黒森峰学園艦で躍りましょう   作:まなぶおじさん

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差出人青木 西住まほ様宛て

『今晩は、帰宅早々お手紙を送ってみました。先日は本当にお疲れ様です、西住様は言うべきことを全て言ったと思います。

後は、全国大会でみほ様と会い、謝罪すればすべてが解決すると思います。

お母様も、きっと分かってくださるはずです。もしものことがあれば、僕が全力で守ります――そんな機会が無い方が良いですけどね。

この手紙が届く頃は、継続高校と試合をしているのでしょうか。勝利出来るよう、心から応援します。録画もしておきますね。

これからも無理をしないように、自分が決めた正しい道を歩んでいってください』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『今晩は。久しぶりのお手紙、嬉しく思います。

この前の件ですが、青木様がいなければ何もかも実行出来なかったと思います。前まで一人で生きてきた気がしますが、今となっては無理ですね。

青木様はもちろん、最近は逸見エリカともうまくやっています。新しいペン回しの技、見せてあげたいです。

――全国大会ですが、継続高校はとても強く、練度の高さが伝わってきましたが、何とか勝利しました。

……試合、録画してくださったのですね。まだまだ未熟故に、恥ずかしいです。

次に戦うは聖グロリアーナ女学院ですが、指揮官であるダージリンは状況把握の達人です。無傷で勝てるとは思えません。

私たち黒森峰戦車隊も全力を出します。どうか、応援してくださると嬉しいです』

 

差出人青木 西住まほ様宛て

『今晩は。聖グロリアーナ女学院との戦いは、とても厳しいものになると思います。様々なサイトを見て回りましたが、聖グロリアーナ女学院は高く評価されているみたいです。

ですが、西住様なら必ず勝てると信じています。どうか頑張ってください。

……サイトといえば、大洗女子学園が条件付きで廃艦になってしまうとの情報を見聞きしました。

これを覆すには、全国大会で優勝する事。この現状を打破する為に、大洗は二十年ぶりに全国大会へ出場したのですね。

そして、大洗女子学園はアンツィオ高校に続き、強豪プラウダ高校を破りました。次に黒森峰女学園が勝利すれば、大洗女子学園、つまりはみほ様と戦うことになるのでしょう。

ですが、僕は誓って言います。本気で戦うことこそみほ様の為になると、そして西住様にとって納得がいくと、僕は強く信じます。

他人事だからこそ、こんなことが書けるのかもしれません。ですが西住様は真面目です、悪いズルはできないでしょう。

あなたの選択を、心から支えます。あなたは常に、正しく生きてきたことを知っています。

長文、失礼しました。

 

PS.最近は西住様の前進を見習い、トレーニングジムに通うことにしました』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『今晩は。全国大会に向けての練習、そして試合が終わるたびに、あなたの手紙を心待ちにしています。

やはり、支えてくれる人が居る、という事実は嬉しいものがありますね。文章からも、お気遣いが見てとれます。

大洗の件ですが、私は全力でみほと戦うつもりです。安らぎあれど妥協無し、それが戦車道における礼儀だと考えています。

もし大洗女子学園が廃艦となり、再び黒森峰の世界へみほが戻ってきてしまったら、私はみほを全力で支えます。

それが、私のやるべきことだと考えています。

明日は聖グロリアーナ女学院との試合です。この手紙が届く頃には、きっと試合は終了しているでしょう。

あなたが嬉しく手紙を書けるように、私たちは全力で戦います。

 

トレーニングジムへ通うことにしたのですね。今度青木様を見た時は、圧倒されてしまうかもしれません。

警察官になれるよう、心から応援します。どうか、この黒森峰学園艦を守ってください』

 

 

差出人青木 まほ様宛て

『今晩は。聖グロリアーナ女学院との試合に勝利したこと、心よりお祝い申し上げます。

試合当日は一日中緊張してしまったのですが、黒森峰女学園が勝利したと知った瞬間、僕と赤井は大袈裟に喜んでしまいました。

後になって録画した試合を見たのですが、聖グロリアーナ女学院はとても強く、臨機応変さに優れていたと思います。

しかし、黒森峰は本当に強い。勇気と決断力が、聖グロリアーナの聡明さに勝ったのだと思います。

知識不足なので、見たままの感想になってしまいますが……。

あとは、みほ様と戦うだけになりましたね。

後はもう何も言いません、勝ってください』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『今晩は。この手紙が届く頃には、明日で全てが終わっていると思います。

