されど殺人者は魔法少女と踊る   作:お茶請け

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4話 殺人者としての矜持

 「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 「打て、魔力が尽きてもいい!可能な限り打ち続けろ!連中を近寄らせるなぁッ!」

 

 悲鳴のような怒声をあげた魔導士達へ向けて、いくつもの射撃魔法が到来。

 全員が回避、防御魔法を発動したところへさらに広域攻撃魔法が発動。

 

 埠頭の倉庫一角が膨大な衝撃と共に崩れ落ちていった。

 

 倉庫を形成していた資材が崩壊、幅数メートルの金属版が魔導師達の頭上から落下。

 それを確認した全員がすぐさま落下範囲から飛び退くことで、暴雨のように降り注ぐ資材を回避することに成功。

 

 

 死の雨を回避したことにより安堵する魔導師達、そしてそこに生じた僅かな心の隙。

 それを襲撃者たちが見逃すことはなかった。

 

 落下により巻き起こった粉塵のベールを突き破って通常の一万八千倍、四百八十キログラムルのチョコレートが射出。

 膨大な質量を持ち、民家一棟さえも粉砕する恐るべき死の弾丸だ。

 

 隙を見せた魔導士達の顔には死の恐怖。

 

 先頭の女性魔導士が、条件反射的に防御魔法を展開しようと試みる。

 しかし彼女の顔は一瞬で絶望の色へと染まった。

 女性魔導士が見たものは、次々と粉塵を突き破って飛来する複数の巨大なチョコレートの塊であったからだ。 

 

 魔導師の一団に黒褐色の破城槌群が直撃。

 

 先頭にいた女性の魔導師の顔面に一枚が直撃。顔の鼻から上が完全に消失、白い脳漿と血が後方に降りそそぐ。

 胴体に数枚受けた男の胸筋が断裂、助骨が全て粉々に粉砕。さらに心臓、肝臓、脾臓などの重要臓器がのほとんどが衝撃により破裂。

 二人の魔導師の亡骸には数枚のチョコレートの固まりが墓標のようにそびえ立っている。

 

 唯一存命した最後の魔導師もチョコレートの砲弾が脚に着弾したことで腱、骨格筋が断裂。脚が引きちぎられた。

 

 自重を支えることが出来なくなったことで、男の胴体が地面に転がる。、

 脚の断面からは神経と白い骨と桃色の筋肉組織が覗き、溢れでた大量の血液が床へと広がっていく。

 

 「脚が、俺の、俺の脚がぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 視界が真っ赤に染まり、焼けるような痛みに思わず悲鳴を上げ続ける。

 

 「だ、誰か助け――――」

 

 大の男でも失った脚の痛みに抗うことが出来ない。

 自らの失った脚を見て男は涙と共に助けを求める。

 

 だが耳を防ぎたくなる悲鳴こそ、位置を相手に知らせるトリガーになる。

 

 男は激痛のあまり現状の危機感が頭から抜け落ちていた。

 直径三メルトルに及ぶ飴玉の散弾が飛来、まだ僅かに残っていた粉塵を完全にかき消した。

 

 散弾は次々と地面を這いずる男へと衝突。

 

 うち数発が男の頭に着弾、眼球が衝撃により破壊される。

 鼻頭が完全に陥没し、口腔に直撃した飴玉の周囲を抜け落ちた何本もの歯が舞う。

 首の七つの骨全てが粉々になり、頸椎が粉砕。涙と血を飛ばしながら魔導師の男は絶命した。

 

 次々と殺されていく仲間の亡骸を見た残る魔導師達の顔には恐怖と絶望。

 

 「お、『お菓子の魔女』だ!『お菓子の魔女』が来やがった!?」

 

 「嘘だろ嘘だろ、何でこんなところに『お菓子の魔女』が来やがるんだ!くそったれがぁッ!」

 

 「落ち着けッ!隊列を乱すんじゃねぇッ!」

 

 「応戦しろ、押し返せぇッ!」

 

 冷静に状況を判断した魔導師数人は、もはや逃げることは不可能だという悲痛な判断を下した。

 

