東方悲恋録〜hopeless&unrequited love〜   作:焼き鯖

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fallen girl①

 私が幻想郷に住み着いてから、早いもので数ヶ月経つ。盲目の私がこうして生きてこれたのも、迷い込んだ先がたまたま永遠亭で、永琳様や鈴仙さんが早急に保護、治療を施してくださったおかげである。私は本当に運が良かった。

 

「倉間ー、次の患者様よー」

 

「はい、ただいま」

 

 鈴仙さんの声に合わせて、私は軽く居住まいを正す。直後、高齢者特有の重苦しい足音が聞こえてくる。しかし、どこか通い慣れたようにしっかりとした足取りは、きっと常連のヨネさんだろう。

 

「はい倉間さん、今日もよろしくお願いしますよ」

 

 思った通り、ヨネさんの柔らかくしゃがれた声が、私の耳に溶けて消える。私は声のする方に振り向くと、ニコリと笑って声を掛けた。

 

「こんにちは、ヨネさん。今日もいつものでよろしいですか?」

 

「えぇ、いつものでお願いしますねぇ」

 

「かしこまりました。では、着替えましたらそちらに寝転んでください」

 

 私がそう指示すると、ヨネさんははぁいと着替えを始める。盲目はこういう時に気が楽だ。不用意に移動することなくすぐに施術に移ることが出来るし、女性の体を不用意に見なくて済むというのはこの仕事をするうえで大きい。

 床がずれる音が聞こえたら、それが私の仕事の合図である。

 まずは肩甲骨のあたりからゆっくりと揉みこんでいく。ヨネさんの気持ちよさそうな声が聞こえるたびに、私は期待に応えるようにコリをほぐしていく。

 今、私は永遠亭の離れに住んでいる。ここで住み込みながら按摩師として働いているのだ。

 生まれた時分から光の見えない身の上であった私は、手と耳の感覚だけが生命線だった。そんな私が唯一働けるこの按摩師というものは、まさに天職に近いものであろう。

 なんてことを考えながら、僕は施術を施していく。丁度腰のマッサージが終わり、太ももとふくらはぎの揉みこみに入ったところであった。

 

「あ~、やっぱり倉間さんのマッサージは効くねぇ。なんだか天国まで行ってしまいそうだよ」

 

「アハハ、嫌だなぁヨネさん、そんな悪い冗談はよして下さいよ。まだまだ長生きできますって」

 

「そうは言ってもねぇ、この歳になるとあちこちにガタが来ちゃってねぇ。もう歩くので精一杯」

 

「永琳様に頼んで湿布を処方してもらいましょうか。私が頼んでおきますよ」

 

 こんな風に他愛もない話をしながら、僕はヨネさんの体を揉み込んでいく。最後の施術で太腿に薬を擦り込んだら、今日の工程は終了だ。

 

「はい、これで終了です」

 

「いやーいつも悪いねぇ。ありがとうねぇ」

 

 ぺこぺこと頭を下げているような声色で、ヨネさんの足音が遠のいていく。鈴仙さんと会計している音が終わったかと思うと、ガラリと扉が開かれ、足音が再び遠くなっていく。またガラリと扉が閉まる音がすると今度はトントントンと軽やかな足取りがこちらに向かってくる。

 

「お疲れ様。どうかしら今日の調子は」

 

 入ってきた声は、鈴仙さんのそれとは違う、研究者のように冷静な、それでいて年を重ねた女性らしい母性に溢れたもの。

 

「その声は永琳様ですね。はい、今日も絶好調でございます」

 

「ふふっ、そう。それなら良かったわ」

 

 隣座るわねと、永琳様が横に座る音が聞こえる。間髪入れずにカチャカチャと茶器が鳴る音が近づいてきた。

 

「お茶をお持ちしました」

 

「あら、ありがとう鈴仙。気を遣わせてしまって悪いわね」

 