西住流にしても、家族のことにしても、何だか長かったようで、あっという間です。

改めて言わせていただきます。あなたがいなければ、私はやるべきことを思いつけなかったでしょう。お母様に、反抗することも不可能でした。

手紙を見直していますが、あなたは最初から、私を一人の人間として見つめてくれていました。

その事実が、その想いの強さが、私という人間を変えてくれたのです。あなたは私の全てを守ってくれたのです。

あなたには、感謝しきれません。なんとお礼を書いていいのか、見当もつきません。ですので、私なりの言葉でお礼を申し上げます。

あなたのことは、私の信じる西住流と同じくらいに、大切に思っています。

これからもどうか、こうしてお手紙を通じて交流していただきたいです。時々、一緒に町へ出かけましょう。

長文、失礼しました。感情のままに書いてしまったので、文章が成り立っていないかもしれません。

どうか、決勝戦で勝てるように、応援してください。

 

PS.次に会う時は、呼び捨てで呼び合いませんか? ご迷惑でなければ……』

 

――――

 

 大洗女子学園との選手宣誓が終了するが、半分は頭に入っていない。

 逸見エリカの目の前には、他でもない西住みほが居る。黒森峰女学園に負ければ、黒森峰の世界へ戻ってくるはずのみほが。

 謝りたい。

 それはあるのだが、エリカの人生と言えば謝罪されることばかりで、した事実はほぼない。練習中ではまほに謝罪する回数は多いが、決して罪悪感が沸いてのものではない。

 大真面目に後悔しているからこそ、エリカはみほを前にして歯を食いしばっている。既に嫌悪などしていないのに、むしろ自分が愚かだったと自覚しているのに。

 みほが戦車へ乗り込む為に、背を向ける。

 意気地なしだった、セミの鳴き声がはっきりと聞こえてくる。自己嫌悪した、両チームの真剣なやりとりが耳に入る。

 泣きそうになったが、持ち前の気の強さで何とかしてしまった。こんな時くらいは弱くてもいいのに、脆くなって謝りたくなればいいのに。

 

「西住さん!」

 

 その時、後ろから声が聞こえた。

 エリカを通り過ぎるは、同じチームメイトの赤星小梅だった。

 ――確か、水没事故の、

「西住さん……あの時は、助けてくれて本当にありがとう! あと……ごめんなさい! 西住さんが責められていたのに、わたし……」

 そして、エリカは目にする、耳にする。

 

「ありがとう、赤星さん! ……ううん、謝る必要なんかないよ。私も、赤星さんを守ってあげられなくて、ごめんなさい!」

 

 お互いに頭を下げ終えた後、みほが、赤星が、心の底から笑っていた。

 

 瞬間、エリカの本音をせき止めていた紐が、ぶっつりと切れた。

 世界がこんなにも優しいなんて、まるで知らなかった。強くあれとばかり考えていたから、勝手に厳しいと思い込んでいた。

 今なら断言出来る。過ちを犯してしまったのなら、謝れば良いのだと。泣きそうな気持ちのまま、謝罪するべきなのだと。

 それを教えてくれたのは赤星小梅であり、西住みほであり、「謝れば大丈夫」と電話で後押ししてくれた赤井だ。

 エリカはぐっと口元を引き締め、赤星の隣へ歩む。

「あ……逸見さん……?」

「みほさん」

 怯えた表情になるみほを見て、エリカは「こんな顔ばかり他人に向けていたのか」と後悔する。

 これじゃあ次期隊長失格だ。必要なのは恐怖ではなく、尊敬だというのに。

「すみません。少し、話を聞いてください」

「は、はい」

 だから、堂々と隊長と名乗れるように、

「戦車喫茶で、悪態をついてしまったこと」

 みんなから、尊敬される為に、

「あなたが赤星さんを助けた時、あなたを責めてしまったこと」

 心から謝る。

「――」

 力を貸してください、赤井先輩。

 

「ごめんなさいッ! 本当に、本当にすみませんでしたッ!」

 

