されど殺人者は魔法少女と踊る   作:お茶請け

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3話 管理世界に現れた小さな闇

 大量及び、快楽殺人者のほとんどは孤独だ。

 一人一人の殺害原因は異なるが、その動機は細分化していくと大まかに分けることが出来る。

 

 一つは暴力的傾向があるもの。

 自らを正当化、固辞するために暴力を行使。さらに一つの感情のはけ口として暴力という手段で発散させようとした結果、相手を死に至らしめた者が結果として殺人者になった。

 

 一つは思春期から人間関係に失敗したもの。

 思春期が通常の人間よりも遅れた者は、それまで友達であった者からも敬遠され、一人となってしまう者が多い。

 これまでの行動的な人間関係ではなく、理知的で社会的な交友関係を求められるが故に、それを理解できず取り残された者達が殺人を犯してしまう。

 

 一つは社会的に困窮していたもの。

 生きようにも金銭が無いために、自ら殺人者になってしまった者達だ。金銭が無いが故に満足な教育が受けられず、人としての倫理観が育っていない。それ故に、彼らは殺人や犯罪に対しての危機感が薄いのだ。

 

 一つは異常な性的妄想に長く耽溺していたが故に、それを実行に移したもの。

 歪んだ性的嗜好を抑えきることが出来ず、幼い子供や力のない女性を対象にした暴力行動からくる殺人である。

 この場合、性的な嗜好というよりはむしろそれに随伴する性的倒錯が問題である可能性もあり、人格に起こった障害こそ原因であるという見方もある。

 

 だが、『ザッハドの使徒』は常と違っている。

 

 それぞれの使徒達が一定の規律に従って動いており、中には自らの手先として『指先』という配下を作り上げる者もいるのだ。

 これはこの四つの通例に当て嵌まらない。まさに快楽殺人者の新たな一面を切り開いている。

 

 では、『ザッハドの使徒』は犯罪組織的な大量殺人者集団なのであろうか。

  

 犯罪組織は目的があってこそ構成員が共有できる。

 企業が利益共同体であると同様に、犯罪組織も利益共同体なのである。

 

 だが『ザッハドの使徒』は、それぞれが大量殺人者であるが故に結束できない。

 利益に意味のない殺人を行いつつも、黒社会の犯罪組織の支部や金庫を襲撃するなど、動機と目的にまったく一貫性が見いだせないのだ。

 中には『ザッハドの使徒』の無秩序な殺人によって、もう一人の『ザッハドの使徒』が迷惑を被ることも決して少なくは無いのである。

 いったい何が彼らを結びつけているのか、そもそも彼らは何者なのか。

 

 この問題は長い間、謎のヴェールに包まれていた。当然だろう、何せ彼らは理性が外れたただの快楽殺人者とは違い、計画的で理知的な一面を見せている。にも関わらず破滅的だ。動機と目的どころか行動性にも一貫性が見られない存在を、どう見つけ出せば良いというのか。

 

 だがやがて、正体不明であった彼らの情報を得た警察士達は愕然とすることになる。

 

 『ザッハドの使徒』達のほとんどは、自分の人生や社会にまったく不満や不足がない。憎悪も絶望も感じてはいなかったのだ。

 

 皇暦四百七十九年。『右手薬指のパティノコス』が交通事故で事故死し、身寄りがなかったために訪れた役所の役員が彼の日記を発見したことにより、彼が『ザッハドの使徒』であることが判明。

 

 『右手薬指のパティノコス』は善良な咒式技師で満足な給金と満足な人間関係を構築していた。

 

 上司や同僚からのうけもよく、さらには彼を想い慕う女性まで見つかったのだ。

 休みの日は親しい仕事仲間とヴォックルという競技を見に行ったり、酒を共に交わすことも少なくなかった。

 人間として実に恵まれた環境にあり、彼の周囲の人間は彼に対してなんの違和感も感じてはいなかっただろう。彼の境遇自体も家庭環境も実に平凡なものであり、虐待などの影は微塵も無かった。

 

 しかし、現実に『右手薬指のパティノコス』は通常の犯罪者が吐き気を催すほどの凄惨な殺人を大量に行ってきたのだ。

 金や怨恨、愛もなければ名誉もないような殺人。得られる物は何も無い、リスクしかそこにはない殺人を繰り返す姿は狂気以外の何ものも感じられない。

 警察士は繋がりを持てない無慈悲な殺人を大量に行う『ザッハドの使徒』の脅威を改めて思い知らせれる事となる。

 

