されど殺人者は魔法少女と踊る   作:お茶請け

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12話 激突

 「ヒルデ、ヒルド、ヒルヅ」

 

 私は笑っていた。

 楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。唯々私は笑っていた。

 意味は無かった。意味は無くても楽しかった。意味を求めることを知らず、私たちは笑った。

 妹達も笑っていた。親はいなくても、友達はたくさんいた。想いを共有できる仲間がいた。

 

 そして、心が通じ合う姉妹がいた。だから怖くなかった。純粋に笑い、生きることを喜んだ。

 

 ヒルデ、ヒルド、ヒルヅが笑うと一緒に私も笑う。

 理由など存在しない。そこにそんなものが入り込む余地がなかった。ただ妹たちが笑うと、私も笑った。楽しかった。嬉しかった。

 いつまでもこうして笑っていられればいいのにって、ヒルヅが頬を膨らませる。

 きっと笑っていられるよ、私たちは大丈夫だからって、ヒルドが顔を綻ばせる。

 もちろん、だって私たちは可愛いし頭も良いしねって、ヒルデが照れくさそうに笑う。

 

 私たちを愛してくれる人がいなくても、私たちが必要とされなくても、私たちは生きていける。

 私たちは私たちを愛するから。私たちは私たちを必要とするから。だから私たちは生きていける。

 

 「まぁ、長姉である私が一番可愛いくて完璧だけれどねっ!」

 

 そう笑うと、一斉に妹たちが顔を不満に染めた。口々に私へ向かって、否定の言葉を投げかける。

 まず一番に「ヒルダ姉さんは幽霊なんてありもしないものを怖がるじゃない。私が一番よ」とヒルデが胸を張る。

 次ぎにヒルドが「ヒルデは臆病で恐がりだよ。やっぱり一番は勇気がある私だね」と名乗りを上げる。

 それを見咎めたヒルヅが「ヒルドはちょっと感情的になりやすいわ。ここは常に冷静で頭も良い私が一番」と得意げに指を振る。

 

 最後には四人全員がやいのやいのとお互いのだめ出しを行う。

 ヒルデが不満げに鼻を鳴らし、ヒルドが唸り声を上げ、ヒルヅが小馬鹿にするように嘲笑う。

 私は……ちょっと涙目だった。一番お姉さんなのに。

 

 どれぐらい言い合いをしたのか解らない。

 でもやがて全員の種が尽きて、咽も段々としみるように痛くなってきた時。

 

 誰かが笑った。

 

 誰が笑ったのか解らない。でも誰かが吹き出すように小さな笑い声を溢した。

 すぐに誰が笑ったのか解らなくなった。だってヒルデもヒルドもヒルヅも、私も笑っていたから。そのまま私たちは声を出して笑う。

 誰が最初に笑ったのかなんてどうでもよかった。ただおかしくて、楽しくて、嬉しくて。私たちは知らず知らずのうちに笑っていた。

 

 私たちは姉妹。大切な妹たちは家族であり、親友であり、理解者であり、堅い絆で結ばれている。

 私は三人を愛している。三人も私を愛している。だから私たちはどんなに苦しくても、悲しくても、辛くても、絶対に負けない。

 どんな絶望が来たって、私たち姉妹全員が一緒に戦えば勝てる。どんな困難が訪れても、必ず乗り越えられる。

 

 「ヒルデ、ヒルド、ヒルヅ。いつかここから逃げだそう」

 

 私の言葉に三人が振り返った。

 全員が驚いていて、ちょっと間抜けっぽくて可笑しかった。だってみんな馬鹿みたいに口を開けて呆けていたんだもの。

 

 本気なのって、妹たちは声に出ない声で問いかけている。

 だから私は胸を張って応えるのだ、だって私たちだものって。

 

 「外にはたくさん楽しい事があるわ。私たちは可愛いし強いもの、心配ないって」

 

 私自身、ちょっと自信が無かった。

 でも気がついた、気がつかされたのだ。ここにいる限り、私たちは本当の幸せを得られない。いつまでもあいつらのお人形のままだ。

 私たちはお人形じゃない。お人形はただ振り回され、遊ばれ、飽きられていくだけ。そんなの可愛くて完璧な私たち姉妹には当てはまるはずがないもの。

 

 しばらく妹たちは黙っていた。

 お互いに視線をさ迷わせることはあっても、口を開く事は無かった。

 でもやがてヒルドが決心したように顔を上げた。ヒルドの瞳にはひかりがあった。

 

 うん、そうしよう。私たちならできると、ヒルドは歯を見せて微笑む。

 

 確かな自信と共に発せられた言葉は重かった。

 その言葉にヒルデとヒルヅも勇気づけられたのか、賛同する意志を表す。

 ヒルデは私がいないと華が無いわ、と頬をかく。ヒルヅは姉さんたちだけじゃ心配だもの、と髪をかきあげる。

 私は笑った。三人も笑った。

 

 私たちならきっとどこまでもいける。私たち姉妹は可愛くて完璧だもの。

 四人いればどんな壁だって乗り越えるどころか、破壊できちゃうぐらい強くて賢いんだから。

 

 私たちは心に強く決め、互いに抱き合った。

 私の、ヒルデの、ヒルドの、ヒルヅの心臓が発する静かな心音が融け合うような気がした。より強く抱き合う。

 温かくて、心地よくて。この時、私たちは一つになっていた。

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 廃棄都市にて発生する連続的な爆発。激しい爆音が立ち並ぶ建物の間を反響する。

