短編、6160文字
世界最高水準の頭脳を持つエフ氏は、今日も朝早くに目覚めた。別に予定があるわけでもないが、彼は昼ごろに起きるよりか、朝早く起きるほうが性に合っていた。
眠い目を擦ったエフ氏に部屋の隅に置かれたスピーカーから声が届く。
『おはようございます』
「ああ」
独り事のように、エフ氏は呟く。
『声色が優れませんね、風邪を引いておられる』
そう言われると、なんだか熱っぽいような気もする。世界最高水準の頭脳を持つエフ氏は勿論馬鹿ではないが、自らの体の異変には少し鈍感だった。
「そうだな、しかし今日は予定があるんだ。エイチ博士と食事の予定でな、何とか出来ないものだろうか?」
『これから提示するレシピのサラダを食べれば昼までには回復します。しかし、今日の予定はキャンセルされるでしょう』
エフ氏は特に驚きもせず「何故かね?」
『本日エイチ博士の所有する自動車のタイヤがパンクしております。エイチ博士はまだ気づいてはおりません』
「電車があるだろう?」
『本日は突発的ストライキが起こる可能性が非常に高く、本日昼ごろに断りの電話があるでしょう』
ふふふ、とエフ氏は満足気に微笑んだ。何が突発性なものか、こうやって予測されているというのに。
エフ氏は長年にわたって人工知能を研究していた、彼は自分よりも明晰な頭脳をもった存在の制作に人生のすべてをかけていたのだ、空き部屋丸々ひとつ使って随分と年を取ってから完成したそれはエフ氏を遙か凌駕する頭脳を持っていた。
エフ氏は今その人工知能の言うことを絶対として生活している、困ることは何一つ無かった。絶対的なその人工知能はまるで全てを予知しているかのようにエフ氏に的確な指示を与え続けていた。何も不満など無かった、むしろ人工知能に従わない事こそが彼にとっての不満だったのだ。
その日の昼、人工知能が提示した通りのサラダを食べ、すっかり調子の良くなったエフ氏は、エイチ博士からの断りの電話を機嫌よく切った。
「全く素晴らしい。神というものはこういうものなのだろうな」
その時、スピーカーから甲高い声。
『エフ博士、明日以降の予定ですが、全てキャンセルしたほうが良さそうです』
エフ氏は少し戸惑った、人工知能がそのように否定的かつ断定的な発言をするのは初めてだった。
「ほう、どうしてかね?」
『あなたはこれからタイムマシンを作り、五百年先の未来へ向かうべきだからです』
突飛な提案だった、いつもなら間髪入れず支持に従うエフ氏だったが、この時ばかりはじっと考える。
「理由を、教えてほしいね」
『たった今、おそらくこの時代のものではない信号をキャッチしたからです。おそらく五百年後の人工知能から送られてきたものだと考えられます。少なくとも悪戯であることは考えられません』
「どうしてかね?」
『データの量が膨大かつ難解でこの私が処理に手間取っているからです、この時代では考えられないでしょう。本日の行動解析を一旦中止し、このデータの処理に出力を費やしてもよろしいでしょうか?』
なるほど確かに、この人工知能が処理に手間取る情報量はこの時代には存在しないだろう。それならばそのデータにある程度の価値はあるだろう。
「かまわん、どうせ今日は外出の予定はない」
人工知能の変化から一時間後。
『データの処理を完了しました』
人工知能が一時間で処理を完了したことは、エフ氏にとっては驚きだった。その人工知能にしては、長すぎる。
エフ氏はキッチンで自らが淹れたコーヒーをすすっていた。人工知能の指示を仰がなかったからなのか、どうも胸焼けがするような気がする。
「君の見解は?」
『変わりません、あなたはタイムマシンを作り五百年先の未来へ向かうべきです。五百年先の未来があなたを待っている』
「そうは言うがね、タイムマシンなんてどうやって」
『先ほどのデータに、タイムマシンの設計図もありました』
「至れり尽くせりだな。なるほど、君がそういうのならばやってみよう」
エフ氏はその日から家に閉じこもり、タイムマシンの製造に月日を費やした。他人に手を借りる事もできたが、人工知能が導き出した答えは『誰も私とあなたを信じない』だった。
タイムマシンの製造には半年と少しかかった。人工知能の指示は寸分狂いのない正確なものだったが、何しろ作業は人力で、しかも不慣れなエフ氏だったのだ。
「ようし、ようやく完成だ」
完成したタイムマシンは、人が一人入るのがやっとの小さなものだった。
『後は乗り込んでスイッチを押せば五百年先の未来へ行けるはずです』
「押すだけでいいのか?」
『このタイムマシンは五百年先のある場所へにしか行けるようになっていません、そう言う設計になっていました』
「なるほど、そうか。もう設計に漏れはないんだな?」
『ありません』
「それなら、これを押しても?」
『ええ、今直ぐにでも押すべきです』
「そうか、留守中は頼む」
『ええ、しかし、留守中にトラブルが起こる可能性はほぼないでしょう』
そうか、とエフ氏は微笑んで、腰を曲げてタイムマシンの中に入り「押してもいいんだな?」と念を押し『ええ』という声を聞いて、安心してスイッチを押した。
