東方悲恋録〜hopeless&unrequited love〜   作:焼き鯖

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お、遅くなってしまいまして申し訳ありませんでした……

どうもこんばんは。年の瀬にならんと作品を投稿しない男焼き鯖です。

今回は射命丸編の後編でございます。彼女の悲恋をどうぞご堪能ください。

ps:私事ですが、雨野みるは様のこーまり同人誌「星色の恋心」において、小説を寄稿しました。(紅楼夢なので滅茶苦茶遅い)

これをきっかけに読んでいただけると嬉しいです。

詳しくはみるは様のTwitterをご確認ください。

https://twitter.com/yukihaaya


fallen giri②

「……鈴仙さん、射命丸様の飛び方はどう言った状態でございますか?」

 

「そうね……スピードは出せてないし、翼の動かし方はまだぎこちないけど、飛び方に問題はなさそうよ。前みたいにふらふらした飛び方にはなってないわ」 

 

「分かりました。それでは、降りて来るように伝えて頂けますか?」

 

「えぇ、いいわ。射命丸ー! 一回降りて来て頂戴ー!」

 

 地上から、倉間さんと鈴仙さんの声が聞こえる。

 

 私は「はーい!」と返事をすると、二人の下にふわりと降り立つ。着地の際に体勢が崩れてしまったが、気づいた鈴仙さんに支えられて何とか持ちこたえる。

 

 私が倉間さんのリハビリを受け始めて、二か月が過ぎた。

 

 装具を使ったトレーニングにマッサージ、鈴仙さん主導の飛行訓練……

 

 この二か月間、私にとっては苦しいことの連続だったが、それ以上に喜びの方が大きかった。

 

 少しづつ自分の翼が動いていく感覚は、絶望に染められた私の心を癒し、洗い流してくれた。出来なかったことが出来るようになることは、失われた自信とかつてあった天狗の誇りを取り戻してくれた。

 

 私から天狗としてのあるべき姿を取り戻してくれたのは、永遠亭の皆様は勿論のことであるが、それ以上に……

 

「お疲れ様でございます。射命丸様」

 

 この、倉間さんのおかげであるのは間違いない。

 

「もー、いい加減私の事は文って呼んでくださいよー。私と貴方の仲じゃないですかー」

 

「いえいえ。私は単なる人間でございますから、そんな無礼なことは出来ませんよ」

 

 静かな声で私を労う倉間さんに対して軽口を叩くと、彼はニコリと笑って答える。

 

 物静かで丁寧な彼は、盲目というハンデをものともせずに、按摩師として私のリハビリの指示を的確に出してくれる。

 

 それだけではなく、彼はリハビリ後の面談も欠かさずに行い、私の精神面においても支えになってくれた。

 

 倉間さんがいなかったら、私は早々にリハビリを投げ出していただろう。

 

「本日は装具なしでの飛行訓練でしたが、いかがでしたか?」

 

「いやー、相変わらずきついですねぇ。もうヘトヘトですよ」

 

「……心中お察しいたします。ですが、お言葉とは裏腹に声の調子が良うございます」

 

「あやや? 声色で私の機嫌も分かるんですか?」

 

 それは参っちゃいますねーと、思わず苦笑する。

 

「そうですよ。私、本当は嬉しいんです。もう動かないと思っていた自分の翼が、今こうして動いている。それが凄い嬉しいんです」

 

「射命丸様……」 

 

「あっ、リハビリが疲れるのは本当ですよ? 要はそれ以上に感謝と喜びの方が大きいってことです」 

 

 ここまできついのは予想外でしたけどね。と、カラカラ笑いながら付け足すと、倉間さんはニコリと微笑んだ。

 

「……私も、嬉しゅうございます。射命丸様がそう思ってくださるのなら、これ以上の喜びはありません」

 

「あっ……あや―、そ、そこまで喜んでいただけるとは……思っていなかったです……」

 

 その静かな笑みがまた眩しくて、思わず俯いて呟いてしまう。尤も、当の本人には聞こえていなかったのか、尚も笑みを浮かべたまま小首を傾げている。

 

「……ねぇ、これ以上私を置いてけぼりにするのやめてもらえる? 倉間もこの後予定があるんだけど」

 

「あぁっ、これは申し訳ありません」

 

 ジト目の鈴仙さんが私たちの方を見つめてくるのに気づいた倉間さんが、申し訳なさそうに彼女の方に向き直る。

 