 生き残るべく、各々が魔法を次々に詠唱開始。

 前面に進み出た前衛魔導士が後方で詠唱する魔導士達を守るべく、次々に堅固な防御魔法を周囲に展開していく。

 

 「や、やってられるかぁぁぁぁ!」

 

 「いやだ、いやだ、死にたくないぃぃぃぃ!」

 

 「待て、逃げるんじゃねぇッ!」

 

 しかし残る魔導師達は凄惨な戦場に心が折れた。

 

 己の命を優先して身を次々と翻し、戦場に背を向けて走り出す。

 詠唱していた魔導士達は、自分達を置き去りにして逃走を始めた彼らを憎々しげに睨みつける。

 

 だが彼らを制止させる時間すら惜しいとばかりに、すぐさま前方を確認。

 牽制の魔法の詠唱を完了させた。

 杖の先には魔力が集積し、足元には魔方陣が形成される。

 

 だが。

 

 「ひぐぃ!」

 

 一人の魔法を紡いでいた魔導師の魔法陣が、短い悲鳴と共に霧散。

 

 それを始めとする残る魔導師達も、次々と凄まじい耳鳴りと嘔吐感に襲われ、攻撃や補助魔法の詠唱が中断されていく。

 

 逃げようとしていた者達もいまや床に膝をついて頭を抱えており、部屋内の全員の顔が苦痛と不快感に染まっていた。

 

 一人、また一人と床に力なく倒れていく。

 

 「な……何が……」

 

 「う、おぇぇぇぇぇぇぇ」

 

 「炎と……だめっ……詠唱が……できな……」

 

 全員が酷い吐き気と目眩、耳鳴りに襲われて倒れ伏した。

 中には涙を流す者、あまりの不快感に床を爪で掻き毟る者までいた。

 

 これが敵の魔法による攻撃だと解っていても、魔導師達は反撃に移ることが出来ない。

 彼らの全身には電磁電波系第三位『暴魎魔笛(タミー・ノ)』の咒式による圧力がかけられていた。

 

 咒式の電磁波によって空気を振動。それにより発生した超音波を収束させ、一定方向に指向性を持たせる。

 放射された音波は音の帯となって狭い範囲に作用。

 相手の鼓膜に強烈な攻撃を加えると同時に、二十と二十五キロヘルツルの超周波数を重ね合わせ、人の平衡感覚を司る内耳に作用する五キロヘルツルという超低周波数も放つ。

 

 この鼓膜を直接殴りつけられたかのような衝撃は、三半規管を一瞬で狂わせることとなる。

 平衡感覚の喪失は激しい嘔吐感、目眩、頭痛を引き起こしてその場に転倒させる。

 

 魔法を発動する事も叶わず、ただ地面に蹲るばかりの魔導師達へ向けて、容赦のない攻撃魔法の一斉射撃が開始。

 絶え間なく続く魔法の掃射に、為す術もなく何人もの魔導師達がゴミやチリのように吹き飛ばされていく。

 

 「た、助け――――」

 

 『暴魎魔笛(タミー・ノ)』により逃げることも、防御魔法も展開することも出来ずにただ蹂躙される魔導師達。

 助けを求めて這って逃げようとする者もいたが、止むことの無い掃射は慈悲もなく彼らの命を刈り取っていった。

 

 やがて魔法の一斉掃射が終了。

 

 舞い上がった煙が晴れた先にあった光景は、ヘモグロビンの深紅で毒々しい花々がいくつも咲き誇る花畑であった。

 

 苦痛の呻き声すら聞こえなくなった、凄惨極まりない地獄。

 

 そこへゆっくりと複数の足音が歩み寄っていく。

 崩れた瓦礫の合間をぬって現れたのはバリアジャケット展開し、それぞれ剣や杖、斧など統一性のないデバイスを持った集団。

 

 「……殲滅、完了だな」

 

 「そうだな……うぉッ!この女。鼻から上がないッ!スタイルいいのにもったいねぇなぁ」

 

 「お前は随分と余裕あるなぁ、おい。俺はちょっと吐き気がきついぜ」

 

 「……あの御方の魔法でも浴びたか?」

 

