今日だって茜色の空の下で生きている   作:オイリーギフト

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アニメ版の影響を受けて書いた話があります。うわっ……と思っても生暖かい目で見逃してやってください。

今作のヒロインは彼女です。たぶんヒロインにしても一番論争が起きないキャラクター。


ある一幕と馴れ初め

 3

 

 

 太陽が沈み始めていた。一時間もすれば壁の向こう側に隠れてしまうだろう。

 

 かつて神奈川県横須賀市と呼ばれていた地域に極東支部はある。

 

 直径三キロメートル、円周九・四キロメートル、厚さ二十五メートル、高さ百メートルのアラガミ装甲壁に囲まれ、周囲から隔絶された世界。その中心には巨大な極東支部中央施設が(そび)え立ち、周囲に群がるようにフェンリル関連企業のビルが並んでいる。中央施設から防壁へと繋がる七本のパイプラインは、防壁に不具合が起きた際に迅速な対応を可能とする一種の生命線(ライフライン)でもあった。そして、残る隙間は中央施設地下の内部居住区への入居が叶わなかった人々の暮らす外部居住区となっている。

 

 数少ない人類の生存圏を求めて世界中から集まった人々は、人種の坩堝(るつぼ)と言っても過言ではない世界を外部居住区に形成していた。

 最低限度の生活はフェンリルの配給制度で成り立っている外部居住区の暮らしだが、物資不足が恒常化しているこのご時世、配給は決して充分とは言えないのが現実で、外部居住区の一画では出所不明の商品が取引される“闇市”も開かれているらしい。

 

 しかし一方、フェンリル内部―――つまり神機使い(ゴッドイーター)や一部の上流階級には充分な量の配給が行き届いていた。前者は命を賭けている神機使いへの正当な報酬であり、後者は“企業”としてのフェンリルのスポンサーたちへの配当である。

 (いち)製薬会社から人間社会を牛耳る企業国家となったフェンリルと言えども、未だに金がなければ人類社会は回らないのだ。ドル、ユーロ、円……あらゆる通貨は「フェンリルクレジット(FC)」に取って代わられたが、貨幣経済をフェンリルが支配することはなかった。前時代と呼ばれている文明が崩壊した現代でも、財力は多大な力を持っているのだ。

 個人的に聞いたことがあるのは―――フォーゲルヴァイデ家やブルゴーニュ家だろうか。フェンリル本部のある北欧でも強い発言力を持つ貴族である。

 

 とまぁ、どうして突然こんなことを再確認しているかと言うと、少し……いやかなり気分が悪くなる、しかしどうしようもなく現実を直視させられる光景に遭遇してしまったからだ。

 

 ことの始まりは、シンヤ先輩との実地演習からの帰還途中のことだった。

 

 

 

「だーかーらーっ! 何よりも大切なのは“うなじ”だってのがお前に分かんねーのか!?」

「ニッチすぎますよ! 重視するべきは一に性格、二に雰囲気、三にむ……胸! こ、これが男子たる者の基本です!」

「テメーも大艦巨()主義に染まってやがるのか! どいつもこいつも……デカけりゃ良いって考え方が気に食わねぇ。首筋の曲線と襟首との境界線に生まれる妖艶さ、あの良さが何故分からねぇ……っ」

「何を勘違いしてるんですか? 俺は慎ましやかな方が好みです!」

「んなことはどうでもいいんだよ! あぁ! 俺の同士は何時になったら現れるのだろう……!」

 

 俺達は疾駆するジープの上で答えの出ない不毛な討論を繰り広げていた。あくまでチラリズムを至高と主張するシンヤ先輩と貧乳論を展開する俺。両者には緩やかな曲線という共通点があり、初めは互いに認め合えるかと期待したが、残念ながら思い違いだったようだ。

 

 論争が収束して無言で車を走らせていると、不意に遠くに人の声が聞こえてきた。進路を変更してエンジンを吹かせること少し、荒野のど真ん中で数人の男女を見つけた。

 男の子と両親の三人家族、壮年の男性、ひび割れた眼鏡の青年と彼に手を引かれた女の子。彼等は元々暮らしていた場所がアラガミに襲われ、極東支部へ向かって旅を続けていたらしい。

 

 正直この時点で既に嫌な予感はしていたのだ。

 

「運が良かった。神機使いの人たちに拾ってもらえるなんて」

「支部に着いたら入場口(ゲート)で職員に事情を話して下さい。俺たちが出来るのはそこまでですから」

「分かりました。……あぁ、やっと終わる」

 

