差出人青木 西住まほ様宛て
『こんにちは、ご返事をいただき本当にありがとうございました。
何分お手紙を書いたことはあまりなく、拙い文章でお見苦しかったとは思いますが、最後までお読みいただいたこと、本当に感謝しています。
普段から西住まほ様のご活躍をお目にさせていただいていますが、名高き黒森峰戦車隊の隊長を務め、期待と責任を一身に背負う西住まほ様のお姿に
同級生として尊敬しているのは本心です。それ故に、その分だけ
お体や精神も疲労することは察します。
黒森峰女学園、もとい黒森峰学園艦の名前を強く響き渡らせるお姿に多大な感謝をしています。
だからこそ、たまには戦車道のことを二の次にするのも賢明であると存じます。
二度目のお手紙となりましたが、改めて、ここまでお読みくださり、ありがとうございました』
差出人西住まほ 青木様宛て
『こんにちは。再びお手紙を送ってくださり、本当にありがとうございます。
拙い文章とお書きになられましたが、とんでもありません。青木様の文章からは間違いなく思いやりが溢れ、何度も読まさせていただいています。
西住流を受け継ぐ者として日夜、戦車道の鍛錬や勉学に励んでいるつもりですが、やはり時折、マイナスに考えてしまうこともあります。
幸いにも己が限界を察する能力は身についているので、疲れた際はすぐに休憩をはさんでいます。
たまには遊ぶのも良いとは思うのですが、何分石頭なもので、何をしていいのか
わからなかったりします。
青木様はどのようにして、休日をお過ごしでしょうか? 参考にさせていただきます。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました』
差出人青木 西住まほ様宛て
『こんにちは、こうして再びお手紙を送ってくださったこと、深く感謝しています。
失礼な文章になってしまいますが、西住まほ様が自分の限界を知り、休憩の大切さを知っていると知った時は、とても嬉しかったです。
自分は警察官を志望していまして、常日頃から鍛錬や勉強に励んでいるつもりです。だからこそ疲れた際は、街に出かけて散歩をしたり、おいしいものを食べたりして
気分転換をしています。
遊びというのも色々あって、野球観戦をしたり、新しい服を探したり、気になった映画を見たりと、これらもお手軽に楽しめる遊びではないでしょうか。
ご参考になられたでしょうか? そうでない場合は、大変申し訳ありません。
これからも、どうかご自分のことを大切にしながら、黒森峰を引っ張っていってください』
差出人西住まほ 青木様宛て
『今晩は、お手紙をしっかりとご拝見しました。
青木様は警察官を目指しているのですね。この広い黒森峰学園艦を守るということは、決して簡単ではないはずです。
同級生として、心の底から尊敬しています。警察官になれること、祈っています。
遊びの件ですが、とても参考になりました。こうして見てみると、休暇をとることが楽しみになってきました。何をしようか迷ってしまいますね。
そういえばおいしい食べ物といえば、自分はカレーが大好きで、いくら食べても次のカレーが
欲しいくらいです。
青木様はどのような食べ物がお好きでしょうか? 今度、それも
食べてみようかなと思っています。
何度もお手紙を送ってくださり、本当にありがとうございます。文章の体裁を気にせず、これからも送ってください』
差出人青木 西住まほ様宛て
『おはようございます。自分のお手紙が何らかのお力になれること、とても嬉しいと
感じています。
黒森峰学園艦の警察官になることは、決して簡単ではないという現実も知っているつもりです。
だからこそ、同じくして黒森峰女学園の戦車隊隊長という困難を背負い続ける西住まほ様の姿に、強い共感を覚えています。
お互い、夢を果たせるように頑張りましょう。応援しています。
好きな食べ物に関してですが、極端な味でないなら何でも食べる、こだわりのない
舌をしています。
カレーライスについてですが、それがおいしい店を知っています。時々、友人と一緒に食べることもありますね。
黒森峰学園艦は、本当に良い場所です。ここを守る資格が得られたらと、常日頃から
考えています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。同級生ですし、少し
軽い文章でも良いかもしれませんね』
差出人西住まほ 青木様宛て
『こんにちは、お元気していましたか?
