魔力を惜しみなく放出させる紅い槍。

 勿論、ただの槍でないことは見て明らかだった。幻想郷中の空気や魔素がレミリアとグングニルを中心に渦巻いている。

 

「この槍は逃れられない運命を貫く。放てばそれで終わりよ。フフ…八雲紫には悪いけど、貴女は殺してでも私の眷属にするわ。そしてじっくりと考えさせてもらう!」

「お断りよ! そんなの!」

「貴女に拒否権はないの。貴女に逃れる運命()は存在しないのだから」

 

 レミリアが握ればグングニルは輝きを増し、照準を霊夢へ。その存在感だけでも霊夢を射抜かんばかりである。

 足を前後に開いて後ろの膝を曲げて体の軸を傾け、グングニルを後ろへと引く。投擲準備は完了した。しかし霊夢はその間も何をするわけでもなくレミリアをただ見据える。ただフヨフヨとその周りを陰陽玉が所在無さげに漂っていた。

 

「さあ、あの巫女とともに運命(さだめ)を撃ち抜きなさいッ!」

 

 

 *◆*

 

 

 パチュリーは頭から床へと落ちた。その際にゴキッ…と嫌な音が響いたが…まああいつなら大丈夫だろうと魔理沙はそれを気にせずに爆心地を見る。

 床は下の方から抉れていた。高威力の魔弾でも放ったのだろうか。しかしその割には魔力を微量感じるのみで、これほどの大破壊をもたらすには少なすぎた。

 魔理沙はこの不可解な現象にうん?と頭を軽く捻るが、ならばこれを行った当の本人に聞けばいいか…と一人で納得し、その人物の登場を静かに待つ。

 

 先ほどまで行われていた魔理沙対パチュリーの魔法対決の時とはうって変わり、図書館は不気味な静寂をもたらしていた。

 響くのは小悪魔の穏やかな寝息と、魔理沙の生唾を飲み込む音のみ。

 着実に狂気は近づいてきていた。

 ここまでのヤツは久しぶりだ…と魔理沙はさらに気を引き締める。相手が相手であり、まともな会話にすらならないかもしれない。言葉を発するよりも先に襲いかかる獣のような奴かもしれない。

 

 …だが魔理沙の胸中にあるのは一つの確かな、何年経とうと変わらぬ答え。

 ”あの幼馴染の巫女よりはマシだろう”

 この一つが魔理沙に大いなる余裕をもたらすのだ。

 

 ──どんな奴なのか…顔を拝ませてもらおうか!

 

 意気揚々と魔理沙は穴を覗く。穴の中は紅を塗りつぶすほどに真っ黒で、果てしない狂気が流れ出している。この先に何者かがいることは明白であった。

 しかし先ほどの爆発を最後にこちらへ何らかのアクションを仕掛けてくることはない。このことを鑑みる。

 

「出てこないところを見ると…こっちに来いってか? 何だ…そっちから来てくれると思ったのに。がっかりだ────」

「えいっ」

 

 可愛らしい掛け声とともに炎剣が振るわれた。凄まじい剣圧により床がへしゃげ、振り抜くと同時に凄まじい突風が発生し復帰しようとしていたパチュリーと小悪魔を図書館端へ吹き飛ばす。

 斬る…というよりも対象物を破壊するのに長けた一閃であった。魔理沙は刹那の直感に従い、しゃがむことによって事なきを得ていた。

 魔理沙は不意をつかれていた。普段の彼女なら相手に後ろを取られるなどという失態は決して犯さない。魔理沙がその程度であったならばこれまでの人生で何度命を落としてきたか…数えようもない。

 だからこそ…魔理沙は驚愕するのだ。

 

「あ、危なかった…。気配もなんも感じなかったぞ…!? この館は随分と危なっかしい奴を置いてるんだな」

 

