東方悲恋録〜hopeless&unrequited love〜   作:焼き鯖

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はいこんばんは。そしてお久しぶりです。実習が終わり、なんだか色んな事に取り残された気がする焼き鯖です。

3、4ヶ月、待たせてしまいました。やっとパルスィ編、最後になります。

遂に二万字を超えました。結構難産しましたが、クオリティは相変わらず紙レベルです。

それでも良いという方は、どうぞお楽しみ下さい。


旅ガラスの歌(2)

 旧地獄の大通りは、昼と夜とで違う顔を見せる。

 昼は観光客や地元の主婦で賑わう、温泉が目玉の活気ある観光スポットとして。夜は酒場や遊郭の灯りが煌々と輝き、うわばみや好色な男達でごった返す妖しげな歓楽街として、常に多くの人で溢れかえっている。

 尤も、地霊殿の主が定めた風営法によって、営業時間は最低でも二時までと定められているが、それを差し引いても人通りは多く、三時を過ぎても人や妖怪が通りを歩いている事も珍しくない。

 

 

 

「アハハハハハハハハハハハハハ! みんなありがとー! よーし、最後に特大サービスだー!」

 

 

 

 時刻は現在午後七時。旅行者が減り、徐々に酔客が増え始めていく狭間の時間帯に、烏丸久兵衛ことピエロのQちゃんはショーを行なっていた。普段であれば医者としての仕事もあるため、ショーは午前の部と午後の部のどちらかしか行わず、午前は十時、午後は三時と、比較的明るい時間帯に開催される事が多いのだが、久兵衛が地底の妖怪達に受け入れられ、ショー自体の回数が増えた事や、地上からの観光客によって広く知れ渡るようになった事もあって、特別に今日だけ夜もやってほしいと勇儀から打診があったのだ。

 彼自身、行く先々の街でショーを行い、各地を転々と旅してきたので、夕方や夜の開催も経験済みである。話を聞いた彼は快く引き受け、意気揚々と準備を始めた。

 そうして開催した今回のショーは、予想を上回る程の大盛況だった。噂を聞きつけた観光客が、Qちゃんの姿を一目見ようと我も我もと地底へ押し寄せ、集まってきたようだった。

 誰もが緊張してしまいそうなこの状況で、烏丸久兵衛だけはいつも通りだった。規模こそ違えど、普段行なっている事と何一つ変わらないじゃないか。そう言わんばかりに彼は舞台に立ち、期待通りの芸を披露する。観客もまた、噂に違わぬ芸の凄さと展開に、誰もが歓喜し、拍手を送る。

 その場にいる全員が、大満足だと太鼓判を押しそうな完成度のショーはしかし、高らかに笑うピエロの挑戦によって更に昇華される。

 ピエロは大きな玉に乗ったまま、大きく、高くクラブを放り投げると、身を翻して逆立ちの姿勢をとる。この後の展開も、期待通りのお約束だ。手を滑らせて玉から転げ落ち、落下してくるクラブが頭を直撃する……。ここにいる皆は、それを望んでいると言わんばかりに、目をピエロの一点に注ぎ、ショーのフィナーレを今か今かと待ち侘びていた。

 しかし、そんな事はお見通しだと、ピエロは心でニヤリと笑う。

 次の瞬間、皆の視線は上に向いていた。月に照らされたピエロが、さながら妖精のように軽やかに舞い、踊っている。

 なんとピエロは、その姿勢のまま大きく跳ね上がり、空中で見事なきりもみを決めてみせたのだ。今まで見ていたドジは全て演技だとでも言いたげな、イタズラな笑顔が観客全員に振りまかれる。

 全ての人が呆気に取られる静寂の最中、ピエロは悠々と地面に降り立った。落ちてくる三つのクラブもしっかりとキャッチし、恭しくお辞儀をする。

 

 

 

「アハハハハハ! 驚いた? 実は僕、今日のために頑張って練習したんだ!」

 

 

 

 種明かしの瞬間、割れんばかりの歓声が上がった。恐らく、こんなに大きな音が地底に響くのは、博麗の巫女がこの地に足を踏み入れた時以来であろう。いや、この声の大きさは、その時の比にならない程大きく、何より期待値を超えた裏切りに対する喜びに満ち満ちている。

 

 

 

「うわぁやられた! まさか成功するとは!」

 

 

 

「いやぁ裏切られたよ! あんたサイコーだ!」

 

 

 

「なあみんな! この偉大なるピエロに大きな拍手をしようじゃないか!」

 

 

 

 地元の妖怪か酔狂な酔っ払いか、誰かに囃し立てられた観衆全てが、これでもかと手を叩く。驚愕と歓喜が入り混じった濁流が、全てのショーを終えたピエロの体を担ぎ上げるように流れていく。

 

 

 

「これでショーはおしまい! みんな来てくれてありがとー! こんなに喜んでくれて嬉しいよー!」

 

 

 

 最後にもう一度お辞儀をして、ピエロは舞台から姿を消した。それでも拍手はまだ鳴り止まず、更に更に大きくなって、既にいなくなった男に祝福を送る。

 数々の芸を披露して来た久兵衛ですら、これ程までの喝采を浴びた事はなかった。

 意図的に成功を避けていたこともあったが、それ以上に今までの旅の中で噂が立つ前に街を離れていたことが大きい。大抵は自分の意思で街から出ていくのが殆どだが、あらぬ噂に追い立てられて、半ば追放のような形で旅立つといった事もしばしばあった。

 だが、この街はどうだろう。最初こそ不審な目で見られる事はあったが、皆温かく迎え入れてくれた。こんなに楽しげな目で自分の芸を見てくれたのは、この街が初めてだ。そして、こんなに長く留まりたいと強く願ったのも。

 だからこそ……。

 尚も歓喜に沸く会場を背にしながら、久兵衛は改めて、旧地獄の街に来てよかったと強く実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

「お疲れ様。いいショーだったよ。久兵衛」

 

 

 

 集まっていた観客がいなくなり、酔っ払いが交錯するようになった会場の跡地で、背後から声がかけられる。

 振り返ってみれば、振袖を豪快にはだけさせた星熊勇儀が、満足気な笑顔でピエロを見つめていた。恐らく、先の盛り上がりでハメを外し過ぎたのだろう。ほぼ見えていると言っても過言ではないはだけっぷりだが、危ない所はしっかりとガードされている。

 

 

 

「あー、勇儀さーん! 見に来てくれたんだねー!」

 

 

 

「そりゃあそうさ。あたしから頼んでおいて見に行かないのは筋が通らないだろう?」

 

 

 

「アハハハハハ! 確かにそうだねー! ……ねぇ、勇儀さん。みんな、今日のショーは楽しんでくれたかな?」

 

 

 

「勿論さ。あんたのショーにはいつも驚かされるし、楽しまされる」

 

 

 

「……そっか。なら、良かった」

 

 

 

 おや、と勇儀は首を傾げた。

 彼女が知る烏丸久兵衛という男は、どんなに正体が知られていようと必ずその役を全うする、謂わば役者の鑑のような人物だった。事実、勇儀がどれだけ久兵衛と呼んでも、ピエロ姿の時には絶対に彼本来の姿を見せる事はなかった。

 それがどうだろう。今、彼女の目の前にいる久兵衛からは、普段なら絶対に出すはずのない素の状態が漂っている。それも、これまで感じた事のない哀愁というか、全てやりきったという達成感と、どこか後ろめたい気持ちを伴って。

 この感覚を、勇儀は嫌という程知っている。

 

 

 

「まぁ、立ち話もなんだからちょっと歩こうじゃないか。片付けはもう終わったんだろ? もし良かったら、一杯奢るからさ」

 

 

 

 親指をくいと上げて、勇儀は通りの方を指さす。

 

 

 

「わぁ! 勇儀さんありがとー! 太っ腹だねー!」

 

 

 

「まぁこれくらいはな。あたしなりの礼だよ」

 

 

 