 「だったらこうやって立てるわけねぇだろ。あれだよ、腕とか足とか指とか、転がっているのがまだ慣れねぇだけだ」

 

 顔を歪めた髭の短い男が、地面に転がった腕をぞんざいに蹴とばした。

 所有者不明の腕は血の線の弧を描きながら二、三転と跳ねて底を転がっていく。

 

 

 「しかし……」

 

 腕を見送った男が、感慨深く息を吐き出した。

 

 底に倒れ伏す物言わぬ者たちを一瞥する男の姿は、勝利に酔いしれているのではなかった。むしろ今この現実を、信じ受け止める事が出来ない様子であった。

 

 「俺たち、本当にあの武闘派組織の『アルタイル』を潰したんだな」

 

 「ああ……だが、ここまで圧倒的に連中を殲滅できるとは」

 

 「管理局で恐れない武力を持った連中が、たった二カ月でこの有様だ。しかもこっちは被害がまったくありゃしねぇ。こいつは実に笑える話だ」

 

 男たちは勝利の高揚感ではなく、驚きをもって『アルタイル』の終わりを迎えていた。

 各々の魔導師が顔を見合わせ、すぐに実感が湧かないような面持ちで死体を一瞥していく。

 

 彼らが殲滅した犯罪組織『アルタイル』は裏社会でも中堅クラスの武闘派組織であった。

 中心的戦闘構成員の魔導師は五十を超える。中にはAランククラスの魔導師や管理局崩れの魔導師の姿もあった。

 

 管理局、他の裏組織とも戦闘行動を行える軍隊を持った犯罪組織。

 さらには武力だけではなく、違法物資の取引に関する仲介や護衛をこなすことで、年々影響力を増していくという器用さを持ち合わせている。

 

 武闘派組織『アルタイル』は多くの裏組織に実力を認めると共に、警戒されてきた存在であった。

 恐らく今後さらに取引が拡大し、次元世界へその名が通っていく――――

 

 「これも全部あの御方が指揮をとったからこそ、か」

 

 「ああ、『お菓子の魔女』に勝てる奴なんかいやしねぇさ」

 

 ――――はずであった。

 

 『アルタイル』はたった一人に殲滅されたと言ってもよい。

 組織の命令により指揮を任された『お菓子の魔女』によって、『アルタイル』は崩壊していったのだ。

 

 『お菓子の魔女』。

 

 この管理世界においてある日突然、その名が裏の世界に知れ渡った殺人者。

 

 正体は不明。出身世界も不明。容姿は整っており、美少女であることが知られている。

 だがその正体は奇妙な魔法を使い、立ちはだかる者たちを皆殺しにする冷酷な魔女。 

 

 『お菓子の魔女』は『アルタイル』に関係する者達を『お菓子の魔女』は優先的に殺していった。

 協力者は言わずもがな。『アルタイル』の家族、親類、友人を裏表関係なく無差別に殺していった。

 魔女は女、老人、子供、赤子関係なく無慈悲に『お菓子の魔女』は『アルタイル』に関わる者達を殺したのだ。その数はもはや解っているだけで百を超える。

 

 それもただ殺すのではなく、より残酷に遊ばれて殺された。

 

 ある男の妻は眼球が抉られ、鼻と耳をそぎ落とされ、舌を抜かれ、四肢を切断されて殺された。

 死因は多量出血による失血死。あえて命は奪わず、苦しみにのたうつ姿を見て楽しんだのだ。

 捕まり、解体されていく過程から死ぬまでが記録された映像は、夫である男の仕事場に彼女が身につけた結婚指輪が収まった指と共に送り付けた。

 

 見せしめとして殺すだけではなく、彼女は精神的に『アルタイル』に関わる者達を追い詰めていったのだ。

 

 ある老人夫婦は未知の魔法により、胴体部分を融合されたまま殺されるという無残な姿で発見。

 生きたまま殺してと泣いて懇願するその姿を何時間も撮影した映像は、『お菓子の魔女』の笑い声とともに裏社会に流されることとなった。

 

