モモンガさま漫遊記   作:ryu-

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本編
第1話


 世界最後の日。

 

 たかがオンラインゲームのサービス終了日をそう表現するとしたら、ほぼ全ての人間が嘲笑するだろうか。だが、彼にとってその日は、【ユグドラシル】というDMMOのサービス終了の日は、まさしく世界最後の日と言っても過言では無かった。現実世界に家族は無く、友も居らず、ただ生活の為の仕事しか無かった彼、鈴木悟という男には。

 

 

 

―― 3, 2, 1……

 

 

 

 自らが愛したギルドの仲間達、彼らと共に作り上げたギルドとダンジョンの最奥で時を刻み、

 

 

 

―― 0……

 

 

 

 その最後の時を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 風が吹いていた。

 強制ログアウトを受け、現実に戻ったのならここは自室の中。間違っても風が流れるような事は無い筈だ。

 

「草原?」

 

 目を見開くとそこは自室などではなく、記憶に無い草の海だ。見上げれば見渡す限りの夜空に浮かぶ星々。

 

「おぉ、お」

 

 その圧倒的な光景に、目を奪われる。現実では公害が進み拝むことの出来ない夜空。その美しさに、根源的な恐怖すら覚えた。

 

 

 

 

 

 しばし呆けた後、冷静になって身の回りを確認する。

 

(何故、ログアウトされないんだ? サービス終了は公式のドッキリで、続編にでも移行したのだろうか)

 

 それなら草原に居ることにも納得できる。続編だとしたら拠点や装備がリセットされる事もあるだろう。

 

「だけど装備は残っているな」

 

 白骨化した手の中には、変わらず指輪や杖が存在していた。<道具上位鑑定(オール・アプレーザル・マジックアイテム)>を使ってみても、その効果に違いはなかった。

 

(待て……、今俺は何をした……!?)

 

 魔法を使った。極自然に、コンソールを出す事もなく。

 強く風が吹き、寒気を感じる。清涼な空気が、草花の香りを届ける。

 

(おかしい、これはおかしいぞ!)

 

 如何に進化したゲームであろうと、視覚や聴覚以外を再現したゲームは無い。あってはならないのだ。それができれば、ゲームは現実以上になってしまう。制限が無い筈が無い。

 

(そうだ、GMコールだ、ログアウトされないのも何らかのバグ―――)

 

 ログアウト、GMコール、そしてコンソール。次々と出来ないことを見つけていき、その混乱が頂点に達した時、

 

(―――、焦っても、仕方が無いか)

 

 精神が平坦化される事を感じた。

 

 

 

 

 

 しばし草原に寝転がり、色々と考えをめぐらせていたモモンガは一つの結論を出した。

 

(思いつく限りの手は打ったが効果なし。なら焦っても仕方がないし、しばらく様子を見よう)

 

 星空を見上げてただ時間を待つ。何とも退屈で、

 

「何と有意義な時間だろうか」

 

 公害で汚れ果てた現実世界では見れない美が、目の前にある。

 

「ブルー・プラネットさんにも見せてあげたいなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……見渡すばかりの草原だな」

 

 夜空をひたすら鑑賞して半日ほど。初めて見た日の出に身を震わせ、そのまま太陽が真上に来るまで眺め続けてしまった。流石にずっとこうしていてもしょうが無いと思い、今は<飛行(フライ)>を使って適当な方向へと移動している。

 だが無為に寝転がっていたわけでは無い。少なくとも、今起こっている事をいくらかは把握できている。

 

 ・肉体が変質している(食欲、睡眠欲がいつまでたっても訪れないことから推測)

 ・この世界はゲームでは無い(口が動く等、その他ありえない動作や行動が取れた為)

 ・仕様が一部異なるがユグドラシルの魔法は大体使える

 ・持っていたアイテムもほぼ同じ仕様で使える(ポーションでダメージを受けた為。これは自らのアンデッド化の証明にもなった)

 

(まだトンデモなく現実に近いユグドラシル2って可能性も無いわけじゃない。というかゲームが現実化するより余程現実味のある話だ)

 

 だがその可能性は非常に低い。

 試しにエロ、もとい卑猥な言葉をシャウトしてみたのだが、変わらずGMからの警告は無かった。ユグドラシルは自由度の高いゲームだが、そういう所はしっかりと厳しかったのだ。変なところで信頼できる運営が何も対応しないという事は、とんでもない異常事態である事は確かだと判断できた。

 

(まあ何はともあれ情報集めだ。街でも遺跡でも良いから、とにかく一人じゃ何も進められない)

 

 何も判らない状態、本来ならばもう少し焦っても良い状態だ。だが、モモンガは正直なところ気楽だった。美しい光景に長時間癒される事が、彼の精神に安らぎを与えていた為だと言える。

 ―――それと同じくらい、『身一つ』であることが彼の気を楽にしていた事は、本人ですら気づいていない事実だが。

 

(……お、街、いや村か?)

