されど殺人者は魔法少女と踊る   作:お茶請け

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管理局からの視点ではなく、ヒルダからの視点が先になりました。
そっちの方がしっくりきたので。


15話 悪意とは、正義とは

 ステイオンタブ式のプルトップに、丁寧に彩られた爪をかける。

 指を引っ張り上げると、金属片が押し込まれて蓋が開口。密閉された空間から放出された炭酸ガスの音が、耳に心地よい響きを伝える。

 ヒルダはそのまま口へ炭酸ドリンクを運ぶ。口内ではじける炭酸が、咽を通って体に染み渡る感覚が何ともいえない。酒のアルコールも良いが、炭酸ジュースもたまには悪くないだろう。

 

 過剰に混入された糖分も、アルコールよりも頭を快活にしてくれる。最近面倒ごとが多かった分、砂糖の効き目もより一層感じられた。

 

 もっとも、酒と炭酸。どちらも殺人により得られる幸福感には代えがたいものだが。

 

 一本を手始めに飲み終えると、冷気が流れる中からもう一本、別味の炭酸ドリンクを手に取る。冷蔵庫の扉を足で蹴り飛ばして乱暴に閉めると、手に持った缶のふたを開けながら安っぽいソファーに座りこむ。

 ……座り心地が悪い。所々色落ちして生地が薄くなっている。私が来るんだからもう少し良い物用意しなさいよ、とヒルダはもんくを言いながらさらに炭酸ジュースを口へ運ぶ。

 

 「それで、私が頼んだ情報はちゃんと見つけてきてくれた?」

 

 見つけてなかったら殺す、と殺意を含んだ視線を飛ばす。

 それを受けたよれよれのシャツを着こんだ青年は、面倒くさげに書類の束を掴み取るとヒルダに放った。

 受け取ったヒルダの目が線のように細まる。青年は十日も洗っていない髪を乱雑にかきながら、ヒルダの対面のソファーに座りこんだ。

 しばらく書類をバラバラと意味もなく捲り、手の中で遊ばせていたヒルダの目が再度青年を睨み付ける。

 

 「で、これに私の命令した内容が書いてあると?」

 

 「いや」

 

 「死ね」

 

 ヒルダは魔法の組成式を即座に構成完了。

 魔力の燐光を纏わせたデバイスの先を、躊躇いもなく目の前の青年に向けた。もちろん魔法は殺傷設定というステキ仕様だ。

 

 「いやいや、ちょっと待ってってばッ!?」

 

 「最初に言ったわよね、やれないんだったら殺すって。あんたがあの場でできるっていうから、殺さないで仕事頼んだんじゃなかったけ。あれ?私の記憶違いだった?だったら今ここでキッチリと……」

 

 「お願いします話を聞いてください!理由とか他に調べたこともあるからさッ!ねッ!?」

 

 「……ッチ」

 

 「露骨に舌打ちされた!?」

 

 取り乱す青年は顔色を変えてソファーから転げ落ちると、まるでゴキブリのようにヒルダから後退。

 ヒルダは両手をあわあわと意味もなく暴れさせる青年を、しばらく胡乱な目で見つめる。仕舞いには目元に涙を浮かべる様子を見て呆れたのか、デバイスの先をゆっくりと青年から床へ移動させた。

 

 ほっと胸を撫で下ろした青年が、安心したようにソファーへと座りなおす。やや調子を取り戻したようであったが、未だに足は生まれたての子鹿のように小刻みに震えていた。

 青年を冷めた目で見つめるヒルダは、炭酸ジュースを口に含んで一気に飲み干す。

 

 「もう、いい女っていうのは待つことが出来る女だよ?」

 

 「私以外にいい女なんているわけ無いだろうが。私につまらない冗談に付き合っている余裕があると思うのなら、もう少しその口を踊らせてみたらいい。三秒もしないうちに分かるんじゃない?」

 

青年は「おお、怖」と肩を竦めてヒルダに聞こえないように呟くと、ヒルダから渡された立体映像を二人の間に投影する。

 映し出された映像は四つ。いずれも美しい女性であるが、それぞれ体を機械で改造されている。まともな人間ではない。

 

 「これだけ露骨な格好していれば流石にどっかに転がっているだろうと思ったんだが、他の管理世界の伝手を頼っても使える情報は無し。もちろん少しぐらいはあったが、どれも明らかに手を加えられたものだった。彼女達の正体に辿り着けるようなものはなかったよ。ここまで徹底的に隠蔽されると流石にどうしようもない。ただいくつもの次元世界を股にかけていることは解った。」

 

 「たったそれだけの事のために、これだけ御大層な紙束よこしたわけ?言い訳に全部使っているって話なら、本当にお前を殺すけど?」

 

 「依頼人を襲った連中が用いた技術に関しては問題無く解っている。それはその技術と関わった人物、研究資料、関連事件をまとめたものだよ」

 

 疑わしげな視線を変えることなく手元の資料に移す。一枚目を捲り上げて、まず第一に目に入った言葉をそのまま口に出す。

 

 「戦闘機人」

 

 「そ、管理局が禁止宣言だしている問題技術」

 

 ヒルダの目は文字を一つ一つ読み取っていく。

 骨格・筋組織の改造。遺伝子調整に加え、魔力貯蔵機関であるリンカーコアをプログラムで統制。人為的に魔導師の能力を向上させた人型兵器。

 身体機能の強化にこれらの技術を使用した場合、拒絶反応やメンテナンスなど大きな問題が多数。精神面への影響も見られる。管理局でもかつて秘密裏に研究が進ませられていたが、倫理的面から大きな反対に遭い計画は頓挫。現在はミッドチルダ及び、管理世界を通して禁止されている。

 

 「……この程度で禁止するわけ?」

 

 疑問の声を上げるヒルダに青年は呆気にとられた。

 冗談で言っているのではないか。そう考えついてヒルダの顔を見ると、どうやら本当にそう思っているらしい。訳が解らないといった様子で、資料を疑わしげに意味なく開いては閉じてを繰り返している。

 

 「いや、十分過ぎるぐらいだけど?」

 

 「どこが?」

 

 「だって人体改造だぜ?非倫理的じゃん。逆にヒルダさんが非倫理的だなって思うのは何よ?」

 

 言ったところで気がついた。この美少女、見た目に反してかなり過激なことやらかしている。

 具体的には管理局に喧嘩売りまくるわ、罪も無い人間やらある人間やら関係なくぶち殺すわで、近世希に見る異常者扱いを受けていたはずだ。

 そりゃそんな人間に倫理を説く方が間違っているといわざるをえない。

 

 そう考えていた青年に、ヒルダは「あ~、私が知っている違法研究だと」と言って顎に手を添えた。

 

 「全身で妊娠させて被験者を発狂させたり、頭やら目を数個繋げてどんな思考を行うかを実験したり、全身を幹細胞化させて切られた先から顔が再生されるようにして全身顔まみれにしたり、全身を生きたまま解剖したり、生きた脳をいくつか繋げて一つの生物を作り上げたり、それから……」

 

 「ごめん、もう止めて。吐き気がしてきた。いくらヒルダさんの想像でもそれはキツイって」

 

 こてん、と不思議そうに首を傾げるヒルダ。

 何とも可愛らしいが、ヒルダの発言で和む余裕は失われていた。

 

 「え?これ全部、大真面目に行われていた実験だけど?」

 

 顔を死人のように土気色に変えた青年の頬が引き攣る。僅かばかり残っていた余裕は完全に消し飛んだ。

 

 本当にこの依頼人はどこからやって来たのだろうか。あまり詮索をすれば殺されるが、彼女の話が事実であれば間違いなく違法研究所の出身に違いない。

 

 隠蔽された献体であったならば、ここまで彼女の経歴が無い事もある程度納得がいく。

 そして違法研究の献体であるならば、これ以上踏み込んだら碌な死に方はしない。それだけの研究を行えるのであれば、多額の資金援助を受けているはずだ。どこの支援を受けているか知りたくもないが、万が一知った場合は幸いにも拾った命すら奪われる事となる。

 今でさえ危ない橋を渡らされているというのに、また渡れとか冗談以外の何ものでもない。

 

 関わった時点で最低の不運であったが、生きているだけマシというものだ。

 聞かなかったことにして不自然な笑みをなんとか顔に取り付けた。

 

 「は、話を戻すよ。恐らく彼女達は非合法組織が研究によって作られた戦闘機人だ。高度な技術と膨大な研究資金がかかる以上、後ろには相当大きな規模の組織があるはずだ」

 

 「管理局が関わっている可能性は?」

 