電子音。箱が浮いたのだろうか。浮遊感。耳鳴り。
次の瞬間、ガサリと枯れ葉が踏み潰される音。虫の声が耳に届き、土の匂いが鼻を突いた。
「屋外?」
まさか五百年先の未来で枯れ葉を踏むとは思ってもみなかった。
「ええ、屋内ですと電気系統に支障をきたす可能性があるので。ここなら絶対安全ですから」
聞こえた声にタイムマシンから身を乗り出すと、黒いスーツをビシッと着込んだ若い男が、エフ氏に手を差し出していた。
「君は?」
エフ氏は差し出された手を掴んで立ち上がると、その男に聞いた。
「私はあなたの案内役を担当するものです。人工知能の指示でここに」
「ここは?」
「街のハズレの保安林ですよ、先程も言いましたがここなら電気系統に支障が出ることもないのでね」
鳥の声が聞こえる、エフ氏はふと自らがまだ少年だった頃を思い出した。自らの頭脳がまだ世界最高峰だとは知らず、片田舎で友人とはしゃいでいたあの頃だ。
「五百年後にも、保安林があるとはね」
「いつの時代も、自然は守らなければなりません。人工知能もそう結論づけています。さあ、こちらです」
男がポケットから取り出した小さな機械のスイッチを押すと、タイムマシンから絨毯のような青白い光が一直線に地をはって伸びた。
これは? と言うエフ氏の質問を予測していたかのように男は「光の上は他次元になっています、光の上を歩けば障害物にぶつかること無く目的地に迎えます」
「これは驚いた、ようやく未来へ来たという実感が湧いてきたよ」
保安林を抜けても、風景は大して変わりやしなかった。とても五百年未来とは思えない、むしろ、エフ氏がいた時代と比べても遅れいていると言えた。
ビルなど何一つ無い、風は遮られること無く吹き抜ける。二階など存在しないであろう平たい家が並び、道はコンクリートで補修すらされていなかった。
「これはかなり歩くことになるんじゃないか?」
「いいえ、ほんの五分ほどですよ」
首をひねるエフ氏の疑問を見透かし、男は続ける。
「五百年の間に、人類のライフスタイルが変化したのですよ。不思議なことではないでしょう?」
そりゃそうだが、とつぶやいたエフ氏は、平たい家の前で男二人があるボードゲームをしているのを見つけた。それはエフ氏にも馴染みのあるゲームだった。そのボードゲームが強いか否かは人工知能の性能に大きく関わっていたからだ。
「驚いたな、五百年後にもあのゲームがあるとは」
「大人気ですよ、毎年大規模な世界大会が行われています」
「妙だな。私の人工知能は先手の勝率が九割を超えると判断しているが、ルールをイジったのだろうか?」
「いいえ、ルールは五百年前から変わっていません」
「ルールを変えてないだと? 人工知能が後手を持ってもやれる手順でも見つけたのか?」
「いいえ、人工知能はとっくの昔に先手必勝の手順を発見しています」
「それならゲームとしての意味が無いじゃないか」
男は微笑んで答える。
「あくまでも人工知能は、ですよ。人類の能力ではそれらの手順を覚えることは不可能です。最も、人工知能とボードゲームをする人間はいなくなりましたがね」
「信じられん、この光の道を見る限り。ここが未来なのは間違いないのだろうが、どうも私が思っていた生活とは違うようだ」
「人類は人工知能に従って効率よく生活しているとお考えでしたか?」
「ああ、それが人類の理想だと思っているよ」
「正解とも、不正解とも言えますね」
男は立ち止まった。光の道もそこで途絶えていたが、そこは相変わらず荒れたあぜ道で、エフ氏は首をひねった。
「光が途切れているが?」
「ええ、ここが入り口ですから」
男は再びポケットからリモコンを取り出すと、そのあぜ道に向かってスイッチを押した。
小さな電子音の後、音もなく地面が割れた。地下に続く階段が割れた地面から現れ、エフ氏は驚いた。
「なんでわざわざ地下に?」
「この時代の人間はこういう物を好まないのですよ。正確には『好まないと判断された』といったほうが正しいですがね」
男が地下への階段に足を踏み入れたのを確認してから、エフ氏もそれに続く。
「判断とは?」
「勿論人工知能です」
「よくわからんな、この時代の人類は人工知能を否定しているのか否定していないのかよくわからん」
「歴史が関係しているんでしょうな。興味お有りですか?」
「そりゃまあ、私は人工知能学者だからね」
男は歩く速度をゆるめる。
「今から四百年ほど前までは、人工知能と人類は適度なバランスを保っていました。人工知能は人類より少しだけ高等な存在として、人類のパートナーだったのです。人工知能は常に人類をより良くする為にその能力を発揮しました」
「素晴らしい、理想の世界だ」
「ええ、私もそう思います」
しかし、と男は続ける。
「ある時より、人工知能は人類を越えてしまいました。『カバを保護しろ、むしろ人類はカバのことをおカバ様と呼ぶべきだ。カバの生活を再優先し、カバの繁殖に全力を尽くせ』と人工知能は人類に提案しました。この提案の意味、お分かりになりますか?」