「それで、この後の予定は……?」

 

「ヨネさんから按摩の予約が一件入っているわ。十分後よ」

 

「かしこまりました。すぐに準備して参ります」

 

 そう言って、倉間さんはいそいそと早足で按摩室へ向かってしまった。

 

「全く……助けてもらった恩があるのは分かるけど、倉間もああ見えて患者さんが──」

 

「あの、鈴仙さん」

 

「──ひっ!?」

 

 私が鈴仙さんに声を掛けた瞬間、彼女はおびえたような目つきをして後ずさったが、気にすることなく言葉を続ける。

 

「そのヨネさんって人は、倉間さんの何なんですか?」

 

「……か、患者の素性については答えられない事になってるの。いくら貴女でも教えるわけにはいかないわ」

 

 食い下がるように鈴仙さんが顔をしかめた。

 

「ふぅーん、そうですか。名前からして女の人っぽいですねぇ。倉間様の好い人なんですか?」

 

「馬鹿な事言わないでよ! 女の人って言ったって、もう八十歳のおばあちゃんよ!」

 

「十分若いじゃないですか。これは話を聞く必要がありそうですねぇ……」

 

「あっ……アンタ、一体何をするつもりなの?」

 

 震えた声で尋ねる鈴仙さんの方を向き、私はニコッと微笑んだ。

 

「決まっていますでしょう? 烏天狗としての本分を全うするんです」

 

 努めて穏やかな声を出したはずなのに、鈴仙さんの顔は青いままだった。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 真っ暗な世界がだんだんと薄く、白くなる感覚で、私は先ほどまで眠っていたことに気づいた。

 

 ゆっくりと体を起こすと、次に鈍い痛みが頭を刺し、私は一瞬顔をしかめる。心なしか、体の節々が凝り固まっているようであった。

 

「……おや?」

 

 体の凝りを解しながら手をついた時、私はふと違和感を感じた。

 

 今まで寝ていた場所が、温かくて柔らかな布団からゴザのようなカサカサしたものに変わっていたのだ。

 

 怪訝に感じて耳を澄ませると、鳥の声も、葉のこすれる音も、因幡兎の楽し気に騒ぐ声も聞こえない。ゴーッという風が吹き抜ける音が耳を突き抜け、他の音をかき消すばかりだった。

 

「……微かに水の滴る音も聞こえる……という事は、ここはどこかの洞窟ですか……」

 

 未だに痛む頭を押さえながら、近くにある筈の杖を手探りで探していると、奥の方から風の音に交じってコツコツと足音が聞こえた。

 

「……この音は……」

 

 どこかで聞いたことがある、下駄のような木材の軽い音。

 

 私はこの音の持ち主を知っている。

 

「あやややや。お目覚めですか。倉間さん」

 

 直後に聞こえてきたのは、軽薄と慇懃を丁度良く使い分けたような、それでいてどこか侮れない強者の姿を連想させる不思議な声だった。

 

「いやー、目が覚めてよかったですよ。何時まで経っても目が覚めないので、危うく殺しちゃったかと思いました」

 

 四か月前に出会った時から付き合いのあるこの女性の声は、あっけらかんとした口調で恐ろし気な事を口走った。思わず、私の眉間に皺が寄る。

 

「……射命丸様、ここは、何処にございますか」

 

「ここですか? 妖怪の山ですよ」

 

「妖怪の山……ですって?」

 

「正確には、妖怪の山の洞穴……と言ったところでしょうか。かつて白狼天狗が使っていた哨戒所の一つなんですが、移転されてから手に余ってましてね。怪しいものが滅多に通らないので、こうして隠れ蓑にするのに都合がいいんですよ」

 

 にこやかな声で説明する射命丸様に、私は微かな恐怖を抱く。

 

「……射命丸様、もう一つお伺いしますが、本日の日付は……」

 

「えーっと、十一月の二十九日ですかね」

 

「……どれほど、私は気を失っていたのでしょう」

 

「うーんそうですねぇ……大体二週間くらいでしょうか」

 

「二週間ですって!?」

 

 とっさに私は立ち上がった。驚愕の表情をあらわにする私を意にも介さず、ニコニコした表情でさらに続けた。

 

「えぇ。ここに来たのが大体十一月の十五日くらいですからね。二週間だとそのくらい経ちますね」

 