 続いて十メートルを超える建物が轟音を立てて傾斜、崩壊していく。それに巻き込まれる形で大小の建造物が下敷きとなり、押しつぶされるように破壊。

 

 その間を縫うように飛び回る小さな影が二つ。

 

 「いつまでそうやって逃げるわけ?」

 

 走り抜けるヒルダに追随する形で浮遊する複数の魔力スフィア。ヒルダの挑発と共に魔力スフィアからチンクへ向けて誘導弾が発射される。

 放たれた誘導弾が粉塵や瓦礫を吹き飛ばしながら、秒速百七十メートルという高速でチンクに接近。僅かな軌道修正を行いつつも速度や威力が一切減退しない射撃魔法に、チンクのナイフを握る小さな手が汗ばむ。

 

 指の間に挟んだ特殊合金ナイフを素早く投擲。数本の特殊合金ナイフが魔力弾へ放たれる。

 迎撃と読み取ったヒルダがストレージデバイスを素早く操作。同時に魔力スフィアと共に浮遊するエミリオの書が、青い燐光を撒き散らしながら発光。

 

 まるで自立した意志を得たかのように誘導弾が特殊合金ナイフを掻い潜っていく。

 誘導弾はある程度の指向性を操作できる魔力弾だ。だがここまで奇っ怪な機動を行わせる事は、例え熟練のSランク魔導師でさえ困難。それを複数の誘導弾、さらに実戦で行うなどあまりにも馬鹿げている。

 

 「死ねッ!」

 

 ヒルダの叫びと共に誘導弾が次々とチンクへと目に霞む速度で迫る。

 

 だが直後、誘導弾と交差した特殊合金ナイフが一斉に爆発。

 チンクの先天固有技能である『ランブルデトネイター』の能力が発動した。一定時間手で触れた金属にエネルギーを付与、TNT爆薬と同等の起爆薬として金属体を爆破させる。

 

 秒速二千メートルの爆風が誘導弾と区画一角を破砕。激しい爆風に巻き込まれた誘導弾が全て消滅。

 さらに衝撃波が轟音と共に拡散。無人の高層ビルが大きく振動。強化ガラスが次々と砕け散り、チンクの頭上から五月雨の如く降りそそぐ。

 

 だがチンクは構う事なく突撃を開始。

 手には固有武装である、特殊合金スローイングナイフ『スティンガー』を既に展開し終えていた。ナイフの射程範囲に持ち込むべく、街路を踏み砕き駆け抜ける。

 

 ヒルダが飛行魔法で後退を行いながら嗤う。ストレージデバイスによりトリガーが引かれた。

 

 次の瞬間、チンクの足下にミッドチルダ式の魔法陣が出現。召喚されたバインドがチンクの足を絡め取った。直ぐさまチンクの固有武装防御外套『シェルコート』のAMFによる魔法無効化能力でバインドは消滅。

 だが僅かな足止めこそヒルダの狙い。一瞬の隙はチンクを窮地へ追い込むのに十分過ぎる。

 

 バインドの発生に呼応するかのように、チンクの周囲で複数のミッドチルダ式魔法陣が起動。足下周辺だけではなく、ビルの側面や空中にまで設置された魔法陣にチンクは絶句。

 逃げ場を完全に封殺する形で出現した魔法陣が、次々と強い光と共に深紅の魔力スフィアを召喚。

 発生した魔力スフィアは全方位三百六十度へ向けて魔力弾を無差別に乱射。非殺傷設定など度外視された死の嵐が、チンクへ牙を剥いた。

 

 目前で繰り広げられた死の宴に、チンクの思考能力が高速で稼働。

 戦闘機人の強靱な情報処理能力が最善策をコンマ一秒で叩き出す。

 

 シェルコートの支援を得て防御技能『ハードシェル』を発動。一瞬でチンクを中心とした半球体状の防壁が展開。時を移さずして魔力弾の暴乱がチンクを襲う。

 施設規模の爆発にも耐える高硬度の防御と、拡散した魔力弾が激突。囂然たる鬩ぎ合いがハードシェルの表面で巻き起こった。

 

 魔力弾がビルの表面へ断続的に直撃、まるで穴あきチーズの如く虚空が穿たれていく。立ち並ぶ街灯が破壊されて宙へ吹き飛ぶ。街灯へ追い打ちを掛けるかのように魔力弾が命中、街灯をさらに高く打ち上げた。

 

 だが異常な威力を秘めた魔力弾は、町並みを蹂躙する威力があろうともハードシェルの防壁を射抜けない。シェルコートが自動発生させたAMFで威力が減退した魔力弾では、強固な防壁であるハードシェルを破壊できなかったのだ。

 

 ヒルダの狡猾な罠を封殺したチンクは、センサーにより土煙の向こうにヒルダを確認。ハードシェル越しにヒルダと視線が交差する。

 

 ヒルダの瞳に宿る蠱惑的な殺意に、チンクの危機察知能力が最大の警報を打ち鳴らす。

 立つ事すらままならない地響き。チンクは半ば転がるようにして前方へ飛び出す。鋼の骨格と人工筋肉は、常人には為し得ない超反応を実現させた。

 

 地響きと共に舗装道路が隆起。チンクが存在していた位置から大地を食い破るようにしてボラーが出現した。

 ヒルダの三重の罠にチンクの顔からは完全に余裕が抜け落ちている。戦闘機人の強靱な機械化された肉体でなければ、回避行動を成功出来なかった。

 