 心から安心した様子で男性は男の子を膝に抱き、奥さんもそんな彼らを穏やかに眺めている。青年は少女を護るように両手を繋いで身じろぎしない。皆一様に安堵の表情を浮かべ、旅の疲れを癒している中で壮年の男性だけは無言で遠くを見つめていた。

 

 きっとこの人だけは、先の可能性を正しく認識していたのだと思う。

 

 支部に到着したら彼らを入場口で下ろし、俺たちは車両搬入口からアナグラに戻った。

 如才なく車両の返還手続きを済ませ、回収したアラガミ素材を特性のケースへ移し替えて中央へ戻る道中のことだった。狼狽するような、激怒しているような声が耳に入る。

 

「どうして俺たちが入れないんだ! ここは人類最後の砦なんじゃないのかよ!?」

 

 声の主は俺達が連れてきた三人家族の旦那さんだ。

 

「……支部のキャパシティは限界に達しています。偏喰因子との適合資格の無い方の新たな入居は認められていません」

「一人や二人変わらないだろう!? その子がよくて、何で俺たちが駄目だってんだ!」

「彼女はパッチテストを通過しています。ですが、あなた方は通過していない」

 

 男性は銃を抱えるフェンリル兵に掴みかかる。その後ろでは奥さんが呆然と地面にへたり込んでいた。憮然とした態度を崩さない兵士に、強硬手段に出ようとした男性が別の兵士が押し留められているのが見えた。

 

「死ねってかっ……」

「………」

 

 感情の激流に体を震わせながら男性が絞り出すように呟く。その双眸は憎しみと憤怒が混ざり合い、殺気さえ孕んでいるようだった。しかし暫くすると男性は目を瞑り、震える拳を地面に打ちつけるように膝をついた。

 

「……私は入れなくても良いです。……だから、この二人だけでも入れてやってください。お願いします。中に入れてくれるだけで良いんです。食べ物も服も、何も入りませんから……お願いします……!」

「……申し訳ありません」

「どうか、どうかお願いします……!」

 

 額を地面に擦りつける男性の姿に堪え切れなくなり、なんでも良い、どうにかしてやろうと足を踏み出そうとした瞬間、背後から肩を掴まれた。「あれは、どうにもならない」と小さく一言だけ告げたシンヤ先輩は、しかし万力の如き力で俺をその場に押し留める。口調は(いや)に静かだった。それがまるで他人事を話しているように聞こえて、一気に頭が熱くなった。

 

「どうしてですか……! 入れなかった人がどうなるか、分からない筈ないでしょう!?」

「兵士の言ってることは何も間違ってない。俺たちは実感が薄いが、外部居住区の食料状態はもう限界を超えかけてる。餓死者が出ないギリギリのラインに踏み留まってる、ってのが現状だ」

 

 懇願と否定の応酬が続いている入場口を見つめながら口を動かすシンヤ先輩は、ある種冷酷な印象を受けるほど冷静だった。僅かに細めらている瞳から言い知れぬプレッシャーを感じ、思わず身が(すく)む。

 

「で、でも! それなら、俺たちの飯を少しずつ減らすなりあるでしょう!」

「そうやって受け入れ続けて、一人ひとりの飯が足りなくなって、終いにはどうする。神機も碌に振れない状態で出撃する訳にいかねえだろう」

 

 反論は許さない、と言外に示す態度はいつもの言笑自若とした姿からは想像出来ないものだ。それでも何か反論しようと口を開けて、何も言えずに言葉が詰まる。

 言葉にしたいことは確かにあるのに、それを形に出来ないもどかしさ。唯一出来たことと言えば拳を握りしめて気を紛らわせることぐらいで、それもシンヤ先輩が俺の腕を掴んで掌を広げさせるまで気が付かなかった。

 

「ほんの僅かだろうと余力が無けりゃ、一度崩れたら再起なんて出来ねえところに俺たちは居るんだよ……お前もフェンリル(ここ)で生きるなら理解しろ。たとえ理解出来なくても、認めるんだ」

 

 そのまま腕を引かれて、俺はその場を後にした。あの後……彼らが今、何をしているかは分からない。既に何処か別の場所へ向けて歩き始めているかもしれないし、もしかしたらもうこの世に居ないかもしれない。

 パッチテストを通過した女の子はどうしているのだろう。兄妹ではなさそうな眼鏡の青年はこれから先、彼女と再会することがあるのだろうか。終始無言だった男性は一体何を思っていたのか、俺には何一つ分からない。だってあの時、俺は入れたから。

 

 

 ―――みんな、どうしているのかな。

 

 

 

 

「ドォラァァッ!!」

 