 

 移動を始めてからそう時間は掛からず、森に面した村を発見する。まだ豆粒ほど遠く離れた場所だが、モモンガは一度地へと降りた。ガントレットと仮面を装備し、骨の体を隠す。

 地に降りたのは目立つことを避ける為。体を隠すのは異形種狩りを警戒して。気楽に浮かれていたモモンガだが、それだけの気を使うだけの冷静さは残していた。

 

「さて、<千里眼(クレアボヤンス)>」

 

 村の様子を魔法で確認する。俯瞰した光景を拡大し、

 

「……戦争か?」

 

 人と人が争う光景を見た。

 いや、それは一方的な虐殺だった。片方だけが統一された武具を身につけ、殺されているのはどう見ても村人の格好だ。事情こそ不明だが、それは闘いと呼べるものではなかった。

 

(助けに入るべきか?)

 

 村人を助けることができれば、感謝を得られる。情報を得るのにも都合が良い。

 

(だがこれにお国の事情が絡んでると厄介だよなあ)

 

 食い扶持を減らす間引きだとか、非協力的な国民の制裁だとか、そんな事情だった場合は面倒な事になる。さらに、それ以上の問題が一つある。

 

(あいつらがどれだけ強いのか、俺がどれだけ通じるのか、不明なまま団体戦はしたくないな)

 

 モモンガはロールプレイに拘ってガチビルド至上主義ではないが、廃人プレイヤーではある。相手の強さも判らず敵の前にのうのうと現れる程お気楽ではない。

 未知を楽しむ気持ちこそあるが、そこに強い拘りは無く攻略サイトだって見るし経験者の話は参考にする。情報は宝であるということを、モモンガはユグドラシルで深く学んでいた。

 

「ふむ、<敵感知(センス・エネミー)>」

 

 今度は探知魔法で敵の配置を探る。とりあえず一度戦闘はしてみたいので、集団から離れた敵と戦うつもりなのだ。

 

「お、いたいた」

 

 村から離れ、森の奥へと進んでいく騎士を見つけた。視覚をそちらへ向けると、二人の少女が一人の騎士に追いかけられていた。

 

「こりゃおあつらえ向きだな。<転移門(ゲート)>」

 

 門を開き、躊躇なくその中へと入る。一人相手なら何とでもなるだろうし、少女を助けられれば好意的に情報が手に入ると打算的に動いた。

 

 ―――その思考が人を逸脱しているということに、彼は直ぐ気づくことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(うっわ、弱ぇ)

 

 転移した先でモモンガは一気に力を抜く。第9位階魔法ならともかく、第5位階でも一撃で騎士を殺せたのには呆れた程だ。

 

(チュートリアルのMOB並に弱いんじゃないか? こいつら)

 

 予想とのあまりの差異に混乱を覚える。盾にと作った死の騎士(デス・ナイト)は、召喚者の範囲制限を超えて走りだすし、驚かされてばかりだ。

 もう一つ、彼を驚かせる、いや落ち着かせている異常に気づく。

 

(人を殺しても何とも思わない。そもそもこの虐殺に何も感じなかった。心までアンデッドになったって訳かな……)

 

 それは少しばかりショックな事だったが、ひとまず今考えることではないと切り捨てる。

 

「さて、大丈夫か?」

 

 背に守っていた少女二人に語りかける。これがNPCでさっきまでのがイベントだったら恥ずかしいなー、と思いながら。

 

「は、はい。お助けいただきありがとう御座います」

 

「……怪我をしているようだな」

 

 ポーションを渡し、それを飲んだ少女の背に刻まれた傷が癒える。警戒が多少は和らいだようだが、怯えと困惑は消えていない。救いに来たのが白馬の騎士ではなく、怪しい魔術詠唱者ではしょうが無いかもしれない。

 

「ここで何が起こっているか判るか?」

 

「いえ、いきなり村が襲われて……王国では見たことがない鎧を着た人達が皆を」

 

 少し話して、とりあえずは国内の難しい事情ではなさそうな事に安堵する。さらに彼女の言葉から、彼らが帝国の騎士ではないかという事までは判った。

 

「魔法を見たことはあるか?」

 

