今日だって茜色の空の下で生きている   作:オイリーギフト

5 / 5
今回はペルソナで言うコミュ回。親睦を深める回です。


極東支部は今日も平和なのか

 5

 

 

 雪、雪、雪。

 

 視界を覆い尽くす白銀の世界。局所的な異常気象が日常茶飯事な現代において、それは極東においても例外ではない。つい数日前まで大地が剥き出しとなり、照りつける陽射しに額を拭ったこの地域も、今はその面影を残してはいない。

 

 寒風が吹き抜ける。

 

 見上げれば北の空を鳥が飛んでいた。あのまま真っ直ぐ飛んだのなら、あの鳥は()()()に出会うのだろうか。会わなくとも、空から見下ろすことはあるのではないだろうか。

 

 僅か十数人の小さな世界、あの廃校が俺たちの家だった。

 

 保健室のベッド、運動マットと裁断した垂れ幕を布団代わりに眠った。

 放置されたままの教材と図書室の本が無ければ、こんな時代で学を修めるなんて不可能だったに違いない。別れたとき“先生”は体調を崩していたけれど、元気になっただろうか。

 

 もうずっと会っていない───みんな、まだ生きてるよね。

 

 

 

 

 そろそろ外では空が茜色に染まり始めたのではないかと言う頃、電灯に照らされた賑やかなエントランスで俺たち第二部隊の面々は机を囲んでいた。机上には一枚の指令書が広げられている。

 

「合同任務、ですか?」

「そう、部隊間の交流も兼ねて明日の任務は第一、第二部隊合同でやることになったの! ターゲットはシユウ二匹とグボロ・グボロ七匹、それと周辺に生息するコークンメイデンだよ」

「二チームに別れて任務に当たるけれど第一部隊は三人しかいないから、片方は三人一組(スリーマン・セル)になるわね。ユキナリは……ユウと一緒の方が良いかしら? 一応、隊長だし」

「ちょ、先輩。一応って」

 

 ちらり、とユウ隊長に目をやるが言われた本人は何も気にしていない様子。仕返しなのかオリアナ先輩の脇腹を突っついたりとちょっかいを出しているが、二人はそれを楽しんでいるようだ。

 

「え、じゃあ俺とお前が一緒ってことかよ?」

「そうなるわね。……なに、何か文句でもあるの?」

「いや、そうじゃなくて。たぶん第一部隊も新人と隊長で組ませるだろう? ツバキの弟の、リンドウだっけ? あいつとヨシノで」

「それがどうした……あ、なるほど」 

 

 シンヤ先輩はメンバー編成に思う所がある様だ。どこが問題なのか俺にはさっぱり分からないが、オリアナ先輩は察しがついたのだろうか。ポケットから小さなペンを取り出すと机上の白紙に走らせた。

 

 第一部隊、第二部隊と区切られたスペースの下に各部隊員の名前が列記され、その隣に「香月ヨシノ 近距離/バスター」といった風に神機の種別が書き加えられる。……それにしても、オリアナ先輩。凛々しい外見とは裏腹になかなか可愛らしい丸文字である。

 

「ユキナリとリンドウ君の新人は別チームにして負担の軽減を図るから、それぞれチームAにはユウとユキナリが、チームBにはヨシノさんとリンドウ君。後はチームAにツバキ、チームBに私達が入ることになる」

 

 ことり、とペンが置かれると同時に、俺も漸く気が付いた。なるほど、確かにこのメンバーの内訳だと───

 

「───遠距離型のツバキとユウが固まっちまう、と」

「あれまー、流石にBが近距離だけになるのは不味いよね」

「チームAの近接がユキナリ一人なのも心許ないわね。緊急事態や乱戦になった時に単独で耐えられるタフネスはまだないでしょう?」

「恥ずかしながら仰る通りで……」

 

 オリアナ先輩の容赦のない事実確認が胸に刺さる。第二部隊として戦場に出るようになってしばらく経つが、つい先日もコンゴウの乱戦に対応し切れず先輩方に助けられたばかりなのだ。

 

