されど殺人者は魔法少女と踊る   作:お茶請け

17 / 17
16話 そして彼女は戦場に降り立つ

キャロ・ロ・ルシエは機動六課の中では最年少の魔導士である。

 

 しかし年齢が低いからと言って、魔導士としての実力が低いというわけではない。それは闇の書事件や、PT事件を解決した高町なのはが当時僅か9歳であったことからも解ることであろう。

 

 彼女の境遇は決して恵まれたものではない。自らが持つ強大な力を見咎めた大人達に故郷から追放され、管理局に保護されてからも腫物扱いされて部署を転々と回され続けた。

 何人もの大人達に、同胞に忌み嫌われた少女は常に孤独であった。悩みを打ち明ける仲間もいなければ、悲しみを受け止めてくれる友人もいない。家族にすら見捨てられた少女の居場所は、微かな希望を抱いて訪れた管理局でさえも見つかることはなかったのだ。

 

 幼い少女がそれによってどれ程の精神的苦痛を受けたのかは想像に容易い。人間不信に陥るのにそう長い時間は掛からなかった。

 僅かな間に、キャロ・ロ・ルシエは完全な人形となっていた。笑うこともなければ泣くこともない、怒ることもなければ悲しむこともない。しかし傷つき壊れかけた心を守るために、自らのうちに籠り切った少女を誰が咎められようか。

 

 だがそれを理解できない者達は、何をしようとも一向に顔を変えない少女をさらに煩わしく思うようになっていった。同程度の年頃の子供であれば朗らかに笑うのに彼女は笑わない、泣かない、怒らない、悲しまない。周囲はそんな少女を気味悪く思い、さらに突き放していった。

 強大な力に加えて人間らしさを失ってしまった少女はさらに孤立の一歩を辿っていったのである。

 

 助けを求めて泣き叫ぶ少女の心はもはや限界であった。

 だが声なき声は誰にも届くことはない。少女の心が砕け散り、完全な人形に変わるまで時間は残り少ない。絶望に打ちひしがれた少女の目から徐々に色が失せていった。

 

 もはや傍観に近い諦めを抱きつつあった少女を救ったのは、フェイト・テスタロッサであった。

 

 自らを引き取り、一人のキャロ・ロ・ルシエという人間として接してくれた事。それが自分にとってどれほどの救いとなったのか。この感謝の想いはもはや言葉にすることはできない。

 その後、時空管理局自然保護隊所属保護官アシスタントとなったが、彼女は自らの恩人であるフェイト・テスタロッサに常に想いを寄せていた。無論これは恋愛感情ではなく、信愛に近いもの。いや、家族へ向けるものと同義であるかもしれない。

 

 だからこそ、彼女がフェイトがいる機動六課にお呼びが掛かった時、決断するまでそう時間は掛からなかった。むしろそれを知った時は喜び、その場で返事を返してしまったほど彼女は興奮を覚えていた。

 

 自らの恩人であり、心の家族であったフェイトと共に戦える。彼女の役に立つことができる。それを知った瞬間、もう体は止まらなかった。頭で考えるよりも、体の方が先だった。気が付けばその同意書にサインを書き込むべくペンを手に持っていたのである。

 

 躊躇う事もないあまりの手早さに、自らを気遣ってよくしてくれた保護隊の隊員達は最初こそ呆れていたが、皆快く彼女の成功を祈って送り出してくれた。おっとりでうっかりな自分を助け、様々なことを新設に教えてくれた彼らはまさにキャロにとって素晴らしい同僚であった。

 

 しかし彼らと巡り合せてくれたのもまた恩人であるフェイトなのである。フェイトがいる機動六課はあまりにも魅力的過ぎた。そんなキャロのフェイトに対する想いを知っているからこそ、保護隊の隊員達も渋ることなく応援した。

 

 そうして機動六課に参入し、新たな自分へと意気込みを感じていた最中に起こった事件こそ――――

 

 『現在もヒルダ・ペネロテの動きは依然掴めておらず、管理局に対する不安の声が上がっています。現地政府との共同捜査が難航しているとの噂もあることから……』

 

 HP事件。今なお死者を量産し続けている悲惨な大量殺人事件であった。

 

 ミッドチルダではなく他の次元世界で潜む犯人の捜索は芳しくはない。あれだけ大々的に動いたのは最初の最初だけ。後は粛々と殺人を行い続けるヒルダに、姿どころか足跡さえ追えてはいない。

 

 組織的犯行であればまだ捜査もやりやすいが、完全な単独犯としてヒルダは動いている。決まった居住地もなければ、他の人間や組織の繋がりもない。物資の流れから追うことも不可能だ。

 ヒルダは他者との繋がりがない身であり、日々の食料や住居すらも他人を殺し奪い取ることで満たしている。

 

 管理局打倒や、現地政府に対する反抗などの大きな陰謀も感じられない。ただ殺していくだけだ。それも権力者や管理局員、民間人に裏社会の住人と節操もない。年齢幅も老人から幼子など無茶苦茶だ。

 まったく関連性も見いだせない殺人に捜査は難航を極めている。

 

 指名手配として流されているヒルダの顔が画面一杯に映された。

 花が咲くように笑い、心の底から楽しげに動く少女を捉えた一場面。これが戦場で人を殺めている最中に撮られたものであると誰が気が付く事ができるだろうか。

 

 これを見て驚いたことが今や懐かしい。犯人は自分と同じ女性であり、同僚であるティアナやスバルよりもその顔は幼く感じられた。恐らく年齢も自分よりも三つか四つほど違わない。

 そして女である自分が驚くほどの美人。端正な顔立ち、ぱっちりとした目にツンとした鼻先。肌は透き通るように白く、頬の一部分のみは興奮しているためかうっすらと赤みがかっていた。

 

 彼女はこれまで見てきた女性の中で間違いなく上位へ入るであろう。ヒルダはそう思えてしまうほどの美しい美貌を持った少女であった。

 