「友人の薬師が使っているのを見たことがあります」

 

「話が早いな、俺は魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ」

 

 防御魔法を仕掛け、ついでに小鬼将軍の角笛を渡す。これでもダメなら運が悪かったと諦めてもらうしかない。

 

(さて、散らばっている奴らから実験がてらに潰していくか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(いやあ、重畳重畳)

 

 あっさりと周囲の騎士を処分し、広場に集まっていた者達も制圧する。というよりも広場に着いた時には死の騎士がほぼ全て終わらせていた。

 

「さて、幸運にも生き残った諸君、まだ戦う意思があるなら―――どうもお疲れのご様子だな」

 

 あっさりと武器を捨て投降する彼らを、果たしてどうするべきか検討する。

 

(殺しても逃がしてもいいが……まあ生け捕りにしたほうが何かと印象はいいかな?)

 

 残った騎士達を魔法で眠らせ、生き残りの村人たちにできるだけ優しい声で話しかける。

 

「皆さん、ご安心ください。彼ら以外も既に制圧済みです。この者達を拘束しようと思うのですが、頑丈な縄等はありませんでしょうか?」

 

 その言葉を聞いて、ようやく村人たちは安堵の反応を返した。

 喜ぶ者、啜り泣く者、こちらの言葉に従い縄を取りに走りだす者。その反応は様々だったが、絶望と恐怖に染まっていた表情はある程度晴れたようだった。

 

「魔法詠唱者様、この度は村を救って頂き、誠にありがとうございました」

 

「いえいえ、ただの通りすがりの気まぐれと思ってください。森の中で少女二人があの男たちに襲われている光景に偶々出くわしたものでしたから。ああ、彼女達は私の魔法で保護していますので無事です。こちらへ連れてきますので、よろしければその後に詳しくお話を聞かせて頂いても?」

 

「おお、何から何まで……分かりました。お待ちしております」

 

 村長らしき男と話し、再度<飛行(フライ)>で森の中へ移動する。

 それにしても村人達の反応は思っていたよりも薄いものだった。死の騎士の異形や強さに恐れが残っていたのか、それとも……

 

「やはりこの仮面がまずかったか? これぐらいしか顔を隠せる装備無かったんだよなあ」

 

 骨の顔を隠す『嫉妬マスク』を撫でながら、少女達の下へと飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

「この度は本当にありがとうございました」

 

 一度腰を落ち着けて話をしよう、と村長の家へと移動し、入ってすぐに深く頭を下げられた。

 

「いえ、いえ。本当に偶然の事でしたので。それに私は来るのが遅かったようです、犠牲はゼロでは無いようでしたし」

 

「それでも! 貴方に来ていただけなければこの村は全滅しておりました! 本当に、本当に有難うございます」

 

 深く、深く頭を下げられる。

 先程まで村人の生き死にに何とも思っていなかったが、少しばかりの罪悪感が芽生える。あの助けた少女達、エンリとネムが両親の死体を前に号泣していた時にも感じた心のモヤだ。

 アンデッド化により精神の変動は僅かなものだが、残っている人間の心は残滓として確かに存在しているようだった。

 

「それで、魔法詠唱者(マジック・キャスター)様には―――」

 

「ああ、モモンとお呼びください」

 

 とりあえず本物ではないが全くの偽名でもない略称を名乗っておく。下手に本名(といってもHN(ハンドルネーム)だが)を名乗り、真名を用いたまだ見ぬ呪術などあっては堪らない。

 

「モモン様にはお礼を差し上げたいのですが、何分今回の事でこの村は働き手を失っております。貴方様のような偉大な方を満足させるような金額は、将来を考えると……」

 

「いえいえ、本当にお気遣いなく……と言いたいところですが、実のところ長旅で懐が寂しい事は確かです。一宿の地と少々の路銀を頂けると非常に助かりますね」

 

「そ、そのような事だけでよろしいのですか?」

 

「ええ。それとどちらかと言えば此方の方が本命なのですが……まだ私はこの地に着いたばかりでして、周辺地域の情報をご説明頂けませんか? 正確な情報は時に金よりも価値がありますので」

 

 スラスラと言葉がでる自分の技量に感心さえ覚えた。『右も左も判らないんで教えてくださぁい!』という言葉を出来るだけ下手に出ないような形に変えたのだ。なにせあそこまで凄腕の魔法詠唱者を演出した手前、田舎者全開で質問攻めは恥ずかしい。

 言葉を選びながら、様々な質問を村長へ投げかける。少なくともこの村の襲撃については何も心当たりは無いようなので、捕まえた者達に問いかける必要があった。だが、とりあえずは周辺の情報等、いくつかの一般的と思われる情報を入手して、

 

 

 

 

 

(やっべえええ! やっぱり早まったあああ!)