「ホントー!? 嬉しいなぁー! じゃあちょっと待っててねー、荷物纏めちゃうからー!」

 

 

 

 そうして彼は大きな鞄に荷物を詰めていく。その後ろ姿には、先程感じた違和感は既になかった。

 全ての荷物が纏め終えたのを見計らって、勇儀と久兵衛は街道を歩き始めた。あれだけの喝采を浴びた後ながら、道行く人々は自分の欲望に頭が一杯で、ピエロ姿のままの彼に声をかける者は一人もいない。

 歩いてしばらくして、勇儀がのんびりと話しかける。

 

 

 

「まずは改めて言わせてくれ。あたしの無茶な頼み事を、快く引き受けてくれてありがとう」

 

 

 

「お礼なんかいいよー! 勇儀さんの頼みとあれば、僕はいつでも受け付けるから!」

 

 

 

「はっはっはっ。そりゃあ頼もしいな……なぁ、久兵衛、お前がこの旧地獄に来て、一体どれくらい経った?」

 

 

 

「え? ……うーんと……」

 

 

 

 尋ねられて、久兵衛は指を折って数える。

 

 

 

「ここに来たのが三月くらいでしょー? 今は十一月だから……大体八ヶ月かな?」

 

 

 

「もうそんなに経ったのか……いやなに、月日の流れってのは早いんだなってふと思ってさ」

 

 

 

「そうだねー、僕もここまで長く滞在するとは思ってなかったよー。ここはみんないい人達ばかりだし、食べ物も美味しいしで、つい長居しちゃったなー」

 

 

 

「……ここを出て行くのかい?」

 

 

 

 いっそここに住もうかなー。と、呑気な声を上げるピエロ。そこに感じる違和感を見逃さないように、勇儀が単刀直入に尋ねた。

 ピエロの表情が、一瞬ピタリと固まった。

 

 

 

「……いきなりだね。どうしてそう思うの?」

 

 

 

「あたしは鬼だからね。嘘の匂いには誰よりも敏感なんだよ。あの時、普段のあんたなら絶対に隠すであろう、色んな感情が混じった顔をしていた。あれを見た時、何か隠しているなと思ってたんだよ。何よりあんたは、ピエロとか医者とかである以前に旅人だ。いずれは何処かへ行ってしまうんだろうってのは目に見えて分かる。そこにさっき言った表情をされてみろ。ここを出て行くって結論に達するのは自明の理じゃないか」

 

 

 

 勇儀が語る問の答えを、久兵衛は黙って聞いていた。やがて、イタズラがバレた子供のような苦笑いを浮かべて、彼女の方を見つめた。

 

 

 

「バレちゃいましたか……えぇ、流石にそろそろ旅立たないといけません。遅くても、年明けには」

 

 

 

「そうか……寂しくなるねぇ」

 

 

 

()も同じ気持ちです。こんないい街から離れたくはありません」

 

 

 

「まぁ、お前がそう決めたのなら仕方ないさ。ただし、これだけは忘れないでおくれ。ここは、いつでもあんたを受け入れるってね」

 

 

 

 言い終えた勇儀は、静かに杯を傾ける。

 再び彼らは黙って歩く。

 訪れる沈黙が、痛い程耳に入る。

 

 

 

「……訊かないんですね」

 

 

 

 その沈黙を破り、久兵衛が尋ねた。応じるように「何がだ?」と勇儀は返す。

 

 

 

「理由ですよ……それ程気に入ってるなら、何故無理して旅立つんだとか、なんで旅を続けているのか、とか」

 

 

 

 不意に、勇儀が笑った。鬼らしく大きな声で豪快に。流石の久兵衛も、これには驚いて目を白黒させる。

 

 

 

「やっぱりそこは人間なんだねぇ。いいかい? あたしはね、そんな細かい事なんか興味ないんだよ。あんたがそう決めたのには何かそれなりの理由があるくらいは重々承知しているし、それを一々聞くのは無粋ってもんだ。時期が来たから旅に出る。それでいいじゃないか」

 

 

 

「ですが……」

 

 

 

「大丈夫。ここのやつらの事なら、あたしがなんとかする。あんたは安心して旅立てばいい。みんないつでも、あんたを歓迎するさ」

 

 

 

 トン、と。

 軽く背中が押された。まるで帰ってくるのを信じているかのような、鬼にしては優しい激励。

 

 

 

「……ありがとうございます。おかげさまで安心して旅に出られそうです」

 

 

 

 想いが通じたのか、久兵衛は深く頭を下げる。もう憂いの表情は消えていた。

 

 

 

「よし! 辛気臭い話はここまで! 一足先に送別会だ! 今日はとことん呑み明かすぞー!」

 

 

 

「うわっと……あんまり呑みすぎないで下さいよ。俺、明日も診察があるんですから」

 

 

 

 勢いよく肩を組み、八重歯を大きく見せて破顔する勇儀に、久兵衛は苦い笑みを浮かべる。調子を取り戻した彼女に引っ張られるがまま、二人は夜の旧地獄の奥へと消えていく。

 彼らの背後で、カツリと靴の音がなったのに、気がつかないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 大入道は飢えていた。文字通りの意味ではなく、渇望していたという意味で飢えていた。

 いつだったか、彼が暇つぶしで地底を訪れ、気の弱そうな一匹の妖怪にちょっかいを出していた時に現れた、いけ好かない旅の男。妙に小綺麗な服と帽子を身につけた、どう見ても喧嘩慣れしていない謎の男に、仲間はいとも簡単に負けてしまった。

 そこからの彼は、まさに凋落とも言える程転落していた。噂に尾ひれがつき、彼の強さを疑う者が増えたからだった。無論、来る敵は悉く返り討ちにした。だが、いかんせん疑う人数が多すぎた。

 三ヶ月を少し過ぎるころ、二回目の、彼にしてみれば初めての敗北を味わった。少し後に三回、また少し後に四回と、彼は負けを重ね、その度に荒れた。

 そして今、彼は長年付き添った仲間すらも失い、森のはずれにあばら家を作り、一人自棄酒を煽っている。かつて自信に満ちていた顔はみる影もなく、アルコールを摂りすぎて朱に染まり、目には深いくまが刻まれている。とにかく彼は、勝ちに飢えていた。

 ──あの男さえ来なければ。俺はこんな風にはならなかった。

 恨み節を安酒と共に一気に飲み込み、大きな気炎を吐く。

 

 

 

「──誰だ」

 

 

 

 侵入者に気づいたのは、そのすぐ後だった。目が更に据わり、警戒の色が強くなる。

 生憎、彼の住んでいるあばら家には灯りの類になるものはなく、侵入者の姿は暗がりに紛れてよく見えない。だが、履いている靴が男では滅多に履かないであろうものであることから、暗がりにいるのは女性であると彼は直感で感じた。

 

 

 

「ふぅん、あんたが大入道ね。噂よりも弱々しそうで拍子抜けしたわ」

 

 

 

 予想通り、侵入者は女性であった。ただ、妙に芝居がかった喋り方で、それが彼の癇に障った。

 

 

 

「……何の用だ。冷やかしなら帰ってくれ」

 

 

 

「へぇ、噂は本当だったのね。地底に遊びに行ったら、名も知らない旅の男に負けてへこへこ逃げ出したって噂」

 

 

 

「ッ! その話を口にするなぁ!」

 

 

 

 怒鳴り、空の徳利を放り投げる。徳利は女に当たることはなく、闇に溶けてカランと音を立てるだけに終わった。

 

 

 

「俺は負けたわけじゃねぇ。仲間が負けたんだ。それを勘違いした輩が勝手に広めただけだ! どいつもこいつもあの噂を鵜呑みにしやがって!」

 

 

 

「でも逃げたのは本当なんでしょ? どちらにしろ、あんたがケンカをふっかけた時点で仲間が負けようがあんたが負けようが結果は同じ。噂にされて終わるだけよ」

 

 

 

「このアマァ! 女だからって俺は容赦しねぇぞ!」

 

 

 