 大声が会場に響く。大洗、そして黒森峰のチームメイトの耳に通り、すべての言葉が灰になる。

 エリカは大きく頭を下げ、軍帽がぽろっと地面へ落ちる。

 ひどくでかい声だったと思う。何でこんなに叫んじゃったんだろうと思う。自分が間違っていたと認められて、本当に良かったと思う。

「逸見、さん……」

 目頭が熱くなる、涙は流れない。

 もう拒絶されても受け入れられる、決して後悔はしない。食いしばりすぎて歯が嫌い、顔が震えている。

「……エリカさん」

 返事ができない。

「顔を、あげて」

 みほの言葉通りに動くのに、何秒かかっただろう。もしかしたら数分かもしれない、それほどまでにみほの顔を見るのが恐ろしかった。

 そして、

「こっちこそ、本当にごめんなさい。エリカさんとは良いチームメイトだったのに、私は大洗に転校してしまって」

 みほが、深く頭を下げる。エリカは、ぽかんとそれを眺めることしか出来ない。

「……こんなことを言うのは変かもしれないけれど……嬉しい、本当に嬉しい。ありがとう、エリカさんとまた仲直りしたい……」

 黒森峰では決して見せなかった笑顔が、エリカの為に向けられている。

 どうしていいのかわからなくて、何かしたくてたまらなくて、一緒に戦車道がしたくなって、

 

 エリカは、自分なりの笑みでみほに手を差し出した。

 みほは、みほらしい笑顔でエリカの手を握り返した。

 

 会場のあちこちから拍手が湧き出る。めちゃくちゃ恥ずかしいが、とてつもない喜びに満ちている。

 また会うために手を放し、お互いに小さく頭を下げる。決着をつける為に、軍帽をひょいと拾い上げ、赤星の肩を抱きながら愛車へ前進していく。

 黒森峰戦車隊のある隊員は半泣きだし、自分のことのようにはしゃいでいる奴もいれば、良かった良かったと頷いている者もいる。

 まほは、表情で「良かったな」と伝えるだけだ。

 エリカは小さく頷き、実家より見慣れた車体へ乗り込む。

「勝負よ、みほ副隊長」

 軍帽を被る。

 もう一度力を貸して、先輩。

 

――――

 

 赤井がノンアルコールビールを三本ほど持ち出し、青木の部屋へ乗り込んでくる。一緒に、黒森峰の決勝戦を見届ける為だ。

 勿論録画はしているが、今回ばかりは生で見届けなくてはいけない。何故なら、決勝戦だから。

 自分のことのように身構え、選手宣誓を見届けたところで――予想外が起こった。

 

 逸見エリカが、みほに大声で謝罪したのである。

 

 あまりにも目立つ場面だったから、思わず生放送に映りこんでしまったらしい。

 しかし赤井は、何も驚くことはなく「やったんだな……」と嬉しそうに笑っていた。

「赤井」

「何だ」

「やるじゃん」

「だろ」

 テレビの向こう側から、選手からの拍手喝采が滝のように流れる。現地で選手宣誓を眺めていた観客も、エリカの正しさを証明するように称賛を止めなかった。

 青木は景気づけにノンアルコールビールのプルタブを開け、飲む。

 後は――決着をつけるだけだ。

 

――――

 

 試合が経過して数分が経過するが、確かに黒森峰女学園は強い。その攻めっぷりは否応無く威圧感が伝わってくるし、ああ動かれたからああ動く、という基本動作を本能レベルで行う。

 操縦が難しいはずの戦車を手足のように動かし、隙あらば主砲をお見舞いする。

 これぞまさに黒森峰の世界であり、味方一両がやられても振り向きはしない。

 だが、黒森峰が「徹底的に強い」のであれば、大洗は「何でも試すから強い」傾向に青木は気づく。

 

 大洗の戦車は黒森峰の戦車と比べ、性能に差が開いているらしい。だからアリクイ(らしい)の戦車は、車体角度をなめるように調整することでダメージをコントロールし、絶対に生き延びようとする。

 アヒルの戦車は煙幕弾をばらまいて気を散らせ、主砲や機銃でクチバシのように敵戦車をつつき、徹底的に煽る。

 カモの戦車は目が複数ついているかのように、絶対に被弾しない。直撃しない。水面に浮いているかのように戦車が鮮やかに移動し、囮と化している。

 カバの戦車はとにかく獰猛に体当たりをぶちかまし、動揺した黒森峰の戦車が何かをする前に、他の戦車が叩く。これで黒森峰の戦車が二両ほど持っていかれた。

「また主砲が……!」

 赤井が嘆く。ウサギの戦車が、奇跡なのか偶然なのか必然なのかの腕前で、黒森峰自慢の主砲や機銃を次々と潰していく。武器の損失は極めて痛い。

 無茶はせず、ウサギの戦車は俊敏に消えていく。

 そして亀の戦車は、とにかく「戦車以外」のものを破壊する。粉砕された建造物や壁からは、当然ながら凄まじい粉塵がなだれ込み、視界を奪われたところで他の大洗の戦車が白旗を刺しにいく。

