東方悲恋録〜hopeless&unrequited love〜   作:焼き鯖

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皆さんこんばんは。忘れた頃にやってくる男、焼き鯖です。毎度のことながら遅れて申し訳ありませんでした。

今回は、久しぶりに前後編と分かれます。書いているうちにどんどんどんどんボリュームが上がり、前編だけで16000字以上にまで及びました。

正直ここまで来るとは思わなかった……重すぎて夜に読む分には胃もたれするかもしれませんが、楽しんで頂ければ幸いです。


旅ガラスの歌(1)

 幻想郷に、夜が降りる。

 それは地底の世界とて例外ではない。人工的に作られた日輪が沈めば、同じく人工的に作られた月輪が空に浮かぶ。山の神社の二柱の神が、河童や地霊殿の八咫烏と共に作ったこの人工灯は、その正体を明かせば風情のかけらもないものだが、天井で輝くその姿は地上のそれと見まごう程精巧に作られており、地底の陰鬱な雰囲気を見事に打ち消している。

 最初は明るく騒がしかった旧都の歓楽街も、一つ、また一つと明かりが消え、徐々に闇の静けさが戻って来た頃、一人の少女がその街道を歩いていた。

 輝くような金髪を持つ彼女の手の中には、およそ幻想郷の雰囲気には似つかわしくない小さなギター……俗にウクレレという楽器があった。地底とはいえ、今日は月明かりが特別明るいから、ふと思い立って何処かで一曲弾くのだろうかと誰もが思うかもしれない。

 しかし、彼女の鬼気迫るような表情を見たらそんな呑気な考えも吹き飛んでしまうだろう。それ程までに彼女の心は荒れに荒れていたのだ。

 彼女はそうして暫く歩き続け、外れにある自分の家に帰り着いた。が、彼女は家には入らず、ぐるりと裏手に回って桶一杯に井戸水を張った。

 そのまま彼女は懐から火打ち石を取り出し、火をつけようと石を打ち鳴らす。カチカチという小さな音と共に火花が飛び、蛍のように闇に沈んだ地底の世界を照らしては消える。

 しかし、肝心の火は一向に出てこない。次第に彼女の苛立ちは濃くなり始め、それに比例して石を打ち付ける手も荒くなっていく。

 とうとう諦めた彼女は乱雑に石を投げ捨てると、叩きつけるようにウクレレを振り上げた。

 

 

 

「やぁ、こんばんは」

 

 

 

 瞬間、彼女の表情と動きが男の声によって固まる。

 ぎこちなく横を見ると、闇に溶け込みそうな程黒いコートに身を包んだ男が、恭しくシルクハットを取ってお辞儀をしていた。

 

 

 

「楽しそうだね。何してるの?」

 

 

 

 頭を上げた男の目尻には、涙のような雫と金平糖のような星がペイントされており、顔には笑顔の表情が貼りついていて怒っているのか本当に楽しくて笑っているのかすらもわからない。

 見る人が見れば恐怖しかねない状況だが、彼女の表情に恐怖の色はない。むしろ男が何故ここにいるのかという驚愕の方が大きく、ぱっくりと開かれた口からは「どうして」という言葉が今にも溢れて来そうだった。

 

 

 

「どうしたの? 何か言ってくれなきゃ僕わからないよ」

 

 

 

 暫く続いた静寂を切り裂くように男が問いかける。それに合わせるように少女の腕がだらりと下に落ちる、持っていたウクレレは力なく手から離れ、カランと地面に音を鳴らした。

 空に浮かぶ月はただ、黙ってそれを見守っているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

「アーハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 

 

 地底の世界に、狂ったような高笑いが響く。

 末期の狂人か? はたまた残酷な殺人鬼か? いや違う。答えは道化師だった……もう一度言う。この笑い声の主は道化師であり、決して狂人でも、どこぞの子供を攫う殺人鬼でもない。

 カラフルなシャツにオーバーオールという出で立ちの赤鼻の彼は、頬に星と雫のペイントを施し、旧地獄の通りの一角で玉乗りジャグリングを披露している。集まった子供達は皆楽しそうに手を叩き、もっとやってと大はしゃぎ。遂には通行人も見物し始め、ちょっとした大道芸ショーの様相を呈していた。

 そのうち調子が出て来たのか、ピエロはいきなり持っていたクラブを高く放り投げ、その勢いのまま軽やかに跳んで身を下に翻した。

 恐らく逆立ちをしたかったのだろう。翻したまでは良かったがボールに手がついた瞬間、バランスを崩して滑り落ち、そのまま思いっきり顔を打ち付けてしまった。それだけならまだいいが、落下してくるクラブの事を計算に入れていなかったらしく、ゴンゴンゴンと小気味のいい音を立ててクラブは頭に墜落した。

 その様子を見て子供達や見物人は大いに笑い、拍手をする。立ち直りが早いのかピエロはすぐに立ち上がってお辞儀をし、「みんなありがとー!」と、無邪気な挨拶をしていた。

 

 

 

「……何あれ」

 

 

 

 その様子を遠巻きから眺めている三人の少女。そのうちの一人が侮蔑を込めた表情で呟いた。

 

 

 

「馬鹿らしい。たかが玉乗り失敗しただけじゃない。なのにあれだけの拍手なんて、妬ましいにも程があるわ」

 

 

 

「あれ、今噂のピエロのQちゃんだよ。数日前に突然現れてさ、あんな風に色んな芸を子供達に披露してるんだって。パルスィ知らなかったの?」

 

 

 

「私は知ってた……パルスィ、遅れてる……」

 

 

 

「ちょっとキスメ、これでも私は橋姫よ? ずっと橋の番をしてたけど、あんな奴一回も通った事はなかったわ」

 

 

 