 資料を食い入るように読み漁っていたヒルダから、素早い指摘が飛ぶ。青年はヒルダの頭の回転の良さに、軽く驚きの表情を見せた。

 やはりこの大量殺人者は、狂っているようで狂っていない。すぐに鋭い目に移り変わってヒルダを見つめる。

 

 「あり得るだろうね。なにせこの生命操作技術に大掛かりで取り組んでいたのは管理局だ。人手不足が深刻な問題になっている管理局にとって、簡単に強力な人造魔導士が生み出せるこの技術はまさに救世主だったよ。研究が進むうちに非人道的な面が強いことが知れ渡っていき、反対の声が大きすぎて最後には中止に追い込まれちゃったけど。結構いいところまで行ったみたいだよ、本当に実装寸前だったみたいだ」

 

 ヒルダは考え込む仕草を見せながら、炭酸ジュースを口に含む。

 非人道的という面を強く押し出して否定された生命操作技術。馬鹿共のお題目には『非人道的』という言葉はちょうどいいだろう。

 だがそのお題目を唱えた連中が、真に非人道的な面で戦闘機人という生命操作技術を反対したのかは疑問が残る。恐らくいくつかの要素と思惑が重なった結果が、戦闘機人という技術の廃止に繋がった。

 

 「戦闘機人技術の強烈な取り締まりの裏で、密かに表面下で研究が続けられていた可能性は十分にある。管理局の膨大な資金を運用する帳簿なんて、上の極一部の連中しか知らないからね」

 

 「管理局において、戦闘機人の技術を主導して研究を行っていたのはどこ?」

 

 「確か陸だったはずだよ」

 

 ヒルダの頭の中でいくつもの複雑な歯車が噛み合っていく。

 

 優秀な魔導士を軒並み引き抜かれて、碌に手が回らない陸が手を出した生命操作技術。

 管理局で大きな権限を持つのは海だ。時空を担当する海にはそれに見合うだけの高い実力、魔力が求められる。結果的には優秀な人材が海に集まるために、自然と海はエリート連中の集団となる。早い話が、権力の集中化が管理局内で発生する。

 海には困難な任務が多いために、陸や空に比べて優良な装備や支給品が回されると聞くが、決してそれだけの理由ではないだろう。給料、待遇の面からいっても海は格別だ。管理局全体の予算や流通にはこの問題は絡んでいるに違いない。

 

 陸の目的は人員の補給だけではない。恐らくこの実力の天秤を変える狙いがあったのだろう。

 ……いや、何かがおかしい。まだ大きな問題が残っている。どうしてこの問題を見逃していた?

 

 金だ。

 

 研究には膨大な資金が必要とされる。陸にそれだけの資金を投入できるだけの余裕があったのだろうか。

 末期になってようやく研究停止、という話も気にかかる。その事実は戦闘機人という研究が、最終段階に至るまで見逃され続けたことに他ならないからだ。

 研究に費やした年月は一年では済まされないだろう。海や空がこれを知れば、強く批判の声を発するに違いない。海と陸の二極化が進むことは空にとって好ましくなく、魔法実力主義が崩れ去ることは海にとって良いものではない。全力で潰しにかかるはずだ。

 

 にも関わらず、終盤まで見逃され続けたのだ。こんなことあり得るはずがない。

 なんでこの事に気が付かなかったのか、我ながらあまりにも間抜けである。

 

 見逃した、ということも十二分に考えられる。その方が確かに陸に対するダメージは高い。

 

 だがもしその追及を逃げ切られれば、待っているのは陸の勢力の巨大化だ。リスクとリターンが見合わな過ぎる。

 もしそこまで高度な監視を行えており、戦闘機人の研究の進行度を漏れなく理解していたのであれば、研究中期ごろに告発しても安全に成果は上げられるだろう。イレギュラーの存在を考慮しない、自身の守りを疎かにする権力者がいるものか。あいつらは確実な結果を求めているのだ。危険で愚直な正義など好むはずがない。

 権力に固執する連中は過剰なほどに身を守るのだ。その程度の可能性を考えられないのであれば、とっくに椅子から転げ落ちている。

 

 研究が失敗した、最後に不備が発覚した可能性もあるがそんなものどうとでもなる。

 都合の良い結果だけ用意できれば、後からいくらでも隠蔽は可能だ。むしろここまで時間と金をかけた技術を、そうそうに手放すなど人間的に考えてまずありえない。

 

 研究を最終段階まで隠し通せるだけの人員、金。それを空と海に知られずに、果たして動かすことが可能であったのだろうか。陸の人員、資本では不可能に近い。研究を最後まで継続できたかどうかすら、現状を顧みるに怪しいものだ。

 

 「おい」

 

 「なにかな」

 

 「本当に、陸が独自で研究を行っていたわけ?」

 

 ヒルダの鋭い視線が青年へと向けられる。

 

 青年が渋い顔で目を泳がせた。僅か一瞬のこの仕草をヒルダは見逃さない。

 百分の一秒にも満たない世界で、命の駆け引きを行う攻性咒式士にとってそれはあまりにも十分過ぎる時間であった。

 ヒルダは陸を表で動かした何かがあり、それは自分の想定した通り相当録でもない連中なのだろうと確信した。

 

 ソファーの横に置いた革細工のカバンを手に取る。

 口を開けるとそのまま机の上に放り投げた。中から零れた高級紙幣の紙束が、傷つきうっすらと埃積もった机の上にぶちまけられる。

 このカバン一つでいったい何回人生がやり直せることか。恐らく三回では数足りないだろう。

 

 思わず目を奪われた青年に、ヒルダはねっとりした笑みを向けた。

 

 「金なら出すわよ」

 

 金額の桁に一瞬、驚きを吐露してしまう。しかしすぐに表情を先程よりも堅いものに変える。

 

 「これは金じゃないんだよ。君が踏み入れそうになっている領域は僕達みたいな人間にとって地雷原なんだ。いつ足を飛ばされるか解ったもんじゃない」

 

 「足が吹っ飛ばされる前に私が殺してもいいけど?」

 

 相手が悪かったとしか言えないだろう。

 目の前で微笑む美しい少女は裏社会のろくでなしどころか、誰もが恐れる管理局に躊躇いもなく喧嘩を売った気狂いだ。

 理性など屑籠に捨てた人間に、道理を説いたところで意味などあろうはずがない。

 

 土気色に染まった顔で観念したように天井を見上げる青年。それを見て勝ちを確信し、満足げにヒルダは微笑んだ。

 

 「あぁ、くそったれ。今話題の殺人鬼がどんなやつか、なんて無謀な興味を抱いた当時の俺を殺してやりたい」

 

 「断りたいなら断っても良いけど、死ぬよりも辛い罰と蛙になるのと。どっちがいい?」

 

 「その二択なら蛙になった方がマシだ。水たまりで考え無しにぷちゃぷちゃ泳いでいたいよ」

 

 「お望みとあらば、あんたと最初に出会った時にかけた咒式を発動してあげるけれど?」

 

 青年はヒルダの言葉に顔を顰める。おもむろに自らの左腕の袖をゆっくりと捲り上げていく。現れたのはやや筋肉質な腕。だが目を細めて見れば、腕に纏わり付くほのかな青い燐光に気が付く事だろう。

 

 「……えー、今未知の魔法を使うことで話題の大量殺人者さん。このどこを回っても解読不可能な魔法の組成式はなんでしょうか。まさか、本当に、蛙になるってわけじゃないよね?」

 

 「気にしなくて良いわ、貴方が私の言う通りに従っている間はね。それってそこらへんの契約は遵守するから安心して良いわよ」

 

 「気休めにもならない気遣いをどうもありがとうございます」

 

 悲観して両目を多いながら椅子に力なく寄りかかる。

 

 暗くなった視界に、ヒルダと初めて出会った日のことが立体映像のように展開されていく。

 情報屋だと確認が取れた途端、羽が生えた未熟児という趣味が悪いこと極まり無い使い魔を呼び出して、奇妙な魔法を施された。

 何でも裏切ったら素敵なことになる魔法らしい。気になって広いツテを使い、様々な医者や魔導師に診断させたがそろいもそろって首を横に振られた。

 

 ただ何人かの魔導師が言うには、難解で複雑極まり無い組成式が幾多も絡まり合っているということ。仕舞いには、これはロストロギアに関係するのでは何て荒唐無稽な話まででやがった。

 普段なら笑い飛ばす事でも、これを施した曰く付きの魔導師があれだから笑う事すらできない。

 

 ただ解ることがある。

 このイカレ女が嫌な笑みして自信満々にかけてきた魔法だ、絶対に幸せな事にはならない。正体不明な事実が輪をかけて証明してくれているようなものだ。

 

