されど殺人者は魔法少女と踊る   作:お茶請け

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13話 大鎌に首をもたげて

 私は神などという巫山戯た存在を妄信できるほど頭が愉快ではない。

 だが神の存在を認めてやっても良い、認めてやるから今すぐに私の前に現れろ。絶対に殺してやるから。

 

 覚醒した意識の中でヒルダは歯を噛みしめる。

 痛覚が遮断されているために余裕が生まれている。その余裕が何よりも今の私には必要であった。

 

 通常であれば動くどころか意識を保つことすら危うい重傷。

 脇腹には綺麗な半円状の大穴。直径三十センチメルトル。傷跡周辺の臓器も衝撃により破裂。千切れた小腸と大腸は無残に外界へ晒されて湯気を放っていた。

 傷は胸部にまで裂傷が広がっており、筋肉の繊維と皮膚がズタズタにされている。破れた血管から流れ出る血液のヘモグロビンが、赤い絨毯をヒルダの周りに作り上げる。

 

 ヒルダが全身テカテカタイツの趣味が悪い女に距離を詰められたと理解した瞬間。視界が真っ赤に染まり、あまりの激痛に目の前で火花が散った。

 気がつけばボールのように跳ね飛ばされて転がる。バリアジャケット、強化魔法、功性咒式士の強化骨格。全てをまるで紙のように破り、ヒルダに致命的な一撃をこともなげに与えたのだ。

 

 吹き飛ばされた瞬間、視界の影にヒルヅとヒルドが陽気に手を振っていた気がした。死んでもとことん私を苛立たせる愚妹共だ。

 

 込み上げる血反吐を吐き出しながら、忌々しげに己を取り巻く咒式の組成式を眺める。

 

 何重にも絡まるようにして自身に作用する幻想的な数列。キヒーアの治癒咒式は異常を極めている。

 増血咒式により失った血は補充。アセトアミノフェン、モルヒネなどの解熱や鎮痛作用が高い鎮痛・鎮静剤を生成。臓器を再生するのではなく、体外に摘出され一から作り上げていく。

 

 体外に吐き出された腸が、逆再生のように体内に引き戻されていく様子を眺めながらヒルダは微笑む。

 眉間に皺を寄らせ、剣呑さを発散しながらヒルダは桃色の唇を開いた。

 

 「殺す」

 

 あいつが何者か。裏に潜むものは何か。

 殺傷能力が高い攻撃手段を躊躇いもなく扱いこなしているため、非殺傷のお題目を掲げる時空管理局の魔導師ではない。

 何らかの方法で私の情報を得た何者かが、私へと放った刺客であると考えれば話は解りやすい。

 戦闘機器を運用できる財力と繋がりを持つ相手に狙われ始めたことは、人類の敵と称されたザッハドの使徒にとって遅いか早いかの違いだろう。咒式世界でもあったことだ、ある程度の予想はしていた。

 

 流石に差し向けられた機械化武装の魔導師が、カヅフチ並みの超級魔導師とは考えもしなかったが。

 魔法世界における十三階梯クラスの化け物を私へ差し向けるなど碌な人物ではあるまい。私の運は些か下降気味らしい。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。

 

 「絶対に殺す」

 

 ただあいつが私に一撃を与えたあの時。あの女が私を射貫いた目が気に入らない。

 

 「あの女は私に恐怖を抱いていなかった」

 

 超前衛型の咒式士。自身が最も苦手とする手合いである事に間違いはない。

 だが今の私にはエミレオの書がある。苦い敗北の経験が私を変えた。

 そっと右手で鼻をゆっくりと撫で上げる。キヒーアにより完全に治療されたはずの顔が疼く。

 

 「私は、何をしている。非殺傷なんて馬鹿げた連中の毒気に与えられたとしか思えない。感謝してあげる、そしてこれが最初で最後の感謝」

 

 口から発せられた宛のない言葉は覚悟の表明。

 平穏な世界に犯された心との決別。精神に区切りを付ける事でヒルダは真の意味でザッハドの使徒へと変わる。

 

 心のどこかに生温い世界で生きる自分を見ていた。ゴミや虫と呼び嘲った人々と笑い会う自分を、ただ一人の少女として生きていく自分を幻視していた。

 もしこうであったならという後悔は蠢く凡愚と同列の思考。それを紡いでいた己に吐き気がすら感じる。

 

 これまでと全く異なる世界というのは、ヒルダにとって非常に強い毒であった。

 今まで歩んできた道を知るものがいないことは、多くの人間にとっては恐怖だ。

 何せ自分の証明となるものが何もない。地位、人間関係、金銭といった他力で成り立つ要素が全て奪われる。『私』が『私』であるという証明を示す手段を持ち合わせるのが『私』だけしか存在しない。

 

 その点私は最高の自分の証明手段を知っている。殺人という何ものにも代え難い証明手段だ。

 だが、それ以外の術も確かにあった。平穏に日々を送る道も存在していた。実際私の実力があれば、その道を歩むことはそう難しい事ではない。

 

 しかし、本物である私は偽物である馬鹿共の存在を許容できない。生理的嫌悪感を抱いているといってもいい。

 

 有象無象は己こそが他者とは違い利口であると、さも一人で成り上がったかのように振る舞い勘違いしている。

 実際はその真逆だ。他の存在により成り上がり、他者を取り込んで肥大化した豚であることを自覚していない。

 馬鹿共が誇る姿は幾多の同類の助けを得て、幾多の同類の利益をかすめとった結晶体でしかない。

 

 それはなんて醜悪で汚らしい姿か。

 汚物を纏って生きる虫螻が、さも当然のように生きる権利を主張している。

 虫螻が己の持つ価値観こそが絶対であると、我が物顔で振る舞う世界。

 その価値観こそが落とし穴であると連中は理解していない。

 

 あいつらは他人と自分を比べることでしか価値を保てない。

 他人を必要としなければ自分を保てない。弱くて惨めで愚かしい塵だ。

 気がつくことなく他人から植え付けられた知識で育ち、社会の豚共の都合のよい通念を至上の考えであると取り違えて生きる。

 与えられるだけのコトワリに殉ずることしかできない。与えられた世界でしか生きることができない弱者。

 

 生まれてから死ぬまで、豚は同じ豚共のしがらみの中でしか生きられない。守られた世界でしか生きられない。

 群れた中でしか己の価値を見いだせない愚か者に、本物である私の価値が劣るなどあろうはずがない。

 

 私は他者を必要としない。私という存在と自己の確立には他者は必要としない。

 完成されて生まれ、有象無象の考えや思想に影響されない世界で育った。家族や友人などといった煩わしい枠組みから外れ、真に一人で生きてきた私の世界こそまさに完成された世界。人の原点であり頂点だ。

 

 故に私は完全であり、完璧であり、本物で在り続けるのだ。

 私という存在は既に完結している。だからこそのザッハドの使徒だ。

 

 平穏と秩序の世界が安定すればするほどに人は混沌を求める。そして光は常に混沌から産まれ出てきた。規定され続けた世界は、それを破る悦楽によって新たな世界を切り開く。

 人を殺すことで知った光こそ私のコトワリ。他に価値を見出さない道こそ私の秩序。

 

 だがあの女はザッハド様の使徒であり、本物である私を有象無象の塵共を見る目で殺しに来やがった。

 私を試すためにわざと心臓や脳という致命的な弱点を避けて攻撃しやがった。

 

 「私は不意打ち、暗殺に秀でている。それだけに私よりも格上の咒式士との戦闘経験は少ない。正面切っての戦いに至っては皆無。私にとっての悲劇はエンゴル・ルという強力なエミレオの書があまりにも暗殺に特化しすぎていたこと」

 

 これまでは罠に嵌めることで勝利を勝ち取ってきた。姉妹三人で互いを囮にし合い、攪乱することで馬鹿共を殺してきた。

 しかし私は一人となった。一人である私は『ペネロテ姉妹』ではなく『右足親指のヒルダ』。過去の戦術は通用しない。

 

 では今の私は昔に比べて弱体化したとでもいうのか。

 

 所有する強大な異貌のものどもが封じられたエミレオの書は十を超える。

 強化魔法とバリアジャケットを得る事でこの身は前衛咒式士並の身体能力を得た。

 魔法の存在により攻撃方法は広がった。戦法は広がり、戦術は深みを増した。

 

 『荊刺の女王パンハイマ』、『金剛石の殺人者アンヘリオ』、『拳豪カジフチ』という化け物共に劣るとは思えない。

 過去の戦術と経験に囚われ、思考の幅を狭めたことがこうして私を追い詰めているのだ。

 ポテンシャルは十分に秘めている。後は私が『ペネロテ姉妹』という殻を破り、『右足親指のヒルダ』として君臨するだけ。

 私は真の意味でザッハドの使徒となるのだ。

 

 「私は二度も愚を犯した。だけどこれは経験不足から生じた認識の甘さがもたらしたもの。二度はない」

 

 右手に握るボラーの書が粒子となって消え去り、新たなエミレオの書が出現する。錠前が解き放たれ、革表紙の紙が開かれた。

 

 「私はより強く、美しくなる」

 

 蕩けるほどに嗜虐的な笑みでヒルダは笑った。

 