 ボラーの透過能力により、召喚位置は神出鬼没。エミレオの書から伝う数式を目視できなければ、出現位置を観測する事は不可能だ。

 土煙で視界を覆われた状態で、ボラーの召喚を予測できたことは偶然に近い。機械化により効率化された頭脳に救われた。元来の頭脳では既に十回は死んでいる。

 

 ボラーが勢いそのままに方向転換。攻撃対象へ向けて深淵の口腔を開くボラーに、チンクの髪から汗が伝い落ちた。

 貪欲な食欲を向きだしにしてボラーがチンクへ突撃。巨体からは想像も出来ぬ速度で接近するボラーへ、チンクは素早くスティンガーを投擲した。

 

 ボラーがナイフごとチンクを喰うべく、顔が隠れるほどの大口を開帳。

 だがチンクはボラーの口腔へスティンガーが飛び込む前にランブルデトネイターを発動。

 顔面でこれまでの比では無い大爆発が発生。だがボラーの吸収能力はそれ以上の効果を発揮。爆風と舞い上がった土煙を突き破り、無傷で姿を現した。

 

 再度ボラーが突撃を仕掛けようとした瞬間。ボラーの左右の足下に突き刺さったスティンガーが爆発。地上を抉り取り、ボラーの体表を爆裂で焼き付けた。

 

 さらにボラーを挟むようにして聳え立つビルに刺さったスティンガーも次々と連続的に爆発。

 十数メートルの建造物が瓦礫と共にボラーへ倒壊していく。降りそそぐ金属や石材の瓦礫の山がボラーへ直撃。

 ボラーの苦しげな咆哮が発せられると同時に、足下に巨大な朱色の鳥居が出現。

 

 ボラーは倒れ迫る建造物から逃れるようにして、波紋が広がる鳥居の中へ逃げ込む。数瞬遅れて建物が完全に崩壊、空気を震わす轟音がチンクの耳を殴りつけた。

 

 「逃したかッ!?」

 

 再召喚、帰還を行う事で奇襲を行い回避を可能とするという理不尽極まり無い戦法。

 効率的で効果は絶大だが、やられる側からすれば悪夢そのものだッ!

 

 ヒルダは笑みを浮かべながら再度誘導弾を放つべくストレージデバイスを掲げる。

 だがチンクはそれより早く大きく踏み込み、両手に収まるスティンガーを射出。ヒルダが存在する場所は既に攻撃範囲内に収まっている。

 チンクの肉体増強レベルはAAクラス。強化骨格や人造筋肉、人造血液から生み出されるパワーは投擲による長距離の攻撃を可能とした。

 

 前衛咒式士ばりの筋力で投げられたナイフは、ヒルダが誘導弾を発射するよりも早い。

 防御魔法を発動しようと、ランブルデトネイターにより防御魔法ごとヒルダを吹き飛ばす。高速で飛来するスティンガーに込められた爆発力は、区画毎吹き飛ばす十分な殺傷能力を秘めている。

 常に圧倒し続けて来た戦況は一転、ヒルダの不利に陥った。

 

 だがヒルダは余裕の態度を崩さない。咒力を込めた指先で魔杖風琴を奏でる。

 耳を叩く熾烈な金属音。着弾するスティンガーは目標から十数メートル地点で破砕。砕け散った金属片が散らばり落ちる。

 ヒルダの周囲に高速移動する執跡を確認。自立する弾丸がスティンガーを全て打ち落としたのだ。

 

 「可愛くて完璧な私が、お前みたいなドぶすに負ける訳がないでしょうが」

 

 魔力スフィアが先を争って発光。『射手なるスナルグ』により威力・速度・誘導性が跳ね上がった誘導弾を打ち出す。

 さらにヒルダの頭上を旋回していた弾丸が掻き消えた。

 

 チンクは後方へ飛び退りながらスティンガーを誘導弾へ向けて投擲。爆発させ迎撃と防御を行う。複数のスティンガーがヒルダへ狙い放たれるも、再度スナルグの弾丸に打ち砕かれていく。

 

 積み重なった瓦礫へ隠れるように転がり込む。

 激しい呼吸を整えながら、チンクはあまりの相性の悪さに歯を噛み締めた。

 立ち上る白煙を睨みつけながら状況を解析。

 

 ナイフによる近接戦闘・中距離戦闘を行う私では圧倒的に不利だ。

 中距離戦闘ではボラーに攪乱されながら、未知の強化を受けた誘導弾の攻撃を受ける。近接戦闘を行おうにも、スナルグの弾丸はチンクの接近を許さない。

 隙を見てナイフを放ったとしても、スナルグの音速に近い弾丸が全て破砕する。

 

 ヒルダの攻撃形態から接近戦が不得手な魔導師である事は分析できる。

 しかし理解していても己一人では対抗できない。疲弊した体力と残されたスティンガーの数では、これ以上時間を掛ける訳にいかない。

 だがヒルダの苛烈な攻撃を突破する事は容易ではない。

 

 せめて状況判断や幻影操作に長けたクアットロ。前衛・中距離射撃を行えるウェンディが無事であれば――――

 

 白煙を貫通する悪寒。

 チンクがその場を転がる。チンクが寸前までいた空間を、左へ右へ高速飛翔体が飛翔していく。

 壁としていた瓦礫に穴が穿たれ、巻き込まれるようにチンクの左手が爆散。瓦礫を崩して追撃を振り切りながらも、チンクの顔は苦痛に歪む。

 