 パルスィと呼ばれるエルフ耳の少女が、ジトリと桶に入った女の子を見つめ、そう返す。キスメと呼ばれた桶の少女もまた、同じようにパルスィを見つめ返し、「だってホントの事……」と挑発し、残されたもう一人の金髪少女がそこまでと二人の間に入って諌める。

 

 

 

「はいはい。パルスィ、そんな事でいちいち怒らないの大人気ない。それよりキスメ、早く行かないとあの人にお礼出来なくなるよ?」

 

 

 

「一番子供っぽいヤマメに言われたくないわ。自称アイドルと名乗っていれば全て許されると考えてるその根性が妬ましい」

 

 

 

「同感……今日の待ち合わせに遅刻した人に言われても……説得力ない……」

 

 

 

「二人とも酷くない!? 私には正論を言う権利すらないの!?」

 

 

 

「ねぇパルスィ……そんな事より……早く行こう? ……こんな事してる暇なんてないの……」

 

 

 

「そうね。誰かさんのせいで余計な時間食っちゃったわ」

 

 

 

「あんたらのせいでしょーが全く……って! あぁもう私を置いていくなー!」

 

 

 

 ヤマメと呼ばれる少女が騒ぐ中、パルスィとキスメがスタスタと先を行く。一見すると不仲にも見えるが、彼女らにとってはこれが通常運転である。物静かなキスメと真面目なパルスィと、ムードメーカーないじられ役のヤマメ。性格こそ真逆の三人組だが、それぞれがそれぞれの短所を補い合う、まさに親友と言った間柄だった。

 そのキスメが、通りかかった人間に助けられたという。

 地霊殿の八咫烏が起こした異変以降、地上から大勢の人間や妖怪が行き来するようになり、旧地獄は昔と比べて大分賑やかになった。しかし、まだ差別意識が払拭されておらず、観光客の中には平気で暴力を振るい、心無い罵倒を浴びせる輩が少なくなかった。

 キスメも、その被害を受けた者の一人だった。彼女の場合は見た目とは裏腹の凶暴性を隠すために、ヤマメやパルスィから大人しくしていろと言われていたのが仇となり、連日のように攻撃されていた。旧都の面々に心配かけまいと黙っていたが、収まるどころか寧ろ激化する一方で、終わりの兆しが見える事はなかった。

 そんなある日の事である。

 

 

 

「おいおい……あんたら、こんな所で何やってんだ」

 

 

 

 いよいよ攻撃が本格化し、キスメが三人のチンピラに囲まれていた時、一人の男がふらりとやってきて、のんびりとした口調でそう咎めた。

 

 

 

「なんだテメェは。関係ないだろ」

 

 

 

「大ありさ。俺はあんたらと同じ人間だとは思われたくないからな」

 

 

 

 男は尚ものんびりとしてチンピラ達を見つめている。と、三人の中で一番ガタイのいい者が、ねめつけるように男に近づいた。

 

 

 

「この俺が誰か分かってんのか? 天下の大入道様に向かって舐めた口聞いてんじゃねぇよ。沈めるぞオラ」

 

 

 

 脅すように言うと、男は興味深そうに目を少し見開いた。

 

 

 

「へぇ……生コンクリートもなしに俺を沈めるって言うのか。興味があるな、具体的にどうやるんだ?」

 

 

 

「決まってんだろ……オメェら! やっちまえ!」

 

 

 

 瞬間、後ろに控えていた二人が襲いかかる。頭目よりも劣るとはいえ、後の二人もかなり体つきがいい。苦戦は必至であるとキスメが考え、包丁を抜こうと手をかけたその時、

 

 

 

「はっ!」

 

 

 

 ほぼ一瞬の事であった。襲いかかってきたチンピラはボロボロの状態で地に伏されていた。にもかかわらず、襲われた男は汗一つかいておらず、それどころか息も上がっていない。

 

 

 

「……単なるハッタリなら、それなりの実力をつけてからものを言うんだな」

 

 

 

「チッ……オメェら! ずらかるぞ!」

 

 

 

 男が睨みつけると、悔しそうに顔を歪めてチンピラ達は逃げ出して行く。その姿が見えなくなるのを待ってから、男はキスメに声をかけた。

 

 

 

「お嬢ちゃん、怪我はないかい? あんな奴らに囲まれたら大声で叫ばなきゃダメじゃないか」

 

 

 

「……別に……あんな奴ら……その気になれば一瞬で……殺せた……」

 

 

 

「……そうかそうか、お嬢ちゃんは強いのか。だから今までどんなに酷いことされても、何もせずに黙って耐えて来たのか」

 

 

 

 のんびりとした、それでも強い労わりを持った声色で男はキスメの頭を撫でる。拒絶されると思っていたキスメは、男の予想外の行動に驚き、目を見開いた。

 それを知ってか知らずか、男はスッと立ち上がってこう尋ねた。

 

 

 

「ところでお嬢ちゃん、貧民街が何処にあるか知ってるかな? 貧乏な人達が住んでいる場所なんだけど……」

 

 

 

「えっと……あっち……」

 

 

 

 キスメが指差すと、男はニコリと笑って「そっか、ありがとう」と頭を撫で、荷物を持って歩き始めた。

 

 

 

「……あ、そうそう。さっきの事、君の家族か友達に報告した方がいいよ」

 

 

 

「……ふざけないで。私は……」

 

 

 

「分かってるよ。君は強い。だからこそ、何処かで必ずボロが出る。妖怪は精神が主体だから、このままだと確実に死ぬ。後、上手く髪の毛で隠しているつもりかもしれないけど、その痣も近いうちにバレて問題になるよ?」

 

 

 

 言われて、キスメは右の頬に触れる。男の言う通り、あと少し髪が短ければ確実に見える位置に大きな痣があった。「お嬢ちゃん的にはむしろそっちの方が困るんじゃないのかな?」と、男は笑いながら尋ねた。

 

 

 

「……貴方……一体……」

 

 

 

「単なるお節介焼きのおじさんさ。じゃあね、縁があったら、また会おう」

 