 

 

 

 

 

 この村を助けた事を早々に後悔し始めた。

 

(何だよリ・エスティーゼ王国って、バハルス帝国って! 人間だけの土地? 魔法がある世界でなんでそんな現実的なんだよ!)

 

 正直、ある程度はユグドラシルの知識が役に立つと思っていた。だが、聞いたこともない土地や国名は、もはやユグドラシルとは関係ない世界に来た事を証明している。

 着いた早々国に喧嘩を売るなんてことがあっていいのだろうか? そんなわけがない。自らの肉体が人間ならまだ良いが、このままでは人類の敵として討伐されてもおかしくない。

 

「あの、どうかなされましたか?」

 

「ああいえ、少々気になる事がありまして」

 

 黙りこんだのが悪かったのか、心配するような声が掛けられる。できるだけ動揺を声に出さないようにして、あくまで落ち着いているように振る舞った。

 

(だが待て、少なくともまだ致命的な事はしていない筈だ。偽名を名乗ったし、顔だって隠してる……いやいやそもそも人間だけの国って、アンデッドは受け入れられるのか? どう考えたってアウトだろ!)

 

 特に深い考えなしで着けていた仮面とガントレットが功を奏している。

 

(そうだ、考えて見ればまだミスらしいミスはしてないんじゃないか? 名前もアンデッドであることもバレていない。それに出来るだけ善良な振る舞いはできていた筈だ)

 

 ぐるぐると廻る思考の果てで、ようやく落ち着きが戻ってくる。

 

(いざとなれば装備と名前を変えればどうにでもなるか)

 

 冷静さを取り戻したモモンガは、一つ問題に気づく。

 

(このままじゃ邪悪な魔法詠唱者が企みを隠して村に近づいたと思われかねないな)

 

 闇色のフードと仮面で姿を隠し、凶悪なアンデッドを操る魔法詠唱者が、正義の味方な訳がない。少なくとも命を助けてもらった事でこの場は収まっているが、話が人づてで広がった際にどう変質するか不明だ。下手をすれば、あの騎士達だって自作自演で引き起こしたなんて流れにすらなり得る。

 

「村長殿、一つ提案があるのですが」

 

「はい、何でしょうか」

 

「ここを襲った騎士達の武具を、何処かに売りに出しませんか? この村の復興資金になると思います」

 

「成る程、非常に助かるお話です」

 

「それと……これはご相談なのですが。武具を売ったお金の一部を、私に礼として支払ったという形にはしていただけませんでしょうか?」

 

「あれらを倒したのはモモン殿ですので、全てお渡ししても構いませんが……」

 

「いえいえ、この村の危機を乗り越える為に、有効な資金は残しておくべきです。私が持っていても宝の持ち腐れですから」

 

「なんと……しかし何故ですか?」

 

「それなんですが……」

 

 何故偽る必要があるのか。単純な話だ、見返りを求めない善意ほど怪しいものは無いから、金銭目的と判断してもらう為のポーズが欲しい。モモンガとしては村の救世主という形は残しつつも、その不気味な印象から発生するトラブルを避けたい。しかし問題は、この事をそうとは知られずに村長を納得させればよいのか。

 少しの間を開けてモモンガが出した答えは、

 

「いえ、私怪しいでしょう?」

 

「は?」

 

 諦めだった。

 

「これでも自分の風体や使っている魔法が良い印象を与えないであろう事は解っているつもりです。村人の安心の為にも、私はあくまで報酬目当てで戦った俗な男と見られた方が良いと思いまして」

 

「モモン様をそのように思う者など!」

 

「確かに、村人達はそう思わないでくれるかもしれませんが……この話が外に伝わった場合、どうでしょうか? 例えばこの村は邪悪な魔法詠唱者に洗脳された、などと余計なトラブルを引き起こしかねません」

 

「そ、それは……」

 

「これがお互いの為です。私としては村長殿のお話だけで、十分な取引が出来たと思っていますので」

 

「……モモン様に、そうおっしゃって頂けるのでしたら」

 

 何とも心苦しそうな表情で村長が声を絞り出して答える。それがどうにも微笑ましく、彼の人の良さに穏やかな気持ちを抱いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうもありがとうございます、モモン様」

 

「いえいえ、私も正式に村長殿に雇われましたので、お気になさらず」

 