 コンゴウに跳ね飛ばされて地面に突っ伏したままの俺を、コンゴウの空気弾(エア・バースト)を盾で受け流しながら拾い上げるシンヤ先輩。その他アラガミの囮となって猛攻を躱し続け、時間を稼ぐオリアナ先輩。迅速確実なリンクエイド───神機使い間限定の体内オラクルを利用した即時的応急処置───で傷口を治療してくれたユウ隊長。その後、御三方のお陰で戦線に復帰こそ出来たものの、彼我の実力差をまざまざと見せつけられる結果となった。

 

「うーん……こればっかりは第一部隊とも相談しなくちゃだね。私ちょっと話してくるから、皆は待ってて。すぐ帰ってくるから!」

 

 そう言うや否や、ユウ隊長は昇降機(エレベーター)に乗り込んで去って行った。ヨシノさんの部屋にでも向かったのだろうか?

 

 残されたメンバーでユウ隊長の帰りを待つ間、三人で雑談に花を咲かせていると、気を利かせたルミコさんが珈琲を持ってきてくれた。しかしどう言う訳か俺とオリアナ先輩は普通の黒茶色の珈琲なのに対し、シンヤ先輩のカップだけ琥珀色が波打っている。

 

「どうぞ、今回はミルクとお砂糖をたっぷり入れておきましたよ!」

「おお、これこれ! やっぱコーヒーはこうでなくちゃ!」

「……それ、最早カフェ・オ・レ。いや、コーヒー牛乳ね。そんな(いか)つい格好でコーヒー牛乳って、背伸びしたがりな思春期の中学生じゃないんだから……あんたって本当にアレよねぇ」

 

 頬に手を当ててため息を吐くオリアナ先輩を尻目に、シンヤ先輩は温かいマグカップを両手で口元に運んでいる。しかし、ここは俺もオリアナ先輩に同意せざるを得ない。

 白髪で上下革服に身を包み、シルバーアクセサリーを好む二十代中頃の男が薄桃色のクマさんマーク付きマグカップを両手で包み込む姿はこの上なくシュールである。これがナナちゃん、リッカちゃん、サクヤちゃんや、よしんばユウ隊長かオリアナ先輩なら絵になるのだが目の前の光景は……うむ、酷い絵面だ。

 

 しかし、だ。

 

「美味しいんですよねぇ。俺も好きですよコーヒー牛乳」

「その通り! 美味いもの食うのに服装なんか関係ないんだよ! あっ……それとも高貴な出の副隊長サマは、この様な手の込んでいない甘味はお嫌いでしたかな?」

「こいつ……はぁ。はいはい、私が悪うございましたー。ま、私がこっち(ブラック)一筋なのは変わらないけど」

「分かればよろしい。それにヨシノとかゲンさんとか、他にも好きなやつ多いんだからな〜? 俺への文句は皆への文句と同義と知るがいい」

 

「ヨシノさんも飲んでるの? ……ルミコちゃん、すぐ私にも同じのを持ってきて頂戴!」

「なんとも酷い手のひら返し。お前、仮にも俺が先輩だってこと覚えてる?」

 

 静かに絶叫するシンヤ先輩、しかしオリアナ先輩は素知らぬ顔だ。これでシンヤ先輩の方が二年先輩―――ヨシノさんとは同期らしい、つまり現行神機使い第一期メンバーの一人―――なのだから驚きである。どうしてこんなに後輩に舐められているのだろう。

 加えて問うなら、ヨシノさんが第一部隊の隊長を務める一方で何故シンヤ先輩は平隊員のままなのだろうか? 実力の差なのだったらそれまでだが、謎は深まるばかりだ。

 

 その後、争いも収まり最終的には三人揃ってコーヒー牛乳をすすっていた。摩訶不思議である。

 

「あーっ! 自分達だけでなんか飲んでる!」

「ミルクコーヒーですね。私達も頂きましょうか」

 

 甘々なコーヒーとマグカップの暖かさを堪能して、ほっこりした雰囲気を堪能していると突然、高い声が飛び込んできた。

 ピシィッと擬音が聞こえてきそうなほど力強くこちらに指を突きつけるユウ隊長の隣には、口元のほくろが仄かな色気を醸し出す美人さん───雨宮ツバキ先輩が微笑をたたえている。

 

 艶やかな黒髪が垂れる墨色(アイボリーブラック)のコートは二重襟とフードが特徴的なフェンリル謹製だ。唯一の白であるボトムスが目に眩しい彼女は、その名前の示す通り我が悪友こと雨宮リンドウの姉である。

 マイペースかつ公私の区別が曖昧な弟とは真逆で、仕事とプライベートをきっちり区別している優秀な仕事人と評判なのだが、料理の腕は壊滅的である……ちなみに、サクヤちゃん情報によるとチャームポイントは“うなじ”だそうだ。やったぜシンヤ先輩! ロシア人じゃないけど!