 退廃した思想の果てにある理想は久遠の孤独。破滅などあるはずの無い未来。

 待ち受ける鬼神の如き超前衛魔導師との相性は最悪。

 されどこの身は四百を超える人を殺してきた紛れもない大量殺人者。築き上げた屍の上で常に踊り続けてきた私は、このような舞台での踊り方を十二分に心得ている。

 

 「色気もない、華やかさもない、優雅さも足りない馬鹿共に死人が踊る狂気を見せてあげる」

 

 開かれたエミレオの書から、歯と歯が断続的に打ち合わさる音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 管理世界に知られるスカリエッティとは異端の象徴そのものであった。

 

 世界規模のテロリズム・違法医学の実行など数多くの事件の主犯とされる人物。次元世界において広域指名手配されている次元犯罪者。

 ただそれだけであったならば、彼は間違いなくただの犯罪者として完結していた。

 

 だがスカリエッティという存在はただの犯罪者として完結しなかった。

 

 生命操作や生体改造だけではなく、自然科学や人間心理学、物理学などあらゆる分野に精通。

 スカリエッティは紛れもない天才であった。人の常から外れた特大の狂気に取り憑かれた至上類を見ない天才こそ彼の正体であった。

 人が築き上げたモラルを脱した非人道的な研究を行うも、彼の研究は歴史上の科学者達の業績を塗り替え続けた。犯罪者の身でありながら偉業を更新し続けたことは驚嘆に値する。

 

 八神はやてはスカリエッティを『違法研究者でなければ間違いなく歴史に残る天才』と呼んだ。

 

 これは彼女だけではなく、極一部の人間を除いた魔法世界の総意であろう。

 それほどまでの可能性をスカリエッティは秘めていた。恐らく道が違えば彼は歴史的偉人となって名を残し、死後も多くの人間を救い続けたはずだ。

 彼の才を惜しむ者達は尽きない。まさに無限の可能性を広げるだけの才能を、無限の人々を魅了する才能を彼は秘めていたのだ。

 

 そしてそれらのIFを否定するだけの狂気を秘めていたともいえよう。

 

 戦闘機人集団ナンバーズ。

 希代の天才科学者、スカリエッティによって製作された人造機械化生体兵器。彼の才能と狂気を遺憾なく発揮させた傑作。いや怪作といっても過言では無いだろう。

 ただ人体に機械を組み込むだけにはとどまらず、骨格や神経といった生体箇所にまで彼の手が及んでいる。

 人造骨格や人造器官を組み込むことは近世にかけてそう珍しいものではない。しかしそれを欠損した人体の代用ではなく、強化目的に用いたとなれば話は変わる。

 

 人体の限界を超えた活動に耐えうるための機械化。しかし産まれながらにして制限を定められた肉体には限界が存在する。

 自然の摂理によって完成された人間は、同じ人間が求める理想の肉体ではない。自然の意志と人間の欲望は既に乖離しており、無理に人体の改造を行えば神経と肉体に拒絶反応が起きる。

 いくら適合性が高い素体であれ、人である限りその限界を超えた行動を行うことができないのだ。

 

 加えて長期使用における機械部分のメンテナンスは困難を極める。機械は使用すればするほどに劣化し続けるものだ。だが肉体と融合した機械の整備は容易ではない。

 肉体は常に劣化し続けることを良しとするが、機械は常に最新鋭の技術と最善の状態を要求する。本来合わさるものではない二つの要素は常に反発するため、時間と共に異常が生じてくるのだ。

 

 これらはまさに神が定めた人の限界ともとれるだろう。

 

 そのために強化目的の機械化は時空管理局により厳しく禁止されている。被験者の体に行う処置が明らかに人道的とは言えないからだ。

 また機械化による戦闘力の向上は兵器目的ともとれる。質量兵器や、誰にでも容易に行える破壊活動を可能とする兵器を取り締まる役目を自ら負ったのは時空管理局だ。戦闘目的の機械化は許容できるものではない。

 

 だが、スカリエッティはこれを解決してしまった。神の定めた限界を嘲笑い、踏み越えてしまった。さらなる禁忌に手を出すことによって。

 

 スカリエッティは戦闘機人の作成に生命操作技術を流用。ヒトをあらかじめ機械を受け入れる素体として生み出すことでこれを解決したのだ。

 人が人の命を生み出し、都合の良いように生態情報を書き換える生命操作技術は、太古の昔から禁忌とされてきた。人が踏み込んではいけない分野であるとされてきた。

 多くの宗教が、学問が、倫理が、社会が、歴史がこの技術を忌むべきものとした。

 

 それをスカリエッティは躊躇いもなく自身の欲望のために研究。成果を上げたのだ。

 まさにこれまで築き上げた生命倫理を冒瀆するに等しい行いを彼は完成させてしまったのだ。

 

 スカリエッティの因子を受け継ぎ、純粋培養によって生まれた古参。彼女はナンバーズの中でも傑出した戦闘能力を誇り、実力は推定オーバーSランクを超える。

 まさにスカリエッティが追い求める理想の形の一つ。ナンバーズの実質的な実戦の指導者を命じられ、スカリエッティの全面的な信頼を受けているナンバーズ3。

 開発者が名前に拘らなかったのか、それとも別の意図があったのか。その名は数字の読みからそのまま名付けられた。

 

 紫のショートカットを揺らす長身。その戦闘機人の名は『トーレ』。

 彼女こそナンバーズ最大の戦力であり、スカリエッティの理想を完遂する使徒であった。

 

 『ルーテシアお嬢様、チンクの転送をお願いします』

 

 『……解った』

 

 幼さを残す少女の声と共にチンクを中心に魔方陣が出現。見るものが見ればベルカ式ベースの召還魔法だと解る。

 水面に沈むように魔方陣へ取り込まれていくチンク。見送ることなくトーレは念話による交信を続ける。

 

 『……我々の用はこれだけか?』

 

 入れ替わりで送られてきた念話の声は渋みと重みがある男の声。

 少々面倒なことになるかもしれない。駆け引きを得意とするクアットロとは違い、口はうまくないのだが……。

 

 『いえ、予備戦力として状況の経過の観察をお願い致します。状況によっては参戦を求めることも』

 

 『スカリエッティに従う義務は我々にはない』

 

 『ルーテシアお嬢様』

 

 『……別に良い』

 

 念話の向こうで激しい殺気を感じた。雰囲気だけで察せるだけの濃さ。

 勝手にお守りのお姫様に口を聞くなと頭を沸騰させたらしい。過剰とも言える執念を向けられて、お嬢様自身も戸惑うことが多いようだが。これは過保護と呼ぶべきだろうか。

 もっとも、本人にいえばややこしくなるので伝える気はない。

 

 『ルーテシアお嬢様はそうおっしゃっておりますが?』

 

 『……良いのか?』

 

 『これもお母さんのためになるのであれば』

 

 『……解った』

 

 念話の最中も鷹の目の如き鋭い視線を離さない。

 未だヒルダが激突した着地点には粉塵が舞い上がっている。

 交渉終了と見て念話を断ち切り瞬きを一つ、その時であった。スカリエッティからの通信を受けたのは。

 

 『トーレ、例のセンサーを』

 

 「はい」

 

 眼球に内蔵された熱源センサーは、ヒルダの倒れ伏した姿を捉えていた。

 生体反応センサー、魔力流動センサーを並列して機動。両センサーによってヒルダの肉体から反応を感知。

 

 ついでヒルダからドクターが解析を求めているアンノウンのエネルギー反応も感知される。試作運用として仮搭載された機器を用いて解析、分析共に開始。

 

 『……素晴らしい』

 

 スカリエッティが感嘆を吐露する。発せられた声は至上の歓喜に打ち震えていた。

 反してトーレはより一層の危機感を募らせる。鋼鉄の拳は本人の知らぬうちに強く握りしめられていた。トーレがとった体勢は静観。しかし一言でも命令が下されれば、即座にヒルダを殺害できる構え。

 

 網膜上に流れる〇と一の羅列。魔力とは異なる未知の情報体の濁流に、トーレは一瞬目眩のような錯覚を覚えた。

 戦闘型とはいえ、この身は戦闘機人。ドクターの施術を受けた脳は潜在能力を効果的に引き出されており、稼働率は高ランク魔導師のそれを容易く超える。

 

 計算処理領域は他のナンバーズや、ドクターの計算機器とリンクすることで際限なく拡張が可能。戦闘機人はバックサポートを受け入れられる限り、時間や状況を問わずに機体のアップデートが行える。

 つまり人が数十年かけて身につける経験を、危機感を、情報を彼女達は互いに共有し処理することで即座に習得。機械の体は人が長年の修練のかけて磨いた感覚と動きを、たった一瞬の更新により実現させる。

 狂気の科学者が誕生に人為的な力を介在させ、開発された戦闘機人はまさに恐るべき驚異と狂気の産物だ。

 

 だが、その戦闘機人の処理能力をもってしても追いつかない。追いすがることすらできない。

 

 「ッ!」

 

 『く、くはははははははははははははははははッ!素晴らしい、素晴らしいよヒルダくんッ!』

 