 近距離で激しい方向転換してから狙っていたために回避が行えた。弾丸の速度が音速に至らなかった事が生きている原因だろう。

 

 流れ出る鮮血をそのままに、チンクは瓦礫から身を乗り出して走り出す。

 片腕ではヒルダの攻撃を捌き切ることが出来ない。このまま救援を期待して戦況を長引かせれば、先に死ぬのは自分。出血多量によるショック死だ。

 

 スナルグによる追尾を躱しながら、無人のビルの中へと駆け込む。

 外の広い空間ではスナルグの攻撃を防ぐ事は不可能に近い。最高速に乗ったスナルグは、戦闘機人が強化した視力でさえ捉えきる事ができないのだ。

 障害物や扉、壁を利用してスナルグの速度を落とす。戦闘機人の反応速度にスナルグを順応させる。

 

 威嚇射撃としてスティンガーを放ち、威力を抑えて起爆。フロア一帯を爆風が駆け抜ける。

 爆風を推進剤として飛び跳ね、壁を蹴って軌道を変化。扉をぶち抜いて室内に転がり込む。直前までの予測地点を疾風が抜けていく。

 目に見えてからの対処では遅い。スナルグの攻撃地点を予測して対応する他に対処法は存在しない。

 

 「あまり賭け事は好きではないのだがッ!」

 

 執道を自在に変化させるスナルグの弾丸がチンクを襲う。

 

 回避が数瞬遅れた事で、シェルコートの表面をスナルグが抉り取る。巻き込まれた銀髪の束が散った。

 ドクターが制作した超高度の防御外套が、まるでただの布切れのように裁断される。

 

 防御技能ハードシェルなら防ぐことが可能かもしれない。だが不確定な上に、展開中にボラーで強襲されれば食い壊される。

 左手を失った今、ボラーとスナルグの両方を相手取って生き残る可能性は限りなくゼロに近い。

 

 ヒルダの操る魔法生物に対して恐怖にも似た感情を抱きながら、チンクは階段を駆け上がっていく。

 

 勝機はある。今は一刻も早くヒルダの下へ。

 ヒルダの生体反応を観測、迷うことなくチンクはそこへ駆け抜ける。

 

 コンクリートの破片が飛び散り、壁に穴が空く。金属製の扉が貫通。衝撃に大きく凹みながら疾風と共に跳ね飛ばされる。

 

 スナルグが大きく上昇。高速の弾丸を見切る事は私に不可能。あと十数秒が限界。

 チンクは壁へ向けてスティンガーを投げ、ランブルデトネイターを発動。砕け崩れた壁を抜けて最短ルートを目指す。

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 ヒルダはストレージデバイスを用いて、敵対者を殺害するべく罠を設置していく。不可視の魔法陣は全て殺傷設定であり、管理局がこの光景を見れば憤怒することは想像に容易い。

 

 設置型捕獲魔法。設置型射撃魔法は爆発型と直射型に分かれる。

 どれも殺害を目的とした魔法陣。直接的な戦闘を苦手とするヒルダは、設置型の魔法陣の存在に歓喜した。

 

 設置型魔法陣は数法式法系咒式士が使う咒符に近い。

 張り紙や屑紙に偽装した咒符を隠し張り巡らせ独壇場となる戦場を作り上げる。

 追い込んだ咒式士を自らの戦場の中で封殺する戦い方は、数法式法系咒式士が好んで使う戦術だ。

 

 数法式法系咒式はヒルダの戦い方と相性が良い。しかしヒルダは適正が無い故に数法式法系咒式を扱う事は出来ない。

 だが魔法の存在によりその苦悩は解決。設置型の自動起動魔法陣により数法式法系と同様の働きを得ることが出来た。いや、不可視で空中にまで設置できる魔法陣の方が使い勝手がよい。

 中距離暗殺型のヒルダが取り仕切る舞台に敵を引きずり込むが可能となったのだ。

 

 「にしても時間が掛かっているわね」

 

 スナルグの追跡から逃れ続けるチンクに、ヒルダは苛立ちを隠そうともしない。

 時間の問題であることは間違いない。腕を一本を消し飛ばされたままで、よくエミレオの書からここまで逃れ続ける事ができるものだ。

 

 「ま、激しい運動で出血多量を招いているから時間の問題かな~」

 

 チンクの肉片と装甲の砕け散った破片、散乱する機械部品と人工血液から冷静に限界時間を計算する。

 千切れ落ちた部位から察するに、通常の人間ではない。機械的改造を施され、部位を機械に取り替えたのだろう。

 

 しかし世界の医療技術は高度であるが、応用が咒式のようには効かない。一度決定打となる一撃を与えた今、勝利は近い。

 

 咒式世界では例え腕がもがれようが、胸に穴が空こうがその場で治療が可能だ。

 心臓を貫かれたとしても、予備としての臓器が作用すれば戦闘を続行出来る。腕や足が吹き飛ぼうともその場で治療が行われ、復元することで戦場への復帰が可能となる。

 唯一頭脳などの極めて繊細な器官は致命傷となりうる。だが熟練の咒式士の中には、頭脳まで体の別の部位に移すような際物も珍しくない。

 