 

 ユウ隊長はソファに腰を下ろすと、断りを入れてオリアナ先輩のコーヒーを一口。口元がほわりと緩む。

 

「あ、ツバキ先輩もどうぞ。……ちょっとシンヤ先輩、もうちょい詰めてくださいよ」

「ん? ああ」

「では失礼して、ありがとうございます」

「うむ、いいってことよ」

「席詰めただけでなんでそんなに偉そうなんですか……」

 

 ツバキ先輩とシンヤ先輩の会話風景は初めて見るけど、シンヤ先輩が()()()敬語を使われていることに違和感を感じてしまった……。俺もたいして真面目に敬語を使ってはいないし、その他後輩陣(オリアナ先輩とユウ隊長)のタメ口を見慣れているからか、なおさら奇妙に映る。

 

 新たに二人の分のコーヒーをルミコさんから受け取って戻ってくると、チーム編成についての話には決着がついていた。いや、上で結論を出してから下に降りてきたのか。

 

 結論から言うと俺はヨシノさん、ツバキ先輩の第一部隊メンバーと組むことになった。丁度、第一・第二部隊で新人をトレードする形になる。理由は固定メンバーでの出撃経験しかない俺たちに慣れない仲間との連携を学ばせるため、らしい。

 実際は別メンバーで任務に当たったことがない訳ではないが、どれも居住区防衛などの突発的な場面ばかりで、連携よりも各自によるアラガミの各個撃破を重視するチームとは名ばかりの個人戦だった。それを今回の任務で僅かにでも補っておこう、ということなのだろう。

 

 と、そこで再度エントランスに昇降機のベル音が響き渡った。

 

「───だからさ〜サクヤちゃんとはどうなってるの〜? お姉さんにだけそろっと教えてみなさいな」

「いや、ですからアイツはまだ十一歳───っと、ついたついた!」

「あっ、逃げるな!」

「これは逃走ではなく勇気ある転進です!」

「あ、そう……っておんなじ意味でしょーが」

 

 聞き慣れた声に視線を向けると、ちょうど昇降機からリンドウとヨシノさんが降りてきていた。

 何を話していたのか、絡んでいるらしいヨシノさんから逃げる様に寄って来たリンドウが加わると、いよいよソファも手狭になってきた。さして大きくない机を六人で囲んでいるのだから、当然と言えば当然か。

 

 なんでも、改修工事をしてエントランスを拡大する計画があると風の噂で耳にしたけれど、たぶん実現される日は遠いだろう。計画はあっても資源(リソース)が圧倒的に足りない。それこそ現状で着工した日には、数日で極東支部(アナグラ)の機能がなにかしら停止して、日常生活に支障をきたすに違いない。

 

 話は変わって、外部居住区の食糧問題も改善が進んでいるが、こちらも牛歩の進みである。外部民の受け入れが可能になるのは何時になるのやら……。状況改善の為の研究には金が要るが、アラガミ共に装甲壁を突破される度に被害者への手当と壁の修繕費で資金は減る。研究材料の(コア)の回収も含めて、俺たち神機使いの肩に全てが懸かっていると言うのも、あながち間違いではないのだろう。

 

「頑張んなきゃなあ……」

「あん? 何を?」

「もっと強くならなきゃってことです」

「おぉ……自覚してたのか。お前まだまだ色々と足りてないからな。さっさと使い物になってくれないと、こっちが困るんだよなぁ」

「……普通は後輩を応援する場面じゃないんですかね?」

「知ったことか。お前も一兵士なんだ。誰かに何を言われなくとも上を目指さなきゃならねえ。そうじゃなきゃ……二番(仲間)どころか一番(自分)すら守れねえ」

 