 また黒森峰の戦車が減り、赤井が舌打ちする。青木がノンアルコールビールを飲む。

 そして、ライオンの戦車は上り坂から猛スピードで「空を飛び」、黒森峰の戦車一両を踏み潰す。

 ――そして、これら個性的なチームに対し、適切に指示を下しているのが、アンコウの戦車、西住みほが搭乗するフラッグ車だ。

 やばい、

 強い、

 楽しい。

 黒森峰は強く、大洗は楽しい。これは対処法の基本を知っている黒森峰だからこそ、余計に相性が悪い。絶対に「物理的に可能だからやってみよう」の精神で動いているであろう大洗の戦法に、黒森峰は足をすくわれている。

「やべえぞ青木、強いぞ大洗」

 赤井は、実に楽しそうな表情で大洗へくぎ付けとなっている。

 実際、ライオンの戦車が飛翔した際は、青木と赤井は「マジかよ!」と喜んだものだ。

 ただ、結構無茶な行動だったらしく、ライオンの戦車の動きが鈍くなり、すとんと停止してしまったが。

 

 それでも、黒森峰の戦力は物理的に多い。だから大洗はフラッグ車でフラッグ車を誘い、出入り口が一つしかない狭所へ誘い込む。

 ――あえて、乗ったのだと青木は察した。

 西住の血が騒いだ。それだけで理屈は事足りる。

 後追いするように、まほが出入り口へ突っ込む。フラッグ車を大破せんと、大洗の生き残りの戦車が雲霞のように押し寄せてくる。

 まずい。

 大洗の存続を背負った大洗の戦車達は、絶対に勝つと、何をされても食らいついてやると、履帯をフル稼働させている。

 これが戦車道、これが大洗女子学園、これが全国大会。

 青木は言葉を発することが出来ない。もうだめかと表情を歪ませ、

 

 エリカが搭乗している戦車が、別方向から唯一の出入り口めがけ突っ込んできた。

 

 赤井がのめり込む。

 決して小さくはないエリカの戦車は、戦車一両ほど通るのがギリギリの出入り口を、壁のように塞いだのだ。

 瞬間、機銃と主砲を容赦無くぶち込まれ、エリカの戦車が好き放題に爆発、穴だらけになる。

 さしものの黒森峰の戦車も一瞬で白旗が上がった――戦車を完全に移動させるには、時間がかかるのだが。

「エリカさん……」

 赤井が、心配するような、感嘆しているような声を漏らす。

 すごい、凄いわ戦車道って。

 

 まほの戦車が、みほの戦車の真正面へたどり着く。

 対峙。

 何を思っているのだろう、何を考えているのだろう。二人の間には、意志が成立しているに違いない。

 ――そして、両者とも動いた。相手の動きを読み、読まれることも読み、最善を尽くした動きでまほとみほは火力をぶつけあっている。

 怯まない。そして、勝つことしか考えていない。

 どういう意図で動作しているのかも分からないまま、青木はまほとみほの勝負を見守っている。強く手を合わせる、願望を吐き出す。

 頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む――――ッ

 

 いつの間にか、

 みほの戦車が、

 急旋回して、

 

「黒森峰女学園、フラッグ車、大破! 大洗女子学園の優勝ですッ!!」

 

 沈黙、

 

 静寂、

 

 間。

 

 テレビを壊さんとばかりの歓声が、全世界に広がった。

 大洗側の人間は手を上げたり、叫んだり、跳ねたりして喜びを表現し、黒森峰側の人間は、ただ黙って現実を受け止める。中には泣いている者もいた。

 まほとみほは、戦車に乗ったままで見つめあっている――誰もこの結果に異議など唱えてはいない。

 全て、終わった。

 全部、見届けた。

 青木と赤井は、まるで安堵したようにノンアルコールビールを飲み干し、黙ってテレビを見つめている。

「……なあ」

 先に口を開けたのは、青木だった。

「何だ」

「……逸見さん、凄く格好良かった」

 赤井は、同意するように「ああ」と言い、

「西住さん、最高だったよな」

 青木が「うん」と言う。

 ひどく単純な、しかしこれ以上ない本音。

 拍手が途絶えない全国大会の生中継をじいっと眺める。息を吐く。

 もう、見る必要は無い。あとは、まほが正しい行為を成せるよう、祈るだけだ。

「……青木」

「何」

「カレー、食いに行かね?」

 頷く。

「ああ、いいね」

 