 

 

 そう言って男は路地裏に消えた。

 この一件によってキスメはパルスィらに守られるようになり、事態も段々と沈静化していった。が、男の姿を見ることは二度となかったという。

 

 

 

「……で、ここがキスメの言ってた恩人が住んでるところ?」

 

 

 

 そして現在。

 ヤマメがそう問いかけると、キスメはコクリと頷いて「間違いない……」と呟く。

 大通りを抜け、路地裏の貧民街を少し進んだ三人の目の前には、使い込まれた古いテントがあった。

 地底にもテントは少数ながら存在するが、目の前のそれは明らかに外の世界の代物であり、大きさも他と比べて立ち上がった人がすっぽりと入る程の大きさだった。

 どうやらキスメの恩人に似た人が、この近辺で目撃されているらしい。

 

 

 

「見間違いじゃないの? 確かキスメが助けられた人って……」

 

 

 

「黒くて高い帽子と……コートを着てた……後、大きな鞄も持ってた……」

 

 

 

「ならそれなりに身分がある人よ。そんな人が貧民街に住むなんてあり得ないわ」

 

 

 

「パルスィ、そう焦らないでさ、少し待ってみようよ。時間はまだあるんだし」

 

 

 

 ヤマメが取りなそうとした時、リズミカルな靴の音が背後から聞こえてきた。振り返ると先ほどのピエロが、珍しい物を見るような目でこちらを見つめていた。

 

 

 

「あれー、お客さんなんて珍しいねー。どうしたのー? 僕に何か用ー?」

 

 

 

 通りで見た時と変わらない陽気さに、パルスィは思わず顔をしかめた。

 

 

 

「お姉さん怖い顔だねー。そんなんじゃ幸せは歩いて来ないよー? もっと肩の力抜いて笑わないとー」

 

 

 

「私はアンタに顔をしかめたの! 何? 自分は悪くないとでも思ってるわけ? ふざけた事言ってると呪い殺すわよ!」

 

 

 

「まぁまぁパルスィ。ここは私に任せて……ねぇ、Qちゃん。ここって君の家なの?」

 

 

 

 ヤマメがそう尋ねると、ピエロは「そうだよー!」と元気に答えた。

 

 

 

「じゃあさ、この辺りに黒いコートを着た男の人を見たことないかな? この子が前に助けられたって言ってるんだけど……」

 

 

 

 ヤマメがそう訊いた瞬間、ピエロの表情が固まった。楽しげな笑顔は一転して真面目な表情に変わり、掲げた腕はゆっくり下がっていく。まるで憑き物が落ちたかのように雰囲気が静かなものになっていた。

 

 

 

「……分かった。ちょっと待っててね」

 

 

 

 そう言って彼はテントの中に入っていった。それを見計らってパルスィが「何あいつ、ホントムカつくわ!」と吐き捨てるように呟く。

 

 

 

「……あのねぇパルスィ、幾ら何でもその言い方はないと思うよ? 見てよ、キスメが完全に怖がってんじゃん」

 

 

 

「今日のパルスィ……なんか……怖い……」

 

 

 

 普段滅多に怖がる事のないキスメが、呆れるヤマメの影に隠れて震えている。だが、今のパルスィにとってそれは脅しの道具にすらなっていないらしい。尚も二人に向かって攻撃的な態度を取り続ける。

 

 

 

「あんな奴を信用しろって方がおかしいわよ! どう考えたって怪しいじゃない!」

 

 

 

「そうかなぁ? 私はそうは思わないよ。なんて言うのかな……ロマン? 安らぎ? ……うーん、とにかく、Qちゃんには他の人には無い特別な何かがあるんだよ!」

 

 

 

「えらくふわっとしてるわね。それだからアンタは自称アイドルなのよ!」

 

 

 

「なにおう! そこまで言われたら幾らヤマメちゃんでも怒るよ!」

 

 

 

 両者の間に火花が走る。その瞬間、バサリと音を立ててテントが開かれた。

 中から出て来たのは、キスメが言った特徴と一致する服装をしたピエロだった。しかし、先程の騒がしさは鳴りを潜めており、思慮深く冷静な表情を湛えながらこちらを見つめている。

 

 

 

「……お待たせ致しました」

 

 

 

 静謐で柔らかな声。だが、その裏から見え隠れする確かな熱意を感じさせるその声が、その場の空気をあっという間に支配する。

 あれ程の騒々しさを見せていながらそれを一切感じさせないそのスイッチの切り替え方に、ヤマメとパルスィは何も答える事が出来なかった。ただ一人、キスメだけは「……おじさん……久しぶり……!」と顔を輝かせながら、入っている桶ごと彼の足元に飛びついた。

 

 

 

「……やぁ、この姿では久しぶり。元気そうで何よりだよ」

 

 

 

「あの二人が守ってくれた……」

 

 

 

「そっか、それを聞いてホッとしたよ……声、掛けられなくてごめんね。ショーで見かけた時から心配だったんだ」

 

 

 

「……頭撫でてくれたら、許してあげる……」

 

 

 

「お安い御用さ」

 

 

 

 そのまま優しい手つきで頭を撫でると、気持ち良さそうな声を上げながら更に擦り寄せてくる。そんなキスメに微笑みながら、男は二人の方に向き直った。

 

 

 

「……申し遅れました、烏丸久兵衛と申します。こんななりをしていますが医者をやっています。以後お見知り置きを」

 

 

 

「あ……あぁ! こちらこそ宜しく。私は黒谷ヤマメ。その桶の子がキスメで、こっちの嫉しそうな奴が水橋パルスィだよ」

 

 

 

 出遅れたヤマメが慌てて挨拶を交わす。それを受けた久兵衛は「宜しくお願いします」と三人に頭を下げた。

 

 

 

「まさかピエロのQちゃんがキスメの恩人だったとはねぇ……正直言って驚いたよ」

 