日に日に続く戦車道の訓練は自分の為になりますが、とても疲れるので、時にはテレビを見て、時にはカレーを食べてさっと寝てしまう日々を過ごしています。
中々休暇がとれない身分ではありますが、青木様の危惧するような事態にはならないよう、配慮しているつもりです。
近々戦車道の練習試合が始まりますが、必ず勝つとここに宣言します。勝てばそれで良いですし、負けたらお風呂に入って寝る予定です。
なんだか寝てばかりですね。
ところで、おいしいカレー店を知っているのですか? とても興味深いです。
教えてください、是非』
――――――
赤井にこれまでの経緯を報告する際には、青木は「口だけで」伝えてきた。
本人の預かり知らぬところで、誰かに手紙を見せることはマナー違反であるし、思春期特有のみっともない健全な独占欲がそうはさせない。
それでも赤井は、話を聞くだけで心底面白そうに感想を述べてくれるし、数日後には「で、どうよ?」と進展の報告を催促してくるのだった。
すっかり日常の一部と化したこの報告会だが、今回は決定的な何かを嗅ぎ付けたらしく、悪そうな笑みで「ほう……」と漏らすのだ。
「西住さんがこうして本音を出してくれると、こう、もっと好きになっていくなあ」
「だよなー、俺でも好きになるもん」
黒森峰の姫君にして、強豪戦車隊の隊長であるまほが、「実はカレーが好き」という事実を知った時は、青木も赤井もシンパシーが込められた頷きをかましたものだ。
確かに高い高い星ではあるが、やはりまほは女の子だ。当たり前のことだが、手紙を読んでいくうちにますます実感する。
「恋愛は二の次……にはしたくないけど、これが娯楽になるなら、これからも書き続けていくよ」
「そうかそうか」
白紙に墨で書かれた「文武両道」の額縁が教壇の上に飾られていようとも、休憩時間ともなれば黒森峰男子生徒は各々好き勝手に脱力する。
あまり話したことの無い男子二人が、「夏休みどーする?」と気の早いことを話しているし、昨日見たドラマの話に花を咲かせるグループもいる。中には教科書にかじりついたまま、納得がいくまで勉強を続けている真面目な奴だっている。
すべて見慣れた光景だ。
目の前にいる赤井の顔なんて、おそらくは親の顔よりも見ていると思う。日課といっても差し支えの無い赤井は、
「で、いつデートすんの?」
青木の日常を思い切り剥がす。
何を言っているんだ、こいつは。
そういえば、そうだよな。
矛盾した二つの意見が、頭の中で手をつないでいる。
「あ……いや……その……」
「まじめだなぁ。俺だったらスキあらばデートに誘うわ」
他人事を絵に書いたような顔をしながら、赤井は呆れたような、嘲笑っているような。
「す、スキって……あ、あるか?」
「あるよ」
即答だった。
「西住さんはカレーが好きで、うまいカレー店を教えて欲しいんだろ?」
言われるがままに、青木は小さく頷く。
「じゃあ、今度の休日、一緒にうまいカレー店行きゃいいじゃん」
――――――
女の子とうまいカレーを食いに行くかどうか、考えただけで3日以上が経過していたので、夜中に走り込みをすることにした。
手紙が届き、即座に返信するのを繰り返すには、3日ほどの間はどうしても開いてしまう。だから今の青木にとって、72時間以上何もしないというのは立派な異常事態である。
だから、なんとかカレー店に誘う勇気を絞り出すために、夜中になってまでジャージを着て外出したわけだ。
普段は放課後にジョギングを行うから、暗くなってから行動することは滅多にしない。衝動的にやりたくなったとか、明日は休日だからひとっ走りするかとか、そんなしょうもない思いつきがなければ、こんな時間で元気よく運動などはしないのだ。
幸いにもジョギングコースとして有名な公園が近くにあるから、誰にも怪しまれずに好き勝手に駆けることは出来る。
改めて黒森峰学園艦の環境に感謝しつつ、青木はどうすっかなぁどうすっかなぁと、雑念を抱きながら、青いジャージを上下に、青木と同じくジョギングをしている西住まほと
正面からすれ違う。
西住さん、こんな時間まで頑張ってるのか。
雑念がぶっ飛び、持ち前の理性を振り絞って「怪しまれない距離になってから180度にターンする」という快挙を成し遂げる。
見間違えではないはずだ。
今すぐにでもまほめがけ全速力で接近し、定まらない話の一つや二つでもしたかったが、真面目さと恥がそれをうまく堰き止めている。
焦るな、ゆっくり近づけ。声をかけても、アホなことを言わなければ犯罪にはならない。
そう、犯罪などではない。
それを考えると、途端に勇気のカスが胸の中で生じた。青木はまほの背中を追い、横並びになるために少しずつ脚力を強くしていく。繊細な存在と触れ合うかのように、青木は下手な欲を出さないよう自制し、そして、
「あのっ、すいません。西住まほさん、ですか?」
無視してくれてもいい声に、まほは足を止めて顔だけ振り向いた。