 「分かってんだろう?」と不敵に笑いながら、心底面倒臭そうな顔で言ってのけるシンヤ先輩。確かにもっともだが、後輩への優しさは無いのか。いつもの事ながら辛口にひっそり心を痛めコーヒーで気を紛らわしていると、不意にポンと肩に手が置かれた。

 

「オリアナ先輩……」

「ユキナリ、知ってるでしょう。そいつはそういう奴なのよ。私が新人の頃から変わってない」

「そうだよユッキー。去年まではシンヤさんが隊長で隊員は私達だけだったから、今より傍若無人だったんだから……。自分で指定した時間になってもブリーフィングに現れない、私達の名前で勝手に配給申請して酒類を横領する、酔って未成年の後輩(私達)に飲酒を強要する……」

 

 エトセトラ、エトセトラ。つらつらと述べられるシンヤ先輩の悪行の数々。元々シンヤ先輩が隊長だったという新情報に驚きを隠せないが、隊長からの平隊員という失墜劇にも驚愕である。一体何をしたらそんな人事が……って、それだけ軍規違反してたら十分あり得るか。

 

 神機使いはフェンリル所属の「軍人」だ。如何に古参兵だろうと、やり過ぎれば処罰が下って当然。詰まるところシンヤ先輩の自業自得である。

 

 まだまだ止まらないユウ隊長の過去の愚痴、己の悪行を列挙されるのをおとなしく聞いていたシンヤ先輩だったが、次第に我慢の限界が近付いてきているようだ。勢いに乗ってしまったのだろうか、シンヤ先輩の米神がいよいよ痙攣し始めたというのにユウ隊長の舌は止まらない。そして、とうとうシンヤ先輩が腰を上げ───

 

「座ってなさいなミスター・ジョニー。身から出た錆ってやつなんだから」

 

───その肩をヨシノさんが押し戻した。

 

「ジョニー? ヨシノさん、そりゃあ何ですか?」

「ヨシノ、手前……!」

 

 面白そうな匂いにリンドウが即座に反応した。視線を交わし、暴れ出しそうなシンヤ先輩を二人して羽交い締めにする。まったく、ただでさえ狭いのだから大人しくしてほしいものである。何が面白いのか、それをニヤニヤと見つめるユウ隊長とオリアナ先輩、良い趣味してると思います。俺のガラスのハートを傷つけた代償は大きい。

 そして意外にもツバキ先輩は頭に疑問符を浮かべて首を傾げていた。

 

「あれ、ツバキちゃん知らないんだっけ?」

「ジョニー、ですか。聞いたことも無いです。ユウリさんは知っているようですね」

「そりゃあコレ、対シンヤさんの切り札みたいなものだからね。ヨシノさんが教えてくれなかったら、苦労はもっと長引いてたね。知りたい?」

是非(ぜひ)

 

 ツバキ先輩が神妙な顔で頷くのを認めたユウ隊長がチラリ、とヨシノさんを一瞥する。ヨシノさんはにんまりと笑った。

 

「んー……仕方ない、可愛い後輩の頼みだしね。特別に教えてあげるとしますか」

「やめろォ!」

「まぁ、聞く側からしたら大した話でもないんだけどね。実はこいつ、初陣の日に何をトチ狂ったのか仮装してきたのよ」

 

 へ? とツバキ先輩が声を漏らした。

 

「赤いテンガロンハットに裾がボロボロで襟がピーンッて立ってるこれまた真っ赤なマント羽織って、肩周りにゴテゴテの金属装飾まで着けちゃってさ〜。他はみんな制服だったから、それはもう見てるこっちが可哀想なくらい浮いちゃってねぇ……」

 

 デビュー戦で舞い上がっちゃったのかねぇ……集合した時には熱が冷めたのか顔真っ赤にしてたし。もう全身真っ赤っかよ。それからしばらくはアナグラでの渾名がレッドマンになったくらいだからねぇ……。と懐かしむ様に言葉を紡ぐヨシノさんは()()()()でシンヤ先輩を見つめる。

 

「あのアニメなんて言うやつだっけ? たしかバカバギーとか……」

「『バガラリー』だ! 間違えてんじゃねーよ、バカノ!」

「はあ……? それで呼ぶなって散々言ってんでしょうが! そっちがその気なら、あの時の写真ばら撒いてもいいのよ? ……実は今も一枚持ってたり」

 