 あの後、亡くなった者達の葬儀を終え、村の中を見廻るついでに所々で手を貸している。どこもかしこも人手不足だ。壊され、焼き討ちされた建物を片付けるだけでも、村人は非常に手間取っていた。その中でモモンガが用いる数々の魔法は、失意に沈む彼らを動かすだけの希望を抱かせていた。

 

(しかし何とも思わないな)

 

 本来痛ましい筈の光景は、アンデッドと化した自らの心には何も響かない。それでもある程度会話した相手なら、多少の愛着ぐらいは生まれるようだ。今までずっと自分だった『鈴木悟』が、心の端に残っている事に少しだけの安心を感じる。

 

(それにしてもこれからどうするかなぁ……とりあえず落ち着く場所は欲しいし、そうなるとお金は必要だ。少なくとも自分がそこそこ戦える事は判ったし、冒険者にでも登録するかな)

 

 一つ一つ今後の身の振りを考えていく中で、ふと地続きの空を見上げる。世界は夕焼けに染まって、寂しさを持ちながらも力強さを感じさせた。

 

(そう、そうだ。この世界はこんなにも美しい。だったら見に行こうじゃないか。森を、川を、きっと公害等ない綺麗な海だって見れる――――)

 

 まだ見ぬ世界の果てに気持ちを広げていく中で、

 

(……、無粋なやつらだ)

 

 哨戒にまわしていた使い魔が、村に向かってくる新たな来訪者の存在を告げた。

 

「村長殿」

 

「おお、モモン様」

 

 偶然にもそれに気づいた村人が居たようで、不安な表情をした村長に話しかける。話が速いのは素晴らしい。

 

「村長殿と私で、その者達の対応をしましょう。他の方々は一つにまとまってください、私の魔法で守りますので」

 

 さて、人の楽しい門出を邪魔する無法者だ。態度次第では少々“愉快”な事にでもしてみようか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この村を救って頂き、感謝の言葉も無い」

 

 その思ってもいなかった誠実な態度に、モモンガは面を食らう。不揃いな鎧の団体、まるで傭兵部隊のような戦士たちの長は、そう言って深く頭を下げていた。

 立場ある者としては珍しい態度に、正直に好感を覚える。

 

「い、いえ、いえ。ただの通りすがりでしたので。それに村長殿には報酬は頂いております」

 

「それでも、本来は私達が成さねばならぬ事です。偶然の事だとしても、感謝してもしたりない」

 

(いい人! この人ホントいい人だわ!)

 

 先ほどの些細なことで苛ついていた自分が恥ずかしい。

 その男、ガゼフ・ストロノーフという男はまさしく英雄然とした騎士の中の騎士だ。そうでもなければこんな怪しい魔術詠唱者相手に頭を下げる事などできまい。

 

「王国の騎士として、王に貴方への恩賞を願おうと思うのだが……その前に現状の把握をさせて頂きたい。よろしければ椅子にでも座って話をきかせていただけないだろうか」

 

 警戒こそしているが感情的にならず、高圧的な態度にも出ない。理想的な上司の姿にモモンガは感動すら覚える。先程のイラツキなど何処へやら、だ。

 

「ええ、私は構いません。村長殿、よろしければ場所をお借りできないだろうか」

 

「もちろんです。私の家を使いましょう」

 

「お心遣い、感謝する」

 

 うんうん、と思いの外に上手くいった権力者との初邂逅に満足感を得る。

 新天地に来てそうそう慌ただしいものだったが、なんとか上手く纏まり―――

 

「戦士長! 周囲に村を囲む複数の人影を発見しました!」

 

 何だよもう!(怒)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成る程、確かにいるな」

 

 避難している家から外を覗き込むガゼフが呟く。同じように数人の僧兵と天使と思わしきモンスターがモモンガの目にも見えた。

 

「アレは……炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)?」

 

「ご存知なのか?」

 

「……私の知識と同じものかは不明ですが。第3位階魔法によって召喚される、天使型のモンスターです。特殊なスキルこそありませんが、物理耐性を持つので一定以上の筋力か、魔法の力でないとダメージが通りにくいでしょう」

 

 そういってモモンガは王国兵を見渡す。

 

「あなた方の中に特殊な武器か魔法詠唱者が居ないのならば、少々相性が悪いやもしれませんね」

 

「成る程、確かに厄介な相手だ」

 

 ガゼフは苦虫を噛み潰したような渋面を作る。武技を修めている自分以外は、まともに相手出来ないと言われたようなものだからだ。

 だがそれ以上にガゼフを追い詰めているのは僧兵達の目的だ。モモンという男には心当たりはなく、この村にそれほどの価値は無い。つまりは王国最強と謳われた自身こそが標的という答えが出る。それにこの村を、いや周辺の村々を巻き込んでいる自分の不甲斐なさに吐き気さえ感じていた。