「いえ、お気になさらず。それでは私は置き薬の交換に行ってきますね」

 

 私と永琳様の前に湯呑みが置かれると、鈴仙さんはよいしょと一声呟いて、足早に部屋から出て行かれた。きっと着替えや薬の準備で忙しくなるのだろう。

 

「ふふっ、あの子も最近やる気が出てきてくれて何よりだわ。貴方のおかげかしらね」

 

「そんな、滅相も御座いません。私は単に住まわせて頂いている身。むしろ私の方こそ感謝しなければならないのです」

 

「あら、そうかしら。これでも結構助けられてる方なのよ? それとも、私は助けられている事が分からない恩知らずに()()()のかしら?」

 

 クスクスと揶揄うような笑い声がする。永琳様がこの笑いをする時は決まって私を弄る時だ。

 

「いくら薬に聡くても、マッサージ治療なんかは私には専門外。それを補ってくれる貴方の存在って本当にありがたいの。現に貴方の按摩目当てに来る人も結構いるじゃない」

 

「しかし……いくらそうおっしゃられましても……」

 

「それ程貴方を信頼してるってことよ。謙虚になるのもいいけど、もう少し自信を持ちなさい。これは年長者としてのアドバイスよ」

 

「はぁ……」

 

 気恥ずかしいやらピンとこないやら、複雑な心持ちを紛らわすように、私は正面に置かれていた湯呑みを慎重に探し当て、所在なく口をつける。熱すぎず、かといってぬるくもない、丁度いい温度の玉露が喉をするりと通っていく。

 

「永琳様の言うことはごもっともでございます。ですが……私は万能ではございません。むくみやコリ、少々の痺れと痛みを払うくらいが精精。だから私は怖いのです。私の知識が、技術が通用しない人が来てしまうのではないかと……」

 

「……真面目な子ね。ホント。あの子にも貴方の爪の垢を煎じて飲ませたいわ」

 

 あの子、というのはきっとてゐさんの事だろう。あの方は出会った人を幸運にしてくれるという素晴らしい能力を持っているというが、いかんせん悪戯好きというのが災いしているという。

 

「心中お察し致します。私はてゐさんとはあまり話す事はありませんが、永琳様のご苦労は痛い程伝わってきます」

 

「分かってくれるかしら? この前だってねぇ……」

 

 永琳様が愚痴をこぼそうとしたその時、荒々しく玄関が開かれ、慌ただしく永琳様を呼ぶ声がした。

 

「はぁ……急患のようね。行かなくちゃならないわ」

 

「そのようですね。段々と走ってる音が聞こえてきます。この慌て方は鈴仙さんでしょうね」

 

 果たして私の予想通り、パァンと開かれた障子から鈴仙さんの切迫した声が飛び込んできた。

 

「師匠! 大変です! 怪我人が……」

 

「えぇ、分かってるわ。すぐに患者を運ばせて。後、念のため手隙の兎達に手術の用意を。それから……」

 

 手際良く鈴仙さんに指示を出しながら、永琳様が部屋から出て行かれる。目には見えないが、男衆の声とドタドタとした荒い足音から、只事ではない様子が思い浮かぶ。

 こういう時、私は自分の無力感を強く痛感する。

 もっと自分に技術があれば、多くの知識があれば、もっと多くの人間を助ける事が出来るのではないか。

 そんな考えが頭をよぎってしまう。

 傲慢であるといえばそれまでだが、私にとってはとても大きな命題である。

 

「…………」

 

 今この時も、患者様や永琳様達は必死に戦っている。そんな抜き差しならない状況において、私は呑気にお茶を飲んでいて良いのだろうか。

 そんな事を思いながら、湯呑みを傾ける。私の気持ちとは裏腹に、玉露は変わらずに丁度いい温度であった。

 

 

 

 

 

 


 

 それから丁度三日後の事であった。

 

「倉間、少しいいかしら」

 