はじめて、まほが自分を見てくれた。
テンパっていたから、感動を覚えるヒマはなかったのだけれども。
「はい? そう、ですが……」
好きな人の前だぞ、勇気くらい出せ。
赤の他人じゃないんだろう、自己紹介の一つや二つ言え。
聞き込みの一つや二つ出来なくて、何が警察官だ――
「あ、ああ、えっと、青木です、黒森峰3-B組の、青木。警察官志望の――身分を証明するものは……今は無いです、ごめんなさい」
白く照る街灯のお陰で、夜にも関わらずまほの表情はよく見えた。
初めて出会ったあの日よりも、はっきりと覗えた。
まほの口はぽかんと開き、テレビや新聞でよく見る鋭い目は玉のように見開かれている。
夏が近いのか、虫の音が聞こえる。街灯の電気的な雑音が耳に響く。車の走る音が遠くから降り注ぐ。自分の心臓が聞こえない。
「あ……」
どっちの声だったか。青木だったと思うし、まほだったとも考えられるし、両方だったのかも
しれない。
「あ、あなたが……青木さん?」
「は、はい」
ロクに思考が動いていない。聞かれたから自然と口が動いた、それだけだった。
「あなたが……」
そして、
「やっと、会えましたね」
そんな表情が出来るんだ、西住まほさん。
声をかけて、本当に心の底から良かった。
―――――
「夜のジョギングが日課だったんですね、西住さん」
「はい。もしかしたら、前にもどこかですれ違ってたかもしれませんね」
二人でベンチに座って雑談――ではなく、横並びでジョギング再開というのが、真面目アンド真面目の構図だった。
それでも、先ほどのような戦闘状態はろくすっぽも存在しない。公園で同級生同士が雑談をする、きわめて健全な光景がそこにある。
「夜中は、たまにしか走らないんですよ。大抵はテレビを見るか本を読むかして
さっさと寝てます」
「あ、私もそういうことあります」
似た者同士なのだと実感し、青木は傲慢なくらいの優越感を覚える。
「戦車を動かすのって、やっぱり疲れそうですしね。しかも隊長としての役目も果たさなければいけない――尊敬しています」
「ありがとうございます。前まではその、生真面目に鉄血を貫くことこそが至上だと思っていたんですが、最近は少し変わりまして」
「そうなんですか?」
「はい。青木さんが私のことを気遣ってくれたじゃないですか。それで、私も少し
腰を落ち着けようかなと」
建前が消えそうになる。
黒森峰のヒエラルキーの頂点に立つ西住まほの生き方を、一介の草の根でしかない青木の文章で変えた――変えてしまった事実に、責任感と「よっしゃああああッ!!」という本音が
体内で爆発する。
「そ、そうなんですか……いいんですよ? あんな考えなしに書いた文章なんて気にしなくても」
「いえ、考えなしに書けるものではありませんよ、あの手紙は」
そうなのか。
そうらしい。
「とても感謝しています。青木さんのお陰で、今度の休日はどう過ごそうか、未だに
迷っていますし」
「そうですか……どうしてもわからなかったら、僕に聞いてく、」
そこで、青木はある事実に気づく。
よりにもよって愛しくて仕方がないまほの手紙に対し、青木は返信の手紙を送っていない。
青ざめる。自分で築き上げた日課のくせに、自分の都合で長期間も手紙を書くのを
サボっていたなんて。
これでは罪人だ。警察官失格だ。青木は走ったまま、
「すいませんでしたッ!」
「えっ?」
走ったまま、深々と頭を下げる。
「その、お手紙、返信していなくて……ちょっと事情がありまして……」
「あ、そんな、自分のペースでいいんですよ?」
「いえっ僕も西住さんのことは大切な文通仲間と思っていましたし、手紙はいつも楽しみにしていましたから、返信しないなんて失礼過ぎるというか」
しかし、まほは責めもせず、優しい表情を星の下で見せるのだ。
「そうですか、楽しみにしてくれていたんですね」
「は、はい」
「嬉しいな」
嘘くさい、甲高い「へっ?」が公園全体に響いた気がする。
「あ、いえ……私のことを、『仲間』として接することが楽しいと言って
くれることが、嬉しいんです」
間。
「光栄です」
「いえ。――実は、その、心から信頼出来る『隊員』なら沢山いますが
弱音を吐ける仲間はいなかったんです」
――納得する。
「そう、なんですか……」
納得したからこそ、青木は、
「じゃあ、改めて僕と仲間……友達になりましょう。お堅いの無しの、友達になりましょう」
たぶん、まほの余裕が奪い去られたからだと思う。
まほからぽかんとした表情が生じ、両足は本能のままで動いたまま。
けれども、青木は頑なな気持ちを保ったままだった。嘘でも建前でもその場しのぎでもない、本心からの夢を言い放ったのだから。
「――青木さん」
「はい」
「ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします」
「はい」
深呼吸。
「西住さん」
「はい」