 後ろを振り向くと、一人の幼い少女が剣を振りかぶった状態でこちらを見つめていた。目は深紅色に淀み、そして輝いている。

 濃い黄色の髪をサイドテールで纏め、ナイトキャップを被っている。半袖と真っ赤なラップ・アラウンド・スカートを着用し、それが彼女の幼さをより引き立てた。

 だが何よりも目を引くのが背中から生えている特殊な翼。一対の枝に七色の結晶がぶら下がっている。

 口からチラリと覗く鋭い八重歯から彼女が吸血鬼であると推測できるが…異端すぎる。こんな特徴を持った吸血鬼など少なくとも魔理沙は見た事も聞いた事もない。

 

 互いに見つめ合い、なんとなく居心地の悪い間が続く。そして最初にアクションを起こしたのは吸血鬼と思われる少女だった。

 

「なんかお呼びかしら?」

「ああ、呼んだぜ。いつまでたってもこっちに来ないようだったからな」

「へー。ならお待たせ」

 

 おおよそ殺そうとした側と殺されそうになった側の会話ではないが、魔理沙は一応相手に会話をできるだけの知性と理性(これに関しては疑わしい)があることに安堵した。

 ふと少女の後ろを覗いてみると…なんとも形容し難い空間が展開されていた。グニャグニャに捻じ曲がって、色々な部分にモザイクのようなブレが生じている。

 取り敢えず魔理沙は尋ねてみることにした。

 

「えと…お前さんはどうやって私の後ろをとったんだ? 瞬間移動にしちゃ魔力も霊力も感じないし…」

「簡単よ。私の目の前と貴方の背後に存在する空間の目をちょっとキュッとしたらドカーンって感じ。まあ、これやったら咲夜に怒られるんだけどね。普段はやらないんだけど…今日は出血大サービス! なんたって貴女が来てくれたんだもの!」

 

 どうにもわけのわからない事を言っているが、あちらが言うにはサプライズ的なものらしい。サプライズで殺しにくる奴などまともなやつではないと、魔理沙は早々に彼女との意思疎通を諦めかけた。

 

「ほう、それはそれは歓迎ご苦労。私は博麗霊夢、由緒正しき巫女だ」

「いや、そりゃ流石に無理があるでしょ。それに貴女には八雲紫っていう素敵な名前があるじゃない」

「なんだバレバレか……って違う違う! 私をあんな胡散臭い奴と一緒にするんじゃあない! お前髪の色だけで判別してないか?」

 

 魔理沙の言葉にフランドールはえっ?と声を漏らした。そしてすぐに後ろを向き何かをごちゃごちゃと呟くと、何もなかったかのように振り返る。

 

「冗談冗談…フランドールよ。普通の魔法使い、霧雨魔理沙さん」

 

 だがそう言うフランドールは若干目を逸らし、少しばかり焦っているようにも見える。どうも先ほどの魔理沙の言葉は図星だったらしい。つまりサプライズのあの一撃は紫に仕掛けるものだったようだ。

 ゆかりん危機一髪。

 

「どうして私の名を?」

「目をチョチョイとね」

「またわけのわからん事を…そんなんだから友達を無くすんだよ」

「残念、一人いるのよねこれが」

「いないも同然だな」

「だって495年間お休み中だしーそんなの積極的に欲しいものでもないしー」

「なんだ引き篭もりか。どうも幻想郷には引き篭もりが多いように見えるな」

 

 幻想郷の由々しき社会問題に一住民である魔理沙はため息をつく。しかし第三者からすれば魔理沙はアクティブな引き篭もりである。というより幻想郷という閉鎖空間で暮らしている事を鑑みれば幻想郷の住民全員が引き篭もりという考え方もできる。ややこしい。

 

 閑話休題

 

「それでね、今日は私の部屋に魔砲を撃ち込んだ奴を見たくなったの。まさか人間だとは思わなかったわ! 時代は変わったのね」

「今や人間が神を倒す時代だからな」

「知ってる! 紫が見せてくれた映画でそんなシーンがあった! 銃で神様を殺せるなんて安い世界よね。その後巨人みたいな妖怪になっちゃったけど」

「まあそんなもんさ。だからお前たち吸血鬼を倒すのもわけない。生憎、銀も生姜も十字架も、幻想郷にはあるんだぜ」

「ふーん…あと生姜じゃなくてにんにくね。ま、私には全部効かないけど。日光含めて全部」

 