 とうとう立ち上がり、闇に一歩近づく。

 ピカリと閃光が走った。半歩遅れて音が追いつき、雨が壁を打ち付ける。

 

 

 

「オメェ……」

 

 

 

 大入道の動きが止まった。何処かで見たような金髪が、一瞬光の中に浮かんだからだ。

 

 

 

「取引しない?」

 

 

 

 その隙を見計らって女が提案する。

 

 

 

「私もね、とある理由であの人を邪魔したいの。だけど、一人では到底無理だから、あんたにも協力してほしい。勿論、あんたの復讐にも協力するわ。あんたはあの人が憎い。私もあの人の邪魔をしたい。どちらにも得はあるし、悪くない取引だと思うんだけど」

 

 

 

「あぁ? イかれてんのか? さっきまで俺の事を散々馬鹿にしてたじゃねぇか。そんな奴の取引なんて聞けると思うか?」

 

 

 

「その点に関しては悪かったわ。だから、それともう一つ、あんたの願いも叶えてあげる」

 

 

 

 これならどう? と闇の中の女が再度問いかける。

 確かに、条件自体は悪くない。あの男に復讐をする数少ないチャンスだし、何よりもおまけが大きすぎる。女の思惑がどうにも分からないが、この降って湧いたような幸運を逃す訳にはいかない。

 最初は腕を組んで考えていた大入道も、すぐに納得して了承した。

 

 

 

「いいだろう。乗ってやろうじゃねえか」

 

 

 

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」

 

 

 

「で、どうすりゃいいんだ」

 

 

 

「私の方でまだ準備があるから、もう少しだけ時間を頂戴。決行は三週間後。指示は私の方から出すからそれに従って」

 

 

 

「へっ、誰かの下につくのは俺の性分じゃねぇが……今はあいつをぶちのめせりゃなんだっていい」

 

 

 

 頼んだぞ。

 返答はなかった。既に女はあばら家から出ていた。

 雷を伴った冬の雨は、いつになく長く降り続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 テントの中で、烏丸久兵衛は首を傾げた。

 勇儀との呑み会から、実に一ヶ月程。彼は自らの仕事の片手間で、旅立つために様々な準備を進めていた。ショーの回数を減らし、荷物をまとめ、治療やカウンセリングを行なっている患者、その他の住人にはそろそろ旅立つという事を知らせた。

 勇儀の助力もあってか患者や住人は然程騒ぐ事はなく、「寂しくなるなぁ」と皆呟きながら旅の安全を願った。

 やるべき事はきちんと終えた。後はここをすぐに去るだけだ。

 そう、実を言えば、もう既に彼は旅立つ準備は出来ており、その気になればすぐに旧地獄を去る事は出来る状態である。しかし、彼はまだ旅立っていない。

 何故なのか。原因は明白だった。

 

 

 

「おかしい……注射針がなくなってる」

 

 

 

 透明なケースを物色しながら、彼は呟く。普段から医療機器類はここに保管しており、場所を変えた事は一度だってない。

 またか、と彼は顔をしかめた。今月に入ってこれで七回目。いや、それでは足りないくらい、物が消えている。

 物の神隠し。それが、彼が旧地獄を旅立てない理由だった。

 ピエロや旅人であるとともに、医者でもある久兵衛は、道具には人一倍気をつかっていた。いくら永遠亭があり、外から機器や技術が流れてくるとはいえ、幻想郷にはまだまだ医療が浸透していない地域が多い。道具を一式揃えるとなると、かなりの額が必要になる。かと言って注射針や吸入器等は、使い回すと感染症の元となり、どうしても数が必要になる。

 風来坊たる久兵衛にとっては、そこが一番困難な部分であった。いつ補充出来るか分からない分、一本たりとも無駄に出来ない。だからこそ、機器の管理や消毒、洗浄には念入りにチェックしていた。

 それが、旅立つ間際になってこの不手際である。この前は吸入器、その前は体温計、その前は頓服薬などがなくなった。しかも、ショーで使うグラブや玉もなくなっており、これらは今も見つかっていない。

 

 

 

「どうしたの?」

 

 

 

 鬼の形相で探すうちに、テントの幕が上がった。深緑に輝く見慣れた目が、テントの中を覗き込む。

 

 

 

「パルスィさん……」

 

 

 

「たまたま近くに寄ったから様子を見に来たけど……何? また道具がなくなったの?」

 

 

 

「……えぇ。今日は注射針です。ホント、嫌になりますよ」

 

 

 

 力なく笑うと、パルスィは腰に手を当てて呆れた表情を浮かべた。

 

 

 

「何やってんのよ。そんな事じゃ救える人も救えなくなっちゃうわよ?」

 

 

 

「──おっしゃる通りです。面目無い」

 

 

 

「じゃあ、今日も行くの?」

 

 

 

「そうですね……また案内してもらってもよろしいでしょうか?」

 

 

 

「仕方ないわね。外で待ってるから、早く準備しちゃいなさい」

 

 

 

 そう言い残し、パルスィは垂れ幕を下げる。まるで母親のようだと内心苦笑しながら、久兵衛は片付けを始めた。

 地底の隅に、道具が流れ着く場所がある。

 初日に物がなくなり、途方に暮れていた久兵衛に、パルスィはそう教えていた。

 どうやら外の世界から忘れられた道具が流れ着く場所があるらしく、それが時折地底に落ちて来るという。

 半信半疑ながら向かってみれば、彼女の話に嘘はなく。ガラクタに混じって医療道具や芸の道具などがチラホラと姿を見せていた。運のいいことに、それらは妙に綺麗な状態を保っており、持ち帰って消毒すればすぐにでも使えるような物が多かった。

 以後、物がなくなる度にこうしてパルスィに連れられて必要なものを集めている。旅をする久兵衛にとっては有難いスポットではあるのだが、やはり拾い物であるので衛生面には不安が残る。しかし、それはあくまでも最終手段として残しておくと半ば強引に納得してねじ伏せた。

 しかし、もう一つ、彼には困った事があった。

 

 

 

「……いつも思うのですが、少し近すぎではありませんか?」

 

 

 

「何言ってんのよ。これぐらいで丁度いいわ。そんな細かい事まで気にする貴方が妬ましい」

 

 

 

 腕に自分の体を寄せ、パルスィは嬉しそうに顔をほころばせる。

 彼女のスキンシップが激しくなったのはここ二、三週間前からで、出かける時は必ずこのように体を寄せながら歩いている。

 側から見れば羨ましい事この上ないが、彼にしてみれば出発の意志が消える魔性の誘い以外の何物でもない。迷惑とは思わないし、口が裂けてもそんな事は言えないが、ずっとこんな事をされていては、せっかくの決心も揺らいでしまう。その度に自分を律し、目的を振り返っては忘れないようにしているのだが、流石にもう限界に近い。

 

 

 

「……ねぇ、貴方は道具が揃ったら、もうここを出て行くの?」

 

 

 

 そんな久兵衛の心情を知ってか知らずか、パルスィは体を寄せたまま彼に問いかける。

 

 

 

「……えぇ、少し、長居しすぎました。物が見つかればすぐにでも出発するつもりです」

 

 

 

「そう……ねぇ、もういいじゃない。ここら辺で終わりにしても」

 

 

 

「ダメですよ。俺はまだ旅を続けなきゃいけないんです」

 

 

 

「だけどこのままじゃ──」

 

 

 

 言いかけたその時、通りの中心から悲鳴が上がった。

 見ると、顔を紅く染めた嫌に小汚い身なりの男が、大声でがなり立てながらナイフを片手に人質を取っている。

 その人質というのが──

 

 

 

「キスメ! それにあの子は確か飢饉通りの!」

 

 

 

 あまりの事に、思わずパルスィは声を上げた。

 無理もない。男の大きな腕に捕まえられていたのは、どちらも二人にとって面識のある人物だったのだから。

 

 

 

「……パルスィさん、この場は俺がなんとかします。貴女は人を呼んで来て下さい」

 

 

 