 故に咒式士との戦闘では、相手が完全に死亡した事が確認出来るまでは油断できない。

 腕が無くなり、足が無くなった程度では咒式戦闘において意味がない。下半身が吹き飛ばされようが、心臓が貫かれようが気は休まらない。

 完全に機能停止に陥るまで蹂躙し尽くす事によって、初めて勝利と判断出来るのだ。

 

 「まさか腕一つぶっ飛ばされたぐらいであんなに必死になるなんてねぇ。まぁ見ていてすっごい面白かったけれど♪」

 

 面白さ半分、呆気なさ半分の結果に戸惑いを覚える。

 

 咒式世界と魔法世界。二つの世界の間を生きるヒルダは、大きなずれを感じせざるをえない。

 その場で体の欠損した四肢を完全に再生するのには、超魔導師クラスかロストロギアでもなければ復元不可。対処が間に合わなければ義手や義足を医者に勧められる世界だ。

 

 咒式と魔法で優劣をつけるのであれば、治療事情は間違いなく咒式が優れている。

 

 「う~ん、チビは放っておいて先にあの雑魚二人を……。いや、やっぱ無し」

 

 先に攻撃を与えて以降、反応が一切無い他の二人を先に殺そうかとも考えた。だが速効で安易な思考を切り捨てる。

 

 チビがそれを証明しているようなものだ。私が何も解らないで誘導され、あいつらから引き離されたとでも思っているのか。

 既に戦闘を開始してから十分経過。味方の苦境に現れる様子は無い。戦闘続行不可に陥ったと見るべきだ。 

 

 「まぁ、焦る必要は無いっか。依然私が絶対的に有利な事に間違いは無いし。結末は素敵で完璧なこの私が、あいつら全員皆殺しってシナリオ。あいつちょっと生意気だったし、四肢を引き千切った後に仲間を一人一人目の前で殺してあ~げよっと」

 

 下手に隙を見せる必要は無い。確実に一人一人を殺していけばいい。

 私はペネロテ姉妹最後の一人。忌まわしい因縁を断ち切った本物。

 ど腐れ妹共とは違い、常に余裕を持たなければならない。余裕を持てないのは私以外の有象無象共で十分。

 

 ……というか、ここまで虚仮にされて許せるか馬鹿。

 顔を切り刻んで何回も殺してって叫ばしてやる。僅かな慈悲で死体はお菓子で彩ってあげよう。あいつら華が無いもんね。

 

 そこまで考えたヒルダは愉悦に笑みを深めるも、すぐに顔が疑問の色に染まる。

 スナルグのエミレオの書から送られてくる情報に眉を顰める。

 

 「……こちらに向かって来ている?覚悟を決めたって事?」

 

 エミレオの書では詳細な位置を確認出来ないためにサーチャーを飛ばす。

 自立行動で暴れる異貌の者どもの弊害だ。使い魔を通して視線を共有する魔法も存在するらしいが、エミレオの書という未知の咒式技術に対しての無茶は出来るだけ避けたい。

 

 「……魔力反応は探知出来ず。スナルグの咒力反応のみが頼りか」

 

 面倒くさい。

 

 どちらにしろあのチビの攻撃手段は、起爆する投げナイフのみ。

 爆発の威力は化学錬成系第三階位『爆炸吼(アイニ)』。威力調整次第では化学錬成系第四階位『曝轟蹂躙舞(アミ・イー)』のトリメチレントリニトロアミンに並ぶ。

 

 だが姿を現さなければならない事が致命的な弱点だ。

 空間で爆薬を生成し炸裂させる『爆炸吼(アイニ)』や『曝轟蹂躙舞(アミ・イー)』とは違い、あのチビはナイフを起爆させる事で爆発を起こす。

 

 肉体を強化された前衛咒式士さながらの投擲はやっかいだが、私であれば十二分に対応できる。

 ナイフは直線しか執道を描けないために、対処のしようはいくらでも存在する。

 仮に多少誘導性を保たせたとしても、誘導弾のような追尾に等しい指向性は持たせられない。

 

 ボラーによる肉壁。もしくはチビに纏わり付いているスナルグの弾丸で、放った直後に全て粉砕。後者は隙ができたチビも殺せてみんな幸せだ。

 罠の配置は万全。チビが確実に私を殺すべく接近戦に踏み込んだとしても私が勝つ。

 

 ボラーをエミレオの書から呼び出す。

 まるで水面のように揺れる鳥居の中から、青黒いボラーの巨体がのっそりと現れ出た。口の端から酸性の涎を垂らしながら、来るべき獲物を待ち望む。

 

 ストレージデバイスを油断無く構えた。

 チンクの距離から換算した到着推定時刻を間もなく迎える。

 気を張り詰めながら、注意深く周囲を窺う。周辺を探索するサーチャーは未だチンクの姿を捉えてはいない。遅い、早く来いってーの。

 

 苛立ちが次第に募り、ストレージデバイスを握る手に力が籠もったその時であった。

 髪を撫でる風に違和感。同時にパンハイマの業火やアンヘリオのエミレオの書、ガユスが放った核咒式に狙われるような、肌が張り詰められる感覚。

 それはヒルダが磨き上げた狩人としての勘。戦闘咒式士として築き上げた経験がヒルダを救った。

 

 即座に宙を見上げる。

 

 「……え?」

 

 呆然と眺めるヒルダの顔が空中に幾つも映し出されていた。

 

 空中に煌めく光点。否、それは太陽の光を反射する特殊合金ナイフであった。研ぎ澄まされた刃は、ヒルダの顔をまるで鏡のように映す。

 二十数本ものスティンガーがヒルダの頭上を囲むようにして点在していた。

 

 全てのスティンガーが眩い光をまき散らして発光。

 

 「あ」

 

 反射的にヒルダが咒力を指に纏う。

 

 エミレオの書の展開?