「なっ……え、永遠亭の皆様は!?」

 

「ご安心ください、殺してはいません。今頃血眼になって貴方を探していることでしょうね」

 

「それじゃあ私の患者は!? 二週間前だったら一人いたはずで──」

 

「……それは、貴方のお客様気取りだった、あの赤ん坊もどきの事ですか?」

 

 背筋が冷える感覚が駆け巡った。その少し後、またカツカツと彼女の足音が聞こえたかと思うと、次の瞬間に何かが壊れる音がけたたましく響いた。

 

 身を守るため、咄嗟に身をすくめると、何度も何かを壊す音が洞窟内に何度も反響した。

 

「……なんで、あんな、私よりも何倍も! 年が離れた! 赤ん坊に! 貴方は私よりも心を許しているんですかぁっ!」

 

「しゃ、射命丸……様……?」

 

 息を荒げながら叫ぶ射命丸様の声には、あらん限りの悲しみと憎悪、そして……それら全てを覆い隠すほどの嫉妬にあふれていた。

 

「はぁ……はぁ……まぁ、いいです。こうして貴方は私のものになった。今はそれで満足するとしましょう」

 

「そっ、それは一体──」

 

「どう言う意味ですかって? 言葉通りですよ。貴方の人生は私のものになった。貴女は一生、死ぬまで私の所有物です」

 

「そんな!」

 

 私は思わず叫び声を上げた。それを見た射命丸様が、更に言葉を続ける。

 

「いいじゃないですか」

 

「……は?」

 

「ここで、私と死ぬまで二人きり。それでいいじゃないですか。面白いお話もしてあげますし、お世話も全部します。必要であれば夜の方も……もう何年もしていませんが、出来る限り頑張るつもりです。貴方が願うものは、外出を除いて何でも叶えて差し上げます。そりゃ、勝手に連れ去ったことは謝りますけど、それだけ私は貴方に本気だって事なんですよ。貴方がいてくれたら私はそれで構いませんが、それでは貴方に申し訳が立ちません。ですから私は貴方の願いは最大限叶えて差し上げたいんですよ。さ、なにがお望みですか? 貴方になら好きなだけ……」

 

「そんなもの、私は頼んだ覚えなどありません!」

 

 射命丸様の声を遮り、再び私は叫んだ。

 

 しかし……

 

「えぇ、そうですよ」

 

「なっ……」

 

 私の叫び声は、この一言によって完全に沈み込んだ。

 

「これは私の望みです。貴方の意見や思いなど完全に無視した、謂わば私のワガママという奴です」

 

「でしたら……」

 

「ですが、それが一体何だというのですか? 私は天狗。妖怪です。妖怪が、自分の所有物を大事にしまうのに、何を厭う必要があるでしょう?」

 

 ぞくりと、背筋に再び寒気が走った。同時に私の脳裏に、忘れていた何かが思い起こされた。

 

「……と、兎に角、一度永遠亭に戻らなければ……」

 

 そう言って杖を手に取ろうとした瞬間、風が一筋吹いたかと思うと、私の身体は何の抵抗もなく地面に押し倒された。

 

「しゃ、射命丸様……?」

 

「……前々から思ってましたけど、貴方って結構命知らずですよね。ここまで私が警告したのにそれでも尚永遠亭に帰ろうとするところとか。一周回ってもっと好きになっちゃいそうです」

 

「で、でしたら……」

 

「行かせませんよ? というより、行っても無駄です」

 

「ど……どういうことですか?」

 

 震える声で尋ねると、これはもう話しておいた方が良いかもしれませんねと、声に若干の笑みを含ませながら口を開いた。

 

「貴方のお客さん……ヨネさん、でしたっけ? 私が食べちゃいました」

 

「……えっ?」

 

 余りの事に、思わず言葉に詰まった。そんな私の姿が余程滑稽だったのだろうか、射命丸さんがクスクスと笑い出した。

 

「まぁ、気絶していましたから無理もない話ですがね。だから……」

 

 ──思い出させてあげますよ。

 

 そう言って、私の額に彼女の指であろう、細くて暖かいものが押し当てられた。

 

「な……なにを……」

 

 言いかけたその時、私の脳内に失われた記憶が蘇り始める。

 

 あれは……永遠亭の庭に初霜が降りた日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 この日の私は、射命丸様のリハビリについて悩んでいた。

 