 いつも通り仕事の準備を進めていた時に、鈴仙さんが部屋に入って来た。

 

「どうされたのですか?」

 

「うん、昨日急患の患者さんが運ばれて来たのは知っているわよね?」

 

「はい、それからどうなったか気になっておりました」

 

「あぁ、心配しなくていいわよ。さっき意識を取り戻したから」

 

「生きておりましたか……それは良かった」

 

 素直に喜ばしい事だと思った。あの慌て具合から相当の怪我をしていたのだろうと推測していたが、無事であった事は不幸中の幸いと言うべきか。兎に角生きていた事に私はホッとしていた。

 しかし、気になる事が一つある。

 

「何故……私にその事を伝えたのです? 気になっていたとはいえ、私は部外者。あまり立ち入る事はないと思っていたのですが……」

 

「その事なんだけどね、師匠が貴方の事を呼んでいるの。力を貸して欲しいって」

 

「私に?」

 

 益々もって謎である。

 

「兎に角、ちょっと来て貰えないかしら? 場所は私が案内するから」

 

「はぁ……」

 

 要領を得ないまま私は立ち上がり、鈴仙さんの手をとって歩き出した。

 金木犀の芳しい匂いがする中庭を沿って縁側を歩いていくと、ある場所で鈴仙さんが立ち止まった。

 

「ここよ。ここは入院部屋。後四部屋くらいあるんだけど、ここはその隅。本来なら大部屋でベッドが四つあるんだけど、相手が相手だから特例で個室にしてあるの」

 

 鈴仙さんがそう説明し、部屋にいるであろう永琳様に声をかけようとした時だった。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 突然、耳をつんざくような叫び声が聞こえて来たかと思うと、次の瞬間には凄まじい突風が部屋から襲いかかって来た。

 

「うわぁ!?」

 

「倉間!? 私にしっかり捕まってなさい!」

 

 吹き飛ばされる瞬間、なんとか鈴仙さんの体にしがみついたものの、風が暴れていると言わんばかりのこの豪風は、私の身体を吹き飛ばすどころか永遠亭すらも取り壊そうとしている。このままでは全員無事では済まないだろう。

 

「師匠! 大丈夫ですか!? 今そちらに……」

 

 鈴仙さんがなんとか部屋へ行こうとした瞬間、あれだけ吹き荒れていた風がピタリと止んだ。浮いていた私の体がドサリと音を立てて落ちる。

 

「し……師匠?」

 

「来たようね。ちょっと散らかっちゃったけど、入って来て貰えないかしら?」

 

「わ……分かりました……倉間、立てる?」

 

「はい……なんとか……」

 

 永琳様の底知れぬ強さを改めて感じ取りながら、扉の名残を残す部屋へと足を踏み入れる。

 

「歩きにくくて申し訳ないわね。こっちまで来れるかしら?」

 

 あれだけの事があったと言うのに涼しい声のままの永琳様に導かれ、出来る限り近づいて見る。

 

「そこで止まって。そのまましゃがんでそこにあるものに触りなさい」

 

「はぁ……かしこまりました……」

 

 言われるがままその場にしゃがみ、ゆっくりと手を伸ばすと、指先に何か柔らかな毛の感触が伝わって来た。

 これは……動物の毛? それも鳥の羽毛に近い。

 そう思い、そのまま手を下にずらすと、柔らかな布の感触が伝わる。思いっきって両手で様々な場所を触れてみると、人肌の暖かさと、絹のようにすべすべとした感触、何より指や唇、首や足などが確認出来た。しかし、先程感じた毛の感触は、肩甲骨辺り以外に確認は出来なかった。

 

「永琳様、これは一体……」

 

「さっきまで暴れてた鴉天狗よ。名前は射命丸文。貴方も名前位は聞いたことあるんじゃないかしら?」

 

「射命丸……あぁ、確か、新聞を書いていらっしゃる方ですよね。お噂は予々聞いております」

 