―――――

 

「みほ」

 みほが振り向く。みほは勿論、大洗の生徒は浮かれに浮かれているが、撤収作業はキチンとこなしている。

 今、まほとエリカが突っ立っている場所は大洗の「陣地」であるから、皆が皆物珍しそうにまほを眺めていた。

「……凄かったな。まったく、昔みたいに後を追うみほはいなくなってしまったか」

「そ、そんな」

 みほが照れながらうつむく。感情豊かなものだから、裏読みしなくても良いのがみほの魅力だろう。

 エリカも感情が顔に出やすいタイプだが、みほのように思い切り笑ったり、苦しさを表に出すことは出来ない。何だかんだ、力押しな気性とはこれからも付き合っていくことになるだろう。

「みほ、優勝おめでとう。私の完敗だ」

「ううん、私も凄く苦戦した。お姉ちゃんは、やっぱり強いよ」

 夕暮れに相応しい称賛の応酬は、見ていてとても気持ちが良い。やるべきことをやったのなら尚更だ。

 全国大会も終わったのだし、今夜は青木と電話で長話しようと思う。今度、デートにでも誘ってみるか。

「そうか。今度は、必ず勝つ」

 くすりとまほが微笑み、みほが「負けないから」と笑顔で返す。

 ――そして、まほの口元が引き締まる。ここからが本題だと、言わなければ後悔すると、苦しそうな無表情になって。

 エリカは、一歩下がる。今だけはまほの力だけで、まほの誠意だけで乗り切らなければならない瞬間だ。

「……みほ」

「何? どうしたの? お姉ちゃん」

「……エリカも言っていたが、あの時、戦車喫茶でお前に会った時、私はひどく嫉妬していた。どうして私じゃないのかと、どうして友人達なのかと」

 みほの後ろにいた友人達が、動揺するようにまほを凝視している。

「けれど、気付いたんだ。お前は優しい子だから、黒森峰女学園での戦車道は向いていなかったんだなと。友達がいなければ、戦車道なんかできないと。――今更気づいたんだ。妹のことは全て知っていると思って……これじゃあ、いけないな」

 左右に、小さく首を振るう。

「あの時もそうだ。私は、西住流を尊重するがあまり、みほが赤星の命を救ったという勇敢な行為を見過ごしてしまった。――かっこ良かった、私の妹なんかにはもったいないと思った」

 みほは、小さく口を開けたままでそれきりだ。

 大洗の生徒がまほの言葉を見届け、友人達がまほとみほから目を離さない。

「黒森峰にいた頃は、お前はあまり笑わなかったよな。それなのに、私ときたら西住流こそがみほの為になると、栄光へ繋がると思って……」

 エリカは何も言わない。ただ聞くだけだ。まほが妹に対して、当たり前のことを成すまで眺めるのみだ。

「……でも、みほは『向いていなかった』。それを認めるのに、私とお母様も時間がかかってしまった」

 そして、

 

「ごめんなさい……ッ!!」

 

