防具を全て外し、しまいこんで久しい天使の服を引っ張り出した。これを着て帰るのがきっと正しいんだろうがな……。
少し考えて、天使の服を荷物の奥底に突っ込んだ。なんなら存在を忘れてうっかり処分したって構わねぇ。少なくとも「天使は天使の服を必ず着なくてはならない」なんて理で縛られた覚えはねぇし。「天使の服をうっかり処分してはならない」とも言われてねぇし。
ただの旅人の服を着ている方が「人間みたい」だろうが。俺は形から入るぜ。
俺はベッドにゴロンと横になった。仰向けから慣れたうつ伏せに転がる。そのまま頭を抱えて声もなくジタバタした。
……あぁ耐えられねぇ。帰るなんて耐えられねぇ!
一生懸命に生きる人間たちの営みを間近で見られないなんて耐えられねぇ! 女神の果実がなくても普通に魔物が人間を襲う悲劇が起きるかもしれねぇのにのうのうと安全な天使界に帰るなんて耐えられねぇ! なんなら小さい困り事が解決されないのだって耐えられねぇ!
むしろ、人間たちに見えない聞こえない透明な存在だった頃より、人間たちと交流した経験ができた分余計辛ぇ!
俺は神からおばあちゃんの落とした指輪を草むらから探すために遣わされたに違いねぇ、もしくは馬小屋の掃除をするためかもしれねぇ、ただ落ち葉を掃除するためかもしれねぇ、もっともっと些細のことのためかもな!
それもこれもなんだかんだ理由をつけて人間たちを影から見守り、その日々を生きる尊さにペロッペロし続けるに他ならないだろうがなんで帰らなきゃならねぇんだ!
わかってる、わかってる、今の俺は危険物を所持した存在だ。とっととこれを天使界にポイッとぶん投げてこいってことだよな? わかってる……。
危ねぇんだから一刻も早く受け取りに来てくれねぇか? 突然俺が正気を失って「人間になりてぇ!」「人間と同じ時間を歩みてぇ!」「イケメンになりてぇ!」「リッカたんをペロペロしてぇ!」とか願いながら女神の果実を次々貪りだしたらどうすんだよ! 叶っちまったらどうすんだ! 最後のは迷惑だろうが!
できねぇけど、そんなこと。俺は女神の果実を回収してこいと言われたんであって……まぁうっかり食うなとは言われてないが……ならひとつくらい齧っても……いやいやいやいやいや。
バレるし、どんなヤバい存在に成り果てるかわかんねぇよ。トカゲのアノンみたいなことになって「俺は人間になれたぞ!」なんて自分の姿を理解しないまま喜びながら処断されるんだろ! そういうオチだろ!
どうせ原型も留めていない化け物になって倒されるようなオチしかないんだから賭けねぇぞ!
ここまで天使は誰も助けちゃくれなかった、だから……倒されるなら人間たちに、ということになる……俺自体が迷惑かけるなんて耐えられねぇ自害するしかねぇ!
はぁ……。
「帰りたくない……」
天使界に着いたら箱舟の扉から女神の果実を投げ込んでそのままUターンしてもらえばいいんじゃね? ……報告しないでいいわけないだろ。いい加減に諦めろ、案外守護天使として地上の滞在が認められるかもしれねぇし。自力で帰れない、つまり住み込み、地上暮らしを認めさせるチャンスだ。
ま、ほかの街の守護天使はひとりたりとも見かけてないんだが……。行方不明になった天使とやらに含まれているんだよな? 俺と同じで地上に落とされて、俺みたいに運良く滝壺に落ちることなく地面に叩きつけられて星になっちまったとか? あるいはサンディに出会わなかったから翼を失って帰るに帰れないとか? ならまぁ仕方ねぇよな。
あるいは……箱舟を破壊してどう足掻いても帰れないように……いやいや。
帰りたくなさすぎて頭がおかしくなってきてやがる。少し仮眠しよう。夕飯が終わったくらいの時間ならリッカたんも手が空いていることだろうし、それまで。俺は一食くらい食ったって食わなくなって同じようなもんなんだから。俺に成長期はこねぇ。
寝よ。
アーミアス、話があるって言ってたけど……。ロビーで見かけてないから、多分まだ部屋にいるの、よね?