 「ああ、神様は俺のことが嫌いなのかね?」

 

 「何?あんた神なんてくだらないもの信じてるわけ?」

 

 ヒルダは不快だと言わんばかりに口調を尖らせた。

 

 「誰だって自分にどうにもできない事になっちまった時は、思わず神様に祈るもんだよ。依頼人は違うのかい?」

 

 「くだらない」

 

 一笑に伏した後、一言で切って捨てる。

 心底呆れかえっているのだろう。お手上げとばかりに両手を振り上げながらソファーの肘掛けに身を委ねる。彼女が持つ大人びた雰囲気に反して、どこか子供じみた仕草であった。

 

 「ようするに弱いからだけじゃない。弱いから自分でもわけのわからないものを自分の中に作り上げて、必死に自己防衛に励んでいるだけじゃない。自分の愚かさ、醜さ、弱さを棚に上げてる辺りが馬鹿さ丸出し。そういう馬鹿共ってぷちっと潰すと言い声で鳴くのよね~♪」

 

 不遜な物言いでケラケラとソファーの上で笑い転げている悪魔。

 その手伝いをやらされているのだと思うと何ともやりきれない。もちろん法に触れることや、非社会的な行いなど思い出すことも馬鹿らしくなるくらいやってきた。 

 だが例えそうだとしてもヒルダには負ける。自分が行って来た諸行は、目の前の少女のたった一ヶ月の悪行の前にすら霞むであろう。

 

 そう考えると、無駄だと諦めに近い感情を抱きながらも、何かを言わずにはいられなかった。

 これは更正を促すというよりは、惰性によるものであった。ただ何か適当なことでもいいから、声に出さなくてはいけなかった。

 

 「依頼人とは違ってさ、人間ってのはどうしようもなく弱いんだよ。だから寄り添って励まし合って必死に生きるのさ」

 

 「違うわ」

 

 人を嘲笑う嫌らしい笑みを浮かべながら、ヒルダは再び青年の言葉を切って捨てた。

 

 「それはあいつらが勝手に自分に生きる価値があるって勘違いしているだけ。弱くて、汚くて、馬鹿で、醜くて、間抜けで、偽物な連中に生きる意味や価値なんてあるわけがないじゃない。あるとすれば強くて、綺麗で、賢くて、美しくて、優れていて、本物な私に殺されるぐらいしかないわ」

 

 「弱さは許されないってことか」

 

 「違う、弱さは罪。そして弱者として産まれた馬鹿共が、本物であるわけがない」

 

 待機状態のデバイスを両手で弄ぶ。端正な指先でデバイスを小突いては、意味もなく裏返す。

 そういえば、とヒルダは己の所有物を注視。これを元々所持していた魔導師は、このデバイスにかなりご執心であった。

 

 本体から吹き飛ばされた手の中から、このデバイスを取り上げたヒルダを、四肢を失った死に損ないの分際で返せだの触るなだの咆えていた。随分と鬼気迫る顔でヒルダを恨みがましい目で見つめていたのが気にくわなかったので、目を抉ってから臓物を引きずり出して殺した。

 最後の最後までデバイスを返せと叫んでいた。確かに妙に改造が施され様々なところまで手が込んでいる。、多額の金が注ぎ込まれていることは明白であり、それに応じるようにこのデバイスはストレージにしては破格の性能だろう。

 

 そういえばこのデバイスに女性名詞の名前が刻まれていたことを思い出す。所持する魔導師自体は男であったので、微妙に気になってそのことを覚えてはいた。ただどんな名前だったか既に忘れた。

 それもボロボロで笑える姿になってもなお、あそこまでデバイスに執着していた一因となっているのかもしれない。

 もしかしたら、このデバイスはあの魔導師が誰か大切な人間から受け継いだものかもしれない。誰か大切な人間によって制作されたものかもしれない。誰か大切な人の名前を付けるほど思い入れがあったのかもしれない。

 だとしたら相当に愉快な話だ。そんな大切なものをむざむざと奪われて死んでいくなど、ゴミには丁度良い間抜けで惨め最後だ。

 喜劇としてはやや三流の台本とお膳立てだが、死んでもなお私を楽しませてくれる人間はそういない。中々に甲斐性がある魔導師だと拍手を送りたい。

 

 既に名前が刻まれていた箇所は削り取られ、新たにヒルダという名前が刻まれている。向こうの言葉で刻まれている故に、魔法世界では誰も意味を解らないだろうが、そもそも装飾の意味合いでつけたようなものだ。自分の他の人間が解るかなんてて元々気にしてはいない。

 

  結局のところ、偽物で弱い魔導師が持っていたものを私が有効活用してあげている。あいつは奪われる者で私は奪う者。奪われる者が持つには、些か不相応な代物だ。

 このデバイスだって、あんな馬鹿に使われるよりは私に使われた方がいいに決まっている。

 

 「弱い奴がいくら理想や正義を掲げたところで、強く無ければ他者に磨り潰されるだけ。戦争で愛を叫んだ兵士は咒式で全身を焼かれ、慈悲を諭した女は輪姦され、無常を説いた老人は細首を握り潰される。弱いものは強いものに食われる事実を道徳だとか、倫理だとか、社会だなんだのくだらないもので覆い隠しているだけに過ぎない」

 

 青年は口の中が乾いていくのを確かに感じていた。額から一筋の汗が伝い落ちていく。

 情報を売り買いする間柄、様々な人間を観察してきた。情報は命の価値を下げれば下げるほど値が跳ね上がる。一つの情報によってもたらされた利益は、時に莫大な成果を生み出すものだ。

 

 だが自らの堅固に取り繕った城を暴かれる事を、快く思う人間など誰もいない。調査した対象のみならず、情報を手に入れたことを隠蔽するために、依頼人にまで命を狙われることすらある。この仕事に就いて殺されかけた回数は、両手どころか足の指を使っても数え切れない。

 その中でより磨かれてきた経験と洞察力は、今まで死線を潜り抜けてきた確かな証。人を見る目にかけては誰にも譲らない自信を持っていた。

 

 しかしそんな目をもってしても、目の前の少女はあまりにも歪に過ぎた。

 

 「無数にいる馬鹿共はそれど誤魔化せるかもしれないけれど、ザッハドの使徒である私には通用しない。積み立てた権威も、膨大な量の金も、くだらない誇りも、虚栄の美貌も、全て死に直面すれば本来の姿に暴かれる。自分自身の本当の醜さに気がついた愚か者共の姿って、ちょーおもしろいんだよ?知ってた?」

 

 この少女の語る言葉に嘘はない。騙りもなければ、彩りもない。全て彼女は本心として語っている。その事実を青年は理解してしまった。

 縁起でもない、虚偽を重ね連ねているわけではない。正真正銘、ヒルダが述べた言葉は本音なのだ。

 何故ならば、それこそこの少女が生きてきた中で辿りついた紛れもない真実なのだ。

 人の枠組で生きるための情操教育が成長段階で教え込まれる。それは他者から自分を守ると同時に、人が生きる世界からも自分を守るために学ばされるのだ。

 

 この少女が讃える殺人は、まずもって人間社会には認める事が出来ない行為だ。他者との繋がりにより利益を生み出し発展する社会においては、円満に流れを保つための規律を何よりも必要とする。

 その規律を一瞬で崩壊せしめる禁忌こそ殺人。利益の連鎖を断ち切り、社会全体をかき乱す殺人は最も忌むべき行いだ。

 

 だがこの少女はどうだ。

 人の中で生まれ、人の中で育つはずの人間が何故ここまで歪みきってしまったのか。先ほど彼女自身が語った言葉から推測するに、満足な環境で情操教育を受けて育ったとは思えない。

 人がもたらした悪意がこの未だ幼さを残す少女に注がれ育った結果。このような他者に対して人道的価値を見いだせない化け物が生まれてしまった。

 だがそんな話は腐るほど知っている。この戦争後に混乱が長きにわたって続いた大陸では、このような現象はあまり珍しいものではない。

 

 ヒルダの恐ろしいところは、他者に対する共感性が欠如しながらも人間性においては何の問題も見られないところだ。むしろ彼女の能力は高く、時に青年自身が驚かされるほどの鋭い見解を述べる。

 この年代の少年少女と比べて明らかに知能指数は高い。ただ彼女があまりにも理解しがたい法則に従うが故に、その事実が隠れ気味になっているだけだ。

 ヒルダは極めて正常であるが、極めて異常な存在でもある。人を殺せば悲しむ人間がいることも理解しているし、殺人の高いリスクについても理解している。

 決して脳に異常が見られるわけではない。倫理や道徳を理解しながらも、それを自身に用いることを拒絶している。

 