 この一人の使徒から分かる通り、彼らには繋がりを見いだせない。だが『ザッハドの使徒』というくくりは確かに存在しており、何かの手段で連絡を取り合っているのだ。

 そしてこの瞬間にも、新たな『ザッハドの使徒』が誕生している。

 

 そして『ザッハドの使徒』は、ついにミッドチルダの管理世界にまで姿を現すことになった。

 

 これは誰も予見していなかっただろう。そもそも魔法世界は咒式の存在を発見してすらいなかった。それは咒式世界も同様である。

 恐らくザッハドの使徒も、その王たるザッハドすら予想していなかっただろう。現に訪れた当人すら魔法が実在しているなど考えもしなかった。寝物語を信じる年齢はとうに過ぎているし、そもそも彼女は寝物語を信じてすらいなかった。

 

 ただ、彼女にとって今重要な事は……。

 

 「碌な服がないじゃない、ああもうっ!この家は外れね」

 

 衣食住の問題であった。

 

 薄く朱が入ったフリル付きワンピースを着たヒルダが、鏡を見つめながら顔を渋らせる。

 ヒルダは不満げに自らの服の端を細い指で摘みとると、失望したかのように息を吐き出した。

 そして悲観するかのように天井を仰ぎ見ては、再度ため息を吐き出す。もう何度ため息を吐き出したのか解らない。ため息で幸運が逃げるという妄言があるが、もうそうなら不運過ぎて今にも死にそうだ。

 

 ヒルダの体は管理局員の局員を三人、さらに民家に侵入し住民を四人殺害することで完治している。

 その治療咒式を行ったのは、エミレオの書に封印された『天秤のキヒーア』と呼ばれる異貌のものどもであった。

 

 元々の所持者はアンヘリオ。

 

 唯でさえ到達者級の功性咒式士であるアンヘリオは強大だ。

 『金剛石の殺人者』と呼ばれるアンヘリオは、警察士が把握しているだけで七百三十二人殺害している。

 さらに二百一体、異貌のものどもを殺害。中には強大な力をもつ『長命竜(アルター)』まで彼に殺されたことが解っている。

 

 戦線を単体で一変できる巨大な力を持つ異貌の者どもが封印されたエミレオの書を複数所有し、自らも極めて優秀な前衛咒式士として襲ってくるアンヘリオ。

 例え重傷を負わせる事に成功しても、人間を数人捧げるだけで瀕死の身を完治させる『天秤のキヒーア』などという規格外のエミレオの書を所持しているとは。

 

 後衛型で暗殺と奇襲を得意とするぺネロテ姉妹は、例え万全の状態であったとしても勝てたのか怪しい。

 特に自分が命の危機に見舞われた最後の戦場。そこでアンヘリオが見せた『エミレオの書』は思い出すだけで震えが止まらない。

 

 ヒルダがあの異貌のものどもを呼び出そうとしても、咒力が足りずに制御下を離れて殺されるだけだ。

 いったいどれほどの馬鹿げた咒力と咒式制御力をもっているというのだ。

 ヒルダ一人では為す術もなくアンヘリオに殺されるだろう。

 

 だが、そんなことはもはやどうでもいい話だ。

 ヒルダに恐怖を与えたエミレオの書は、今やヒルダ自身が全て所有しているのだから。

 

 宙に浮かぶ複数のエミレオの書を、ヒルダは満足げに眺める。

 

 「うーん、やっぱりエミレオの書の使い勝手は『絶息の巨人エンゴル・ル 』が一番ね」

 

 エミレオの書は数あれど、使い勝手はやはり今まで自分が慣れしたんだエミレオの書である『絶息の巨人エンゴル・ル 』に並ぶものはない。

 

 絶食の巨人エンゴル・ルは古き巨人と呼ばれる種族だ。古き巨人は珪金化合物の体を持ち、石油を食料としてアスファルトの排泄物を出す生物である。

 

 その異質さ故に、人間では不可能とされている巨大な体型を成立させ、自らの体を変化させる咒式を行使できる。規格外の体は地層と同じ年月を生き、身長は十六メルトルを超す。

 さらに年別と共に蓄積された膨大な咒力と経験が、地形を変えるほどの破壊と人の常識を越えた咒式の発動を可能とするのだ。

 

 だがエンゴル・ルはさらに異質だ。肥満体をした、薄青い霧状の古き巨人。それがエンゴル・ルである。エンゴル・ルは珪金化合物の古き巨人ではなく、気体として生体を成立させている。

 多くの古き巨人が巨大な化合物の体を利用する超前衛咒式士であるのに対し、エンゴル・ルの咒式と戦闘方法は異常だ。あまりの変わり種に、本当に古き巨人かすらも疑わしい。

 