 訂正を入れつつ自分の羽を弄るフランドール。

 元々から銀を除いては吸血鬼に致命傷を与えるものは日光や流水の他にない。しかしフランドール曰く、自分は吸血鬼の弱点全てにおいて効かないという。

 それが本当ならばそれは…

 

「…吸血鬼じゃないな?」

「あら、当たり。私はとっくの昔に吸血鬼を超越したの。お姉様が言うには純吸血鬼はもうお姉様だけなんだって。プレミアの価値がついたらしいわ」

「吸血鬼も絶滅種か。ワシントン条約に追加しないとな。それで一応聞いてみるが…お前は吸血鬼じゃないとしたら、なんだ?」

 

「なにも」

 

 あっけらかんに答えるが、魔理沙は若干フランドールの狂気が増したことを肌で感じ取った。

 

「私は虚無…永遠の虚無よ。自分の全てを失わせた私にはもう光も闇もない。この世に存在して私と感覚も、価値観も共有することはない。だって私は狭間…なににも属さないグレー…」

「あー…要するに病んでるんだな?残念だが幻想郷に妖怪用の病院はないぜ」

「知ってる。直す必要もないし、私はこの状況でも十分に満足してるわ。生活にはなに不自由なくお姉様が全てを持ってきてくれる。うん、満足…満足…………ん? …満足よね?」

 

 突然フランドールの焦点がブレ始めた。

 

「疑問に思うことはないわ…あれ、分からない? 私は満足でしょ? 満たされてるでしょ? あら? あららら? もしかして違う? 違うの? こんな生き方……そんなわけないわ! なら今の私はなんだっていうの?え、なにもない? 当たり前じゃないの。けど満たされて…え? …考えが纏まらないわね…。おかしいことある? ないわ。ならそれでいい。贅沢よ贅沢。むしろ地獄じゃない? 考え直すべきね。ええそうに決まってる…────」

 

 ここで魔理沙は気づいた。

 こいつ、ガチで病んでるなと。

 

「思いっきり地雷を踏み抜いてくれたわね」

 

 若干引いた目でフランドールを見ていると、大図書館の端まで吹き飛ばされていたパチュリーが血を拭いながら戻ってくる。体中がゴキゴキいっているということは…恐らく修復中なのだろう。ナニがとは言わないが。

 

「なんでだ。私は病院を勧めただけだぜ」

「話した内容なんて関係ないわ。妹様がスイッチを入れたらそれで終わり。ペチャクチャと悠長に話してた貴女が悪いのよ」

「そんなこと言われてもなぁ…」

 

 チラリと未だ独り言を続けるフランドールを見る。目はなにも映し出さない虚無の狂気に染まり、脚を踏むたびにクレーターが広がっている。何かこの先ヤバイことが起きそうな感覚がした。

 

「…あいつどうするんだ?」

「さあ? 一度スイッチが入ったら私にはどうすることもできないわ。そうね…彼女を満足させるか、レミィを呼んでくるか。ちなみにあの子はここ十年一度も満足してないから…大変よ?」

「そうか。それならそのレミィさんとやらを呼んでくれ。今すぐに」

「残念。巫女のせいでお取り込み中」

 

 あちゃー…と魔理沙が目を瞑った瞬間、パリンという音ともにパチュリーが消えた。血も肉も残さず消えてしまったのだ。

 見るとフランドールがいつの間にか独り言を止めてこちらをじっと観察している。掌は握られていた。

 フランドールの能力が段々と分かってきた魔理沙は深く息を吐くと…鋭くフランドールを睨む。その姿はまさしく妖怪退治モードの魔理沙であった。

 

「いいぜ、お前の暇つぶしに付き合ってやろう。このままのお前を放置するのはヤバそうだからな。どんな遊びがお望みだ?私からは妖怪退治ごっこを提案しよう」

「……へぇ、遊んでくれるんだ。私を遊びに誘ってくれたのは紫くらいよ」

 

 フランドールの言葉に何度か出てくる八雲紫の名に流石の魔理沙も怪しむしかなかった。もはやこの異変に関わっているのか?と疑ってしまうほどのレベルだ。

 