ちらりと階段を見上げると、ちょうどそのアーミアスが降りてくるところだった。
鎖の鎧とか兜とか剣とか、全部置いてきたみたいで……ロビーに残っていたお客さんたちはアーミアスを見た人から黙ってしまって、ちょっと静かになる。普通の服のアーミアスは、ことさら「天使様」らしくて、私も黙っちゃうの分かるかもしれない。しかも、なんだか物憂げな雰囲気で余計に神秘的な感じがする。
ふらふらと立ち上がり、アーミアスに近づこうとしたお客さんのひとりが、ロビーにいたアーミアスさんの仲間のひとりに何か言われて、……何故か玄関から出ていっちゃった。
「すみません、リッカ。お待たせしましたか。すっかり寝てしまっていて……お恥ずかしいばかりです」
「遠いところから帰ってきて疲れてたんでしょ。もっとゆっくり寝てたら良かったのに」
「いえいえ、俺にとっては一晩ぐっすり眠ったのと同じくらいの時間でしたから。……それで、今はお時間大丈夫ですか?」
「大丈夫。他の従業員もいるし抜けちゃっても平気」
それは良かった、と頷いたアーミアス。今日も……眩しいくらいに綺麗だけど、やっぱりちょっと落ち込んでいる、ような……。
宿の外に出て、街のはずれへ。アーミアスは空を見上げて、満天の星をちらりと見上げてからこっちに向き直った。
アーミアスの瞳には今日も星が宿っていて。きらきら、きらきら、瞳に吸い込まれそう。
「先程少し言いかけましたが、俺に課せられた使命は果たされました。報告のためにも戻らなくてはなりません。その後どうなるかは分かりませんが、……人間のリッカに伝えていいものかは分かりませんが。最悪戻って来れないかもしれないと思って、戻る前に挨拶したかったのです。なんとしてでも回避しますが」
「戻って来れないって……」
月明かりの下、アーミアスの髪が光を吸収して星屑のようにきらきら、きらきら。同時に星を宿しているアーミアスの目元もきらりと光った。
もしかして、泣いて……。
「大地震の日、俺は天使界から落ちてしまった。あの日、同時に天使界から落ちたものがありました……俺はこれまで、それを探していたんです。探さなくてはならなかった、俺が天使だから……」
くしゃりとアーミアスは顔を歪めた。ものすごく嫌、と言いたげな表情。
「『女神の果実が実るとき、神の国への道は開かれ、われら天使は、永遠の救いを得る』。数千年前からの言い伝えです。天使界に女神の果実が実った時、地上からの攻撃が天使界を襲いました。そして俺は巻き込まれたついでに落ちてきたわけです。本命は女神の果実だったのでしょう」
アーミアスはそこで笑った。
「ああ、地上に落ちてきたことは嬉しいことでした。俺にとってそのそも翼はいらなかったし、人間たちと話すこともできないのは嫌だった。俺は翼も光輪も失いましたが、それだけをうまく失えたのは幸運でした! だからそんな顔しないで、リッカ。俺はずっとキミと話したかった。透明なままで見守るだけなんて嫌だったんです!」
また、星空を見上げるアーミアス。
私は、滝壺に叩きつけられて気絶していたアーミアスを助けた日のことを思い出していた。全身やけどまみれで、ボロボロで、だけどそれでもわかる……神様が特別に創りあげた綺麗な天使様。その雰囲気は懐かしくて、よく知っていて。名前を聞く前から誰かわかっていた……。
天使様、を想像したそのまま。中性的で、大人でも子供でもなくて。男の声でも女の声でもない柔らかい声はずっと聴いていた子守歌みたいで。
それで、それで、ひとつだけ想像していた天使様とアーミアスには違うところがあった。
私たちを、人間のことを大好きだって。そう言って……何より大切なものを見る目で笑ったの。
天使様ってもっと遠い存在だと思ってた。人間を見守ってくださるけれど、時には守ってくださるけれど……アーミアスみたいに居ても立っても居られないって顔をして手を差し伸べてくれるくらいお人好しな存在だとは思ってなかった。
でも、でも、今ならわかる。それってアーミアスだからだよね。天使様も人間と同じでいろんな方がいて……ウォルロ村の守護天使様は信じられないくらい人間好きだっただけ。
だからか、アーミアスは天使のことを悪く思われたいみたい。人間を今すぐ助けに来ない天使様のことが気に入らなくて、たったひとりでできることに限界があるのは当たり前なのにそれを悔やんで。
高潔で心配性の天使様。等身大の男の子みたいな一面と、手を触れることさえ許されない神聖な一面がどっちもあるの。
「リッカ、俺は帰りたくありません。だからすぐに戻ってきます、だけど……神の国に行くことになったら、行ってしまったら……きっとここには戻れません。そんなことは絶対に嫌なんです。俺がまたうまく
「無事に帰ってきて欲しいって思うよ、アーミアス」
「……えぇ、もちろん。今度は海にでも」
「もう!」
アーミアスの手を取るとびっくりするくらい冷たくて、なのに汗をかいていた。それだけでびっくりして目をまんまるにして、そんな表情を見るとちょっとおかしくなってしまう。
本当に、人間が触れられもしない存在だった天使様……今は私の目の前で帰りたくないって必死に言っている男の子……。
「リッカとさよならなんて、したくない……」
両目からとうとう星がこぼれたみたいだった。ぼろぼろと泣き出してしまったアーミアスは、ぎゅっと私の両手を握りかけ、慌てて力を抜いた。
「……ありがとう、リッカ」
それでその晩は解散することになって。
翌朝、早くに。アーミアスは仕事を始めたばかりの私にだけ「また会いましょう」と告げて出発してしまった。
急いで外に出るとどこかへ飛び去るアーミアスの魔法は、流星みたいに空を飛んで……その軌跡が消えるまで、私は空を見つめていた。
アーミアスは宿にいない時の方が多いのに、いつもそんなに長く滞在しないのに、今日の出発はとても寂しい。また、会えるかな、会えるよね……。
そんなことを考えて数日後、本当に有言実行してしまったのか、全身ボロボロのアーミアスがセントシュタインの入り口で行き倒れているのが発見されたと聞いて。
すぐに帰ってきてくれて嬉しいけど、そんな無茶しないで欲しい! 今は喋れるのかな、それとも眠っているだろうか……無事だったならルイーダの宿屋にいる優秀な人たちが回復呪文をかけるはずだから大丈夫なはず……なんて自分に言い聞かせながらアーミアスが担ぎ込まれた部屋にお見舞いに行くと。
アーミアスは布団の中に丸まってただただしくしく泣くだけで、まともに返事ができない状態になってしまっていた。
エルシオン編終了です
アーミアスは原作通りナザムに落ちていますが茫然自失のまま帰るところに帰ってきました