東方悲恋録〜hopeless&unrequited love〜   作:焼き鯖

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皆さん、こんばんは。コンタクトつけたら翌日がめっさ目がゴロゴロしました。焼き鯖です。

今回はリメイク編。クリスマスに書いた悪イ夢を再投稿致します。流れは変わりませんが、描写回しが少し変わりました。

今回は良識ある大人向けって感じにして見ました。よろしければ見て行って下さい。


悪イ夢

 悪夢には、見る者の心に対して様々な効果を及ぼす。変わりたいと願う者にはそれを示すヒントを、根っからの狂人にはそれを戒める罰を。信じられないかもしれないが、心に多大なダメージを負った者を慰め、傷を癒す役割も持っている。

 (ばく)である私は、夢の世界を管理すると共に、悪夢を監視し、その強弱を調節する事も仕事としている。あまりに強すぎる悪夢は、更なるダメージを負ってしまう可能性があるからだ。最悪の場合、それは障害という形で夢を見る者に現れ、苦しめる。逆に悪夢には意味を付与させるため、弱すぎるとその意図に気がついてくれない。繊細で精密な技術が要求されるこの仕事は、夢を食む楽しみがある反面疲れる事が多い。

 そんな私が唯一楽しみにしているのは、他よりも少しだけ長い休憩の時間だ。この時間は何をしても許される。私の場合、悪魔の食べ過ぎでもたれた胃を癒す為、家に帰って紅茶を飲み、本を読むのが一番の至福となっている。

 

 

 

「……成る程。要するにこういう事ですか? 『月の民の命を守る為、一時的に夢の世界(わたしのせかい)に避難させてほしい』……と」

 

 

 

 その至福の時間帯、私は大好きなアールグレイを飲みながら真っ直ぐに来客である少女をはたと見据えた。

 訪れた少女はコクリと頷くと、持っていたノートにつらつらと文字を書き出した。ハーフアップにした刀のように鋭い銀色の髪が、渦を巻く矢印のスカートに合わせて揺れる。

 彼女は──月の賢者の一角である稀神サグメは、その能力故に迂闊に喋る事が出来ない。だから何かを伝える時はこうして筆談の形式を取るか、信頼出来る部下に翻訳して貰うかの二択になる。今回はサグメが単身でここに来たので前者の方を取っている。噂には聞いていたが、こうして直に見て見ると本当に面倒な代物だなと再認識してしまう。

 書き終えた彼女はゆっくりとペンを置くと、私にそのノートを見せた。ノートには、

 

 

 

『はい、その通りです。現在、月の都はとある集団によって侵略の危機に晒されています。このまま行ってしまえば、都は奴らに攻め落とされてしまうでしょう。そうなる前に民を避難させ、都を凍結させる必要あるのです』

 

 

 

 と書かれていた。

 

 

 

「なるほどー、その白羽の矢に私の管理するこの世界が選ばれたわけですか……」

 

 

 

 私はふぅとため息を吐き、椅子にもたれて考える。

 冷静に考えてみれば、これ程までにとんでもない提案は今までされた事はなかった。唯一にして至高のリラックスタイムに扉がノックされて何事か思えば、月の賢者の一人にいきなり数千万人もの住人をこの世界に避難させてほしいと頼まれたのだ。困り事なので断るという選択肢はないが、何の前触れもなく、よりにもよって休憩の時間に押しかけて来たら、例え私でなくても誰だって嫌な顔の一つや二つもしたいものだろう。

 しかし、問題はない。これはあの人の予言通りに進んでるだけだ。と気持ちを落ち着かせ、サグメが持って来たウサギ型クッキーを口に運ぶ。サクリとした食感と共に、芳醇なバターの風味が口一杯に広がり、気品豊かなアールグレイも相まって私の舌が幸せで包まれた。思わず顔が綻び、「ん〜美味しい」という呟きが漏れる。