 上空から照りつける太陽。荒れ果てた街の中心でノコギリを構える俺を囲むのは五体のオウガテルだ。激昂の一撃で斬り飛ばした二体が宙を舞い、残る三体の内の二体が後方へ跳躍して距離を取った。

 場に残った一体は威嚇のつもりなのか大きく吼えると、彼我の距離を全速力で詰めてきた。

 何の技もない愚直な突進だが、これに一杯食わされたことは忘れていない。俺はノコギリを振り上げずに槍を溜める様に構え、突き出すと同時に神機の柄を押し込んだ。

 

 途端にノコギリの巨大な刀身が縮小して、その付け根から生々しい音を立てながら黒い顎が這い出てきた。神機のオラクル細胞が捕喰の為に形成した顎は、節々から怪しい紫紺の光を放ちながら勢い良くオウガテイルに喰らいつき、その上半身を噛み千切って文字通り捕喰する。

 

 碌に咀嚼もせずに丸呑みにされた肉がどこにいくのかは知らないが、外部からオラクルの塊―――つまりはアラガミを捕喰した神機から多量の活性化オラクルが流入し、全身のオラクル細胞が活性化する。それに伴って神機に掛けられていた安全装置が一つ解除された。

 

 ―――神機開放(バースト)

 

 体の奥底から圧倒的な全能感と絶対感が湧き上がってくる。神機に埋め込まれている橙色のコアが明滅を繰り返し、神機全体が心無しか金色の光を放っていた。

 覚醒した身体能力に任せて間髪置かない連続ステップで二体のオウガテイルの中間に進入し、急激なブレーキから生まれた慣性の力を遠心力へ転換してノコギリで一気に薙ぎ払う。

 

 避ける暇も与えず両断されたオウガテイルが地に沈み、ただのオラクルへと姿を変えて空に四散した。

 

『―――うん、目標の沈黙を確認したよ。素晴らしい結果だ。動きにも以前ほど無駄が無かったし、所要時間も前回より大幅に縮まってる。たった数日でこれほど変わるなんて、なにか特別なことでもあったのかい?』

 

 何処からともなく男の声が響くと同時に、太陽に照らされていた廃墟が一瞬にして姿を変えた。現れたのは無機質な金属の床と壁に囲まれた空間だ。煌々と電光が振り注ぐ天井付近には壁に埋め込まれる様にガラス張りの観察室が設けられていて、訓練室(トレーニングルーム)の神機使いを自由に観察出来るようになっていた。

 

 シゲルさんにセッティングしてもらったバーチャル訓練を終えて、制服の袖で額に流れる汗を拭った。

 

「ふう……初陣が終わったから、ですかね?」

 

 あの本物のオウガテイル討伐から、既に一夜明けている。今日一日は疲労回復の為にと与えられた休日だったが、昨日から胸の内に(もや)がかかった様な状態が続いており、少しでも気を紛らわせようと臨時の訓練に臨んでいた次第である。思いっきり汗を流してストレスを発散したおかげか、始める前よりは気が軽くなった気がする。

 

『なるほど、実戦を通して何かを掴んだと言うわけか。えーっと、同行していたのは……シンヤ君か。まだ若いが彼は五年目のベテラン神機使いだからね。きっと学べる事も多いだろう。これからもこの調子で頑張ってくれ』

「はい。ありがとうごさまいました!」

「うん、お疲れ様。終了報告は僕がしておくから、ユキナリ君はゆっくりシャワーで汗を流すと良い」

 

 それならお言葉に甘えて。神機を保管庫へ返却し、一直線にシャワールームへ向かった。

 

「お」

「うげ」

 

 道中、今しがたシャワーを浴びて来た様子のリンドウと遭遇した。その左隣には見慣れない黒髪の女の子が並んでいる。中々気の強そうな目をした女の子だ。……ツバキ先輩には及ばないけれど。

 

 何はともあれ、まずはこの人の顔を見て露骨に嫌そうにした粗忽者を問い(ただ)すとしようか。

 

「リンドウ〜、その子は? まさか彼女さんか〜?」

「か、彼女!?」

「ちげーよ! つーか何だお前、そのキャラ!」

「はっ、俺にも色々あるんだよ、別に良いだろう……。で、この子誰?」

 

 リンドウはため息を吐きながら頭を掻くと、諦めたように口を開いた。女の子は密かにリンドウの背後に隠れて、影から顔だけ出すようにこちらを覗いている。

 

「あー……ほら、昨日も話したろ。幼馴染のサクヤだよ」

「あぁ! 君が噂のサクヤちゃんか!」

「う、うわさ……?」

「初めまして。俺は鴻上ユキナリ。リンドウと同期の神機使いだ」

 

