朝の六時からジャージ上下で元気良く走ろうと思ったのは、何も健康に目覚めたとか、そう
いった前向きな理由ではない。
単に体が緊張しすぎて、頭の中が興奮するあまり、手っ取り早く眠気が覚めてしまったからだ。勿論、こんなことは黒森峰学園入学以来、初めての出来事である。
初デート当日。
健全な高校三年生からすれば歴史的事件であり、憧れの祭りである。
それが目前となると、本能としての睡眠欲など二の次になるし、ましてや片思いだから余計に
緊張する。プラス的なイメージと、マイナス的な妄想が頭の中で互角に戦っている。
靴をはく、ドアを開ける。夏が近い朝六時は薄い青空を映し出している。
遊びだからこそ、行動の過ちで拒絶されるかもしれない。自由が利くからこそ、見損なわれるかもしれない。制限が存在しないからこそ、黒森峰の星、西住まほに告白されるかもしれない。
欲張るのも、恋に走る男の特権である。
頬を自分の手で軽く叩きつつ、ジョギングコースである公園へ足を踏み入れる。
走るか――寒くはない冷たい空気が肌に染み付く。目の前で横切っていったまほに軽く会釈しながら、ジョギングを開始する。
いや待てよ、待て。
「あ、あの」
「あ……青木さん。お、おはようございます」
前を向いたまま後退し、まほが少し気恥ずかしそうな表情で挨拶をする。
青木も改めて「おはようございます」と頭を下げ、
「朝……早いんですね。いつもこの時間帯から?」
「あ、いえ。その、デートは初めてのものでして、それで朝早くから目が覚めてしまいまして」
あ、同じだ。
そして、簡単な事実に気づく。デート相手というのは何も格上でも格下でも異次元の
住民でもない。大抵は普通の男女であり、同じような価値観を持って今日を生きている人間で
あるはずなのだ。
まほは確かに戦車道の達人であり、けして人前で挫けはしない強者だが、高校三年生――自分と同じだ。
だから、初デート云々のせいで興奮と緊張を覚え、朝っぱらから目を覚ましては、何とかしようと体を解そうとしたのだ。行動パターンはまるきり同じだが、故に最も説得力のある推測だと
思う。
「なるほど……いやあ、自分も西住さんと同じでして。やっぱり、デートというのは、色々大変ですね」
「……そうですね、本当に大変です」
ふう、とまほが息をつく。
「ですが、嫌ではありません。これから始まるんだなって、楽しいんです、とても」
「僕も、ですよ」
それを聞いて安心したのか、まほが力の無い苦笑を浮かばせる。
「朝十時からの出発ですが……あと四時間もありますね。まあ、その後は走った後で考え
ましょう」
「はい」
その後は、特に大事な出来事とかは無かった。無言のまま横並びでジョギングしたり、そっちの授業内容はどうだそっちの校風はどうだのと話したり。
気づけば、公園を一周していた。せいぜい十五分程度しか経過していない、初デートまで二時間以上の間がある。
「あの、」
自販機でスポーツドリンクの注文ボタンを押す。ここぞとばかりに、まほの分も買う。
「あ、ありがとうございます。すみません、後で必ずお返しします」
「い、いえ、いいんですよ、いいんです」
結果はどうでもいい。女性の前でカッコつけることが出来れば、男はそれで満足する。
「い、いえっ、後で必ず――あ、そうだ。その、私なりにデートコースを選んでみたのですが、い、いいでしょうか?」
ごくりとスポーツドリンクを強く飲む、塊が喉に通ったような感覚。
「ほ、本当ですか? ぜひぜひ――あ、僕もコースを考えておきましたから、あまり気張らずに」
「あ、ありがとうございます。それでその、昼食は、例のおいしいカレー店に連れていって
貰えると、嬉しいかなって」
「当然ですよ、それが目的のようなものですし。いやあ、楽しみだなあ」
そこで、困ったようにまほがあたふたと手のひらを動かす。
「い、いえっ、デート知識はまったく……戦車道しか知らないですから、もしかしたら
大外れかも、」
「いえいえ、デートはするだけで楽しいんです。僕は、西住さんと一緒に歩めるならどこでも