 ちらり、とヨシノさんが懐から取り出した紙切れ───派手な赤色が見えた───を見せつけた瞬間、顔を真っ赤に染め上げて激しく暴れだしたシンヤ先輩は、驚くべき贅力で俺たちの拘束を振り解いてヨシノさんに飛び掛かった。

 

「おっと」

「避けんじゃあねぇ!」

「イヤよ。痛いじゃない」

 

 伸ばされた腕をひらりと躱すヨシノさんに、腰を落として前傾に構えるシンヤ先輩。数秒間の空白の後、体を前後に揺らして機を伺っていたシンヤ先輩が予備動作無しに倒れ込む様なタックルを仕掛けた。

 

 撃鉄に弾かれた弾丸の如き突撃を、しかしヨシノさんは予知していたかの様に屈んで脚を鋭く床に滑らせる。残像すら残す脚鎌がシンヤ先輩の膝裏を刈り取ろうとしたまさにその時、シンヤ先輩は跳んだ。ヨシノさんの頭上を飛び越え、床を捉えた腕をスプリングの代わりにして再び宙を舞う。僅かな滞空時間で体を捻るとヨシノさんに向き直り、着地と同時に放たれた追撃のタックルは、振り返りざまのヨシノさんの前髪を掠めた。

 

 僅か数秒間の攻防である。俺が体制を立て直したときには闘いは終わっていた。

 一体どれだけ無理なブレーキをかけたのだろうか、床にはタイヤ痕ならぬシンヤ先輩のブーツ痕がついている。僅かに漂うゴムの溶けた臭いに眉をひそめ、気がつくと横にソファに座っていた面々が隣に並んでいた。一連の騒動にも我らが第二部隊のユウ隊長はあっけらかんとしている。

 

「あーあ、何やってんだか」

「不味いぞ、ゲンさんが来る前に止めないと……」

「大丈夫です……ありゃあ、勝負ありみたいですよ。姉上」

 

 地を這う豹を彷彿とさせる体制で睨み合う二人の間には火花さえ幻視できそうだ。突然の出来事に静まり返ったエントランスでシンヤ先輩は顔を愉悦に歪め、おもむろに右手を掲げた。指先でひらめくのは一枚の紙切れだ。

 

 その意味するところを理解した瞬間、二人を除く第一・第二部隊の面々に続くように事態を把握した野次馬が沸いた。

 

 あの一瞬の交錯の中で、シンヤ先輩はヨシノさんから写真を掠め取ったのだ。喧しい歓声と喧騒がエントランスを満たす。

 精鋭中の精鋭を束ねる第一部隊隊長を、小さな諍いの中とは言え体術で凌駕したのだ。シンヤ先輩は得意気な表情を浮かべて、ヨシノさんに見せつける様に写真を揺らした。

 

「まさかこの私が遅れを取るとはね……」

「ちょいと本気を出せばこんなもんよ。こいつは預からせてもらうぜ」

「……仕方無い、その写真はあげるわ。でも大切に、それはもう家宝として扱いなさい。むしろ引き伸ばして額縁に入れて部屋に飾りなさい」

「誰がんな恥ずかしい真似するかっ! 即刻処分するに───……ちょっと待って」

 

 シンヤ先輩がおもむろ立ち上がった。顔には打って変わって、何とも形容し難い表情を浮かべている。

 

 擬音で表すと、むにょり、みたいな。

 

「これさ、お前の娘の……ナナちゃんの写真じゃん。俺のじゃあねぇのかよ!?」

 

 写真を突きつけながらシンヤ先輩が叫ぶ。目を凝らしてよく見ると、あれは確かに赤いワンピース姿のナナちゃんの写真だ。

 スカートの裾を持ってくるりと一回転した瞬間を捉えたのだろう、ふわりと浮かぶスカートが絵本に出て来るお姫様のようで様になっていた。その見事な一枚はプロ顔負けの出来栄えである。ヨシノさんは写真撮影が得意なようだ。それとも、母の愛の成せる技か。

 

「普通に考えて誰がアンタなんかの写真を持ち歩くのよ。馬鹿なんじゃないの? ほら、早く返しなさい」

「くっ……」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で写真を睨むシンヤ先輩を他所に、ヨシノさんはナナちゃんの写真を取り返すと服の内ポケットに仕舞い込み、意気揚々と勝利の雄叫びを上げた。