 クッキーの美味しさに浸っていると、サグメがトントン指先で机を鳴らした。

 我に返って彼女の方を見ると、新たに何かを書いていたらしく、ノートにはこう書かれていた。

 

 

 

『勿論、タダでとは言いません。この異変が沈静化すれば、貴女が望む物を私達が出来る範囲でご用意致します。それこそ月の都の半分をくれと言われたら、喜んで割譲するのもやぶさかではありません』

 

 

 

 素っ頓狂なお願いが真剣な表情で飛んで来たものだから、不意を突かれて吹き出してしまった。いきなり笑い出した私を、サグメが不審そうな表情で見つめ返している。

 

 

 

「いやいや、私は世界を救う勇者じゃないんですよ? ただでさえここを管理するので手一杯なのに、半分とは言え貴女達の都まで管理しようとしたら、私の方が倒れてしまいます。貴女方がお礼をするのであれば、そこまで無理な事は言いませんよ」

 

 

 

 笑いながら弁明すると、じゃあ何が望みなんだと言わんばかりにサグメが見つめて来た。そこで私はまたクスリと笑うと、お皿に盛られたクッキーを指差した。

 

 

 

「貴女が持って来たこのクッキー……ラビットクッキーって言いましたっけ? これを出来る限りでいいので毎日下さい」

 

 

 

 私の答えが予想外だったのか、そんなものでいいのかと食ってかかって来そうなほど、彼女は驚きで目を大きく見開いた。その姿が面白くて、私は尚もクスクスと笑いながら口元を手で覆った。

 

 

 

「えぇ、それで構いません。私とて鬼ではありませんからね。貴女達が助けてほしいと言われたら、手を差し伸べるのは当たり前の事でしょう? それでも足りないと言うのであれば、今度は私の世界がピンチになった時に貴女方が助けに来ればそれでおあいこです」

 

 

 

 にこやかに微笑みながらそう言うと、そこで初めてサグメはホッとした表情を見せ、既に冷めてしまった紅茶に口をつけた。そこで私は、かねてから疑問に思っていた事をサグメに尋ねる。

 

 

 

「しかし……話が決まってしまった後で言うのも何ですが、この方法はあまりオススメ出来ません。長く夢を見過ぎると、精神が蝕まれてしまう恐れがあるからです。サグメさんはその事を理解しておられるのでしょうか?」

 

 

 

 この質問をした瞬間、サグメの顔がだんだんと憂いを帯びたものに変化していった。

 

 

 

『実は……私もこの方法にはいささか懐疑的ではあるんです。夢の世界に逃げ込んだからと言って確実な安全が保証されるとは限りませんし、もしあいつらがここまで侵略して来たら、月の民はもとより貴女にも被害が及ぶ可能性もあります。ですが、悔しい事に取り急ぎで取れる策がこれしかない事もまた現状なんです。これが苦肉の策である事は他の賢者達も重々承知しているのですが……何か決定的な打開策が浮かばない限りは、この策を実行するより他に最善な策はないんですよ』

 

 

 

 要するに八方ふさがりというわけか。それでは仕方がない。

 

 

 

「分かりました。それでは本題に入りましょう。端の方ではありますが、丁度夢の世界に手頃なスペースがあります。そこに月の都の幻視(ビジョン)を作りますので、そこに皆さんを避難させて下さい。それと、貴女達の世界に悪夢が入り込んでしまわないように結界も張っておきましょうか。後は──」

 

 

 

 順序良く避難計画を立てていく私。最初こそ熱心に聞いていたサグメだったが、次第に疑いの色が強く出始めてきた。

 

 

 

「どうされました? 何か不都合な事、ご不明な事がございましたか?」

 

 

 

『……いえ、不都合な事も、不明確な事もありません。ただ、どうにも虫が良すぎると思いまして』

 

 

 

 刺すような瞳と共に向けられた一文に、私は一瞬だけたじろいでしまった。流石月の賢者の一角。目敏いと言う他ない。

 