 『アルタイル』の復讐に燃える構成員や、彼らが彼女に賭けた懸賞金の額につられた魔導師達は、『お菓子の魔女』の討伐に乗り出した。

 だが結果は全員惨殺という悲惨な結果に終わる。

 

 ある者は喉をかきむしったまま窒息した姿で発見され、ある者は心臓麻痺で苦しみながら街中で突然死を迎え、ある者は巨大な生物に上半身を食いちぎられた状態で発見された。

 

 そして『お菓子の魔女』の名前通りに巨大なチョコレートやケーキに潰され、数メートルにも及ぶ巨大な飴玉で殺された復讐者や賞金稼ぎ達。

 その奇妙な光景は『アルタイル』のみならず、裏社会に大きな衝撃を与えた。

 

 不可思議な魔法で殺害していく『お菓子の魔女』。

 人を殺すことに一切のためらいがなく、むしろ楽しんで殺していくその姿は、多くの魔導士達に衝撃を与えたのだった。

 

 これにより『アルタイル』からは戦闘員・非戦闘員から脱退が相次いだ。

 弱体化した『アルタイル』は暗殺、裏切り、内通が横行。もはや死に体となった『アルタイル』を追い詰め、殲滅することが今回の作戦であった。

 

 『お菓子の魔女』が『アルタイル』に対する作戦を行使してから二ヶ月。

 強大な裏社会組織『アルタイル』は壊滅した。誰もが予想しない終わりを迎えた。

 

 これで裏社会の勢力図は大きく動かされることは間違いない。

 この作戦に参加した自分達にも、カエストス魔法商会から大きな報酬が約束されることだろう。

 

 頬を緩ませてお互いの成果を語り合う面々であったが、ゆっくりと近づいてくる軽い足音に全員が一斉に口を閉ざす。

 弛緩した空気が一瞬にして緊迫したものに変わり、それぞれの顔が引き締められた。

 

 緊張から額に汗が浮かぶが、男たちはそれをぬぐいもしないで直立する。

 

 彼らの顔は皆険しいが、その裏に潜むものは恐怖。

 殺し殺される裏世界の中でも特に死線を越えてきた歴戦の魔導士達。

 だが、彼らは皆一様に近づく足音に恐怖を抱いていた。

 

 一歩、また一歩と足跡が近づいてくる。

 誰かが唾を飲み込んだ瞬間、一人の美しい少女が姿を現した。

 

 血のように鈍く輝く桃色の眼。

 流れるような長い桃色の髪には、黒百合をあしらった髪飾り。清楚で整った顔に納められた髪と同色の瞳。黒で装飾された長いドレス型バリアジャケットに、黒い蝶が飾られた黒靴。

 

 そして肩には異形の使い魔が鎮座していた。

 狐のような姿に土気色の老人の顔をした異貌の使い魔。使い魔は倒れ伏した死人と、怯えた視線を向ける魔導師達を嘲笑っていた。

 

 異様な空気に包まれる中、副官として指揮していた男が一歩前へ進み出る。やや緊張した面持ちで美少女に向かって口を開く。

 

 「ヒルダ様、戦闘は終了。我々の勝利です」

 

 声は震えていた。

 

 だが不思議な事に、それを揶揄するからかいの声もなければ、あざ笑う者もいなかった。

 この場にいる彼女以外の全員が、『お菓子の魔女』に恐怖を抱き、動くことも声を発することもできなかったからだ。

 

 頭を下げる副官をしばらく注視していた少女は、続けて周囲の男たちへと視線を動かしていく。

 流れる目を向けられた魔導師達は肩を僅かに震わせるも、姿勢を崩すことなくそれを受け入れた。

 

 「ふ~ん、勝利かぁ」

 

 興味なさげに呟く少女に、副官は静かに顎を引く。

 

 「はい、既に上には報告しております」

 

 『お菓子の魔女』の異名を持つ召喚魔導師『ヒルダ・ペネロテ』。

 その登場に闇で生きてきた男達でさえも、声と目には畏怖の感情が込められる。

 

 かつて彼女を馬鹿にした同僚が、目の前で無惨な死を遂げていく光景を男たちは何度も目撃していた。

 

