「あー……あったかいなぁ……」
やさしい風が木々を優しく撫で、葉擦れの音を静かに奏でる。温かな光が木々の間を透過し、瑞々しい森に幻想的な光景を創り出す。
モモンガは今、トブの大森林が奥地でひっそり一人で過ごしている。何をしているかと問われれば、何もしていないと答えることになる。あえて言うならば『日向ぼっこ』とでも言えばよいだろうか。
「これは最高の娯楽かもしれん」
そこには豊かな自然と、それが生み出す光景、空気、匂い。リアルではまず体験できなかった全てがあった。
ここには人間も、動物も、モンスターもいない。
魔法で人避けをしたここは、まさしくモモンガだけのプライベートエリアだ。
―――今日はモモンガが自分へと定めたお休みの日だ。冒険者としての仕事や、趣味としての冒険も今日限りはなし。『なにもしない日』と定めた一日なのである。
普段のモモンガは睡眠や食事すら必要のないために深夜であれ常に何かをしている。魔法の確認、文字の勉強、冒険者としての仕事など。
いくら精神的なバッドステータスが効かないモモンガとはいえ、自らを省みてどんだけワーカーホリックなんだと思い立ったためにこの一日を作ることにしたのだ。
もちろんアルシェにも休みを言い含めてある。今頃は宿で死んだように寝ているだろう。
「はぁー、太陽光がじんわりと染みる……」
今のモモンガは普段の全身鎧ではなく魔法詠唱者の姿に戻っていた。Lv100の身体を持つモモンガにとって鎧自体の重量など軽いものだが、とはいえ視界を遮られることに窮屈さは感じている。こうして元のローブ姿に戻ればそれもない、実に快適だ。
「太陽光はー、LV60以上かぁ? ははは」
クールなギャグが独り言として飛び出る程度には、モモンガは今日という日を満喫していた。彼も元一般人だ、中二病の気があっても長期間の英雄ロールには精神をやられかけていたということだろう。
「一発芸、白骨死体」
もしこの場に彼の古い友人たちがいればこう言っただろう。
『やられかけているというより、やられちゃってるよねコレ』と。
太陽が頂点を過ぎ、さらに少し傾くほどに時が過ぎる。
気を抜きすぎてちょっととろけ始めているモモンガの耳に、ガサリと小さな音が響いた。
(人の気配……に、視線?)
そこには白金の全身鎧に身を包んだ、一人の戦士らしき者が立っていた。
(……なんだこいつ。こんな秘境になんでいるんだ?)
自分を棚に上げてその存在を訝しむ。
人間、が辿り着くにはこの地は人里から離れすぎている。
(うーん、分からん。目?が合ってからは生きているのか疑わしいくらいに微動だにしないし。そもそも何で人避けの結界を張っているのに……ここ……に?)
そう、そもそもここにはモモンガの魔法で結界が張られている。蟻だろうがアンデッドだろうが、意思を持っているものならこの場所に入るどころか気づくことすらできない。
例外があるとしたら、幻術を見抜く魔眼か、
(……っ!)