構いません」
何か恥ずかしいことを言ったんじゃなかろうか。
だが、これぐらい言えなければ、まほの特別になるなど百年先延ばしになるだろう。
「本当ですか? ……ありがとうございます、青木さん」
頭を下げられる。青木も、嬉しくなって頭を下げ返す。
「――友達とこうして遊びに行くのって、憧れだったんです。何年ぶりかな、こういうの……」
青木は、時折赤井と街へ出歩くことがある。それは熱心によるものではなく、単に
暇だったからとか、面白いこと探しとか、本当に軽い動機によるものだ。
それすらも、まほにとっては遠い事柄であり、戦車道で敵を倒すことよりも叶え難い
夢だったのだろう。
深く息を吐く。
決めた。
自分は、今日この日、まほを必ず楽しませよう。
―――――
公園でまほと別れた後は、帰宅後に一旦風呂に入って身も心もすっきりさせた。キメキメではない私服に着替える。
相変わらず眠気が息を引き取っていたので、適当にリモコンのボタンをいじくって
朝のニュースを流し見する。
「先日の夜、黒森峰学園艦の外周道路で車が衝突事故を起こしたものの、ドライバーは軽傷だったとのことです」
またか、と小さくぼやく。黒森峰学園艦の外周道路は速度無制限コースとして有名であり、
ハンドルさばきに自信のある連中が東西南北から集ってくることも珍しくはない。
そうして、誰かが華麗なドライビングテクニックを披露して対抗心をバラまく。それを見た奴が「俺ならもっと凄いことが出来る」とフカし、闘志とエンジンに火をつけ――今日の茶の間の話題にされることもよくある話だ。
警察官になれば、外周道路へ赴くのも日課になるのかもしれない。そんなアテの無い憶測を立てながら、青木は冷蔵庫からヨーグルトを取り出す。
「次のニュースです。あのプロ戦車道選手と、今をときめく俳優が電撃結婚をしたとの
発表があり――」
ふーん。
ヨーグルトを味わいながらも、なんとなく「プロ戦車道選手」という単語に反応する。
いつかは、まほもプロの戦車道選手になるのだろう。高い高い星として君臨するまほのお眼鏡に敵う男とは、どういう奴なのか。やっぱり、今をときめく俳優とかなのだろうか。
少し不安に思ったが、有名人は有名人としか釣り合わないというワケでもなく、一般人とも婚約することがある。そもそも、身分の格差あっての恋愛なんて何度も聞いた。
やっぱり、恋は怪物だ。最高だ。
迷いは無い。自分は必ず、まほに認めてもらう。ときめかれる男になってみせる。
その為に、今日はまほの心を満たす。頑張る人には報いを、それが世の常だ。
――九時半になる。長かった、ここまで来るのに多少の勉学に勤しむ程、長かった。
人生で一番、時計の針を何度も確認したと思う。そのたびに数分程度の経過に脱力し、勉強に
するかテレビを見るか仮眠をとるかで、身寄りのない選択をしていたものだ。
さて、そろそろ出るか。
部屋にいては、何がしかのきっかけで眠ってしまうかもしれない。ならば公園の
ベンチに座って、男憧れの「いまきたところ」を実践すべきだ。
靴をはき、部屋から出て、鍵をがちんと締める。最新装備を担いだ気分で公園へ進軍し、わずか三十分後の光景のことを好き勝手に想像する。
多少急ぎ足で公園へ向かい、ベンチに座っていたまほに軽く会釈しながら隣に座り、
「あ」
「あ」
――――
黒森峰学園艦は、一言で言ってしまえば「凄く生真面目」な土地である。
だから日ごろの行いを正そうとするし、出来ることがあれば可能な限り実践する。それは仕事にしかり、部活にしかり、勉強にしかり。
邪悪に堕ちることを恥と覚えるから、黒森峰学園艦の治安は良い。だからこそ監視の目というものは常に平等に、冷徹に行われなければいけないから、警察官という職業は人気コースであり、
狭き門でもある。
じゃあ黒森峰学園艦に自由や娯楽は少ないのか、と言われればまるきり逆だ。良くも悪くも
妥協せず、「ウチの学園艦は他の学園艦より素晴らしい」」という熱意がある。
一通りの娯楽施設は揃っているし、どいつもこいつも「これぐらいの品揃えはウチぐらいの
