気が付けば半年ぶりの投稿という事実に驚愕を禁じ得ません。久しぶりすぎて文章の感覚を忘れ気味で辛い。文体が変だったらごめんなさい。
感想、誤字報告は毎度のことながらありがとうございます。
合宿は無事に終わり、私たちは帰途についていた。
帰りの交通手段は行きと同じくバスで、運転は奥多摩に行った時と同じく砕城が行っている。山形の合宿場から都内にある破軍学園まで運転してくれる砕城には本当に感謝である。
ちなみに代表入りしていない砕城がどうして代表生徒たちの一団の中に交じっているのかというと、今回の合宿に生徒会の皆々様がボランティアという形で付いてきてくださったためだ。
恐らくは黒鉄と当たりさえしなければ確実に代表入りしていたであろう東堂さんも当然ながら付いてきており、ステラさんの調整に付き合っていた。
……まぁ、私はずっと一人で修行していたので関係ないけどね。
最初の内は大鎌でステラさんとドンパチできて多少は楽しかったのだが、合宿が中盤以降になると彼女は東堂さんとばかり訓練をするようになってしまっていた。詰まらぬ。
なので暇そうな黒鉄ならと思い足を向けてみれば、こちらはこちらで指南役として出向いてくださった南郷先生と楽しそうに剣術のお稽古をしていらっしゃる。またしても詰まらぬ。
巨門が用意してくれた武術の指南役もいてくれたので多少は暇を潰せたが、《既危感》を自動で発動させてしまう私にとっては半日もあれば彼らの術理と技術を学ぶことができてしまう。
よって私は合宿の殆どを学園の日常と同じ感じで終わらせてしまうという、何とも味気ない数日を過ごすこととなったのだった。
楽しかったのは南郷先生に練習に付き合ってもらえた時間だけだよ。
でもあの人と打ち合いをすると基本的に睨み合いで終わるのが残念なんだよなぁ。何だろう、漫画で言う『技撃軌道戦』っていうやつ? 私の《既危感》と南郷先生の見切りがぶつかってお互いに隙がなくなるあの状態。
個人的には詰将棋みたいで嫌いではないんだけど、あれってギャラリーに大鎌のカッコよさを広めることができないという致命的な弱点を抱えているんだよなぁ。
しかし無理して動いてみせると打ち合いの質が落ちるというジレンマ。
最終的に睨めっこで打ち合いは終わったのだが、いつかあれが起きないくらい南郷先生を圧倒するのが私の目標だ。
「はぁ~」
そんな感じで私が合宿を振り返りながら外を眺めていると、私の席の一つ前から盛大な溜息が漏れる。
辛気臭い空気を垂れ流しにしているのは、意外にも普段から快活さを振り撒くステラさんだった。
何事よ、生理か何か?
他の人もそう思っていたらしく、私たちと同じく代表入りしている葉暮の双子姉妹が心配そうにステラに声をかけていた。しかし彼女の隣に座る黒鉄によれば、別に体調が悪いとかそういうことではないらしい。
「どうも合宿中に東堂さんに勝ち越せなかったことが悔しいみたいです」
「「あぁ~」」
葉暮姉妹が揃って納得したように頷く。
どうやらステラさんは模擬戦で東堂さんに三勝三敗だったらしく、その成績が残念でならないらしい。だったらもう一戦くらいすれば良かったんじゃないですかね。そうすれば負け越しか勝ち越しかの結論が出ただろうに。
「……それだけじゃないわよ。アタシ的には、ハフリさんに
背凭れ越しにこちらをじっとりとした目で見つめるステラさん。
彼女の言う通り、あの壁破りの後も数こそ少ないが私たちは模擬戦をした。結果はステラさんが言ったように全勝であり、彼女は最後まで私の
途中からチマチマと全方位攻撃や広範囲攻撃で攻めようとしていたが、そんなことをさせるほど私は優しくない。即行で接近戦に持ち込んでフルボッコだ。
「イッキにトーカさんにハフリさん……ウチって接近戦の達人が多すぎない? 去年まで能力値で選抜していたのが信じられないんだけど」
魔術と魔力量ばかりに目が行ってしまうが、ステラさんは剣術家としても一流だ。遠近攻防武術に魔術とそれらの全てを高次元で熟せるのがステラさんの強みであり、基本的に弱点がないのが特徴でもある。