冷や汗が全身から溢れ出る、その錯覚を覚える。
出会う者たち誰も彼もがモモンガからすれば低レベルな者ばかりで警戒心が薄れていたが、世界に強者の影は残っていた。ならばこそ、油断してはならなかったのに。
「……」
「……」
二人?は動かない。端からすれば石像と白骨死体とでも勘違いするほど、現実味なく彼等は微動だにしなかった。
「こ、こんにちは」
「……こんにちは」
モモンガが恐る恐る口を開くと、意外にも返答があった。少なからず安心を覚える。とりあえずはいきなり戦闘とはならないようだ。
「……いい天気ですね」
会話に困った時に選ばれるナンバー1の話題(ペロロンチーノ調べ)を、気まずい雰囲気の中へ投下する。
「ん? ああ、そうだね。日向ぼっこ日和だ」
(おお、乗ってくれた)
モモンガは確信する。誰だか分からないが相手はいい人だと。
「君は……ユグドラシルプレイヤーなのかい?」
だが少しだけ抱いた好感は、ただその一言で吹き飛んだ。
「なっ、まさか、貴方もプレイヤーなんですか!?」
再び混乱しはじめた頭を無理やり働かせて相手を見直せば、白銀の鎧はやけに派手な装飾で一見して強力であると判別できるマジックアイテムだった。この世界では浮くが、ユグドラシルでは見慣れたデザインセンスと強さ。それらがモモンガの中に彼がプレイヤーである可能性を示唆する。
「私は半年程前にこの地へ来た者なのですが、今まで他のユグドラシルプレイヤーには一度も会えなかったんですよ! 正直もう私一人なんだと思っていたんですが、やっぱり他にも来ている方がいたんですねっ。あの、よろしければお名前とギルドを……ってすいません、人に聞く前に自分から、ですね。私は―――」
「いや、待って欲しい。誤解させて悪いけど、私はプレイヤーじゃない」
「あっ……そうですか。すいません、まくし立てちゃって」
高まった興奮が一気に消沈する。
モモンガは気づいていないことだが、この地で人々と触れ合ったことで寂しさを癒やされたものの、本来の意味での同胞と出会えないことに寂しさを感じていた。
―――どこまでいっても、自分は一人ぼっちなのだと。
「私は違うけど、昔の友人にプレイヤーがいたんだ。とはいっても昔の話だから、もう彼らは生きていないけど」
「そう、ですか」
「……少し聞きたいんだけど、君はスルシャーナという名前を知っているかい?」
「あー……確か六大神の一人ですよね。昔法国に降り立ったプレイヤーだとは聞いていますが」
「君は知り合いではないのかい」
「いえ、会ったことはないと思います」
「そうか……同じアンデッドだったからもしかしたら、と思ったんだけど」
彼が蘇ったわけでもない、か。ツアーは誰にも聞こえない小さな声でそう呟いた。
「あの、もしよろしければ詳しくお話を聞けませんか? 彼等がこの世界に来て何をしたのか、直に見た人から直接聞いてみたかったんです」
ツアー……ツァインドルクス=ヴァイシオンは少しばかり悩む。彼が
だが、相手が仮初でも友好的に出ている以上は話ぐらいしてみようと考えた。
「私でよければ」
「立ち話もなんですから、どうぞ座ってください」
「……相変わらず君たちの魔法は便利で凄いね」
モモンガが魔法で作った椅子と机、ちょっとしたティーパーティーでもするかのような装いがたった一つの魔法で作られたことを目のあたりにし、ツアーは驚きを覚える。
「私の名前はモモン、見ての通り
「私はツアー。厳密には違うけどあえていうなら戦士、かな?」
まずは互いに嘘は言っていないが本当でもない、少々微妙な自己紹介から始まった。
「色々とお話を聞きたいのですが……まずは何故このような場所にいたのか聞いてもいいですか? 先にいた私が言うことでもありませんが、この辺には何もありませんよ」
モモンガが当然の疑問を口にする。理由次第では、または話せないような理由ならば、警戒をもう一段階引き上げる必要があるからだ。既にいつでも無詠唱で魔法発動できるように準備済みである。
「……私はアーグランド評議国の者なんだ」
対してツアーは正直に答えることにした。ユグドラシルプレイヤーのアイテムや魔法は強力で多種多様だ。嘘を吐いたことを悟られ、敵対心を抱かれることを避けたのだ。
正直に答えたことで敵対することになったとしても、遅いか速いかだけの話。評議国とプレイヤーはいずれ徹底的に敵対するか同盟を結ぶしかありえない。下手な躊躇は無意味だ、と考える。
「法国の特殊部隊が怪しい動きをしていたから、追跡していたんだよ。たまたまこの近くまで来たら、強力な魔法を感知したから見に来たんだ」