 突然の流れに戸惑うサクヤちゃん。リンドウはその背中を軽く押した。たたらを踏みながら前に出たサクヤちゃんだったが、おずおずと言った様子で背筋を伸ばし、

 

「えっと、橘サクヤです。リンドウが何時もお世話になってます」

「お、おぉ……世話してます!」

「されてねーよ!」

 

 即座にリンドウの詰め寄ってきやがる。まだ湿っている髪に残っていた水滴が、その勢いで俺の顔にはねた。冷たい。

 

「もう、リンドウ! そんなこと言って失礼でしょう!」

「いや別に失礼じゃねえよ!」

 

 リンドウがごめんなさい……と丁寧に頭をさげるサクヤちゃん。齢十一にして、まるでリンドウの保護者の如き立ち振る舞い……会ったばかりだけど分かる。この子、絶対に良い子だ。そして恐らくだが、雨宮家(サクヤちゃんは橘だけど)のカーストではリンドウより上位にいるに違いない。トップはツバキ先輩で確定しているので、リンドウは最下位という事になる。

 

 ……最下位か。三人家族と言えど女所帯に男が一人、更に発言力まで弱いとなると、なんだかリンドウがちょっぴり哀れに思えてきた。

 

「なんだよ、その目は?」

「……いや、何でもない。リンドウ、俺はお前と対等で居てやるからな」

「そいつはどう言う意味だコラ! しかも偉そうなんだよっ!」

 

 怒り心頭の言葉が相応しい形相で掴み掛かってくるリンドウをひらりと(かわ)して、そのまま横を通り過ぎる。すまんな。これ以上、汗はかきたくないんだ。そもそも二人に出会ったのはシャワーを浴びに行く途中だったのだ。ここいらで話を抜けさせてもらうとしよう。

 

「まったね〜サクヤちゃん。ついでにリンドウも」

「さ、さようなら!」

「ホント何だったんだよお前!?」

 

 そんなリンドウの叫びを背中に聞きながら、シャワールームへ入り込んだ。

 

 服は雑に畳んでロッカーの籠に放り込み、ブースに入って水道のレバーを捻ると既に地熱利用で温められていたお湯が頭上に降り注ぐ。

 

 ああ……癒される。疲れ切った体、全身の汗を熱いお湯で洗い流すこの瞬間こそ一日で最高の時だと自信を持って言えるね。極東じゃ昔は風呂に入るのが普通だったらしいけど、今では贅沢すぎてとてもとても……。毎日熱々のシャワーを浴びられるだけ恵まれているのだから文句は言えない。

 

「あぁ……生き返るぅ……」

 

 かなり小さくなっている石鹸で垢すりに泡を起こして首、肩、腕と全身を擦って汚れを落とす。汚れやすい関節周りは特に重点的に。

 頭も含めて全身泡でもこもこ状態になったらシャワーで一気に洗い流す。纏わり付いていた不快感が一掃されて見違える様に気分爽快である。

 

 脱衣場で水滴を拭き取りながら、しかしふと頭に浮かんでくるのは昨日の出来事だ。シンヤ先輩はああ言っていたし自分もどうにか飲み込んだのだが、俺があの場で出来ることは本当に何も無かったのだろうか。

 

 「受け入れ続ければいつか破綻する」とシンヤ先輩は言った。それは転じれば、受け入れを続けないのならばまだ余裕はあるという意味だ。受け入れる者とそうでない者に()ければ……いや、それはもうやっているか。適合候補者か判断するパッチテストが二者の境界線になっているのは確かだが、それでも“外”で生きる人たちを中に住まわせるにはどうすれば……あぁっ、頭がこんがらがってくる!

 

 とにかく! 極東支部を頼る人たちが居れば受け入れたい、というのが俺の主張なんだ。そこに至るまでに何をすればいいのかは白紙のままだけど……。

 

 ……榊博士に頼んで、その辺りの資料を見せてもらおうか。

 

 

「―――という訳で来ました」

「来ました、と言われてもねぇ……」

 

 榊博士の研究室ことラボラトリ。複雑怪奇な機械群が部屋の中央に鎮座する一方で、壁際は刀剣、掛け軸、盆栽などなど所謂“ニッポン”的なアイテムで彩られている。ペイラー・榊という名前から服装、果てには部屋までとことん和洋折衷な人であるらしい。

 

 榊博士はその特徴的な狐目の眉尻を下げて頬を掻いた。

 

「我々が直面している問題に感心を持ってくれるのは嬉しいのだけど……生憎、全て一つに纏められた資料というものは無くてね。食糧生産や居住区拡大についてならターミナルのデータベースから閲覧可能だから、そちらを見てもらうしかないんだ」

「えー……」

「論文や参考文献もデータベースからアクセスできると思うけど、何分データは今なお増え続けているからね。基本的なことから学びたいのなら、書庫で本を探したほうが良いだろう」

「書庫、ですか? 分かりました」

 

 そんな場所があったのか。まったく気が付かなかった。と言うより、書庫に収めるほどの量の本があること自体驚きだ。いや、支部とは言え天下のフェンリルなのだからその位は当然なのだろうか……?

