ブラック・ブレットif ー深淵に堕ちた希望ー 作:縁側の蓮狐
結果として、事態は僕の望むままに進んでいった。
聖天子は情報のリークを抑え込み、作戦は最終手段、つまりはステージⅤを呼び出さなければならない状況となった。
スイートルームをチェックアウトし、ホテルを出た僕たちは変装をしている。
小比奈は白いワンピースを着て、顔を隠すように麦わら帽子を深く被っている。
非常に不愉快で理解しがたいことに、僕は女装をさせられた。髪はウィッグによってロングにさせられたうえ、女物の服を着せられた。ネットで調べると、どうやら森ガールと言われるファッションスタイルのようだ。スカート特有の下半身がスースーとする風の感触に慣れずむず痒い。下着も女物にされなかっただけまだ救いがあるかもしれないが。
着替えた後に、僕はフロントにある姿見で自分がどう見えるか確認してみた。勿論、オカマに見える場合、影胤に別の服を要求するためだ。
悔しく、そして恥辱的にも僕の女装は完成度が高く、口さえ開かなければ可憐な女子に見えてしまう。今も生きていたとしたら、木更さんはこんなものが霞むぐらいに美しい女性になっていただろう。
そう思うと、より菊之丞の殺意が高まってしまう。肩にかけたバイリンケースの中に隠れた伐折羅を握りしめたくなる。それから意識を逸らすために僕は隣を見やった。
そこにはお前は誰だと問いたくなるまでに別人じみた変装をした影胤がいた。目立つのを避けるために、彼は当然のことながら仮面を外し、整った顔を外の世界にさらけ出していた。これが彼の本当の顔かどうかはわからないが。悪目立ちする燕尾服も着ていない。代わりに白いスーツの上に赤いロングコートを羽織っている。いつもの服装と比べても些細な変化だ。だが露わにした顔や髪の色と相まって、海外の俳優かなにかに見えてくる。まあ、正体はただの戦争狂でしかないのだが。
雑踏を歩く人々に女装を趣味とする子とは思われたくない僕は、囁くように影胤に耳打ちする。
「悪い、少しばかり時間をくれないか。寄りたいところがあるんだ」
ある物が必要だ、影胤がチェックアウトの手続きをする際に僕はふと思っていた。菊之丞殺害には必要のないものだが、どうしても僕には、というより彼女には必要なものだった。。
「どれくらいかかるんだい?」
周囲に目を配る。目当ての場所はすぐそこ、二十メートル程先にあった。
「十分もあれば戻ってこられる」
「十分か……それなら問題ない。行ってくるといい。面白い見世物もしてくれたことだ。大目に見よう」
彼の言う面白い見世物とは、十中八九で僕の女装姿についてだろう。また彼に弄ばされた。やはり彼には様々な点で勝てない。
「あ、り、が、と、な!」
せめてもの反抗心として、感謝の言葉には怒気を混ぜておいて、僕は目当ての場所へ向かった。
そこは高級感をまったく感じられない、いわゆる庶民的な安心感を持つアクセサリーショップだ。小走りで中に入ると、女性店員が明るい声でお決まりの挨拶を店内に響かせる。
店員は奇怪な目を僕に向けてくることはない。どうやら僕を女装した男とは思っていないらしい。髭でも生やしてやろうかと自暴自棄になりかけてしまう。
店内に置かれた商品は予想通りどれもリーズナブルなものばかりで、お小遣いといったものをあまり貰っていない僕でも何品か買えそうだった。
右に左にと首を振り、購入予定のものを探す。それは、店の右奥に置かれた箱の中で群れていた。髪留めだ。僕は髪留めを探していたんだ。当然のことだが、僕の女装の完成度を高めるためではない。高めてたまるか。
三十二区にて出会った兎のような少女の伸びきった髪は、留めてあげるべきだとつい先ほど思い立ったためだ。