ものだ」とか「俺のカレーは学園艦一の評判なんだぞ」とか、とにかく互いに負けん気を
発揮しているから、娯楽関係も知らず知らずのうちに強化されている。
その充実っぷりのお陰で、他校生が黒森峰学園艦へ遊びに来ることも珍しくはない。その分だけ金を落としてくれるし、国際的にも「治安が良い、スペシャルな学園艦だ」と評価されて
いるので、めきめきと学園艦の規模が大きくなっている。恐らく、日本が所持する学園艦の中ではトップの部類に入るだろう。
生真面目ということは、つまり「よく疲れる」。それ故に、アミューズメント施設は今日も顧客に求められるがまま火を噴いているわけだ。
「……久々に来ました」
「僕は……あ、二週間前に来たか」
前にも後ろにも高層ビルが立ち並び、定期的な距離に信号機が所狭しと並んでいる。
学園近くとは違い、両手を広げて走っても誰も文句を言わなさそうなくらい、都会は広い。
まほがちらりと青木を見つめる。そこに無表情はない、これから楽しいことがあるんだろうなと微笑している。
「さて、この時間帯ですが……最初に行くところは決めています」
「あ、そうなんですか? 私もなんですよ」
ほうほうそうなのかと、青木は二度頷く。
勿論、優先権はまほ持ちだ。
「青木さんは、その、何処に?」
「ああ、僕は――」
デート初心者の強い味方にして定番の、
「映画館へ行こうと思いまして。今やってる恋愛映画を見てみようかなと」
「あ、そうなんですか?」
そこで、まほが照れているような、楽しそうな顔。
「実は、私もそこへ行こうと思っていました。見るのもたぶん同じです」
気を遣ってくれているのか、或いは考えることは同じだったのか。
とりあえず推測は谷底へ突き落とし、頭の中を共感と歓喜で大爆発させておく。
「ああ、良かった。行きましょう、ぜひ」
「はい。――なんだか嬉しいです、こういうのを気が合う、っていうんでしょうか?」
「はい」
断言するように頷く。
「そうですか」
信号機が青になり、車が一斉に動き出す。カップルであろう男女が「どこいくー?」とプランを練っている。風船を持った子供が、母と父に手を繋がれている。
「……良かった」
まほが、安堵したように胸に手を置いた。
この日は、けして忘れないと思う。
――――
黒森峰学園艦の有名映画館は四つ程存在し、検索をかけてみると「古き良き映画館」「大衆
向け」「あらゆる映画ファン向け」「字幕のみマニアック映画充実」と、それぞれが
こう評されている。
青木は映画事情には詳しくはないので、「今話題の映画」「デート」と分割ワードで検索を
かけた結果、「誰も傷つけない恋愛戦車映画」が引っかかった。
もちろんこれを一発採用し、勿論大衆向けの映画館をセレクトする。まほは戦車道をたしなんでいるから、きっと馴染むはずだ――という、希望と憶測を胸に秘めて。
「映画館……久々に来たなぁ」
その結果である。まほも同じ映画を選び、同じ映画館を選択した。幸先が良い。
見るも珍しいのか、まほがきょろきょろと映画館を楽しそうに眺めている。
映画館といったら程ほどのスペースかと思ったが、この映画館のホールは教室よりも数倍広い。高い天井に設置された、多少暗い照明が良い味をかもし出していて、販売されている食事もメニューが豊富だ。その中での人気商品はLLサイズノンアルコールビール。
最近は販売機も設けたらしく、若い人は販売機のスクリーンにタッチして映画のチケットを購入している。
休日ということで、人の出入りも賑やかだ。上映時間までに二十分ほどかかるが、あらかじめ並んでおかないと出遅れてしまうかもしれない。
まずは映画のチケットを買おうということで、販売機コースに青木とまほは並ぶ。
「結構並んでいますね……」
「今見ようとしている映画が、人気らしいんですよ」
「戦車で恋愛――ですよね。何度かCMを見ましたが、だれも傷つかないというのがウリらしい
ですね」
まほ向けだと思ったし、個人的に興味もある。
そして男の子的に、でかいスクリーンで映画を見る、というワクワク感もあるといえばある。
