黒髪のショートヘア、黒いドレスに黒手袋。全身黒で纏めたその少女は足元に目を落とし、微動だにせず公園のベンチに座っていた。表情も伺えぬその少女の周りは、まるでそこだけ重力が歪んでいるかのように、空間ごと切り取られているかのように、何か得体の知れぬ黒い空気が見える、ような気がする。
きっと近づかない方が良い。明らかに身に纏う空気がおかしい。プロデューサーという職業柄様々な人と顔を合わせるが、時々こういう、縁起のよろしくない雰囲気を纏う人というのはいるのだ。あの少女は、その中でもとびきりに強い。あの少女に関わるのは止めた方が賢明だ。
私の直感はさっきからずっとそう告げているのだが、何故だろう、あの少女から目が離せない。
あんなにも、不吉な雰囲気を背負っているのに。重苦しさすら感じさせる空気の最中に居るのに。あの少女は、夜空に煌く一等星の如く、ひときわ輝いて見えるのだ。
「あの、少し宜しいですか」
「……え?」
声を掛けると、少女はゆっくりと、目を上げた。視線が合う。……泣いて、いたのだろうか。目の周り、鼻の頭を真っ赤にして私を見上げる少女は、しかしその状態でもはっきりと判るほど、美少女だった。
私をじっと見つめる黒い瞳。泣き腫らしたその目に、深い深い絶望を見た。
「……大丈夫ですか?」
言葉に詰まってそれはないだろう、と自分でも思った。慌てて言葉を継ぐ。
「いや、その、何となく声を掛けた方が良いような気がして」
「……優しい方ですね」
細く掠れた声で応え、少女はぎこちなく笑みを浮かべた。
「良かったら何があったか話してみませんか? 話すことで楽になる事もありますよ」
我ながら怪しい。まあスカウトなど相手に怪しまれてナンボ、というところ。警察を呼ばれたり交番に駆け込まれたりすることもままある。さて、どうなるか。
「──私、アイドルなんです。いや、アイドル『だった』ですね……」
笑みを浮かべたまま、少女はとつとつと語り始めた。いや、最初はぎこちない笑みだと思ったが、違う。少女の笑みは張り付いたように変わらない。
諦めと疲れで溶接された、悲しい笑顔だった。
少女はアイドルだった。まだまだ駆け出しの、半分研修生のような扱いではあったけれど、時々小さな仕事は貰えていたようだ。懸命にレッスンに励み、どんな小さな仕事でも全力で取り組む。少しずつ、アイドルとしての階段を昇っていた。
だが、彼女の努力と成長に逆行するかのように、所属プロダクションはゆっくりと経営が悪化していった。そして、彼女が初めて雑誌の小さなコーナーに紹介される事が決まった日。
所属プロダクションは倒産した。雑誌の掲載も見送られ、彼女は普通の女の子に戻った。
これが『最初の』倒産だった、と言う。その後も、またその次も。彼女が所属したプロダクションは、どんなに経営が順風満帆だったとしても倒産するそうだ。彼女がアイドルとして大きく飛躍を遂げようとする、その直前で。
そして今日も、彼女が現在所属しているプロダクションの事務所に向かうと、正面玄関に大きく『差押』の文字がでかでかと躍っていた。
「昔からそうなんです、私。私の隣にはいつも不幸がいるんです。私が、不幸を振りまいて。私のせいで、色んな人を不幸にして。──こんな私がアイドルを目指してただなんて、滑稽ですよね」
あはは、と力なく笑う彼女の目は彼女の隣に腰掛ける私に向いているが、果たしてどこを見ているのだろうか、うつろにゆらゆらと視線は揺れる。
芸能プロダクションなんて玉石混合、日々入れ替わるように生まれては、潰れる。たまたま彼女は運悪く、潰れる前のプロダクションに入ってしまっただけなのだろう。どうにも間の悪い人は確かにいる、彼女もそういうちょっとした運命のいたずらに遭ってしまった、ただそれだけの話。
「そんなことはないさ。君が本当に不幸なら、ここで私に会うことはなかっただろうから」
「──え? あの、それはどういう……」
「私が声を掛けた理由の半分は、単純に君の様子を見て心配だったからだけど。もう半分は……こういう、下心なんだ」