 

 

「よく言われます。まぁ……慣れたものですけどね」

 

 

 

 ため息混じりのヤマメの呟きに、久兵衛は笑顔で返す。緊張の糸が解れてきたのか、ヤマメの方にも笑顔が浮かぶ。

 

 

 

「いやぁ、それにしてもQちゃ……久兵衛さんの芸は凄いねぇ。いつも楽しませて貰ってるよ」

 

 

 

「ありがとうございます。本業の片手間ですが、そう言われると嬉しいです」

 

 

 

「そう言えば医者もやっているんだったね。なんで今まで隠してたのさ」

 

 

 

「……機会がなかっただけです。色んな所を回っていたので、中々……ね」

 

 

 

「そうなんだ……あ、じゃあ今から歓迎会をやろうよ! 勇儀に頼んで場所用意してもらってさ! みんなも呼んでワイワイ騒げばきっと楽しく──」

 

 

 

 そこでヤマメの言葉は断ち切られた。彼女の後ろから、言いようのない殺気を感じたからだ。

 恐る恐る振り向くと、緑色の瘴気をまき散らし、ギラギラと目を光らせたパルスィが、憎々しげに睨みつけていた。

 

 

 

「ヤマメ! 何勝手な事言ってんのよ! 私は許さないわよ!」

 

 

 

 普段は理知的な彼女にしては珍しい、怒りがこもった声色が辺りに響く。

 

 

 

「大体、アンタ達は甘すぎるのよ! 何処の馬の骨とも分からない奴にこんな早くから心を許すなんて! 妬ましいにもほどがあるわ!」

 

 

 

「だけどパルスィ、こうでもしなきゃ何も始まらないでしょ? それに……」

 

 

 

「何を始めるのよ! むしろ始めなくていいわよ! だって……」

 

 

 

「パルスィ!」

 

 

 

 遂にヤマメが声を荒げた。パルスィの口が閉じられ、キスメは驚いて肩を竦める。

 

 

 

「確かに、パルスィが余所者に対していい感情を持ってないのは分かるよ。けど、今回ばかりは少し行き過ぎてる。もし久兵衛さんが悪い人だったらキスメはきっと助かってなかったと思うし、仮に悪い奴だったらとっくに勇儀が追い出してるよ。旧地獄の結束力は伊達じゃないのは知ってるでしょ?」

 

 

 

「それでも……私は認めないわ。こんな奴を歓迎するなんて出来ない」

 

 

 

「パルスィ……」

 

 

 

 尚もヤマメが説得に臨もうとしたその時、

 

 

 

「それなら……俺が歓迎会を開きましょうか?」

 

 

 

 割って入ってきた久兵衛が、遠慮がちにそう提案した。

 

 

 

「俺もしばらく滞在する予定ですし、自由制にしておけば無理に来なくても大丈夫かなと思います。何かしらのルールがあるならまた別の案を考えますが……」

 

 

 

「いや、特にルールとかは決めてないよ。けど……いいの? 久兵衛さんは客人だから、逆に私たちが取り仕切らなきゃいけないんだけど……」

 

 

 

「構いませんよ、こう言った事には慣れてますので」

 

 

 

「……私は……賛成」

 

 

 

 彼のコートの裾を掴んだキスメも、嬉しそうに同調した。

 

 

 

「じゃあ決まりだね。呼びかけは私達がやるから……それでいいよね? パルスィ」

 

 

 

「……勝手にすれば? 私はもう帰るから」

 

 

 

 言い残して、彼女は三人から背を向けて歩き出した。キスメもヤマメも、呼び止めることはなかった。

 少し先で路地を曲がった所で、大きな、大きなため息をつく。侮蔑と呆れが入り混じった、重いため息だった。

 やがて、後ろの方から楽しそうな声が聞こえ始めた。本格的に計画を立て始めたのか、それとも何か別の事で盛り上がっているのか。どちらにせよ嫌な気持ちになるのは変わらない。

 後から鉢合わせるのが嫌だから、わざと舌打ちをして一歩を踏み出した。爪先に当たった石ころが、爪弾きになった今の自分を見ているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 烏丸久兵衛の名は、歓迎会をキッカケに旧地獄全体に広まっていった。

 広まったと言っても、ピエロの正体がわかったと言うだけで、特に尾ひれがついた胡散臭い噂が流れた訳ではない。が、行われた歓迎会の規模がとても大きかった事と、元の職業が医者ということが集まった人々を驚かせ、その場にいた参加者から大きな信頼を寄せられるようになったのである。

 無論、突如として地底に現れた事を不審がる住民も多かったが、貧民街で無償で治療や診察を行なっているという話が流れると態度が一気に軟化していった。

 ただ一人を除いては、だが。

 

 

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハ! みんなありがとー!」

 

 

 

 今日も彼は、観客に向けて芸を披露する。まるでそれが使命だと言うように大きな声で笑いながら。

 それがパルスィには気に食わなかった。ヘマばかりミスばかりで馬鹿にされるような事しかしていないのに、地底の住民にここまで愛され、元から地上との交流に反対だった妖怪にも信頼されている。その状況が、今まで続いていた地底の排他的な姿勢を真っ向から否定されているようで、彼女の焦燥感を余計に煽り立てていた。

 声が聞こえる度に、あのピエロの姿を見る度に、耳を塞いで顔を背けて、他人事を決め込もうと何度も試みても、ヤマメやキスメがそちらに行ってしまっては付き合う他ない。そしてまた苛立ちが募っていく。この悪循環を、彼女は抜け出せないでいた。

 

 

 

「今日も楽しかったー! やっぱりQちゃんの芸は最高だね! 私も見習わないと!」

 

 

 

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、ショーを見終わった帰りの道で、大きく伸びをしながらヤマメがそう洩らす。呑気なものだ。奴の腹中が真っ黒だったら、それこそ一溜まりもないと言うのに。