 鈴仙さんや永琳様との雑談で文々。新聞というものを出していると聞いた事がある。

 

「しかし……この方を私に会わせて一体何をしようと……」

 

「そうね、まどろっこしい事は嫌いだから単刀直入に言うわ。貴方に、この射命丸文を救って欲しいの」

 

「……はっ?」

 

 驚き、バッと顔を上げる。

 これは何かの戯言か。それとも永琳様がまた私を揶揄っているのか。

 いや、そんな事はない。永琳様は患者様や病気に真剣になって取り組んでいるお方だ。戯れや冗談でこんなことを言う筈がない。何より、永琳様の口調は到底冗談を言っておられる声色ではない。

 ということは、本当に言っているのか。

 この目も見えない無力な私に、一人の鴉天狗の少女を救えというのか。

 

「無理です! 私には医学薬学の知識はございません! それに何より、聞く限りでは射命丸様は妖怪なのでしょう!? 強大なお力を持つ方に私が出来る事など何一つ……!」

 

「落ち着いて、倉間、大丈夫よ。傷は全て私が治したわ。後は鴉天狗の治癒力に任せましょう」

 

「ではカウンセリングなどの心理療法ですか!? それも私には専門外の物です! 第一私には按摩以外に出来る事が……!」

 

「それよ、倉間。私は按摩師としての貴方を頼りたいの」

 

 どう言う事かと尋ねようとする前に、永琳様が順を追って説明するわねと前置きして、ゆっくりと説明を始めた。

 

「鈴仙の話によるとね、この子は妖怪の山の麓に倒れていたって言うの。多分、河童の実験が失敗して、その事故に巻き込まれてしまったのでしょうね。全身火傷と裂傷が酷かったわ。だけどそれ以上に……翼の損傷が激しかったの」

 

「翼の……損傷……」

 

「えぇ、そうなの。何とか治療には成功したけど……少し神経に傷が入っているの。このままだと障害が残って本来のように飛べなくなる可能性があるわ。それを伝えたらこの子、ショックのあまり暴れちゃってね……だからこそ、貴方の力が必要なの」

 

「それはつまり……私の按摩とリハビリの技術を使って、射命丸様を飛べる状態まで回復させて欲しい……という事でしょうか?」

 

「正解よ。知識がないから無理とは言わせないわ。貴方の腕を見込んで言っているの」

 

 有無を言わせない無言の圧が、私に向かって降り注ぐ。しかし、裏を返せばこれは永琳様が私の事を信頼してくれている証拠でもある。

 ならば、それに応えない訳にはいかない。

 

「……かしこまりました。不肖倉間、全力を持って治療させて頂きます。ですが……五日の時間と、鴉天狗の身体に関する点字本を仕入れて頂けないでしょうか?」

 

「構わないわ、すぐに作らせるから。もっと詳しい状態はすぐに教えるし、質問にも答えるわ。貴方の腕、期待しているわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 そうして約束の五日が過ぎた頃。

 

「離してください! もう元に戻らないなら放っておいて下さいよ!」

 

「いいから大人しくしてなさいよ! 何の為に倉間と師匠が時間作ったと思ってんの!」

 

「知りませんよそんな事! 兎に角もう一人にして下さい! 今は誰とも会いたくないんです!」

 

「師匠〜何とかして下さい〜。私じゃどうしようもないんですよ〜!」

 

 ──私の目の前では、少女達の攻防劇が繰り広げられているであろう姦しい声が聞こえていた。

 仕事部屋で一人、佇みながらその時を待っていたら、何やらバタバタと騒がしい音がする。

 程なくして扉が開かれたかと思えば、鈴仙さんと射命丸様であろう押し問答の声。しかも、これは今の今まで続いている。

 流石の私でも、少しだけ顔に苦い笑みを浮かべていたかもしれない。

 

「……永琳様、私は……」

 