 もはや一つの次元すら発生させる〇と一の羅列で構成された組成式が、何百と複雑に絡み合ってヒルダの体を覆っている。

 計算能力がいくら高度であっても、それを処理するこの身が持たない。情報伝達回路が焼き切れそうになり、網膜には危機を告げる警告文が先を争って重なり合い表示されていく。

 

 「……なんと、凄まじい」

 

 鉄面皮のように動かなかったトーレの顔に裂け目が生じる。感情を戦場で表すなど武人にあるまじき愚行。だが理解はすれど、濁流のような組成式は急激に身を蝕む。思考を喰らい尽くしていく。

 視界が歪む。全身が激痛に飲み込まれる。膨大な情報量は機械の体を持つ彼女にとって、もはや致死量の毒に等しい。

 

 『彼女は魔法が魔力で発現するのに対して、《咒力》で発現すると言っていたかな?ならばこれは咒法、もしくは《咒式》と呼称するべきかね?』

 

 「ドクターが決めた呼び名で構わないかと」

 

 『ふむ。それとトーレ、戦闘型である君ではこの情報量に耐えられないだろう。いや、例えクアットロであったとしても耐え切れまい。データを転送するだけで構わないよ』

 

 「よろしいのですかドクター?」

 

 『ああ』

 

 トーレが観測記録を演算と分析ではなく転送へと切り替えると、狂気の科学者はますます爬虫類を思わせる笑みを深めた。

 スカリエッティの中では既に咒式と呼称が統一されたらしい。ここ数年で一位二位を争うような欲望が滲み出た微笑みを浮かべながらトーレに語りかけていく。

 

 『ははは、彼女はまだまだ私達に咒式を開帳してくれるらしい。ならば私達は思う存分ご教授に与ろうじゃないかッ!』

 

 「っは!引き続き情報の収集を継続します」

 

 スカリエッティの言葉を肯定するかのように、ヒルダをまるで繭のように包み込んでいた咒式の組成式が収束に向かう。

 そして反するように新たな咒式の反応を確認。

 機能強化した知覚器官であるズームレンズにより、ヒルダの本型のロストロギアの起動を確認。

 

 『このエネルギー量子は魔力ではない、光子の持つエネルギーか?作用量子(プランク)定数hを操作……となればあの法式は魔方陣と同様。いや、それ以上に効率的な』

 

 「ドクター、来ます」

 

 センサーではなく、これまで蓄えた戦闘データではなく。戦い抜いてきた武人としての勘が告げる。全力で立ち向かえ、躊躇えば死ぬぞと。

 

 戦場へ立つと常に肌が張り詰めるような感覚に襲われた。だがった今、目の前のヒルダが放つ殺気は桁が違う。

 肌が張り詰めるのではなく裂けるような錯覚。髪が逆立ち、背筋が凍り付くような寒気。

 ねっとりと絡みつく血と泥のような殺気は、トーレがこれまで経験したことのないものであった。

 

 トーレがファイティングポーズをとった直後。

 白く丸い物体がトーレへと放り捨てるように投げられる。それはトーレへと届くことはなく、投げられた先から数メートル先の地点へ落下。

 警戒によりトーレは既に落下物から飛び退り、安全圏への逃避を成功させていた。

 

 投げるタイプの質量兵器。もしくは着弾後に広範囲に爆発、それとも小型の魔力弾を複数ばらまくタイプの射撃魔法か。

 複数のパターンを想定したトーレであったが、投擲物は彼女のパターンの何れにも当てはまらないものであった。

 スカリエッティですら予想と外れたのか、通信の向こうで呆気にとられている様子が感じ取れる。

 

 「あれは……?」

 

 『ふむあれは……』

 

 スカリエッティが投擲物を見定めた。目を細め、興味深げに対象を観察する。

 

 『Type I collagenやプロテオグリカンなどの膠様質が約三十五パーセント。残り六十五パーセントはリン酸カルシウム、炭酸カルシウム、リン酸マグネシウムといった石灰質により細胞間質が構成されているね』

 

 「ドクロ……?」

 

 『骨格を持つ生物の頭部の骨だな。至って普通の頭蓋骨だよ』

 

 肉や脂質、毛が完全に失われた生物の白い頭蓋骨。

 いくら調査しても結果は変わることもない。わざわざ召還技能で呼び出したのが……生物の、骨?

 

 『ふむ……。これは我々に精神的負担をかけることが目的であり、挑発的行動と考えれば安直だが解りやすい。そうであればいささか興奮が冷めるがね』

 

 比較的感性が豊かであり、起動時間が少量のナンバーズならば目的効果が見込めるだろう。

 だがナンバーズの古参であり、戦闘行動に重きを置くトーレの精神には遊びが少ない。

 この程度は精神を揺さぶるどころか、威嚇にもならないレベル。はっきり言って無意味な行動だ。ドクターの失望も当然であろう。

 

 しかしトーレは疑問を覚える。

 あの怖気の原因がこの程度のものであろうはずがない。彼女には期待にも似た確信を感じていた。

 

 落ちた頭部の骨を静かに見つめる。

 突然、生命を失ったはずの物言わぬ開かれた口が静かに合わさった。軽い石と石を打ち合わせたような音が、張り詰めた糸のような静寂を断ち切る。

 

 「……咒力の反応を確認」

 

 トーレは未知の存在から逃れるようにさらに後方へと飛ぶ。

 

 人間の頭蓋骨がその場で浮遊。重量を無視するかのように空中に固定。

 頭部から頸椎が形成。伸びるように背骨が連なるように追っていき、上腕骨や大腿骨を伴って人体の骨格を作り上げていく。

 

 さらに暗闇から這い出るように牛、馬、犬、人間の頭蓋骨が。果ては魔法生物や人外の異貌のものどもの頭部が出現。同じように骨格を次々と形成していく。

 その数は百を超えても増え続けていき、今や一軍を編成しようとしていた。

 

 『骨格は人間が大多数だが、大型の巨人や魔犬に竜種も見られる。果てはネズミや馬など節操なしだな。面白いのはこの私でさえ知らない生物の頭部と骨格が確認できることか。アルハザードの記録でさえ観測されてはいない生物、その骨をまとめ上げる死者の軍団。あぁ、実に素晴らしい。生物の骨など飽きるほどに見てきたが、ここまで心揺さぶるものは初めてだ』

 

 死者の軍団の中心に、黄金の王冠を頭部に乗せた巨大な髑髏が出現。

 己を誇示するかのように鈍く輝く王冠が、飾り気のない骸骨の群れでの象徴となっていた。

 

 王冠を身につける髑髏の眼窩に青白い燐光が灯る。

 彼の骨格が完成。巨大な髑髏を中心として、物言わぬ骸骨達の眼窩に暗い光が灯っていく。その広がるさまはまるで波紋のようだ。

 髑髏の王の骨格が完成すると、肉のない骨の手に柄が握りしめられる。柄の先にある三日月の大鎌が、輝き照らす太陽を遮るかのように高々と掲げられた。

 

 「……あれは、生物なのか?」

 

 『生体反応は君の探知機能でも十分捉えきれるレベルだ。その問いは愚問だよ』

 

 驚きに発せられた言葉に、スカリエッティはやや冷めた物言いを返す。

 

 『そもそも生物という定義自体が非情に曖昧なものだ。その曖昧な中でも基準として成立しているエネルギー変換手段と、恒常性維持能力を有していることは計測器から解っている。生物と呼ばれてもおかしくはないだろう。それに私はあの生物が意志を持っているようにも思えるのだが……?』

 

 巨大な骸骨の頭部がゆっくりと可動。

 視線、というにはあまりにも異質な何かが向けられる。静かに眼窩の奥でギラギラと輝く青白い光の先にはトーレの姿があった。

 

 『消化器官や内臓、筋組織や呼吸器官が存在しない。骨格がありながら骨格筋が無い時点で、骨の存在意義が問われるが……。ここまでは生物の枠組みとしては看過しよう。しかし脳や心臓、感覚器官に神経系までも無いとなると話は変わる』

 

 揺れるように死者の軍団の先頭へ進み出る巨大な骸骨。

 歯を打ち鳴らし、大鎌を肩に抱え持つ人外の輩。

 

 『現在において私達が推測できる有力な説は二通りある。一つはエネルギー体が物体を介することで発現している可能性。もう一つは闇の書のようにプログラムにより生まれた魔法生命体が実体化する実態具現化が行われている可能性だ。あれの存在自体がヒルダ君の持つ書物の守護プログラムである可能性も十分考えられるね』

 

 「私の有する攻撃手段は通用するのでしょうか?」

 

 『それをこれから君自身が確かめるのだ。全ての観測機器の状態はオールグリーン。戦闘行動が行われる予測範囲一帯全て、僅かな漏れもなく情報を収集できる状態だ。トーレ、君には期待しているよ?』

 

 「ッハ!」

 

 髑髏の王が大鎌を天高く振り上げ、流れるように切っ先をトーレへと向けた。

 死者の軍勢が声なき咆哮を発すると共に、髑髏の王が天へ昇るようにゆっくりと浮かび上がっていく。

 

 神話の始まりを告げるかのような光景を前に、通信からはもはや興奮を隠そうともしないマッドサイエンティストが声を弾ませた。

 

 『さぁ――――宴の始まりだ』

 

 「了解、任務を続行します」

 

 髑髏の王を先頭に骸骨の群れがトーレへと突撃を開始。

 目にも止まらぬ速度で髑髏の王が空中を急降下。もはや一発の大型砲弾と化し一直線に滑空。急激的な加速をもって髑髏の王はトーレへと迫る。

 

 「速いッ!」

 

 あのドクロ型の魔法生物が持つ飛行能力は、上級魔導師の行う飛行魔法を超えているのかッ!?