 この少女は信じがたい怪物だ。

 高い知性を持ち、なおかつ他者を圧倒する能力を持つヒルダは人間社会においてかなりの優位性を持つ。

 その優位性を自ら切り捨てることを選び、あくまで残虐な趣向を好むアウトカースト(外れた世界)の怪物。

 彼女を理解することは不可能だ。人である限り、人の世界で生きる限り彼女のような異常者を理解できるはずがないのだから。

 

 これまで逃げられていた自分が、何故彼女の手から逃げられなかったのか解った。

 俺はきっと人間の形をした竜に等しい化け物を相手取ったのだ。外面に誤魔化されて油断した結果がこれだ。

 人間相手の対策手段が、人外の化け物相手に通用するわけがない。

 

 「それで、陸に援助した組織はどこ?言っとくけど、三度は言わないから」

 

 殺気を隠すことなく向ける大量殺人者。

 警告しようが止めようが彼女は止まらないだろう。化け物に人の通りを説いたところで意味が解るはずがない。いや、解るがそんなこと知ったことではないのだ。

 目の前の少女に限っては、例え死が踊る戦場だろうと遊び場扱いなのだろう。

 

 「……あくまで、あくまで噂だ」

 

 「そういう前振りは好きじゃないって、死ななくちゃ解らない?」

 

 冗談のようには思えないほどの殺気を当てられた青年は、走馬燈のように駆け巡るこれまでの自分の人生を垣間見ながら口を動かす。

 

 「時空管理局最高評議会」

 

 「……それ、本当なのね」

 

 「物資と資金の流れは幾多も偽装されていたが、戦闘機人の研究に関わった人材の流れはそうそう偽装できるものじゃない。管理局、それも裏の動きをこうも鮮やかに演出できるところなんて限られている。とてもじゃないが、これだけの流通を一個人や一組織が行っていけるわけがない。……故に、最高評議会が主導したという線が濃厚だよ」

 

 最高評議会。

 時空管理局創立後に、三名の有力者が作り上げた最高意思決定機関。

 それにのっとっているのか、メンバーは議長・司書・評議員の三名で構成されている。メンバーの詳細は不明。形態も不明。全てが謎に包まれている。なんせ平時に運営に対して口を出すわけでもないのだ。そもそもどのような役割を担い、行動しているのか時空管理局の局員すら理解していない。

 極一部の上級官ですら、最高評議会については口を頑なにつむんでいるのだ。部外者が彼らの情報を知るすべはない。

 

 故に青年の顔色は青を通り越して、死人同然の土気色にまで変わっていた。

 同業者が関わってはいけないものとして常識になっている暗部。そこに手を伸ばすことを強要されているのだから、彼が今にも死にそうな顔色をしていても不思議ではない。

 

 「どう見ても地雷。本当にこの地雷を踏むつもり?管理局と戦闘機人、余計なお世話だろうけれどもどう考えたって両足吹き飛ぶよ?一つでも十分過ぎるっていうのに」

 

 「地雷だろうがなんだろうが、私以外の凡俗な馬鹿共が絡んでいる以上、私が負ける訳がない。っで?私はちゃんとこいつらの行動を教えろって言ったはずだけど?」

 

 「残念、まったく解らなかったわ」

 

 「今度こそ、死ぬ?」

 

 「そもそも最高評議会って存在自体が完全な脅威であり、次元世界の暗黒空間なんだよ。今まで何人があそこに踏み込んで帰ってこなかったか。第一この外れた次元世界にいる僕が、ミッドチルダの詳細な情報を解るわけがない。現地の情報屋だって碌につかめない情報を、自分が手に入れられるほど世界はよくできてはいないんだ」

 

 ヒルダは一瞬、目の前の役立たずをすぐにでも始末しようと考えた。しかしギリギリのところで理性によって殺気を思いとどめた。

 まだ聞きたいことは山ほどあり、知りたいことも山ほどある。今この時ほど、外来人であることに不満を覚えたことはなかった。

 

 「じゃぁ、その最高評議会との繋がりが強いのは誰?」

 

 我慢を押し込んだ様子で苛立ち気味に疑問を投げかける。

 短い付き合いだが、ヒルダの気がそう長く持たないことを十二分に知っていた。青年は一人の名前をすぐさまあげる。

 

 「レジアス・ゲイズ中将だろうね」

 

 「地上本部の総司令ね、ある意味当然か」

 

 「流石だね。いや、最高評議会を知っているからには彼のことも知っているか。いろいろ黒い噂が絶えない人だよ。レジアスは最高評議会からの信認を得ていると噂されていてね、地上本部の武装強化に大きな援助を受けていることは公然の事実だ」

 

 資金援助としてレジアスが期待できるのは、確かに最高評議会だけであろう。

 だがここまでの情報だけでは、襲来した戦闘機人と直接的な繋がりがあると感じるには早すぎる。

 確かに私は管理局に対して盛大に喧嘩を売った。これにより表向きの連中は私を目の敵として、既に名指しで管理局の敵扱いをしている状態だが……。

 

 それはつまり、私への調査段階で戦闘機人の実用化という実態が浮き出る危険性がある。

 管理局は確かに一枚岩ではない。陸と海の軋轢から、各有力者の足の引っ張り合いまで問題は山ほど存在する。

 しかし管理局がこれまで次元世界の統制に成功していたという現実は、まぎれもない事実そのものであるのだ。

 私自身、管理局の情報を集めたが、下手な警察組織よりも有能であることは間違いない。無論、私が負けることは天と地が交わるほどにありえない話だが。

 

 わざわざ血気盛んになっているバカ連中に任せればいいことを、わざわざ先んじて事を動かす必要がどこにある?

 目的は様々であろうが、危険性の方がはるかに高い。そんなリスクを背負ってまで、戦闘機人という核爆弾を動かす理由は?

 

 「繋がらないわね……戦闘機人と時空管理局の関係が。保身第一の連中が動くにしては、あまりにも稚拙すぎる」

 

 駄目だ、最後の決定打が見つからない。あの戦闘機人共と時空管理局との関係性は存在しないとでもいうのか。

 だが私が磨き上げてきた狩人の鼻が、この繋がりに何かを嗅ぎ取っている。それを捨てて合理性に走る事は簡単だが、この勘をおざなりにして何度失敗してきたか解らない。

 

 焦りが徐々に積みあがってきたその時。

 

 「……ん」

 

 ヒルダは何かの既視感を抱く。それがなんであったのかしばらく逡巡していたが、机に投げられた資料を見て目が見開かれた。

 素早く資料を手に取ると、手早く紙を捲り上げていく。焦点を合わせる瞳孔が、文字一つ一つを見逃さないとばかりに揺れ動く。

 

 「どうかしたのかい?」

 

 「黙ってろ」

 

 どこだ、どこにある。レジアス・ゲイズと管理局、戦闘機人を結ぶ関係性。

 私の記憶が正しければこの資料のどこかに必ず、この三つを結ぶ何かが――――

 

 「……あはっ♪」

 

 ヒルダの口角が吊り上がり、笑みから零れ落ちた歓喜の吐息が言葉となる。指で文字ひとつひとつを読み取れば読み取るほどに、ヒルダの興奮は静かに高まっていく。

 大量殺人鬼の両目は、情報屋が手繰り集めた資料のある項目を注視していた。震える唇が、ゆっくりと、ねっとりとその事件の名を読み上げた。

 

 「戦闘機人事件」

 

 新暦六十七年。今から八年前に起こった事件。

 時空管理局首都防衛隊に所属していた部隊が、秘匿任務中に戦闘機人と接触。戦闘が発生し、部隊全員が戦死した。

 隊長はストライカー級の魔導士であるゼスト・グランガイツ。その実力は数々の難事件を解決し、海にもお呼びが掛かるほどの実力者であった。だが本人は陸に残ることを頑なに希望していたとされている。

 一部隊が全滅、加えてエースストライカーの死という大きすぎた事件性は、隠すにはあまりにも広すぎたのだろう。その任務内容のみに隠匿が図れた模様。任務の詳細は不明。

 

 管理局が関わった戦闘機人に対する事件。そして戦闘機人の研究に関わった陸のエースストライカーの消失。これまでを踏まえれば、嫌でもここに何かがあることが解ってしまう。

 

 「ねぇ、この事件で死んだ連中の詳しい情報。そしてその家族の身辺情報を早く。特にこの隊長の詳しい情報を」

 

 「……なるほど、レジアスに近くて戦闘機人事件に関わった故人。嫌なにおいがぷんぷん漂ってくるよ、くそったれ」

 