 

 

 

「……ヤマメ、キスメはどうしたの?」

 

 

 

 燻った自分の気持ちを踏み消すように、パルスィはそう問いかける。

 

 

 

「もうちょっとQちゃんと遊びたいってさ。人気だよねーQちゃん」

 

 

 

「……ねぇ、ヤマメ。どうしてみんなあの男を信じるの? あんな二重人格の塊みたいな奴に、どうしてみんな心を開けるの?」

 

 

 

「え? ……うーん……」

 

 

 

 少し悩んだ末、ヤマメは改めてこう答えた。

 

 

 

「パルスィは知らないかもしれないけど、久兵衛さん、最後までパルスィの事を心配してたの。どうやったらあの人を呼べるのかなって」

 

 

 

「そんな薄っぺらな心配、私でも出来るわ。それだけでここまで信頼できるそのお気楽さが妬ましい」

 

 

 

「待って、まだ続きがあるの。歓迎会の後だったかな、私一人で遊びに行った時、あの人、餓鬼の子供を診察してたの」

 

 

 

「医者だから診察するのは当たり前じゃ……ちょっと待って。今、餓鬼って……」

 

 

 

 驚愕の表情を浮かべるパルスィに対し、ヤマメは力強く頷く。

 彼女が驚くのも無理はなかった。飢饉通りとも呼ばれているあの貧民街には、餓鬼が多く住んでおり、地霊殿の主ですら手を出す事は滅多にない。悪人から転生した彼らにとってはそれが普通であるし、近づくだけで尋常じゃない程の飢えと渇きに苦しめられるからだ。

 

 

 

「それだけじゃないの、あの人診察代も薬代も出してないの。全部無料でやってるんだよ」

 

 

 

「なんで……そんな……」

 

 

 

 馬鹿みたいな事を。

 言いかけたその時、

 

 

 

「よぅお二人さん、もうあの芸は終わっちまったのかい?」

 

 

 

 妙に艶やかな声と共に、前方から星熊勇儀が姿を現した。湯上りの後だろうか顔はほんのりと上気し、紫色の振袖が少しはだけている。

 

 

 

「あ、勇儀ー。もう終わっちゃったよ。もう少し早ければ見れたのに、残念だったね」

 

 

 

「仕方ないさ、こう言うのは縁あってのものだからね。それより……」

 

 

 

 一度言葉を切り、勇儀はパルスィに顔を向ける。からかい半分のにやけ顔が、余計に彼女の心に波風を立たせる。

 

 

 

「珍しいじゃないか、パルスィが久兵衛の芸を見に行くなんて。ああいう賑やかな場所には足が向かないもんだと思っていたんだが」

 

 

 

「私だって本当は行きたくはないわよ。ヤマメやキスメに合わせて仕方なく行ってるだけで、本来だったら素通りしていくわ」

 

 

 

「ナッハッハッハ! 相変わらずパルスィは言葉にキレがあるねぇ!」

 

 

 

 豪快に笑いながら、勇儀は手に持った朱盆を傾ける。純米大吟醸特有の甘い香りが、辺り一帯に広がった。

 

 

 

「勇儀こそ珍しいじゃない。あんな余所者の芸を楽しみにするなんて。らしくないわ」

 

 

 

 呑み終わった頃を見計らって、パルスィは言葉を返す。皮肉交じりの物言いに、勇儀は少し渋い顔をした。

 

 

 

「おいおい、そりゃ何週間か前までの話だろ? あたしはアイツやあの魔法使いを通じて変わったんだ。そんな考え、とうに捨てちまったよ」

 

 

 

「……裏切り者」

 

 

 

「何とでも言うがいいさ。これがあたしなりの答えだからね」

 

 

 

 元々、星熊勇儀は地上との交流に反対していた。人間や妖怪が段々と知恵をつけ、小狡いやり方で鬼を狩っていく様子を見ているうちに、楽しみを見出せなくなってしまったからだった。その考えはとても堅牢で、先の異変で霧雨魔理沙と個人的な交流を持った中でも変わることはなく、パルスィのような反対派にとって彼女は砦のような存在だった。

 それが、烏丸久兵衛の登場で大きく変わった。

 宴会の中で彼女が何を吹き込まれたのか、それはパルスィには分からないが、宴会の次の日には、もう彼女の考えは変わっていた。

 それだけなら、まだ良かった。

 

 

 

「なぁ、パルスィ。もう意地を張るのはやめて、あたしと仲直りをしようじゃないか。このまま続けていても、お前がきついだけだろう?」

 

 

 

「お生憎様。嘘つきの裏切り者に心配される程私は落ちぶれていないわ」

 

 

 

 カッとなって、強い口調で言い返す。「どういうことだ」と、訊ね返した勇儀の顔が、少し気色ばむ。

 勇儀は自他共に認める姉御肌である。

 面倒見が良く、それでいて愚痴の一つも吐かないため、旧地獄の顔役として地上との関わりを取り持っている。同時に旧地獄全体の統治の一端も担っているため、内外問わず、彼女の指示に付き従う者は多い。

 その世話焼き気質故に、孤立したものを放っておけない。否、おかないと言った方が正しいだろう。それが勇儀の長所でもあるが、今の地底の現状を受け入れられないパルスィにとっては敵以外の何者でもなかった。

 

 

 

「だってそうじゃない。嘘をつかない鬼が、たった一度の宴会であんなふざけた男にほだされて、私達を裏切って。嘘つき以外の何があるのよ」

 

 

 

「おいおい、一つ言っておくが、あたしは考えを変えただけで嘘をついた覚えはないぞ? パルスィが勝手にそう思っているだけだ。あたしはこれまでも、そしてこれからも嘘をつく気はない」

 

 

 

「じゃあ言い方を変えるわ。お節介焼きのお山の大将に心配される筋合いはない」

 

 

 