「どんな映画になるんでしょうね、僕にはわかりません」
「どうなんでしょうね……」
話が途切れる。
これが赤井相手なら全く為にならない話で時間を潰すのだが、まほ相手にそれは絶対厳禁だ。
何かないかと、狙撃手のような目つきで周囲を眺め、
「あ、」
あった。
ばかか自分は。
「西住さん」
「あ、なんですか?」
「あ、あの、その……私服、凄く可愛いです。ボーイッシュで、髪型とあっているっていうか」
結構、踏み込んだ評価だと思う。
まほの第一印象は「男らしい綺麗な女性」であるから、デニムにカジュアルジャケットはこれ以上無い程似合っている。しかも「私服」という相乗効果もあって、「すげえ可愛い」というのが
青木の総括だった。
「あ、ありがとうございますっ。えっと、急いで買ったばかりのもので、似合うかどうかは……」
青木は聞き逃さない。急いで買ってきたということは、まほはこのデートを強く意識しているということになる。
「そ、そんな、似合ってます、似合ってますよ。流石西住さん、ファッションセンス抜群です」
「い、いえ、そんな。雑誌を読んだお陰でして……」
「何を選ぶかどうかは自分次第です。ですから、西住さんは自信を持って良いですよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
多少暗い映画館だったが、まほが照れているのがよく分かる。目先は斜め下。
青木も恥ずかしくなって、顎に手を触れる。
「ということは……何だかすみません、お金を使わせてしまって」
「いえっ、いいんです。私も遊びに行きたいと思っていましたし、久々に私服を買うのは
楽しかったですから」
あなたは悪くない。そう言うたげに、まほはにこりと笑っている。
「そうですか、それは良かった――あ、映画館の料金は僕が支払いますね」
「いえ、私の分は私が支払いますから」
「そんなそんな、こういうのは、」
「ダメです、気が済みません」
まほが、むっとした表情になる。青木は「す、すみません」と弱弱しく頭を下げた。
「あ、ごめんなさい。怒ったつもりでは、」
「ああいえ、こちらこそ大袈裟なリアクションとっちゃって。え、ええと、その……」
気まずい。女の子との会話なんててんでしたことがないものだから、どうしても空回り
してしまう。
まほも必死になって言葉を探しているのか、どうしようと視線を逸らしている。
何か無いかと、ここ一か月で二番目に(一番は謝罪の手紙を書いた時だ)脳ミソを絞り出そうとして、
「そ、そういえば、」
先に言葉を投げかけたのは、まほだった。
「は、はい」
「え、えと……私の髪型と、服、合っているって言ってくれましたよね。そ、そうなんですか?」
言った。
そうなのだ。
「はい。西住さんの髪型って綺麗な短髪じゃないですか。だから綺麗めの服――も似合うと思いますけど、こういうカジュアル的な服装が一番だと思いまして」
まるで虚を突かれたように、まほの口は丸に開いている。
「髪型と服が凄く合っていて、なんというのか、モデルのように綺麗って感じなんです。ごめんなさい、語彙が少なくて……」
まほは、二度ほどまばたきをしたと思う。
自分の言葉が、全て頭の中に入っていったと思う。
「……ありがとうございます」
まほの口元が、緩んでいた。
「初めてなんです。髪型、褒められたのって」
世界を愛しているかのような笑みが、青木の両目に映っている。まほの瞳が、青木の姿を照らしている。
思う。
言うべきことは、やはり口にすべきだと。
「……そうですか。じゃあ、これから先、もっと西住さんのいいところを見つけます」
「ありがとうございます。すごく、嬉しいです」
今日のことは、絶対に忘れないだろう。
叫びたくなる衝動を抑えながら、あくまで冷静にまほを見据えるのだ。
「あのー」
後ろから声をかけられる。振り向いてみれば、カップルらしい男女が不満げな表情で青木と
まほを眺めている。
「販売機、空いていますけど」
青木とまほが「すみませんすみません」と謝罪しながら、ダッシュで販売機に駆け寄る。