そんな彼女が他人を強すぎると言ってしまえば、常人から見ると皮肉としか思えないだろう。
そんなことをボンヤリと考えていると、ステラさんたちの話は知らない間に太る太らないといった姦しいガールズトークへと変貌していた。
どうでもいいが、ステラさんの談によると食べたものは胸の脂肪として蓄えられるため太らないのだとか。あまりにも迂闊なその言葉に、葉暮姉妹がガチギレしている。
「そ、そういえばっ! ハフリさんも途中のサービスエリアで結構食べていたわよね!?」
そして予期せぬ飛び火。
獣のように怒り狂っていた双子の眼光が私に回ってきた。
「言われてみればそうなの! 疼木もラーメンを何杯もお代わりしていたの!」
「それどころかたい焼き何個も買ってんの見たぞ! 牡丹ちゃん、こいつも異端者だッ。とにかく
「うわ、ウザ……」
あっ、思わず先輩にウザいって言っちゃった。
しかし女性のこういう体型に対する意識は、同じ女に生まれ変わった今でもよく理解できない。傍から見れば痩せているのに過度にダイエットしたがったり。
元男性の立場から言わせてもらうと、ちょっと肉が付いているくらいのほうが魅力的だと思うんだけどね。
まぁ、女性がダイエットしたがるのは男が無駄に筋トレしたがるのと似た感覚だと聞いたこともあるし、面倒だが『そういうものだ』と認識しておこう。
「私は純粋にカロリー不足ですよ。日常的に訓練をしているとエネルギーが足りなくて困るんです」
「嘘つけ! オレらだって代表に選ばれる程度には身体動かしてんだ!」
「そうなの! それでもラーメンを何杯も食べられるほどにはならないの!」
尚も噛み付く醜き双子姉妹。
その間にステラさんは息を潜めにかかっていやがる。この女、憶えていろよ。
「そんなことを言われても……なら葉暮さんたちも私と一緒に訓練しますか? 修行のことしか考えられなくなって食事も休憩も忘れるくらいになれば体重なんて一週間で軽く十キロは――」
「「あっ、何でもないです。すみませんでした」」
二人は揃って首を横に振ると、大人しく席へと戻っていった。
そんなに手っ取り早く痩せたいのなら山籠もりでもすればいいのに。枯渇していく食料、見つからない
おまけに「ヒャッハー!」なアイドル張りにキノコと友達になることができ、さらに「動物の気持ちになるですよ」を真剣にトライするようになること間違いなし。
某国のとある山岳地帯で遭難し、一ヶ月近く彷徨った私が保証する。斜面を下っているはずなのに木々が一向に開けないあの感覚には背筋が凍ったものだが、今となっては良い思い出だ。
と、その時だった。
バスが急ブレーキをかけながら停車し、「うわぁ!?」と悲鳴をあげながら周りの人たちが慣性で踏鞴を踏む。
何事かを慌てる周囲を余所に、車窓から外を眺めてみれば――もうすぐ到着するであろう破軍学園の方向から黒煙が立ち昇っていた。
どうやら《前夜祭》が始まったらしい。
ということは……
「――《
私が背後を意識するのと全く同時に“彼”は
……私の予想を逸脱した方法で、という注釈を付けて。
◆ ◆ ◆
一同が黒煙に目を奪われるのと、アリスが《
複数本のナイフを扇のように手元で開いたアリス。
もちろん霊装が複数本の顕現が可能だということすら破軍の一同は知らない。
決して己の情報を漏らさず、力を隠したまま七星剣武祭の代表にまで登り詰めた彼の技量は驚愕に値する他ないだろう。そしてその隠形に加え、彼は“仲間”という最強のフィルターによって自身が纏う血の芳香をこの瞬間まで完全に隠しきっていたのだ。
そしてアリスは、背中を晒した車内の一同の影へと一斉に霊装を投げ放つ。
「――《影縫い》」
そして霊装は一本残らず標的たちの《影》へと突き立ち、その身動きを封じることに成功していた。
殺気もなく、気配もなく、音すらたてぬ絶技ともいえる暗殺術。
その技術はアリスの予想を裏切ることなく、その静かなる猛威を振るっていた。