 今まで聞いたことのない、まほの擦り切れそうな声が夏の空に木霊する。

 誰も何も言うことが出来ない、気休めの言葉など吐き出せるはずがない。今のまほに言葉を投げかけられるのは、同じ血が繋がった人間だけだ。

 みほが何を言おうとも、決してそれは覆されない。それだけみほの孤独は長く、苦痛で、耐え難かった。

「……お姉ちゃん」

 頭を下げたまま、まほは決して動かない。軍帽が落ちているが、既にまほの世界にとってはどうでもいいものだった。

「お姉ちゃん、顔を上げて」

 黙ったままだった。

 まほは生真面目で、妥協などせず、強くあろうとする人物だ。だからこそ人一倍過ちを恥じるだろうし、罪悪感も進んで背負うだろう。

 ――ましてや、「愛する」西住みほを傷つけてしまったとなれば。

「お姉ちゃん」

 顔を上げない。

「お姉ちゃんッ!」

 はっと、まほがみほに視線を合わせる。

 みほが試合中に見せる、強い表情は――普通の女の子らしい、半泣きへ変わっていく。

「……許すよ……ぜんぶ許すから、そんな風におびえないで。いつもの、尊敬できるお姉ちゃんへ戻って」

「……みほ……」

「私も、黒森峰から逃げておいて、大洗の味方をして……本当にごめんなさい」

「――いや、お前は大洗のような、好きに出来る場所の方が強くなれる。試合で、それを学ばせてもらった」

 エリカが、一歩前に歩む。まほの横顔は、

「だから、みほは大洗で楽しく生き抜いて欲しい。なに、西住流は私に任せておけ」

「え、でも」

「いいんだ。私はもう一人じゃない、大切な人が支えてくれているからな」

 黒森峰では決して見られない、子供のような笑顔だった。

「……お姉ちゃん……」

「信じる道を歩め、自分を偽るな。くじけそうになったら、いつでも頼れ」

 みほの手を、大切そうにぎゅっと握りしめる。

 ――それで、すべてを実感したのだろう。みほは、「いつものように」笑って、

「うん! ありがとう! お姉ちゃん、大好きッ!」

 みほの言葉とともに、周囲にいた大洗の生徒達が好き勝手に歓喜する。中には、戦国時代のような旗を振るっている者までいた。

 エリカも、この勢いだらけの雰囲気に飲まれてしまい、大人ぶってうんうんと頷くのだった。

「……あ、あれ? 今、姉妹的に凄く重要なことを言ったような、」

 つい流されそうになったが、みほが首をかしげながら「ん?」な表情をする。エリカはとぼけるように目を逸らし、まほがいそいそと軍帽を拾う。

 友人達も「大切……な……?」とよろめくように口にし、

 

「いた――――ッ!!!」

 

 前振りもへったくれもない、暴風めいた絶叫が全部を吹っ飛ばした。

 敵襲かと皆が皆、視線を殺到させ、

 

 大洗の陣地めがけ、全速力でダッシュするスーツ姿の女性が居た。

 

「お、」

「お母様ッ!?」

 

―――――

 

 疲れた。

 もっと素直に言うと、めっちゃ疲れた。寝たい。

 昔は運動少女だった気もするが、偉くなってからは椅子に座ることが多くなった。思った以上に運動をする機会に恵まれず、改めて年を食ったと実感する。

 それでも、途中で大破せずにここまで来れたのは、人の親になれたからだろう。だから「自分は戦車だ。だから疲れなんか知らない」と思い込みながら、周囲の人間がガン見する間を潜り抜け、大洗女子学園が完全に撤収する前に、ここへ到着することが出来たのだ。

 ――本当は余裕をもってみほと会いたかったが、インタビューだの何だのが殺到して、随分と時間がかかってしまった。

 得るにしろ得たにしろ、名声とは面倒な生き物だと思う。

「はー、はー……まほ、ここに、いたのね……」

「お母様! しっかりしてください!」

「だ、大丈夫ですから。あ、はきそ」

 まほがめちゃくちゃ恥ずかしそうに顔を赤くし、みほが「大丈夫!? ねえッ!?」と大声で心配する。大洗の生徒達も、「あれ、西住流の師範さん?」「凄いアグレッシブねえ……」「西住流ってすごいね」と、実に耳に痛いコメントを残す。