 

「ふわっはっはっは! 逆・転・大・勝・利っ!」

 

 いやあ。極東支部は今日も平和だ。

 

 

 

 

 冷たい風が頬を撫ぜる。

 

 古参二人による一幕で湧いた一夜が明けて、昼過ぎに出撃した第一・第二合同部隊によるアラガミ討伐作戦は滞りなく遂行された。

 偵察部隊の報告から状況に変化があったのか、グボロ・グボロが数匹ばかり増えていたが、そこは二等兵と言えども流石に慣れたもの。対処に手こずることは無かった。割り当てられたノルマ以上の仕事も果たし、お二人の足を引っ張ることもなく一安心である。

 

「こちらチームα。任務完了、合流ポイントに向かいます」

『チームβ、了解。ここで(きぃ)抜いてやられんなよ』

「ご忠告どうも。お前も気を付けろよ」

 

 無線機を軽く叩くと同時に、ノイズ混じりのリンドウの笑い声はぶつりと途切れた。

 

 さて、シユウの追撃でかなりの距離を動いたので、合流地点までは相当かかるだろう。警戒込みの徒歩となると一時間強といったところか、日が傾き始めているので少し急いだ方が良いかもしれない。

 お二方にその旨を伝え、ツバキ先輩を先頭に左右後方をバスターブレードの二人で固めて走り始めた。

 

「ねえ、ちょっと気になったんだけどさ。極東支部(ここ)に来る前はユキナリは何処で暮らしていたの?」

 

 無言で走ること十数分が過ぎた頃だろうか、不意にヨシノさんに尋ねられた。

 

「私はさ、元々はこの(へん)の山の集落で暮らしてたのよ。フェンリルに徴用されてからはずっと極東支部だけど、十八まではそこに居た」

 

「畑を耕して、物資を探して、皆で遣り繰りしながらどうにかこうにか生活してたわけよ」

 

 その口ぶりに暗さはなく、ただ思い出を懐かしんでいるようだった。ヨシノさんの視線を追った先には無数の山々が連なっている。もしかして、あのどこかがヨシノさんの故郷なのだろうか。

 

 当然と言えば当然のことだったのだろう。その話を聞いた途端、心の何処かに埋没しかていた俺の“郷愁の念”と云う奴が唐突に掘り起こされたのだ。

 中と外を隔てるあの壁を通り抜けてから、かれこれ半年以上過ぎている。神機使いになってからの日々があまりにも濃密だった所為か、地図と方位磁石(コンパス)だけを頼りに極東支部を目指した長い、本当に長かった日々が遥か昔の事のように思えた。

 数秒の間、意識が記憶の中の懐かしい景色に飛んだ。しかし、すぐに我に返ると、たった今の無言を紛らわすように慌てて口を開いた。

 

「───俺が居たのはここからずっと北の方です。少し歩けば海が見えるくらい海が近い場所でした」

 

「たまに海の側に一週間くらい住み着いて“塩”を作るのが、あの頃の俺の仕事……だったんですかね、多分。延々と海水を鍋で煮るだけなんで、出来た塩はぜんっぜん美味しくなかったですけど、そのお陰で塩不足で悩むことだけはありませんでしたよ」

 

 それを聞いてヨシノさんは「へぇ」と驚いたような感心したような声を上げた。

 

「私のとこはそれが最大の問題だったなぁ。偶に見つける塩は結構な貴重品でさ、近くに物が残ってる店が殆ど無くて、食べ物が欲しい時は片っ端から民家を漁ったもんよ」

「あぁ、そこは俺も一緒です。地下収納とか見つけ辛い所には結構残ってますよね」

「そうそう! そのせいか家捜しばっかり上手くなっちゃって、人の部屋で秘中の一品を見つけるなら、アナグラで私の右に出る者は居ないわよ!」

 

 そう言ってケラケラ笑うヨシノさんはいつものままで、それに釣られてこちらも頬が緩み、俺達の話に耳を傾けていたツバキ先輩からもくすりと笑う声が聞こえた。

 