「今度の休暇、一緒においしいカレー店へ食べに行きませんか」
まほと友達になれなければ、絶対に言えなかった。
まほと友達になれた今なら、絶対に言える。
――そして、青木は信じていた。
「はい。その、よろしければ、『休日の遊び方』についても教えてください」
青木の提案に、まほが断るはずがない、ということを。
―――――
公園を一周し終え、青木とまほは別れ際に互いのメールアドレスと電話番号を交換した。提案したのはまほの方で、青木はあえて「いいんですか?」と言葉を投げかけたのだが、まほは「友達ですよね? なら、いいじゃないですか」と返した。
喜びのあまり、拳を作るのは後だ。今は真面目な黒森峰男子生徒して接すればいい。
「青木さん」
「はい」
「警察官になれるように、心から応援しています。私は、あなたの文章が読めて本当に良かったです」
「あ、いえ、西住さんも僕の文章を読んでくれて……感謝しています」
まほは小さく頭を下げる。
「今週末は必ず休暇を作っておきます。その……約束、守ってくださいね」
「は、はい!」
でかい、近所迷惑にならないことを祈る。まほも驚いているじゃないか。
すみませんと、ひと息。
「それでは、今週末、この公園で待ち合わせしましょう。遊びに関しては素人同然ですが、どうかよろしくお願いします」
「はい、お任せください」
まほは「それでは」と手のひらで挨拶をして、恐らくは女子寮の方へ走っていった。
後ろ姿が遠くなったことを確認し、青木は無言でガッツポーズをとり、虫のように何度も何度もジャンプする。
健全だった。
―――――
凱旋気分で脳内ラッパを吹きながら、青木は男子寮へ前進していく。
そしてこれは本当に偶然であり気まぐれだったのだが、青木はポストに注目した。このところ青木は、手紙を送らない限りは決してポストのフタすら開けないような単細胞であったから、かれこれ数日ぶりのご対面となる。
サイフからキーリングを取り出し、ポストのフタの鍵を開け、親からとか来てないだろうなと思いつつ、手紙が入っていることを確認してフタを閉める。
フタを開ける。
青木様宛て
差出人 西住まほ
そう書かれた白い封筒を発掘する。
まほと出会った後だったからだろうか、どうなのか。青木は我慢も知らずにその場で封を開け、まるで爆発物かのように便箋を慎重に抽出し、それを広げた。
差出人西住まほ 青木様宛て
『おはようございます、最近は夏の兆しが見え、暑くなってきました。ご体調は
大丈夫でしょうか。
このたび、青木様のお手紙が届く前に焦って送信してしまったのは、数日間、青木様からのお手紙が途絶えたことにあります。
青木様にも都合がありますし、こうして文通を重ねるのは義務ではありませんから、青木様は何も悪くはありません。
このお手紙を送らせていただいた真意は、『自分に何か落ち度があったのでは?』という疑問に
よるものです。
前に送ったお手紙は、すごく砕けた文章で書かせてしまいました。青木様は真面目な人柄ですから、こうした馴れ馴れしさに拒否感を覚えてしまったのではと、自分なりに考えてみました。
或いは、ほかに原因があるのかもしれません。それに関しては、どうしても思いつくことが出来ませんでした。
突然のお手紙を送らせていただき、まことに申し訳ありません。青木様のご都合で送れなかっただけであれば、自分は本心から謝罪致します。
この手紙に何らかの不快が生じた場合は、破棄し、忘れてくださっても構いません。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました』
青木は、持てるだけの浅い人生経験を頭で総動員して、罪悪感を手からペンに通し、寒気を足に蓄え、目から「僕が悪いんです」を発しながら、深夜から朝まで手紙を書き続けた。
その日は、入学して初めて居眠りした。
差出人青木 西住まほ様宛て
『おはようございます。ご体調を心配してくださり、ありがとうございます。暑さは戦車道の訓練に響くことは想像できます。体に気を付けてください。
このたび謝罪文を受け取らせていただきましたが、西住まほ様には何の落ち度もありません。恥じるべきは自分の方で、『休日、一緒に例のカレー店へ食べにいきませんか?』と書くべきかどうか、男らしくなく悩んでいたのが原因で、返信が滞ってしまっていました。
恐らく、あの夜での出会いがなければ、いよいよもってお手紙を送るペースが
鈍くなっていたでしょう。
悪いのはすべて自分です。この魂胆にあきれ果て、文通をおやめになられたところで、その事実を受け止めます。
本当に申し訳ありませんでした』
数日後、西住まほからの初メールが届いた。
『お手紙のこと、気になさらないでください。勇気を出すのは簡単ではありませんから、時間がかかったのも納得です。
どうしても納得が出来ないのであれば、休日で無しにしましょう(^^)』
だった。
青木は成仏した。