「大丈夫、ですっ……お母さんは、戦車ですから」

「は?」

 まほが心底「何を言ってるんだろう」みたいな顔をする。

 先ほどまでの自分は戦車だったから、つい影響が残ってしまっていた。

「ごめんなさい、忘れてください――みほ、会えました、ね」

 みほは、警戒色をむき出しにしたまま「う、うん」と返事をする。かたや少女、かたやぜえはあと呼吸する大人の女性、血が繋がっていて良かったと思う。

「あ、う、うんっ! さ、さて」

 黒森峰戦車隊の次期隊長である逸見エリカが、「どうしよう……」な目つきでしほを眺めている。このままでは、まほにもダメージが入ってしまう。

 呼吸を無理やり整え、最低限話しかけられるまでに姿勢を整える。この状態で首の後ろを触られたら、間違いなく社会的に終わる。

「みほ……試合、見届けさせていただきました」

「あ、う、うん」

 「そんなヘロヘロのままでその話をするんだ」とばかりに、みほは眉をハの字にしながら母の話を聞いている。

「見事、でした。ですが、決して、西住流の戦い方ではありませんでした」

 西住流。

 この言葉を聞いて、脱力しかかっていたみほの表情が強張る。

「誰一人として欠けてはならないと、あえて退く者もいました。後ろに進みながら、戦っている者も見かけました」

 絶対的な沈黙が訪れる。

 呼吸困難で苦しんでいた時は随分と騒がしかったはずだが、師範から西住流の単語が浮かび上がった途端に、誰もが口を閉ざす。

 ――実感する。西住流とはやはり「そういうもの」らしい。一瞬にして、黒森峰戦車隊のような生真面目さが場を支配する。

「そして、戦車の差を覆すために、私の常識では考えられない戦い方をする者もいました」

 みほが、気まずそうに目をそらす。

 しほの両目が細くなる。

「……これらは、堂々、勇猛、直進ありきの、西住流のものではありません」

 すう、と息を置く。

「ですが、大洗の皆さんはやれるだけのことをやりました。戦車の差など恐れることなく、絶対に勝とうとする勢いを感じました。大洗は戦い方を変えられるだけの行動力があり、それが最善だと信じられる絆が、私には感じられました」

 大洗の生徒が、しほに注目している。みほが、見たことが無いものを直視しているような表情で、しほの言葉を受け止めている。

「これらはみほの指示と、大洗特有の力が重なった結果なのでしょう。……優勝、おめでとうございます」

 静かに、拍手をする。

 みほが、まほが、エリカが、生徒達が、どうしていいか分からず、静かに頷くだけ。

「みほ」

 そして、みほ「だけ」を見る。

 みほは、上官を相手取るように直立する。

 ――そんな風に見えるのか。自分は母親なのに、血が繋がっているのに。

 自分なんて所詮、困った時には常夫を頼って、どうしていいか泣きつくような母親なのに。

「……強く、なりましたね。それだけじゃない、もっと可愛くなってくれました」

 だから、笑おう。昔みたいに、自分の娘だからと人前で笑顔になろう。あの人が教えてくれたことだ。

 母親として当然の顔をしなければ、恐れられるのも当たり前だ。優しい娘に西住流という武を掲げては、距離を置かれるのは当然だ。

「黒森峰に居た時とは違って、大洗に居るあなたはとても自由に、そして心の底から勇敢に戦ってみせた。時には、他人を励ますために地元愛溢れる舞を披露した」

 それを聞き、周囲が「たはは」と苦笑する。みほも、「やめて……」とテレる。

「あんなに行動して、たくさん表情を変えるあなたを見て、私は、『大洗へ転校させて良かった』と実感しました――みほを支えてくださった皆様には、感謝しきれません」

 頭を下げる。大洗の生徒達が「いえいえそんな」と謙遜する。

「……みほ」

「はい」

 みほは無表情のままだ。

 これまでのしほの行動を考えてみれば、それも当たり前だ。

 だから、変わろう、変えよう。そうでなければ、絶対に生きてはいけない。

「あなたには、沢山の無理を言ってしまいましたね。誰かの命を救うという尊い行為すらも、西住流を建前に激怒してしまいました」

 今なら、前向きに認められる。

「私には、常夫さんという守ってくれる人がいます。だから西住流の師範として生きていけています――ですが、みほは孤独だった。親すらも恐怖の対象だった。想像するだけで、とてもつらいものだと、今の私には分かります」

 自分は、間違っていたと。

「気付くべき事実に気づけなかった自分が情けなくて、仕方がありません」

 常夫さん、力を貸して。

 

「……今まで、あなたに厳しいことばかり言ってしまって、本当に、本当にごめんなさい……」

 

 頭を下げる、そうしたくてたまらない。母親でありたいが為に、わが身可愛さでしほは頭を下げる。

 大の大人に頭を下げられて、みほは迷惑だと思っているだろう。近くに仲間がいるのに、何てことをするんだろう、と考えているだろう。

 ネガティブが頭から離れない。なまじ年を食ってしまったが為に、楽観的な妄想すらも思いつけない。しほにとってのリアリティとは厳しさであり、それが今、自分へ跳ね返ってきている。