 突きつけられた事件名を一目見ると、すぐに情報端末と対面するかのように青年は椅子へ腰かける。

 青年自身、何か思うところがあったのだろう。どのみちこの場でやらないという選択肢は存在しない。やらなければ待っているのは無残な死だ。

 端末を叩き、画面上の操作を行いながら、青年は神妙な顔でヒルダに語りかける。

 

 「ゼスト・グランガイツは名の知れた魔導師でね。おまけに故人であるから、すぐにでも解るよ。隊員も全員身元がはっきりしているから、おおまかな全員のデータは今すぐにでも探せるけど……。その家族の現在とかいうのは、せめて三日はもらいたいね」

 

 「じゃぁ家族は後回しでいい、早く。金はさっきおいたので足りるでしょ?」

 

 「了解しましたよっと」

 

 青年が収集した情報は、紙にするわけでもなくヒルダのデバイスにそのまま移される。

 デバイスが空中へすぐさま立体投影を映し出す。ヒルダが真っ先に手を付けたのは、故人であるゼスト・グランガイツの情報であった。

 生年月日、出身世界、身長、体重、使用デバイス、経歴、使用魔法など。膨大な量のデータが同時に展開され、ヒルダを中心として立体映像が薄暗い室内を埋め尽した。猫のように目を光らせたヒルダが、その情報を事細かに読み取っていく。

 

 「ゼスト・グランガイツ。魔法術式は古代ベルカ式で魔導師ランクは……S+!?」

 

 驚嘆の悲鳴を上げながらも、内心は納得させられた。

 空や海でもなく陸でこのスペックを持つ魔導師の死。とてもではないが暗黙の了解として収まるわけがない。確かにこれでは任務内容を隠す事だけで手一杯であろう。守秘義務があるにしてもこの存在はあまりにも大きすぎる。

 

 さらに興味深い事実がヒルダを唸らせる。ヒルダがゼスト・グランガイツに対して興味を抱いたもう一つの点は、彼とレジアスとの関係性に目をつけたからだ。

 生前のゼストとレジアスの間柄は、周知に知られるほど交友関係も深く、仕事においても互いに手を貸しあっている。日常においても交友の関係が若い時から行われており、例えるのであれば親友と呼べるほどの間柄であったという。

 

 そんな男が、戦闘機人の事件において命を落とした。恐らくは管理局の裏が関わる事件で。

 前線指揮官であり現場で動くゼストはともかく、最高評議会との繋がりがあるレジアスは恐らくこの件に関わっていたのでは?

 となれば彼はレジアスに切り捨てられたとでもいうのか。権力に関わる人間がやることだ、積年の友である男であっても、切り捨てることは想像に容易い。

 

 だが、それ以上に何かが引っ掛かる。

 

 「……いや、私はこいつを知っているような?」 

 

 どこかで見たことがある?いや、それはない。

 なんせこのゼスト・グランガイツという男を知ったのは今この時だ。咒式世界においても当然ながら知り合うわけもなく。ではこの既視感はいったい何だというのだろうか。

 

 「……ん?」

 

 ヒルダが目を付けたのは身体の記録。体長、体格。ここまで大柄で無骨なものはそう見ることはない。

 だがヒルダはごく最近、確かにこの記録に当て嵌まる存在を目にしていた。頭の中で靄がかかっていた姿が、次第に露わになっていく。やがて答えに行き着いたヒルダの唇は、これ以上ないぐらいに吊り上った。

 そうだ、この使用デバイスにも見覚えがある。ここぞという時に邪魔をしてくれた魔導師のことを、この賢くて強い私が忘れるはずがない。

 

 「あのフード男か、おい」

 

 「何かな?」

 

 今度はどんな無茶な注文を付けられるのか、身構えていた青年に求められたものは意外なものであった。

 

 「音声データ」

 

 「ん?」

 

 「ゼスト・グランガイツの音声データ。それと音声の適合ソフトをすぐに用意しろ」

 

 音声データに適合ソフト?それも殉職したはずのゼスト・グランガイツのものをなぜ必要とする。今更死人の声などを確かめていったいどうなるというのか。

 

 「ここまで来ちゃったらとことん付き合うよ」

 

 諦め気味に再度指を素早く動かす。やっと機嫌を良くしてくれたというのに、わざわざ悪くするほど勇気が盛んではない。

 言われた通りゼストの音声データを探すが、画像はともかく八年前の個人の音声となれば中々に難しい。だからこそ情報屋としての腕が試されるのだが……。

 

 「……時間を少し欲しい。マスメディアから教練の公開まで漁る必要がある。エースストライカー級の音声データだから、探すこと自体は難しくないが」

 

 「どれぐらい?」

 

 「二日は欲しいね。音声適合ソフト自体はすぐに手に入るが」

 

 「今日中に済ませろ、無理だったら殺すから。あとお風呂借りるよん」

 

 絶望に顔を染めた青年を嘲笑いながら、ヒルダは優雅な手つきでバスルームの扉を開ける。茶目っ気を見せるかのように、手を振りながらゆっくりと扉の奥に消えていった。

 

 しばらく時を忘れていたが、シャワーが放水される音を聞き取ると目が覚めたのか。大慌てで画面を充血した目で睨みながら、これまでとは比にならない気迫で操作端末を動かす。

 もちろんバスルームにいるヒルダに聞こえない程度の怨嗟の声を吐きながら。

 

 目蓋が熱い。

 目の疲れなのか心の疲れなのか、どちらのせいでもあるだろう。涙を青年は静かに流したのであった。

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 それはまさに仕事のために用意された部屋だった。四方を白い壁に囲まれた広い空間。アシルヘルマンの執務室にはやては呼ばれていた。

 横に並んだ幾つもの資料棚。ナンバーから察するに昨日のものから数十年前のものまで取りそろえられている。電子映像の記録から紙面に至るまで、分別を選ばない辺り堅物の匂いが感じられる。室内に置物は一切無く、あるのは職務に必要な設備のみ。遊びが交わる事は一切無い、完全な職務の結界であった。

 中央の金属製で飾り気のない机に腰掛けたアシル・ヘルマン。そして側に控える黒髪の秘書官がはやてを迎える。この広い部屋の中にいるのははやてを含めて三人のみ。しかし仕事の姿勢を崩さない二人の存在は、はやての心を窮屈なものにしていた。

 

 「良く来てくれた、八神はやて二等陸佐」

 

 「いえ、アシル一等空佐殿」

 

 熱の無い無機質な声が浴びせられたはやては、その場で堂が入った敬礼を返した。

 

 それ以降、会話が途切れる。

 肌が張り詰めるような緊張感が室内を包み込む。はやては背中に嫌な汗を感じていた。

 

 アシルの眼鏡越しに光る鋭い双眸がはやての姿を確かに捉えていた。まるで籠の中に入れられた実験用の鼠を見定めるような視線。嫌悪などの悪感情も無ければ、温かみもないそれを向けられるということは、あまり心地がよいものでは無い。

 

 しかし目の前の男は、はやて以上の修羅場を潜り抜け、キャリアの階段を駆け上がった若き巨塔。間違っても自分から口を開くわけにはいかない。

 決してオフィスで指示を出すような人間ではなく、現場で手腕を振るい結果を叩き出したその様は、現在のはやてとよく似ている。だが二人の間はかなりの距離が存在している。アシルははやてから見ても雲のような存在だ。

 

 畏敬の念を抱くと同時に、言い様のない恐れを抱くこともまた事実。

 実力社会の風潮が極めて高い管理局であっても、高い結果だけで駆け上がることは不可能だ。幾つもの思惑、欲望を利用し、騙し、他者を出し抜いて地位を握るだけの手腕は必要となる。

 理想と実力だけでは勝ち抜けないのだ、この時空管理局の世界は。

 

 アシル・ヘルマンは結果を出すための手腕と、他を出し抜くだけの手腕を有している。この若さで高い地位に存在しているいるということは、それだけ黒い思惑を塗り替え、踏みつぶし、蹂躙してきたことの証明に他ならない。

 その容赦のなさがあるからこそ、アシル・ヘルマンは一等空佐足り得るのだ。

 

 まずこのような機会がなければ、あまり関わりたいとは思わない。

 味方であることは心強いが、今この場においても駆け引きは常に存在している。

 

 はやてはその事実に改めて癖委しながらも、アシルの視線から目を逸らす事は無かった。むしろ何を物怖じする必要があるのかとばかりに、自らも視線に力を乗せて見返す。

 

 二人の間で流れる時間は一分、一時間、一日のように長いものに感じた。実際はたった十数秒であったが、濃密な意志の探り合いはそれほどまでに時間が経ったと周囲を認識させるに十分であった。

 