――
「…………解せませんね」
魔術によって一同を拘束したアリスの耳に、困惑に満ちた祝の声が届く。
次の瞬間、アリスの首元には大鎌の刃が押し当てられていた。祝が僅かにでも力を込めるか、魔力放出を用いて腕を動かせば一瞬でアリスの首を断てるその状態。
そう、アリスは祝の《影》にのみ刃を突き立てなかったのだ。
故に祝は、一同が奇襲された次の瞬間にはアリスへと反撃の刃を繰り出すことができていた。
「……順を追って話すわ。だから少しだけあたしの首を落とすのを待ってほしいの」
交錯するアリスと祝の視線。
背後で交わされる二人の言葉に、一同はようやく身動きが取れなくなっており、それを仕向けた犯人がアリスであるということを正しく理解したのだった。
「――えっ、アリス!?」
「あり、す……?」
「ど、どういうことなんだこれは!?」
一輝たちは振り返ることもできず、ただ困惑を顕わにしながらアリスの名を呼ぶ。
しかしそれらに反応することもなく、アリスと祝は見つめ合い続けていた。
「祝さん、あたしが信用できないのならこのままでも構わない。疑わしいと思ったら首を刎ねても結構よ。でも今は信じて、まずはあたしの話を聞いてちょうだい」
あくまで冷静に、しかし目に必死さを湛えながら。
アリスは懇願するかのように祝へと言葉を紡いでいった。それが友を裏切り続けてきた自分にできる最大限の誠意だと思ったから。
しかし……
「貴方の話なんてどうでもいいので質問に答えてください。なぜ、貴方は私の《影》を縫い止めなかったのですか? 背後から襲いかかっておいて、まさかこうして反撃されるなんて思わなかったというわけではないでしょう?」
祝が知りたいのはそれだけだった。
元々祝は原作知識によりアリスの裏切りを知っていた。だからこそ彼がここで《影縫い》を使ってくることに驚くことはなかったのだ。
しかし全てが祝の想像に沿ったものではなかった。
なぜかアリスはこの中でも主力の一人である祝を無視し、他の乗員たちの拘束を優先したのである。これでは拘束に成功したが最後、アリスが次の一手を繰り出す前に祝の反撃に遭うことはわかっていたはずだ。
「だというのに、なぜ?」
「これが祝さんの《既危感》を掻い潜る方法だということを知らせたかったからよ」
両手を挙げて降参の姿勢を見せたアリスは、祝に言い聞かせるかのように語り続ける。
「祝さんの《既危感》は確かに奇襲に対して無類の強さを誇る。あたし程度の伐刀者ではどうやっても貴女の予知から逃れることはできないでしょう。――でも、貴女以外なら?」
《既危感》は祝の身を守ることに関しては一部の隙も無い。
しかし予知が知らせる害はあくまで
自己防衛に特化するあまり、味方を守ることを全く想定していない――それが《既危感》が持つ最大の欠点なのである。いや、あるいは心の底では他者への関心を真に抱くことのない、祝という人間そのものの欠点なのかもしれない。
「だからあたしは、祝さんという今回の奇襲における最大の障害をあえて無視した。貴方の予知を掻い潜り、
「なるほど。確かに主戦力の一人か二人は殺せていたでしょうね。最悪、私以外は今の一瞬で全滅していたかも」
「そういうことよ。後は残された貴女を強力な伐刀者たちで袋叩きにすればいい。あたしがこれから話す“敵”は既にその弱点に気付いている。それを事前に知らせるためにも、あたしはここで実際にその隙を突いてみせたの」
アリスの語る《既危感》の弱点。それは能力の持ち主である祝本人ですらも……いや、祝だからこそ思いつかなかった欠点だった。
確かに祝の予知は降りかかる火の粉を察知するための能力。しかし火元を用意することに徹したアリスは直接的に害を齎す者ではない。だからこそ《既危感》はアリスの姿を捉えることができなかったのだ。
「私の伐刀絶技をとても研究しているようですね」
「これを思い付いたのはあたしじゃないんだけれどね。
そしてアリスは語り始めた。