 不可能だ、間に合わない。

 

 防御魔法の発動?

 インテリジェンスデバイスならば自動でシールドを張っただろう。しかしストレージデバイスでは遅すぎる。

 

 回避行動?

 この状況でどこへ逃げるというのだ。

 

 ヒルダの顔が絶望に染まった。

 

 「巫山戯るなァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 

 絶叫を上げながら魔杖風琴を奏でた直後。光がヒルダを包み込む。

 

 激しい轟音と共に全てのスティンガー大爆発。爆裂による衝撃波がヒルダやボラーごと一帯を飲み込んだ。烈風が大地を抉り砕き鉄骨を薙ぎ倒し蹂躙。遅れた爆風がガラス片や金属片、石片の一切を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 スナルグの弾丸が消えた。

 

 ビルの二階、窓の影から姿を現したチンクが溜め込んでいた息を全て吐き出す。

 右手で押さえつけて失血を防いでいた左腕が、烈風により激痛を発する。短い悲鳴が口から溢れるも、斜に倒れようとする体を何とか支えた。

 

 「……仕留めたか」

 

 濛々と立ち上る黒煙を窺う。

 威力が強過ぎたのか、未だ爆炎によって発生した濃煙は無くなる気配がない。

 

 チンクのランブルデトネイターを使用した攻撃技能『オーバーデトネイション』。

 Sランクの魔導師を単独で撃破したチンクの奥手。チンクが持つ最大の攻撃技能だ。

 

 デトネーション波は可燃性媒質中を超音速で伝播する燃焼波を指す言葉だ。

 

 オーバーデトネイションはスティンガーを大量に空中に発生させ、敵に集中射撃をかけ爆破する。

 空中爆発により爆風の入射波が地面にあたって地上反射波となり、重なり合う事でマッハ効果を生む。これにより直接波の二倍の過圧を示すマッハ軸が発生。

 衝撃波のような平面波ではなく、入射波、反射波、マッハ軸からなる三重衝撃波構造を作り出す。

 

 この効果による伝播速度は毎秒二千メートルを超え、爆発的な燃焼を引き起こす。さらにIS効果により気体と燃料が混ざり合った状態の混合気を形成。混合気は衝撃波によって瞬時に加熱され反応。

 圧力はバリアジェケットなどまるで紙同然に貶めるまでに上昇する。

 

 まともに直撃すればまず四肢がもがれ、全身が炭化し内臓を焼き尽くす。内と外側から人体を破壊する恐しい最悪の攻撃技能だ。

 

 「バリアジャケットを装備していたとしても、体の欠損が大きすぎるかもしれないな」

 

 遺体の回収。そしてロストロギアの書を回収しなければならないのだが、疲労と血を流しすぎたおかげで思うように体が動かない。

 もう少しで救援信号を受けたナンバーズが到着するだろう。随分と無様な姿を見せることになってしまった。

 

 自重の笑みを浮かべながら、休むべく腰を落とす。

 この損壊では、しばらくの間は修復により任務から離れなくてはならないだろう。

 

 「ドクターに連絡を取らねば……」

 

 無理を押して通信を試みようと、残った右手を動かす。

 

 チンクの体を疾風が突き抜けた。

 時を待たずしてチンクの胸からは機械部品が宙を舞い、血潮が風に乗るように体内かぶちまけられた。

 チンクの胴体には風穴が空き、背骨や肝臓に胆嚢などの人工臓器が消失。大腸や小腸などの消化管も体外へバラバラに千切れ飛ぶ。

 穴からは真っ赤な生体部位、そして大穴を開けたシェルコートが覗いていた。

 

 遅れたように吹き飛ぶ体は、為す術も無く二階の窓から一階に落下。血を纏った高速の風が天へと飛翔。

 チンクの頭上を一回転した高速の弾丸が、未だ立ち上る煙へ向かって突き進む。

 

 引き裂かれた粉塵の先には全身から銀色の血を流す青黒い巨体。

 痛みに唸り声を上げるボラーの大口が左右に開かれていく。

 口腔から伸ばされた舌の上には、負傷した体を抱きしめるヒルダが立っていた。

 

 ヒルダはボラーを操り自らの身を喰らわせ、口内に幽閉する事で爆風から逃れていたのだ。

 ボラーの表皮と肉を焼く事はできても、中まで爆風と衝撃波は襲ってこない。ヒルダは英断とも呼べる決断をあの一瞬で下したのだ。

 

 だが咄嗟の行動故に、完全に自身を守る事は叶わなかった。

 

 バリアジャケットは所々が破れ、大火傷を負う重傷。

 素肌を露出していた部分はさらに酷く焼けただれており、白い脂肪の塊が露出していた。

 髪は熱に焦げてちりぢりになり、端正な鼻は鼻腔内からの火傷で機能不全に。鼓膜は衝撃で破れ、耳の穴から赤黒い血が流れ出ている。

 全身に裂傷。とっさに口を閉じたおかげで内臓を損傷する事は無かったものの、体の至る所が裂けて流血している。

 