 だからこそ彼女はあまりにも魔法世界にとって異質すぎた。

 見るものを驚かす美貌と、管理局を脅かす力。その二つのうち一つでもあれば、この世界を生きる事は決して難しくない。

 にも関わらず彼女は空前絶後の事件を巻き起こしている。これが世間への混乱に拍車をかけていた。

 

 今もテレビの中では少年犯罪の専門家や、研究者が統計データなどの資料を持ち寄ってヒルダに対してあれこれと不毛な論議を行っている。

 

 「幼少期に虐待を受けたのではないか」と精神分析官が言えば、「彼女の行動は極めて計画的であることから、現地の戦争孤児に特殊な教育を施されていたのでは」と陰謀論まで唱え出す傭兵が声を上げる。そうなれば「いやいや、ここまで支離滅裂な事をしでかして一貫性が見受けられない」と大学の教授が反論を返す。

 誰もがヒルダという大量殺人鬼に興味津々であった。彼女がいないところまでヒルダに振り回され、好き勝手に論議しあう人々の姿は滑稽にも思える。

 

 緊迫したした表情で報道を続ける女性の顔。そこに注がれていた視線が、ゆっくりと足元へと落ちていった。

 主から元気が失われたことに気がついたのだろう。キャロのカバンに入っていた幼竜のフリードリヒが心配そうに顔を出して、主人の頬を舐め上げた。

 

 「うん、大丈夫。ちょっと考え事をしていただけ」

 

 そう言って優しくフリードリヒの頭を撫でるキャロの顔は、やはりどこか憂いを帯びているように思える。

 キャロがじゃれつくフリードリヒを指で遊んでいると、背後の自動扉が開閉する音が耳に飛び込んできた。

 不思議に思って振り返ってみると、二本足が生えた大きな段ボール箱。二本の足だけでは安定性が無いのか、危なげな足つきで部屋に進み入ってくる。

 

 「……ご、ごめん。手伝ってくれると嬉しいな」

 

 少年は段ボール箱の横から苦しげな顔を覗かせながら、不思議そうにこちらを見ていたキャロへ助けを求めた。

 慌てたように少年へ駆け寄ったキャロが、一緒に大きく重い段ボールを四苦八苦で運び終える。額の汗を拭いながら箱の中をちらりと見てみると、紙の冊子やいくつものファイルがこれでもかとばかりに詰められていた。

 こんな重いものを運んでいたのかと、目の前で今も肩を上下させている少年へ心配げに問いかけた。

 

 「エリオくん、あの、これどうしたの?」

 

 「本当ははやてさんが持ってくるはずだったんだけど、忙しいみたいでさ。スバルさんやティアナさんも見つからないから、一人で運ぶことになっちゃって」

 

 力なく笑いながらエリオは椅子に腰掛ける。

 

 キャロはあまりエリオの事を全く知らない。なんせついこの前に初めて顔合わせを済ませたばかりだ。これまでの経験も相まって、人見知りが激しいキャロであったが、目の前でこうも疲れきった姿を見せる少年を放っておくことはできない。

 

 部屋の冷蔵庫から冷えたボトルの水を取り出すと、とたとたと小走りに走り寄ってエリオへと差しだす。エリオは礼を述べるとそのボトルを受け取り、ゆっくりと蓋を開けて中の水を口いっぱいに注ぎ込んだ。

 少し彼もまた自分と同じように緊張して見えたのは、自分と同じく距離を測りかねていたからだろうか。

 

 だが水を飲み終わってしばらく二人見つめ合ううちに、何やら胸の奥から笑いが込み上げてきたのだろう。ふたりは互いに声を上げて楽しげに笑った。

 

 「ごめんね、私は最初ダンボールが歩いて来たのかなって思っちゃった」

 

 「酷いよキャロ、でもあのダンボールは本当に重かった。おかげでまだ腕の疲れがとれないや」

 

 「でもここまで運べるだけエリオくんはすごいよ。私じゃ数歩歩いただけで転んじゃいそう」

 

 「そういえば、初めてキャロを見た時も転びそうになっていたよね」

 

 「うぅ、エリオくんのいじわる」

 

 「ご、ごめん」

 

 自身の過去を振り返って恥ずかしくなり、真っ赤な顔で思わず軽く睨むとエリオはあたふたと慌て始める。

 その慌てぶりが面白かったのか、吹き出してしまったキャロに今度はエリオの顔が真っ赤になる。

 

 エリオ・モンテリオルの事をキャロは詳しくは知らない。ただ軽く話を聞いたところによれば、自分と同じくフェイトに救われ、そして同じ志を持っているということ。

 ずっとどう付き合っていけばいいのかと距離を測り損ねていたけれど、もしかしたら仲良くできるかもしれない。そう確信めいた思いをキャロは抱いた。

 

 だが、そんな穏やかに過ぎかけていた現実が急激に巻き戻される。

 

 『ただいまヒルダ・ペネロテに関する新たな情報が入りました』

 

 キャロとエリオの視線が報道放送に向けられる。静寂が二人を包み込む。

 報道官が鬼気迫る表情で番組スタッフから差し出された紙面を読み上げていく。

 

 『本日十一時頃、住宅街で家族四名の遺体が発見されました。夫であるアレン・ミールの職場の同僚が出社しないために不審に思い、自宅を訪ねたところ自体が発覚。現地の警察機関に通報が行われました。被害者はアレン・ミールさん、その妻であるレイン・ミールさん、息子であるシン・ミールさんと娘のリーシャ・ミールさんの四人です。検視結果から死亡時刻は昨日の夕刻頃だと推定されており、現場にはヒルダの名前が書かれたメッセージカードが』

 

 ヒルダという凶悪な殺人鬼の存在が知れ渡ってからまだ一か月も経ってはいない。

 しかしヒルダが行った凶行の報道は毎日といっていいほどに流され続けている。

 

 彼女はこの僅かな期間の間に、極めて短いペースで殺人を行い続けている。

 場所も、被害者も、時間も、全てが無茶苦茶であるために次の行動が全く予測できない。中には昼間に街中で堂々と殺人が行われた例がある。既に第XXX管理世界において、ヒルダによって殺された人命は百を超えていた。