いつの間にか先頭に突っ立っていたらしい。
恥をかいたせいか、青木もまほも「やっちゃった……」な感じで販売機の前に突っ立ち、
なるだけ急いで映画のチケットを買うようにする。勿論隣同士だ。
色々あったが、実のところ何も始まってはいない。どうなってしまうのか不安で
しょうがなかったが、それがまた心地良い。
―――――
映画が始まって数分が経過するが、流石話題作というだけあってとても恋愛している。
普通のサラリーマンである男が主人公なのだが、ヒロインは身分の高い女性で、とてもでないが釣り合っていない人間関係だ。しかし恋とは押しかけ上手であり、否応なく二人を
結び付けようとする。
厳格なヒロインの父は、当然のように主人公とヒロインの恋愛を許しはしない。しかし主人公とヒロインは愛し愛される運命にあり、夜中にこっそり二人きりで出会っては、お嬢様ヒロインの
知らなかった世界へ誘っていく。
この映画を見ている間、青木は探るようにまほの横顔を眺めていた。時には熱心そうに前のめりになったり、ヒロインの父の妨害があるたびに心底イヤそうな顔をする。主人公とヒロインが
遊びに出かけるたびに、見守るように微笑する。
よかったよかったと、青木は安心する。
そうして一時間半ぐらいが経過した後、CMでもピックアップされていた、草原で
手を取り合うダンスシーンが映し出された。
満月に照らされながら、主人公とヒロインは踊りたいように、しかし相手に合わせるように足を、手を、体を動かしていく。
綺麗だ、と思った。
自分もしてみたい、と羨んだ。
気づかれないようにまほに視線を向ける。
まほが、この場面を欲しがっているかのような、寂しそうな表情を浮かべていた。
嬉しいようでそうではない、悲しいようで違う。ああなる人生を望んでいるような、お姫様に
なりたいと願っているような、普通の女の子の横顔が、青木から離れない。
――言うべきことは口にするものだ。やるべきことも、しなければならない。
だから、青木は手すりに委ねられていたまほの手を、そっと握った。
まほは、拒絶しなかった。
そうして、映画はクライマックスを迎える。逢引がバレて、ヒロインの父の手により、ヒロインが旅客機で海外まで飛ばされそうになるという展開だ。
普通に車を走らせたのでは、空港まで間に合わない。最短ルートは悪路だの岩だのが
邪魔をして、普通の交通手段は使えない。
だから、悪路だの岩だのを踏み越えられる、普通じゃない交通手段を使う。
戦車だ。
戦車は、男が乗るには恥ずかしい乗り物だ。武は己が身で通すのが、この世界に浸透した
礼儀だ。
だが、今に求められているのは武ではなく愛だ。諦めの愛ほど傷つくものはない。だから男は、女友達から戦車を借り受け――女友達はフクザツそうな顔をしていたが――悪路を突っ切って岩を主砲でぶっ飛ばす。しかし戦車にもダメージが通っていき、間に合わなさそう――いや、間に
合わせた。
崖の上から戦車が飛び、空港のど真ん中にまで突っ切る。無理をしすぎて戦車から
煙が出た、後はお前次第だとばかりに。
後は――男は好きだ大好きだと告白し、邪魔者がいれば戦車でぶっ飛ばしてやるとまで
宣言する。
ヒロインも飛行機から降りて、主人公の元へ駆けつける。ヒロインの父から電話がかかって
くるが、主人公が「俺と勝負しろ!」と怒鳴れば「は、はい……」と電話越しから
退散するのだった。
あとはその場で抱き合い、二人の幸せを予感させながらハッピーエンド。
面白かった。
まほの方を見てみる。いいものを見たと、まほは小さく、しかし心から微笑していた。
放映が終了し、暗かった照明が明るくなる。魔法の時間は終わった。
さて、出るか――青木が立ち上がろうとした時、何か違和感があるなと自分の左手に目をやり、
さっきから、青木とまほの手が握りっぱなしであることに気づいた。
瞬間的にまほが真っ赤になり、小さい声で「ごめんなさいごめんなさいっ」と謝罪する。青木も「ああいえ僕が悪いんですごめんなさいごめんなさい」と謝り返す。