「でも!」

 

 

 

「お願いします。どうやら彼は俺に話があるようです。でなきゃこんな目立つ所で、しかもわざわざ面識のある人を人質にするなんて出来ません」

 

 

 

「……分かったわ」

 

 

 

 頼みますと彼は呟くと、男の前に一歩踏み出す。男もそれに気づいたらしく、恨みがましい目つきを込めて久兵衛の方へ体を向けた。

 

 

 

「よぉ、久しぶりだな。覚えてるかよ。俺の事を」

 

 

 

「……キスメちゃんに暴行を加えていた、大入道とか言う奴か。随分と落ちぶれたものだ」

 

 

 

「あぁ、そうさ。おかげさまで今は一人、あばら家暮らしよ。だが、そんな日ともおさらばだ。今日はお前をぶっ殺して再び名を轟かせてやる!」

 

 

 

「……なるほどね。結構な事だが……まずは自分を客観的に振り返ったらどうだ?」

 

 

 

「へっ、その必要はねぇ。まずはこの憎たらしいメスガキから始末してやるからなぁ!」

 

 

 

 言い合えた瞬間、大入道はナイフを振り上げて──直後にぼきりと嫌な音を聞いた。遅れて想像を超えた痛みが、腕から体に駆け巡る。

 あまりに突然の出来事に、彼は悲鳴をあげながらその場に倒れこんだ。人質は解放され、二人とも久兵衛に向かって一直線に駆け出して行く。

 

 

 

「ぁあ! 痛ぇ! 畜生誰だ! この俺の邪魔をする奴は!」

 

 

 

 そうして振り返ったのが、彼の運の尽きだった。

 目の前に、文字通り鬼のような顔をした星熊勇儀が、文字通り鬼神の如きオーラを纏わせながら見下ろしていた。

 

 

 

「ひっ……」

 

 

 

「あたしの家族をどうするって?」

 

 

 

 流石の彼でも、鬼には敵わない。

 本能で逃げようとした。

 しかし、圧倒的な力がそれをねじ伏せた。

 大入道の足を下段突きでぶち折り、彼女は再び尋ねる。

 

 

 

「あたしの家族をどうするって聞いてるんだよ。逃げていいなんて一言も言ってない」

 

 

 

「ご、ごめんなさ……」

 

 

 

「あぁ、いい。謝罪なんかするな。大方誰かに唆されたんだろ? あんたみたいな弱い奴しか狙わない小物はいつもそうだからな」

 

 

 

 強者、それも勇儀だからこそ通る強引なこの理論を否定するものは、この場において一人もいなかった。そのまま勇儀は大入道の顎を鷲掴みにして持ち上げると、ギリギリと締め上げながら三度問い質す。

 

 

 

「誰の差し金だ?」

 

 

 

「し、しりゃない……」

 

 

 

 またぼきりと音が鳴った。大入道の答えが不満だった勇儀が、彼の顎を握り潰したからだった。

 声にならない悲鳴をあげる大入道の顔を再び勇儀は掴み、大きな声を張り上げる。

 

 

 

「そんなわけあるかぁ! わざわざこんな手の込んだ事をお前が出来るはずねぇだろうが!」

 

 

 

 だが、大入道も負けてはいない。何しろ自分の命がかかっているのだ。同じくらい大きな声で答えを返す。

 

 

 

「本当ににゃにもしりゃないんだ! 確かにおりぇは女から計画を聞いた! にゃんだったら三週間前の雨の日にも取引をむしゅんだ! だが! そにょ日、雷が光る一瞬にきんぱちゅの髪を見ただけで、姿そにょ物を見た事は一度だってにゃい!」

 

 

 

 一息にまくし立て、大入道は肩で大きく息をする。勇儀はしばらくその様子を眺め、計るように男の目を見つめる。

 暫しの静寂が、あたりを包み込んだ。

 やがて、大入道の言葉に嘘がないと分かったのか、勇儀は彼の顔から手を離した。ドサリと力なく男は尻餅をつく。

 

 

 

「……二度とその汚ねぇツラ見せんな!」

 

 

 

 半ば吐き捨てるようにして怒鳴りつけると、大入道は這々の体で泣きながら逃げ帰っていった。もう二度と、彼は地底に来ることも、名をあげることもないだろう。

 

 

 

「ちっ……あぁけったくその悪い!」

 

 

 

 それでも尚、あたるように地面を蹴り上げる勇儀に、久兵衛は声をかける。

 

 

 

「落ち着いて下さい勇儀さん。気分が悪いのは俺も同じですが、まずは怪我人が出なかった事を喜びましょう」

 

 

 

 久兵衛の言葉に幾らか冷静になった勇儀が、肩で息をしながら自分に言い聞かせるように何回も頷く。

 

 

 

「あぁ……そうだな。まずはそこを聞くべきだったよ。二人とも、大丈夫だったか?」

 

 

 

「平気……おじさんがずっと……守ってくれた……」

 

 

 

 久兵衛の足元にしがみついたキスメが、少し声を震わせながら答える。飢饉通りの少年も、首をコクコクと縦に振って同意を示した。

 なら良かったと安堵の表情を浮かべた勇儀は、改めて久兵衛に向き直った。

 

 

 

「それにしても……あいつを焚きつけた奴は一体誰だい? あたしには何がなんだか……」

 

 

 

「そうですね……もっと有益な情報があればいいんですが、金髪という手がかりだけではなんとも──」

 

 

 

 丁度その時、人手を頼んでいたパルスィが、息急き切って走ってきた。彼女の隣には黒谷ヤマメもおり、同じように走って来たのかゼイゼイと息を切らしている。

 

 

 

「おやパルスィ、そんなに走って一体どうしたんだ?」

 

 

 

「どうしたもこうしたもないでしょ! あんたを探し回ってたのよ! なんでいつも肝心な時にいないのよ! 妬ましいわ!」

 

 

 

 半ば八つ当たりのような形でパルスィは勇儀を詰る。分かった分かった私が悪かったと、多少苦笑いしつつ勇儀はパルスィを宥め、同行していたヤマメに視線を向けた。

 

 

 

「ヤマメもどうしたんだい? まさかあんたもあたしを探してたのかい?」

 

 

 

「いや……それもあるんだけど……久兵衛さん! すぐに戻って来て! テントが大変な事になってるんだ!」

 

 

 

 不意に名前を呼ばれた久兵衛は、思わず怪訝な顔をして、「テントが?」と訊き返す。しかし、ヤマメの方には答える余裕はなく、尚も彼女は同じ事を繰り返し口にした。

 

 

 

「兎に角来て! これじゃあ旅立つなんて口に出来なくなるよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 野次馬をかき分けて住処に戻った久兵衛は絶句していた。ヤマメが言っていたことが、誇張でなしに事実であったからだ。

 まずテントが酷かった。あちこちを鋭い刃物でズタズタに切り裂かれ、その上燃やされている。幸い張っていた所が水辺に近いという事もあって、消化活動が速くボヤ騒ぎで済んだものの、一歩間違えれば飢饉通り一帯を巻き込んだ大火災になりかねなかった。

 次に、大道芸の道具もダメだった。グラブは折られ、大玉は割れ、何もかもが修復不可能な程に破壊されていた。中には火の手の餌食になったものもあり、焦げて黒くなったジャグリングの玉や、水をかぶってずぶ濡れのロープもあった。

 医療機器や薬も同様だった。全ての道具には汚泥やゴミががかけられ、とてもじゃないが使えるとは言い難い。消毒薬の入った瓶はひっくり返されたり割られたりで殺菌も出来ない。

 全てが無になっていた。これでは旅に出るどころか生活すらままならない。

 

 

 

「これは……酷いな……」

 

 

 

 後から来た勇儀も、嫌な顔をしながらポツリと呟く。キスメもパルスィも、言葉にしないだけで表情は他二人と変わらない。

 

 

 

「私が見た時にはもう火は結構回ってて……無事だったのはこれだけだったよ」

 

 

 