 「止めだ、こんなところに来てまで腹の探り合いをする必要はあるまい」

 

 軽薄な笑みを浮かべたアシルが言葉を発したことを皮切りに、重圧が掛かった雰囲気が霧散する。

 はやて自身もアシルと同意見であり、すぐに威圧がかった雰囲気を取り払う。無駄な時間をかけるほど、余分な余裕は互いに持ち合わせてはいない。

 

 「もはや癖になってしまってるんだよ。全く持って嫌になるな。はやてくん、君は正義と勇気だけでは人を救えないと気がついたのはいつからだい?」

 

 「私は、今も正義と勇気が人を救えると信じています。ただ、降りかかる火の粉を払うためには、それ相応の方法も必要であることを恩師から教わりました」

 

 「ははは、違いないだろうね」

 

 からからと破顔したアシルに、はやては思わず呆けてしまう。

 最初の厳格な印象とは打って変わって、軽い微笑みを見せる姿に張り詰めた気が抜けてしまった事が原因だろう。

 

 「ほう?管理局の狸もそんな顔を見せるのか。なるほど、これは珍しいものを見たな」

 

 「失礼、その狸というのは誰から?」

 

 「君より先に挨拶をさせてもらったゲンヤ三等陸佐からさ。お弟子さんをお借りしますといった際に、君が恩師からどう思われているのか彼自身が語ってくれたよ」

 

 「……師匠」

 

 頭痛が込み上げてきた。頭を軽く抱える姿に気をよくしたのか、ますます笑みを深めていく。

 恐らく今の彼が放つ雰囲気が、本来のアシルに最も近い姿なのだろう。

 

 「アシル大佐、そろそろ……」

 

 時計を一瞥した黒髪の女性が、二人の会話に入る。

 確かヒルダについて行われた会議において、アシルの秘書官のような役割を果たしていた女性であったはず。

 このような空間にあっても職務に忠実な構えを解かない姿には好感を覚える。

 

 「彼女の紹介がまだだったね、エミリア・フォルクス捜査官だ。私の執務において補佐の役割に就いている。秘書官だと思ってくれて良い」

 

 「エミリア・フォルクスです。よろしくお願い致します」

 

 はやては綺麗な人だ、と思わず息を飲んだ。

 シグナムやフェイト、なのはのように基準を超えた美人は数多く目にしてきた。だが彼女ははやてが知るこれまでとは異なる種類の美貌を持っている。

 やや釣り上がった目と長い睫毛、そして張りのある声がエミリアを気の強そうな女性に見せている。実際、立場が上である二人の会話に躊躇いもなく入ってくる辺り、相当に胆は座っているのだろう。

 

 「さて、彼女が言うように君にも私にも時間は限られている。しかし君からも私にいくつか聞きたいことがあるはずだ」

 

 「よろしいのでしょうか?」

 

 「構わない、恐らく今回の件で最も働いて貰うのは君だ。君には知る権利がある」

 

 「私以外にも、あの場にはそれなりの立場の者達が名を連ねていたはずですが……」

 

 「それを解っていて私に問う辺り、ゲンヤ三等陸佐が狸といった理由が解るね」

 

 感心するように頬笑したアシルの表情が一転、数え切れない経験を積んだ歴戦の魔導師のモノへ変わる。

 

 「君が四年前、大きな被害を生んだ空港火災に駆り出されたことはよく知っている。恐らくあの時からだろうね、君が管理局の行動の遅さを痛感し、君自身が独自の権限を持つ部隊を作り上げる事を望んだのは。あの時から君の行動は現場での指揮に重きを置くのではなく、管理局のキャリアを積み上げる方向へ意識が向いている」

 

 はやての心にゆっくりとメスを入れ、開腹していくアシルの瞳から一切の感情は消え去っていた。躊躇いもなく人の心を分析し、観察するそれはまさに歴戦の捜査官のもの。もはや人間としてのアシルは存在せず、職務に忠実な冷徹極まり無い男の姿がそこにあった。

 

 「古代遺物管理部の実働部隊として第六番目の部隊。通称『機動六課』が多くの支援を元に生まれた。本局の有権者であるハラオウン家、そして聖王教会のカリム・グラシアなどの力を借りることで。祝福するよ、本心からだ。私の立場ではこうも上手くは行かなかった」

 

 アシルの言葉は止まらない。

 

 「だが今の機動六課はかなりに歪な立ち位置を得てしまっている。高魔力の保持者が多数、そして君たちの功績は確かに少数精鋭の実働部隊として相応しい。ただキャリアとしての実績は未だ足りてはいない」

 

 発汗が収まらない。戦慄するはやてを置き去りにして、自らが分析した結果が語られ続ける。はやてが志した悩み抜いた正義を、目の前の男は特に何を思うことなく話し続けた。

 

 「聖王教会とハラオウン家。確かに強力なパイプだろう、これ以上ないぐらいに文句はあるまい。しかし縦の繋がりはあっても、横の繋がりに関しては無いに等しい。まぁ、当然だろう。つくろうと思えばいくらでもつくれるだろうが、君の今の立場では逆に機動六課自体を食われる。実際寄ってきたのは権威はあるが、人の腐肉を喜んでくらうような連中だろうからね。こればっかりは君の若さが仇にもなっただろう。自尊心の強い相手に、女性で若くキャリアも決定的でない君では舐められる。かといって下に出ることは許されない。君が君自身の意志で動かせる部隊をつくり上げるには、誰の手も借りることができなかった」

 

 推論を重ねていくアシルに、はやては言葉を挟むことが出来なかった。

 否、ここで止める術が見つからなかった。それだけの凄みがアシルにはあった。これこそアシルとはやてとの絶対的な差を表す何よりの証拠なのだろう。

 人間を人間として見るはやてと、人を物同然に観察できるアシル。魔物と呼ばれる人間の悪意をどれだけ受けてきたかが、決定的に二人の間を分けていた。

 

 「『最悪の事態が起こった場合に対応する部署』とは、君が六課を設立する際に述べていたものだったか。なるほど、実に自由に動けるお題目だ。しかしそれが逆に横の繋がりと各陣営との繋がりの無さを露見させている。そもそもカリム・グラシアの予言の件ですら嫌っていた連中からすれば、このことはなおさらに気に入らないだろう」

 

 はやてを見据える目が細まる。

 

 「スバル・ナカジマ、ティアナ・ランスター。君が目をつけた将来性のある者達だ。自らの繋がりを最大限に生かして手に入れた素晴らしい人材だが、君が目をつけたように彼女達に目をつけた者達は多い。ある意味では、彼らとの確執をより一層深めてしまった。だがそうしてでも、君は魔導師ランクの保有制限に縛られない優秀な人材を獲得しなければならなかった」

 

 この時点で、アシルの話は終わっていた。

 だがその後もはやてが沈黙していたことを咎める者は、不幸な事にこの部屋にはいなかったのだ。

 

 「これ以上、私の説明が必要かね?」

 

 なおも口を開かないはやてに、アシルは以前と変わりがない人間めいた微笑みを向けた。

 はやてはその微笑みを、以前とは全く違ったものと見てしまった。アシルの笑みは変わってはいない、ただはやてのアシルに対する認識が変わっただけだ。

 まさにこの男は人中に潜んだ竜であった。

 

 「誰も手を付けたがらず、煙たがられている私達だからこそアシル大佐は我々に目をかけている。そういうことですね?」

 

 やや棘のある物言いは、腹芸が得意なはやてにしてはらしくもないものであった。不遜な物言いは、この場において咎められるべきものであろう。

 現実にエミリアははやてに対して、苦言を呈そうと口を開きかけたが、アシルが目で制す事によりそれは叶わなかった。

 

 「モノは良いようだな。誰の権威も及んでおらず、煩わしい派閥や権力者の繋がり無しに自由に動ける部隊というのは、ただそれだけで貴重なのだよ」

 

 警戒を解かないはやては、やや緊張した声で問いかける。

 

 「アシル大佐の派閥に私達を組み込もうと?」

 

 「だとしたら?」

 

 「悪いですが、お断りします」

 

 凜とした響きを纏わせた返答に、アシルは楽しげに笑った。

 

 「心配しなくて良い、そんなつもりは毛頭無い。だが私がHP事件を解決するために集った中で、煩わしい息が掛かっていないのは君たちだけなのだよ。中には私を管理局から隙を見ては追いやろうなんて連中もいるのでね。表向きには協力せざるを得ないが、裏では何をやられるか解らん。……まったく頭が痛くなるよ」

 

 苦労が絶えないな、そう言って深く椅子に腰をかけた。仮面に亀裂が入ったように浮き出た疲労感が、本物であるかは解らない。

 先程見せた黒い片鱗のように、これが人の心を動かす演技である可能性は否めない。だがアシルの言葉に嘘はないだろう。

 

