落第騎士の英雄譚  兇刃の抱く野望   作:てんびん座

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前話を新しく、前々話は修正して上げ直しておりますのでご注意を。
今話は所々を修正しておりますが、最後以外は内容に大幅な変更はありません。(4/18)


前夜祭編
《幻想形態》なんか捨ててかかってこい!


 ステラ・ヴァーミリオンという少女が、なぜ遠い異国の地である日本に留学してきたのか。

 それは偏に“自分を過酷な状況に追い込むため”に他ならない。魔力量という観点から世界最高クラスの才能を持つと言われる彼女にとって、北欧の小国である母国・ヴァーミリオン皇国はあまりにも小さすぎたのだ。

 故に彼女は学生騎士の質が高いとされる日本に学ぶ場を移し、そこで己をさらに研鑽せんと考えていた。

 そんな彼女にとって、この試合は願ったり叶ったりのものだったことは言うまでもない。

 

「喰らい尽くせ、《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》ッ!」

 

 剣型霊装《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》の切っ先から、紅蓮の炎が迸る。

 一見無秩序に放たれたように見えたその炎は、しかし噴射されると同時に圧縮、洗練され、やがて蛇のように長大な龍となって目の前の獲物に襲い掛かった。

 通常の敵ならばそのまま炎に呑まれて終わりだ。しかし目の前の敵は、いかなる面から見ても全く尋常な敵ではない。

 それを証明するように、“彼女”は《妃竜の大顎》へ一歩を踏み出し――

 

「行きますよ~」

 

 一瞬で龍の脇を駆け抜けた。

 ステラの目を以ってしても一瞬。一歩目の足先に力が乗った瞬間までしか捉えることができない、その人知を超えた速度。

 しかし相手が相手だけに、その程度は想定内だ。

 ならばお互いの土俵である接近戦で片を付ける――そう考えたステラは、これまでの中距離(ミドルレンジ)から近距離(クロスレンジ)へと戦場を渡った。

 

「勝負よ、ハフリさん!」

 

 ステラが咆哮し、それに呼応するかのように刀身に紅蓮の炎が灯る。

 摂氏三千度を誇るその炎は、掠るだけでも人間の肉を焼き焦がす灼熱の息吹。間違っても一人の少女が呼吸をするように繰り出せる魔術ではない。

 しかし対する少女――祝はそれを意にも介さず緩やかに微笑んだ。

 

「私で良ければ、喜んで」

 

 そして息つく間もなく、一輝の《一刀修羅》にも劣らぬ機動力を以って祝がステラへと突っ込んだ。

 《三日月》は祝の急接近に伴い、既に上段へと振りかぶられている。恐らくはステラをその間合いに収めた瞬間、その刃は刹那の間も置かずステラの頭蓋を斬り砕くだろう。

 しかしそれがわからないステラではない。

 何と彼女は自身が祝の間合いに入る瞬間に前進。ステラは死神の懐へとあえて飛び込み、その刃の予測軌道を抜け出そうと画策したのだ。選抜戦でカナタが使った最後の戦術に似たそれだが、しかしその立場に立ったステラにはわかる。この作戦が心理的にどれだけ難しいものであるかということを。

 

 長柄武器の弱点は懐――そうわかっていても、祝を前にすればその常識の何と心細いことか。

 

 目の前の少女が放つプレッシャーは尋常ではない。

 まるで自分とは違う生物なのではないかと錯覚させられるほどの“死”の気配。

 これを感じながら平然とこの行動を選択できる人間がいるのならば、それはもはや常人を超越した精神の持ち主だろう。

 もちろんステラとて恐怖は感じている。しかし彼女にとってそれは望むところ。強敵であるからこそ、こうして海を越えて日本に来た価値がある。

 

(技術では劣るけど、力ならこっちが上よッ)

 

 頭上から迫る大鎌。

 その長柄に当たる部分を剣で受け止め、そのまま祝へと強引に接近するのがステラの作戦だ。

 ある程度近づくことは剣の間合いすらも逸してしまうために危険だが、しかしステラの膂力ならば素手でも充分に強い。そのまま抑え込んでマウントを取れば、いかに祝であろうと力技でほぼ一方的に斃せるだろうという確信があった。

 技量で敵わないのならば自分が優れている面で勝つ。実にシンプルであり、しかし同時に効果的な戦略だ。

 

 だがステラの目論見は、大鎌の軌道が流れるように変化したことで崩れ去った。

 