 

 

「……それはまたどうして?」

 

 

 

 突然の事だったため、尋ねる声が少し硬くなる。

 

 

 

『通常、夢の世界というのは、私達月の都程ではないとはいえとても繊細な筈です。そこに異分子や異物を受け入れるというのは、それ自体が歪みになったり争いの種になったりと負の状態を引き起こしかねない危険な存在になります。最悪の場合、この世界そのものが崩壊してしまう恐れすらあります。私達も無茶を承知で頼んでいるので大それた事は言えませんが、仮にもこの世界の支配者である貴女がここまでするのには、何か裏があるのではないかと、私にはそう思えて仕方がないんです』

 

 

 

 そう。サグメの言う事は実に的を射ている。

 この世界は、月だろうが幻想郷だろうが外の世界の人間だろうが、そこで眠る者の夢全てが集う場所である。一度でも管理を怠ってしまえば一瞬にして虚無と言う混沌(カオス)の空間に崩壊してしまい、その時点でそこは死の世界と化してしまう。事実、私も虚無の空間を何度も見聞きしているから、その危険性も重々分かっている。

 しかし、あの人達がいる今なら、声を大にして確実に言える。私の世界(ゆめのせかい)は壊される事はないだろうと。

 

 

 

「嫌だなぁ、サグメさん。そんな疑心暗鬼にならないで下さいよ。私は本当に善意でやっているんですから。それに、仮にこの世界が壊れてしまって私の行き場がなくなったとしても、貴女方の都(つきのみやこ)へ避難すればいいんですから。それでおあいこでしょう?」

 

 

 

『……そうですか。疑ったりしてしまい、申し訳ありません。では、貴女がそうなった場合、ある程度の住居を提供出来るよう()()()()()()

 

 

 

『善処する』と言う言葉を使った時点で、私があそこに行く事は絶望的になった事が分かったが、取り敢えず誤魔化す事は出来たようだ。

 

 

 

『長居し過ぎましたね。私はそろそろ戻ります』

 

 

 

 私が安心していると、その文面と共に彼女が席を立った。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 全てを見透かしているような冷たい目線でその言葉を残し、彼女は部屋から去って行った。

 部屋から遠ざかる足音を聞きながら、私はふぅ、と溜息を吐く。良かった。あの人との関係がバレずに済んで。バレてしまえば私がどうなってしまうのか想像に難くない。最悪の場合、その場で殺されてもおかしくはなかった。所々怪しまれていそうな部分はあったけれど、そこは考えないようにしよう。

 ……と言うか、あの人は今日ここに来るのだろうか。隠れる所もほとんど無いし、来るのであればすれ違いは必至だから、そこでどんぱちやられたらこちらが困るのだが……

 飲みかけのカップを下げながらそんな事を考えていると、小気味のいいテンポでドアが三回ノックされた。

 その音に、私の心は大きく弾んで軽くなる。このノックはあの人が来る時の合図だ。

 

 

 

「どうぞ」

 

 

 

 少しだけ上ずった声で答えると、ドアの向こうから奇抜な格好をした少女が現れた。

「Welcome Hell」と書かれたオフショルダーに三色蛍光カラーのスカート。頭の上には赤い球体が乗っかっていて、首には残った青と黄色の球体を繋ぐ鎖がついたチョーカー。

 全てが規格外と言わんばかりの姿の彼女は、部屋に入ると満面の笑みで私に挨拶をした。

 

 

 

「はぁーい、会いに来たわよん。ドレミー」

 

 

 

 後に音符が付いていそうな程に跳ね上がった語尾に、私は苦笑いしながら返す。

 

 

 

「全くもう、貴女は本当突然に来ますよね。ヘカーティア様」

 

 

 

「あら、それはもういつもの事だと割り切っているのかと思っていたわ」

 

 

 