名刺を取り出して、未だ表情の変わらぬ彼女に差し出す。
「アイドルプロダクションの、プロデューサー? ……あの、これって、どういう」
私の名刺を読み上げて動揺する彼女の目を、じっと見据えて。
「うちのプロダクションに来て欲しい。君は、アイドルになるべきだ」
彼女をスカウトした。
「……私、たくさんのプロダクションを倒産させて来ました。私に関わった人は、みんな不幸になるんです。私は、アイドルなんて目指しちゃ、ダメだったんです」
悲しい笑顔を張り付けたまま、そう語る彼女だったけど。その瞳の奥深く、かすかに見えるその先に、強い意志の力を感じた。夢を諦めようとしているけれど、どうしても諦められない、諦めたくない、意志。
「それは違うよ。だって、今私は君と出会えた。有望そうなアイドルをスカウトするチャンスを得られた。ほら、君はもう、一人の男に幸福をもたらしたんだ」
我ながら、随分とキザな台詞だとは思うけど。
「……私が、あなたを?」
どうやら、効いたらしい。
「そうだよ。それに、うちは弱小プロダクションでね、色々あって今にも潰れそうなんだ。というか、君がうちに来てくれないと確実に潰れる」
──先ほどプロダクションは玉石混合だなんて考えていたけれど、それで言うなら我がプロダクションは明らかに、小学生が帰り道に蹴るような路傍の石なのである。
「……え?」
あ、若干表情が動いた。
「君がアイドルと言う道を諦めようとしているのは分かる、けど、諦めちゃう前にもう一度挑戦してみないかい? どうせこのまま行けば潰れるプロダクションだからさ」
お、なかなか面白い表情を見られた。やっぱり、可愛い。うん、この子ならいける。トップを目指せる。彼女の為なら、やってみせる。
「いいんですか? 私、きっとあなたのプロダクションを潰しちゃいますよ」
「構うものか。もう一度言うけど、どうせこのままだと潰れるんだ。それに──」
「それに?」
「こんなに可愛い女の子を埋もれさせるのは、プロデューサーの端くれとして悲しいからね」
「か、かわっ……!?」
「ははは。これから飽きるほど『可愛い』って言われる事になるよ」
両手を手に当てて照れている姿は初々しくて……いくつものプロダクションに所属してきたアイドルだとはとても思えない。本当に彼女は、アイドルとしての活動がまともに出来ていなかったのだと認識出来た。
「それで、どうかな? どうせ潰れる、とは言ったけど、このままおとなしく潰れてやるつもりもない。君さえ望むなら、私は全力で君をアイドルにしてみせる」
「……私、もう一度アイドルを目指しても、いいんですか? もう一度、夢を見てもいいんですか? もう一度──幸せを願っても、いいんですか?」
「勿論だとも」
何故まだ年端もいかぬ少女が、夢を見ることに、幸せになることに躊躇わなければいけないのか。許しを乞わなければならないのか。
プロダクションの未来などどうでも良い、私の将来などどうにかなろう。彼女を幸せにしたいと思った。彼女が笑う姿を見たいと思った。歌い、踊り、サイリウムの波打ち際に立つ姿を見たいと心から思った。彼女が自分を許して、愛してあげられるようにしたいと、思った。
「ありがとうございます……ありがとうございます……!」
「その言葉は、君がステージに立つ日まで取っておいて。……さて、じゃあとりあえずは親御さんにご挨拶と説明からかな」
ベンチから立ち上がって今後の予定を考えていた時、ふと気付いた。
「そういえば聞き忘れていたけれど。君、名前は?」
名前も聞かずスカウトするなんて。私は余程彼女のことが気に入ってしまったらしい。
「白菊ほたる、です。……あの、私、頑張りますから!」
勢いよく立ち上がって、手を組んで祈るように名前を名乗る彼女……ほたる。その姿は黒いドレスと相まって、高潔さすら感じる。気付けば、最初に感じた重苦しい雰囲気はすっかり消えていた。
これが私とほたるとの出会い、全ての始まり。……今思い返しても、我ながら酷いスカウトだと思う。後にも咲にもこんな唐突なスカウトなんてしたことは……まあ、そんなにはないと思いたい。