食事を済ませ、一息つく。ヒトとしての意識は取り戻したようだが、まだ身体は淡く光を帯びていた。蟲であれば、光を帯びているものは影響力もなく、限りなく生命の根元に近いものであるのが通常だが、彼女は薄く光を纏いながらもギンコ以外の人間にも認識されているようだった。
「御馳走様、でした…」
蚊の鳴くような声で、彼女は言った。喉を動かしたせいか、か細くではあるが会話できるほどにはなっていた。食事を始める前に、彼女は当たり前のように髪を結い始め、左に流すように三つ編みをしていった。記憶がないようだが、身体が覚えているのだろう。
目を附せたまま、彼女は続けて「すみません…。お代は、いつか必ず返します」と、苦しそうな表情で呟いた。
「そんなこと気にするな。まだ記憶も戻ってないんだ。まずは自分のことを考えればいいさ」
「…すみ、ません」
再度、彼女は小さく謝罪した。宿を出てからずっとこんな調子で、ギンコが何かを訪ねたり言う度に謝っている。
ギンコはぽりぽりと頭をかいた。
「あーー……、あのな。それ、やめにしないか」
控えめに切り出す。すると、彼女はそれまではずしていた視線をギンコへと向けた。その瞳は不安そうに見える。
「この村にもお前さんの知り合いがいなけりゃ、少なくともあと数日は一緒にいることになる。謝るのは口癖かもしれんが、どうも調子が狂ってな。悪いが頼むよ」
「……すみま」
途中まで言いかけ彼女は止めたが、後に続ける言葉が出てこないようで、目をゆらゆらと揺らした。
「……ええと、その…わかりました」
気まずそうに、彼女は自分の腕をぎゅっと抱いた。少しでも彼女の気持ちが楽になればと思ったが、むしろ余計なことを言っただろうか。どうしたもんかと、蟲煙草を吐き出した。
「しかし、名前がないと何かと困るかもな。思い出すまでの間、名乗りたい名前はないか?」
尋ねるが、彼女はほんの少し考えた後、首を横に降った。
「特には……」
「なら、ユイってのはどうだ」
彼女の瞼が、ぴくりと反応する。
「……ユイ」
「あぁ。さっきお前さんが髪を結ってるのを見て、随分器用だと思ってな…って少し、安易すぎたかね」
「…いえ。名をいただけて、助かります。あの、ありがとう、ございます」
彼女、ユイは小さく頭を下げた。よそよそしい態度に変わりはないが、ほんの小さく「ユイ」と再度呟いた表情は、少しだけ柔らかくなったように見えた。
「まぁ、思い出すまでの間だがな。記憶が戻ったら、本当の名前を教えてくれよ」
「…はい」
どのくらいの付き合いになるかはわからないが、無理に親しくなる必要もなければ突き放す必要もない。とりあえずは適度な距離を保とうと、いつまでも俯きがちなユイを見ながら思った。