 

 トーレはただ回避行動を行うだけでは、より一層の危機に直面する可能性があると判断。

 彼女の先天固有技能である『ライドインパルス』を発動した。

 

 『高速機動』の異名を持つ『ライドインパルス』。

 

 人間の肉体には己の生命を護るために様々な制限がかせられている。

 特に加速に対して人間の脳は極めて繊細であると言わざるを得ない。人間が耐えられる限界の一つに、脳に血液を安定して送れる重力の幅。そして自身の重さに耐えきれる幅が存在する。

 

 重力加速度、通称『G』と呼ばれるそれはまさに高速移動を行うものにとっての強力な毒だ。

 足下方向に高いGを掛ければ体内の血液が重力の働きにより脳に回らなくなり、次第に視野が狭くなりグレートアウトやブラックアウト現象を生じさせる。これにより意識の喪失、人体の麻痺や生涯にわたる異常。最悪の場合は死が待っている。

 

 そして直線運動だけでも高速移動は高いGの洗礼を受けるがコーナー速度と瞬間旋回能力、維持旋回能力において生じるGは更にその上をいく。

 

 三次元機動を行う魔法戦闘において、飛行魔法はランクの高い魔導師のみが使用できるものとされている。

 これには多少の誤解が生まれている。それは飛行魔法を扱えるものが『ランクの高い魔導師である』であるというものだ。

 

 実際は高ランクの魔導師でなくとも飛行魔法は発動できる。プログラムとしてデバイスに登録が可能となった現在、飛行魔法自体は簡単に発現が可能だ。

 だがそれを実戦において有用に活用できるようになるかといえば話が別だ。

 

 空中において行われる三次元機動はまさに地上とは別格の世界。

 魔導師が強化魔法によりいくら肉体を底上げしていようと、飛行魔法により生じたGに対する耐G能力が簡単に上がるわけではない。

 それだけではなく空中においての戦闘にはまさにセンスが問われる。目まぐるしく動き変化する視界でどれでけ自身の持つ実力を発揮できるか。上空や下空だけではなく、地上や遠距離からの攻撃に空中でどれだけ対応できるか。

 

 結果的にそれらの条件に当てはまる魔導師が、高ランクの魔導師になれるだけの実力を持つものである事が多い。

 飛行魔法は発動できるかではなく、扱いこなせるかによってその効果を認められるのだ。

 そして空中戦闘において最も解りやすく一番の判断基準は耐G能力という一点に帰属する。

 

 耐G能力が高ければより他の魔導師を圧倒する高速起動戦闘を展開できる。

 思考に余裕が生まれ、有利な状況への判断を作り出すことができる。

 

 そう、飛行魔法においての戦闘は魔導師の耐G能力が高ければ高いほどに有利に戦闘を運ぶことができる。

 

 だが所詮は人間。その肉体を超えるだけの機動を飛行魔法で行うことは不可能。

 仮に行えるとしても、生命や今後の活動に深い傷跡を残す危険があった。

 

 しかしトーレは違う。

 戦闘機人という強靱な素体構築は人間の限界とされる9Gの壁を打ち破り、新たな世界を切り開いた。

 全身の加速機能は瞬間的な加速を可能とし、地上でさえも超高速機動を可能とする。最大速度は人間の視認速度を超え、魔法世界の探知技術ですら振り切る。

 

 まさに戦闘においての鬼神。他の追随を許さぬ速さと戦闘技術はナンバーズにおいても並び立つ者はいない。

 

 だがトーレが鬼神であるならば、目の前の髑髏は異形の王。

 人の常識を無視した機動と速度は、トーレが警戒するに十分値する。

 

 髑髏の王は死者たちを率いて瞬く間に距離を詰める。大鎌を振り上げて呵々と笑う姿は古の絵画に描かれた死神そのもの。王の声なき笑い声は目の前の敵を殺す喜びの哄笑であった。

 

 トーレは起動していた先天固有技能の出力をさらに上昇。かかとが石床を砕く。

 鎌の切っ先から身を躱すと同時に、高速移動により攻撃予測地点から数メートル先まで後退。人の目に捉えられない速度の移動は、まさに瞬間移動を行ったかのように錯覚させる。

 トーレの回避から間を待たず振り下ろされた髑髏の王の一撃が、鋪装された道路を抉った。

 

 「何ッ!?」

 

 そう、文字通りに『抉った』のだ。スカリエッティもトーレの視界から転送された映像に唸る。

 

 すぐに轟音と爆音が広がり、視界が異常なほどに多い白い煙に包まれる。トーレは白煙から逃れるようにさらに後退。

 すぐにビルの合間から吹き抜ける風が粉塵をかき消す。全貌が次第に明らかになっていった。

 

 コンクリートの道路が裂けるようにして両断されていた。髑髏の王の攻撃により生じた深さは、鎌の刃渡りと同様の約1.5メートルにものぼる。

 

 それだけの衝撃を受けたにしては、あまりにもこの状況は不可解であった。あの勢いに乗った一撃を受ければ、衝撃が拡散し周辺に大きな罅生じて陥没してもおかしくはない。

 しかし現実はまるで削り取ったかのように綺麗に切り刻まれている。まるで種が解らない。

 

 「仕掛けは解らないが、実体であるのであれば戦えるッ!」

 

 トーレは髑髏の王へ目掛けて突撃。髑髏の王は大鎌を振りかぶり迎え撃つ。

 髑髏の王が放った一撃をトーレは頭を屈める事で回避。すぐさまヒルダに放った高速の一撃を剥き出しの骨へと叩き込む。助骨が砕かれ、舞い散る骨片が頬を掠めた。

 

 しかし髑髏の王の攻撃は止まらない。まるで何事もなかったように横なぎに薙ぎ払われた鎌に思わず目を見開く。振られる大鎌の勢いには僅かな陰りさえも感じない。

 髑髏の王はトーレの一撃を避けることなく、自身の攻撃を優先したのだ。もはや振り抜かれた大鎌の一撃から逃れる事は不可能に近い。

 

 高ランク魔導師の防御魔法すら貫く己の攻撃が牽制にすらならない。そんなことはトーレのこれまでの稼働経験からしても皆無。己の戦闘経験を根底から覆す存在であった。

 

 トーレは回避は不可能。受け止める以外に対処法は存在しないと判断。

 両腕のインパルスブレードを交差させて髑髏の王の大鎌を受け止める。

 直後、足下の地面が周囲を巻き込んで陥没。あまりの常識外れな衝撃に、強化骨格が軋む音。大地に突き立つ両足が震え、受け止めた両腕が悲鳴を上げた。

 

 いったいあの骨からどうやってこれだけの力が生み出されるのか検討が付かないッ!なんて馬鹿げた力だッ!?

 

 内心驚きを隠せないトーレをよそに髑髏の王の攻撃はこれに止まらない。

 トーレの網膜に警告が表示。トーレが異常を感じ取ると同時に、インパルスブレードの出力が急激に低下。

 攻撃を受け止め続けるエネルギー翼が徐々に縮小。比例するかのようにトーレの体は大鎌に押し込まれていく。

 

 「これは、いったいッ!?」

 

 自らの固有武装であるインパルスブレードはエネルギー体で構成された刃。

 出撃前に異常は見られず、性能や出力はこの戦闘においてもオールグリーンの状態であったはず。

 それ以前にこのエネルギー翼は故障したこともなければ、数値に僅かな誤差さえ出ることはない。

 命を預けるべき武装の整備を怠ったことなど、機械同然の私にとってあるわけがないのだ。

 

 それがこの土壇場で異常事態を引き起こす?それも出力のみがまるで削られるかのよう急加速で低下?