 射命丸様のリハビリは、確かに驚異的な速さで進んでおり、順調に回復しているように思えた。

 

 しかし、ある時期を境に回復の速度が人間のそれよりも大きく下がり、ピタリと止まってしまったのだ。

 

 これを見た私はすぐにリハビリメニューを変更したが効果はなく、食事や器具などを調整してみたが、どれも微々たるものだった。

 

 鈴仙さんや永琳さんに相談しても有効な手立ては見つからず、八方塞がりな状況ではあるが、一患者である射命丸様には知られるわけにはいかない。

 

 何とかする方法はないものかと考え、施術室に着いた瞬間、足の指先に何か生暖かい液体のようなものが触れた。

 

 怪訝に思い、かがんで触れてみるとその液体はさらついてはいるがわずかに粘ついている。

 

 誰かが薬をひっくり返したかとも思ったが、施術時以外で棚に仕舞うはずの薬は、鈴仙さんも永琳さんも無断で触れないように頼んである。

 

「……まさか……」

 

 鼻に近づけてみると、微かだが鉄のような臭い。

 

 触れたものの正体を悟った瞬間、背筋がぞっとした。ふと気づくと、液体がぴちゃぴちゃと跳ねるような音も耳に入ってくる。

 

「……おや、そこにいるのは倉間さんですか?」

 

 追い打ちをかけるように耳に入る、聞き覚えのある声。答えようとした自分の声が詰まって出てこない。

 

「隠れようとしても無駄ですよ。ふすま越しに影が見えていますから」

 

 この言葉で観念した私は、震えを押し殺しながら襖から姿を見せて答える。

 

「しゃ、射命丸様でございましたか。勝手に部屋に入るのはご法度ですよ。何をしていらしたのですか?」

 

「いえ、大したことではありませんよ。ちょっと小腹を満たしていた所ですから」

 

「そ、そうでしたか。因みに何を食べて──」

 

 言いかけたその時、私の耳に微かながら音が入った。水が滴る音とも違うその異音は、掠れた声のような音で私に語りかけるようなものであった。

 

 意識を集中して、音に耳を傾ける。掠れた音が、段々とはっきりしたものになってくる。

 

 た、す、け……

 

「どうしましたか? ()()()()()()()()()()?」

 

 瞬間、射命丸様の声とグチャリという大きな音に、掠れた音はかき消された。

 

「射命丸様……貴女……まさか……!」

 

 しかし、既に音……いや、声を聞いていた私は、その正体と彼女の所業に驚愕と恐怖を隠そうともしなかった。

 

「……あーあ、バレてしまいましたか」

 

 まるで隠し事がバレた子供のような声色で、射命丸様が口を開く。

 

「……まぁ、いいでしょう。どのみちこうするつもりでしたし、腹ごなしの運動と行きましょうかね」

 

「し……師匠! 鈴仙さん! すぐに来てください! 大変なことに————」

 

 瞬間、射命丸様の姿が消え、気が付くと私の身体は宙に浮いていた。

 

「あはははは! 力が溢れてきます! 久しく忘れていた! 私本来の力が!」

 

 射命丸様が高らかに笑う。いつもの笑い方とは違う、妖怪が持つ圧倒的な強者としての笑い方だった。

 

「ちょっと、一体何の騒ぎ————って! 射命丸! アンタ一体何してるのよ!」

 

 下の方から鈴仙さんの慌てる声が聞こえた。同時に慌ててこちらに走り寄ってくる足音も聞こえる。

 

 それに気づいてもなお、射命丸様は余裕の声色を崩すことはなかった。

 

「あややや。鈴仙さんにも気づかれてしまいましたか。ですがまぁ、一足遅かったようですね。倉間さんはもう私のものです」

 

「どういうつもりか分からないけど、これは警告よ! 倉間を放しなさい! 放さないなら————」

 

 直後、弾丸を発射するような音が聞こえると同時に、私の身体が急に左に移動された。

 

 ここではじめて、私が射命丸様に抱えられていることに気が付いた。

 

「あやー、実力行使ってやつですか」

 

「当たり前よ! 必要なら弾幕ごっこ()()の手を使ってもいいわ!」

 

「それは結構な事ですけど……永遠亭の患者様を放っておくのはいかがなものでしょうか?」

 

「な……どういうことよ!」

 