 

 膨大な被害者の数、行動の速さにヒルダの模倣犯がいる可能性も当初は示唆されていた。

 だが現場に必ずと言っていいほど残されるメッセージの筆跡は、全て同一のものであった。カードに付けられた口紅のキスマークに含まれる唾液の成分も完全に一致を示している。

 この恐ろしい少女が第XXX管理世界にもたらした恐怖は、現地の人々にとって決して他人事ではない。時間も人も場所も無差別な殺人に、いつ自分が巻き込まれるかと思うと彼らは気が気でないだろう。

 

 そして、エリオとキャロの二人もまた彼女とは無関係でいられない。

 

 「八神隊長が言っていた。いつか彼女と戦わなければいけないと」

 

 エリオの言葉を受けて、キャロの顔に暗い影が下りる。

 

 機動六課はロストロギアの脅威に立ち向かうべく、八神はやてが立ち上げた組織だ。

 ヒルダは恐るべきことに、複数のロストロギアを並行して使っている可能性がある。そして既に多くの被害者を生み出している。

 もはや彼女がロストロギアを扱っていることが問題なのではない。ヒルダという凶悪な殺人鬼の存在が問題なのだ。

 

 例え彼女がロストロギアを扱っていなかったとしても、はたして無関係でいられたかどうかは怪しい。

 

 「ヒルダが行っている事は、とてもじゃないけれど許されることではないから。僕たちが戦わなければならない」

 

 「……でも」

 

 私たちは、あの娘に勝つことができるのだろうか。

 言葉の先は紡がれなくとも、キャロの意図は理解できるものであった。

 

 「だけど僕たちはまだ新米、経験が足りないうちに戦うわけにはいかない。だからなのはさんやフェイトさん、シグナム副隊長達が中心になってHP事件に取り組むみたいだ」

 

 エリオの言葉を受けてキャロの目が静かに揺れる。

 

 「……エリオ君。私、これからすごく悪いこと言うね」

 

 それはヒルダを知って、キャロが抱いていた苦悩であった。

 

 「あのね、もしかしたら思うんだ。あそこにいたのは私だったかもしれないって」

 

 静かな独白が室内に響き渡る。

 

 「あの娘は私と同じなのかもしれない。一人で、孤独で、頼れる人が誰もいなくて。助けを求めて縋り付いてもふり払われて」

 

 知らず知らずのうちに、キャロは自分の姿をヒルダに重ね合わせていた。

 彼女も最初は自分と同じで一人だったのではないか。誰からも見捨てられて、疎まれて、必要とされなくて。

 

 「私は、フェイトさんが助けてくれた。一人苦しむ私を救い上げてくれた。だから、私は今もここにいられる。たくさんの温かい人たちの中で生きていられる」

 

 それはIFの可能性だ。キャロがヒルダとなっていた可能性。

 共通点は多くある。召喚技能、大きすぎる力、女性、あまり変わらぬ年齢。

 しかしキャロには仲間がいて、彼女には仲間がいない。

 

 エリオも思うところがあるのか、静かに目を閉じて無言のまま佇んでいる。

 ただキャロはその両手が硬く握りしめられ、震えているのを見た。キャロだけではない、エリオにもキャロの言葉に感じ入るところがあったのだろう。

 キャロはエリオの過去を知らない。しかし自分と同じで辛く苦しい過去を得て掴んだ今があるのだと解った。

 確証はどこにもない。ただそう思っただけ。だが彼も家族について自分と同じく一言も語らないことから、どこか自分と共通する苦悩が感じられた。

 

 「そう、かもしれないね」

 

 エリオは苦しげな表情で口を開いた。

 

 「僕も、もしかしたらキャロの言うようにヒルダになっていたかもしれない。多くの人たちの悪意に飲み込まれて、歪んでしまった僕がヒルダになった可能性は無いとはいえないから」

 

 でも、そう言って力強い眼差しをキャロへと向ける。

 

 「僕も、キャロもヒルダじゃない。フェイトさんが、機動六課という居場所があるから。間違ったら止めてくれる大切な仲間がいるから」

 

 間違ったら止めてくれる。

 厭わず、面倒くさがらず、嫌がらず、大切に思うからこそ道を正してくれる仲間。

 その存在こそヒルダと自分達との最大の違いであった。

 

 「確かに僕達が辿ったかも知れない一つの運命を、ヒルダは今ただ一人で背負っている。でもそれに対してキャロが自分を重ね合わせる必要は無い。無論、僕もね」

 

 エリオの言葉は熱を帯びていく。

 

 「ヒルダは自分の道を自分で決めたんだ。僕達が機動六課に来たように、彼女もまた犯罪者になる事を選んだんだ」

 

 「他に道が無くても、選んだって事になるのかな?」

 

 「ならない。だから僕達がヒルダに道を作って上げなくちゃいけないんだ」

 

 誰も助けてくれなかったのなら、自分達が助けてあげればいい。

 救いを知っている自分であれば、その温かさを伝えることが出来るとエリオは信じていた。

 

 なのはという救いを得たフェイトが、今度はエリオを救い取ったように。今度はエリオがヒルダを救おうとしている。

 崇高で尊い正義の心は確かに紡がれ、なのはの願い通りに広がり始めている。その根はエリオの心にしっかりと根付いていたのだ。

 

 「私達が、あの娘を」

 

 「うん」

 

 「できるの、かな」

 

 「解らない。でも、信じる事は出来るはずだよ」

 

 キャロにはエリオの姿にフェイトの姿が重なったように思えた。

 それほどまでにエリオは輝いていた。キャロの心の闇が消え去るのに十分なほどに。

 

 「そっか……そうだね。私達が信じなかったら、誰が信じるんだろうね」

 

 「苦しい戦いになると思う。でも、なのはさんやフェイトさん、八神隊長達がいれば……きっと」

 

 信じる事。

 信じる力が決して偽りではない真実である事を知る彼らは、互いに手を取り合って立ち上がる。

 