 先に殺した管理局の局員二名及び、ヒルダが一人ファッションショーを開催している家の住人は、全員エンゴル・ルの咒式によって殺害された。

 エンゴル・ルが発動する咒式は凶悪にの一言に尽きる。

 

 結界に限定された空間内で発生されるエンゴル・ルの咒式は、波形構造を持つ負の気圧である。

 

 マイナス十気圧という負の圧力がかけられると、肺や内臓が破裂して出血。

 さらに殺されたトレミスとクリフのように眼窩や口腔、鼻孔や耳孔から体内の血が体外へと吸い出される。

 

 呼吸できないのは肺が破壊されたからではない。極端な話、肺など再生させれば問題は無いのである。

 だが負の気圧により咒式範囲内の酸素濃度が低下しているのだ。

 一回でも人体が酸素十六パーセント以下の大気をすると、肺胞毛細血管中の酸素が濃度勾配によって引き出される。足りない分だけ体内の酸素が失われるのだ。

 

 だが血中酸素が不足すると、延髄の呼吸中枢が反射的に呼吸させ、さらに血中酸素を失わせる。

 士の無限ループである。一度この咒式の効果範囲内に入れば眼窩などから血を吸い出し、呼吸すれば体内の血中酸素が軒並み失われていく。

 

 これこそ『絶息の巨人エンゴル・ル 』の咒式、化学錬成系第六階位『吸血負圧無間圏(パパ・ゲーノ)』の脅威だ。

 

 結界の空間内には負の気圧地獄を発生させ、侵入した生物の体組織を一斉に破壊する。

 そしてたった一回でも呼吸すれば、死を免れない凶悪な咒式である。

 視認できず、呼吸を止めることで回避する事も叶わない。補足されれば待つのは死だ。

 

 隠れ潜んでいるこの家の本当の持ち主とその家族は、今やリビングルームで仲良く不細工な顔で死んでいる。

 最初侵入した際は五月蠅く騒ぎ立てており、あまつさえ抵抗の意志を見せていた。

 だがエンゴル・ルの咒式はそんな馬鹿げた覚悟ごと命を奪う。

 

 眼球が破裂する痛みと、肺が破壊されたことで息が吸えない苦しみに悶えながら死んでいった連中の顔は、面白おかしくて堪らない。

 

 やはりエンゴル・ルの咒式は最高だ。

 

 「それにしても、魔法世界ねぇ」

 

 ソファに寝そべると同時に、ヒルダは雑誌や新聞などの報道関係の紙を広げ始める。

 規則正しく配列された文字を追っていく。字面の法則と規則から文面を理解、さらに音声つきの報道映像を眺める。不思議と言葉自体はエリダナ公用語と変わりがないらしい。いろいろと疑問はあるが、それ以上に今直面している問題は多い。そっちを優先するべきだ。

 

 世界が変われども、やはりこのような報道機関は存在しているようだ。この世界はジャーナリズムを可能とする社会と権利が成立している。

 広報機関と報道機関があるのであれば、それを利用する大きな勢力が存在するはずだ。

 睨むようにして文字を読み取っていく。音声付きで文字を読む方が、下手に本を読むよりも習得が早い。

 

 「えぇ~と、『エース高町なのはがまたもお手柄、次元犯罪者を逮捕』。『アハト社の不正取引』に『第○○○世界で戦争勃発、管理局が交渉するべく現地の両政府に派遣』」

 

 様々な内容の報道が、中年の報道官から告げられていく。

 当然ながら、そこに登場する企業や人物に聞き覚えがない。本当に別世界に来てしまったのだと実感した。

 

 「……まぁ、どこも馬鹿で阿呆で死ぬしかない連中がいることは変わらないってことね」

 

 それだけ解れば十分だ。利用できる馬鹿共がいるということが解れば、これまで生きてきた世界となんら変わりがないだろう。多少の齟齬はあるが、大本さえ変わらなければどうとでもなりうる。

 さらに報道を眺める内に、見覚えのある服装の連中が画面に映り込んだ。既に何回か映っているが、どうにもその制服をどこかで見たことがある。

 

 そう思ってしばらく思考を回していたところで思い出した。ヒルダは「これって私がここで初めてぶっ殺した連中じゃん」と呟くと、面倒くさそうに頬を二三度かく。

 自分が殺した連中は時空管理局とかいう連中らしい。何やらいくつもの世界を管理するだのいろいろ言っているが、手元で調べる限り否定的な表現で彼らを彩る報道機関も少なくない。