「そのまま待っていなさい。ちょっと話をつけて来るから」

 

 そのままスッと永琳様が立ち上がり、暫くするとピタリと騒がしい声が止まった。きっと、永琳様がなんらかの口添えをしたのだろう。

 

「兎も角、私もこの子も全力で貴女をサポートするわ。後は貴女の心持ち次第よ」

 

「むー……どうせ嫌だと言っても強制的にやるんでしょう? 分かりましたよ。一回だけ受けてあげます。但し、この人の腕が少しでも悪かったらそれ以降はもう受けませんからね!」

 

「構わないわ。貴女の好きにして頂戴」

 

「それと! さっき言った永遠亭の独占取材の約束! ちゃんと守って下さいねー!?」

 

 騒々しい声を出しながら、ごろりと寝転がる音が聞こえた。

 

「さて、ここからは倉間、貴方の出番よ。鈴仙と一緒に別室で待機しているから、何かあったら呼びなさい。いいわね?」

 

「はい、かしこまりました」

 

「じゃあ頼んだわね。鈴仙、行くわよ」

 

 その声を合図に二人は出ていき、部屋には私と射命丸様が残される。

 

「……では、よろしくお願い致します。今日から担当致します倉間と……」

 

「あー、自己紹介とかいーですから。早くやっちゃってください」

 

「あははは……では、早速施術に入らせていただきます」

 

 これは先が長そうだと思いつつ、私はまず、両翼を摘んで持ち上げてみる。

 

「改めてご確認しますが、両羽の感覚はありますか?」

 

「全然。何が何やら分からないですよ」

 

「かしこまりました。では、まずは緊張を和らげる施術から行いますね」

 

 私はそう言うと、薬をすり込んで一番緊張が酷い翼の根本から揉みほぐし始めようとした。

 ところが、

 

「……痛っ!? 痛い痛い痛い! ちょっと! もっと優しく出来ないんですか!?」

 

「……暫くは我慢して下さい。一度こうして筋肉をほぐさないと、余計な力が入って飛びにくくなるんです」

 

「だからってこんな……!」

 

 尚もほぐそうとする私の手から逃れようと、射命丸様が身を捩り始めた。軽く揉んだだけなのにこの反応という事は、かなり緊張していると見ていいだろう。

 しかし、この施術を施さなければ後々の行動に差し支える。多少強引ではあるがリハビリが優先と判断した私は、そのまま施術を続けようとした。

 それがいけなかった。

 

「ちょっと……もう! やめて下さい!」

 

「がっ……!?」

 

 恐らく衝動的だったのだろう、守るように振り抜いた腕が、私の腹に直撃した。勢いは思ったよりも強く、私の体は縁側まで飛ばされた。

 

「ちょっと! 大きな音がしたけど大丈夫なの!?」

 

 隣の部屋から、慌てた鈴仙さんの声が聞こえてくる。遅れて永琳様の声と共に、私の体がそっと抱き寄せられた。

 

「落ち着きなさい鈴仙……見たところ大きな怪我はなさそうね。何があったの?」

 

「いえ……ちょっと強引にやり過ぎてしまいました。申し訳ありません」

 

 訳を話すと、呆れたような永琳様のため息が聞こえた。

 

「全く……焦って事を進めようとするのは貴方の悪い癖よ? まずは患者の気持ちに寄り添いなさいっていつも言ってるじゃない」

 

「はは……面目次第もございません」

 

「だけど師匠! いくら倉間が悪いからってこれは流石に許せません! ちょっと射命丸! アンタ、今自分がやった事分かってんの!? 一歩間違えたら──」

 

「うるさい!」

 

 鈴仙さんの糾弾する声をピシャリとはねつけるように、射命丸様が叫ぶ。

 