自分が《解放軍》の暗殺者であり、暁という新設校の一員として破軍に潜り込んでいたスパイだったということ。
暁が七星剣武祭に介入しようとしていること。
そして先程アリスが行った奇襲を用い、背後からここにいる破軍の主戦力を潰そうとしていたこと。
それらの情報を可能な限り彼は一同へ明かしていった。
当然ながら、アリスの荒唐無稽な話を素直に信じるような者はいない。一輝やステラですら不信感から渋面を浮かべ、アリスと付き合いの短い葉暮姉妹などはあからさまに彼の言葉を出鱈目だと断じている。
「……わからないわね」
そんな中、アリスのルームメイトであり、それ故に最も付き合いの深い珠雫だけは静かに彼の言葉へと耳を傾けていた。
だからこそ彼が語った言葉を冷静に呑み込むことができたのだと言えるだろう。
「貴方は自分がしていることの意味を理解しているの? 冥途の土産にしては事情を話すのが早すぎる。こうして私たちが無傷でいる時点で、貴方は暁学園とやらを裏切っているも同然なのよ?」
「同然じゃないわ。あたしは端から暁を裏切るつもりだったんだから」
その意外過ぎるアリスの言葉に、流石の珠雫も瞠目する。全く動じていないのは、最早アリスから興味を失い車窓の外をぼんやりと眺めている祝くらいのものだ。
「破軍に来た時こそ、あたしは《解放軍》の一員として任務を完遂するつもりだった。そのために破軍の代表になり得る珠雫という存在に意図して近づいたわ。……でも、そうしている内にあたしは珠雫のことを思った以上に気に入ってしまったのよ」
それこそ《解放軍》を裏切ってでも守りたいと思えるほどに。
アリスはストリートチルドレンとして幼少期を過ごし、汚い大人たちの思惑によって仲間を殺された過去を持つ。そして復讐者として外道へと身を窶した彼は、生き残った年下の子供たちと共に在る資格はないと故郷を捨てた。世の不条理に屈し、アリスは仲間たちを愛することを放棄したのだ。
しかし珠雫は、己の愛が成就しないであろうことを覚悟した上で一輝への愛を貫き続けた。その眩く尊い精神に感化され、アリスは《解放軍》を裏切ることを決意したのである。
「だから、どうかあたしを信じて。珠雫が愛した一輝たちの七星剣武祭を守るために力を貸してほしいの」
暁による今回の襲撃の目的は、破軍へ完膚なきまでに勝利することで自校の強さを証明すること。つまりここで破軍が暁を撃退することに成功すれば、そもそも敵の計画は最初の一歩で頓挫することになる。
それこそが裏切りを決意したアリスの狙いだった。
「あたしが暁を裏切っていることはまだ知られていない。だから今あたしが貴方たちにしたことをそのまま暁にやり返す」
味方からの裏切りが有効なのは破軍だけではなく、暁にもそれは当てはまる。
アリスが破軍の背後を突くと油断した瞬間、逆に暁を一網打尽にしてしまうことができる。
暁は《解放軍》の出身者が多数存在する以上、その人材が精鋭であることは疑いようのないことだ。正面から闘えば勝機は薄い。だからこそ初撃で決着をつけることで、彼らが力を発揮する前に一撃で片を付ける必要がある。
「だから……信じて……!」
静まり返った車内に響くアリスの必死な声。
もちろん彼らには、アリスの言葉を無視してここから逃げるという選択肢もある。しかしアリスによれば追手をかけられるだけであって根本的な解決にはならないという。
だからこそ一同の意見は割れた。
葉暮姉妹は明らかにアリスを信用できないと『逃げる』ことを支持し、一方で刀華や一輝たちはアリスを信じて『闘う』という選択を支持したのだ。どちらの意見にも根拠と理論があり、だからこそ話が纏まることはない。
しかし事態は一刻を争うことだけは全員が理解しており――だからこそ刀華はこの議論の結論を一人の人物に預けることとした。
「……疼木さん、どうしますか? 私たちは選手団の団長である貴女の指示に従います」
一同の視線が祝へと集中する。
それを受け、祝はお手本のような微笑を浮かべた。