 ヒルダは例え仲間であろうと殺すことに躊躇いが一切無い。

 魔女の機嫌を損ねるような行いをすれば、すぐに自分達は殺される。故に男たちは彼女を刺激しないよう。無言のまま緊張した面持ちで、ヒルダの言葉を待っていた。

 

 ヒルダは男たちの視線を一切無視して、胡乱げに周囲を眺める。

 動いていた桃色の瞳が何かを捉えた。

 

 ヒルダは倒れてバリアジャケットが解除されたアルタイルの魔導師の一人に近づいていく。

 おもむろに抱え持つのは彼女の武器である魔杖風琴。その鍵盤にゆっくりと指を伸ばして――――。

 

 軽く、されど強く叩く。

 次の瞬間、最早動かないであろうと思われたアルタイルの魔導師の体が飛び上がる。

 

 「が、がはッ!」

 

 「呼吸で全部解ってんだよバーカ」

 

 ヒルダが魔杖風琴を奏でたことで発生した『暴魎魔笛(タミー・ノ)』が、死を偽装していた魔導師を包み込んだのだ。

 

 超音波の発生による鼓膜への攻撃で、詠唱していた魔法が霧散。頭を抱え込んでうなり声を上げる魔導師へ向けてヒルダは脚を振り上げる。

 

 ヒルダを睨んでいた女性の目は怒りと憎悪から、恐怖と哀願へと変わった。

 

 「や、止め……」

 

 「止めてあ~げない♪うん、あなたは馬鹿でどうしようもないやつだったけど、その顔はとっても素敵よ。だから――――」

 

 ヒルダは女性魔導師の顔を見ながら嘲笑。ある程度上がった脚が空中で停止する。

 

 「――――死ね」

 

 強靱な強化骨格を持つ脚が魔力で強化され、女性魔導師の頭を踏みつぶす。

 頭蓋骨を砕き、内部の脳をまで粉砕。顔面の半分まで黒靴が埋まる。眼球がこぼれ落ち、女性魔導師の四肢が跳ね上がり、体全体が痙攣し始める。

 

 闇で生きる者たちですら目を背けたくなるような光景。

 だがもし目を逸らしてしまえば、ヒルダに目をつけられて殺される。

 故に視線を彼らは動かす事が出来ず、恐るべき惨劇を見届ける。

 

 彼らが込み上げる吐き気に吐かぬまいと必死に唾を飲み込む中、ヒルダは自らの靴を見て顔を顰めた。

 

 「げっ!そういえばこれってお気に入りの靴だった。うわ~やっちゃったなぁ、ぶさいくの血とか脳みそが付いちゃったよ」

 

 靴に付いた湯気が上るほどに温かい新鮮な脳の破片と血。

 それらを軽く脚を底に叩くことで落とそうと苦戦するが、その行為は無駄であることを知ると天井を仰ぎ見て盛大なため息を発した。

 

 「いくらバリアジャケットの一部だからすぐに何とかなるとしてもさぁ、私のお気に入りの靴が汚れるだなんて酷いよ~もう。ねぇ、そう思わないかな?――――無能な豚共」

 

 一転、周囲の男達を見る目には激しい怒りがあった。

 

 その視線をまともに受けた男達は皆一様に体を凍らせる。背に流れる汗は冷たく、呼吸は緊張によって荒くなっていく。

 

 「なぁ~にが戦闘は終わったんだって?は?まだ生きてるじゃん、生きている馬鹿が魔法を詠唱してるじゃない。お前らの目は節穴か?おい」

 

 「も、申し訳ございませんっ!」

 

 「節穴かって聞いてんの?お前ちゃんと目が付いてる?」

 

 報告した副官はすぐさまヒルダに走り寄ると、膝が血で汚れることを躊躇わずに、すぐさま深く頭を床に擦りつけんばかりに下げる。

 

 ヒルダは殺す事に一切の躊躇いと躊躇がない。そして殺す事に一切の理由がない。

 他者の命は彼女にとって意味は無く、奪う事に忌避観は存在していないのだ。

 殺人肯定し、楽しんでいることを彼女と共に行動してきた彼らはよく理解していた。

 