「さっきも言ったでしょう!? 放っておいて下さいって! 私はもう飛べない! あれだけ飛んでいた空を見上げることしかもう出来ない! 天狗としての私はもう死んだんです! だったら死人らしく一人きりでひっそりと生きていく方がまだマシです! 無駄な希望を抱かせないで下さい! そんなもの、心が苦しくなるだけです!」

 

「あ、アンタねぇ……!」

 

「……分かりました」

 

 再び言い返そうとした鈴仙さんを押し留め、私は立ち上がって射命丸様のもとへ行く。途中、何かにぶつかったりつまづいたりしながらも、射命丸様の場所をある程度検討づけて座る。

 

「……まず、先程の無礼を謝罪致します。先程は強引なやり方になってしまい、申し訳ありませんでした」

 

 深く頭を地面につける。先程まで騒いでいたのが嘘のように静かであった。

 

「お詫びと言ってはいけませんが、今日の施術はこれで終了とさせていただきます。今回の件は、焦ってしまった私の責任です」

 

「そ、そうですよ! これでもう私の邪魔はしないで──」

 

「ですが、射命丸様、これだけは覚えていて下さい」

 

 私はスッと顔を上げた。今、彼女がどのような表情をしているか分からないが、驚いている事は間違いないだろう。

 

「リハビリは、出来なくなった事を少しずつ出来るようにするものです。どれだけ無理だ、絶望的だと言われる状況でも、少しずつ、一歩ずつ、段階的に積み重ねて、出来る様にしていくものなのです。私はただの按摩師ではございますが、理学療法の知識を備えております。ですからご安心ください。射命丸様、長い時間はかかりますが、必ず貴女は飛べるようになります」

 

「そ、そんなの、信じられるわけが──」

 

「……今は、色々考える事が多いですから、そう思われるのも無理はないでしょう。ですが、先程永琳様が仰った通り、私達は、射命丸様が再び空へ飛び出せるように全力を尽くします」

 

 答えはなかった。が、それでいいと私は思った。今は時間が必要だ。

 

「それでは、今日はこの辺りで。鈴仙さん、射命丸様を送ってあげてください」

 

「え、えぇ……ほら、射命丸、行くわよ」

 

「は、はい……」

 

 そのまま鈴仙さんと射命丸様は部屋を出ていき、後には私と永琳様が残される。

 

「……永琳様、ご期待に応えられず、申し訳ありませんでした」

 

「いいのよ。私にも落ち度があったわ……伝え方があまりにも直球過ぎて、あの子を混乱させてしまったみたい」

 

 向き直って謝罪してみれば、意外な事に永琳様は怒る事はしなかった。むしろ、「私もまだまだね……」と自嘲にも似たため息が聞こえた。

 

「まぁ、まずは片付けから始めましょうか。障子は私がやるから、貴方は散らかった物を片付けなさい」

 

「はい……」

 

 そのまま私達は、嵐の後の部屋の片付けを始めた。あのゴタゴタで思ったよりも部屋が散らかったらしく、手探りだけでも色々なものが散らばっていた。

 

「……それで、貴方はこれからどうするつもり?」

 

「はい、まずは……」

 

 片付けながら、自分の考えを訥々と述べる。

 一通り語り終えると、暫く黙って聞いていた永琳様が「そうねぇ……」と口を開く。

 

「私もそれが一番いいと思うけど……大丈夫なの? 私達が手が離せない時はどうするのよ」

 

「ご心配には及びません。白杖もありますし、何回か往復するうちに分かると思いますから」

 

「……分かったわ。鈴仙にも手伝って貰えるように頼んでみるから」

 

 永琳様はそう言うと、再び片付けを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 それからまた一ヶ月が経過した。

 相変わらず、射命丸様はリハビリを受けて下さらない。が、あの日のように焦る事はしない。まずはゆっくりと、信頼関係を積み上げるのみだ。

 

「……それで、なんで貴方は勝手知ったる様子で私の病室にいるんですか?」

 

「あはは、私にも話し相手が欲しいと思う時位はありますよ」

 