そうしたら君がいた、そうツアーは語る。
「法国、ですか」
ツアーの語る内容の真偽はともかく、法国とは少し因縁のあるモモンガだ。彼等の動きも気になっていた。
「彼等は一体何を?」
「うーん、何かを探していたみたいだけど。君は何か心当たりがあるのかい?」
「……以前法国の特殊部隊と衝突したことがあります。もしかしたら私を探しているのかもしれません」
「敵対しているのかな」
「別に敵にも味方にもなる気はありません。それにひとまずフォローはしたつもりなんですがね」
そのフォローの内容を聞き、ツアーは小さな驚きをおぼえた。薄いとはいえ縁のある国が助けられているのだ。少しだけ気にかけていた懸念が思わぬ所で解消されることになり、小さな安心を得る。
「君こそ何故こんな所にいたんだい?」
同じ質問をツアーも返す。モモンガが言ったように、ここは本当になにもない場所なのだ。彼らの立場を除外してなお、当然の疑問だ。
「……あー、うん。何もしてなかったんですが……あえて言うなら日向ぼっことしか……」
「日向ぼっこ、かい?」
「あー、いえ、私は人間の街に紛れ込んで生活してまして。普段は全身鎧で正体を隠しているのでたまにはこうやって羽を伸ばしたくなるんですよ」
「プレイヤーの君ならそんな窮屈に生きなくても、人間の街程度好きに出来るんじゃないかな」
「怖いこと言いますね。否定はしませんが、そういう力にモノをいわせた行為は控えているんですよ」
「……六大神や八欲王しかり、プレイヤーは多かれ少なかれその強い力を思うままに振るってきた。どちらであれ、君も同じようにするつもりはないのかな?」
六大神。人々を食物連鎖の最下層から引き上げ、国を与えた創造の神。
八欲王。世界を敵に回し、あらゆる生きとし生けるものを食らい尽くした破壊の王。
―――どうあれ、彼らは世界を大きく変革させた者に違いない。
ならば新たに現れた目の前の神はそのどちらに至るのか。ツアーにはそれを問う責任があった。
「いやあ……そんな沢山の人を巻き込んだロールプレイはちょっと……」
しかしてその返答は、ちょっと意味のわからないものだった。
「えっ」
「流石に私も生きた人間を巻き込んだ魔王ロールは遠慮したいですね。とはいえ神ロールっていうのも主義じゃありませんし……今の凄腕冒険者ですら軽く持て余してますから、これ以上はちょっとキツイですね」
「えーっ……」
『ろーる』などよく分からない言葉だが、ニュアンスでモモンガの言いたいことをツアーはなんとなく理解する。
「世界を歪めるほどの力を持っているのに? 何かに阻害されてわかりにくいけど、君から感じる力は六大神や八欲王に匹敵している、と思う。そこまで力を得ていて、どうしてだい?」
「そう言われましても……ご存知かは分かりませんがこの力は私本来のモノという訳ではありません。苦労して手に入れたことに違いはありませんが、一から努力して身体を鍛え上げた人々に比べれば胸を張れたものではないですから」
拾い物みたいなものですよ。そうモモンガは自嘲するように笑った。
「……それでも、今持っている以上、力は力。君のモノなんじゃないのかい?」
ツアーは納得できず、余計なことを聞く。プレイヤーがその忌避されし力を振るわないという以上、もはや彼にとってモモンガは関わり合う必要がない相手だ。だが、自身が生まれた時から強者である存在が故か、彼が見てきた強者達と全く異なる思想が故か、ツアーは拘った。
彼の理論はおかしい。強者の思考ではない。何故そうなるのだ、と。
「そうですね。なので私も時に『ズル』をします。こうして贅沢に寛いだり、時間のかかる移動を省略したり。まれに友人を贔屓して手を貸したりもしますがね」
「それぐらい、君たちプレイヤーでなくてもできるじゃないか。私が言いたいのは―――」
「ええ、そうですね。でもそういう事は極力しないことにしたんです」
モモンガの声色はどこまでも優しい。
「この美しい世界を、儚くも力強い人々の営みを、私は肌で感じ、見て廻りたいだけなんです」
―――その為だけに振るうには、この力は大きすぎる。
この世界を自らの目で、肌で感じてきたモモンガの精神には、大きな成長があった。達観と言い換えてもいいかもしれない。
「……きみは変なプレイヤーなんだね」
「えぇっ! 何がですか!?」
ツアーは思う。六大神、八欲王……モモンガは彼らのように強者でありながら傲慢ではない。そして彼の知る“リーダー”のように、弱者から始まったが為に優しさを知った訳でもない。
プレイヤーでなくとも力あるものはそれなりの精神を最初から持っているか、変容する。それは竜王、いや竜族ですら例外ではない。