「パルスィ、あたしゃ仏様じゃないんだ。今、辺りが木っ端微塵じゃないだけありがたいと思いなよ?」

 

 

 

 みしりと空気が悲鳴をあげた。気がつけば彼女の表情から笑顔は消え失せ、背後が紅く揺らめき始めていた。それを見たパルスィもまた、淀んだ緑の瘴気を発しながら睨み返す。

 どちらも、こうと決めたら動かない頑固者である。その場の空気は張り詰め、あっという間に一触即発の状態と相成ってしまった。

 

 

 

「あわわ……二人とも落ち着こうよ! 争ったって何にもならないよ!」

 

 

 

 慌てたヤマメが止めに入るが、二人の耳には届いていない。地が震え、今にも掴みかからんばかりの彼女らを止める術を、ヤマメは持ち合わせていなかった。

 もうダメかと目をつぶって、はたと気付いた。この地響きはここが震源地ではない。もっと遠くの方から響いているのだと。

 耳をすましてみると、地響きは確かに向こうから聞こえてきた。それも、何処かで聞いた事のあるような甲高い笑い声を伴って。こんな馬鹿みたいな笑い声は、ただ一人を除いてこの地底では聞いた事がない。

 まさか……。

 

 

 

「ヤァァァァァァマァァァァァァメェェェェェェェェ! パァァァァァァルゥゥゥゥゥゥスィィィィィィィィィィィィ!」

 

 

 

 ヤマメの予想通り、殆ど絶叫のような呼び声と共に、見慣れたピエロが三人に向かって突っ込んで来た。

 

 

 

「きゅ、久兵衛さん! どうしたのさ一体!」

 

 

 

「アハハハハ! お届け物だよー!」

 

 

 

 言われて気づいた。彼の両腕は頭上に掲げられており、その上には桶に乗ったキスメが乗っている。風を思いっきり受けて凄い顔になっているが、運び方はどうあれキスメを送り届けてくれたようだった。

 だが、どう考えてもスピードが速い。このままでは壁にぶつかってしまう。

 

 

 

「ちょっと久兵衛さん! 早く止まってよ! 二人が怪我したらどうするのさ!」

 

 

 

「だいじょーぶ! 僕に任せてー! キスメちゃん! しっかりつかまっててよー!」

 

 

 

 能天気に言い放ち、久兵衛は更にスピードを上げる。もうダメだ、ぶつかるとヤマメが顔を背けた。

 刹那、久兵衛の足が壁を踏み上げ、勢いそのままに空中へと舞い上がった。無論、キスメは桶に入ったままだが、ふるいを被せて逆さにしたコップの中の水のように、髪の一本も地面に落ちることはなかった。

 そのまま軽やかに着地し、ゆっくりと桶を下ろす。そのあまりにも見事なとんぼ返りに、自然と拍手が巻き起こる。

 

 

 

「もー、びっくりしたじゃん! あのままぶつかるかと思っちゃったよ! でも流石久兵衛さんだね! あんなの私じゃ出来ないよ!」

 

 

 

「……凄かった……! ねぇQちゃん……もう一回……やって……!」

 

 

 

「いやー、やるなぁ久兵衛! あんな綺麗な宙返りは見たことがない! 矢張り本職はキレが違うねぇ!」

 

 

 

 三者三様の褒め言葉が飛び交い、久兵衛に浴びせられていく中、パルスィだけは違っていた。嫉妬や苛立ちに支配されがちな彼女であるが、この時ばかりは驚きの感情に心が満たされ、言葉を失っていた。同時に何か、驚きとは別のドキドキが、湧き始めた地下水のように少しずつ心に浸透していくのが分かった。

 

 

 

 ──ありえない。

 

 

 

 我に帰った彼女は、すぐにそれを打ち消した。何故ならそれは彼女とは最も無縁で──しかし最も近い感覚であり、しかも向けられている相手が自分が嫌うあの余所者であるからだった。純度百パーセントの嫉妬から生まれた、負の感情の権化とも思われる彼女が、降って湧いたようなこの感覚をすぐさま否定しようとするのも無理はない。

 しかし、真っ向からどれだけ否定しようとしても、自分の心をどれだけ無視しようとしても、湧きだす何かを止める事は出来ない。あっと言う間に心は何かに奪われ、満たされてしまった。

 

 

 

「パールースィー! どうだったー? 僕、凄かったでしょー!」

 

 

 

 そんな事など知る由もなく、ピエロのQちゃんは無邪気に手を振って笑う。それがまたコプリと何かを湧き立たせ、また否定しようと心を背ける。その度に彼女の頭はドンドン混乱し、口も段々と固く閉じられていく。

 どうすればいいか分からなくなった末に、彼女は何も言わず、立ち去る事を選んだ。後ろから久兵衛とヤマメが騒ぎ立てているが、知った事ではないと心の中で嘯き、更に歩みを進めた。

 生まれて初めてのこの感覚は、実に最悪な形で体験する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 それから二週間程経ったある日の事だった。

 その日は珍しく、パルスィ一人であった。ヤマメは「Qちゃんに負けてらんないよ!」とアイドル活動に意気揚々と出かけて行き、キスメは「こいしちゃんと遊ぶ……」と地霊殿に向かったため、唯一予定のなかったパルスィは、宙ぶらりんになった時間を持て余す事となった。

 時間はたっぷりあるが、やる事がない。いつもはあの二人がそばにいて、始終彼女を振り回すものだから一人になりたいと常々考えていた。だが、いざ一人になってみると、こうも暇なものなのかと思ったのも事実である。

 考えた末、彼女は買い物に行く事に決めた。丁度いくつかの日用品を切らしていた為、順当と言えば順当な事であった。

 日用品の他、ちょっとした食料品や酒を買い込み、悠々と旧地獄街道を歩く。人工灯がさんさんと降り注ぎ、昼過ぎ特有の活気ある旧都の街道。右を見ればねじり鉢巻を巻いた八百屋の鬼が威勢良く客を呼び込んでおり、左をみれば七人ミサキが営む食堂が今日も大入り満員である。矢張りここは自分達忌み嫌われた妖怪の楽園なのだ。あんな愚鈍な余所者なんかに染められてたまるか。