 

 さまざまな要因が頭をよぎる。だがエネルギー翼を切り裂くように少しずつ切り進む刃を確認。疑念が確信へと変わった。

 

 「原因は……キサマかぁッ!?」

 

 嬉々として刃を押し込む髑髏の王と、苦々しく歯を噛み締めるトーレの顔が互いに接近。かろうじて拮抗しているものの限界は近い。これ以上エネルギーの消費はまずい。

 たまらずトーレは髑髏の王の脇腹へ向けて蹴り抜く。予想していたかのように回避されるも、力が一瞬だけ緩んだ隙を逃さない。

 大鎌をはじき飛ばして離脱。追撃で薙ぎ払われた一撃を横転で避けながら空中へ飛翔。空高く飛び上がる。

 

 髑髏の王も追随するように飛び上がった。空中へ逃れたトーレへと突貫。

 トーレは間一髪これを高速移動で回避するも、放たれた大鎌は直線上にあったビルに直撃。白や灰色の粉がまき散らされた。さらに大鎌の一撃は鉄骨にも及ぶ。鉄骨は折れ砕け轟音と共にビルが崩れ落ちていく。

 

 スカリエッティはこれを冷静に観察。

 ビルを形成していたコンクリートは珪酸三カルシルムが約五十六パーセント、珪酸二カルシウムが二十四パーセント、その他アルミン酸カルシウムや鉄アルミン四酸カルシウムに分解。

 それらが白と灰色の爆粉となって空中に舞い上がっているのだと理解した。

 

 『トーレ、その魔法生物が持つ鎌と君の持つインパルスブレードの相性は最悪のようだ』

 

 「どういうことですッ!?」

 

 『あの鎌は物質組成に干渉することで対象を分解する能力を有している。それもかなり高度なものだ』

 

 追撃の振り切られた鎌を回避したトーレが更に逃れるように地上へ着地。

 髑髏の王が無音の突撃指令を敢行。群がる骸骨の群れを肉弾戦で砕き、エネルギー翼で切り裂く。

 

 『それはエネルギー分子からなる組成構造も例外ではない。恐らく魔力組成で構成された物もあれは容易に分解するだろうね。バリアジャケットなど紙同然に対象を両断するだろう』

 

 トーレの戦闘方法は異常な高速機動により生み出される肉弾戦闘だ。

 中距離や遠距離からの攻撃を高速で回避し接近、情報を累積し即時反映する事により得た異常な近接戦闘能力で圧倒する。

 武装を肉体自体に内装したのは、高速戦闘における運動負担を軽減するため。インパルスブレードのエネルギー翼も高速起動によって発生した空気抵抗の問題を解決する。

 トーレの肉体はまさに理想的な武人としての在り方を体現していた。

 

 それだけに大鎌の分解能力はトーレにとって相性が悪い。

 この髑髏の王が持つ分解能力がトーレの持つインパルスブレードを凌駕。つまりトーレは髑髏の王の攻撃全てを受け止める、受け流すという肉体戦闘の基本的な防御を行えない。あの剛力を分解されるインパルスブレードで受け止め続けることなどできないからだ。

 

 トーレは髑髏の王の攻撃をかわし続けるしかない。結果として回避や反撃の難易度は跳ね上がり、肉体の負荷は倍増する。

 

 死者の群れを吹き飛ばしながら髑髏の王が突貫。味方である骸を両断することもかなわずトーレめがけて鎌を振り回す。回避に徹し続けるトーレの動きに乱れが生じ始める。

 緊迫した表情で構えをとるトーレとは反対に、髑髏の王は歯と歯を打ち合わせながら笑う。

 

 絶望はこれだけに終わらない。髑髏の王へと死者達が群がっていく。

 何事かと見ればトーレが負わせた傷跡に死者達は我先にと取りついていくではないか。

 砕かれた胸の骨へと群がった髑髏は同化するかのように攻撃跡へと吸収される。瞬く間に髑髏の王の傷跡は消え去ってしまった。

 

 『さらにあれは眷属達を取り込むことで負傷を回復させることもできるようだね。ふむ、中々に効率的な生物だな。腕や足、胸や臓器を負傷すれば大抵の生物は戦闘行動に何らかの異常をきたす。しかし彼はそのような煩わしいものが無く骨格という単純な構造がそのまま強さに繋がっているッ!』

 

 「エネルギーコアの反応はありますか?」

 

 『良い着眼点だよトーレ』

 

 あの生物がこうして成立している以上、二つ構造が考えられる。

 一つはあの死者の群れ全体が一つの魔法生物という推論。これは一体一体相手するのではなく、まとめて殲滅する以外対処の方法が存在しない。

 まさに災害と等しい生態を持つ生物だ。

 

 だがそれでは再生のタイミングがおかしい。

 

 群生魔法生物であれば例えあの大型な個体が死滅しても他の髑髏が一体でも残っていればすぐに再生が行われる。もしくは傷を負った時点で直ぐさま再生が行われるはずだ。

 あの時点での再生は適しているとはいえない。むしろそのまま此方に襲い掛かってもいいはず。

 

 となれば残るは可能性は一つ。

 

 「筋肉も腱もなしにあの体を動かす事は出来ない。それを可能とする力の発現地点が、エネルギーコアが存在するはず」

 

 『悪いが咒力反応感知自体があまりにもデータ不足でね。複雑に混ざり合った億を超える構成式を解析するにはさらに時間が必要だね』

 

 「では……」

 

 『あの巨大な髑髏に核があるのか、それとも周辺の髑髏に紛れ込ませているのか。核自体がどれほど存在しているか解っていない。そもそも今回は様子見のデータ収集が主な役目だ。そう考えればもう十分、いやそれ以上に君やチンクは成果を上げてくれた』

 

 死の斬撃を逃れつつ、時節連撃を繰り出すも効いている様子は無い。髑髏の王が放つ攻撃は一撃ごとに鋭さを益々増していく。

 

 目の前の脅威に対する対抗策は現時点で存在しない。

 戦力は揃わず、こちらは追い詰められる一方。

 

 「ドクター、これ以上の戦闘継続は困難です。一旦撤退し、体勢を立て直すべきかと」

 

 『ああ、構わないよ。しかしヒルダくんは素晴らしい、こんな隠し球を持っているとは……。君はいったい私にどれだけの可能性を見せてくれるのかな、くくく』

 

 髑髏の王の攻撃を脚部のブレードで跳ね返す。これだけで多大なエネルギーが消失した。あの分解能力は反則級だろう。

 反撃で放った回し蹴りは大鎌に受け止められるも衝撃を受け流しきれなかったのか。体勢に僅かな隙が生まれる。

 

 だがこちらに追撃の余裕はない。度重なる人並み外れた暴力的な力は戦闘機人の耐久性を大きく上回っている。

 加えてインパルスブレードのエネルギー残量は既に限界に近い。この化け物の分解能力に付き合ってられるかッ!

 

 反転し逃走を開始。ビルの側面を走り抜きながら念話を図る。

 

 「ルーテシアお嬢様、送還の魔法陣をお願いします。あまり長くは持ちません」

 

 『了解、発現地点は?』

 

 「LB12654・GK128地点、十八秒後に到着予定」

 

 『わかった……』

 

 全身が凍りつくような悪寒。

 直後、ビル側面から飛び退る。遅れてトーレが走り抜くはずだった僅か先の壁を突き破って現れる大鎌。

 円形状にビルの側面が分解され、白と灰色の粉塵と爆風が空中に逃れたトーレを襲う。

 

 「もうここまで距離を詰めたか……ッ!」

 

 粉塵を突き破って髑髏の王が出現。

 その姿を確認する事なく再び空中を走り抜けていくトーレ目掛けて、髑髏の王は追随するように付き従っていた人型の髑髏の頭部を鷲掴みにし投擲。

 

 弾丸を超える速度で放たれた死の剛速球。感知したトーレは振り向きざまに肘のインパルスブレードでこれを両断。

 真っ二つになった死者の頭部はそれぞれトーレの両脇のビルに着弾。

 それにより壁が崩れ落ちる頃には、既に髑髏の王はトーレのすぐ側まで接近し終えていた。わずかな隙を逃さない異常な速さは、高速移動を駆使するトーレですらも驚きを禁じ得ない。

 

 スカリエッティ、トーレ、そしてヒルダですら知らないがこの髑髏の王。超級咒式士すら恐れを抱く異貌のものどもであった。

 

 トーレは確かに強靱な戦闘機人だ。

 蓄積された戦闘経験をすぐに実戦で発揮できる肉体と機能を兼ね備えた超戦士。Sランクオーバーのナンバーズ最強の使徒であることに間違いは無い。

 

 だがそれでも稼働年数は五十年以内に過ぎない。他のナンバーズの経験を吸収し、あらゆるデータで実力を高めていったとしても、戦闘経験はまだ人の理解する範疇に収まる程度だ。

 

 しかしこの髑髏の王は違う。

 咒式世界において遙か昔から様々な種族と殺し合い、勇者や英雄と呼ばれる実力者、果ては国家の軍隊からも逃れ続けた超級の異貌のものどもだ。

 弾丸を視認で避けることすら可能な超視力と、超反応を持つ前衛咒式士を何百人と殺害。体を変貌させ、座標を転移する追っ手すら振り切って二千年も生き延びてきた正真正銘の化け物である。

 

 まさに存在自体が咒式士達と異貌のものども達が繰り広げた、長い戦闘の歴史を体現しているかのようなものだ。

 殺し合う経験に関してはトーレのそれを遥かに凌ぐ実力者だといえよう。

 

 ここに至りトーレは目の前で刃先を自身に向ける化け物が、今まで自分が戦って来た何よりも恐ろしい存在であると自覚した。

 大鎌の分解能力が恐ろしいのではない。再生能力が恐ろしいのではない。戦闘機人を凌駕する力、速さが恐ろしいのではない。

 

 この化け物自体が戦場の具現化された一つの存在であることに恐ろしさを感じたのだ。

 

 そして理解した瞬間、胸の奥から例えようのない激しい感情が湧きあがる。

 それはまさに絶頂に等しい快楽と興奮であった。まるで恋い焦がれた乙女のように、トーレはたった今。この髑髏の王へ猛烈な殺意を抱いたのだ。

 