「少なくとも私が見てきたプレイヤーにはいなかったタイプだよ」
「……そうですかねえ。私の方が普通だと思うんですが」
本気で悩んでいるようなアンデッドの姿に、ツアーはようやく警戒を解いた。少なくとも、この目の前の変なプレイヤーとは話し合う余地がある。危険な思想を持っているわけでもないなら、そう危険視することもないだろう、そう考えた。
「実際、私以外のプレイヤーはどんな感じだったんですか? 御友人に居たと仰っていた話、聞いてみてもいいでしょうか」
ツアーは頷く。それはモモンガと良い関係を気づけそうだという打算であり、彼が他のプレイヤー達の行いをどう思うか知りたくなったのだ。
「そうだね……じゃあまずは600年前。六大神がこの世界へ来た時の話から始めようか」
―――ツアーが語る話は、まさしく歴史の裏に隠された真実だった。
人としての六大神の姿。彼らの言葉や成した行動。盟約を交わした彼らとの少ない交流の日々。
狂人としての八欲王の姿。彼らが起こした災害。幾度となく殺し合い仲間を失った戦争の日々。
勇者の姿。彼と共に歩んだ道程の思い出。助け合いながら魔神を打倒した旅の日々。
それは刺激的で、時に楽しく、時に悲しく壮大な話だった。
だが、それでもそれは『物語』ではない。血の通った、彼が目にした『記憶』だ。
ツアーは話し上手という訳ではない。
だが彼が過去を思い出しながら語られる思い出は、まさしく見てきたからこそ言葉に色が宿る。
それがモモンガの興味に火をつけ、次々に過去の伝説が思い出話へと堕ちてゆく。
―――時にはモモンガも身の上話を語る。
自身が居た世界は死の国であり、そしてもう一つの世界は死の意味が薄い世界であると。
危険が無く安全に過ごすことができる、生きた屍共を生む世界。
常に命の危険があり殺伐としながらも、活力に溢れた戦いの世界。
ツアーにとってその話は理解に難しく、現実味のないものだった。
しかし、世界を揺るがす者たちの誰でもない『個人』としての言葉はその一つ一つが新しい。
敵や味方にもなっていないモモンガの語る世界は、彼の興味を強く擽る。
話は尽きることなく、喉を濡らす茶のひとつもないままに続いていく。
モモンガとツアー。共通性の見えない彼等に一つ似た所があるとしたら、対等な立場での会話に飢えているということかもしれない。
止める者のいない異世界人の交流は、青い空が赤く染まるまで止まることはなかった。
「少し話し込み過ぎたね」
「ええ、ちょっと盛り上がりすぎました」
赤い空に少しずつ星々が見え始めてようやく彼等の会話は止まる。二人共に疲労とは無縁の体をしているが、今の彼等には充足感と心地よい疲れが見えていた。
「それじゃあ私は帰るとするよ」
「そうですか。またお会いできるのを楽しみにしてます」
何らかの力で浮遊し、空へと離れていくツアーにモモンガは小さく手を振る。
ふと、その背中が振り返ると、小さく地上に残っているモモンガを見つめて動きを止める。何かを言い出そうとして悩むツアーに対してモモンガが疑問を口に出す前に、ツアーは再び声を発した。
「私の名前」
「は?」
「私の本当の名は、ツァインドルクス=ヴァイシオン。
唐突に繰り出される衝撃的な正体。
「はっ!?」
もちろんモモンガはそれを受け止めきれない。
その、アンデッドなのにどこか派手なリアクションに対して、ツアーはいたずらが成功した子供の様に小さく笑い、体を震わせる。
「また会えることを楽しみにしてる。もし我が国にくるのなら、私の名前を使ってくれて構わない。プレイヤーは警戒されているからね」
そう言うだけ言って満足そうにしたツアーは、大気を震わせてその宙域を離れる。残ったものはその余波で震える木々と、唖然とした一人のアンデッドだけだ。
「…………えぇ?」
夜はまだ始まったばかり。
モモンガの再起動は、今しばしの時間を必要とするのであった。
『あ、法国とかすっかりわすれてた』
うっかりツア兵衛、ここにあり。
大変お待たせしました。時間を開けての更新となります。
正直今回のお話はどうにも書いてて面白みが見いだせなかったのと、はしょり過ぎて短かったので悩んだまま放置しつつあったのですが、どうせ大幅に書き直す気力もないので投稿いたしました。
このやる気の無さ、伝わって欲しい。いやほしくない。
さて、これでラスボスは倒しました(極論)。
次話以降も色々考えましたが、初期の構想では後1~2話で終わる予定です。
うーん、どうせ更新は7月書き始めの月末か8月になると思われるので、アンケートでもしようかなぁ……