箱の中に入っている特価扱いされた大量の髪留めたちは、図鑑で見た蟻の大群を思い出させ、物色する気を減退させた。かといって、箱の外で丁寧に配置されている少しお高めな髪留めを買おうとは思わなかった。別に買えないこともないが、高いものなど贈ってしまえば向こうは気後れしてしまうのではないかと思ったからだ。
嫌々ながらも箱の中に手を突っ込んで掻き混ぜる。じゃらじゃらと音を立てながら髪留めが底の方に追いやられ姿を消したり、逆に這い上がって姿を現したりを繰り返す。何度も掻き混ぜた末に、僕の目に一つの髪留めが留まった。デフォルメされた兎の顔が装飾された髪留めだった。
これにしようと即決し、掴み取る。兎の無機質な瞳に見つめられ、人生で初めてプレゼントを贈るのが名前も知らない幼い少女だということを意識してしまう。気恥ずかしくなってきて仕方がなかった。
早足でレジへと向かい会計を済ませると、店の名前が印字された袋に兎の髪留めを入れながら店員は僕に微笑みかけた。
「妹さんにプレゼントですか?」
僕がつけるには幼稚なものだと思ったのだろうか。無言を貫くわけにもいかず、仕方なく裏声で僕は答える。
「え、ええ、妹が好きなんです、兎」
「優しいお姉さんなんですね」
人殺しの男に優しいとは、見当違いも甚だしいところだ。
手渡された袋を受け取って僕は、箱の外にあった立派な髪留めを思い出した。兎柄のものだった。もっと、彼女との親交を深めたら、それを買ってあげよう。
「また来ます。次は、妹と一緒に」
店を出たところで、僕は気づいた。そういえば、ここは、東京エリアは後一日も待たずに壊れる運命じゃないか。
「六分二十三秒、割と早く済んだね、お姉ちゃん」
二人の下へ戻ると、小比奈は影胤が目の前に差し出したスマートフォンの画面を見つめながら、正確に僕のタイムを告げる。ストップウォッチ機能でも使用しているのだろう。
そんなタイムよりも、僕は小比奈の「お姉ちゃん」という言葉が引っかかり、顔を引きつらせていた。
「お姉ちゃんってなんだ、お姉ちゃんって」
「パパがそう言えって」
「あんたなぁ……!」
「そう怒らないでくれ蓮太郎、君の持つ天童菊之丞への殺意は強まりすぎている。肌で感じ取れるほどにね。これはリラックスさせるためのちょっとしたジョークだよ」
「この女装もか?」
「そうなるね」
影胤の弁明に僕は納得できなかった。ジョークだとしても、もっと違うものがあるはずだからだ。もしこれが、この女装が影胤の精一杯のジョークだとしたら、ある意味でも彼はいかれている。
「で、僕たちはこれからどこに行くんだ?」
影胤は悪戯そうに笑みを浮かべる。相変わらずこういうところだけは子どもじみている。だがその笑みに、戦争狂たる彼が喜ぶ何かがあると気づいた僕の全身に悪寒が走る。
「未踏査領域さ」
宛のない遺書を、チェックアウトしたスイートルームに書き残したくなった。夏の日差しを浴びすぎたような、眩暈に似た錯覚を感じ、思わず手で顔を覆う。
確かにステージⅤの召喚に未踏査領域は絶好の場所だ。ステージⅣと遭遇してもおかしくないあの場所は、その危険さゆえに計画を邪魔される可能性を大幅に下げる。だが、それだけ僕の死ぬ確率も上がるということだ。僕は、ピクニックに行くような気分で死地へと向かえる眼前の親子のように化物じみた力は持っていない。どこまでいっても、僕はただの人間でしかない。
「今日を僕の命日にするつもりか」
「安心するといい、君ならばあの程度、何の苦にもならないよ」
「僕はそんなに強くない」
