演習用に指定された海域に向けて、第1遊撃艦隊の艦娘たちは単縦陣を維持したまま
順調に航海を続けていた……ハズだった。
ふと背後に目をやったスパルヴィエロの碧眼が、あり得ないほど見開かれる。
「……あのぅ、エスペロさん」
「なに?」
さかんに手招きをするスパルヴィエロに、エスペロは眉を寄せながら近づいてくる。
「アルマンドさん、もしかして寝てませんか?」
エスペロは、アルマンドの顔をのぞき込む。
「あ~あ、
頭の後ろで腕を組みながら、エスペロが呆れたように呟いた。
「また?」
「アルマンドは、基本的に本を読んでるか寝てるかのニ択だからねぇ」
いつの間に近づいてきたのか、反対側からオストロが補足してきた。
スパルヴィエロは少し速度を落とし、アルマンドに近づくと、まじまじとその姿を
観察しはじめた。
まだ、あどけなさの残る顔はうつむき気味になっているが、両のまぶたはしっかり
と閉じられ、耳を澄ませば口元からかすかな寝息が聞こえてくる。
「でも、いいんですか、このままで?」
「良いわけないでしょ! でも、何をやっても起きないのよ」
「こないだなんて、目的地に着くまでついに起きなかったしね」
カラカラと笑うエスペロたちを見ていたスパルヴィエロの顎が、カクンと落ちた。
「まあ、ほっときゃ、そのうちに目を覚ますって」
「そういう訳にもいくまい!」
投げやりつぶやくエスペロに、ルイジがすかさず一喝を入れてくる。
「お前たち、早くアルマンドを起こせ」
エスペロとオストロは肩をすくめると、直立不動の姿勢のまま海を行くアルマンド
に近づいた。
「ちょっと、アルマンド」
「早く起きてよ!」
左右からアルマンドの体を揺するが、まるで起きる気配がない。
業を煮やしたふたりは、両手にあらん限りの力を込めると、さらに激しく揺すり始
める。
アルマンドの細い首が、折れるのではないかと思うほど前後に揺れ動く。
「……んあ?」
しばらくすると間の抜けた声とともに、アルマンドが目を覚ます。
半開きの目をしばたかせながら、順に仲間たちを見回していく。
「……だいじょうぶ、起きてた」
「「嘘つけーッ!!」」
口元を手の甲で拭いながらなおもとぼけるアルマンドに、エスペロとオストロの
怒声が叩きつけられる。
◆◆◆
ようやく演習海域に到着したルイジは、辺りをぐるりと見回すと振り返った。
「さて、さっそく演習を始めたいのだが……」
腕を組みながら、ルイジは首を横に向ける。
そこには、両手を膝に当て、肩で
あった。
「構わないか?」
「だ、だい、じょ…ぶ……デス!」
息も絶え絶えに、サムズアップするスパルヴィエロを見ながら、ルイジは小さくため息
を付く。
演習場に到着する間、軒並み30ノット以上の快速を誇る第1遊撃艦隊の艦娘たちに
追従すべく、最大戦速(18ノット)で走り続けたスパルヴィエロだが、目的地に着い
たときには、すでに缶(心臓)は破裂寸前、轟沈間際といった有様だった。
「では、最初に操舵訓練を執り行う、オストロ」
「了~解ッ」
オストロは軽く額に手を当てると、海面に等間隔で並ぶ円柱状のブイめがけて急
加速する。
「よっ、はっ!」
オストロは体を小刻みに傾かせ、軽快な動きでブイの間をすり抜けていく。
「ほえ~」
スパルヴィエロは感心したような顔で、オストロの動きを追っていた。
エスペロは呆れたように、スパルヴィエロの脇を軽く小突くと、波間に揺れるブイを
指さす。
「何アホ面してんのよ? 次はアンタの番よ」
「は、はい、スパルヴィエロ、行きます!」
口を真一文字に引き締め、スパルヴィエロはゆっくりと前に進み出す。
だが、叙々に速度が上がるにつれて、上半身が左右に動き始めた。
危なっかしい動きで、何とか最初のブイの間をくぐり抜け、ふたつ目に挑もうとした
瞬間、スパルヴィエロの体が大きく右に傾き、トゥルビネたちが助けに入る間もなく、
スパルヴィエロの体が水しぶきとともに波間に没した。
海面から2本の足を突き出し、バタバタともがくスパルヴィエロを見ながら、エスペロは激しい脱力感に襲われていた。
「何で、あんなにバランス悪いの?」
「……あの子は
ページをめくりながら、アルマンドが微妙なフォローを入れる。
なんとか自力で立ち上がるがると、大きなくしゃみを放ちながらスパルヴィエロは
ずぶ濡れになった体を悲しげな顔で見下ろしている。
「その邪魔なバルジを今すぐ削ぎ落とせッ!」
塗れたシャツがピッタリと張り付き、殊更その大きさを強調するふたつの乳房を忌々
しそうに指さし、エスペロたちが不機嫌そうにツッコむ。
「そんなこと、できる訳ないじゃないですか!!」