 そう言ってヤマメが手渡したのは、いつも見るピエロの衣装に、少しだけ焦げた匂いのするウクレレだった。どうやら奥の方にしまってあったらしい。「ありがとうございます」と、久兵衛は二つの物を受け取る。

 今にも墜落しそうな重苦しい雰囲気が、辺り一帯を包み込んだ。

 

 

 

「……まぁ、他の奴らに被害が及ばなかっただけでも良しとしなきゃな。下手をすれば大勢が死んでたかもしれない」

 

 

 

「そうですね……俺一人で済んで本当に良かった」

 

 

 

 慰めにも似た勇儀の言葉に久兵衛は同意する。それでもこの雰囲気は晴れる事はなく。

 

 

 

「……一体、誰がやったんだろう」

 

 

 

 誰かがポツリと発したその一言で、場は緊張を伴って更に暗くなる。

 

 

 

「……何言ってるのよ……そんなの決まってるじゃない! あの男がやったのよ! テントから出るのを見計らって燃やした後、二人を攫って通りに出たんだわ! それ以外考えられない! ここの人達が久兵衛に手を出すなんて事有り得ないじゃない!」

 

 

 

 最初に反応したのはパルスィだった。過剰なまでに怒り、緑色の目が更に深く、どす黒くなる。

 彼女の言葉に誰もが同意しそうであったがしかし、意外にも勇儀は冷静だった。

 

 

 

「落ち着きなよパルスィ。焼け跡から考えると、火をつけたのは多分、今から四十五分くらい前だ。丁度あたしが大入道をとっちめてた時間だよ。それよりも前に燃やしたのならとっくに火の手はあちこちに広がってるはずさ。それに、火をつけてから攫って姿現すなんて効率が悪いだろ? 順序が逆でもそれは変わらないし、そんな事をするなら分担した方が遥かにマシだ。違うかい?」

 

 

 

「じゃあ誰がやったって言うのよ! まさかあんた、私達を疑ってるって言うの!?」

 

 

 

「そうは言ってない。が、可能性としてはあり得る話さね。あたしだって本当は疑いたくはない。けど、聞かされてるのは大入道の金髪の女だったという話だけ。他に手がかりがない以上、地底にいる誰かを疑わざるを得ないだろう? こんな時にさとりがいてくれればいいんだが……」

 

 

 

 そのさとりは現在、次の宴会の開催場所をどうするかで博麗神社に出向いている。

 

 

 

「まぁとにかく、あたしは金髪の女の知り合いなんてのは自分を除いて三人しか知らない。だから残りの二人に一応聞くのさ。『この数十分の間、何処で何をしていた?』ってね。ヤマメ、まずはアンタからだ」

 

 

 

「わ、私!?」

 

 

 

 諭され、パルスィが渋々納得すると、勇儀がヤマメに水を向ける。いきなりの事にワタワタしながらも、ヤマメは自分の行動を事細かに説明する。

 

 

 

「えっと……今日は久兵衛さんに芸を教えてもらおうと思って来たんだ。そしたらテントが燃えてて、慌てて消火しようとしたんだよ。けど、思ったよりも火は強くて、通りかかったパルスィに協力して貰って鎮火させた後、事情を聞いてすっ飛んで来たんだ」

 

 

 

「なるほどねぇ……パルスィ、アンタは?」

 

 

 

「ヤマメとほぼ同じよ。勇儀を探してたらヤマメに声をかけられて、火事だって聞いて火消しを手伝って、通りの騒ぎの事を話して戻ってきたわ。何も怪しい事はしてないわよ」

 

 

 

「そうか……」

 

 

 

 逡巡を見せる勇儀はしかし、心中である結論を出していた。

 二人とも、嘘をついている。それも、どちらか一方を庇うような嘘だ。

 では、誰が火を放ったのだろう? 嘘を見抜く力はあれど、犯人を当てる力も、その動機を知る力もない。そういうのはさとりの領分だ。

 

 

 

「……ねぇ、勇儀……」

 

 

 

「ん? どうしたんだ?」

 

 

 

 どうしたものかと思案していると、不意にキスメが服のつま先を引っ張った。

 

 

 

「なんでヤマメは……濡れてないの?」

 

 

 

「濡れてない?」

 

 

 

「うん……ヤマメは濡れてないのに……パルスィは濡れて──」

 

 

 

 バチンと音が鳴ったのは、正に一瞬の出来事だった。

 

 

 

「ちょっ、パルスィ! いくらなんでもそれは!」

 

 

 

「離しなさいヤマメ! いくらキスメでも言っていい事と悪い事があるわ!」

 

 

 

 周囲がざわつく。勇儀も、一瞬何が起こったか分からなかった。だが、尚もキスメに向かおうとするパルスィと、それを羽交い締めにして止めるヤマメ、まだ呆然としているキスメを見て、全てを悟った。

 

 

 

「大丈夫か!? キスメ」

 

 

 

「あ……ごめん……なさ……い……」

 

 

 

 か細い声で絞り出した謝罪。今にも泣きだしそうな顔はしかし、そらすことなく真っ直ぐにパルスィを見つめている。

 しかし、それでもパルスィは止まらない。尚もキスメに掴みかかろうと、必死にもがき、抜け出そうとしている。

 

 

 

「パルスィ落ち着け! これ以上キスメに当たるような事はするな!」

 

 

 

「そこをどきなさい勇儀! 話はまだ終わってないわ! こうでもしないとキスメは──」

 

 

 

 ウクレレの歌が響いたのは、正に二人がぶつかる瞬間だった。

 ハッとして勇儀は周りを見る。近くにいた久兵衛はいつのまにか消えていた。

 音は屋根の上から聞こえて来る。見ると、いつも見慣れたあのピエロが、屋根に腰掛けウクレレを弾いていた。

 

 

 

「みんなー、少しは落ち着いたかなー?」

 

 

 

「久兵衛……お前……」

 

 

 

 勇儀が言葉を発する前に、ピエロの言葉はパルスィに向けられる。

 

 

 

「パルスィー、まずはキスメちゃんに謝ろうよー。いくら言っちゃいけない事だったとしても、手を出すのは間違ってるからさー」

 

 

 

「だけど!」

 

 

 

「僕なら大丈夫だよー。道具はまた揃えればいいし、テントは後から用意出来るからー。それともー、パルスィは悪い事したら謝れない悪い子なのかなー? 僕、そう言う人は嫌いなんだけどなー」

 

 

 

「うぅ……わ、分かったわよ……ごめんなさい、キスメ。少し……言い過ぎたわ」

 

 

 

 不承不承ではあるものの、パルスィはキスメに頭を下げて謝罪した。

 

 

 

「よーし! 仲直りも済んだところで! 急遽! 僕のショーを開催しちゃうよー!」

 

 

 

 再び沈んだ空気を、ピエロは極めて明るい声で払拭する。最初は怪訝な顔をしていた野次馬もピエロがウクレレを弾き始めた事で徐々に歓声をあげ、場は悲惨な火災の現場から一気に楽しげなコンサート会場に変わる。

 いつも見る、烏丸久兵衛の神がかった雰囲気作りは、キスメやヤマメ、果てはパルスィをも取り込んで虜にする。ウクレレの歌をピエロが代弁する度に、皆声を上げて盛り上がり、人が人を呼んで更に盛り上がる。

 流石は久兵衛だなと、勇儀はピエロを見上げた。楽しげに笑うその表情はただ一点を見つめていて、瞳にはどこか悲しげな色も帯びている。

 不思議に思い、彼の視線を追っていく。そこで彼女は彼が見ていたものに気がついた。

 いつの間にか、時刻は夕方に近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

「珍しいね。久兵衛さんが私を呼び出すなんて」

 

 

 

 それから少し経って、ヤマメは久兵衛に呼び出された。既に陽は空から去ってしまい、大勢の酔客が大通りを闊歩する時間であった。

 飢饉通りもまた例外ではない。街灯がないこの場所は表通りと比べてなお暗く、奥に行けば行くほど闇は深くなる。二人がいる場所も、光はとうに届かない場所である。

 