「割り切っていても慣れない事って言うのはこの世には沢山あるんですよ」

 

 

 

 お互いに軽口を叩きながら、ヘカーティア様はさっきまでサグメが座っていた席に座った。私はいつものようにキッチンでダージリンを淹れる。

 彼女の名は、ヘカーティア・ラピスラズリ。服装こそふざけた代物ではあるが、その正体は月、地球、異界の三つを統べる地獄の女神。そんじょそこらの雑魚なんか目もない位の強さを持ち、彼女の逆鱗に触れたら最後、塵芥の一つすら残らないと思った方がいい程にやばいお方だ。

 

 

 

「それにしても、一体どうやってここまで来たんですか? さっきまでサグメがここに居たんですよ?」

 

 

 

 そう言いながら淹れたてのダージリンをヘカーティア様に差し出す。ここから私の部屋までは部屋は殆ど無い。故に避難する場所は少なく、鉢合わせは確実なのに、なんの問題もなくあっさりと私の部屋に来れるのは変だ。

 そう思っていたら、ヘカーティア様が面白そうに笑い始めた

 

 

 

「ちょっとちょっとドレミー、私を誰だと思っているのよ? 私は神様よ? その気になれば置物だったりぬいぐるみだったりに化ける事なんて造作もない事じゃない」

 

 

 

 言われた瞬間、ストンと腑に落ちた。ヘカーティア様はそれをみて更に笑い、ダージリンに口をつけてまた美味しそうに微笑んだ。

 そうだった。彼女達神様は、生まれつき変身能力を有していたんだった。なんでも、神様の血を引く人間を地上に残すのも神様としての責務の一つらしく、たまに人間に化けて地上に降りる事もあるそうだ。聞いた話では、あの手この手を使って幼気な少女をドンドン孕ませた精力絶倫な神様もいるらしい。あれ程女性に優しくない神様は聞いたことがないって、ヘカーティア様も苦言を呈していた。

 

 

 

「そうでしたね。スッカリ忘れていましたよ」

 

 

 

 答えながら私自身も再度アールグレイを淹れ直し、先程と同じ席に座ると、待っていたかのようにヘカーティア様が口を開いた。

 

 

 

「それでどうだったの? 全部私の言った通りになったでしょう?」

 

 

 

「はい、全てヘカーティア様の予言通りになりました。このままいけば、貴女達の予定通りの展開が起こりそうです」

 

 

 

 それを聞いたヘカーティア様は、嬉しそうに頷いた。

 

 

 

「やっぱりね。月の都の連中はやることがワンパターンなのよ。穢れを避けるだかなんだか知らないけど、こんなにまどろっこしい事をしなきゃいけないなんて、本当に愚かとしか言いようがないわ」

 

 

 

 そう言いながら彼女はお皿に残っていたクッキーを手に取り、光に透かすようにそれを掲げた。段々と目に狂気が宿り、握る手に力が掛けられていく。

 

 

 

「あと少し、あと少しで憎い嫦娥を殺す事が出来る。待ち望んだこの時が、遂にこの手に……」

 

 

 

 パキンと言う乾いた音と共に、可愛いクッキーは見る影もなく砕け散り、お皿の上にその破片が儚く落ちていった。

 

 

 

「……純孤さんとクラウンピースの状況はどうなっているんですか?」

 

 

 

 私の質問を聞き取った彼女は、赤目に映る殺気と狂気を引っ込めると、すぐに柔らかな笑顔を浮かべて答えた。

 

 

 

「問題ないわ。私の部下達を生命力(けがれ)で満たして都を囲む手はずを整えている。早ければ明日までに表の月は生命力で満たされる筈よ」

 

 

 

「分かりました。計画が進んでいるようなら大丈夫ですよ」

 

 

 

「ごめんなさいね。此処から先、貴女にも迷惑がかかる時が来るかもしれないけど、出来る限りこの世界で問題行動はしないように努めるから」

 