「俺のところは元は学校だった所なんで、本とか教材がわんさかありましてね。それに教師やってた仲間も居たんで子供はみんな、その先生に勉強を教えてもらってました。

 “お箸の持ち方”から“道徳とは何たるか”まで教えてもらいましたよ。信じられます? こんなご時世に“宿題”まであったんですよ」

 

「うっそ、ホントに!? あっはっは! 宿題なんて私昔っからやったことないわ! ツバキはあった?」

 

「私はありますよ。もっとも、教師から色々教えてもらう様になったのは極東支部に移住してからで、幼い頃に教えてもらっていたのは仏教についてや、もの捉え方や考え方―――哲学的なことばかりだったので、小さい私は意味がよく分かっていませんでしたけどね」

 

「そっか、そう言えば昔は廃寺(はいでら)に住んでたんだっけ」

 

「ええ。リンドウとサクヤと、祖母と一緒に。今思うと生活は苦しかったけど、あの頃が一番楽しかった気がしますね」

 

「そうねぇ……その気持ち、何となく分かるかも。確かに不安は多かったけど、一日一日を本当に大切にしてた気がするわ。でもね、ツバキ。"あの頃が"じゃなくて"あの頃も"、よ。

 何言ってんだって思うかもしれないけど、その方がなんだか……優しいし、嬉しいって感じがしない? まぁかく言う私もなんの責任もなかった昔の方が……あっ! 当然、今だって大切にしてるからね! 愛娘との生活を!」

 

「いや、誰もそんなこと疑ってませんって! でも、なんとなく言いたいことは分かります。昔は昔、今は今を生きる、それが幸せになる第一歩ってことですよね。……そうだ、ナナちゃんと言えば、あと少ししたら誕生日じゃなかったでしたっけ?」

 

 何かプレゼントしようと思うんですけど、ナナちゃん───と言うかあの年頃の女の子って何が好きなんですかね? と尋ねてみると、途端にヨシノさんが絶望的な表情を浮かべた。まるでこの世の終わりに遭遇してしまったような顔だ。

 

「───やばい。私としたことが完全に忘れてた。そろそろ材料確保し始めないと、ご馳走が作れないじゃない……! 気付かせてくれてありがとね……今訊かれなかったら当日まで忘れたままだったかも」

 

「いや流石にそれは無いですって、ナナちゃんから何かしらアピールあったりするでしょう? 小さい子にとっちゃ誕生日は一大イベントですからねぇ」

 

 かく言う俺自身も、誕生日は父さんと母さんに盛大に祝ってもらったものだ。盛大と言っても当時の環境で可能な範囲での話だけども、特別な何かは無くたって、誰かが自分が生まれてきた事を喜んでくれるってだけで子供は最高に嬉しいものだ。

 

「それはそうなんだけど……う〜ん、うちのナナはね、とっても物分かりがいい良い子なのよ。

 同じ頃の私と比べたら信じられない位に落ち着いていて、優しくて、思い遣りがあって、約束事はきちんと守れるし、何より可愛くて、私が帰ってきたら一番の笑顔で出迎えてくれるし、好き嫌いも言わずよく食べよく寝る、まさに天使と言っても過言ではない、むしろ足りないくらいの良い子だわ」

「あ、あぁ。はい。そうですね」

「でもねぇ、私がこんな仕事してる所為で基本的に昼間は一人で過ごしてるのよ。それならそれで昼間一緒に遊んでくれる友達が居れば良いんだけど、支部の外は治安が良いとは言い難いでしょう?」

 

 その言葉に頷きを返す。確かに、流石に殺人といったレベルの話は滅多に聞かないが、窃盗や喧嘩くらいの事はさして珍しい話では無い。更にはどこから商品を仕入れているのか“闇市”が開かれている怪しい区画も存在するくらいだ。近くに知り合いや保護者が居るならまだしも、幼い子供一人で出歩かせたい場所ではないのは間違いない。

 

「中に住んでる子供で歳の近い子は私の知る限りでは居ないし、信用できる大人が居てくれれば支部の外にも出してあげられるんだけど、外部居住区には知り合いも居なくてね……。

 それでいて、帰ってきた母親(わたし)は時間的にも目一杯構ってやれないことが多い……その所為だと思うんだけどね、ナナはあんまり自分を主張しないことが多いのよ」

 