 ステラが接近戦を挑んでくると察するや否や、《三日月》はピタリと静止。そしてグンっと石突に近い下の手を押し出し、振り下ろしを下段からの打撃へ変更した。

 力のロスをほぼ感じられないその巧みな攻撃に驚愕するも、ステラは咄嗟に剣を前方へ突き出してこれを防ぐ。しかし急激な変化であるにも関わらず、祝の打撃は魔力放出による瞬間的な加速によって凄まじい金属音と共にステラの腕を彼女の頭上へと弾き上げた。

 

「しまっ」

「隙あり」

 

 下段からの攻撃はまだ続く。

 そのまま大鎌は風車のように回り、今度は短剣の部分が回転に乗ってステラへと襲い掛かった。

 剣で防御する余裕はない。

 それを悟ったステラは武術から魔術へと防御を変更。《妃竜の羽衣(エンプレスドレス)》によって炎の鎧を一点に集中、下顎をぶち抜こうとするその短剣を受け止めた。

 

「がッ!?」

 

 炎の鎧が短剣の刃を阻む。

 しかし魔力放出による加速力が乗ったその一撃は《妃竜の羽衣》を以ってしても完全に防ぎきれるものではなかった。

 辛うじて刃は皮膚に達していない。しかし衝撃は防御を越えてステラの脳を深く揺さぶり、一時的に平衡感覚を奪い去る。

 そして一瞬とはいえ確かにステラの身体は自由を失ってしまい――それは祝にとっては充分すぎる隙。

 

「せぇ……」

 

 祝の左脚が大地を踏み締め、そこから伝わるエネルギーが股関節を伝わって右脚へ伝導。無駄なく右脚へと押し込められた運動力は魔力放出の追い風を受けて莫大な破壊力を秘めた一撃となる。

 

「のッッ!!」

 

 祝の右脚が大質量を持つ砲撃となった。

 がら空きの腹へ祝の蹴りが入り、ステラの身体がくの字に折れ曲がる。ステラの内臓から吐瀉物が這い上がり、それを吐き出す間もなく彼女は大鎌の間合いから追放された。

 ズガンッ、という大凡人体から響いたと思えないほどの衝撃音が耳を劈く。

 その音がハッタリではないことを証明するかのように、ステラはリングを越え、そのまま壁を突き破り、建物の外へと退場していった。

 破砕音と共に姿が見えなくなったステラを見送り、祝は目をぱちくりと瞬かせる。

 

「……あっ、もしかしてやりすぎました?」

「もしかしなくてもやりすぎに決まってるでしょうッ!?」

 

 シンと静まり返ったリングで呟く祝。

 そんな彼女に、模擬戦(・・・)を見守っていた刀華の雷が落ちたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「ぐあああッ、悔しいいいいいッ!」

 

 合宿所に程近い繁華街で、ステラは地団太を踏んでいた。

 選抜戦から月日は経ち、既に七月下旬。季節は春から夏に移り変わり、湿気と雨が目立つようになる時期。

 七星剣武祭の足音を各校の代表生徒たちが徐々に感じ始めるこの時期。破軍学園の代表たちは夏休みを利用し、山形にある巨門学園の合宿場で大会の直前合宿を行っていた。刀華たち生徒会のメンバーも調整の手伝いとして付いてきてくれている。

 本来ならば破軍学園が所有する奥多摩の合宿場を利用するのが例年の行事なのだが、今年は巨人騒動があったために安全面を考慮され、こうして巨門学園と合同合宿を行っている。

 その機会を利用し、ステラは最大の敵となるであろう祝に模擬戦を申し込んだのだが……

 

「もう何なのよあれ! 接近戦であれを斃せる人とか学生騎士にいるの!? 一太刀も入らないんだけど!」

 

 その結果は本日だけで三戦三敗。

 言い訳もできないほどの完敗となった。

 唸り声をあげて悔しがるステラに、隣を歩く一輝は思わず苦笑する。

 

「疼木さんの近接戦はもう結界だからね。彼女の間合いで闘い続けるのは僕でも容易じゃないし」

「結界っていうか、もう暴風域よ。こう……視界の端からグワングワン刃と石突が飛んでくるし、隙あらばぶん殴られたり蹴り飛ばされるし。近接戦でここまで歯が立たなかったのは一輝以来ね」

 

 祝を覆い隠すように大鎌が円の動きを見せ、かと思えばこちらの攻防の隙間を突くように手足が凄まじい速度で伸びてくる。

 それがステラが感じた祝の戦闘スタイルだった。大鎌はほぼ防戦に用い、攻撃でも牽制に使用されることが多かった印象だ。長柄から九十度に刃が伸びるあの形状も頗る厄介で、正面からぶつかれば必ず四方の内の二方向はカバーされてしまう。