 そう再認識したところで──その一番会いたくない余所者に出くわしてしまった。

 視線を戻した先にいる、彼女が嫌うあのピエロの男。しかし、今日はどうにも様子がおかしい。あの騒がしい声や動きが全くないし、周りに人が全くいない。

 というよりも、芸そのものをしていなかった。ジャグリングのグラブも、軽業用のはしごも、玉乗りのためのボールもない。それどころか、あの赤鼻も身につけていない。初めて会ったあの黒いコートにシルクハットの姿で通りの邪魔にならない一角に腰を下ろし、一人の痩せこけた子供に向かって何やら話をしている。

 不思議と、足がそこへ向いていた。あんなに騒がしかった男が、どうしてここまで静かになれるのかが気になったのだ。

 

 

 

「……だから、君は嫌われてなんかいないんだよ。少なくとも、俺は君の事大好きだし。確かに地上の人間には、酷い事をする人もいるよ。けど、それは君達地底の人の事を知らないからなんだ。そんなに酷い、怖い妖怪じゃないんだよって教えてあげれば、きっと分かり合える日が来ると思う」

 

 

 

 普段の表情とは違う、穏やか表情を浮かべながら、ゆっくりと語りかける久兵衛。話を聴いている子供もまた、見入るように久兵衛の話に耳を傾けており、その顔つきはまさに真剣そのものと言った感じだった。

 ふと、久兵衛と目があった。その時のに浮かべた彼の柔らかな、それでも嬉しそうに輝いた目に、思わずパルスィは目を背けた。

 

 

 

「というわけで、今日はここまで。また何か質問があったら、遠慮なく言って下さいね」

 

 

 

 落ち着いた目つきに戻った彼が、その子供を笑顔で送り出す。

 彼がいなくなったところで、久兵衛はパルスィに声をかけた。

 

 

 

「こんにちは。来ていたんですね」

 

 

 

「……別に、来たくて来たわけじゃないわ」

 

 

 

 ぶっきらぼうに返すも、「そうですか」お構いなしと言った感じで久兵衛はニコリと微笑んだ。

 

 

 

「……さっきまで一体何やってたの?」

 

 

 

「カウンセリングです」

 

 

 

「カウンセリング?」

 

 

 

「はい、()()姿()の時はよく行なっているんです」

 

 

 

 久兵衛によると、月に何回か診察の合間に行っており、あの子は常連だと言う。

 

 

 

「あの子は、自分の出自を知らないまま迫害されて、ここに流れついたらしいです。半妖である事は何となく分かるけど、父母がどんな人であったかは分からない。だから自分は孤独だと嘆いていました。あの子だけに限らず、そう言った妖怪の方はこの貧民街に多く住んでいます。俺はそんな方々の相談を聞いて、少しでも心が軽くなるようにしているんです。これが結構好評でして。この前なんか──」

 

 

 

 嬉々として語る久兵衛の姿。その分かったような口ぶりが、彼女の怒りのスイッチを押した。

 

 

 

「……気に食わないわ」

 

 

 

「え?」

 

 

 

「気に食わないって言ったのよ! あんたの話は所詮、理想論でしかないわ。現実は違う。私達は嫌われ者で、居場所はここにしかない。本当は地上で生きていたいと願う奴もいたわ。けど! 私達がどれだけ危害を加えないと説明しても、地上の奴らは耳一つ貸してくれなかった! あんた達は私達の叫びを黙殺したのよ! だから、事実を隠して子供達に無責任な希望を植え付ける、あんたのその薄っぺらで知ったような言葉が気に食わないのよ!」

 

 

 

 予想以上に大きな声で叫んでいたらしい。通りの多くがこちらを向いた。思わず口元を手で覆い隠す。

 しかし、彼女は間違った事を言ったとは一度も思わなかった。実際にパルスィやキスメが受けて来た事であり、嘘偽りのない事実だからだ。

 当の久兵衛は、しばらくの間悲しい目でパルスィを見つめていた。何も語らず、何も動かず、ただ真っ直ぐに、彼女の叫びを黙って聞いていた。

 やがて、

 

 

 

「……申し訳ありませんでした」

 

 

 

 やもすれば土下座と見間違うほどに深々と頭を下げ、パルスィに謝罪をした。

 

 

 

「パルスィさんの言う通り、少々出しゃばり過ぎました。何より、まさかそんな深い傷を負っていたとは思ってもみなかったので……地上を代表して、俺が謝ります」

 

 

 

 流石のパルスィも、これには面食らった。謝る義理はないはずなのに、ここまで深々と謝罪をされるのは想定していなかったからだ。

 それでも気を取り直し、言葉を口にしようとしたところで、ただ、と久兵衛が顔を上げた。

 

 

 

「俺は、カウンセリングを辞めるつもりは一切ありません」

 

 

 

 次に返って来た答えは、パルスィの怒りを再び呼び起こすには十分な代物だった。しかし、パルスィは先程のように怒鳴る事はしなかった。否、出来なかったと言った方が正しいかもしれない。

 何故なら、彼女を見つめる彼の目が、迷いが一切ないスッキリと晴れた目をしていたからだった。

 

 

 

「勿論、ショーも辞めるつもりもありません。少し自重するとは思いますが」

 

 

 

「そ……それが問題だと言っているのよ。思いっきり首突っ込んでるじゃない」

 

 

 

 自分でも的外れな反論だとは分かっているものの、ついそれを口にしてしまう。

 

 

 

「……お願いします。せめて俺がここを旅立つ間まででいいので、どうか続けさせて下さい」

 

 

 