 殺される、このままでは怒りに触れた自分達はヒルダによって殺される。

 そう考えた魔導師全員が、ヒルダの前に膝をついて必死に謝罪を行う副官を睨みつける。

 理不尽な視線に晒された男の額から、一筋の汗がこぼれ落ち、床に広がる血に融け合った。

 

 「おい、お前」

 

 「は、はいっ!」

 

 「顔をあげて良いよ?」

 

 先ほどとは打って変わったような優しげな響きを宿した言葉に、副官はゆっくりと顔を上げる。

 ヒルダの顔は、怒りの形相から女神のような慈悲深い顔に変わっていた。

 

 何事もなく済みそうだ、そう周囲の男達が安堵して胸をなで下ろした直後――――。

 

 「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!??」

 

 苦痛に耐えかねたような悲鳴が彼らの耳に舞い込んだ。

 何事かとヒルダを見れば、その細い人差し指と中指が丸い眼球を串刺しにしていた。

 そして床で顔を抑えて転げ回っている副官。その手からは赤い血がこぼれ落ちている。

 

 男達は理解した。

 ヒルダは自らの副官の目を指で貫いたのだ。

 

 「節穴な目はいらないわよね~♪お前達もそう思わない?おかしいわよね、笑っちゃうわ。ね、おかしいわよね?」

 

 ヒルダの凶相が向けられたことに男達の心臓は跳ね上がる。

 

 笑わなければ殺す、と意味が込められていることに気が付いた男達は、すぐさま目を失って転げ回る男へ向けて哄笑する。

 誰一人として心から笑う者がいない、あるのはヒルダへの恐怖心だ。

 

 ヒルダは部隊全員の心に、恐怖の奴隷の楔を打ち込んでいた。

 

 「五月蠅い」

 

 ヒルダの一言で笑い声が一瞬にして静まる。

 もはや彼らはヒルダの奴隷的な存在であった。ヒルダの恐怖体制は、男達の心を完全に支配していたのだ。

 

 男達を満足げに眺めた後、ヒルダは目の前で苦痛に声を漏らす副官を笑顔で見つめる。

 

 「どう、目が無くなった気分は?ちょー最高じゃない?」

 

 「は、はひっ……あ、ありがとうございます。ヒルダ様」

 

 決死の言葉を紡ぐ副官に、ヒルダは笑みを浮かべた。

 

 「それでさ、私って目がない間抜けな副官なんていらないんだよね~♪」

 

 「へ?」

 

 副官には見えなかったが、肩にはポコモコが歪んだ嗤いを老人の顔に張り付けている。。

 異貌のものどもは目を失った副官を面白げに見てはニヤニヤと笑っていた。

 

 そしてそのポコモコと同等の笑みを、ヒルダは副官に向けていた。

 自らの未来を予測した男は、恐怖に身を震わせながらも必死にヒルダに命を懇願するべく、その身を床に擦りつけて頭を下げ続ける。

 

 「ど、どうかお慈悲をくださいませっ!ヒルダさ――――」

 

 「心配しなくて良いよ?今まであなたが殺した連中が行ったところに、あなたが今度は逝くだけの話だから♪」

 

 目が見えない世界で唯一耳に入るのは、自分の側から離れていく小さな足音。

 そして彼が最後に耳にした音は、自分の頭上から落とされた四百八十キログラムルのチョコレートが、自らの頭蓋骨を砕く音であった。

 

 ヒルダは恐怖の目で自分を見つめる男達を置いて、一人楽しげに歩き続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 どこの世界も同じであった。

 馬鹿が馬鹿に引きずられて群れをなし、それを自分が綺麗に殺していく。

 自己を成立を他者に委ねる事でしか、意味を成せない愚か者共。にもかかわらず、自分を誇示してうじゃうじゃと犇めく厚顔無恥な有様。

 

 見ていて嫌気が差してくる。

 ああ、やっぱり殺すことは楽しい。世界に優しく私にも優しい。

 