「だからって週に三回もここに来るのはやり過ぎじゃありませんか!?」

 

「まぁまぁ、こう見えても忙しいのですよ? 私の仕事」

 

 言いつつ、玉露をズズッと一杯傾ける。

 あの日以来、私は時間を作って射命丸様の病室に赴き、彼女と色々な事を聞くように努めた。時には新聞のことについて熱く語って貰ったり、時には行ったことのない所について私の方から尋ねたり、また時には何も語らずにただ黙って過ごすという日もあった。

 最初は私に対して厳しい態度を取っていた彼女も、何度も何度も懲りずにやってくる私に諦めたのか、多少の憎まれ口は叩きつつも、私がこの場にいることに何も言わなくなっている。

 

「本当ですか? その割には暇そうに見えますけど」

 

「私達はどんなに忙しい時でも余裕を持って患者様に接するんです。忙しそうだと患者様が遠慮してしまいます故」

 

「ふーん、そうですか。しかし、こうも貴方が頻繁に来る物だから、もう話すネタが尽きてしまいましたよ」

 

「それでは、今日は何も語らずに静かに過ごしましょうか?」

 

「いえ、それだと間がもちませんし……そうだ、貴方の事を教えて下さいよ」

 

「私の……ですか」

 

 これはまた読めなかった。私の身の上など、語っても意味がないと思っていたからだ。

 

「そうです。というか、今の今まで私の本分を忘れてました。貴方の事を聞いて、記事にする。それが今の私が望む事です。おっと、断ろうなんて考えないで下さいね? ここまで私の事を聞いたのですから、貴方も自分の事を話さないとフェアじゃないでしょう?」

 

 全くもってその通りである。

 

「分かりました。つまらない話でも宜しければ、なんでもお聞き下さい」

 

「大丈夫ですよ。つまらない話を面白くするのが私達鴉天狗ですから」

 

 そう言うと、少しの間を置いたのちに射命丸さんが口を開いた。

 

「それじゃあ早速質問させて頂きますね。まずは……シンプルに好きな食べ物でも」

 

「好きな物ですか……そうですね、外の世界にいた頃は、リンゴとお饅頭を好んでおりました」

 

「ふむふむなるほど。それでは次は……」

 

 ポンポンと放たれる質問に、私は小気味良く答えていく。時折質問が止められ、何か書く音が聞こえてくるが、射命丸様が私の答えをメモしているのだろうと予想出来た。

 きっと、射命丸様の新聞に対する情熱は並々ならぬものなのだろう。

 

「ふむふむ……段々と倉間さんの事が分かってきましたよ。ここからは少し踏み込んだ質問をさせていただきますが、よろしいですか?」

 

「はい、何なりと質問して下さいませ」

 

「それじゃあ早速なんですけど……貴方のその目、いつから見えないんですか?」

 

 早速、私を語る上で外せない質問が繰り出された。

 

「はい、生まれた時からこの身の上でありました」

 

「不便と思った事は?」

 

「幾つかありましたが……慣れてしまえばどうという事はありません」

 

「ふーん……そんなもんですかね」

 

 何か含みがある言い方ではあったが、気にする事なく「そんなもんです」とオウム返しに答える。

 

「ですけど、生まれた時から目が見えないともなれば、虐められたりして大変だったんじゃないんですか?」

 

「そうですねぇ……理不尽な事は幾つか遭って来ましたね。専用の進路を邪魔されたり、意図的にぶつかられたり」

 

「ほらやっぱり」

 

「まぁ、相手が分からない以上は泣き寝入りとまでは行きませんけど黙っている事が多いですよ。ですけど、そればかり気にしていたら疲れますし、何より嫌な相手の顔を見なくて済むというのは大きいですよ」

 

「……なんか、随分と前向きですね」

 

「えぇまぁ。前向きじゃないと生きていけませんし」

 

 一拍あけるように玉露を啜って、また口を開く。

 