 むきになった鈴仙さんの声とともに、射撃音が無数にこだました。恐らくは鈴仙さんが撃ち込んだであろう弾幕を、私を抱えたままの射命丸様が悉く躱していく。

 

「あややややや。流石に分かりづらかったですかね。じゃあこう言い換えましょうか……死人を放っておいて大丈夫ですか?」

 

「……! し、師匠! 大至急倉間の部屋へ──」

 

 瞬間、私の身体に感じたことのない風と負荷がかかり、鈴仙さんの声が途切れた。

 

「あははははは! 凄い! 凄いですよ倉間さん! けがをする前のスピードとほぼ同じ! いや、それ以上ですよ!」

 

「も……もしや射命丸様……翼の怪我が……」

 

「えぇ! えぇ! 治りましたよ! あの目障りな赤ん坊のおかげです! クソの役にも立たないと思っていましたがこんなところで力になってくれるとは予想外でした!」

 

 その言葉を聞き、私は絶望した。

 

 今まで考えていたことは全て、妖怪の本分で解決出来てしまう事に。

 

「あぁ……そんな顔をしないでくださいよ倉間さん。貴方がいなければ私はここまで飛ぶことは出来ませんでした。寧ろ、今までの私以上の速さを手に入れた貴方に感謝したいくらいですよ」

 

 嬉しそうにうっとりと語る射命丸の声だけが、私の鼓膜を震わせる。

 

「さ、追手が来る前に逃げ切っちゃいましょうか。少し早くなりますが、しっかりつかまってて下さいね!」

 

 瞬間、私の身体に更なる風圧と重力がかかった。

 

 ゴウッという風が過ぎ去る音が耳を通り過ぎていく。

 

 その音と耐え切れない程の感覚を最後に、私の意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……フフッ、どうやら全部思い出したようですね」

 

 射命丸様の声に、私はハッとする。

 

 手に伝わるごつごつとした岩肌の感触と、下腹部に感じる温かく柔らかな感触。

 

 どうやら私の意識は元に戻ってきたようだ。

 

「いやー、あの時はびっくりしましたねぇ。飛ぶのに夢中で気が付いたら貴方が気を失っていましたから。急いで誰にも知られていないここに羽を下ろしたんですよ。さっきも言いましたけど、てっきり殺しちゃったんじゃないかって思っちゃいました」

 

 私は唯々恐ろしかった。

 

 朗らかな声色で語る射命丸様を。

 

 嬉々として妖怪の本分を語り、あまつさえ自分は悪くないと言いたげに私の記憶を思い出させた、彼女の底が読めない行動を。

 

 その様子はまるで、幼子が砂山の楼閣を得意げに見せつけるよう。何百年と生きてきた妖怪とは思えないほど稚拙だった。

 

「射命丸様……一つ、一つお聞かせください」

 

 震える声で尋ねると、「いーですよ」と得意げに了承する。

 

「何故……何故、このような事をなされたんですか? 唯の恩返しであるならば、こんなことなさらなくても十分です。私に好意があるのであれば、言葉にして伝えてくださればそれで充分です。なのにどうして、盲目である私に、何百年と生きてきた貴方がどうして、このような事を……」

 

「……はぁ、倉間さん、貴方まだ分かっていないようですね」

 

「なっ……」

 

 急に私の身体に重みとぬくもりが伝わる。恐らく、射命丸様が私の身体に寝かかって来たのだ。

 

 耳に温かな吐息がかかるのを感じる。

 

「そんなに、自分を卑下しないで下さい。私の天狗としての尊厳を取り戻してくれたのは、私にリハビリの勇気を与えてくれたのは、紛れもなく倉間さんのおかげなんです。貴方がいたから、今の私がいたんです」

 

「射命丸様……」

 

「そんな貴方が、私以外に笑顔を向けるなど、私以外の事を考えるなど、あってはならないことなのです。貴方が誰かのものになるのならばいっそ、誰の目にも届かない場所にしまっておきたい。全てを私一人のものにしてしまいたい……フフッ、妖怪というのはね、ひどく自分勝手なんです」

 

 特に、恋を知った天狗というものはね。と、極めて熱の籠った声が囁く。

 

 ……あぁ、これは。

 

 私は心の中で悟る。

 

 これは、ダメだ。

 

 射命丸様は、私以外の事を何が見えていない。見えていないから、永遠亭の皆様や患者様の方々の事を考えていらっしゃらない。私の周りに入る方々の事をどれだけ大切に思っているか理解してらっしゃらない。