 

 気になって調べてみると、こいつらが言っている『管理世界』とやらには、それぞれ独自の政治機関が既に存在しているらしい。ようするにそいつらに首を突っ込むお節介な連中が、この『次元管理局』というようだ。

 やっていることは警察士や咒式士事務所と同じだろう。つまり無能な連中だ。ああも簡単に殺されたところを見ると、そこまで強い脅威は感じない。

 

 まぁそんな無能共でも私の為に役にたったのだ。

 最後に『ザッハドの使徒』である『ペネロテ姉妹』のヒルダちゃんに殺されて、さぞ光栄であったことだろう。

 

 しかし一番の問題は。

 

 「魔法……やっていることは咒式と変わらないけど、発動内容が把握できないのは面倒くさい」

 

 あの管理局員の男が発生させた魔法には驚いた。

 最初は化学錬成系、電磁光学系、それか数方系の咒式だと考えた。だがその答えは『魔法』という実に馬鹿げたものであった。

 

 誰が想像できるだろう。魔法なんて今時ガキ共すら信じていない。

 それが大まじめで存在しているのがこの世界だから驚きだ。大まじめで報道されている様子を初めて見た時は、この世界の人間全員頭がおかしくなったのかと思ってしまった。

 

 魔法。杖を振ってくるくる回り、愛と勇気でうんたらかんたらする馬鹿げた姿しか思い浮かばない。そういえばその手の映像を、あの愚妹ヒルデはやけに好んでいた。あいつの武器自体もそれに影響されたのか、妙に安っぽい装飾が施された魔杖錫であった。

 あれに手をボロボロにされたのだから始末が悪い。いくら現在は治っているといっても、嫌な物は嫌だ。考えるだけでも、魔法にいい気は全くしない。むしろ嫌いだ、死ね。

 

 目の前の机で乱雑に広げられた書物。家中から集めた魔法に関する資料を漁っていく。読み終わって邪魔だと投げられた本が食器棚にぶつかり、こぼれ落ちた皿が高い音と共に割れる。

 だがそれらはヒルダは魔法の書物に夢中になっていた為に、そんな事はどうでもいいと無視。

 

 「魔力が咒力、咒式が魔法。魔法陣って言うのが咒式の組成式って考えるべきね。わ~凄い、思ったよりも理論に基づいて構築されている。咒式とは違って、プログラム的面が強いみたいね」

 

 感心したようにページを読み進める。

 時折ソファに寝そべって足をパタパタと音を立てて動かしながら、次々と書物を読み進めていく。

 しかし数時間後。本を読む動作が止まり、本を投げ捨てた。疲れたようにヒルダは顔をソファに埋める。

 

 「でも、これまでの咒式による戦闘経験がまったく通用しなくなるっていうのはきつい」

 

 ヒルダの顔は苦渋に歪んでいた。

 

 咒式を発動させる攻性咒式士も数多くヒルダは殺してきた。

 毒ガス、電撃、硫酸、レーザー光線、重力、放射線、爆発、鉄鋼弾、ナパームの炎。

 あらゆる殺害方法を持った連中を、ヒルドとヒルデの三人で殺してきたのだ。

 

 ただの快楽殺人者では三百人以上も殺す事は出来ない。

 

 復讐に燃える咒式士や、賞金の額を知って殺しに来た腕利きの賞金稼ぎ達も少なくない。そうやって殺しに来た連中を殺し返して来たからこそ『ザッハドの使徒』として生きている。

 

 抵抗するものもいた。中には百を超える罠に嵌められることもあった。

 腕や足を無くし、毒に侵され、失明し、重要な臓器を破壊されたこともあった。

 そんな戦場を乗り越えた上で、自分は楽しんで殺してきたのだ。

 

 「これまでの経験、そのほとんどが無駄になったかぁ。咒式は魔法の域まで辿り着いた超科学、解明されていない方が多いぐらい。対して魔法も幻想じゃなくて咒式と同じ超科学らしいけれど……」

 

 見れば見るほどに呆れかえってくる。同じ超科学でもこの魔法は異質だ。

 

 魔法に対する対抗策、戦術を整えられない限りは動くことはできない。

 戦闘法も確立せずに戦うなど、あまりにも馬鹿げた話だ。頭の良くてかわいい私は、そんな馬鹿とは違う。

 私が欲しいのは勝利だ。殺したいという欲求を満たすためにも、魔法について理解を深めなければならない。

 

 「うわ、私って凄い真面目。でも面倒くさいなぁ……」

 