 いつの間にか、キャロがエリオに抱いていた苦手意識は消え去っていた。

 今はただ、彼と同じ願いを持ち、こうして笑いあえる事がなによりも嬉しかった。

 

 「私、ヒルダちゃんを助けたい。私が助けてもらったように、今度は私があの娘を助けてあげたいと思うから」

 

 怒られるかもしれないと秘めていた思い。それを表に出したキャロの顔は、晴れ晴れとして精悍なものであった。

 

 「でも私一人だけじゃ無理かもしれない。届かないかも知れない。だから――――」

 

 私と一緒に、戦ってくれますか。

 

 にエリオは言葉も無く、ただ静かに首肯した。二人の想いは始めから同じものであったのだ。

 それを二人は知らずに、自ら離れるよう距離を取り合っていた。否、知っているから距離をとったのかも知れない。お互いが傷つく事を恐れ、相手を気遣うが故に触れ合えなかったのかもしれない。

 

 カバンから様子を始終見つめていたフリードリヒが、笑顔に変わった主人を見て嬉しそうに鼻を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒルダは背中が異常にむずがゆくなるのを感じた。加えて全身鳥肌が立つような不快感が押し寄せ来た。

 

 未だかつてない謎の感覚に包まれたヒルダは、顔を顰めて身震いする。まるで全身をぬるま湯に投じたような思いだ。

 慣れない魔法世界生活で体調を崩したのだろうか。咒式士が風邪というのも巫山戯た話だが、何せここは別世界だ。咒式世界で生きてきたこの身にとって、魔法世界の空気は些か毒であるかもしれない。

 

 いくら自分が上位階級の咒式士であるとはいえ、医療を専門とする咒式士ほど人体の構造を理解しているわけではない。東方のことわざだが、餅は餅屋にという言葉がある。足がつきやすいから避けていたが、闇医者を探して身体に異常がないか診察を行うべきだろうか。

 

 顔を正面に向けると、怪訝な表情でこちらを見つめる情報屋の青年を確認。睨みを飛ばすと慌てて目線を手元の資料に移していく。

 

 「そ、それで音声データ自体は問題無く手に入ったよ。何せ元エースストライカーだ、参考になる資料は多い」

 

 「私が渡した音声データとの適合率は?」

 

 「音声データの適合率は97.65438。発音、呼吸の間の置き方もほぼ間違いない」

 

 大当たりだ。ヒルダは舌なめずりしながら、資料を食い入るように見つめていた。

 

 「ゼスト・グランガイツが命を失ったはずの事件。現場には遺体が無かったってことは、つまり回収されて有効活用されたってことね」

 

 「……S級魔導師の遺体を?それ以前に遺体を活用するなんて話があってたまるかって」

 

 「別に珍しくないでしょ、それぐらい」

 

 青年が驚きに固まった表情のままヒルダを見つめるが、ヒルダは何故青年がそこまで忌避感を覚えるのか理解出来ない。

 

 咒式世界の中で、特に忌み嫌われる物の一つに精神支配咒式が存在する。

 

 他者の脳に咒式を使って干渉することにより、対象を自身の意のままに操る。

 通常は異貌のものどもなどを使役するための手段で用いられるが、これが人間を対象に行われることは禁止されている。

 

 何故ならばこの咒式の人間に対する行使を許せば、人々は自身が操られているのかそうでないのか判別がつかない。加えて交渉という概念が無くなり、社会そのものが成立しなくなってしまう。

 いわば人の根幹を否定し、社会を崩壊させる力を精神支配咒式は有しているのだ。

 

 だからこそこの精神支配咒式の多くは禁止されており、一度使用が確認されれば咒式士最高諮問法院という国家の枠組みを超えた世界の最高機関が、その使用した咒式士に牙を剥くであろう。

 咒式士最高諮問法院が持つ武力と権威は一つの大国を容易く越える。法院から派遣される軍の力は絶大であり、強大な異貌のものどもである竜種すらも容易く屠るほど。

 いくら強くて可愛い私であっても、流石に連中とは事を構えたいと思えない。それぐらいに連中はヤバイのだ。

 

 そしてその精神操作咒式の禁じ手の一つに、死体を意のままに操る咒式が存在する。『屍のメルツァール』という屍葬士が用いているらしい咒式だ。

 

 これは死人の脳内に宝珠を埋め込むことで、咒式士の思うがままに操作できる屍葬兵を作り上げる咒式である。この方法で作られた屍葬兵は、生前と同様の行動を行う事が可能だ。

 死体であるが故に、脳の限界を無視して咒式を酷使し、人体の構造を無視して戦闘を行う屍葬兵は脅威の一言に尽きる。

 自身の負傷も恐れず、死も恐れず、命令から逸脱することがない屍葬兵の相手は面倒極まり無い。

 

 私がいくら殺人者とはいえ、死体を殺す事はあまりしたくない。

 殺してもまったく楽しくもなければ、ただひたすらに面倒くさいだけだからだ。

 生者の恐怖する顔。足掻き、苦しみ、死んでいく姿。そんな馬鹿共だからこそ殺しがいがあろうというもの。人形相手にお遊びする年齢は、とうの昔に過ぎている。

 

 また精神操作咒式ではなくとも、死体の脳さえ残っていればいくらでも活用方法は存在する。

 メトレーヤの科学者達は特にそういう話が大好きだったはずだ。連中がどこから拾ってきた脳をつなぎ合わせ、一つの生物を作りだした事を忘れたわけではない。

 生命の蘇生は不可能とされているが、脳に残る情報と生体組織を転写する事で、生前の人間そのものを作り上げる事は不可能ではないのだ。

 

 恐らくゼスト・グランガイツの死体を用いて、何者かが彼を復元させたのだろう。

 

 「問題はそれを可能とする魔導師か技術者、科学者が絡んでいると言うことか」

 

 ヒルダの顔がここに来て初めて苦渋に歪んだ。憎々しげに言い放ったヒルダは、腹の収まりが悪いのか何度も机を意味もなく小突く。

 