 その性質を利用され、ステラは中距離と遠距離(ロングレンジ)でしかまともに闘うことができなかった。

 

「って言っても、祝さんには近接戦以外の攻撃手段がない。だから一方的に勝てて当然なのに……」

「あはは、全然魔術が当たらなかったねぇ……」

 

 理想的な魔力放出を駆使する祝の瞬発的な機動力は《一刀修羅》を用いた一輝に匹敵する。故にステラの魔術は彼女の制服に焦げ跡を付けることすら叶わなかったほどだ。

 そもそもの話、祝は遠距離と言えるほどの間合いを決してステラとの間に作らなかった。

 たとえ離れても必ず中距離程度を維持し、ステラが大技を使おうと一呼吸入れれば刹那の間に接近戦に移行できる距離を保ち続けていたのだ。よって隙あらば祝の接近を許してしまい、そのまま押し込まれる形でステラは三戦とも敗北している。

 

「でも収穫はあった。一つ彼女の能力についてわかったことがある」

「ホントにっ!?」

 

 目を輝かせるステラに、一輝は自信を持って頷く。

 これはステラという強者と闘ったが故に判明した祝の新たな真実だ。

 

「疼木さんの《既危感》が発動する瞬間、彼女の眼球は微細な揺れが走る。たぶん未来からのフィードバックに対する身体への副作用なんだと思う。つまり、彼女がこちらの攻撃を読んだ瞬間がこちらにもわかるんだ」

「なるほど……それで?」

「えっ?」

「いや、それだけじゃ意味ないでしょう? 未来が読まれようと彼女自身の経験則から対処されようと、闘う相手からしたら同じことじゃないの?」

「……あっ、確かに」

 

 ステラの言う通りだった。

 祝の《既危感》は確かに驚異的な能力だが、それ以上に警戒すべきは祝自身の対処能力だ。結局、彼女の戦闘能力そのものを突破できなければ変わりはない。

 

「彼女の癖とかもだいぶ見ることができたけど、こちらの見切りを彼女は見切ってくるからなぁ。やっぱり彼女は強敵だ」

「意味ないしっ!」

 

 祝への対策は、彼女への恐怖を克服した一輝を以ってしても前途多難だった。

 

「七星剣武祭では必ず彼女とどこかで当たることになるんでしょうね。縦しんば当たらなかったとしても、それは彼女以上に強い選手が出てきたってことになるし」

「疼木さんは優勝を目指す以上、避けては通れない壁だ。この合宿で僕たちは少しでも成長する必要がある。最悪、僕には《一刀天魔》っていう切り札もあるけど……」

 

 一輝が言い淀んだ。その理由はステラにもわかる。

 《一刀天魔》――それは一輝が編み出した《一刀修羅》の応用。最終戦で刀華を一刀の下に斬り伏せたその伐刀絶技は、しかし一輝に凄まじい代償を支払わせた。

 その証拠に、一輝は試合の後に二週間以上も病院へ入院することとなったのだ。

 

「全身を極度に酷使するせいで、一度使ってしまえば病院行き確定。iPS再生槽がある現代医療であっても、使えばしばらくは絶対安静にする必要がある。この技を使ったが最後、次の試合には絶対に出られない」

 

 七星剣武祭における試合は一日一戦。

 それを連日行うことで試合が進むため、《一刀修羅》でギリギリ次の試合に影響を残さずにいられる。

 となればそれ以上の負担を強いる《一刀天魔》は完全に諸刃の剣だ。七星剣武祭に優勝できなければ試合に勝って勝負に負けたも同然。おいそれと切れる手札ではない。

 

「だから、僕ももっと強くならないと。《一刀天魔》がなくても、少なくとも決勝まで上がれるようにしなければ優勝なんて絶対に無理だ」

 

 警戒すべき相手は祝だけではない。

 例えば真っ先に思い付くのが、昨年惜しくも準優勝に留まった武曲学園の三年《浪速の星》諸星雄大だ。彼の巧みな槍捌きは一流の剣士である刀華すらも圧倒し、彼女に《雷切》という切り札を使わせることもなく完封した巧者だ。

 一輝が捨て身で勝利した刀華を圧倒したその実力に、彼はさらなる磨きをかけてきていることだろう。

 そして彼以外にも――いや、彼以上に警戒すべき人物も存在する。

 

「黒鉄王馬――僕の兄さんだよ」

「……名前を聞いて薄々そうじゃないかと思っていたけど、本当にイッキやシズクのお兄さんなのね」

 