 今まで血に濡れた闇の世界を生きてきたことで、ある程度の自信を持っていた。

 ヒルデにヒルドが消えたとしても、普通の攻性咒式士であれば圧勝できることは間違いない。

 

 だがそれらは咒式に対する経験と知識があってこそ成立するものだ。

 

 「今までの学んだことも常識も、この世界には通用しない。潜むにしても一切のツテがない、他の『ザッハドの使徒』もいない。完全に私はこの世界に一人だ」

 

 異世界に落ちるなんて、三流小説家が苦心の末に編み出したような話だ。

 荒唐無稽、まだ明日世界が滅びますって言われる方が信じられる。

 だが現実に起こっており、現在自分が絶賛体験中。期間は無制限という太っ腹ぶりだ。嬉しすぎて殺意が沸く。

 

 ちなみにだ。私のような立場には、次元漂流者という馬鹿な名称をあてられるらしい。

 『ザッハドの使徒』である自分が漂流者などという、実にふざけた名前を振り分けられている。爆笑ものだ。私以外に笑った奴は殺すけれど。

 

 世界に一人。なればこそ、私は『ザッハドの使徒』でなければならない。

 

 あらゆる世界に『ザッハドの使徒』の恐怖を広げてやろう。

 その名を聞くだけで憎悪し、吐き気を催し、怯えるように私は老若男女を無残にぶさいくに殺してやろう。

 

 「そう考えれば私はこの世界で初めてのザッハドの使徒っていうわけ♪うん、それって実に素敵で素晴らしいことね」

 

 今はまだ潜むべき時だ。

 

 どこの社会にも、忌むべき部分。裏社会は存在している。

 そこに潜み、魔法と管理世界を十分に理解した上で『ザッハドの使徒』として名乗りを上げるべきだろう。

 今回ヒルダが行ったように、一家を惨殺していく方法はリスクが高い。聞くところによると、私が殺した奴が勤める管理局とやらの動きは、迅速にして正確。警察共より優秀らしい。

 

 この世界を知らずに動いていたのでは、いずれ補足され追い詰められる。

 いくら強力なエミレオの書を所有しているとはいえ、魔法という未知の分野に不安を残したままそれは不味い。

 

 「フラストレーションはたまるけど、殺しはしばらく控えるしかないか。めんどくさ~」

 

 まだ『絶息の巨人エンゴル・ル』以外のエミレオの書は使い慣れておらず、魔法世界のことは何も知らない。

 今までは『ペネロテ姉妹』として三人で殺してきたが、これからは『ヒルダ』として一人単独で殺す方法と戦術の確立が必要だ。

 

 これからの課題は山ほどある。しかしそれ以上に楽しみはある。旨みも多い。どこからいったらいいのかと、贅沢な悩みが既に生まれつつある。

 

 ヒルダが『ザッハドの使徒』になったときは、すでに『ザッハドの使徒』の存在と恐怖は世界中に広がっていた。

 

 だがこれから自分が『ザッハドの使徒』としての『ヒルダ』を広めていく。

 『ザッハドの使徒』を知らない平和呆けした馬鹿共に、このかわいいヒルダちゃんが『ザッハドの使徒』を知らしめていくのだ。

 

 ああ、楽しみだ。実に、楽しみだ。

 

 「あらゆる情報を集めないと。今の私はまだ殺人者としての名前が広がっていない。情報を取り扱う連中や、裏の連中は私に力を貸してくれる。顔も知られていないから買い物も普通に出来る」

 

 ヒルダは熱のない視線をこの家の住人であった肉塊に向けた。

 見れば目を背けたくなるほどの惨い姿であるが、ヒルダはそれをハエが集った生ゴミを見るような目で直視した。

 

 「こいつらはそれぞれ地位を持っている。人付き合いも情報端末からよく行っていたことが解るから、もって二日しかここにはいられない。金銭や高く売れるものを集めて強盗殺人に見せかけないと」

 

 続けてヒルダは自分の服を眺めた。

 

 薄い朱色がかった白のレースで彩られたワンピース。実際似合ってはいると思う。ただ趣味ではない。第一、他の人間が着たお古を着ると思うと情けなさすら覚える。

 周囲から見ればよく似合っいると十人中十人が口を揃えるだろうが、ヒルダはそれを憎々しげに見つめながら肩を落とした。

 

 「まず服、このかわいいヒルダちゃんに相応しい服を揃えていくべきね」

 

 ヒルダはそう結論づけると、ゆっくりとソファから起き上がって背を伸ばす。

 そして疲れきった精神を休めるべく、二階の寝室へと上がっていったのであった。

 


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