 ボラーの口内で浮かぶ二冊のエミレオの書の内、一冊が青白い光を放ち開かれた。高速の弾丸が飛び込み、革表紙の書が閉じられる。

 新たにエミレオの書が開き、鱗粉と共に異形の美女キヒーアが召喚される。

 

即座にキヒーアが咒式を発動。各内臓の機能維持、血管の再構築と造血、栄養と酸素の維持と、膨大な数の治癒咒式を並列作動。

 ヒルダの全身が発光。咒力、魔力共に完全に回復。光が収まるのと同時に歩を進める。足を舌の上から、土が丸出しになった地上に降ろす。

 

 バリアジェケットを再構成。乱れた髪を左手で整えながら、右手で握りしめられたストレージデバイスで魔力スフィアを生成する。

 

 「あ~、久しぶりにひやっとした。うん、死んだかと思った。実際エミレオの書が無かったら相当危ない状態っぽいし」

 

 ヒルダは全快した体の感触を確かめる。

 指を何度が動かしながら、ストレージデバイスを操作。弱めに発射された誘導弾が、倒れ伏し血を流すチンクに命中。弾んだ体が力なく横たわる。

 

 「生命反応があるから微妙に生きてはいるけれど、ボロボロ過ぎて何にも出来ない芋虫状態?うわ~かわいそう、でもマジでウザイからもっと苦しめバーカ」

 

 ボラーがヒルダの横に並び立つ。

 抑え付けられてさえいなければ、今すぐにでもチンクを喰い殺すだろう。

 殺気を凍えるように冷たい視線に乗せてチンクへと送る。ただ死を待つだけの敵を嘲笑い、唇を弧に歪める。

 

 「……と、思ってたんだけどさ。うん、もう限界。死ね、お前は死ね。不細工で、汚くて、弱くて、鬱陶しくて、ウザイお前は死ね。あと向こうでくたばってる連中でお前の分まで遊んであげる。だからお前はいらない、見たくもない死ね」

 

 ボラーが大口を開けて進撃。敷地を削り取りながらチンクへ突撃を敢行。人も無機物も関係なく食らい尽くす口が限界まで開かれた。

 体は破壊され、反撃どころか逃げる事もできない。おぼろげに感じる地響きに、チンクの意識は暗闇に落ちた。

 

 激突音。

 

 ボラーの小型の鯨程もある体が衝撃に跳ね上がった。

 長身の戦闘機人が踏み込んだ足が舗装路を踏み砕き、腿と足首、手首から高度エネルギーによる翼が発生。長身の戦闘機人の姿が消えた。

 

 ボラーの真横に戦闘機人が出現。ボラーの横顔が大きく凹み、巨体が浮き上がる。続けざまにボラーの体が揺れる。

 右足の一撃がボラーの顔を捉え、そのまま着地し軸足に。衝撃が伝わる間に回転した左足が追撃となりボラーの体を浮かせたのだ。

 さらに浮き上がったボラーの体に超高速の連打を叩き込んでいく。動きが速すぎて何が起こっているのか目で追えない。

 

 一撃を与えたと思えばボラーの体には四つの攻撃跡が刻み込まれ、二回攻撃を与えたと思えば十を超える傷跡が刻まれる。

 

 転がるボラーの反対側に長身の戦闘機人が出現。

 石床には高速で動いた際に生じた摩擦跡が生じ、足下には煙がまだ纏わり付いている。

 絶え間なく鳴り響く打撃音。ボラーが胃液を吐き出し、床を焦がす。その間にも長身の戦闘機人は三次元機動を行い、上下左右からボラーを攻め立てていく。

 

 ボラーが堪らず大口を開けながら咆哮。急停止により姿を見せた戦闘機人へ槍の如き歯を向けた。

 

 「遅い」

 

 鋭い鉄拳がボラーの胴体、顎、頭蓋を打ち抜く。

 短く切りそろえられた青髪が胴体と共に回転。振り抜かれたサバットのような足技がボラーに命中。速度の乗った豪脚の一撃がボラーを強襲。

 

 固有装備『インパルスブレード』を最大出力へ変更。手足に生えた八枚の羽のエネルギー密度が高くなり、眩い輝きを生み出す。

 超前衛型として開発されたオーバーSS越えの機体は、超高速機動能力は視認速度をとうに超えていた。

 

 勢いそのままにインパルスブレードがボラーに直撃。光沢を放つ皮膚を裂き、溢れ出る銀色の血液を蒸発させる。異常な速度と接近型戦闘機人が持つ力が合わさり、桁外れの強打がボラーの分厚い肉筋を尽く両断。

 生物反応速度を凌駕する一槌は、衝撃を逃さずボラーを地上に叩きつけた。

 

 苦悶の声を発しながらボラーは透過能力により地上に潜る。

 あの禍々しい異貌のものどもが、耐えきれずに苦悶の声を上げた。そのまま水面に飛び込むようにして土の中に逃げ込む。

 透過能力を使った退避。百を超える人間を喰らった古き巨人が、たった一人の戦闘機人によって撃退された

 

 残された戦闘機人はチンクを庇うようにしてヒルダと対峙する。

 艶のある体の線が浮き出た銀色のバトルスーツが鈍い輝きを放つ。

 鋭い鷹のような目には揺るぎない闘志。同胞を戦闘不能にした凶悪なザッハドの使徒を前にして、乱れを感じさせない佇まい。

 

 ヒルダの額から汗が伝い落ちた。

 