 しかし、逃げない。言い訳もしない。まだ生きて十数年のみほに、伝統だの何だのを背負わせたのは自分なのだ。

 許して欲しい、けれど許さなくても良い。矛盾した甘えが生じる、しかし捨てきれない。

「……お母さん」

「……はい」

「さっきね、お姉ちゃんも謝ってくれたんだ。たくさんのことを」

 そうだったのか。

 しかし険悪そうには見えなかった。ということは、許したのか。なんて強い子なのだろう。

「それでね、今度はお母さんがこうして謝ってくれた。何だろう、今日ってそういう日なのかな」

 みほの顔は見えない。言葉からは、感情が読み取れない。

 それほどまでに、みほと離れ離れになっていたのだろう。

「やっぱり、戦車道って凄いと思う。こうして、心が通えるんだから」

 黙って聞く。

「お母さん、顔を上げて」

 恐る恐る、みほに視線を傾けていく。どんな顔をしているのだろう、許され、

 

「色々あって、本当にもう……どうしていいかわからないよ」

 

 みほが、笑顔のままで静かに涙を流していた。

 だから抱きしめた、それしか考えられなかった。

「みほ……今まで無理をさせてしまって、ごめんね」

「うん」

「相談に乗ってあげられなくて、ごめんね」

「うん」

「誰かの命を救うなんて、私にはできない。……すごい、かっこいい、みほはやっぱり凄い子ね」

「うん」

「そんな凄い子を、叱ってごめんね」

「うん」

「これからは、私もあなたの支えになれるように、頑張るからね」

「うん」

「西住流なんて、気にしなくていいからね。絶対にあなたを守るからね」

「うん」

「いつでも、戻ってきていいからね」

「うん」

「……ダメな母親で、ごめんね」

「ううん」

 みほが、しほを抱く。

 背中を撫でられ、しほは嗚咽した。

 

 これが、支えられる喜び――

 

――――

 

 しほが「お騒がせしました」と頭を下げ、大洗の生徒達は「いえ、本当に良かった……」と許してくれた。

 やはり、みほがいるべき場所はここだ。

「それでは、私はそろそろ帰ります。――まほ、みほ、元気でね」

「あ、うん……あ、待って!」

 しほが首を傾げる。みほが携帯を取り出し、

「記念撮影、したいな。今日のことは、絶対忘れたくないから」

 ああ、

 それは、いい提案だ。しほは笑顔で了承する。

「では、不肖、この秋山優花里が撮影役をやらさせていただきますッ!」

 あらかわいい。

 しほが頭を下げてお礼を言い、みほを中心にしほとまほが並び、

「エリカ、お前も来い」

「えっ? でも家族だけで……」

「お前も家族みたいなものだ」

 ぐいっと無理矢理引っ張られるが、エリカもまんざらではない表情で仲間入りする。

 それを機に周囲のテンションが上がったのだろう。大洗の生徒達が私も私もと集い、秋山という友人も「お、いいですねー!」と盛り上がっている。

「一枚目を撮影し終えたら、次は私が撮影します。秋山さんも仲間に入って」

「! 流石西住殿のお母様! 感謝感激です!」

 いえいえと、頭を横に振るう。

 これからもこの友情が続くように、愛情が止まらないように、ずっと願い続けよう。

 まほは厳しい道を辿るだろうが、青木君、という人物が支えてくれるはずだ。大丈夫、自分が出来たのだから自慢の娘に不可能なんてことはない。

 みほとまほの肩に、手を乗せる。ちらりとみほとまほが目を向け、くすりと笑った。

「みほ」

「はい」

 戦車道は、強制されるものではない。信じて行うものだから、戦車道は輝く。

「あなたの戦車道、私に見せてくださいね」

「……うん!」

 そして、秋山が携帯を構える。

「はい、ポーズッ!」

 

――――

 

 カレー屋で780円の30%増量サイズを食っていると、ポケットに入っていた携帯が振動する。

 メールか何かかと取り出してみれば、まほからだった。しかも画像が添付してある。赤井が横から「何だなんだ」と甘口を口にしながら、青木の携帯を横から眺めようとして、

「あ、すまね」

 横から、強い振動音が店内に響く。「おっ、エリカさんからだ」と興味津々にメールを覗き、

「……やったじゃん……まほ……」

 赤井も、「ああ……」と言葉を漏らす。

 

 みほの戦車を背景に、大洗の生徒達が、エリカが、まほとみほの肩に手を乗せたしほが、それぞれの笑顔で、一枚の世界で共存していた。


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