彼女は自分の聞きたいことの回答を得た途端、先程までの存在感が嘘のように気配を潜めて席に戻っている。団長という立場でありながら「面倒ごとは知らぬ」と言わんばかりのその態度には刀華たちも思うところはあるが、しかしこの場で判断を下すべき責任者は彼女なのだ。
刀華たちの意見はあくまで諫言。最終的な結論を決めるのが団長である祝であることは疑いようもない。
「では、とりあえず突撃で」
そして一秒の間を置くこともなく、祝は即答していた。
静まり返った車内で祝の宣言は、夏場だというのに底冷えするほどの寒気を以って浸透していく。積極的に闘うことを推していた一輝たちですら背筋が粟立ったほどだ。
それもそのはず。
一輝たちから見ても、祝の瞳には葛藤や迷いのようなものが一切存在していなかったためである。虚勢ではなく、この少女の思考には一分一厘すらも『闘わないという選択肢』が存在していないことを一同は悟っていた。
「な、なに言ってんだ疼木! 学園がやられたってことは、相手は学園にいた先生たちでも敵わなかったってことなんだぞ!? オレたちだけでどうにかなんのかよ!」
祝の異常な返答に葉暮姉妹の片割れである桔梗が噛みついた。
もしもこれが一輝や刀華が熟慮の末に導き出した結論であれば、彼女も覚悟を決めることができたのかもしれない。しかし相手は戦闘狂として知られる祝が、それも即決で出した結論だ。このような反発が起こるのも無理はないだろう。
そもそもの話、一匹狼の気質を強く持つ祝はこのような場において必要とされるカリスマ性と呼ばれるものを持ち合わせていないことも大きな問題だった。人は不測の事態にこそ「この人に付いていけば何とかなる」と思える光を本能的に求めるものだ。しかし祝は優秀な伐刀者でこそあるものの、人々を纏め上げるだけの求心力には乏しい。土壇場で選択を預けるには、祝という存在は異端に過ぎる。
そして祝という少女は、カリスマ性がないばかりか集団を纏めようという意思にも欠ける人物であるわけで……
「そうですか、では葉暮桔梗さんは不参加ということで。お疲れ様でした」
こうなる。
来る者拒まず、去る者追わず。他者に興味を持たない祝は誰が相手でも平等であり、だからこそ戦意すら持たない人間を戦場に引き止めることなど思考の片隅にも過ぎらない。
故に戦意を持たない人間は不要。
逃げたければ逃げればいいのだ。
その選択で彼女たちが後悔しようと幸福になろうと祝の知ったことではない。
加えて合宿で大まかに把握した彼女の実力から、戦力的に考えても彼女一人がいなくなったところで微々たる差しか生まれないのだから、いようがいまいが大した意味はないという考えもある。もちろん大鎌の活躍の場が減るか否かという視点で。
さらに言わせてもらうのならば、別にここで自分以外の全員が遁走してしまっても構わない。手間は増えるが大鎌が活躍する場も増えるのだから、祝としては差し引きゼロだ。
「ちなみにですけど、このまま突撃することに反対の人は思い思いに動いてくださって構いませんので。逃げるも付いてくるもお好きにどうぞ? 参加する人だけ来てください、表で待っていますから」
私からは以上です。
それだけ言い放つと、祝は喜色を浮かべながらバスを出て行ってしまった。この非常事態が楽しくて仕方がないという内心を隠すこともなく。
そのあまりにも無責任で異常な祝の様子に、車内の一同は絶句する他ない。祝と最も付き合いの長い刀華ですらも呆然としている。
そんな中、いち早く口を開いたのはアリスだった。
「――そういうことよ。あたしとしてはこの機を逃したくない。この選手団の総戦力で、それも初撃で全てを終わらせたいと思っているわ。でも皆があたしの言葉が信じられない、闘いたくないというのなら……」
そうなれば最早ここに留まる意味はない。
一秒でも早くバスをUターンさせ、可能な限り遠くへと逃げるしかないだろう。暁学園の精鋭たちから逃げ切れるかどうかは甚だ疑問だが。