 

 

 その言葉に、私の表情は暗く沈む。だって、これが嘘だって言う事が分かっているから。彼女が──いや、彼女達の中にあるのは歪んだ復讐心だけ。多分、情とか謝罪の念だとかはこれっぽっちも考えたことすらないと思う。勿論、私の事すらも──

 

 

 

「ドレミー」

 

 

 

 耳元から、あの人の声が聞こえてきた。いつの間にか、ヘカーティア様が私を後ろから抱きすくめていて、顔を耳まで近づけていた。

 

 

 

「今日はどうしたのよ? いつにも増して機嫌が悪いじゃない。いつもの貴女らしくないわ」

 

 

 

「……当たり前です。貴女はあの日の事を覚えていますか? いきなり私の前に現れたかと思ったら、あれよあれよと私を共犯者に仕立て上げたんですよ? 今はもう受け入れていますが、貴女方の私怨に振り回される私の身も少しは考えて下さい」

 

 

 

 普段なら絶対に言うはずのない棘を含んだ言葉が、私の口からするすると飛び出した。

 違う。私が言いたかったのはこんなのじゃない。もっと気の利いた、私らしいジョークで返すべきだった。これではヘカーティア様に嫌われてしまう。早く謝らなければ……

 

 

 

「ドレミー」

 

 

 

 しかし、彼女は何も言わない。それどころか、まるで我が儘な子供が気に入ったおもちゃを抱え込むように更に肩を抱く腕に力を込めた。

 鼓膜の内側が、ヘカーティア様の囁きで一杯になる。独占欲から生じた占有を求めるその声色は、神の蜜(ネクタル)よりも甘く、耳にかかる吐息は麻薬よりも強い快楽を運んでくる。最早それなしでは生きられない程甘美な感触に、一瞬意識を持っていかれそうになった。

 

 

 

「お前の言う通りだ。私はお前を巻き込んでおきながら、礼の一つすら与えていなかった。これでは他の神々に笑われてしまう。一人の神様、いや、友人として失格な事をした。この場を借りて謝罪する。本当にすまなかった」

 

 

 

「あ……」

 

 

 

 先程までの飄々とした声から一転、神様らしい威厳を帯びた彼女の声が、私の耳を蹂躙する。

 駄目だ。これ以上彼女の声を聞いていたら、本当に快楽の海に沈んでしまう。毅然として答えようと思っていたのに、それ以上の欲求が先行して思うように口が開かない。

 何とかして離れようするが、それを予期するようにヘカーティア様の言葉は続く。

 

 

 

「そのお詫びだ。私はお前を、この世界を、ずっと守ろう。私はお前だけの守り神となる。これが私のできる精一杯の礼だ」

 

 

 

 どうか受け取ってはくれまいか? 

 懇願にも似た提案が、私の耳に同じような快感を与えた。

 

 

 

「本当……に、守れる、と、約束……でき、るんです、か?」

 

 

 

 激流のように流される快楽に抗いながら途切れ途切れに尋ねると、ヘカーティア様は自信たっぷりに囁いた。

 

 

 

「あぁ、ステュクスの川にかけて誓おう。私、ヘカーティア・ラピスラズリは、夢の支配者ドレミー・スイートの守り神になると」

 

 

 

「あっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 

 

 何処かでするはずのない雷の鳴ったような大きな音がした。誓いが施行された合図だ。私自身もまた、喜びに打ち震え、歓喜のあまり椅子からずり落ちた。

 

 

 

「……そろそろ戻るわね。また、終わった後にでもお話しましょう?」

 

 

 

 いつもの口調に戻った彼女は、去り際に私の首筋にそっと唇を落とし、悠然と部屋から去って行った。

 

 

 

「あぁ……ヘカーティア……様……ぁ」

 

 

 