 誰もが正義と誇りを胸にあの場に集ったというわけではないはずだ。人間には必ずと言って良いほど背後関係と打算が存在している。

 組織で行動する以上それは決して避けられるものでは無い。良い方向に作用することも多いが、大抵それは悪い方向にしか動かないものだ。何度それで苦渋を舐めさせられたかはやて自身も解らない。恐らくアシルははやて以上に、その経験が豊富であるはずだ。

 

 「設立からまだ間もなく、募った人材も幼い。HP事件だけでなく、レリックの回収任務にも従事しなければならないだろう。だが、君達には働いて貰わなければならない。足を引っ張り合うような連中に任せられないのだよ、この事件は」

 

 だが、はやては何か違和感を感じ取った。この時に限り、はやてはアシルの顔に影を感じた。偽りきれない程に黒く、濃い影を。演技とは思えない何か。この恐ろしい男であっても、なお触れたがらないような腫れ物の存在を感じたのだ。

 

 「……何か、あったのですか?」

 

 「はやてくん、君はこの事件の異常性を正しく理解しているかい?」

 

 まるでゲンヤが自分に問いかけたものと、同じような問いであった。

 立場も人間性も全く異なる二人が辿りついた疑念。はやてにとって、アシルが投げかけた問いはこれまでにない難問のように思えた。

 

 「異常性……」

 

 「そうだ、私はこのHP事件はかつてないレベルになると踏んでいる。あれはまさに一つの災害に等しい」

 

 咽の奥に痰のように絡まる言葉を吐き出す。

 アシルの両眼は既にはやてではなく、遥かに遠い何かを見ているように感じた。

 どこか哀愁を思わせる悲痛な装いのままに、アシルの口から発せられた言葉ははやてを驚愕させた。

 

 「……万が一、君を含めた機動六課の隊員に危険が及んだ場合。非殺傷設定を解く事も視野に入れておいて欲しい。私はそれを見逃す。そして私の地位が危ぶまれてもその事実をもみ消す覚悟を決めている」

 

 「ッ!?」

 

 一瞬、はやての脳内が真っ白に変わる。

 言葉の意味は受け取れる。いや、彼の言った言葉に意味は一つしか存在しない。だがそれを理解出来るかどうかは全くの別だ。

 この男がはやてに伝えた意図は解らない。だがそれは間違いなく、管理局の題目に反する唾棄すべき選択のはずだ。

 

 「恐らく上も見逃すだろう。HP事件により管理局には既に悪い影響が幾つも出始めている。早期の解決を望む以上、起こってしまった事故に関しては目を瞑る。ましてやそれが人気の高いエースストライカーが属する六課であればな」

 

 何を思って彼がはやてにそう言ったのかは解らない。

 はやては今の言葉が嘘であって欲しいとの想いで、乾ききった口内からやっとの事で声を絞り出す。

 

 「アシル一等空佐殿。悪い冗談を私は好きません、訂正をお願いいたします」

 

 「私も冗談は嫌いだ」

 

 「でしたら、尚更私はその発言を見過ごすわけにはいきませんッ!」

 

 それを許してしまったら、管理局の体制そのものが崩壊する。

 非殺傷設定という絶対的な生命の尊重があるからこそ、この管理局はここまで成立し発展した。

 質量兵器の否定、人的被害を生み出すロストロギアの否定。一度でもそれを認めてしまえば前例が生まれかねない。そうなれば人命そのものの命が軽いものとなり、やがては質量兵器ですら肯定する流れが生まれる。

 

 前例は一度でも作ってはならない。それは管理局の未来のためにも、この魔法世界のためにも、決して私達の代で作ってはならないのだ。

 

 確かに、この男であればその事実をもみ消すことは容易いものだろう。実際に調査が困難に喘いでいる中、上が一刻も早い解決を促していることも事実だ。

 私の存在を煩わしいと考えている人間でさえ、管理局全体の流れに逆らおうとは考えないだろう。ここで殺人という選択肢をとったとしても、大量に怨嗟の声を生み出したヒルダに対して行使すれば反感は少ない。

 

 だがそれでは私達が長年信じていた信念は、求めていた理想の意味はどうなるというのだ。

 ここで殺す決断をすれば、我々はヒルダと何ら変わりがなくなってしまう。我々は社会のために殺し、ヒルダは自分のために殺す。向かう方向性が違うだけで、管理局はヒルダと同じ存在に変貌する。

 

 認めるわけにはいかない、その選択を選ぶわけにはいかないのだ。

 

 葛藤するように押し黙る。声にならない叫びを聞き取ったアシルが、痛々しいものを眺めるかのようにはやてを見張っていた。

 

 「若いな、はやて二等陸佐。ヒルダ・ペネロテを人として見ているのか」

 

 まるで侮蔑するかのように言い放った。はやては反発するかのようにアシルへと咆える。

 

 「彼女は人間です。人はどこまでいっても人にしかなれないのです」

 

 「……危ういな」

 

 アシルの瞳の奥には哀れみにも似た感情が表れている。

 まだ世界は自分を愛してくれているのだと、そう信じている子供を見るかのようにはやてを見つめていた。

 

 「生き急ぎすぎだ。いや、生き急がなければならない状況に追い込まれたのだろう。君はあまりにも大きくなりすぎた」

 

 悲劇だ、とアシルは言った。

 

 「並外れた英雄が若さを盾に突き進む。若さ故に、青さ故に盾の脆さを知らないからこそ、その結末は大抵悲劇へと変わるのだよ」

 

 独白は止まらない。

 

 「だからこそ、先人の言葉だと思って聞きなさい。ヒルダ・ペネロテに正義は無い。ヒルダ・ペネロテに信念は無い。彼女にあるのは空虚な心だ。人が生きるのには支えがいる。その支えを空虚な心を彼女は殺人の快楽で埋めてしまった」

 

 「だからこそ、私達が彼女を止める必要が――――」

 

 「まだ、君は彼女を救おうとするのかい?」

 

 はやてはアシルの伝えたいことが解り始めていた。

 この人は不器用だ、師匠であるゲンヤよりもずっと。私の行く末を案じてくれている。私が歩み続けようとしている道が、どれほどに難しく心が打ち砕かれるのかを知っている。だからこそ、彼は私に諭してくれている。

 自分のような若造が立ち入ることが出来ない境地から、ゲンヤやアシルははやてに問うているのだ。

 

 「訂正しよう、私は最初に機動六課の存在こそが歪な立ち位置に存在していると感じていた。しかしその実は違う、君の存在自体があまりにも歪だ。何故君は彼女を見捨てない?確かに彼女は少女だが、幼さ故にああなってわけでは無いと断言しよう」

 

 アシルが視線でエミリアに会話を飛ばす。黒髪の美女が頷くと、手に持った操作端末を起動。アシルとはやての間に、立体映像を投影した。

 

 「これは……」

 

 「君も知っているだろう。何せ間近で初めて、ヒルダの悪意を受け止めた人間だからな」

 

 立体映像として現れたのは、一片四十センチの赤い立方体。

 生命維持に必要な臓物や重要な器官が詰められた悪意の結晶。ヒルダが時空管理局へ届けた、宣戦布告ともとれる作品であった。

 

 「かれが箱に書かれた文章の通り、カエストス本人なのかは解らない。だが結論から言うと、彼は生きているよ。だが残念な事に精神の方は既に崩壊しつつある。もっとも、完全な崩壊は不可能だが」

 

 「それは、どういうことでしょうか」

 

 「骨や筋組織の一切を取り除かれ、生命維持に最低限必要な体裁を整えられているだけだ。まさに生ける標本だ。未知の魔法がいくつも複雑に作用仕合うことで彼は生きている。ご丁寧に、精神が完全に砕けないよう精神安定を及ぼす脳内薬物排出促進の力まで確認された。まさに悪意の集大成だ。元の人間に戻す事は不可能だ、一回でもこの箱を空ければ中の人間は生命補助の恩恵を失って死ぬ。彼は生涯このままだろう。狂う事も出来なければ、自由に動くことも言葉を発する事も出来ない。死ぬまで彼は生ける標本として過ごす事となるだろう」

 

 「このことを、他の局員には」

 

 「悪いが、彼らの士気に関わることを伝えるわけにはいかない。一部の人間にはこの存在を明らかにしているが、誰もが君のように正面からこれを受け止める事は出来ていなかったよ。上の人間がヒルダに対しての殺害を容認する理由の一つがこれだ。未だ足跡を辿れないヒルダが、いつ自分の身をこのように変えに来るのかと危機感を抱かなかった者は誰もいない」