 

 入門書としてお勧めなのは―――と丁寧に本の名前のメモまでくれた榊博士には感謝である。こっちから尋ねておいて何だが、「フェンリル極東支部アラガミ技術開発統括責任者」ともあろう方が俺のような正式配属さえされていない木っ端兵にこれほど親切に対応してくれるとは思わなかった。

 

 そうして初めて書庫を訪れたのだが、これが予想を超えて広い広い。

 スペース節約の為に棚同士の隙間が狭かったり、梯子を使う必要のある高さの棚も少なくないが、この圧倒的な蔵書量から受けた衝撃は半端じゃなかった。しばらく入り口で呆然と立ち尽くしてしまった程だ。本は大量に集まると独特な匂いを放つという事実を今日、初めて知った。

 

 俺以外にもぽつりぽつり人は居るが、皆静かに目当ての本を探しているようだ。

 大まかに分野毎に分類されていたので、メモの本を見つけるのにさほど時間は掛からなかった。カウンターで本を読み(ふけ)っている司書さんに貸し出し記録を付けてもらい―――なんと腕輪認証が出来た―――それらを抱えてエントランスへ。

 なんとなく自室で読むのは躊躇われたのだ。個人的な我儘だが、自室は完全にリラックス出来る空間にしておきたいので、頭を悩ます関連物はあまり持ち込みたくない。

 

「へぇ、まだ居るもんだ……」

 

 時計の針はそろそろ頂点を指そうとしているが、エントランスではソファやベンチで雑談に花を咲かせたり、ターミナルと格闘している神機使いが少なくない。日中より静かではあるが一定の喧騒を保っていた。

 

 彼らが噂に聞く“夜勤組”という奴だろうか。夜間の急襲や緊急任務に備えて待機すると言うのは精神的にキツそうな印象を持っていたのだが、話し相手がいるのなら話は違ってくるのかもしれない。

 

 空いていたベンチの端に腰掛けて早速本を開く。前書きからするに、どうやら基礎的な知識の参考書のようだ。著者は───ガーランド・シックザール。うちの支部長と同じ苗字だ。親族だろうか。

 

 軽く序章を読んでみた。なるほど、これくらいが入門編としてはピッタリなのだろう。そう一人で納得しながら文に目を下ろす。

 

 

 ―――どれほど時間が経っただろう。黙々と読み進めていたら、不意にことり、と目の前のテーブルにマグカップが置かれた。並々と注がれた黒い水は薄く湯気を漂わせている。

 

「へ?」

「お勉強ですか? 遅くまでお疲れ様です。珈琲(コーヒー)、よかったらどうぞ」

「……あ、ありがとうございます」

 

 立っていたのはフェンリルの事務制服に身を包んだ年若い女性―――と言うか少女? いつも任務を受注してくれるオペレーターだった。

 肩口で切り揃えられた薄い栗色の髪はあちらこちらでカールしていてるが、髪質が傷んでいる様子もない。癖毛なのかセットなのかが日頃から気になっているのだが、未だ答えは見つかっていない。たしか名前は……

 

「えっと……加賀さん、でしたよね?」

「ご名答です。フルネームでは加賀ルミコ。鴻上さんより年下なので敬語を使わなくて良いですよ。あと、呼ばれ慣れてないので名前で呼んでくれると有り難いです」

「えぇ。じゃあ……ルミコさんで良い? それと俺も慣れてないから鴻上さんは勘弁してもらえると助かる」

「バッチリです。ユキナリさん」

 

 どうやらあちらの敬語は無くならないようだ。

 お盆を胸に抱えながら、大仰に頷き、得意げに笑うルミコさんは深夜のアナグラにあってまるで太陽の如き快活さを振りまいていた。

 

 ―――この何でもない光景が数年後にも思い出せると言うのだから、人生分からないものである。

 

 




ブルゴーニュ家=貴族、ルミコ先生の苗字は独自設定です。
極東支部の位置は設定資料集の地図と実際の地図を照らし合わせて調べたものです。

ルミコ:GOD EATER -the spiral fate- に登場する衛生兵(≠神器使い)。負傷した主人公の治療を行った。
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