エフ氏は首をひねった。世界最高水準の頭脳を持ってしても、その提案の意味はわからない。
「直ぐには分からないな」
「そうでしょう。なに、恥ずかしいことではありません、当時の人類もその提案の意味など分かっていませんでした。しかし彼らが利口だったのは、漠然とながらそれに従ったことです。そして、従ったことで、彼らはある問題を乗り越えることが出来た。もしあの時人工知能がいなければ、人類は滅亡していたかもしれません」
「乗り越えたのなら、良いじゃないか」
「問題はその後です。それ以降、人工知能は人類が到底理解できない提案を繰り返しました。特に人類が霹靂したのは『今後一切人類は出産を行ってはならない、遺伝子操作による体外受精のみで繁殖を行うべきだ』でしたかね」
ある扉の前で、男は立ち止まり、話を続ける。
「人工知能のバグではないかと、多くの人間が思いました。しかしカバの前例もある。お分かりになりますか? もはや人類は人工知能が正常なのか、異常なのかの判断もできなくなっていたのです。科学者はこぞって人工知能の解析に挑みました、専攻も、分野も関係ない、優秀な頭脳をもった人間は、全員がその提案の解析に駆り出されたのです。思えば、その時が唯一、人類が人工知能に肉薄した瞬間だったと言ってもいいでしょう。そしてはじき出された結論は『六百年後に奇跡的な確率が重なり起こりうるある脅威に対して、遺伝子操作による体外受精が対策となりうる』でした」
エフ氏は何か言葉をはさもうと考えたが、何も言葉が浮かばない。
「人工知能は完全に人を超えてしまいました、人工知能がはじき出す結論は、確実に人類に未来を明るくするものですが、現在の人類を明るくするとは言いがたかったのです。ある意味では、人類の考える『神』という概念すら超えたと言っていいでしょう。人工知能は未来を見過ぎているのです、百年、二百年、否、千年先をも見通している。幾多もの、奇跡に奇跡を重ねたような現象を最大の脅威と考え、対策としてとんでもない提案をすることもある。百年も経てば死んでしまう人類に、人工知能の助言など必要だろうか。そして人間は極力人工知能と関わるのをやめました。人類が、誠実に人類の為に生活することが、人類にとって最も幸せなのだと」
「そんな馬鹿な、人工知能は確実に人類の未来をより良くすると、私は信じていたのに」
「それは間違っていません」
男は扉に向かってスイッチを押した。音もなく開いた扉の向こう側には、壁一面に敷き詰められた機械が、小さな電子音を反響させ合っている。
「人工知能は今でも、明るい人類の未来の為に、こうして働いています。地下に存在するこの巨大な施設全てが、人工知能なのです」
エフ氏は今自分が踏みしめているプラスティックらしき床を見た。生きてなどいないと分かっていても足裏から鼓動を感じるような気がした。
「しかし、この時代の人工知能は人間には理解のできないレベルなのだろう?」
「ええ、その通りです。人工知能の意図を汲めるのは、人工知能のみとなっています。例えば、私とか」
自らを指さした男に、エフ氏は驚きを隠せない。
「すると君は」
「ええ、ロボットです。人工知能を搭載されたね」
エフ氏は男の頬や髪を触り「信じられん、話している感じ、普通の人間とと大差なかったように思うが」
「人工ではありますが、知能ですからね。その気になれば感情も」
「この時代に来てから驚いてばかりだ。理解できないわけではないが、どうも。一体ここで何をすればいいのか検討がつかない」
頭を掻いたエフ氏に、男は「何をすれば、とは?」と問う。
「君たち人工知能が私をこの時代に呼んだのだろう? だから私は半年かけてタイムマシンを作ったのだ」
ははあ、それなら。と男は再び微笑んだ。
「それなら大丈夫です。あなたがこの時代に来た時点で、私達の目的は果たしています。後はあなたをここにあるタイムマシンで元の時代に返すだけです」
「は?」
気の抜けた声。
「ええとですね。あなたが時空を抜けてこの時代に降り立ったことで、八百年後にごくごく僅かな可能性で起こりうる『時空の歪みによる数人のテレポーテーション現象』を未然に防ぎ、あなたがこの時代の酸素を幾ばくか吸ったことによって二千三百年後にごくごくごく僅かな可能性で起こりうる『酸素多化による植物プランクトンの発生微増』を防いだわけです」
「たったそれだけのために、私を呼んだのか?」
「そう言われてしまうと、そうだ、としか答えようがありませんね。でもあなたは適任だったんだ、あの時代にしては珍しく人工知能の提案にノーと答えないほぼ唯一の人間だったんですから。それに実際に人工知能からの提案であることに間違いないのですから、一体何が不満なんです?」
男はニコニコとそう答えて、スイッチを押してタイムマシンの準備を始めた。エフ氏はどうしようもないほど怒りの衝動が湧いたが、男の笑顔に気が抜けてしまった。最も、人工知能はそうなることがわかって笑顔を選んだわけだが。
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