 ヒルダの脳裏に過ぎるのはメトレーヤでのおぞましい記憶。

 精神と肉体を弄ばれ、好き勝手に研究された精神の傷は、未だ彼女の心の奥深くに残っている。

 またもやメトレーヤの科学者達と同じような連中に振り回されているのかと思うと、ふつふつと胸の奥から激しい怒りの炎が燃え立ってきた。

 

 目に激しい憎悪を滾らせたヒルダが、ゆっくりと口を開く。

 

 「どこまでいってもこういう連中とは縁があるってことか。上等よ」

 

 今の自分は、あの頃逃げる事しかできなかった私ではない。

 数百人を殺し、ザッハドの使徒となった最高の殺人者だ。加えて今の自分の手には、十冊を超えるエミレオの書が存在する。

 

 「全員、等しく無惨に残酷に綺麗に蹂躙し尽くしてぶち殺す。必ず私を舐め腐って挑んできた戦闘機人共を皆殺しにして、その背後にいる連中も全員遊んで殺してあげるわ。家族がいればそいつらも全員殺し尽くす。恋人が居れば殺す。子供がいれば殺す。親がいれば殺す。生まれた事を後悔するような酷い死を味あわせてあげるわ」

 

 これは決意だ。

 

 これまでの弱く搾取されるだけの存在で在った自分との決別。咒式世界において糞妹に殺されかけ、糞眼鏡に下半身を焼き切られた私との決別。

 今ここにいるのは『ペネロテ姉妹』ではなく、一人の『ザッハドの使徒』である。美しく、可愛く、強い私が今のヒルダであって、これまでの屈辱にまみれた自分ではない。

 

 今の私が舐められるようなことはあってはならない。

 今の私が侮られるようなことはあってはならない。

 

 この『ヒルダ』が、『ザッハドの使徒』の名が貶められるようなことはあってはならない。

 

 「……一つ質問。ここで死人の蘇生は珍しいわけ?」

 

 「あ、ああ。当たり前だ。死人の蘇生は時限世界において魔法でも不可能とされている。それこそ未知の技術の塊であるロストロギアでも使わない限りはあり得ない話しさ。もっともそんなロストロギアの話なんて聞いたこともないが」

 

 「脳の転写を行って死んだ人間を蘇らせるのは?」

 

 「そんな技術、古代ベルカでも行われていたかどうか……」

 

 「出来たら、どうだって話よグズ」

 

 「……人造生命の研究や生命操作技術、クローン技術でさえ問題視されている。自身の記憶情報をデバイスや魔法生命体に活用するならまだギリギリ違法から外れるかもしれないが、人体でそれを行うとなると問題が多すぎる。恐らく前例がないだけで、禁止される研究であることは間違いないさ」

 

 戦闘機人に加え、新たな違法な生体技術と生命操作技術。

 金の掛かりそうな研究であることは間違いなく、ガジェットドローンや戦闘機人と共に現れた事から、同一機関の研究成果であると判断して間違いない。

 

 「しかし……そうなってくると」

 

 生体技術と生命操作技術の研究が危険視される以上、これらの分野の研究者はかなり絞り込まれるはずだ。違法のぎりぎりをさ迷う研究は、国や司法の下で監視されながら行われる事が通常望ましいとされている。それはこの世界でも例外ではない。

 監視の目が光る異色の経歴の科学者達の存在。巨大組織である管理局であっても、それらを他機関から引き抜けば痕跡の一つや二つは残りそうなもの。

 研究者は人であり、必ずそこには生きた形跡が存在する。それを完全に消し去ることは不可能だ。

 

 にも関わらずその情報がまったく存在しない。つまりこれは正式な科学者だけではなく、違法な研究者を主導して行われた可能性が高いということだ。

 

 「手詰まりに……近いか」

 

 魔法世界は一つだけではなく、幾多もの世界が存在する。管理局が認知していない次元世界も含めれば、千や万どころの数ではない。そんな世界に蔓延る違法研究者を特定する事は不可能に近い。

 ならば今ここで解ることは、管理局で登録されている違法研究を行った者ぐらいか。

 

 「生命操作技術と生体技術。この二つで指名手配されている研究者の次元犯罪者は誰?」

 

 「……」

 

 「おい」

 

 「……どうして、そう思ったのかな?」

 

 ヒルダが目を細めた。

 絶対零度の視線を青年に向け、露骨な舌打ちをして資料を机にたたきつける。

 

 「あ?」

 

 「す、済まない、少し気になってね」

 

 「関係ないでしょ、殺すわよ。それで誰よ?」

 

 「解った。明日までには……」

 

 青年がヒルダを宥めるようにして微笑んだ、次の瞬間であった。

 室内の温度が急低下。空気が凍てつき、肌が張り詰める感覚。まるで全身を剣先で押さえつけられたと錯覚するような、凄まじい殺気が青年を襲った。

 青年はこれを受けて瞬時に飛び退り、ヒルダと距離をとることに成功する。

 

 冷や汗を流した青年の視線が、険呑な空気を纏ったヒルダの姿を捉えた。

 

 「いったい……どういうつもりかな?」

 

 「どういうつもり?言葉で示さないと一々解らないなんて、やっぱり馬鹿ばっかね」

 

 ゆらりと幽鬼の如くソファーから起き上がったヒルダの目は、まるで青年の心を見透かすかのように暗く清んでいた。

 

 「あんたみたいに自分は演技が上手い、みたいな事を考えているやつは解るんだよ。馬鹿で愚鈍で救いようのない阿呆程度が、同程度のぐず共を騙して調子に乗っただけの話」

 

 「何を……」

 

 「どれだけ顔や態度を取り繕っても、肉体や精神状態までは誤魔化せない。お前、自分は賢いと思っているようだけど、ただ小賢しいだけよ」

 

 呆れたと言わんばかりに息を吐き出す。

 

 「緊張して不安状態になると、心臓は頻脈になり心筋の収縮力は増大。心拍出量は増加する。もしくは抹消血管が収縮して血圧が上昇する。だがあんたの心拍は多少高めにしているけれど、十分通常の範囲内だし、血圧に至っては上がりもしていない」