 

 

「申し訳ありません。こんな時間に呼び出してしまって」

 

 

 

「いいよぉ、気にしないで。それで、用って言うのは?」

 

 

 

「……少し、訊きたい事がありまして」

 

 

 

「訊きたい事? 何々、益々珍しいじゃない。あっ、もしかして私に告白とか? 何よー、今日あんな事が起こった後だよ? もー、なんかドキドキしてきちゃったじゃーん」

 

 

 

 やだぁ、と言いながら手をヒラヒラさせ、満更でもない表情を浮かべるヤマメ。それに対し、久兵衛は困った笑みを浮かべるが、すぐに気を取り直して口を開いた。

 

 

 

「単刀直入に訊きます……誰を庇っていますか?」

 

 

 

 瞬間、ヤマメの目が大きく見開かれた。

 

 

 

「え……な、何を言ってるの? 私は誰も庇ってなんか……」

 

 

 

「キスメちゃんが言いかけたあの言葉。貴女の足元を見たら、確かに濡れたような様子はありませんでした。なのに、消火活動をしたと嘘をついた。普段から何でも正直に話す貴女が嘘をつくのは、誰かを庇う以外有り得ません。そしてその人は、多分()の道具を盗んだ犯人で、大入道を唆した人でもある」

 

 

 

「そ、そんなはずは! ……あっ、いや、違うよ? 私、火消しの時にテントに一番近かったからさ、きっと火の熱で乾いたんだよ。うん、火の勢いも結構あったし」

 

 

 

 本当だよ? とおどけるヤマメだが、久兵衛はジッと彼女の目を見つめているだけで、何も答えない。

 

 

 

「……そうですか。貴女が必死になって庇う人。それだけで十分です」

 

 

 

「ちょっと、それって──」

 

 

 

「ヤマメさん、ありがとうございました。少し用事が出来たのでこれで失礼します」

 

 

 

 深く頭を下げると、踵を返して彼は歩き出した。バサリとコートがはためき、闇と同化するように彼を包み込む。その姿は、本当に闇に溶けて消えてしまいそうで。

 

 

 

「……待って!」

 

 

 

 思わず、ヤマメは彼を呼び止めてしまった。

 

 

 

「……分かってると思うから勝手に喋るけど、あの子がこんな事をしたのは、全部久兵衛さんの為なんだよ」

 

 

 

 俯きがちに、ヤマメは言葉を紡ぐ。久兵衛は背を向けたまま、何も答えない。

 

 

 

「私だって最初はびっくりしたよ。けど、理由を聞いて、納得したんだ。あの子ならそうするって。なんで気づかなかったんだろうって後悔したくらいだよ。あの子は、本当は真っ直ぐで優しいんだ。自分の事なんか二の次で、罪を被っても大切な人を助ける人なんだよ。だから……」

 

 

 

 だから、とヤマメは顔を上げた。

 

 

 

「あの子の気持ちを、想いを踏みにじるなら、例え恩人だとしても許さない。もしそんな事をしたら、地の果てまで追いかけて、食い殺してやるから」

 

 

 

 嘘偽りのない、仲間を大切にするヤマメだからこそ出た言葉が、確かな熱を持って空気に溶ける。

 

 

 

「……分かっています」

 

 

 

 振り向く事なくそう言うと、久兵衛は再び歩き始めた。今度こそ彼は、闇に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 月の綺麗な夜だった。酔客が消え、静寂が大通りを包み込んでいる。月光浴をするには丁度良い時間であった。

 人工の光が降り注ぐ道を、ゆらゆらと久兵衛は歩く。まるで酔いどれか浮浪者のように目的もなく歩いているようで、その実彼の足は目的地に向かって真っ直ぐな足取りを保っている。

 目的地は、予め勇儀から聞いていた。この時間であれば、彼女は確実に家にいるとも聞いた。後は、キチンと話をするだけだ。

 そうして久兵衛は、地底の橋に近い所までやってきた。目的の家は、すぐ目の前に見えていた。

 カタンという音が聞こえた。バレないように、彼は家の裏手に回り、そっと覗き込む。

 金髪の女が、火打ち石を打ち鳴らしていた。見覚えのあるウクレレが抱えられている。どうやら直接燃やして灰にするらしい。が、火打ち石は火花を散らすばかりで、一向にウクレレに火を灯さない。

 

 予感が当たった。後はいつ出ていこうか。

 

 そう思ったところで、女は痺れを切らしたのか火打ち石を投げ捨て、ウクレレを振り上げた。

 

 

 

「やぁ、こんばんは」

 

 

 

 タイミングは完璧だった。女の動きが固まり、視線はゆっくりと彼の方に向けられる。

 シルクハットを取りながらおどけてお辞儀をし、ゆっくりと顔を上げて何時ものような笑顔を彼女に見せる。怖がるだろうと思ったがそれは杞憂に終わり、彼女の表情に驚きと困惑の色が浮かぶ。

 

 

 

「楽しそうだね。何してるの?」

 

 

 

 笑顔のまま問いかける。彼女は尚も驚きを隠せていない。開いた口からは今にも「どうして」と溢れてしまいそうだ。

 

 

 

「どうしたの? 何か言ってくれなきゃ僕わからないよ」

 

 

 

 静寂を破るように再び問いかける。それを合図に振り上げた腕がダラリと落ち、ウクレレは力なく手から離れた。

 カランという音が、妙に耳に痛い。

 

 

 

「……積もる話もあるでしょう。今日はとことん付き合いますから、貴女のお話を全部聴きますから、そんな顔をしないで下さいよ──」

 

 

 

 パルスィさん。

 涙で顔がぐしゃぐしゃの彼女に、久兵衛は静かに、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 静かな夜の空にウクレレの音が溶ける。音の元を辿れば、少し古びた家の軒先に、久兵衛とパルスィは座り込んでいた。

 久兵衛は優しくウクレレを弾き、パルスィは抱えた膝の中に顔を埋めている。

 どちらかが先に話すわけでもなく、ウクレレは静かに鳴り続ける。

 

 

 

「……どうして、ここが分かったの?」

 

 

 

 その音の力を借りて、先に問いかけたのはパルスィだった。「勇儀さんに聴きました」と、久兵衛は静かに答える。

 

 

 

「……いつから気づいていたの?」

 

 

 

「薄々気づいていましたが、昼の一件で確信しました。特にあの行動は、仲間を大切にする貴女らしくありませんでしたから」

 

 

 

「……じゃあ、私が何をやったかも知ってるの?」

 

 

 

「……えぇ。テントを燃やしたのも、大入道を唆したのも、()の道具を盗んでいたのも、それが全部俺の為であった事も、知っています」

 

 

 

 問答の間、久兵衛は一度もパルスィの方を向かなかった。最後の問いかけに答えた後、困った顔で空を見上げた。

 

 

 

「……俺のせい、ですよね」

 

 

 

 ポツリと呟いたその言葉は、パルスィの顔を上げさせるのには十分だった。

 

 

 

「違う! 貴方のせいじゃないわ! 全部私が勝手にやった事なの!」

 

 

 

「だとしても、俺のせいでパルスィさんを苦しめてしまった事には変わりないでしょう?」

 

 

 

「貴方は関係ない! 私はただ、貴方が旅に出たら、そのまま帰ってこないような気がして……貴方がまた、一人になるような気がして……!」

 

 

 

 再びパルスィの目から涙が一筋流れ出た。顔が俯き、雫が一粒地面を濡らす。

 

 

 

「……もしかして、あの時の話を聞いていたのですか?」

 

 

 

 少し驚いた表情で久兵衛は尋ねた。コクリとパルスィの首が縦に振られる。

 

 

 