 残された私は、最後に彼女が落としていった蜜を、時間を忘れてゆっくりと堪能した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 私が彼女と初めて出会ったのは、人々が惰眠を貪る季節である冬であったと記憶している。とある悪夢の調節中に、向こうの方から声をかけて来たのが始まりだった。

 

 

 

「ねぇ、悪夢って美味しいのかしら?」

 

 

 

 不意に声をかけられ振り向いてみれば、外の世界で有名な何処ぞのファッションモンスターも顔負けの珍妙な服装をした少女。それを初めてを見た私の心境は、恐らく想像に難くないと思う。

 

 

 

「え、えぇとそうですね。調整次第で変わりますが、当たりもあればハズレもあるって感じですかね。同じみかんでも甘さと酸っぱさが丁度いい塩梅で美味しいものと、味がなくてまずいものがあるって思って頂けたらいいですよ」

 

 

 

 気を持ち直して答えたが、例え方が悪かったのかピンと来ていないらしい。不思議そうな顔で小首を傾げていた。

 そこで、食べ比べてみますかと調整済みの悪夢と調整前の悪夢を一塊にして彼女の前に差し出してみると、彼女は遠慮がちに二つを受け取り、交互に口に運んだ。暫くは黙って口を動かしていたが、やがて納得したように頷いた。

 

 

 

「成る程ね。確かに貴女の言う通りだわ」

 

 

 

「でしょう? ところで、貴女は何者なんでしょうか?」

 

 

 

「あら、私としたことが自己紹介をすっかり忘れていたわね。私はヘカーティア・ラピスラズリよん。三つの世界を支配しているわ」

 

 

 

「ヘカーティア様ですか。私は貘のドレミー・スイートと申します。この世界を管理し、悪夢の強弱を調節する者です」

 

 

 

 そう言って互いに握手を交わしたのがきっかけだった。その日から彼女はちょくちょくここを訪れるようになり、世間話をする事が多くなった。いつしか私自身も彼女が来るのが楽しみになっていた。

 そうして冬が終わり、春眠暁を覚えずと言われる春の季節に突入したある日のことだった。

 いつものように紅茶を淹れながら待っていた時、ふと窓を見ると、向こうの方から三つの人影が此方に向かっているのが分かった。そのうちの一つに何か丸い物が浮かんでいる事から、ヘカーティア様が友人を連れて来たのだろうが、何故私に断りも入れず突然連れて来たのだろう? 

 招き入れてみると、来客は予想通り彼女だった。類は友を呼ぶと言うが、つられて入ったご友人らしき人達もまた色物揃いだった。

 一人は黒くて長い中華服見たいなローブに同じくらい長い金髪。後ろに九尾の狐の尻尾のようなオーラが見える。美しいその佇まいとは裏腹に、全身から負が淀めいた怒りのオーラを感じた。

 もう一人は二人よりも身長が低く、長身痩躯の女性よりもギラついた金髪を靡かせたアメリカンな道化姿で、手には明々と燃える一本の松明を持っている。その松明と開きっぱなしで狂ったような瞳孔から、彼女が狂気の化身である事が容易に察せられた。

 

 

 

「ごめんなさいね、突然ぞろぞろと押しかけちゃって。実はね、今日は貴女に手伝って欲しい事があって来たの」

 

 

 

 手伝って欲しい事? 

 それを聞いた瞬間、背中をぞわりと嫌な感触が這い回った。

 

 

 

「先ずは自己紹介からしましょうか。純狐、貴女からお願い」

 

 

 

 ヘカーティア様が促すと、彼女のそばで立っていたローブの女性が恭しくお辞儀をした。

 

 

 

「……貴女がドレミーね。私は純狐。神霊と呼ばれる存在です。月の都にいる嫦娥って蝦蟇を憎んでいますわ」

 

 

 

 丁寧な言葉の端々から漏れ出す深い憎悪。あまりに強いその負の感情に、私は一瞬だけ後ろに体を退いた。そんな事などお構いなしで、今度は小さな少女が元気に手を挙げた。

 