 「(私は、この化け物と戦いたいッ!命尽きるまで、殺し合いたいッ!)」

 

 常に冷静な自分らしくもない思考。

 興奮のインパルスに脳内のドーパミンが溢れ、体を武闘の快楽へと導いていく。

 

 これまで並び立つことがない孤高の道に初めて立ちはだかった強敵。スカリエッティに命じられた使命とは別に課せられた束縛。

 今であればクアットロやウェンディが何故、命じられた事をまっとうする以外に想いを寄せたのかが理解出来る。

 

 ……嫌というほどに、解ってしまった。

 

 「(退く。だが私は、貴様を殺す、絶対に私が貴様を葬ってやろうッ!)」

 

 王冠を乗せた髑髏の長い上腕骨が高く掲げられる。

 髑髏の王が繰り出す視認が既に不可能な速さの一撃を、トーレは己の感覚のみで躱しきった。

 大振りになった鎌の隙を逃すことなく、トーレは右手で握りしめた鋼拳を胸部目掛けて射出。人体を粉砕する音速の拳は、返しの刃の側面によって受け止められたかのように思えた。

 

 「甘いッ!」

 

 しかし拳は僅か数ミリ先で着弾せずに停止。

 トーレには髑髏の顔が驚愕で歪んだかのように感じた。肉付きがないそれを、どうしてそのように受け取ったかは自分でも理解しがたい。

 

 予想外の行動は思考に空白を生じさせ、体全体に弛緩と硬直をもたらす。

 そして引き起こされた髑髏の王の体勢の乱れは、高速戦闘において致命的であった。

 

 トーレはスカリエッティに負けず劣らない欲望と、喜びに濡れた笑みを顔面に張り付ける。

 左肘のインパルスブレードの出力を最大へ。躊躇いもなくそれを不自然に止まった大鎌に叩きつけた。

 浮き上がる髑髏の王の巨体。軋む左腕。踏み抜かれ砕けた舗装道路。

 トーレはこれに止まることなく右手のインパルスブレードをさらに大鎌へ殴りつける。

 多くのエネルギーが分解され、空中へ光子となって霧散。だが光の粒の中でトーレはさらに頬を釣り上げる。

 トーレの両目にはガラ空きとなり、隙だらけになった髑髏の王の姿が映っていたのだ。

 

 「ハァァァァァァァァァァァッ!」

 

 空気を振動させるトーレの咆哮。主の危機を感じ取った死者の群れが彼女の体に纏わり付く。髑髏の王との間に割り込むようにトーレへと飛びかかる。

 だがそれはトーレにとって拘束には成り得ない。纏わり付く髑髏を吹き飛ばし、遮る死者を蹂躙しながらトーレの正拳突きは髑髏の王へと到達。

 

 胸骨を粉砕し背骨を叩き割る熾烈極まり無い一撃に、髑髏の王は声なき悲鳴を上げて吹き飛ばされた。空中に頭蓋骨や肋骨、大腿骨の破片が散る。

 轟音。さらに爆音。道路を抉るように、死者達の群れのをまるでモーゼの海割りのようにして転がる。

 

 片腕を失ったトーレは戦果を確認することなく、十数メートル先に出現した魔法陣へ急ぎ空を駆ける。

 

 「やはりあれは、今の私には手に余る」

 

 走り抜けるトーレの横顔には微笑み。

 

 決定的なあの瞬間、髑髏の王はトーレの攻めを受けながらも大鎌を振り抜いた。

 トーレの『一撃』を迎えたのは『防御』ではない。死を錯覚させる程の強烈な『一撃』であった。

 

 なんと恐るべき殺意。敵対者を葬る獰猛な戦闘欲か。髑髏の王の一閃は確かにトーレの右腕を刈り取った。

 流石のトーレもこの予想だにしない攻撃から完全に逃れることはできなかった。分解能力により腕の付け根まで特殊金属が粒子に変えられてしまう。あと少し反応が遅ければ胸部にまで被害は及んでいただろう。

 

 これは被害を腕一本で留めたトーレに賞賛を送るべきあった。並みの魔導師や咒式士であれば、何が起こったか知ることなく袈裟切りにされて絶命していたに違いない。刹那の世界での駆け引きに、トーレは勝ち残ったのだ。

 

 髑髏の王は既に従者達を取り込むことで再生を始めていた。

 だがトーレが負わせた傷跡はあまりにも深く、行動可能になるまでに数秒の時間を要する。

 その隙にトーレは転送の魔法陣へと撤退するべく、満身創痍となった体に鞭を打って向かう。

 

 インパルスブレードの輝きには陰りが生じ、戦闘で積み上がった疲労と負傷で稼働率は28.381パーセントも低下していた。何よりも片腕を失った事が致命的である。もはや退くことに一切の躊躇いは無かった。

 

 スカリエッティの下へ向かう転送魔法陣への距離。残り二メートル。

 

 「次はこの経験を糧に勝利しよう。しばしお預けだ」

 

 そうトーレは決意を新たにし、魔法陣へと飛びんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人間ってさ、勝ったって思った時に一番隙ができるんだよね♪」

 

 その時、トーレは確かに感じた。姿無き大鎌を。

 髑髏の王とは違う、正真正銘の死に神の鎌に首が触れた感覚を。

 

 「――――ッ!」

 

 凄まじい圧力を感じた瞬間、トーレの視界が激痛に真っ赤に染まる。

 耐え難い苦痛に身を揉まれるも強靱な意志で現状を理解。鼻や耳から溢れ出る血液をそのままにトーレは背後に跳ねるようにして着地する。

 

 これは、ヒルダが対管理局戦で使った謎の気圧結界――――ッ!?

 

 装甲や耐久力を無視して体内を蹂躙し尽くす結界。

 負の十気圧を限定空間内部に発生させるという殺戮のための即死咒式。その正体は化学錬成系第六階位『吸血負圧無間圏(パパ・ゲーノ)』の咒式であった。

 

 対応は早かったが、恐るべき対生物咒式の猛威はトーレの体を蝕む。内臓破壊の出血が口の端から流れて空中へ滴り落ちていく。

 

 「それで、その時ほど単純で鈍~い動きをするわけ。一人っていうのは自分が知らず知らずに犯したミスに気がつけないって事。そしてそのちょっとしたミスが命を奪っちゃうんだよね~」

 

 結界を逃れたトーレの体に殺傷設定の魔力弾が次々と被弾。体を削り貪るような衝撃に、堪えていた血液が口腔より吐き出された。

 ヒルダは吸血負圧無間圏(パパ・ゲーノ)からの逃走経路に狡猾な罠をしかけていたのだ。

 だが本来であれば回避が容易な射撃魔法であったはず。しかし体表に存在する繊細な器官が『吸血負圧無間圏(パパ・ゲーノ)』により損傷。不意の罠に体勢を完全に崩した上、髑髏の王との戦闘で消耗した体では避ける事が叶わない。

 

 「(体に残ったダメージ故に、反応が、間に合わッ――――!?)」

 

 着弾着弾着弾。魔力弾が連続的に破裂。着弾のたびにトーレの体が震える。皮膚を焼き肉を焦がす。流れ出る血すら魔力弾の高熱で蒸発させられる。

 

 「あのパンハイマの咒式と正面からやり合える『寂寥のクインジー』で弱らせ、負の圧力咒式で追い詰め、逃げ道に罠を張る。まぁ使い古された方法だし、何度も使ってたから前はばれちゃったけど……。こっちではまだまだ使えるわね」

 

 トーレが吐き出した血霧の先にヒルダが突如出現。背後には霧状の古き巨人エンゴル・ルが浮遊している。

 少女趣味のバリアジャケットに、桃色の髪を揺らしながら同色の目で嘲笑う。

 エンゴル・ルの咒式により空気を歪め、光を屈折させて自身の姿を隠蔽していたのだ。

 

 怪我どころか髪に僅かな乱れすらない、トーレの一撃を受ける以前の泰然たるヒルダの姿がそこにあった。

 

 「お前の不運は三つ。一つはクインジーとの相性、一つは脳筋のくせに単独で私と戦ったこと、そして――――」

 

 血にまみれ崩れ落ちる体を両足で支えるトーレの背後に白い影。

 完全に再生を遂げた髑髏の王――――寂寥のクインジーがゆっくりと立ち上がる。

 目の青白い光がより一層輝きを増していた。数十体の白骨が腰より下に連なり、クインジーの体を浮かせている。

 

 デバイスの先に魔力光が灯り、ヒルダの周囲に魔力スフィアが次々と出現。魔杖の先を苦しげに膝をつくトーレへと指し示す。

 

 「ザッハドの使徒であるかわいい私を舐めたこと。以上、勉強代には命をいただきまーすっ!」

 

 魔力スフィアが一斉にトーレへ射出。さらにヒルダの後ろに浮遊するエンゴル・ルが新たな『吸血負圧無間圏(パパ・ゲーノ)』の咒式を構成。この圧倒的有利な状況においても、今のヒルダに油断という言葉は存在しない。