「……つまるところ、言葉は色々と足りてこそいませんが、疼木さんの言うこともあながち間違いではないということになります。選択肢は二つ――闘うか、逃げるかです」
改めて一同の進むべき道を刀華が示す。
そう、究極的に言えば祝の言うことは何も間違ってはいない。現状彼らには、アリスの策に乗って暁学園に闘いを挑むか、戦闘を放棄して離脱するかの二択しか選択の余地がないのだ。
もちろん無事に逃げることができれば選手団は無傷のまま生還できることとなるが、その代償に恐らく学園にまだ残っているであろう生徒や教師たちを見捨てるということになる。その選択は、騎士道の観点からすれば到底許されることではない。
だが、アリスを信用して暁学園に勝負を挑むことは尚危険と言わざるを得ない。選手団は破軍学園の主戦力でこそあれ、それは試合上の話。実戦となれば全く話は変わってしまうのだ。策が外れたが最後、誰かが戦死してしまう可能性は大いにある。
この中の誰かが、あるいは全員が死ぬかもしれない。
その恐ろしい未来に年端も行かない少年少女たちが動揺するのは当然のことだった。
(まずいですね、この空気は)
動揺と苦悩が支配する車内において、刀華は内心で呻く。
完全に議論が硬直していた。逃げるとも闘うとも言い出せない空気が既に形成されつつあることは、誰の目にも明らかだった。事は一刻を争うというのに、これでは貴重な時間が減っていくばかりだ。
だが、それも仕方のないことだろう。
仲間を見捨てて逃げるか、あるいは仲間を死地へと送り出すか――次に誰かが強く意見を主張すれば、恐らくそれが一同の総意となる。そうなったが最後、その発言者こそがその選択の責を負うことになりかねない。
事実、この場において最も発言権が強いはずの生徒会役員たちですらも渋面のまま言葉を切り出せずにいる。
「…………ッ」
誰一人として言葉を発しない。
そんな静寂に対し、刀華は人知れず奥歯を噛み締めた。
もはや猶予はないだろう。いつ学園にいる暁学園がこちらを捕捉するかもわからない現状において、迅速な判断と行動こそが優先される。例えそれが拙速であろうと、愚鈍であるよりかはマシだ。
そこまで考え、刀華は覚悟を決めた。
選択は――突撃。
アリスを信用して策に乗った場合、それが通ればこちらは大した苦労もなく一切の死傷者を出さずに事態を打開することができる。そういう意味では二択の中で最も安全な選択だと考えることもできるだろう。
だが、それは作戦が失敗したが最後、経験の浅いこちらが暁学園の精鋭たちから逆襲を受けてしまうことに他ならない。
つまりこの覚悟とは、己の号令により後輩や仲間たちを死地へと臨ませることの決意だ。目の前で仲間が死に、そして自分自身が死ぬことへの諒解だ。
この状況を打開するために己の心身を投げ打たず、どうして破軍学園の生徒会長を名乗ることができようか。
(もちろん、誰一人として彼らを傷つけさせるつもりはありません)
万が一アリスの策が成らなければ、己の命を懸けて仲間を守る。少しでも形勢が不利に転じたと判断した瞬間、自身を盾にしてでも彼らを逃がしてみせる。例え、それが原因で相手と差し違えることになったとしてもだ。
そして刀華は全ての覚悟を完了した。
小さく息を吐き、そして沈黙を破る一声を発さんと息を大きく吸い――そして賽は投げられる。
「――僕は、アリスを信じるべきだと思う」
刀華よりも一呼吸だけ早く覚悟を決めた、黒鉄一輝によって。
「ッ、黒鉄くん!?」
驚愕に目を見開く刀華を、しかし一輝は目で制す。その動作一つで、刀華は一輝がその照魔鏡の如き観察眼で自身の内心を読み解いていたのだということを悟った。
一輝は刀華に代わり、仲間を危険に晒す契約書にサインをしてしまったのである。
刀華は知っている。一輝は祝のような人格破綻者でもなければ無責任でもない。恐らくは刀華と同等の、いや、生徒会長としての責任すらもない彼はそれ以上の覚悟を以って沈黙を破ったのだろう。
(でも、貴方がそんな重圧を受け止める必要なんて……!)
