直後襲い来た宿敵サヴァイヴァー・ドージョーに屈したサブジュゲイターだったが、彼の受難はそれだけでは終わらなかった。
49課の強制捜査の手から逃れ、自らの与り知らぬところで裁かれ、犯罪者の烙印を捺された彼を、第三の災厄が訪う。
憔悴したニューロンが蠢く。彼は思い出す。思い出そうとする。
ネオサイタマを、世界を、かつての電子戦争以来の衝撃が襲ったあの日。鷲の翼が開いた――開くはずだったあの日。
彼が手中に収めた暗黒メガコーポに野蛮極まるNSPD49課の強制捜査の手が入った、あの日。
ヨロシサン製薬法務部は社の存続と魔術めいた取締役会の企業秘密を死守すべく、首脳陣すら与り知らぬドヒョーで複雑怪奇なパワーゲームを展開した。
その結果としてヨロシサンはネオサイタマのマッポーめいた企業秩序の中枢を維持し、その過程において一人のニンジャをスケープゴートとして捧げた。
その経緯、仔細を彼は思い出そうとするが、それは忘却の狭間に揺蕩うだけだった。
サブジュゲイターは今でもヨロシサン製薬CEOの地位にある。だがその肩書きから連想される栄光はもはや望むべくもない。彼は、陰謀に塗れたクローン技術を排除し、体制の刷新に成功したNSPDの最優先確保対象である。
ブザマな逃走とサヴァイヴが彼の日常の全てだ。幾度となくヨロシ・ジツを振りかざし、追い詰め、罵った、あの薄汚い脱走者達。彼らと自らの境遇を重ね合わせ自嘲する余裕があるのも最初の何日かだけだった。
僅かな物音や市民の視線に怯え、半神的存在としての権勢は見る影もない。深いヨロシ・グリーンの装束も褪せて久しい。精神の磨耗と反比例してニンジャ第六感だけがナリコめいて研ぎ澄まされる。彼は独りであり、故にドージョーではなかった。
滑稽なほど過敏に張り巡らせた警戒網を嘲笑うかのように、前触れもなく忽然と顕れた超自然のトリイ・ゲートを、故に彼は心底恐れた。明らかに並のニンジャの所業ではない。
どんな高位存在が?何が目的で?トリイ内より齎された恭しいアトモスフィアの化粧箱と、その表の「御昇進御祝」の文字を認めた時、彼の疑心暗鬼は頂点に達した。
これはニンジャのイクサではない。命や身柄を奪うものではない。寸暇を食み、状況を咀嚼する。山羊めいた彼の理性がそれを反芻するのと並行し、猜疑は憤怒へと変換されていく。久方ぶりにニューロンが微睡みから目覚めた気がした。
サブジュゲイターは怒りに任せ化粧箱を踏み躙った。本来であればこのネオサイタマを己の欲望の赴くままそうしていただろうか。造作もなく砕け潰れる感触が惨めさを増幅させる。
人に顧みられることのない路地裏で尚、人目につくリスクに彼はすぐ我に返り、改めてその異物の正体をしめやかに精査した。トーフめいた緑色の物体。しかし自社製品ではないことはすぐに知れた。バイオインゴットは贈答に用いられることは一切ない。
また個人の制作したものでなく、現代企業の手になる大量生産品であることも明らかだ。どうやらただのマッチャ・ヨーカンらしい。彼は訝しんだ。
添えられた商品紹介の小パンフレットは極めて奥ゆかしく、サブジュゲイターにガイオンを想起させ、しかし、より数段も上品なものに思われた。それは電子戦争以前に失われた、日本古来の恭謙の美徳をふんだんに纏い、彼の心を束の間安らがせた。
そして同じく添付された、恐らくは贈り主のメッセージを読み進めるうち、彼は知らず知らず涙を流していた。それはニンジャになって初めて、即ち生まれて初めての涙だった。
そのメッセージにはどこまでも純粋な祝福が籠められていた。彼のCEO就任を知る者がその後の凋落を知らぬ筈がない。それが恐ろしかった。恐ろしくて泣いた。
昇進を寿ぐこと自体が彼に対する皮肉になるのを知りながら、その上でこれほどまでに奥ゆかしく、清らかな心付けを標すことが果たして出来るものだろうか?サブジュゲイターはその卓越したワビサビのワザマエに、そのような人物が己を識っているという事実に、震えた。
あの日。ヨロシマンとして絶頂を迎え、即座に叩き落とされたあの吹雪の日。あの只中に裸で放り出されたような底冷えを感じた。心細くてたまらなくなった。
サブジュゲイターは今や、親とはぐれた幼子のようであった。否、それは最初からそうであったのだ。彼は親を殺したのだから。
あの時自ら口走った言葉を思い起こし、自らが何を成したのかを今更ながらに理解した彼は、暫し放心し、「新緑」と銘打たれた緑色のヨーカンの残骸から比較的無事な部分を選ぶと、儀式めいて神妙に口に運んだ。
まるで最後の晩餐のようにその味を噛みしめ、荒廃したニューロンを洗い流す。芳潤なマッチャの風味と共に鮮やかな緑色が蘇る。
私はニンジャだ。彼は漸く思い出した。
その日、ヨロシサン製薬CEOは出頭した。
【ニュー・グリーン、フォーマー・グリーン】 終わり