両手で胸元を覆い隠しながら、スパルヴィエロも顔を真っ赤にして反論する。
「文句いってるヒマがあるなら、続けなさいよ!」
スパルヴィエロは不満そうに頬を膨らませると、プイと横を向き再びブイに向かって
走り出す。
だが、たちどころにブイに蹴躓き、豪快に頭から海面に突っ込んでしまった。
「スパルヴィエロさん、洋上航海は今日が初めてではないですよね?」
今行っている訓練は、艦隊機動では基礎ともいうべき物であった。だが、それすら
満足にこなせないスパルヴィエロを、トゥルビネは心配そうに見守っている。
「……船団護衛には、あんな操舵技術は必要ないから」
トゥルビネが、ハッとしたように顔を上げる。
確かに輸送船団に随伴する場合、基本的に巡航速度と言ってもその速度は10ノット
前後だった。
しかも敵潜水艦などからの攻撃を警戒し、ときおり航路を変更する程度であり、複雑
な動きはあまり必要とされない。
それならば、覚醒してからまだ数ヶ月しか経っておらず、実戦経験もまるでない
スパルヴィエロの腕前がお粗末なのも十分うなづけた。
「……でも、これからは、そうはいかない。この先、あの子が深海棲艦との戦いに身を
投じれば、敵の攻撃を避けるためには、これらの技術は絶対に必要」
「そうですね。でも、今のままでは……」
「……問題ない」
不安そうなトゥルビネを励ますように、アルマンドは視線は本に落としたまま、前を
指さす。
「……あの子たちに任せておけば、大丈夫」
スパルヴィエロは、またよろめくと水しぶきを上げ、海面に頭から突っ込む。
だが、よろよろと立ち上がると、顔にかかった海水を拭おうともせず、真剣な面もちですぐに海上を走り始める。
腕を組み、しばらくふくれっ面でそれを見ていたエスペロとオストロが、軽く目配
せすると同時に動き出す。
エスペロたちはスパルヴィエロの左右に回り込むと、併走しはじめた。
「アンタねぇ、自分の艤装を、もっとうまく使いなって!」
「艤装は、ただの飾りじゃないのよ?」
ふたりの言っていることの意味が分からず、小首をかしげるスパルヴィエロ。
エスペロは目を細めると、スパルヴィエロのいきなり右手を掴むと、力任せに
引っ張った。
突然のことに、スパルヴィエロは大きくバランスを崩す。
「ひゃああっ!?」
「そこで飛行甲板を展開! 急いで!!」
ほとんど片足立ちに近い状態で、走り続けるスパルヴィエロの左側から、オストロ
の声が聞こえた。
反射的に左のサブアームが動きだし、背部に収納されていた特徴的な飛行甲板が回
り込むように真横に展開された。
「あれ?」
大きく右に傾いていた体が、飛行甲板の重さに引っ張られ、意識せず元に位置に
戻った。
きょとんとしているスパルヴィエロの左手に、今度はオストロが海面を蹴り、全力
でしがみつく。
「きゃああ!?」
「ほら、そこでボケッとしない、さっさと飛行甲板を元に戻して、今度はスポンソン
を動かすの!」
エスペロの冷静な声を耳にしながら、必死の形相で言われたとおりにすると、
あれだけ崩れていたバランスが、瞬く間に回復した。
「分かった? 艤装は、こんな風にバラスト代わりにも使えるのよ?」
スパルヴィエロの腕から体を離し、オストロがつっけんどんに言い放つ。
「アンタたち空母は、ただでさえトップヘビーでバランスが悪いんだから、頭使わ
なきゃダメでしょ!」
目の前の、巨大な空母艦娘を見上げながら、なおも講釈をたれていたエスペロが、
スパルヴィエロの両目に涙が浮かんでいるのに気づき、口を噤んでしまった。
「エスペロさん、オストロさん、わたしのことを、そんなに心配してくれて……」
「か、勘違いしないでよ、あたしたちは何も……」
「そうよ、アンタがさっさと練度を上げないと、みんなにとって死活問題だから……」
両手を胸元で組み、瞳をうるませるスパルヴィエロの視線から目をそらすと、
エスペロとオストロは、照れたように唇を少し尖らせ、同時にそっぽを向いた。
「エスペロさ~ん、オストロさ~ん!」
「「わっ!?」」
キラキラと輝く、ヘンなオーラを全身から発散させ、スパルヴィエロが白波を蹴立て、最大戦速で突っ込んでくる。
逃げるまもなく抱きしめられると、ふたりの顔に豊満な胸が押しつけられる。
基準排水量3万総トン(推定)のスパルヴィエロに抱きつかれ、エスペロたちの体
が、みるみる波間に没しはじめた。
「わっ!? ちょっ、やめてよ、し、沈む!!」
「そのブヨブヨしたバルジを、押しつけるなーッ!」
2隻の駆逐艦娘の発した魂のSOSが、蒼い輝きを称えたティレニア海を走り過ぎて
いった。