 黒鉄王馬。

 件の人物のことはステラも僅かながら聞き及んでいた。

 友人の加々美によれば、彼は武曲学園に所属しているにも関わらず、平時は世界中を放浪して回っているらしい。滅多に連絡を取ることもできず、基本的には行方不明も同然なのだとか。

 一昨年と去年の七星剣武祭にも出場しておらず、その実力についてもリトルリーグ以降の情報は一切ない。わかっているのは伐刀者として最強クラスである証――即ちAランクであるということのみ。

 そんな王馬が今年の七星剣武祭に出場するという情報が出回り始めたのは、破軍と同じく選抜戦を行っている武曲の代表が決まった後だった。噂によれば彼は代表の一人に決闘を申し込み、それを一方的に斃すことで出場枠を奪い去ったと聞く。

 

「公式戦から五年間も離れていた彼が、今更になってどうして表舞台に戻ってきたのか。たぶんだけど、その理由はステラにあると思う」

「アタシ? どういうこと?」

「兄さんはとにかくストイックな人で、もう『生きること=強くなること』っていう感じの人なんだ。だから同じAランクであるステラと闘うため、こうしてわざわざ表舞台に戻ってきたのかもしれない」

 

 そう、兄は昔からそんな性格をしていた。

 最後のリトルリーグで優勝した彼は、そのまま世界大会を制覇。そうして名実ともに同年代における最強の称号を手にした王馬は、まるでさらなる敵を探すように表舞台から去っていった。聞くところによれば、彼はそれから紛争地帯などに赴いてその腕を磨き続けているらしい。

 それ聞いた当時の一輝は、『実に兄らしい』と驚く前に納得してしまったほどだ。

 

「強くなることって……それってイッキもじゃないの? ストイックさならイッキも相当だと思うけど」

「いや、兄さんは僕以上だよ。強くなることに全力を注ぎ過ぎて、家族や学校みたいな(しがらみ)を放り投げてしまうような人だからね。僕というよりかは……うん、どちらかというと疼木さんに似ているかも」

「ハフリさん? えっ、オウマ・クロガネってあんなほわほわした感じなの? なんかイメージと違う……」

「いやいやいやっ、そういうことじゃなくて!」

 

 しかし自分で言っておきながら、一輝はその言葉がストンと胸に落ちた。

 そうだ。よく考えてみると王馬と祝には似通ったところがある。

 表面上の性格ではなく、その根底。自分が求める究極の一のために、その他の全てを些事として切り捨てられてしまうその精神構造。その一点において一輝が知る両者は非常によく似ていた。

 

「強くなるために人生を捧げてきた修羅……それが王馬兄さんだ。実力もAランクの名に恥じない本物で、国内大会では敵なしって言われていたほどだよ。リトルリーグで優勝した時点で当時の七星剣王クラスの実力があったと言われているほどだ」

「ふーん。ならイッキから見て、ハフリさんとお兄さんはどっちの方が強いと思うの?」

「それは……難しい質問をするね。でも“当時”の強さを基準に考えるのなら……恐らく兄さんだと僕は思っている」

「それほどの実力者なのね、お兄さんは。……ん? というか当時ってどういうこと?」

 

 その言葉の意味がわからず、ステラは首を傾げた。

 

「兄さんの最後のリトルリーグの決勝戦の対戦相手。それは当時小学五年生だった疼木さんなんだよ」

「ッ!?」

 

 一輝の語った事実に、ステラに衝撃が走る。

 確かに王馬と祝は一歳の違いしかない。ならば過去の公式戦で闘っていた可能性も充分にあった。

 

「それじゃあ、ハフリさんはその試合でお兄さんに敗けて……?」

「……うん、まぁ……そういうことになるんだけど。その試合はちょっと複雑な事情があってね」

「複雑って?」

「…………その年のリトルリーグの決勝戦に残ったのは、例年の大会で悉く優勝を重ねてきた天才少年『黒鉄王馬』。そしてもう一人は、徐々に頭角を現し始めていた無名の秀才『疼木祝』。その頃にはそこそこ名前が知れていたけど、当初の疼木さんは全くと言っていいほど無名の騎士だったんだ」

 

 祝の名は、騎士の世界に関わる手段に乏しかった少年時代の一輝にとって全く知らない名前だった。

 そして当時の評判を聞く限りでも祝はパッとする選手ではなかったようだ。

 その大鎌という特異な武器と秀でた魔力量こそ目を引いたが、それ以外は平々凡々。体術による接近戦しか闘う術がなかった彼女にとってリトルリーグの壁は厚かったことが察せられる。

 