一輝は所詮、代表選手の一人でしかない。だというのに、彼はその正義感と明晰な頭脳から、自分自身の身を切ることで状況を打開する一石を投じたのだ。
並みの精神力でできることではない。
しかし刀華の驚愕を置き去りに、一輝の言葉で状況は変わってしまった。まず一輝の積極的な意見にステラと珠雫が同調した。それに釣られるように葉暮姉妹も渋々とそれを承諾し、次に兎丸が、さらに御祓たちがそれに同意していく。
御祓やカナタなどは刀華の内心を察して一輝に同調した節があるが、それ以外の面々は一輝の強い意思に引っ張られた形だ。
それは祝が持ち得ず一輝が持つ
孤高の異端者である祝に反し、一輝の直向きさと誠実さは人を惹き付ける。事実、選手団の意思は一輝が場を主導することで淀みなく統一されつつあった。最早刀華が主導権を握ることは叶わないだろう。
確かに一輝の存在は、刀華にとってもこの非常事態における光明として大変頼もしくはある。だが本当ならば、自分こそがその光として選手団を導くべきだったのだ。
「東堂さん、最後は貴女です」
一輝の一言に、刀華はハッと我に返る。
気が付けば自分以外の全員が一輝に付いていくことを選択していた。残すは刀華の意思を確認するだけというところまで事態は進んでいる。
後輩が将器の才を宿していることをここまで無念に思ったことはない。
もちろん失敗した場合、というネガティヴな思考に自分が捉われていることはわかっていたが、それでも期待の後輩に全てを預けてしまう自分の情けなさが刀華は悔しくてならなかった。
だが、刀華ではもう状況を覆すことはできない。そして皆の方針に否と思うところがない以上、その答えは決まり切っている。
「……わかりました。私も、皆さんと意思は同じです」
だからこそ、刀華は改めて覚悟を決めた。
率いることではなく、全力で一輝を助ける覚悟だ。この先、一輝はより苦しい選択を迫られることがあるかもしれない。敵の魔手から仲間を守るため、その矢面に立たなければならない状況が訪れるかもしれない。ならばその時は……
(この身に代えても、私が貴方を守るッ……)
◆ ◆ ◆
「…………」
選手団がその意志を統一した同時刻。
和装を身に纏う一人の男が静かに目を見開いた。
「……ふん」
それは嘲笑だった。まるで毒も針も持たぬ蟲けらが象へと勝負を挑むことを嗤うような、同時にその無謀を儚むかのような、そんな絶対的上位者にのみ許される行為だ。
何の前触れもなく虚空を嗤うその姿は奇妙の一言に尽きるが、しかし王馬と共にこの破軍学園を襲撃した暁学園の生徒たちは思い思いに動いているためそれを目にする者はいない。
しかし事実だけを述べるのならば、王馬は真実蟲けらたちのその蛮勇を嗤ったのだった。
王馬には全てが視えていた。
アリスが裏切る様も、選手団が困惑する姿も、そして意思を統一した彼らがたった今バスでこちらへ移動を始めたことも、全てが。
王馬が司る能力は“風”。
それは即ち空気の流動。
ならばその能力を応用することで空気に自身の感覚を共有させ、千里眼の如く遥か彼方を覗き見ることなど造作もないこと。
最早王馬はただ座しているだけで十数キロの範囲へと目と耳を届かせることが可能だった。そこに空気さえ存在していれば、王馬の知覚からは誰も逃れることができない。
なればこそ、たかだか数キロの距離では王馬の掌の上にあるも同然だ。当然ながら知覚の圏内に選手団が侵入した瞬間から王馬はその存在を察知し、万が一にも逃亡することがないよう彼らを監視していたのである。
「……待ちわびたぞ、この時を」
王馬の肉体がその意思と連動し歓喜に震える。
図らずも愚弟によって状況は好転した。最悪、祝だけでもこの場に吶喊してくるだろうことは王馬も予想していたが、《紅蓮の皇女》も漏れなく付いてきたのは素直に喜ばしい。
暁学園の一生徒としては選手団が一致団結して抵抗してくることに安堵するのが正しいのだろうが、元々己の目的のためだけに暁に所属する王馬からすれば些事でしかないことだ。
来い。早く、速く、迅く。
岩のように固まり、暁学園の一同ですらその表情が動くところを見たことがない王馬の面差し。
それが今、誰に知られることもなく愉快そうに歪む。
凶悪に弧を描いた口元に、狂気すら宿し充血する双眸は、極限の餓えを経た末に獲物を見出した獣のそれに相違ない。
「早く来い、《
今度こそ殺してやる。
殺意と喜悦に満ちたその言葉が、風に紛れて消えた。
次回か次々回辺りには王馬とぶつけられるといいなぁ……