僕の発言は影胤の琴線に触れたのだろう。彼は鼻と鼻がぶつかる寸前の距離まで僕に顔を近づけた。居合いのような速度だった。彼の顔からは表情というものが消えている。だが、僕にはこれこそが彼の怒りなのだと瞬時に理解する。それほどまでに、僕は彼と同じように深淵に染まっていた。染まってしまったからこそ、理解したのだ。
「謙遜も過ぎると死に繋がることを知っておいたほうがいい。君はもう人を超越する力を持っている。今も張り付けている人の川を剥ぎ取り、鬼となりたまえ蓮太郎。人のままでは、刺し違える覚悟でも天童菊之丞には勝てないよ」
心臓が訴えかけるように、一際強く、どくんと鳴る。僕の体も、鬼になることを望んでいるのかもしれない。
未踏査領域の中の小さな街に辿り着いた僕達は、寂れ、思うがままに伸びていった蔓が壁のあちこちに張り付いている教会の中に、七星の遺産が保管されているジュラルミンケースを設置した。ジュラルミンケースの前には羽の生えた聖母を模した像が手を組んで祈りを捧げている。まるでステージⅤが訪れることを望んでいるようだ。
「さて、これで後はステージⅤを待つだけになったが、行くのかい? 蓮太郎」
一仕事を終え、深く息を吐いた影胤は顔だけを僕に向けている。影胤の見た目はいつも通りのものに戻っている。小比奈も。そして僕もウィッグを外し学生服を着ている。変装はモノリス内だけで十分だったため、未踏査領域の中に入る時点で着替えていたのだ。
「焚きつけておいてよく言うよ。行くに決まってんだろ。奴の今どこにいる?」
「聖天子たちと共に第一区の作戦本部にいるだろうね。急ぐといい。ステージⅤが現れれば、彼は避難を建前にして君の手に届かないところまで逃げてしまうだろう」
「わかった。すぐ行くよ」
「蓮太郎」
酷く生気のない声だった。影胤らしくない。
「んだよ」
「私にとって君は、大切な共犯者だ。死ぬことは決して許さない。必ず戻ってきたまえ。この場所で待っている」
影胤は一枚の紙を僕に手渡す。そこには簡易ではあるが、わかりやすく描かれた地図が載っていた。東京エリアの一部についての地図だった。地図の中には、集合場所を示す赤い点がある。彼だけが知る安全地帯なのだろう。落とさないようにズボンのポケットの奥深くにしまい込む。
それにしても、死ぬなとはなんと横暴な。僕に格上の相手と闘うよう画策したくせに。
それは確約しかねるよ。そう僕が言おうと口を開いた途端、長椅子に座って足をぶらぶらと揺らしている小比奈が話に割り込んでくる。
「蓮太郎、お土産に前殺し損ねたあのちっちゃいの、よろしくね」
参ったな、死ねなくなった。素直に僕は思った。
当たり前のように「帰ってくるんでしょ?」といった風に言われてしまうと、ああ帰ってきてやるよと挑発に乗らなければいけない気持ちに駆り立てられるからだ。多分、影胤に難題を何度もふっかけられてきたのが原因だ。
何かが引っかかる。そうだ、どうも先ほどの影胤の言葉には挑発といった感じがない。もしかして、僕を心配しているのだろうか。いや、それはない。彼のことだし。
「会ったら連れてくるつもりだけどよ、殺すのだけは絶対ダメだからな!」
意味のないことを考えるのはやめ、小比奈に釘を打っておいてから僕は全速力で第一区へと駆け出す。一瞬で遠くなった小比奈の声は、どこか不満そうだった。
まずは未踏査領域から出ようと疾駆する僕は、急ぐあまり敵との遭遇をまったくもって考えていなかった。広葉樹の林を抜け、開けた視界の先には見覚えのあるプロモーターがいた。防衛省にて、無謀にも影胤に攻撃を仕掛けた男、そう、確か彼のとこの社長は将監と言っていた。はぐれてしまったのか死んだのか、どうやらイニシエーターはいないようだ。