 

 

「はいはいはーい! 次はあたいだねー! あたいはクラウンピース! 妖精だよ! ヘカ様はあたいのご主人様なんだ! よろしくね! えっと……ドラマー・プリーストさん!」

 

 

 

 なんだこの妖精は? 地上にいる他の妖精に比べて生命力が強すぎる。ヘカーティア様の部下と言っていたが、もしや彼女は地獄出身か? ……どちらにしろ、頭は同じくらい悪いらしい。

 

 

 

「クラウンピース、彼女はドラマー・プリーストじゃなくて、ドレミー・スイートよ」

 

 

 

「あっ! そうだった! ごめんなさいドレミー・スイートさん!」

 

 

 

 呆れながら訂正したヘカーティア様に応じて、クラウンピースは元気に頭を下げた。

 気味が悪い。一体何が始まると言うんだ? 

 

 

 

「それじゃあ、早速だけど本題に入るわね。純狐、説明をお願い出来るかしら?」

 

 

 

「……分かった」

 

 

 

 ヘカーティア様に促され、純狐さんが淡々と説明を開始した。

 彼女達は、月の都に住む嫦娥という蛙とその夫を憎んでいる。純狐さんは子供を殺されたから。ヘカーティア様は地獄の太陽を撃ち落とされたからとそれぞれの理由があり、出会ってすぐに意気投合した。数ヶ月後、二人は嫦娥抹殺計画を企てたが、すぐにその計画に私が必要なのに気がつき、ヘカーティア様を先頭に私の下に来たそうだ。

 

 

 

「近いうちに、私達は月の都へ攻め込みます。連中は恐らく、穢れがどうとか言う理由で何処か安全な場所へ避難するでしょう。その際、まず一番に逃げ込む可能性が高いのはここなのです。なので──」

 

 

 

「ならばこちらが先回りして策を講じ、月の都の住人が夢の世界(ここ)に来た時点で周りを生命力で満たして封殺しよう……そう言う事ですね」

 

 

 

 そして私はそれを実現させる為に、一芝居を打って奴らをここに避難するように誘導して欲しい。要するに彼女達は、私にも自分達と同じ片棒を担いで欲しい。そう言っているのだ。

 

 

 

「ごめんなさい。いきなりこんな無理難題を頼み込んでしまって。でも、貴女の協力がなければこの作戦は成り立たないの。どうか、私達の為に力を貸してくれないかしら?」

 

 

 

「あたいからもお願いします! ドレミーさん! どうかご主人の為に協力してくれないでしょうか!」

 

 

 

 普段はヘラヘラ、飄々としているヘカーティア様が、その部下と共に頭を下げた。

 どうやら私はピエロだったらしい。ヘカーティア様は私に会いたいから、毎日ここに来ているのかと思っていた。しかし、実際は自分達の復讐の為に、夢の世界を利用する為だけに私に近づき、機嫌をとるようにしていただけ。謂わばビジネスの駒程度でしか考えていなかったのだ。

 断ってやる。こんな下らない茶番で私を惑わせた挙句、厚かましく私の世界にズカズカ入り込んで、しかもいけしゃあしゃあと協力を仰ぐ奴らに、誰が協力なんかするか。

 私は大きく息を吸い込んで否定の言葉を紡ごうとした……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………仕方ないですね、分かりました。この世界を崩壊させないと約束出来るのであれば、協力致しましょう」

 

 

 

 言えなかった。いや、言えるわけがなかった。ヘカーティア様に嫌われて、彼女と二度と会えなくなってしまうのが怖かったから。

 今にして思えば、私はヘカーティア様に会った時から毒されてしまったのかもしれない。あの方の真っ直ぐになりすぎたその性格に、この世界では眩しすぎる程輝いているその瞳に。