 トーレの先制の一撃はヒルダに致命的な傷を負わせた。しかしこれによりヒルダの心に存在していた致命的な傷は埋められてしまったのだ。

 

 狩人として覚醒したヒルダが、己の情報を持たず尚且つ初戦の相手に後れを取るはずがない。

 

 死者達に担がれたクインジーがトーレ目掛けて突貫。何十体もの死者を伴って空中を突き進む姿は死の濁流そのもの。骨の指で掴み振り上げる大骨の鎌が高く掲げられる。

 

 弾丸のように水平飛翔するクインジーに、トーレは片腕を構え迎え撃とうと試みる。 

 だが構えたインパルスブレードの弱々しい輝きが、彼女の状態を誰よりも物語っていた。疲労困憊、度重なる猛攻に身を磨り減らしたトーレはこの波状攻撃に耐えきれない。

 振り上げた大鎌が鈍い輝きを放つ。魔力弾のブーストが発動。更に速度を上げた弾丸が生命を刈り取るべく空気を裂いて進撃。

 

 「きゃっほーっ!ヒルダちゃん大勝利、第一章完っ!……って」

 

 ヒルダが喜悦に富んだ声を上げるも、声の高さが最低まで落下。同時に魔杖風琴を親指で素早く弾き鳴らす。

 エンゴル・ルが完成しかけていた『吸血負圧無間圏(パパ・ゲーノ)』の咒式構成式が霧散。咒式を廃棄してまで空気圧の防壁を形成した瞬間、気圧防御に漆黒の拳が撃ち当たった。

 

 さらにトーレの頭上に振り下ろされた大鎌が、突如出現した槍によって受け止められる。

 クインジーが剛力によりさらに押し込めも、対する槍の使い手はそれを真っ正面から抑える事なく受け流した。青龍偃月刀に酷似した刃の形状、そして高い技巧により成せる技である。

 牽制で震われた槍の穂先は大鎌の柄で弾かれるも、重傷のトーレを脇に抱え持ち距離をとる事に成功していた。

 

 ヒルダは未だ気圧防御と拮抗する拳に視線を送る。拳の先の黒々と全身が鈍い輝きを放つ襲撃者を確認。憎々しげに舌打ちしながら魔法を発動。

 直径三センチにも満たない極小さな魔力弾の粒を百数十と形成。一斉に発射された小さな嵐は円錐の角が小さく絞られた事で威力が数倍にまで上昇。スナルグによる威力増加、速度上昇の咒式補佐を得たことでさらに殺傷力が跳ね上がる。

 ヒルダが作り上げた魔法『劣魔導散弾射(マギア)』の持つ殺傷能力の高い一撃により襲撃者はヒルダから弾き飛ばされる。

 

 ヒルダの体が小刻みに震え始める。俯き加減の頭を振り上げたヒルダの怒りは最高潮に達した。

 

 「あーっもうっ!どんだけ乱入して来るのよ、来るなら最初から一気に来なさいよッ!つうか乙女に不意打ちとか奇襲とかあんまり調子にのんなってーのっ!」

 

 怒りに燃えるヒルダの目が捉えたのは二人。

 味方であるわけがない、当然ヒルダが殺すべき新しい標的であった。

 

 一人はフードを被った大柄の人間。

 槍型のデバイスでクインジーの攻撃を受け止め切った技巧。さらにはトーレを素早く回収する手際と状況判断能力。

 纏うフードから見えるくすんだ黄金色の篭手とレギンス装甲。隙も油断もない無骨な身構えと立ち姿。高い実力を証明する先程の攻防。

 ヒルダの狩人としての本能が警戒せよと金切り声を上げている。

 

 「え~と、面倒くさい武人崩れのおかわりと……」

 

 加えて先程ヒルダへ襲撃を行った敵対者。一目見るだけで面倒くさい輩だと解った。

 体は大型の人間の大きさほど。まるで中世の黒い甲冑を纏った人間と見間違う人とよく似た体躯。日本の腕と足を駆使して襲撃を仕掛ける様は人間の武人そのもの。

 しかし顔の側面に収まる眼孔は四つ。ヒルダを見つめる瞳は赤く紅玉のように輝いていた。さらに刺々しい尻尾がこの生物が人間であることを完全に否定していた。

 

 「は、嘘?」

 

 目を見開く。ヒルダはこの異貌のものどもを知っていた。

 堅い外骨格をもった節足動物であり、あらゆる気候と環境に適応して多種多様な進化を遂げた一族。

 人類との親交性は皆無に等しく、人類とは完全に決別して殺し合う異貌のものども。

 

 「よりにもよって『虫人』を戦場で扱うとか……マジで信じられない」

 

 外骨格を装甲とした人型の虫人。虫人は種族や地域によってまったく特性が異なる。過酷な生存競争が行われる地では、僅か一年で変異が確認されるなど適応能力も高い。

 生存域も海や森、地底など幅広く適した生態に変貌していくために、固定概念を持って戦うのはあまりにも危険な相手。強力な虫人の中には竜種や強力な異貌のものどもすらも殺し餌とするものもいるのだ。

 生体は特殊、戦い方も想像を絶する場合が多く、慎重に戦わなければこちらの身が危うい。

 

 そして人類の敵対者である虫人が人に進んで付き従う訳がない。恐らくは魔法世界における『支配者(ヘルシャア)職』、召喚魔導師がこの異貌のものどもを使役している可能性が高い。

 

 目の前のフードを身につけた魔導師か、はたまた別の魔導師に使役されているのかは判断がつかない。

 ただ一つ解ることは、一方的に傾いていた天秤に動きがあったということ。例えトーレというお荷物を抱えていたとしても手こずる事に間違いは無い。

 召喚魔導師がこの前衛咒式士とは別であり、この場に姿を現さず機を窺っているとすればさらに煩わしい。

 

 戦法が独自となる支配者(ヘルシャア)職と前衛魔導師、虫人という異貌のものどもが組み合わさるとなれば簡単にはいかない。ある意味では先程のトーレとの戦闘よりも厄介だ。

 人数が増えることは単純に戦力が二倍になるわけではなく、時には格上の実力者すらも圧倒することは自身がよく理解している。

 

 「(これであの馬鹿女が治療されて戦線復帰でもすれば流石の私も危険キツイ。そうなる前にこいつら全員皆殺にしないといけないか)」

 

 新たなエミレオの書を開帳させるかどうか。決断は即刻下された。

 

 クインジーの骨が青い粒子となって分解されていく。大鎌を振るって暴れるも、抵抗虚しく数列となってエミレオの書に引き戻されていった。数列が革表紙の本に内包されていき、鎖が巻き付き錠によって封じられる。

 続いて背後のエンゴル・ルも同じように開かれたエミレオの書に封印されていく。

 

 二冊のエミレオの書と入れ替わるようにして、ヒルダの手に赤表紙のエミレオの書が出現。これまでとは異なる外装のエミレオの書を持つヒルダの手が震える。

 

 ヒルダ自身、この書を完全に扱うことができるとは思えない。

 己の持つ大半のエミレオの書を所有していた咒式士。到達者越えの実力を持ち、ザッハドの使徒の中でも桁違いの殺害数をもつアンヘリオ。彼でさえこの書の扱いには苦難を滲ませていた。

 パンハイマやカジフチ、ロレンゾと殺し合えるあの金剛石の殺人者をもってしても完全には制御できなかった。この書は熟練の十三階梯越えの咒式士すら統制不可能な暴力性と凶暴性を併せ持つのだ。

 

 だからこそ、こいつらをここで全員始末できる。

 

 自らの死を覚悟したヒルダの殺意が戦場へ充満しつつあったその時。フードの魔導師が動いた。

 得物である槍を下げると、一歩二歩とヒルダから下がる。それに呼応するかのように虫人も後退していく。

 不審に思うも迂闊に動けないヒルダをよそに、フードの魔導士が言葉を投げかけてくる。

 

 「……我々の目的は達成された。これ以上お前とやり合うつもりはない」

 

 くぐもった渋い声は、壮年の男性の音域。だがそれによりもその言葉の内容にヒルダの眉が釣り上がる。

 彼の発言はヒルダの神経を逆なでするに等しい。腹部から湧き上がる不快感を隠さずにヒルダは声を荒げる。

 

 「は?私がお前を逃がすとでも思ってるわけ?」

 

 「ああ、十分時間は稼がせてもらった」

 

 男の意図を計りあぐねて苛立ちがさらに高まった直後。虫人とフードの男の足下に魔法陣が形成された。

 ヒルダは即座にその魔方陣の構造を理解。トーレが離脱を試みた魔方陣と同様のものと判明した。

 

 これまでの不自然な沈黙は念話による交信のせいだったというのか。目の前の魔導師が転移系の魔道具を使用した不自然な動きはなかった。状況から転移系の魔法陣を忍ばせていたとは考えがたい。

 となればこの少ない時間で、長距離転移系の魔法陣を完成させたとでもいうのか。あまりにも巫山戯ている。

 

 とっさにバインドや魔力弾を作り上げようとして動きが止まった。

 ヒルダは赤いエミレオの書の制御に力のほとんどを注いでいる。こうも突然では魔法を発動して魔導師達の逃亡を防ぐことはできない。

 

 では今持っているエミレオの書を解放するか?それならまだ間に合うだろうか?