 

「モモン殿、私に雇われないか」

 

 だからといって自己嫌悪に陥ったまま、容易く死ぬ訳にはいかない。王国の為にその身を捧げるのは自らの使命。だからこそ、見知らぬ魔法詠唱者でも協力を得られるのならば求める、そういう信念が彼にはあった。

 

「……」

 

 正直に言うと、モモンガは手を貸しても良いと考えていた。ガゼフは稀に見る高潔かつ誠実な男で、王国最強という二つ名はレアコレクターの心を擽る。しかも権力を持つ者の後ろ盾を得られる事は今後の為にもなる。

 だが、安請け合いは出来ない。

 

「申し訳ないが、お断りします。相手の情報無しに闘いを挑む程、私は無謀な魔法詠唱者ではありません。命を掛けるほどのメリットも感じませんね」

 

「満足して頂けるだろう報酬は約束するが」

 

「命を天秤に掛けられる程、金銭に執着心が強い訳でもありませんよ」

 

 できるだけ丁寧に断る。その言葉は嘘ではないが、真実だけではない。

 モモンガは情報が欲しかった。

 それこそあの炎の上位天使が自分の知っている通りの強さなのか、というだけではない。目の前に居る王国最強の男が果たしてどれほどの強さなのか、という点についてもだ。せっかくの好機を、下手に手を貸せば逃してしまう可能性がある。

 

「ではあの召喚された騎士をお借りできないだろうか」

 

 そういってガゼフが目をやる先には死の騎士がいる。

 

「ふむ……」

 

 その提案は、正直悪くはない。あれの戦闘力の裏付けもできるし、本来の闘い方をさせればその有効性の確認にもなる。

 

「それならば、まあ」

 

「お借り出来るのか!」

 

「ええ、ただし条件が幾つか」

 

 モモンガは二つ指を立て、その一つ目を折る。

 

「アレは本来私を守る盾です。本来の闘い方は攻勢ではなく、守勢にこそ真価を発揮します。今回は戦士長殿を主として、その闘いを徹底させようと思います」

 

 異論は無い、とガゼフは頷く。

 

「そしてもう一つの条件は、あの天使と魔法詠唱者達に挑むのは貴方と私のシモベだけにして欲しい、という事です」

 

 ざわり、とガゼフを除く周囲に居た王国兵が動揺を浮かべる。

 

「貴様、下手に出ていれば一体何を―――」

 

「止めろ。部下がすまない、モモン殿。今のお話は理由をお聞きしても?」

 

「幾つかあるのですが……単純な話、貴方の部下にあの天使たちを倒す手はありますか?」

 

 王国兵達は一転して押し黙る。沈黙は答えだ。

 

「ちなみに戦士長殿には何か手が?」

 

「……普通に斬りつけても時間さえあればいけるかもしれない。だが武技を使えば、そこそこのモンスターであれ一刀のもとに斬り捨てることも可能だろう」

 

「ほう?」

 

 モモンガは自らの提案の成功を早くも感じていた。武技、という未知の力が有る情報を引き出せたからだ。

 ちなみにこの条件には言葉にした通り、幾つかの理由がある。先ほど言ったことも嘘ではない、別に無駄死を楽しむ趣味は無い。さらにはガゼフを少人数で戦わせることで、余裕のない闘い―――彼の本気を引き出す目論見もある。あとは死の騎士が敵だけでなく味方を巻き込む恐れも考えてのことだ。

 

「まあ少なくとも二つ目については、条件というよりは提案と受け取っていただいても構いません。戦士長殿が必要と思われる人数を引き連れて行って下さい。ですが私ならば―――」

 

 足手まといを連れて行かない、沈黙の中にその言葉を込める。

 

「……」

 

 ガゼフ・ストロノーフは考える。横から必死な形相で食い下がろうとする部下たちの言葉を聞きながら。

 

「――――」

 

 そう長い間を待たせることもなく、彼は答えを出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

「隊長」

 

 ニグン・グリッド・ルーインは部下の言葉を聞き、前を見る。其の先には村があり、そこから出てきたであろう、部隊の標的である男の姿を確認した。

 

「来たか、ガゼフ・ストロノーフ」

 