「……初めは、冗談かと思ったわ。けど、貴方から直に話を聞かされた時、また久兵衛が一人になるって思ったの。せっかく居場所を見つけたのに、旅に出たらまた孤独な生活が始まるんじゃないかとか、そうなったら今度こそ心が折れちゃうんじゃないかとか。そんな事を考えたら怖くなって、物を盗んで時間を稼いだけど、それでも貴方や意志は変わらなくて。気がついたら大入道にキスメを売ってて、テントを燃やしてて……」

 

 

 

 話すうちに、彼女の声はドンドン詰まっていく。それでも彼女は途切れる事なく言葉を紡いでいく。

 

 

 

「テントを燃やした後に、ヤマメに声をかけられて我に帰ったけど、もう後の祭りで、黙っててってヤマメを脅すくらいしか出来なかったわ。けど、キスメの言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になって、そしたら……」

 

 

 

 言葉に詰まる。悲しみが喉に詰まって、真実を告白するのを阻む。

 そんな状態でも尚、パルスィは目の前の男に向かむて本音を曝け出した。

 

 

 

「お願い久兵衛! どんな罰でも私は受けるわ。けど……けど! どうか一人にならないで! ずっとここで、私達と一緒に暮らして! ずっとここにいて、みんなを笑わせて! ヤマメやキスメと一緒に、ずっと楽しい日々を過ごして! 何があっても私が支えるから……お願い……私を一人にしないで……」

 

 

 

 縋るように近づき、彼の服を掴む。一度切った口火と感情は、決して鎮火も堰き止められる事も出来ず、ぐちゃぐちゃなまま涙となって久兵衛のコートを濡らす。

 しばらく彼女の泣き声だけが夜の空に響いていた。やがて、震えるパルスィを抱き寄せ、背中をさすりながら、久兵衛が口を開く。

 

 

 

「……いずれにせよ、俺は貴女が行なった事を咎めようとは思っていません。むしろ、こんなにも俺の事を考えてくれているなんて思ってなかったから、嬉しい位です。だから罰も与える事は何もしません」

 

 

 

「だったら!」

 

 

 

「ですが、ここを去るという事はもう揺らぎません。俺はまだ、幻想郷を旅して回らなきゃいけないんです」

 

 

 

 断言するように久兵衛は言うと、「そんな……」とパルスィは絶望するように彼を見て、半ば詰るように問い詰める。

 

 

 

「もういいじゃない! ここで終えても誰も文句は言わないわ! なのにどうして貴方はそんなに旅する事にこだわるの!? どうしてまた一人になろうとするの!? ねぇ、答えてよ! どうして……」

 

 

 

 一つ、また一つと雫が頬を伝う。伝う涙が、久兵衛のコートを少しずつ濡らす。

 

 

 

「……一言で言うなら、俺の個人的な欲……になります」

 

 

 

「……欲?」

 

 

 

「えぇ、そうです。未練って言った方が正しいかもしれません」

 

 

 

 ポツリと呟いて、ウクレレを弾く。

 

 

 

「……これでも昔、正義のヒーローに憧れてましてね。誰かの為に色々な事をしました。でも、俺が正義だと思っていたものは実は悪で、誰かにとっては乗り越える壁でしかなかったんです。彼らが答えを見つけるのを見届ける事しか出来なかった俺は、そのまま姿を消しました」

 

 

 

 今思えば、相当悪い事もやりましたしねと、半ば自嘲気味に久兵衛は笑った。

 

 

 

「このまま死のうとも思いました。けど、それは叶わなかった。別の誰かの正義に、俺は生かされたんです。俺は、もう既に死んだ人間なんです。未練でこの世に繋ぎ留められた、ただの亡霊なんです」

 

 

 

「ぼう……れい……」

 

 

 

「だから、俺は探すんです。自分が生きている理由を。自分が生かされた理由を……沢山存在する正義の中で、自分の正義が本当に正しいものだったのかどうか、その答えを知りたいんです。知りたいから、色んな場所へ行って、探しているんです」

 

 

 

 話を終えた久兵衛が、遠い物を見るような目でパルスィを見つめた。彼女は久兵衛の胸に顔を埋め、ぎゅっとコートを強く握った。

 

 

 

「……旅をする理由は、分かったわ。けど、そんな事をずっとしてたら疲れちゃうわ。今はいいかもしれないけど、何処かで必ず崩れちゃう。そんな状態になるかもしれない貴方を見るのが私は──」

 

 

 

「その心配はいりません。だって、ここが俺の帰るべき場所ですから」

 

 

 

 きっぱりと久兵衛は言った。弾かれたように、パルスィは顔を上げる。

 

 

 

「……ずっと、一人のまま生きようと思ってました。俺がいる事でギクシャクするなら、早いうちから離れようと考えてました。けれど、そんな気持ちを吹き飛ばす位、この街の人たちはいい人ばかりで、何より俺の事をこんなにも想ってくれる人がいる。ただ、それが嬉しかった。ここにいてもいいんだって、初めてそう思えたんです……ねぇ、パルスィさん。旅人と浮浪者の違いって、一体なんだと思いますか?」

 

 

 

「……分からないわ」

 

 

 

「帰る場所があるかないか、です。帰る場所があって初めて旅人なんです。ここに来て気付いたんです。今までの俺はただの浮浪者だったと。誰かに守られる感覚を、初めて知ったんです。そしてそれを俺に教えてくれたのは、他でもない貴女です」

 

 

 

 ハッとパルスィは目を見開いた。あの時と同じ、久兵衛の優しい真っ直ぐな眼差しが、彼女の緑眼に映り込む。

 

 

 

「いつか、旅を終えたら、必ず貴女の下へ帰ってきます。自分に納得がいく答えを見つけたら、一番に貴女に会いに行きます。死んで、身体が朽ち果てても、烏になって戻ってきます。それまで……どうか待っていてくれませんか?」

 

 

 

 いつか見た、あの痛々しい久兵衛の笑顔。パルスィはその顔を真っ直ぐ見る事が出来なかった。

 

 

 

「……勝手よ、貴方」

 

 

 

 だから、強がるように彼女は呟く。

 

 

 

「いっつもそうじゃない。勝手にここに来たかと思えば、勝手にここに住み着いて勝手に芸をして。勝手に私達の心を奪って勝手に去るなんて。挙句勝手にここを居場所にして、勝手に帰ってくるって約束しようとして……本当勝手、ずるいわ。私がやってた事が全部無駄になったじゃない」

 

 

 

 でも、とパルスィは顔を上げた。憑き物が取れたような、晴れやかな笑顔だった。

 

 

 

「私の罪を全部許してしまうような貴方も、それを甘んじて受け入れてしまいそうな私も、凄く、凄く妬ましいわ」

 

 

 

 その笑顔につられて、久兵衛もまた微笑んで答えを返す。夜に咲いた二輪の花はまるで季節外れの桜のようで、その場所だけが月明かりに負けずに輝いていた。

 

 

 

「……ねぇ、わがままを言っていい?」

 

 

 

「いいですよ」

 

 

 

「あの曲を聴かせて。私が初めて聞いた、あの旅ガラスの歌を、私に聴かせて」

 

 

 

「……お安い御用です」

 

 

 

 ポロンとウクレレを鳴らし、久兵衛は演奏を開始した。いつか大通りで聞いた励ますような大きな音ではなく、寄り添うような小さな音が、パルスィの耳に溶け込んでいく。

 噛みしめるようにパルスィは目を閉じて、腕を絡ませて久兵衛の肩に頭を預けた。時折吹く風が、実に心地よい。

 こうして、長く感じた地底の一日は、ゆっくりと幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 橋のたもとに、烏が降り立った。煤のように黒い羽を持つそれは、寂しいのか仲間を呼ぶようにカァと鳴いている。

 その様子を、水橋パルスィは橋桁に背をもたれて見つめていた。後ろに流れる川のせせらぎが、烏の合唱と合流するように歌い出す。

 

 

 

「今日も待っているのかい?」

 

 

 

 ふと、声をかけられた。見ると、酒瓶と盃を持った星熊勇儀が、いつのまにか隣に座り込んでいる、

 

 

 

「勇儀、あんたいつ来たのよ」

 

 

 