 あぁ、あの人が見せる甘美な幻に浸れるのなら、もうどうなったって構わない。例えそれが、私を破滅に導く松明の灯りだったとしても、この人と一緒に入れるのならそれでいい。

 私の了承を得られたヘカーティア様と友人、大切な従者の三人は、飛び上がるようにして喜びを分かち合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 ステュクスの川に誓うと言う行為には、ある一定の順序がある。それを正しく行わなければ、真に契約が成立したとは言えないのだ。

 先ずは約束事をステュクスの川の名の下に誓う。雷が鳴ればそこで仮施行となるが、問題なのはここからで、誓った上でその水を飲み干さなければ永遠にその約束事は施行される事はない。

 無論、私はそれを知っている。知っていながら、彼女にそれを言わない。

 何故なら、この復讐劇自体が単なるお遊びであると知っているから。恨み、辛みはそれを正当化するだけのきっかけに過ぎず、私に協力を求めたのも遠慮を捨てられるオモチャとして拾っただけなのだ。多分、作戦は成功したとしても、その後に長い硬直状態が続いていずれ有耶無耶になるだろう。そうなれば、私はすぐに捨てられてしまう。

 

 

 

「……何処までも利用され続けるのね。私は……」

 

 

 

 いつ頃だろうか、彼女の目に私の姿が映っていない事を知ったのは。あの真っ直ぐ輝く瞳に、私の目には私の姿は映っていても、あの方の目には私の姿は映っていなかった。いつだってその目には、自分の欲と頼れる従者、そして大切な友人しか入っていなかった。それが悔しいとすら感じなくなってしまったのは、あの人が放つ甘い悪夢に浸り続けて、感覚が麻痺してしまったからなのだろうか。

 

 

 

「欲しい……欲しいよヘカーティア様……貴女の全てが欲しいんです……」

 

 

 

 ない物を求めるように、神様に縋るように、私は誰もいない部屋で天に向かって両手を差し出す。

 叶わない夢だと分かっているのに、春夢だと、蜃気楼だと分かっているのに、尚もその幻影を掴もうとする様は、見ていてとても滑稽なのだろう。ミイラ取りがミイラになったと、他の貘が見たら笑う事だろう。

 貴女が私に出会わなければ、私が貴女とさえ出会わなければ、こんな苦しみを味わう事はなかったのに。貴女が友人と一緒になって復讐するのを思い止まっていれば、こんな悪夢に苛まされる事はなかったのに。

 だけど、苦しみと引き換えに手に入れた、あのどんな蜜よりも甘いひと時は、貴女と出会わなければ絶対に手に入る事はなかったのだろう。

 だから私は思う。これは罰だと。

 地獄の底で一生の責め苦を味わうタンタロスのように、甘く熟れ、大きく膨れ上がったこの木の実(きもち)は決して収穫される事はなく、焼印のように死ぬまで痕を残す。それが、身の程知らずの私に宣告された有罪判決なのだろう。

 だからこそ私は願う。この悪夢が永遠に冷めない事を。

 ずっと、貴女の隣でその蜜を味わい続けていたい。貴女の瞳に私が映っていなくても、私は自分の瞳に貴女を映していたい。誰かに揶揄されてもいい。罵倒されてもいい。この先の運命が悲劇でもいい。私の世界、私の仕事、私の友、私の使命、私の全てを(なげう)ってしまってでも、私は貴女の側にいたい。

 悪夢を管理する私だから分かる。これは過去最高に悪イ夢だ。そこらの悪夢なんか比べ物にならないくらい危険で強く、しかし味は調節せずとも絶品なのは分かる。

 でも、一度でもそれを求めようとすれば、それは幻の如く消えてしまう。だから私はそれに手を伸ばす事が出来ない。ただ目の前にあるそれを、指を咥えて見ているしかない。

 手にする事が出来ない苦しみを感じながら、私は突っ伏して泣いた。流れ落ちた涙がパタパタと床に滲み、何事もなかったかのように消えた。

 

 

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