 そういって呟いた言葉に、酷薄な笑みを浮かべる。だがその笑みが小さく歪む。

 一つは、標的であるガゼフが徒歩で来た点。彼らは馬で移動していたので、当然馬での突撃を想定していた。二つは、部下と共に集団で移動して居たはずなのに、たった二人で此方に向かっている事だ。そしてもう一人の方が―――

 

「おい、なんかでかくないか?」

 

 兵の一人が溢れるように呟く。

 情報が正しければ、ガゼフ・ストロノーフはそこそこの体躯をした男だ。それに間違いがない場合、比較して隣の男の身長を推測すると2mは軽く超えていることになる。遠近感の崩れたようなその光景は、彼らが近づくにつれはっきりとしていった。

 

「情報に無いのだ、見掛け倒しの新入りだろう」

 

 王国兵の文様こそ身にまとう全身鎧に刻まれているが、あれでは機動性も何もない。ニグンが嘲笑を浮かべる。あれで機敏に動けるのだとしたら、それだけで英雄級だ。

 語るまでも無いが、全身鎧の中身は死の騎士である。モモンガがどう転ぶか判らないこの後の展開を考えて魔法で偽装したのだ。万が一王国ではなく法国に付く事を考えた際に、この戦闘に関わったことを少しでも隠すための打算である。

 ちなみにガゼフその他には『人間に見せることで油断を誘う』といい含めてある。

 

「さて……」

 

 ガゼフが近づいてくるにつれ、村周辺に待機させていた兵たちも集結し始める。

 

「始めろ!」

 

 待機していた天使達が羽ばたき、たった二人を相手にした蹂躙が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 武技<戦気梱封>

 

 ガゼフは全方位から襲いかかる天使達に臆すること無く、自らの力を引き出す。高速に迫り来る一体を、強化した剣で切り裂いた。その隙を突くように、二方向からの攻撃。

 

「遅いっ!」

 

 だがガゼフはあっさりとそれらを斬り落とす。天使の性能はそれほど高くない、ガゼフなら十分に勝機はある。だが、この闘いは制圧戦。後ろから迫り来る攻撃まで、容易く切り抜けることはできない。

 

「――――!」

 

 だがその背中を死の騎士が護る。一体を身の丈程あるタワーシールドで受けきり、もう一体を力のままに切り裂く。

 その堂に入った動きに、ガゼフは小さく感嘆する。死の騎士の動きは、王国最強をして目を見張る程の立ち回りだった。モモンという魔法詠唱者の言う『本来の闘い方』という意味を、ガゼフはこの短時間で理解した。

 

(これならば―――やれる!)

 

 防御に気を回すこと無く、ただ前だけを向けばいい。

 村を荒らしている帝国兵の報を受けてから、ガゼフの心は常に怒りと悲しみで満ちていた。だが、この場で浮かべていた表情は全くの真逆。溜め込んだ怒りを叩き込む相手を得た、獰猛な笑みへと変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数十分に及ぶ激闘は、じわりじわりと終わりを迎えつつある。日が殆ど沈み夜へと向かう中、ガゼフと襲撃者―――陽光聖典は互いに大きく疲弊していた。

 ガゼフと死の騎士は全身に多数の傷を受けている。

 陽光聖典は兵の多くを失い、多数居た天使達も片手で数えるまでになっていた。

 ニグン・グリッド・ルーインは心の中で大きく悪態をつく。ガゼフの想像を超えた生き汚さではなく、計画とあまりに異なるこの状況を産んだ者達にだ。

 

(何がガゼフ以外に警戒するべき相手は居ない、だ! 風花聖典の無能共めが!)

 

 王国に手を回し、ガゼフに預けられた五宝物は予定通り剥ぎ取られている。だが、そもそもあんな大男の情報等一つも報告になかった。ガゼフという優秀な武器と、素性の知れぬ大男という鉄壁の盾は、恐ろしい程に優れた連携を見せた。あまりにも息のあった攻防は即興の筈がなく、あの大男の情報を得られずにこの闘いを仕立てあげた風花聖典は見事に騙されたという事になる。

 

(こちらと通じていた王国貴族の手玉に取られたという訳か……王国ごときが法国を謀る等、あってはならない大罪だ!)