「リトルリーグはまだ身体が出来上がっていない上に戦闘経験に乏しい子供たちの大会だからね。当然ながらアドバンテージがあるのは魔術に秀でた子だ。そんな中、未来予知という玄人向けの能力しかない疼木さんは凄く苦労したはずだと思う」

「確かに。体術より魔術っていう風潮はそういう頃に出来上がる考えだものね」

 

 しかし大会経験を重ねたためか、徐々に祝は大会の上位陣の中でも名前が聞こえる存在になっていった。

 そして王馬にとって最後のリトルリーグ、その決勝戦で二人はぶつかることとなったのだ。

 

「今までの大会で兄さんと疼木さんが闘ったことは何度もあった。でも、兄さんは多少追い詰められたことはあれど敗けたことは一度もなかったんだよ。だからその時も兄さんに軍配が上がると誰もが思っていた」

 

 しかし試合が始まり、前評判による予想は一瞬で覆されることとなる。

 祝が取った予想外にして“異常”すぎる戦法に、王馬は逆に手も足も出なくなってしまったためだ。

 

 

「疼木さんには《幻想形態》が効かなかったらしい。王馬兄さんの刃も魔術も、彼女は笑って受け切ったって聞いている」

 

 

「は?」

 

 《幻想形態》とは、極論を言ってしまえば“思い込み”だ。

 刃を受けた、魔術を食らったという強い暗示を脳に与え、それによって相手を昏倒させるのが《幻想形態》という魔術。

 しかし極稀に、その暗示を怪物染みた気力によって跳ね除けてしまう人間がいる。火事場の馬鹿力などによって一時的に己を奮い立たせてしまう事例が存在するのだ。

 

「疼木さんはその性質を悪用(・・)して、兄さんの剣も魔術も踏み潰した」

 

 精神が肉体を超越する――その異次元の戦法を誰が予測できただろう。偶発的なものではなく、それを前提に試合へ臨んだというのなら最早気が狂っているとしか思えない。

 これによって魔術の相性というアドバンテージを祝は叩き潰し、王馬へと武術家として真っ向勝負を挑んだのだ。

 

 その試合を観戦していた誰もが思った――正気ではない。

 

 確かにその戦法を用いれば王馬との間にある相性の悪さを克服することは可能だ。しかしそれはあくまで机上の空論であって、現実的に可能かと問われれば普通は首を横に振る。

 ルールを逆手に取り、己の身を顧みず、そして常識を逸脱した狂気の沙汰。

 そして祝の近接戦闘の技術が成長期を迎えていたこともあり、王馬はその試合で当初の予測に反して一方的に追い詰められる結果となった。

 もちろん《風の剣帝》もただやられていたわけではない。彼は風の魔術を用い祝を壁や地面に叩き付けるなり、男としての体格を利用して肉弾戦を仕掛けるなりと反撃はしていた。

 しかし祝は骨が折れようと肉が断たれようと立ち止まることはなく、まるで痛みすら忘れた(リミッターが外れた)かのように王馬を圧倒してみせたという。

 そこからはもう泥沼である。お互いに死力を振り絞り、リトルリーグにあるまじき血で血を洗う死闘に発展した。

 

 

 そして遂にその事件は起こってしまった。

 

 

 その事件はリトルリーグ史上最も血塗られた試合として知られている。

 大会関係者の間では未だにその事件を危険な事例として取り上げ、その対策マニュアルを徹底させるようになったほどだ。

 

「事件って……?」

「……記録では、疼木さんが試合の途中で《幻想形態》の使用を自発的にやめたっていうことになっている。それに応戦する形で王馬兄さんも《幻想形態》の使用をやめた。そしてお互いに本気で目の前の“敵”を殺すため、ルールで使用を禁止されていた《実像形態》の闘いを始めたんだ」

「えッ!?」

 

 ステラの驚愕ももっともだ。

 通常、連盟傘下の国々では十五歳未満の元服していない騎士同士で試合をする場合、《幻想形態》を使用することが厳命されている。そのルールを破ったということは、それは本当の殺し合いに他ならないではないか。

 リトルリーグの決勝戦ともなれば、大勢の人間が集まる会場で行われたはず。

 つまり二人は衆人環視の中で禁忌に手を染めたということなのか。

 

「そ、それってつまりハフリさんが先んじてお兄さんを殺そうとしたってことなの……?」

「正確なところはわからない。実際に観ていた人が言うには、いつの間にか《実像形態》になっていたって話だから。でも僕はこうも思っているんだ。――二人は望んで殺し合いに手を出したんじゃないかって」

 

 あくまで一輝の勘だ。

 しかしもしも当時から二人が一輝の知る精神構造をしていたとしたら……

 