こいつ一人なら足を止める必要もないな。
「テメェ、確かあの野郎の……!」
慌てて将監は自慢のバスタードソードを振り上げるが時すでに遅し。その間に僕は彼に肉薄。彼の右足を踏みつけ、肩から体当たりを繰り出す。
――天童式戦闘術三の型九番『
足を踏みつけられているために、後方へと衝撃を逃がせない将監は、振り下ろすはずであった大剣を空へ向けて手放してしまう。
それを目視し、僕は跳躍。空中で将監の背後を取った状態で、僕は一緒に落下している彼の大剣へとオーバーヘッドキックを放つ。蹴った先はがら空きである将監の背中だ。
――天童式戦闘術二の型十一番『
外道の色に染まりきった僕の技が、将監の大剣を折る。柄の方は明後日の方向へ向かい地面に、刃先の方は将監の背中に突き刺さる。予想よりも深く刺さったようで、将監は吐血し、思わず倒れる。後はもう時間の問題だろう。
着地した後の僕は、死に体となった将監に一瞥をやることなく、疾駆を再開する。また少しすると、明かりの灯った石造りの建物が見えた。
敵と思わしき者の細い足先が見えた瞬間に、そこへ向け発砲。ワンテンポ遅れて僕の眼前にはショットガンの銃口が現れる。相手の脚をバラニウム弾が貫き、痛みに怯んだのかショットガンの銃口は僅かながら上に傾く。僕は身を屈め、低姿勢の状態で姿も確認しきれていない敵に向けて突進し、その勢いで組み伏せる。
敵の正体は先ほど、正確に言えば今頃死んでいるであろう将監のプロモーターである少女だった。名は知らない。少女は孤立しているところをガストレアにでも襲われたのか、腕から止めどなく血が流れていた。僕が脚を撃たずとも組み伏せられたかもしれなかった。
本来の僕ならば、たとえイニシエーターであろうと敵ならば殺すところだが、少女の虚ろな瞳が兎の少女を想起させ、僕を躊躇わせた。
少女が今も手に持つショットガンを無理やり奪い取ってそこらに放り投げ、XD拳銃の銃口を頭につきつけて反撃させない形にする。後は撃鉄を引くだけだった。そうすれば射出されたバラニウムの弾丸が少女の頭部を貫いてお終い。簡単なことだった。でも、それは兎の少女を殺すことに等しく感じ、引けなかった。
僕は少女に銃を向けることは止めなかったが、組み伏せた体を離し、距離を広げていった。少女は訳がわからないといった様子で起き上がろうともしなかった。
「お前のプロモーターは殺した。プロモーターの道具として戦うイニシエーターのお前に、もう戦う意味なんてないだろう? さっさと帰りな。ってか、東京エリアから出て行け。ここはもうダメになる」
「どうして、私を生かすんですか? あなたの瞳は、躊躇なく他人を殺せる人の瞳をしているのに」
心底疑問に満ちているといった声だった。それもそうだ。国家元首に向かってテロ行為を宣言した奴の仲間が見逃してくれるなんて、どういう風の吹き回しかと疑うのが普通だろう。
「兎と被って見えたから。多分、それだけの理由だ」
曖昧な回答を残して、僕は防御陣地から去った。明確なものは、僕ですら持ち合わせてはいなかった。
未踏査領域を抜け出した僕は、疾駆しながらも腕時計を見る。影胤が予想するステージⅤの現れる時間まで、後三十分もなかった。影胤の言葉がリフレインする。
『君の手に届かないところまで逃げてしまうだろう』
それだけは、絶対に許してはいけない。天童菊之丞に、天誅を下さなければならない。殺意が、僕の最高速度を上げた。嵐の時に吹き荒れる、体を叩くような風と一体化した気分だった。
結構性癖が漏れ出してしまった回です。ですが蓮太郎にBL的趣向はないです。ロリコンですロリコン。次回、最終回予定です。