「ついさっきさ。なに、野暮な事をしに来たわけじゃない」

 

 

 

 言いつつ、持っていた酒瓶を軽く振った。その仕草で、勇儀が何をしに来たのかをパルスィは悟る。

 

 

 

「……はぁ、相変わらずね」

 

 

 

 ため息をついて腰を下ろし、彼女から盃を受け取る。「そうこなくっちゃ」と勇儀は笑顔で二つの盃に酒を注ぎ、一気に呷る。

 

 

 

「……ふぅ、やっぱり誰かと呑む酒って言うのは旨いものだね」

 

 

 

「あんたはいつ、どこで呑んでも一緒じゃない。そうやって酒を呑めるあんたが妬ましいわ」

 

 

 

「ハッハッハッ! そう言うなよパルスィ! これは気分の問題なんだ!」

 

 

 

 豪快に笑って、彼女の肩をバシバシと肩を叩く。痛いじゃない、と顔をしかめつつも、パルスィは抵抗らしい抵抗はしない。

 

 

 

「……で、あんたはなんでここに来たのよ。ただ酒を呑む為だけにわざわざここに来たわけじゃないんでしょ?」

 

 

 

「……ふむ、流石にパルスィは鋭いな。いやなに、あいつがいなくなってからのお前が少し、心配になってね」

 

 

 

 そう言うと勇儀は酒瓶をそっと置き、地底の空を見上げる。季節が春に差し掛かったとはいえ、日はまだまだ早く沈む。もう既に月が顔を出し始めていた。

 ピエロであり、医者でもあった旅人烏丸久兵衛は、年明けと同時に地底を出て行った。道具やテントが用意出来たらすぐに旅立つと、彼自身が常々言っていた通りになった。

 別れは皆、名残惜しそうに、それでも旅の無事を祈るように見送った。ヤマメは泣きそうになりながらも明るく、キスメは服の裾を掴んで「ありがとう……」と顔を伏せて。それら全てを背中に受けて、久兵衛は風のように去って行った。

 それでも旧地獄の活気は変わらなかったが、やはりどこかポッカリと穴が空いたような寂しさがあった。だが、徐々に現状を受け入れ、前に進もうと動き出し始めている。

 

 

 

「キスメは旧地獄の案内人になろうと頑張ってるし、ヤマメは地底のアイドルとして、たまに地上の方に行っている。久兵衛が気にかけてたあの子も、親が見つかって一緒に暮らし始めたそうだ。皆、どんどん変わり始めてる。だが……」

 

 

 

「私は変わってない……そう言いたいの?」

 

 

 

「……あぁ。相も変わらず、こうやって久兵衛の事を待ち続けてる。それがいい証拠だ」

 

 

 

「まぁ、分からなくはないわ。けど、こうは考えられない? 未だに地底のみんなにやった事を気に病んで、こうして迷惑かけないように暮らしているって」

 

 

 

「ちょっと待て! それはもうあたし達は許したじゃないか! 今更蒸し返すような事は鬼の名にかけて一切しないぞ!」

 

 

 

 冗談よ、と軽くあしらい、クイと杯を傾ける。納得していないのか、勇儀は再び酒を注ぎ、同じように一気に吞み干す。

 久兵衛と語り合った翌日、パルスィは久兵衛と共に地底の住民に謝罪を行なった。勿論大多数は激怒したが、ヤマメと勇儀の尽力により、一ヶ月謹慎という形で許してもらっている。

 

 

 

「……鬼のあたしが言うのもなんだが、人間の寿命は決して長いもんじゃない。もしかすると、あいつが帰ってくるのは魂の姿って事もなきにしもあらずだ。もしそうなった時、パルスィがどうなるか、それが心配なんだ。あたしは──」

 

 

 

「ていっ」

 

 

 

「ッ──!?」

 

 

 

 不意におでこを襲う鋭くも鈍い痛み。パルスィが一瞬の隙を突いてデコピンをくらわせたのだ。

 

 

 

「何すんだ! いくらあたしでも我慢の限界ってもんが──」

 

 

 

「勇儀、ありがとう」

 

 

 

 怒ろうとする直前パルスィは立ち上がり、そう呟く。あまりに突然の事に、勇儀は少し面食らった。

 

 

 

「でも、私なら大丈夫。どんな姿になっても、あの人はなら大丈夫って信じてるから。それに……」

 

 

 

「それに?」

 

 

 

「約束したから。ここが帰って来る場所だって、必ず帰って来るって言ってくれたから。それなら私は、その言葉を信じて待ち続けるだけ。ヤマメやキスメ、あんた達と一緒なら、いつまでも待ち続けられるわ」

 

 

 

 だから、とパルスィは勇儀の方へ振り返る。

 

 

 

「改めて、これからもよろしくね。勇儀」

 

 

 

「……前言撤回だ。お前は変わったよ。あぁ、こちらこそよろしくな。パルスィ」

 

 

 

 初めて見る、皮肉屋な笑みではない純粋な笑みに、勇儀は最初目を丸くしたが、やがてニヤリと笑みを浮かべ、立ち上がる。自然と、二人の手は固く、強く握られていた。

 

 

 

「あー、パルスィ! それに勇儀も! 二人ともこんなとこにいたんだ! 」

 

 

 

「……結構探した……疲れた……」

 

 

 

 その時、ヤマメとキスメの二人が、旧地獄の方からやってきた。橋の上に、鬼と土蜘蛛とつるべ落としと橋姫の四人が集う。

 

 

 

「おー、二人ともお疲れさん。一体どうしたんだ?」

 

 

 

「やー、今日はなんだか呑みたい気分でさ! 勇儀とパルスィも誘おうと思って探してたんだよ!」

 

 

 

「……肝心な時に……二人ともいない……何かの偶然かと……思った……」

 

 

 

「そうかそうか! いや、私達も呑み始めた所なんだ! なら丁度いい! パルスィの家で宴会と洒落込もうじゃないか!」

 

 

 

「ちょっと! 何勝手に色々決めようとしてんのよ! 家主である私の判断を仰ぎなさいよ!」

 

 

 

「いいじゃん、家近いんだし! それともー、パルスィは一人だけ仲間外れでも平気なのー?」

 

 

 

「ぐっ……そんなの卑怯よ!」

 

 

 

「素直にならない方が……悪い……」

 

 

 

「まぁまぁ! 言ってやるな二人共! なぁパルスィ、お前の家で宴会、やってもいいか?」

 

 

 

「……仕方ないわね。やってあげてもいいわよ」

 

 

 

「よっしゃあ! そうと決まれば善は急げだ。早速パルスィの家に行こう!」

 

 

 

「おー!」

 

 

 

 女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。

 明るく陽気に先を行くヤマメと勇儀、そのすぐ後ろを歩くキスメに、パルスィはそう感嘆した。

 突然、カァと鳴き声が聞こえた。

 振り返ると、あの時の烏が、こちらを見つめているではないか。まるで、自分の事が心配になって、見守りに来たと言いたげに、曇りのない黒目をじっと彼女に向けている。

 ふと思い立って、パルスィはその烏に向かってこう言った。

 

 

 

「──ねぇ、あの人に、旅ガラスのピエロに会ったらこう伝えて。私はいつまでも待ってるからって」

 

 

 

 またカァと一声鳴くと、満足したのか烏は飛び立った。振り返る事なく真っ直ぐに飛ぶ様は、いつか見たあの旅人を連想させる。

 

 

 

「おーい何やってんだー! 置いていくぞー!」

 

 

 

「ちょっと待ちなさいよー! 家の鍵空いてないからー!」

 

 

 

 遠くから勇儀が呼びかける。名残惜しく烏の飛び立った方を見続けた後、パルスィはその場を後にした。

 橋の上には、黒く、美しい烏の羽が残っていた。

 

 

 

 




次回は秘封をやると言ったな?

あれは嘘だ。

というわけでまた別のものを考えてます。

いつになるかは分かりませんが、ゆっくりと待っていただければ幸いです。
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