「二人とも闘うことに何の躊躇も見せない、修羅道を平然と歩み続ける生粋の求道者だ。だったら二人が行き着くところは自然と殺し合い(そこ)になるんじゃないかって……僕の考え過ぎだといいんだけどね」

 

 だが、ないとも言い切れないのがあの二人だ。

 《幻想形態》の闘いに埒が明かないと見切りをつけ、《実像形態》に手を出してしまった可能性も否めない。

 それを平然とやってしまうのではないかと、そう思える程度には二人とも頭の螺子が外れている。いや、考えれば考えるほどその可能性の方が高いのではないかと思えてきたほどだ。

 

「その試合は結局どうなったの? 審判は止めなかったの?」

「もちろん止めたさ。でも二人にとって審判の試合終了に意味なんかなかった。二人とも大人の騎士たちの制止を振り切って死闘を演じ続けたらしいよ」

 

 魔術が完全解禁された王馬と、手足を犠牲にするほどの捨て身で喰らいつき続けた祝。

 二人の死闘は激化の一途を辿り、当初予想されていた実力差など何の当てにもならなくなるほど二人は闘った。

 

「最後は二十人がかりくらいで無理やりやめさせたと聞くけど、それでも二人とも怪我が原因で瀕死の重体に陥ったらしい」

 

 公式記録ではこの事件は祝が先んじて《実像形態》を用いたことになっているため、それによって彼女は三年間の大会出場を禁止された。

 しかし事は黒鉄家の、それも将来を有望視されるAランクの長男に関わることだ。あるいは黒鉄家が裏から手を回して真実を隠蔽しようとした可能性もある。当の本人たちである祝と王馬がずっと行方を晦ましていたため、今更になって真実を聞き出そうという者などいないのが現状だが。

 

「最終的に疼木さんの反則敗けによる失格ということで試合は処理されて、兄さんはリトルリーグを制することになった。でも、僕の知る兄さんならばきっと凄く不本意に思っていたと思う。実際に勝ってもいないのに優勝できたって、それはあの人の求める強さじゃない。絶対に納得しなかったはずだ」

 

 その後、祝が公式試合に戻ってくることは去年の七星剣武祭までなかった。失格となったことで準優勝すら得られず、そのまま祝は表舞台から姿を消したのだ。その間、彼女が何をしていたのかは未だに明らかになっていない。

 時を同じくして王馬も姿を消した。

 それから二人が揃って表舞台に現れることはなくなり、その事件の記憶も風化の一途を辿っている。

 

「だから当時の強さのままの関係だったのなら、強いのは恐らく兄さんだ。七星剣武祭は《実像形態》が使用される大会。同じ戦法が通用しない以上、地力の相性はどうしても兄さんの方が優勢になる」

「でも、ハフリさんはハフリさんでやっぱり強い。実際に《風の剣帝》を見ていないアタシには何とも言えないけど、正直予測ができないわね」

 

 《風の剣帝》黒鉄王馬。

 《七星剣王》疼木祝。

 その二大巨頭が君臨する今年の七星剣武祭は、間違いなく例年以上の苛烈さを孕む大会になる。

 その確かな予感に、一輝とステラはより気を引き締めて合宿に臨むことを改めて決意したのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 合宿場の管理人さんに壁を壊してしまったことを謝った私は、そのまま自主練を再開していた。

 また誰かと模擬戦をしても良かったのだが、それを言い出したら破軍の人も巨門の人も蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまったのだ。せっかく七星剣王の実力を直に見られる機会なのに、それをふいにして良いのだろうか。

 というわけでせっかくの合宿だというのに早速暇になった私は、邪魔にならないよう合宿場の隅で今日も一人で素振りです。

 

 そういえば、さっき南郷先生が臨時の指導教官として合宿場にやってきたらしい。

 何でも黒鉄が巨門の用意した剣術師範を全員斃してしまい練習にならなかったため、急遽先生に無理を言って合宿に参加してもらったのだとか。

 日本が誇る《闘神》南郷寅次郎を呼び出すとは、豪華な合宿ですこと。

 何はともあれ、後で挨拶に行かないと。

 

「――あ? ……げぇっ!?」

 

 そうして日課の素振りをしていると、後ろから聞き覚えがあるようなないような声がした。

 誰ぞと思って振り返れば、巨門の制服に身を包んだアッシュブロンドの女子生徒が苦虫を噛み潰したような表情でたじろいでいる。

 

「あれ、鶴屋さんじゃないですか。お久しぶりです」

「出たわね、変態鎌魔人ッ。ボッチの貴女のことだから絶対に合宿になんて出てこないと思っていたのに油断したわ」

 