「だ……大体、旅人のあんたが、知らない人の為にどうしてここまでするのよ。すぐに出て行く余所者のあんたに、ここまでされる義理はないわ」

 

 

 

「知らないからこそ、ですよ。知らないから、俺はその人に対して全力になれるんです」

 

 

 

「……それが、例え私や他の誰かに受け入れられないとしても?」

 

 

 

「はい。これまでも、そしてこれからもそうしていくつもりです。それが俺の使命ですから」

 

 

 

 笑顔で、それも真っ直ぐな言葉で答える久兵衛とは対照的に、どんどんと小さく、勢いが落ちていくパルスィ。

 分からない。これだけ自分が真っ向から否定しても、彼の目には光が消えていない。普通だったらもう心が折れていてもいい頃合いで、とっくに街を出ているはずだ。

 それだけではない。パルスィだけでなく、受け入れられる前は他の妖怪にも白い目で見られていただろうし、何よりここに来る街の何処かで、ありもしない噂話をたてられた可能性もある。心が折れるどころか廃人としてボロボロになっていてもおかしくはない。

 だというのに、この男は心も含めて死んでいない。自分の使命を全うするという大義名分があるとしても、彼をここまで支える事は不可能なはずだ。

 

 

 

「……貴方は」

 

 

 

 急に呼び方を変えたのが気になったのか、久兵衛はきょとんと小首を傾げる。

 

 

 

「貴方は、それでいいの? 私みたいに罵倒されたり、変な噂が広まったりして、誰からも守られる事がなくなっても、人を笑わせて、助け続ける気なの?」

 

 

 

 この問いかけに、久兵衛は一瞬口をつぐんだ。どうやら過去にこういう事があったらしい。顔を伏せ、悲しげな雰囲気が漂っている。

 しかし。

 

 

 

「……優しいなぁ」

 

 

 

 顔を上げた久兵衛は、痛々しいくらいに、笑っていた。

 

 

 

「そんな事、旅を始めてから一度も聞かれた事がありませんでしたよ。心配してくれて、ありがとうございます」

 

 

 

 でも、と久兵衛は強がりな笑顔のまま言葉を続ける。

 

 

 

「俺は平気です。もう慣れちゃいましたから。誰か一人でも笑っていられるようになるなら、その手助けになれるなら、俺はそれで十分です。これ以上、なにかを望むのは罰当たりですよ。それに、俺結構鍛えてますから」

 

 

 

 ──あぁ、そういう事か。

 おどけて力こぶを見せる久兵衛に、パルスィははたと悟る。

 同じなのだ。烏丸久兵衛という男は、自分達旧地獄の民と同じように孤独な人間だったのだ。

 だから、自分と同じ境遇の人や妖怪を躊躇なく助けられるし、そこに全力を尽くす事が出来る。自分以外の妖怪が、早々と彼を受け入れたのもこれが理由なのだろう。ここに初めて来た時、こいつらも地上の奴らと同じだと、誰とも交流しなかった自分を、それでも旧地獄は暖かく受け入れてくれた過去が、今になって思い出される。

 決定的に違うのは、彼を守る者や居場所がない事。パルスィや受け入れる前の妖怪の誹謗中傷に晒されたら、彼はもうその場を離れるしかない。

 何度、そのような体験をしたのだろう。

 その事に気付いたパルスィには、もう彼を自分の居場所を侵略する余所者とは思えなくなった。

 

 

 

「……貴方、強いのね」

 

 

 

「あははは。まぁ、伊達に旅ガラスをやってるわけじゃないですから」

 

 

 

 旅ガラスという言葉に、パルスィは思わずフフッと吹き出す。

 あぁ、彼にはもう金輪際敵わないかもしれない。

 

 

 

「……負けたわ。私の負け。貧民街でも大通りでも、好きな所で好きなようにやりなさいよ。ただし、決して街の皆んなを悲しませるような事はしないと約束して。それを守れるのであれば、いいわ」

 

 

 

 はぁ、とため息を吐いて、両手を上げる。

 これを聞いた久兵衛の顔が、雨上がりの空のように、みるみるうちに晴れやかになっていく。

 それを見ながら、パルスィは街の方へ目線を直した。昼過ぎだというのに、相変わらず街には活気が満ち満ちている。

 

 

 

「……いい街でしょ?」

 

 

 

「……えぇ。今まで立ち寄った街の中で一番、暖かくて優しい街です」

 

 

 

 久兵衛はそう言いながら、おもむろに小さなギターを取り出し、音を奏で始める。

 希望に満ちたメロディの裏に、見え隠れする寂しさや哀愁の念。しかし、それを卑下し、立ち尽くしてしまうような印象は一切なく、それすらも取り込んで真っ直ぐに前を向き、進もうとする意志を感じさせる。

 まるで荒野を行く旅人を見ているような音色が、パルスィの耳から心に溶け込んでいく。気がつけば鼻歌を歌ってしまうほどに、この音は心地よい。

 

 

 

「おぉ? なんだ久兵衛さんギターも弾けたのか!」

 

 

 

「いいねぇなんだか懐かしい感じがするよ!」

 

 

 

「名前はなんて言うんだい? こんないい曲聞いた事がない!」

 

 

 

 いつの間にやら通りを歩いていた妖怪達も、一人、二人と集まっていき、あっという間に一つの塊と化していく。皆一様に笑い、踊り、手を叩き、思い思いに彼の音楽を堪能する。

 そんな彼等を笑って眺めながら、パルスィは決意した。

 ここを、この旧地獄を、烏丸久兵衛の居場所にしようと。

 

 

 

 しかし、この願いが、後にとんでもないトラブルの火種となる事を、パルスィはまだ、知る由も無い。

 




次回は後編です。終わるかどうかは気分次第()

いつになるかは分かりませんが、お待ち頂ければ嬉しいです。

それでは、良い夢を……おやすみなさいませ。

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