 どうしたものかしら……とヨシノさんは物憂げに呟いた。

 流石に何を言ってよいのか咄嗟には思いつかず、取り敢えず思い当たる歳の近い子を挙げてみる。

 

「えっと、シゲルさんの娘のリッカちゃんとかは、結構年齢近くないですか? シゲルさんならナナちゃんも知ってるだろうし……」

「リッカちゃんは昼間は学校に行ってるから無理だったのよ。それに戻ってきたら整備室に籠もっちゃうらしいし、流石にナナをあの危険物の巣窟には置いておけないわ」

「あー……それならサクヤちゃんはどうでしょう?」

「ばかねぇ、サクヤちゃんも学校よ」

「それにヨシノさんが居ない時は、必然的に私もリンドウも居ないからな。サクヤも夕方からならともかく、ずっとナナと一緒というのは難しいんだ」

「そゆこと」

 

 はぁ、とため息を吐いてヨシノさんは空を見上げる。

 外部居住区には俺も知り合いなんて居ない。誰かしら子供の面倒を任せられる知人が居れば良かったのだが、それは無いものねだりと云う奴だろう。どうしたものかと無い頭を捻ってみるが、無から有を生み出すのは至難の業だ。なかなか良い案というのは浮かんで来ない。

 

「ま、そんなに悩まなくていいわよ。何か思いついたら教えて頂戴な」

「はあ……微力ながら、全力を尽くします」

「もう。ほら、気合があるのかないのか中途半端な返事をしない! もうそろそろ合流地点(ポイント)よ。家に戻るまでが任務なんだから、しゃんとしなさいな!」

 

 背中をバシンッと叩かれる。いつの間に、と思い辺りをよく見ると、気が付かない内にかなりの時間が経っていたようだ。

 目を細めれば遠くにこの雪原ではとても目立つ黒服が激しく動き回っているのが見えた。オリアナ先輩たちだろう。あの人たちはまた何か騒いでいるのか……。

 無線を飛ばすと、こちらに気が付いたユウ隊長が神機ごと手をぶんぶんと振り回し始めた。その後ろではオリアナ先輩と興奮した様子のシンヤ先輩の間に挟まれ、疲れ切った様子で肩を落としているリンドウ居る。向こうのチームで一体何があったのかと、悪い意味でアクの強い第二部隊に放り込まれたリンドウに些かに同情してしまう。

 

 その時、並走していたヨシノさんが急に「いいこと思い付いた」と言わんばかりの笑みを浮かべると、スピードを上げて前を行くツバキ先輩に並んだ。

 彼我の距離は約三メートルほど開いている。同時に、にわかに強まり始めた風が五月蝿(うるさ)いことこの上ない。

 

「ねえ、ラスト一直線、誰が一番速いか競争といかない? 一番遅かった人が二人に何か奢るってことで」

 

 ヨシノさんがツバキ先輩に何か伝えているようだ。……が、イマイチ聞き取れなかった。話を聞いたツバキ先輩の目が鋭く細められた。

 

「むっ! ……いいでしょう。最近甘味に飢えていたところです。───お前も聞こえていたな! そう言う事だから、本気でいかせてもらうぞ!」

「え、なに、何ですか!? 本気ってなに!?」

「よーっし、それじゃあ位置についてぇ……よーい、ドーン!!」

「どんっ!? え、競争!?」

 

 僅か三メートル。されど三メートル。

 

 走り出しが遅れたこともあって結局、俺は無理やりお二方に甘味を献上させられるはめになった。しかし、ついでだからとナナちゃんとサクヤちゃんの分まで全部で四人分も奢らされるなんて予想外だろう。

 

 それにしてもパフェがあれほどまで値が張るとは、懐が寒空のように冷え切ってしまった。これはいつの日かリベンジを果たさねばなるまい。そう心に誓い、俺は軽くなった財布を涙で濡らしたのだった。

 

 




ヨシノの経歴やサクヤ、リッカの通う学校設定は妄想です。リッカは高校に通っていたらしいので、普通に考えて極東支部にも小・中学校に準ずるものはあるだろうと言うことで。

ちなみにこの話は2061年11月下旬頃を想定しています。ナナの誕生日は2月22日だよ! 覚えやすいね!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。