 彼女の名前は鶴屋美琴。

 昨年に続き巨門の代表選手に選ばれた三年生で、《氷の冷笑》というイカす二つ名を持った少女なのだ。

 ちなみに去年の七星剣武祭で、私と準々決勝でぶつかった相手でもある。

 

「私だって合宿くらいは出ますよ。しかも今回は合同合宿ですし、もしかしたら巨門学園の中からも合宿中に私の大鎌に興味を持ってくれる人が出てくるかもしれないじゃないですか。こういう機会は逃しません」

「本気でやめて。私の学校にまで貴女の病気を持ち込まないで」

 

 迷惑そうにする鶴屋さん。解せぬ。

 彼女の所属する巨門学園は破軍や武曲と違い能力選抜方式を採用している騎士学校だ。故に彼女の学園で重視されるのは魔力量、そして能力の強力さである。よって彼女の学園は基本的に現代の風潮に合った魔術重視の校風と言えるだろう。

 よって彼女も代表入りする程度には魔術に秀でており、彼女の伐刀絶技《死神の魔眼(サーティン・アイズ)》は氷雪系最強……かどうかはわからないが、結構便利な氷系能力だったと記憶している。

 

「はぁ、貴女は相変わらず気楽でいいわね。私にとって今年の七星剣武祭は悪夢よ。無名の一年生(ルーキー)がわんさか出てくるし、よりにもよって《紅蓮の皇女》に《無冠の剣王》に《風の剣帝》って! もう巫山戯ているとしか思えないわっ!」

 

 頭を抱える鶴屋さんも相変わらずらしい。

 彼女は他の騎士たちのような『もっと強い奴と闘いてぇ!』なハングリー精神旺盛な性格ではなく、どちらかというと手段を選ばずに勝ちを獲る性格の人なのだ。

 だから去年も私と試合をする前に、あらゆる手段を用いてプレッシャーをかけてきた。結果的には普通に私が勝ったが、彼女はそういう策略家としての面が強い騎士なのである。

 きっと内心では、私が並みいる強豪たちを全部片付けてくれたら楽に上へ進めるのにな、とか考えているに違いない。

 

「っていうか、なんで貴女はそんなに平然としているわけ? 黒鉄王馬は貴女にとっても因縁深い相手でしょう。緊張とかしないの?」

「因縁があるのは否定しませんけど、別に緊張するほどでは」

 

 鶴屋さんに言われて思い出したが、王馬くんとは最後に闘ってからもう六年くらいになるのか。

 知っている人は知っているだろうが、私と彼の関係はリトルリーグから始まっている。

 

 南郷先生を始めとした武術家の方々から武術のイロハを学んだ私は、その力を早速活かすべく小学三年生の辺りから公式試合に参加するようになった。

 当初は今のような魔力制御の技術もなく、しかも《既危感》を有用に使えるほどの戦闘技術もなかった。故に最初の方の成績はボロボロで、四年になってからも辛うじて全国大会に進めるかどうかという程度の実力しかなかった。

 己の無力さに泣きながら修行を続けたその時代は、私の中では完全に黒歴史である。

 

 王馬くんとはその頃に試合で闘ったのが最初の出会いだ。

 あっ、ちなみに初戦は惨敗しました。お前は風の契約者(コントラクター)かってくらい魔術を連発してくる王馬くんマジでチート。男女平等ソードとカマイタチで幼気な女の子を容赦なくズタズタにするところは本家に決して負けていない。

 それから何度か色々な大会に出場し、その度に王馬くんは私の行く手を遮った。

 それ以来私は『打倒黒鉄王馬』を胸に誓い、より修行に励むようになったという……そんな青春をしていた時代が私にもあったというそれだけの話である。

 最後の試合では私が大会を失格になってしまったため、最終的に決着をつけることはできなかったが。

 

「……リトルの決勝は殺し合いに発展したって聞いているわよ。貴女が先に《幻想形態》を解いたってね。全く、騎士の風上にも置けない行為だってことを自覚しているのかしら」

「そんなこともありましたねぇ」

 

 そうそう、確かにそうだった。

 試合中、王馬くんが()()()()()()()()()()だったので、私が先んじて《実像形態》に切り替えてあげたのだった。

 

 闘っている途中で何となくわかったんだけど、あの人ずっと「こいつと本気で闘いたい」、「《幻想形態》では物足りない」みたいなことを思っていたみたいなのだ。

 彼が私に向ける殺気は正真正銘の本物だった。

 そして刃を取るのに並々ならぬ覚悟を抱いていることも原作知識を持つ私は知っていた。

 しかしその時の王馬くんは、その覚悟のために全てを捨て去るほどの気概をまだ持ち合わせていなかったのである。

 