 

 奥歯を噛み締め、思いつく限りの罵詈雑言を脳内で撒き散らす。だがそうしていてもこの状況が覆るわけでもなく、もはや敗北は濃厚だ。

 

「随分と余裕が無くなったじゃないか」

 

「黙れ死に損ないが、勝ったつもりで居るようだが、貴様の敗北は初めから決まっている」

 

 ガゼフの息の整わぬままの言葉はニグンを苛立たせるばかりだ。ボロボロになりながらも獰猛な笑みを浮かべるそれが、腹立たしかった。

 

「貴様ごときにこれを使わなければならないとはな」

 

 ニグンが懐から取り出したのは美しくも荘厳な輝きを持つクリスタル。

 

「何をするつもりか判らんが、させると思うかぁ!」

 

監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)! 時間を稼げ!」

 

 ガゼフも監視の権天使を無視する訳にもいかず、足を留める。もう一人の大男は防御こそ優れているがガゼフほど攻撃力には優れていないようで、今までと変わらず監視の権天使の攻撃をさばいていた。

 これでニグンを止められる者は居ない。

 

「さあ、最高位天使にひれ伏せ! 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)!」

 

 闇夜が、クリスタルの輝きを広げるように輝き始める。同時に、新たな天使が召喚された。

 

「なっ」

 

 ガゼフが驚愕に声を上げる。勝ち目が見えたと淡い希望をいだいた直後に、それは今までとは比べ物にならない威圧感を持って現れた。

 

「一瞬の猶予も与えん、<善なる極撃(ホーリースマイト)>を放て!」

 

 天から、大きな輝きが降りる。ガゼフは監視の権天使を打ち倒す為に大技を打ち込んだばかりで、動けない。

 自らが光の煌きに包まれていくのを感じながら、眩しさに目を閉じる。確信があった、もう生きて目を開けることはできないのだと。

 

「っ……?」

 

 空気を震わせる大きな衝撃、まばゆい輝き。それらが全身を覆っているというのに、いまだガゼフに痛みは無かった。それが収束し、ようやく目が開けられた時には、

 

「おまえは……」

 

 全身を使いガゼフを守った大男の姿を見る。体中が炭と崩れながらも、それはかろうじて動いていた。

 

「耐えるか、魔神をも屠る一撃を……! だが所詮最後の悪あがきだな」

 

 残っていた炎の上位天使が大男の背を深く切り裂く。それが最後の一撃になり、膝から崩れるように倒れこむと、鎧の中から灰がこぼれ落ちた。

 

「ほう、成る程人間ではなかったのか。王国の切り札、魔法生物か何かだったのかな? 我が法国の調査を謀っただけでなく、それだけのものを生み出すとは……大したものだ。

 さてガゼフ・ストロノーフ、もはや貴様には盾は無い。だがお前はよくやったよ、その頭を垂れるというのなら、せめてもの慈悲に痛みを感じる間も与えずに殺してやろう」

 

「な、めるなああああああ!」

 

 ガゼフは立ち上がり、威光の主天使へと斬りかかる。だが武技を込めた渾身の一撃であれ、その表面に浅い傷を作るので精一杯だった。

 

「俺は王国戦士長! 国の希望を背負うものとして、ただ死を受け入れる等断じてありえん!」

 

「吠えるな獣が! 威光の主天使、ガゼフ・ストロノーフを粉砕しろ!」

 

 ガゼフがもはや武技すら発動できないまま、駆け出す。威光の主天使が魔法を使うまでも無いと、その杖を振り下ろす。その二つが交錯する直前、

 

 

 

『よく吠えた、ガゼフ・ストロノーフ。後は私がやろう』

 

 

 

 視界が一変。最後の剣は振るわれる事無く、目の前には部下達と村人たちが居た。

 

「戦士長!」

 

「お前たち……これは?」

 

「モモン殿の魔法で交換転移されたようです。十分に敵の戦力は把握できたので、残りは任せろ、と……」

 

 ガゼフは出撃前を思い出す。確かに彼は言っていた、『相手の情報無しに闘いを挑む気は無い』と。

 

「成る程……人の悪い、お方だ……」

 

 その言葉は恨み節のようでありながら、安堵に満ちていた。敵の切り札を見て尚、代わりに出たということは“そういう事”なのだろう。

 そのまま、ガゼフは気を失い倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「何者、だ。貴様は」

 

 ガゼフは叩き潰され、地に血の跡を刻む筈だった。だが今眼の前にあるのは怪しい魔法詠唱者であり、それは威光の主天使の一撃を片手で受け止める異質な光景だった。

 

「さて、戦士長を含めてお前たちにはいい物を見せてもらった。礼に良い物をくれてやろう」

 

 魔法詠唱者の指に小さく黒い炎が宿る。

 

「絶望と、恐怖。そして絶対的な死だ」

 

 圧倒的な力による虐殺が、始まった。

 

 

 

 





 誤字報告、ありがとう御座います。
 正直な所、本気で勘違いしてたのばかりでお恥ずかしい限りです……

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