 纏う雰囲気がこれまでの雑魚共とはまったく別物。背中を虫が這うような寒気を覚えた。

 

 ボラーという怪物に怯えもせずに立ち向かい、撃退した改造魔導師。魔法ではなく肉体戦で退かせるなどまともな魔導師ではない。

 

 確かに魔法吸収能力を有するボラーと戦うのには理論的に有効な手段だ。

 ボラーの耐久性を超える収束魔法等の一撃は、吸収能力の際限が解らない上に、透過能力を扱い潜行・召喚を行うボラーには効果的ではない。

 

 単なる物理力、つまり打撃能力が唯一明らかになっているボラーへの有効な攻撃手段だ。

 

 だが小型のくじら程の体格を持つボラーに、物理力によってダメージを与える事は難題極まりない。

 特に魔法世界においては肉体強化魔法は存在するものの、肉体の構成自体を変えて莫大な筋力を生み出す咒式には及ばないとヒルダは想定していた。

 

 もしそれを可能とするのであれば、それは通常の魔導師から逸脱した魔導師。それに準ずる化け物。

 Aランクを超越する実力、単独で戦術兵器レベルの絶対者。咒式士にとっての最高階梯である十三階梯の異常者達だけだ。

 

 ボラーを正面から撃退した肉弾戦の咒式士はザッハドの使徒でも別格の『拳豪カヅフチ』のみ。

 人を辞めたといっても過言では無い超前衛型攻性咒式士だけだ。

 眼鏡やドラッケン族の剣士といった十三階梯の咒式士、パンハイマやロレンゾという階梯で計れない未知数の化け物咒式士ですら、ボラーを肉弾戦に持ち込む事などしなかった。

 

 前衛では無いとは言え攻性咒式士である私の目を振り切り、ボラーという耐久性と攻撃性を持ち合わせたエミレオの書を圧倒する。

 数百人殺した自分でさえ、対峙した経験の少ない超前衛型の強敵。

 

 焦りがヒルダの思考を短絡化させてしまった。

 通常通りの戦術によるのであれば、エミレオの書を展開して戦闘を行うべきであった。ボラーを帰還させ、新たなエミレオの書で確実に仕留める。または背後で動く事の出来ない瀕死のチンクを狙うべきだった。

 

 だがパンハイマ、ギギナ、ガユスという三名の到達者級攻性咒式士に敗北したという事実が、ヒルダの深層意識を蝕んでいたのだ。

 顔を潰され、下半身を焼き切られた苦痛。体は治療が可能である分目に見えて解るが、一度染みついた敗北の辛苦はそう忘れられるものでは無い。

 

 恐怖に駆られたヒルダは先制攻撃を考えて全魔力スフィアに指令を飛ばす。魔力スフィアからスナルグの援護を受けた誘導弾が射出。強烈な殺意を込めた魔力構成弾が空気を裂いて獲物へ滑空。

 

 ヒルダの射撃を見咎めた戦闘機人がインパルスブレードを構えた。舗装道路の表面をガラスのように踏み割り疾走。砂と小石が舞い上がる。正面から殺傷設定の魔力弾と対峙。

 

 「かかったッ!」

 

 ヒルダが興奮の声を発すると共に、設置型の魔法陣が次々と発動。

 身体を拘束するバインド、拡散弾を内蔵した魔力スフィア、魔力に反応して発動する起爆魔法の魔法陣が一斉に出現。長身の戦闘機人を殺すべく罠が先を争って起動する。

 さらに正面からは軌道を修正、敵を追い込む誘導弾。

 戦場と見間違う程の苛烈極まり無い悪意がたった一人目掛けて殺到。

 

 長身の戦闘機人はそれら全てを置き去りにしてヒルダに肉薄した。

 黄金色の瞳がヒルダを冷笑。

 

 「……え?」

 

 戦闘機人の背後、数十メートル先で起爆魔法が爆発。対象を見失ったバインドの先が空中をさ迷う。魔力の拡散弾が全てを一掃するかのように炸裂するが、放たれた百を超える弾丸は虚しく飛び散っただけであった。

 

 こいつ罠が起動するよりも速く、私の認識を超えた高速で接近をッ――――!?

 

 ヒルダが己の失敗を自覚したと同時に全身が打ち砕かれるような衝撃。

 腸、胃、肝臓が瞬間的な力に押しつぶされる。いくつかの臓器が破裂。助骨が粉砕。折れた骨が肺に何本も突き刺さる。

 人体の限界を超えた一撃は、ヒルダの体をまるで水袋のように切り裂く。右脇腹に半円状の大穴。腸が空中に千切れ飛ぶ。

 

 血と骨と内臓の破片を撒き散らしながらヒルダは吹き飛ばされビル群に激突。

 壁を突き破って二、三度回転しながら転倒。血の海を作り上げながら沈黙した。




謎の長身戦闘機人。いったいだれなんだー(棒)

咒式世界に適応したナンバーズはヤバイ。

・秒速200メートルを超える超前衛咒式士(化学鋼生成系・電磁光学系咒式士)
・幻影系統を好み、攪乱と指揮・統制を行うクアットロ(電磁光学・電波咒式士)
・中距離戦闘で爆発物を量産、奇襲を行えるチンク(化学錬成系咒式士)
・準遠距離・中距離型の砲撃を行い、後衛咒式士と前衛咒式士の間を守るウェンディ(電磁放射系咒式士)

そして残り未登場8名。なんか楽しくなってきますよね。

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