「またあいつか…。まあいい、それで…いくら出してくれる?流石にお前相手との戯れじゃ無償は釣り合わん」

「コインいっこ」

 

 溢れんばかりに眩しい、そしてドス黒い笑顔でフランドールは人差し指を一本立てた。魔理沙はやれやれと溜息を吐く。

 

「はぁ…いっこじゃ人命も買えないぜ」

「あなたが、コンテニュー出来ないのさ!」

 

 フランドールはその腕を高く突き上げると、キュッとその小さな手を握った。

 魔理沙は爆散した。

 

「…あれ? もしかして…もう終わり?」

「なわけあるか」

 

 背後より響いたのは砕けたはずの魔理沙の声。フランドールが背後を振り向くと同時にレーザーを放ち、その両腕を焼き切らんとする。

 フランドールが言っていた「キュッとしてドカーン」というワード。そしてパチュリーが消滅した際のフランドールの行動。これらの観点から推測するとフランドールの絶対的破壊活動はその掌が握られることによって発生すると魔理沙は目星をつけていた。

 

 それは正解だ。

 魔理沙の観察眼には素直に脱帽するしかあるまい。彼女の思惑通りフランドールは両腕を失くせばその能力を発揮することができない。

 しかし、それが計画通りにいくのか…と言われれば、それは全く別の話である。

 フランドールの腕は焼き切るどころか、焼き目一つつくことがなかったのだ。

 

「…ッ!? なんだと?」

「よかった…まだ生きてた。さっきのアレは…デコイかしら? デコイ人形?」

「…ああ、特別製だ。まーたこいつの製作者にガミガミ言われるんだぜ私は」

 

 魔理沙の愚痴話には興味がないようで、フランドールはつまらなそうな顔をしながら「あっそ」とそれを一蹴した。

 

「ところでさっきのレーザーなんだけど…ごめんね、私には効かないの。ほら、太陽ってさ…熱射でしょ? わざわざ弱点を残しておくのも馬鹿らしくて…とっくの昔に壊しちゃった」

「何を?」

「私を」

 

 フランドールは自分を指差してケラケラと笑った。ここで魔理沙は気づいた。フランドールの言動には在るべき何かがない。

 感情、抑揚、意思…なにも感じない。

 魔理沙は生き物を相手している気にもなれなかった。

 

「なるほどな…確かにお前は吸血鬼じゃない。もっと別なナニカってことは分かった」

「そういうこと。それじゃ続けましょ、普通の魔法使いさん」

 

 再びフランドールが手を翳す。

 

「チッ、面倒くさい能力だな!」

 

 魔理沙の行動は速かった。瞬時にフランドールへ肉迫し、その手を箒で払ったのだ。またそれと同時に腹へと蹴りを打ち込み、大図書館の床へと叩き落とす。…全く手応えは感じなかったが。

 フランドールは床へとめり込んでしまい、その状態を確認することはできない。

 フランドールに隙を与えてはならない。直感が魔理沙へと訴えかけていた。

 勿論、魔理沙はその直感に従い怒涛の弾幕を放つ。それらは全てフランドールがいた場所へと着弾し、ついには大図書館全体の床を陥没させてしまった。随分前からガタがきていたのだろう。

 

 濛々と灰色の煙が立ち込める。

 存在あるべき者なら今の弾幕を浴びれば原型すら残せないだろうが…煙の中に浮かぶ紅いシルエットは、否応なしにフランドールの無事を魔理沙に伝えていた。

 

「効かない…痛くも痒くもない。殴られたり蹴られたりしたら痛いなんて、バカらしいもん。なんで生き物ってそういう風にできてるのかなぁ…?」

 

 煙の中から無機質な声が響く。

 

「そりゃ…痛みが分かるためだろ」

 

 案外真剣な表情をしながら魔理沙は答えた。

 痛みがあるから生きているのだと…そう思った。

 残念ながら、フランドールには全く理解ができなかったようだが。

 

「あー…やっぱりそういうのは面倒臭いや。けど貴女との遊びは面白い! さあ、もっと私を楽しませてちょうだい! 壊れちゃうまで私に付き合って!」

 