 

 ここで《実像形態》を使えば、自分はこれまで築いた全ての栄光を失ってしまうのではないか。

 もしもそれで相手を殺してしまったとして、それは自分が望む勝利なのか。

 そもそも全てを捨ててまで勝利に拘る必要があるのか。

 

 

 そんなくだらないゲロ以下の迷いが彼の瞳にはあった。

 だから私は()()()()こちらから《幻想形態》を解いてあげたのだ。そうすれば王馬くんも全力を出す口実ができるだろうと思ったし……何より私は全力の彼と闘いたいと思ったのである。

 

「彼は闘いの最中、その瞳に大鎌への微塵の油断も見せませんでした。大鎌なのに凄い、などという勘違いもしなかった。私の大鎌に正しく強敵足り得る能力があると認識し、その上でもっと闘いたいという欲望を見せてくれたんです」

 

 彼は人生で初めて、大鎌(わたし)を強敵と認めてくれた人だったのだ。

 そんな敬意を持つべき敵に対して、最後の踏ん切りを付けさせてあげる必要があると私は感じた。大鎌使いの一人として、お互いに全力で闘うこともできずにこのまま勝ってしまうのは無粋の極みだとしか私には思えなかった。

 

 そうして私たちは試合から“殺し合い”へと戦場を移した。

 

 最終的に私は右の手脚を肉片になるまで消し飛ばされ、逆に私は彼の胸元をガッツリ抉ったところで大会スタッフに取り押さえられたのだ。

 納得できる決着がつかなかったのは残念だったが、その時の選択を私は一切後悔していない。例えあそこで私の実力が至らず死んでいたとしても、大鎌使いとしてあそこでトドメを刺すという選択をするのはあり得なかった。

 

「そういうわけなので、因縁がないとは言いません。しかしそこに恨みや怒りといった余計な感情は一切ないんですよ。『次に闘う時は絶対にぶっ殺す』――それ以外にはお互い思うことはありません」

「想像以上に根深かった!?」

 

 愕然とする鶴屋さん。

 まぁ、確かにロジカリストの彼女には縁遠い話だろう。

 

 しかしだ。

 その因縁のことを抜きにしても、私が王馬くんと尋常な再戦を望んでいるのは間違いない。

 国内の学生騎士で唯一のAランクである《風の剣帝》――本気の彼を斃せば、きっと去年の七星剣武祭以上に大鎌は知名度を上げられるだろう。

 いや、七星剣武祭の前には《前夜祭》も控えているのだ。《前夜祭》で王馬くんごと暁学園の連中を叩き潰し、七星剣武祭にまだ出てくるというのならば再び捻り潰すことができる。そうすれば大鎌が持つ潜在能力(ポテンシャル)に注目する人間が増えることは疑うまでもない。

 

(上手に事が運べば二度も美味しい思いをさせてくれるなんて……暁学園は本当に素晴らしい人たちだよね)

 

 一人たりとも逃がしはしない。例え背中を見せて敗走しようと、土下座して命乞いをしようと許さない。

 絶対に連中の死体を残らず積み上げ、それを踏み台に大鎌の威光を示してみせる。

 

「本当に楽しみですよねぇ、七星剣武祭」

「私は今から胃が痛いわ……」

 

 どこか哀愁を背負いながら、鶴屋さんはガックリと肩を落とすのだった。

 

 

 

 ――しかし。

 この時、私は思いもしなかったし、想像すらしていなかった。

 後に振り返れば、これが“捕らぬ狸の皮算用”でしかなかったのだと断言することができる。まさにこの時の私は己の力を過信し、大鎌の威光を汚す愚か者だった。

 

 つい先日、目の前で原作崩壊が起こっていたことを私は失念していた。

 自分の想像以上に黒鉄が成長し、その力を大幅に増した事例を数少ない“例外”だと慢心していた。

 だから私はこの数日後、その心の隙を突かれることとなったのだ。

 

 ……いや、あるいは私の怠慢を責める前に“彼”を称讃するべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 “疼木祝”という本来は存在しなかった異分子に影響されてしまったが故、原作という本来の未来を遥かに超越してしまった黒鉄王馬という一人の少年のことを。

 

 

 

 

 

 




次話は半分ほど書き終わっていますが、もう少し書き足してから投稿します。
活動報告にも書きましたが、社会人にジョブチェンジしてしまったので更新が遅れそうです。GW頃には投稿する予定ですので、しばしお待ちを。

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