「私には父も母もおりません。なんでも生まれた時に祖父母に預けたきり行方不明になったそうです」

 

「よくある事ですね……いい気はしませんが」

 

「まぁそうですね。それで、私は祖父母に育てられたのですが、そこで『目が見えないって事を言い訳にするのではなく、どうやったら活かせるかを常に考え続けなさい』と常々言い聞かされておりました。その考えは、二人が亡くなった後も私の胸の中に刻まれております」

 

「なるほど、貴方のその精神的な強さは、お祖父様とお婆様の賜物でしたか……」

 

 ぽつりと呟いたその一言で、彼女がメモを書く音が止まった。不思議な位に穏やかな沈黙が続く。

 暫くそうして静かな時が流れたが、玉露を飲もうとした時、射命丸さんがそれを破った。

 

「ですけど……世の中、貴方みたいに強い人はいないじゃないですか」

 

 一瞬、自分に向けられた質問かと思ったが、すぐに違うと悟った。これは明らかに、射命丸さんの心情が口から零れ出たものだ。

 私はこれまでと同じく、いや、それ以上に誠実な態度でもって、口を開いた。

 

「射命丸様、私が按摩師の仕事を始めたのは、この仕事が天職だと感じたのもそうなのですが、射命丸様のような方々を助けたいと思った事が始まりなんです」

 

「……どういう、事ですか?」

 

 射命丸様が弱々しく尋ねる。私は玉露を口に含んで喉を潤すと、ゆっくりと語りかけた。

 

「……私は、生まれながらに目が見えませんから、様々な問題に直面してきました。が、向き合う時間が多かった分、それは乗り越える事が出来ました。ですが、突然失った人は違います。何故なら今まであったものがいきなり奪われ、その事実と強引に向き合わなければならなくなってしまったから。烏滸がましいとは思いますが、私はその方々に寄り添い、共に向き合って乗り越えられるようにサポート出来るようにしたい。そう思ってこの仕事に就きました」

 

 少々欲深いですけどね。と自嘲気味に笑って、話を締めたが、射命丸様は黙ったままであった。

 暫くそうして黙っていると、射命丸様が口を開いた。

 

「……あの……本当に、私、もう一度飛べるようになるんですか?」

 

 酷く怯えたようなこの質問に、私はにっこりと微笑む。

 

「きっぱりと言い切る事は出来ませんが、射命丸様が飛びたいという意志を持って望めば、きっと飛べるようになると思います」

 

「そう……ですか……分かりました」

 

 意を決したかのような声と共に、射命丸様は再び口を開いた。

 

「私、リハビリ受けます。こうやって逃げていても仕方ないですし、何より倉間さんの言葉を信じて見ようと思いまして」

 

「……嬉しいお言葉をありがとうございます。まずは射命丸様のご決断を、心より賛成致します」

 

「いやぁいいんですよ。そんなにかしこまらなくて……何処かで折り合いをつけてやらなきゃいけないって事は分かってはいたのですが、どうしても現実を直視する事が出来ませんでした」

 

「……それは、大変に心苦しかったと存じ上げます」

 

「でも、さっきの倉間さんの言葉を聞いて、なんというか、ちょっとだけ救われたと言いますか、まぁ兎に角、頑張れるような気がしたんです」

 

 だから……と、不意に私の手に柔らかな熱が伝わってきた。

 

「ありがとうございます。貴方に出会えて良かった」

 

 ──初めて、目が見えない事が惜しいと感じた。

 何故なら目の前にいる射命丸さんの表情を見る事が出来ないから。きっと、とても嬉しそうな表情をしていらっしゃるだろうに、それを拝む事が出来ない。

 けれども、両手を通じて伝わってきた、この温かな想いは、決して偽りのものである事は間違いない。

 だから私は、もう一度「ありがとうございます」とだけ言うと、にっこりと笑って握り返すのだった。

 

 

 

 

 

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