 攻め込んで来るならまだしも、逃げる相手にこの書を解き放つのは躊躇いを覚えた。これまでのエミレオの書の比では無いのだ。一度開けば周辺を更地に変える強大な異貌のものどもが封じられている。

 そう簡単に戦場へ召喚するわけにはいかない。万が一扱い損ねれば死ぬのは自分だろう。

 

 魔導士達は既に魔法陣の上。術者があと一声でも発すれば転送が開始される状態。

 召喚に成功。加えて制御に成功したとして、異貌のものどもがあいつらを殺す間に逃亡を許す可能性も少なくない。

 奥の手を開示して逃げられるだけでは下策。既にエミレオの書を複数晒している。これ以上の情報を与えることは後の戦いに遺恨を残す。

 

 唖然とヒルダが見つめる中。フードの魔導師、虫人の姿が消え去ると共に魔法陣が跡形もなく消滅。

 消える最中、フードの奥で男が笑ったように見えたのはヒルダの錯覚か。それとも現実か。解る確かなことは、敵対者全員が戦場から離れることに成功したと言う事だ。

 

 誰もいなくなった戦場でヒルダは脳の運動を放棄していた。数秒経ってようやく我を取り戻す。

 もしやと思ってサーチャーを飛ばしてみれば、先の戦いで戦闘不能に追い込んだ残る眼鏡とおまけの反応まで消えていた。十中八九、あの男達が回収したに違いない。

 

 「あ、あははははは」

 

 本人も知らないうちに口から乾いた笑いが飛び出す。当然反応を返す者などここにはいない。

 住人が一人残らず退去させられた廃棄都市の間を、無常の風が通りすぎる音ばかりが耳に飛び込んでくる。

 

 「え、何?あれだけ殺した人間の咒力を消費したのに、クインジーというエミレオの書を晒したのに……殺人数ゼロ?この私が、殺人数ゼロ?」

 

 視界の中で白い鳩が数羽、鳴き声を発しながら円を描いて飛んでいた。もちろんこれは現実のものでは無い。

 バックコーラスにヒルヅとヒルデとヒルドの馬鹿笑い声。もちろんこれは現実のものでは無い。ヒルヅとヒルドはとっくの昔に殺されている。

 だが随分と嬉しそうに楽しそうに笑うものだ。しかも視界の中のヒルデに至っては、ヒルダに対して指を差し、あからさまにお腹を抱えて笑い転げている。

 

 そうしてしばらく呆然と佇んでいたヒルダは――――

 

 「むーっ!私はまったく悔しくないもから、悔しくないもんねーっ!あー私の崇高な決意を返せこの野郎ーっ!」

 

 拗ねた。

 

 未熟だった精神を吐き捨て、新たな高みへと上り詰めようと試みた矢先の出来事がこれだ。この怒り、どこへ向けてくれようか。

 

 地団駄をその場でしばらく踏みながら怒り狂ったヒルダ。数十秒そうやって向けるところのない憤慨を発散していたが、虚しくなったのか挙動が少しずつ収まっていった。

 肩で息をしながら未だうっすらと赤い顔で天を仰ぎ見る。見事な青い空だ。感動的だが、今のヒルダからすれば見ていてむかつくことこの上ない。

 

 虚しい。もうなんか、死ねば良いのに。

 

 「こういう時は殺すのが一番ね、うん。もう誰でも良いから取り合えずぶち殺そう。うん、そうしよう」

 

 デバイスで検索をかける。

 ここから手短な街は十三キロメルトル先。適当に数十人ほど殺してキヒーアの代償を補充しておくべきだろう。今回の戦いは些か死者を消費し過ぎた。余裕があればクインジーの亡骸を増やしておかなければ。

 

 「ついでアイツラの情報を集めとかないと……。映像の記録は、うん。綺麗に映ってるね」

 

 戦闘中密かに撮影された映像を展開。空中に投影された動画を見つめながら考え続ける。

 

 ここまで派手に仕掛けて来るのだから、どこかの次元世界にあいつらの情報が転がっていてもおかしくはない。行動力が高ければ高いほどに後始末はおざなりな連中が多いこともある。

 金さえ払えば管理局だろうが犯罪者だろうが動く連中はどこにでもいるのだから、そいつらを利用してこいつらの情報を集めなければいけない。

 もし家族や友人などがいれば全員殺してやる。それも殺人者の自分が想像できる限りの最悪な殺し方で。

 

 己の害は僅かなチリを残さず殲滅すべきだ。取りこぼした種がどのように絡みついてくるのか解らない。こうして向こうから狙ってきた以上は第二第三の襲撃も考えられる。殺傷設定に躊躇いがないのだから、管理局よりも厄介だ。

 絶対にあいつらは殺さなければならない。

 

 方針のおおよそを決め終えたヒルダは肺の息を全て吐き出す。

 気が付けば己の指先が震えている。損傷前の綺麗に装飾を施した爪までは、さすがのキヒーアも再現はしないのだろう。白い無装飾の爪が震えていた。

 戦闘が終わったことで急激な心的疲労の波が押し寄せてきたのだ。痙攣するように震える体を、必死に細い両腕で抱きしめる。

 

 「……強敵だった。私が、私が死を覚悟するほどに」

 

 こぼれるように出た言葉はヒルダの本心からのものであった。

 命を掛け金とした極限の駆け引き。自らが体験したことの無いストレスをようやく肉体が自覚したのだ。

 

 「初戦で三人撃破したからこそ、あそこまで順調に戦いを運べたんだ。一対一だからこそあの到達者級の魔導士に勝利することができた。どんな原因があってあの場で参戦したのかはわからない。だけど、だけど……」

 

 唇の端がゆっくりと吊り上がる。

 桃色の瞳を潤ませ、赤く上気した頬を擦りあげながら嗤う。

 

 「私は勝利することができた。前衛の超魔導士に、十三階梯と同様の実力者に勝てたんだ。この経験は私が欲しても手に入らなかったもの。私が何よりも待ち望んでいたもの。おかげで私はこの戦いで成長できた。だってこれまで殺すことのできなかった奴を殺せる自信があるんだもの。策略、戦略、戦術、戦法、罠、魔法、暗殺。そしてエミレオの書の活用法が今の私には見える。そう、今の私にははっきりとした道が見える。アンヘリオが、カジフチが、パンハイマが進む世界が」

 

 狂気が滲む精神を一つ一つ積み上げ完成されたザッハドの使徒は、それぞれが一流であり特化された咒式士だ。

 エミレオの書という規格外の道具を扱いこなすには、豊富な咒力と難解な咒式制御技術を必要としている。

 元々ヒルダのポテンシャルは高い。だがそれを育てるだけの栄養となる経験が不足していただけ。

 

 スカリエッティがナンバーズを生み出したのであれば、メトレイヤの科学者達が遊び半分に作り上げたのがヒルダだ。

 歪み、狂いながらも正常な精神を養う者達。通常の人間が感じる『遊び』と彼らの『遊び』はあまりにも食い違いすぎている。

 ナンバーズがスカリエッティに影響を受けているように、ヒルダは本人も知らない深層意識にメトレイヤの科学者達の影響を強く受けているのだ。肉体と精神に干渉され、狂気に弄ばれた存在がどのような結果を生むのか。

 

 ヒルダの成長性はここにきて爆発的進化を遂げたといってもいい。彼女の肉体と精神はそれに耐えうるだけの素質がある。そうなるように遊ばれたのだから。彼女がここまでの殺人者になれたのは、生まれながらのものがそうしたといっても過言ではない。

 

 ヒルダという素体は一度水を与えれば、急速に呑み込み、辺りの栄養を食い散らかして肥大化する。

 

 「私はもっと、もっと強くなる。そのためにはもっと多く殺さなければならない。今の私は未だ蛹にすらなれない芋虫だけど、いつか絶対に美しく可愛い蝶になる。それだけの素質は私に当然備わっているもの、このエミレオの書がそれを証明してくれている」

 

 エミレオの書を開き、召喚されたボラーへとヒルダは歩みだした。

 大口を開けさせられたボラーはヒルダを食い殺そうと身悶えするも、ヒルダはより一層拘束を強めこれを制す。

 槍の穂先のような歯を踏みにじり、垂れた酸性の涎を魔力弾で蒸発させ、舌の上へと優雅に乗り上げる。

 

 「殺す、ただそれだけ」

 

 突き詰められた殺意を胸にヒルダは殺す。これからも殺し続ける。それしか彼女は強くなる術を知らない。

 

 ボラーの口がゆっくりと閉じられていく中、かすかに口内に広がる光をヒルダは最後まで見つめていた。

 見るものが見ればその瞳に映る色は悲哀か、寂寥の念に近い何かであったと気がついただろう。

 

 幼さを残した目に映る景色は、彼女に何も与える事はない。ずっと。

 

 




 気がついたら夏は終わり秋に入りかけていた。ビビった。
 前回の更新から二ヶ月、中身を分ければ一ヶ月に一回は更新出来た気もしますが、切りが良いところでと考えていたら二万六千字越えに。
 次回はこんなに長くはならないはずです。

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