 

 映像の中では、口角筋が絶え間なく声にならない絶望を唱え続けていた。

 その内容など考えなくても解る。何度も何度も、殺して欲しいと彼は懇願し続けていた。ヒルダが死ねば、彼が戻れる方法は永遠に失われる。仮に彼が元の人間に戻れたとしても、この間に刻まれた心の傷は癒えることはない。

 まさに生きる地獄だ。ヒルダは人間がそうなることを十分に理解していながら、喜んでこのような生きる惨劇の舞台を造り上げた。

 

 間の前に突きつけられた絶望。そのあまりの大きさに、はやての信念が揺らぐ。静かに目を瞑り、手のひらを爪が食い破るほどに強く握りしめた。

 

 「……もし、彼女のことをほんの少しでも手を差し伸べようと思う人間がいたら。あの娘はきっと殺人者にはならなかったでしょう。エリオやキャロのように笑い、人の喜びを自分の喜びに変える素晴らしい人間になっていたはずです」

 

 ヒルダの実力は本物だ。恐らく百年に一人、二人生まれるかどうかの天才であることは間違いない。恐ろしいロストロギアを扱うだけでなく、管理局の手から身を隠すだけの知性を有している。

 もしその方向性が自分達と同じように用いられれば、きっとなのはやフェイトと同じように戦場に立ち、多くの人々を救ったことだろう。

 

 「だが現実に、彼女に手を差し伸べる者はいなかった。ヒルダに関わる者は次々と彼女の心を貪っていき、生まれたのは殺人に悦を見出す怪物だ」

 

 非情なようにもとれるアシルの発言は、紛れもない真実だろう。実際彼女になのは、フェイトが持つ心がはやてのように通じるとは思えない。だがそれでも、同じように一人孤独に抱え込み、苦しんでいた自分を彼女達は救ってくれた。

 変わる事はできないかもしれない。彼女は自分の意志で悲劇を作り上げすぎた。しかしそれでも――――

 

 「変えることは、出来ないかもしれません」

 

 決意を胸に、はやてはアシルの詰問を正面から受け止めた。

 

 「ですが――――彼女を止める事は出来るはずです。なのは一等空尉や、フェイト執務官が私を止めてくれたように」

 

 眩しいな、とアシルは誰にも聞こえない声で呟いた。

 口が動いたことに気づきながらも、はやては内容が聞き取れなかった。緊張で身をすくめながらも、以前とアシルの言葉を受け止める覚悟を崩さないはやて。そんな彼女にアシルは最後の問いを放つ。

 

 「決意は、揺るがないかい?」

 

 「はい」

 

 片頬を上げたアシルが、威圧を解きながらゆったりと椅子に身を沈めた。

 長年側に控えていたエミリアだけは、彼の顔がどこか晴れ晴れとしていることに気がつく。言葉には出さなかったものの、自らが仕える人間が垣間見せた普段見せない表情に戸惑いを覚えた。

 

 「ならばもう止めはしない。だが、私が言った言葉は心に留めておいて欲しい。君の決意に殉じる者が生まれる可能性というものもな」

 

 「ご忠言、痛み入ります」

 

 「君の正義が貫けることを願っている」

 

 はやてが以前と変わりない歩調で下がると、堂が入った敬礼を行い退室する。アシルとエミリアだけとなった空間に沈黙が続く。はやてが去った後も、彼女が出て言った扉から目を離さないアシル。エミリアは十数秒の時間を要した後、平坦な声をアシルへ投げかけた。

 

 「よろしいのですか?」

 

 「私にも彼女のような正義を抱いていた時期があった。そう言ったら君は信じるかい?」

 

 「私は、以前と変わりなく貴方の正義に殉じるつもりです。他でもない、貴方の正義に」

 

 苦笑するアシルと、あくまで秘書官としての姿を崩さないエミリア。

 二人の間には他の誰も邪魔できないような、確かな絆と決意が存在していた。

 

 「私の正義は既に変わってしまったよ。ミーアを亡くしたその時、私は初めて私の正義が持つ弱さに気がつかされた。青い人間が熟すのは、常に積み重なった負債を一気に持って行かれる瞬間だよ。人は愚かにも、失敗した時からしか先人の教訓を学べないのさ」

 

 誰にでも後悔が存在する。もしこうであったなら結果は違ったのではないかと。救えるものもあったのではないかと。

 自分一人だけが犠牲になっただけであれば、ここまで心が張り裂ける事は無かった。大切な存在が自分の代わりとして死んでいった瞬間、初めて己の道が自分一人のもので無かったと気がつかされるのだ。

 青さ故に気がつかなかった事実は、取り返しがつかない事が起きた後で気がつかされる。

 

 余計なお節介をやいてしまった。らしくないな、と考えながらアシルはくつくつと笑った。

 

 「私の姉は貴方の部下としても、恋人としても満足して逝きました。あの件に関して、貴方に一切の不備はありません。断言します」

 

 「他人からの評価と自分の評価は、決して交わることが無い。例えそれが最善の選択であったとしても」

 

 昔の自分がそこにいた。

 はやての決意に、かつてのアシルの面影を確かに見たのだ。

 

 恐らく彼女は多くの悲劇を目の当たりにするだろう。だが彼女が私と違う事は、彼女の行く末を想定し、そこから守ろうとする存在がいるかいないかだ。

 ハラオウン家や聖王教会だけでは足りない、私自身も彼女の脆い盾を庇う盾にならなければならない。

 

 「私は見てみたい、彼女の青い正義がどこまでいけるのか。失敗し、熟せざるをえなかった私達にはあまりに眩しすぎる正義。だが誰もがかつて持っていた正義だ。その行く末を知りたいとも思っている。わざわざ管理局の命運を天秤にかけてまで、ね」

 

 「罰せられたいのですか、貴方は」

 

 「違うよ、成し遂げて欲しいのさ。誰もが成りたくて成れなかった正義のヒーローに、正しい事を正しいと言えなくなった我々はもう成れないからね。はやてくんが、機動六課が進む道を見てみたい。ベットしたのは私の権威だ。故に彼女達が残骸へと変えてしまった正義の後始末は、しっかりと責任をもって処理するつもりだ。この身に変えてもね」

 

 「八神はやてにそれができると?」

 

 「信じられないかい?」

 

 「はい」

 

 あまりにも正直なエミリアの物言いに、アシルは思わず声を上げて笑った。

 しばらく笑った後、エミリアの氷のように冷たい顔を見ながらアシルは口を開く。

 

 「私達が昔見えなかった世界を彼女は見ている。だからこそ期待したいのだよ。我々が彼女が持つ正義が砕けた未来しか知らない。何故なら私達は彼女の正義を為し得なかったからだ。だが、私は彼女のような正義が認められるような世界があってもいいと思うのだよ」

 

 一度成し遂げられた理想は、きっと多くの希望を生む。

 

 それが可能なのだと知った人々は、はやての持つ素晴らしい正義に続いてくれるだろう。

 かつて非殺傷の魔法など、次元世界の平和には何ら役に立たないと笑われて馬鹿にされた時代があった。だが理想に賛同する多くの者達が時間をかけて、非殺傷の魔法という理想が実現可能であったと証明してくれた。だからこそ今の管理局が存在するのだ。

 そんな先人達の正義に恥じない新たな道を作り上げる可能性を、八神はやてはその胸の内に確かに秘めている。

 

 「はやてくんの理想が勝つか、ヒルダの絶望が管理局を包み込むか。誰にも解らないからこそ賭けは成立する。ハイリスクハイリターンな賭けだ」

 

 「貴方にしては珍しい賭けですね」

 

 「私の将来は既に見えつつある、ならば未だ可能性が見えない若者に委ねても良いと思うよ。彼女の将来を守るために、私は私が持つ全てを賭けようと思う」

 

 アシルはエミリアに微笑みかけると、静かに両目を瞑った。

 その閉じた目蓋から見える世界に何があるのか、それはアシル本人にしか知らない。





 台風の前の静けさ、みたいな感じで穏やかな話です。

 弱さを許さないってことは、弱さを受け入れてはいけないこと。
 正義を志すってことは、正しさを続けなければならないこと。

 持ってないものを持っている、自分が成し遂げられなかったことを成し遂げた、そんな人間に対して自分がどう思うかはそれこそ人それぞれです。
 でもそれを受け入れるだけの懐ぐらいは持っていた方が、何かと人間生きやすいと思います。

 恐らく次回か、次々回。ヒルダが機動六課の新人面々とぶつかるぐらいまで進めればと思います。
 され竜新刊発売後かな?新刊楽しみですね。
 

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