 エミレオの書の一冊を片手に出現させ、使徒にしか把握する事の出来ない咒式が発動。

 〇と一の羅列に表示された数字は『四百七十八』。この世界に辿り着いたヒルダは、既に百四十五人もの人々を殺害していた。

 

 ヒルダはその数値を見て嗤う。まだそれっぽっちしか殺していないのかと。

 この渇きは癒えることを知らない。まだまだ、まだまだ私は殺し足りない。あるいはこの世界の私以外全員を殺したとしても、この高まりは収まりがつかないのかもしれない。

 

 心配であったアンヘリオの持っていたエミレオの書の呪いは解けていた。

 あの光に何かがあったと考えるべきだが、終わった事は既にどうでもいいし興味がない。

 だがこれにより私に課せられた枷は全て外された。アンヘリオの呪い、メトレーヤの問いはもはや私を縛る鎖ではない。

 

 後はこの世界でどう殺していくか、だ。

 

 この世界で魔法を会得し、既に所属している裏組織にデバイスを用意させた。

 バリアジャケットという対魔法礼装は、対咒式用の服や装備とは違って着たいときに変身する事が出来る。

 そしてこれが重要だが、バリアジャケットは私の好きなように姿を変えることが出来る。

 

 これはいい、すごくいい。

 私に似合うかわいい服が、私の考えたデザインで着られるのだ。これほど咒式よりも魔法が便利だと思った事は無い。

 

 「……まぁ、魔法はちょーっと物足りないんだけどなぁ」

 

 非殺傷設定。

 

 始めて知った時はなんて馬鹿な話があるものだと思わず唖然として固まってしまった。

 魔法には人間を殺さずに捕獲できるよう、リミッターをかけることが出来るらしい。時空管理局の人間達は、魔法に非殺傷設定をつけて発動している。

 

 理由は……。なんだけっけ。馬鹿すぎて忘れた。

 

 正義だか何だか知らないが、殺す気で来る人間を殺さずに捕縛する?

 何馬鹿な事を言ってるんだ?頭の中は年中お花畑で、大量の蝶々が飛んでいるとしか思えない話だ。

 ハーライルのように超級捕縛咒式を発動されるのは別として、ゴミ共の魔法でザッハドの使徒達が捕縛されると?脚や腕を吹き飛ばしたりせずに私を捕縛する?

 

 「命のやり取りと駆け引きを知らない馬鹿に殺されるほど、ザッハドの使徒は甘くないってーの」

 

 生ぬるい、マジで生ぬるくて辛い。

 

 所属している黒組織も、私の『アルタイル』に対するやり方に異議があるらしい。

 何でもこのヒルダちゃんは『やり過ぎ』で『殺り過ぎ』らしいのだ。

 

 本当にこの世界の連中は馬鹿げている。何が正義だ、何が仁義だ。

 偽物共が何を一人で格好付けている。そんなものに縋る事でしか自分を維持できない弱者は、踏みつぶされて蹂躙されるだけだというのに。馬鹿共にはそんな事も理解出来ないのか。

 

 殺す事はとても楽しくて世界の中で一番の娯楽なのだ。

 それに変なものを持ち込むなんて、不条理極まりない。

 痛めつけて、いたぶって、遊んで、楽しく殺す。殺す相手が抵抗するのなら、さらに遊んであげればいい。遊んで、遊び尽くして、めちゃくちゃにしてしまえばいい。

 

 そうして無念と絶望で死んでいく人間の目。あれは実に見ていて面白いのだ。

 あれを知らないなんて人生の九割九部を損している。そして私以外の連中はそんな損した人生を送っている。

 ならせめてその楽しみを知っている私に、損した人生を捧げるのが馬鹿共の役目だろうに。

 

 「つっまんなくなってきたな-。やっぱりかわいい私が思うように自然に殺すからこそ、殺しはとっても楽しいのよね♪自由に殺すという最大のスパイスが足りないのは問題かなぁ」

 

 魔法はある程度理解が進んだ。大きな問題は無い。

 