 

 顔を強ばらせた青年へのヒルダの追求は止まらない。

 

 「何よりも緊張で起こる呼吸促進が、あまりにも一定間隔すぎで丸わかり。馬鹿正直に一定のテンポで呼吸し続けられる人間がいるわけないだろうが。そんな表面だけ取り繕って、この私をだませるとでも思っているわけ?」

 

 咒式世界において顔を変えることなど容易い。なにせ生態情報、遺伝情報すら完全に同一化させてしまう咒式すら高度ではあるが存在している。

 流石にそこまで行える咒式士はごくごく僅かしか存在しないが、生体操作がある程度個人で行える事もあって、先程ヒルダが述べた全てを完全に模倣しきる事は十分可能である。

 

 ヒルダは大量殺人者であり、社会から人類の敵と認識されるザッハドの使徒である。

 入れ替わりや演技を行う者には人一倍敏感であり、何よりも僅かな挙動から見破る程の目を兼ね備えている。

 正面から戦う事なく、罠を張るタイプの咒式士であるヒルダの勘は常人よりも遥かに高い。だがその性格や気性が災いしてか、戦場や常時にこの磨かれた感性が発揮される事は少なかったのかもしれない。

 

 だが今のヒルダは正真正銘の狩人であり、慢心を知った存在であった。

 何よりも異境の地でただ一人の咒式士であるという認識が、彼女の観察眼と感性をより鋭いものへ変えていた。

 そんなヒルダにとって、目の前の存在の演技や模倣はあまりにも稚拙すぎたのだ。

 

 「冗談は勘弁してくれ、俺は……ッ!」

 

 「で、これが決定的な証拠なんだけど……」

 

 ヒルダの頭上に二冊のエミレオの書が召喚。

 錠に封じられてなお空中で暴れるそれを見た青年の額から、一筋の汗が流れ落ちていった。

 

 そんな青年を後目に、ヒルダは魔杖風琴を抱え上げる。

 

 「あんたにかけたはずの『胎天使ニョルニョウム』の咒式が解除されてるんだよ。これっておかしいわよね」

 

 魔杖風琴を一撫でしたヒルダの目が、険呑な光を隠そうともせずに青年を睨みつける。

 

 「ニョルニョウムの咒式は、私がいた咒式社会においても致命的で決定的な呪い。咒式があまりにも複雑過ぎて、例え手練れの十三階梯クラスであったとしても、正式な条件を満たさなければ解除が不可能に近い」

 

 艶やかな唇から発せられる言葉。その一つ一つに殺意が込められていた。

 

 「もし少しでもその条件を外れれば、お前はカエルになるはず。だがお前は今もここに人の形をして立っている。しかしお前にかけたニョルニョウムの咒式が解除されている。私のいたところでさえ解除が不可能とされていた不可思議な咒式を、お前程度の人間が解除に成功した?馬鹿いっているんじゃないってーの。あれは正式な条件を満たすか、殺されでもしない限り絶対に解除されない咒式なんだよ」

 

 エミレオの書の錠前がはじけ飛んだ。

 書の中の異貌のものどもが、今か今かとヒルダの最後の一声を待ち望む。

 

「まぁ百歩譲って魔法世界でお前が特別にそんな例外方法を見つけ出したとしよう。しかし、あれだけ怯えていたお前が、どうして逃げずにこんなところで私と顔を付き合わせている?とてもじゃないけれど、お前にそんな度胸は無かったはずだ」

 

 不自然な程の静寂が二人のいる空間を包み込んだ。

 

 青年が青年のものでは無い笑みを顔に張り付ける。

 乾ききった唇を真っ赤な舌で舐めあげるその姿は、とても男ができるものではない妖艶な色気を見せていた。

 

 「……はぁ。データの修正のしなくちゃね、幼稚で衝動的。怒りやすくて短絡的な行動をするとプロファイリングにはあったけれど。駄目ね、まったく違うじゃない」

 

 「話はお終い、ついでにお前の命もお終い。飽きた、死ね」

 

 ヒルダがエミレオの咒式を解放し、魔法の構成式を完成させようとしたその瞬間であった。

 

 周囲の雑音をかき消す激しい轟音。建物全体を揺らす激しい震動が二人を襲う。天蓋から木漏れ日が差し込んだとヒルダが感じた瞬間、両者は既に動き出していた。

 頭上から降りそそぐ瓦礫と内装をヒルダは横に転がるようにして回避。同時に魔法の構成が完了、デバイスの先端に青い燐光と構成魔法陣が展開される。

 

 ヒルダは躊躇うことなく非殺傷設定を解除した魔法を発動。『劣魔導散弾射(マギア)』の極小魔法弾が、青年に偽装した何者かに目掛けて拡散。本棚、食器、ソファー等の家具を巻き込んで死の嵐が室内を蹂躙していく。

 だが既に傾きつつある建物によって生まれた不安定な足場と、上から降りそそぐ木材とコンクリート片が、ヒルダの魔法の正確さと散弾の威力を損なわせた。いくつかの魔力弾は命中するも殺害には至らない。

 

 余裕に満ちた表情を一変させた青年は、傷をものともせずに窓へ目掛けて跳躍。点々と空中に散布された自身血液を置き去りにして、三階の窓から飛び降りていった。手際が良いところを見ると、予め逃走経路を確保していたようだ。面倒くさい。

 

 ヒルダは舌打ちを飛ばしながら飛行魔法を発動。『劣魔導散弾射(マギア)』を連続発動して内壁を破壊。壁を蹴り抜いて空中へ飛び出し、倒壊する建物からの脱出に成功する。

 

 コンクリート片が混じった粉塵を突き抜けてヒルダはバリアジェケットを展開。黒を基調としたドレス型の戦闘服に身を包み込む。

 そのまま空中へ急上昇。太陽を背にして見下ろした光景に、ヒルダの目が糸のように細まる。同時に殺意に滾らせていたその瞳の炎が、急速に鎮火していった。

 

 ヒルダの視線の先には、思い思いのバリアジェケットを展開した魔導師達の姿があった。見ただけでも百の数を超えているのが解る。

 