 一瞬、場が紅い色に煌めき、煙が爆発した。

 それと同時に飛び出したのは先ほどもその威力を如何なく見せつけてくれた長い魔の炎剣。容赦なく魔理沙へとその刃先を向ける。

 

「禁忌『レーヴァテイン』!」

 

 爆発的な魔力の高まりが灼熱として剣から放出される。徐々に熱量は膨れ上がり、大図書館を灼熱の空間へと変貌させてゆく。

 それほどの魔力を有した剣をこの熱膨張した空間で、さらにはフランドールの腕力で振るえばロクなことにならないのは確かだ。最悪水蒸気爆発が起こる。

 

 魔理沙は慌てて自分の脳内でフランドールの一撃を防ぐことのできるスペルカード・魔法を検索するが…ひとつもヒットしない。

 相手が強力な一撃を放つ際には、その前にマスタースパークで相手を消し炭にするのがいつもの定石なのだ。しかし先ほどのフランドールの言葉通り、フランドールにはレーザーが効かないのだ。さらには打撃、衝撃までも。

 フランドールはあらゆる痛みを拒否してしまっている。そんな相手に有効打などあるはずがない。

 

「参ったなこりゃ…」

 

 魔理沙が困ったように呟く。

 それと同時に大図書館…いや、紅魔館が揺れた。何処かで凄まじい爆発があったようだ。

 

「霊夢か…?」

 

「お姉様?」

 

 両者ともに当たりである。

 

「あっちも楽しんでるのね!だったらこっちもいっぱい楽しまないと損だわ!」

 

 フランドールはレーヴァテインを目一杯頭上へ掲げると、魔理沙へと照準を定め、それを魔理沙へと勢いよく振り下ろす。

 魔理沙は…甘んじてそれを全身で受け止めた。

 

 

 

 

 

 

 ──オマケ──

 

 

 

 

 

 

 ここは地霊殿。

 名前とは裏腹に西洋風の外観であり、黒と白のタイルでできた床や、ステンドグラスの天窓が特徴的である。ちなみに冷暖房完備。

 そんな地霊殿にて、円卓を挟んで二人の少女が後ろに従者を控えさせ、対談…という名の一方的なドッジボールを展開していた。

 

「────ええそうですね。私は捻くれてるし性格も悪いです。確かに姉妹といえどこいしとは大違いですよ。まあだからといって別に爪は煎じて飲んだりしませんが。しかし貴女はよくこいしのことが分かってますね。妬いちゃうじゃないですか…え、話を逸らすな?別に意図してやったわけじゃありません。勘違いも甚だしい。それで、それがどうかしましたか?…なるほど、おっしゃる通り。しかし生憎ながらこの性格は生まれつきなので変えようがないんですよ。変えようとする努力?全くの不要ですね。私には妹とペットだけで十分なんです。妖生妖怪それぞれですよ。……ふむ、本題に入れと。なるほど返答に困って敢えて話題を変えてきましたね?ふふ、貴女のそういうところ嫌いじゃないですよ。…あらお酷い。心の中といえどもそんなことを言われたら傷つきます。私たちさとり妖怪は結構打たれ弱いんですから。…本心にもないことを?当たり前でしょう。もう慣れっこですから。いったい何年さとり妖怪をやってきたと思ってるんです?おっと、怒るのはナシでお願いします。軽いジョークですよ、ジョーク。さとり妖怪がジョークを言えないとでも?あ、怒らないで怒らないで。謝りますよ、すいません。えっと、それで……なんでしたっけ?…ああそうそう、本題でしたね。分かってますよ、私が悪かったですから怒らないでください。しかし胡散臭い胡散臭いと言われている時も裏はそういう感じなんですか?…仕方ないでしょう。心の中でそれほど見事な百面相されたらからかいたくなるものです。しかも表の顔でそんな澄まし顔されると尚更…。つまり私は悪くないわけで────」

 

「紫様。こいつを消しても?」

「おっ狐さん。地獄を見ていくかい?」

 

「……双方落ち着きなさい」

 

「あら、ビビってるんですか?…はい黙ります」

 

 さとりの一方的なドッジボールは数時間に及んだという。

 なおもれなく紫は腹痛でトイレに籠った。


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