 確かに魔法は十分面白く楽しめるが、殺しの幅がどうしても咒式には劣る。殺しの手段が幅広い咒式の方が『ザッハドの使徒』である自分には合っている。

 ミッドチルダは魔法の最先端をいく都市であるとされているが、時空管理局で魔法の非殺傷が推奨されている。魔法の技術の向上は良かれど、過度な威力は危険視されているのだ。

 ましてや、殺害を重んじる魔法が発展する環境ではない。

 

 約半年というは、いささか長い潜伏期間であったか。

 社会構造や通貨、文化などといった常識も重要なものは既に頭の中だ。

 

 唯一心配なのは魔法に対する実戦経験。

 

 どいつもこいつも歯ごたえが無さ過ぎて、己の実力を磨くどころの話じゃない。

 日頃殺し合いを演じていたあの世界に比べれば、平和過ぎてつい遊びが過ぎてしまう。

 

 まぁそれはそれで楽しかったが、今の自分がパンハイマやアンヘリオなどといった超級咒式士連中と渡り合えるだろうか。

 

 「……『無理』かなぁ。かわいい私をあんな化け物連中と一緒しちゃ失礼よ」

 

 経験がない故に、パンハイマの策に嵌って次女のヒルドは死んだ。

 そして私はあの腐れドラッケン族とメガネに良いようにされて瀕死の重傷を負い、挙げ句の果てに妹のヒルデに殺されかかった。

 

 認めたくはないが、私の実力は同じザッハドの使徒である超級咒式士のアンヘリオに比べて格段に低い。

 咒力も及ばず、咒式の操作能力も劣っている。

 作戦を構築する頭の回転の良さも、アンヘリオと同じ超級咒式士であるパンハイマに劣る。

 

 今の自分にあるのは魔法と、異貌のものどもが封じられたエミレオの書だけ。

 悔しいが私自身は前戦に出て他の咒式士達を圧倒できるほどの力は無い。

 

 それは暗殺や奇襲で殺し続けてきた『ペネロテ姉妹』事態に言えることだ。古き巨人や長命竜などといった化け物と、正面からやり合う人外連中と私は違う。

 

 複数対一でこれから私が戦った場合。

 例え私がこれまで通りに私が後衛で、前衛にはエミレオの書の異貌のものどもを召喚したとしよう。

 確かに強力で他を圧倒できようが、必ず敵はエミレオの書を操作している私本体を狙いに来る。

 そうなれば必然的に私の苦手分野な接近戦に持ち込まれるはず。敗北は必須だろう。

 

 だからこそ、そうなっても良いように、そうならなくても良いように戦い慣れなければならない。

 

 今まで通りの戦い方では生き残れないことは、前の世界で十分に理解した。

 超級咒式士との戦いでは暗殺や奇襲はほぼ通用しない。私が知っている常識と戦術では適わない。

 

 何より私はこれまでのように姉妹三人ではなく、ヒルダ一人で殺していかなければならないのだ。

 新たな戦術も必要となる。そのためにはさらなる戦いの場と経験が必要。

 

 一番は戦闘を行う状況にならないことだが、これから殺しつづける上で管理局や他の咒式士との戦闘は確実に起こる。

 今私が考えている道は、決して避けては通れない道だ。

 

 避けて通ろうとして目を逸らせば、次こそ私は死ぬ。偶然は二度も起こらない。間違いなく私は死ぬ。

 

 「今までの小競り合いで、既に一人での戦い方はおおよそ確立できた。一対多も同じ。だけど裏社会にいるような中途半端な連中の実力じゃ、私はこれ以上の成長は望めない」

 

 もうあんな目に会いたくはない。

 ヒルダは惨めな思いで妹に懇願する自分の姿を思い出し、手の皮を突き破るほどに強く拳を握りしめた。

 あんなぶっさいくな自分は認めない、認めてたまるか。

 

 常に表に晒すエミレオの書は『菓子屋敷のポコモコ』のみ。

 あの目立つ殺害方法は、相手の思考を狭めるよい判断材料となる。

 自分をコケにしたヒルデのエミレオの書であることは不満だが、この際そんなプライドは捨てる。

 

 私はもう負けない、殺して殺して、殺し尽くす。

 

 「生き抜いてやる、その為には――――」

 

 

 

 

 


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