 殺気を滾らせる襲撃者のデバイスにも斧や剣、杖に弓などまるで統一感が無い。

 中には魔導師ではない者までが魔導兵器や、本来違法である質量兵器をヒルダに向けていた。

 質量兵器を使用する軍など存在しない。それぞれがバラバラのバリアジャケット、得物を運用する事からもそうであることが証明できる。

 

 「でたぞッ!ヒルダ・ペネロテだッ!」

 

 壮年の魔導師がヒルダの姿を見咎めて叫んだ。

 その声に呼応した魔導師達が一斉に魔法組成式を組み上げていく。

 先程のビル倒壊の原因も、こいつらがやったのかとヒルダは盛大に息を吐き出す。建物を制圧するのではなく、建物ごと対象を殺そうとするのはどう考えても表の連中がやる手段ではない。

 

 それに、集まった連中の中に何人か顔をしっている連中がいる。

 裏社会に溶け込む段階で、ヒルダが頭に叩き込んだ有力者とその手駒共。フリーの魔導師、名の知れた賞金稼ぎ。どいつもこいつも目に欲望を滾らせている。

 よくもまぁここまで数を揃えられたものだ。所属も実力もまるでバラバラだが、数だけでみればちょっとした戦争をやれるだけ集まっている。

 

 ヒルダは周囲を探知し、件の偽物が既に逃げ延びていた事を確認。

 額に血管を浮かび上がらせると、大きく息を吸って吐き出す。何度か呼吸を整え、心中の落ち着きを確保した後。ようやく鬱陶しげに下でキャンキャンと騒ぎ立てる阿呆共を、ヒルダは興味なさげに見据えた。

 

 「これはこれは、有象無象のゴミ虫どもがよくもこれだけお日様の下に集まれたものね。恥を知らないってのは死罪に値すると思わない?ねぇ、カストール」

 

 かつて『カエストス魔法商会』にいた所属していた際に、何度か取引で顔を付き合わせた魔導師の男に言葉を投げかける。

 カストールの取り巻きはその言葉に怒りを顕わにするも、無骨な顔をした長身の大男であるカストールはヒルダの挑発に八重歯を覗かせた。

 

 「っは!てめぇがそれを言いやがるのかよキリングガール。親のリカルドをぶち殺し、この世界の金庫番を殺して金を奪い、挙げ句の果てには天下の管理局に盛大な喧嘩を売った。そんなここ数世紀見たこともない頭のイカれたてめぇが、よくもそんな大言をのたまえるもんだ」

 

 「私に親なんて一度もいたことが無いわね。というかさぁ、家族ごっこがしたい人間がこんな場所に集まるわけがないだろうが。孝行したいならとっと家に帰れ馬の骨共、私は今ちょっと立て込んでいるのよ」

 

 「てめぇの用事なんて知ったことか。上の連中はお前が『カエストス魔法商会』を潰しやがって大損させたおかげでだいぶお怒りだ。今まではリカルドの顔を立てていたから好き勝手できたが、あいつが死んだとあってはもうお前を守るものは何もありゃしねぇ」

 

 カストールの顔が怒りに歪み、唇を噛み締めた。

 

 「何よりお前はリカルドを殺した後、いくつもの金庫番を殺して金を持ち逃げしやがったな」

 

 ヒルダはどこを吹く風と言ったばかりに欠伸をしている。

 その態度にカストールを始めとした裏社会の面々の顔が、あまりの怒りに白く染まっていく。

 

 「解るかヒルダ?確かにここに生きる連中は全員くそみたいな連中だ。命なんてコイン一枚の価値すらねぇし、規則なんて大嫌いなウジ虫が大量にいやがる。だがそんなウジ虫共でも解るような、お前はこの世界における例外中の例外に触れたんだよ」

 

 既に一般の大衆は真っ昼間の往来の中でも武器を大量に装備する集団に、目を恐怖に染めて逃げ出している。

 この区画には、ヒルダとその命を狙うカストールを始めとした襲撃者達しかいない。火薬庫すら安全に思えるほどの張り詰めた空気がここら一体を支配している。

 

 「お前に付けられた懸賞金は裏社会全体を合わせて七億。さらに表でお前に殺された連中の親族がかけたものを合わせて十一億。管理局にすら喧嘩を売るお前を煩わしいと感じた、この第XXX管理世界の政府がかけたものを合わせて十四億。無論、生死は問わない」

 

 ここでヒルダの眉が僅かに釣り上がる。

 その理由はあのアンヘリオのものよりも高い賞金に興味を惹かれたのだろう。

 この安穏とした世界においてザッハドの使徒という存在は、かなりの脅威を感じさせるに至ったらしい。

 

 「解るかヒルダ、てめぇの首には人生数回やり直したっておつりが来る価値がある。ここにいる大半はお前のその金額に釣られた連中だ。だが俺達組織に属している連中はそうじゃねぇ」

 

 カストールの声が震える。

 それは怒りであり、恐怖であった。

 

 「俺の組織である『龙虎会』だけじゃねぇ。他の組織の連中もこの場にお前がいると聞いてとんできたんだ。てめぇが好き放題やらかした責任からお前が逃げる以上、他の誰かがその責任を負わなくちゃならねぇ。ここにいるのはその責任を負わなくちゃいけなくなった連中だ。どいつもこいつもてめぇのせいで尻に火が付けられた連中なんだよ。お前をこのまま生かしておけば、数日後にはここにいる俺を含めた全員が、オラール湾に浮かぶことになる。いくらお前が百数十人殺すキチガイだろうが、殺した後に管理局に代わりに追われようが、もう道は一つしか無い」

 

 「聞いてとんできたねぇ……」

 

 あの偽物野郎が仕組んだ事に間違いは無い。

 数キロ先まで反応が無いとみると、恐らくは転移魔法により移動したのだろう。

 恐らく単一による行動ではない。そもそも転移魔法自体、使う連中はだいぶ限られている。

 

 ……役立たず共が。

 