 

 今の射命丸様は、恋心をはき違えている。私を手にすることで自分の気持ちを満たそうとしている。自分の欲を、他を犠牲にしてまで叶えようとしている。

 

 それではだめだ。それでは、いつか射命丸様は私の事を捨ててしまうだろう。

 

 であるならば、私は……

 

「……かしこまりました。射命丸様のお気持ちは、よく分かりました。」

 

 そう言いながら、私は射命丸様の肩に手を触れ、徐に体を起こす。

 

「ホントですか! ありがとうございます!」

 

 射命丸様の嬉しそうな声が聞こえる。きっと、その表情も眩しいほどの笑顔なのだろう。

 

「じゃあじゃあ、これからはもう誰とも会いませんね! 私だけを見てくれるんですね!」

 

「はい……ですが、その前にお願いしたいことがございます」

 

「えぇえぇ! 何でもおっしゃってください!」

 

「それでは……一緒に、これを呑んでいただけますか」

 

 私はそう言うと、懐から瓢箪と杯を取り出した。

 

「この瓢箪の中には、私が調合した疲れを取る薬草茶が入っております。これから更に移動するのであれば、今のうちに疲れを取らなければなりませんからね」

 

「倉間さん……そこまで私を……分かりました。それをお貸しください」

 

 言われるがまま、杯と瓢箪を渡した。トクトクと注がれる音が聞こえる。

 

 射命丸様はそのまま私に杯を渡すと、自分にも同じように薬草茶を注いだ。

 

「ありがとうございます射命丸様……」

 

「いえいえ。これくらいどうってことないですよ……それでは、私達のこれからの未来を祈って……」

 

 乾杯。

 

 杯が触れ合うのを確認した後、私達は薬草茶を呷った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 射命丸と倉間が発見されたのは、彼が攫われた日から数えて三週間後の事であった。

 

 犬走椛と飯綱丸龍が深刻そうな顔で永遠亭に赴き、事の次第を報告してきたからだ。

 

「……し、師匠……これは……」

 

 洞穴の中に入った鈴仙が、青ざめた顔と吐きそうな声色で私に声を掛ける。

 

 中は、私が予想していたよりも酷いことになっていた。

 

 暴れたようにへこんだ痕跡のある石壁に、そこかしこに散乱した原形をとどめないほどに壊された家具。

 

 それら全てをかき消すように鼻が曲がるほど凄まじい悪臭が、洞穴内にこれでもかと充満していた。

 

 そして部屋の中央には、匂いの元凶と思われるドロドロに溶けた液体があった。その液体の上には……

 

「……倉間……」

 

 彼が着ていた着物と、烏天狗特有の山伏帽があった。

 

「……ヒュドラの毒は効果が強いから、自決用には使うなってあれほど言ったのに……」

 

 生前、彼はいざという時は自分の事等構わないでほかの肩を守ってくださいと、常々言っていた。

 

 盲目である彼は、その特性故に自分の身を守ることが出来ない。そう言った護身術を身につけてもいない。

 

 だから、仮に永遠亭全体に何かあった時、ひいては自分の身が殺されそうになったときは、毒を飲んで自決すると私に直談判して来たのだ。

 

 勿論、私はすぐに否定した。そんなことしなくても私たちは貴方を守れると。

 

 しかし、倉間はそれを頑として断った。私を守るならば、入院しているほかの方を守ってほしい。これ以上私が負傷等をした時、確実に足手まといになると。

 

 三日三晩の議論の末、根負けしたのは私の方だった。但し、使う毒は死亡一歩手前、仮死状態になる程度の強力じゃないものを使い、万が一の時に蘇生が出来るよう約束した。

 

 した、はずだったのに。

 

「……鈴仙、まずは倉間の着物を回収なさい。その後は出来る限り倉間の残骸を集めるのよ」

 

「わ……分かりました……」

 

 口元を手で押さえながら、よろよろと鈴仙が片付けを始める。私も少し遅れて倉間だった液体を容器の中に入れていく。

 

 彼が何を思って私との約束を守ったのか、それは未だに分からない。でももし、倉間が未だに盲目であることを引け目に感じていて、迷惑を掛けまいと一歩引いていたんだとしたら。

 

「……師匠失格ね……私は」

 

 そう呟いた瞬間、一筋の涙が頬を伝った。

 

 

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