 もう少しまともな話を聞けるかと思って放っておいたが、聞けたのは阿呆共の泣き言だけで大した意味はなかったようだ。

 唯一、益になった情報も想像していた範囲内。無駄な時間を過ごしてしまったらしい。

 

 「お前の墓場はここだヒルダ。俺達のために、ここで――――」

 「無駄話はもうおしまいかな、カストールちゃん」

 

 ヒルダが嘲るように襲撃者達を睥睨。口の端を歪めて嗤った。

 その直後にカストールの反射的な攻撃命令が念話により発信。自身も声にならぬ雄叫びと共に槍の先端に灯った燐光をヒルダへと向けて放つ。

 

 カストールの念話と叫びを皮切りに、魔導師達の魔法が次々に発動。

 さらに質量兵器が発射され、ヒルダという熱源に向けて煙を噴出しながら向かって行く。

 

 爆裂、熱線、雷撃、炎、氷、魔法弾、光学レーザーが何重もの軌道を描いてヒルダに殺到。

 激しい轟音と爆風が吹き荒れ、空気を伝って伝播した震動が周辺の建物の窓を軒並み粉砕。年期がはいったコンクリート壁やレンガ壁があまりの衝撃で崩れ落ちる。

 ヒルダの背後にあった建物が、ヒルダへの攻撃を受けて次々と破壊。蹂躙。あまりの苛烈な魔法の連撃についに一棟のビルが骨組みを剥き出しにして倒壊。続いてその後ろにあったビルまでもが魔法の射線に晒され、文字通り面を削り取られて爆音と共に崩壊していく。

 

 十数秒という短くも長い時間の後、念話での攻撃停止から数秒をかけてようやく攻撃は終了した。

 ヒルダが存在する後方は最早廃棄区画に等しい惨状であり。その周囲もまるで戦闘機による爆撃を受けたかのような有様であった。

 

 カストールを始めとした襲撃者の顔に安堵が広がっていく。

 いくら凄腕の魔導師といえども、ここまで攻撃を受けてはバリアジャケットはおろか、魔導障壁すら耐えられることはない。

 更に使用された兵器の中には、AMFを搭載している弾頭が存在する。いくらあのヒルダとはいえ、人間である限りはこれを切り抜けることは不可能だ。

 

 緊張から解放された者達が胸をなで下ろす中。

 粉塵が晴れていくに連れて、喜色に飛んだ魔導師達の笑みが徐々に引き攣っていく。

 

 空中に浮かぶ不自然な木造の建造物。

 朱色の木組みのそれに寄り添う形で微笑む無傷のヒルダが、恐怖に顔を染めていく魔導師達を見て楽しげに微笑んだ。

 

 「で、カストール。ご自慢の兵隊とたくさんのお友達を引き連れてご満悦みたいだけれど……」

 

 木造の建造物の中心がまるで水面のように揺らぐと同時に、そこから白い息を吐き出し、酸性の涎を垂らした『大食らいのボラー』が姿を現す。

 続いて鳥居の上部に位置にいつのまにか出現していたエミレオの書が解放。幾多もの数式の列を伴って、くすんだ金の王冠を頭上に嵌めた『寂寥のクインジー』が顕現。

 髑髏の王が多くの生者を見て獰猛な戦意を滾らせ、彼らを死に誘うべく大鎌を抱え上げて、骨身の同胞を次々と召喚していく。

 

 「まさか、まさかだよ。そんなたかが百数十人程度で――――この私を殺せると思った?」

 

 悪夢の中ですら遭うことの出来ない異貌のものどもの姿は、襲撃者達にこれまにないような恐怖を与えた。

 狂乱したかのように何人もの魔導師が、周囲の制止を振り切って魔法を放つも、全てが鳥居の強大な咒力にかき消されて消滅していく。

 

 ヒルダはそんな恐怖におののく者達を、愉快そうに見つめていた。

 

 「お馬鹿さん、本当に、お馬鹿さぁん♪」

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 廊下を走り抜ける赤影。

 小さな体躯からは想像も出来ない速さで駆け抜けるその姿に、何事かとすれ違う職員は皆、彼女の事を振り返って見咎めた。

 

 だが少女はそんなことを気にもせず、むしろ走る速度を速めて風を切っていく。

 

 「状況はどうなっているッ!?」

 『現在、ヒルダは首都の第52区画にあるエリアにて戦闘行動中ですッ!』

 「解った、すぐに出撃準備をッ!それに近くで訓練と演習を行っているシグナムとザフィーラにも連絡を頼むッ!はやて隊長、なのは隊長、フェイト隊長には事の次第の通達を、一秒でもはやく事態を知らせるんだッ!』

 

 空中に浮かぶ立体映像にそう言い放つ。

 映像中の女性局員が決死の表情の少女へ向けて疑問の声を投げかける。

 

 『ヴィータ副隊長はどうなされるおつもりですか?』

 「先に現場に向かうッ!」

 『き、危険ですッ!相手はあのヒルダなんですよッ!せめてシグナム副隊長やザフィーラさんの到着を待たれた方が』

 「今は連中が何とかもたせてはいるが、軍でもない奴らがいつまでもつか……ッ!あいつの突発的な行動じゃいつ戦闘を切り上げて逃げるか解らないッ!現場で足止めをするやつが必要なんだよっ!」

 

 鋭い眼差を返したヴィータの決意は固かった。

 

 深紅のバリアジャケットを纏う守護騎士が一人。

 鉄槌の騎士ヴィータの手には、その名を冠する鉄槌のアームドデバイス『グラーフアイゼン』が決意と共に握られていた。

 




 いろいろとおかしな点があるので、日曜辺りに修正していく予定です。

 お久しぶりですが、別に死んでもいないし書くことを止めていたわけではありません。
 ただアルバイトをしないと納豆ご飯も食べられないし、レジュメと発表原稿を仕上げないと卒業で気というだけなのです。

 今期は本当に忙しいので、ちょっとゆっくりペースで書いていく予定です。
 ……され竜の新刊、早く見たいですね。新章を待ち望むばかりです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。