本当は一つ一つにお返ししたいのですが、想定以上の感想を戴いたため返信が間に合わなくて本当に申し訳ありません。
しかし戴いた感想には全て目を通していますので、これからも感想や誤字報告などを是非お願いします!
この前書きを書き終わった後、お気に入りが1900件を超えていることに気付き絶句。
これも人々の大鎌愛のなせる業なのか⋯⋯?
本当にありがとうございました。
賽の河原というものをご存じだろうか。
これは三途の川にある河原のことであり、死んだ子供はここで両親を供養するために延々と石を積み上げ続けなければならない。最終的には石を積み上げて塔を作るのが目的なのだが、しかしその場にいる鬼が完成途中の塔を崩しては去っていくことを繰り返すため、子供はずっと石を積む作業を辞めることができないのだ。
日本の文化を勉強する過程で偶然知ったこの知識を、なぜかステラ・ヴァーミリオンは朦朧とする頭で思い出していた。
「ぜはッ、はひゅ……、ぇほッ……」
ただひたすらに呼吸が苦しい。
肉体は限界を訴えており、もはや精神力だけで足を動かしているような状態だった。
視界はもはや霞が立ち込めており、燦々と降り注ぐ日光は殺人光線に等しい。
(あ、あれ……? アタシ、今なに……をして……)
そしてついに記憶にすら靄がかかったその瞬間、ステラは足を縺れさせてその場に倒れこんでいた。
地面に身体が叩き付けられ、「はッ!?」と意識が覚醒する。
ステラは早朝ランニングの最中だった。
(そう、だ……確か一輝がランニングに行くっていうから、一緒について行って……)
そこから先の記憶はあまりない。
ただルームメイトの一輝に追いつこうと懸命に足を動かし、終わりの見えないランニングに絶望し、そして気が付くと地面に倒れ伏していた。
恐らくオーバーペースが祟って倒れてしまったのだろう。
あまりに無様な自分の姿にステラは乾いた笑い声をあげた。しかし笑うという動作一つで肺は悲鳴をあげ、笑い声は即座に咳へと姿を変える。
今になって考えてみれば、何とも無謀な挑戦をしたものだとステラは思った。一輝は魔力の才能がないが故に、今までの努力を肉体の強化へと全振りした生粋の武芸者。対して自分は、一輝ほどの濃度もない訓練を魔術と肉体の両方へと回していた。これでいきなり一輝と同じことをしようなど、逆に彼に失礼だったかもしれない。
一輝には途中で先に行くよう促したが、それで正解だった。自分に合わせてペースを落とさせては、彼に要らぬ迷惑をかけていただろう。
と、その時だった。
地面に横たわるステラの肌が、地面を伝わる小さな振動を感じ取った。一定のペースで感じるその揺れは、恐らく先程の自分と同じランニングを目的としたものだ。
しかし疲労によって再び意識が朦朧とし始めていたステラは、起き上がろうと腕を立てることすらできなかった。必死に手足を動かすも、地面を転がるのが精一杯だ。
そして足音はどんどんとこちらに近づいてきており、それに焦ったステラはさらに手足に力を籠めるが、今度は逆に力み過ぎて転んでしまった。あまりにも間抜けな自分にもはや涙すら出てくる。
「だ、大丈夫ですか?」
声がかけられたのは、ステラが生まれたての小鹿のように脚を震わせて立ち上がったまさにその時だった。
振り返れば、そこにはジャージ姿でこちらを心配そうに見つめる少女がいた。
走りやすいように髪をポニーテールにした彼女は、まず蒼白いステラの顔色を、次に震える脚を、そして荒く吐かれる息を見やって全ての状況を悟ったらしい。
苦笑しながら「肩を貸しましょうか?」と提案してきた。
「い、いえ……だいじょーぶだから、アタシはこのくらい慣れてるしッ、げほッ……」
「いやいやいや、呂律が回っていませんよ君。顔色も最終形態のフリーザ様みたいな色していますし。っていうか歩けます? さっきまでここに倒れていましたよね? 着ているジャージが砂利塗れなんですけど」
「うっ……」
少女の正論にステラは呻いた。
迷惑をかけないように遠慮したつもりが、逆に心配させてしまったらしい。不覚だ。
その後、結局ステラは少女の言われるがままに肩を貸されて歩くこととなった。
申し訳なく思い謝っても「いえいえ~」と流される。それを見たステラは、これが日本人の『和』の心かとちょっぴり感動する。
少女は咳込むステラを気遣ってか、時折ステラの状態を確認したりこそするものの必要以上に話しかけてはこなかった。ステラも呼吸を整えるのに忙しかったため正直これはありがたい。
また、彼女の歩みがステラに合わせられたゆったりとしたものだったことも助かった。日本は気遣いの国と噂には聞いていたが、見えないところにも心を配るこの精神こそが『OMOTENASHI』の心なのだろう。
そして5分ほど歩いた頃だろうか。遠目に一輝と走り始めた学園の正門が見え始め、そこにステラを待ってキョロキョロと視線を巡らせる彼の姿を捉えた。
「や、やっと着いた……」
思わず呟いたステラの万感が籠った言葉が届いたかのように一輝はこちらへと視線を移す。
そしてステラの姿を見ると安堵したかのように表情を綻ばせ……
そして彼女と共に歩いてくる祝の姿を見て表情を強張らせたのだった。
◆ ◆ ◆
日課のランニングをしていたら美少女を拾った件について。
偶には違うコースを走ってみようと道を変え、脳内でアニソンのメドレーを流しながら軽やかに爆走していた時にその人物を発見してしまったのだ。
遠目に見た時は驚いた。
地面に軟体動物のように横たわった少女がビクンビクンしながら藻掻いていたのだから。前世で見たエクソシストという映画を彷彿とさせるその動きは、美少女補正を以ってなお気持ち悪かったと言わざるを得ない。これでブリッジでもされた日には間違いなくUターンしていただろう。
しかし必死な様子で起き上がった少女を見た私は、すぐにそれが誰なのかわかった。
燃えるような紅い髪に東洋人離れした顔立ち。そしてジャージの上からでもわかる超高校生級のボンキュッボンなグラマラスボディと来れば原作ヒロインのステラ・ヴァーミリオンしかいないだろう。
前世の私だったら鼻の下を伸ばして彼女を凝視していたのかもしれないが、しかし生まれ変わって女性の視点を手にした私には「綺麗な人だなぁ~」以上の感想は出なかった。
あと、これは全くの余談なのだが。
心なしか私は性欲が薄いような気がしてならない。前世と現世で性別が違うことによる弊害なのか前世の記憶を持っていることのステータスなのかは知らないが、欲情というものを体験したことが私にはないのだ。
以前、空いた時間で試しに老若男女のあらゆる人間の画像で好みを探してみたことがあるのだが、ピンとくる気配はまるでなかった。
よって私は前世を知ってから初恋すらしたことがない。
大鎌に熱中するためには全く構わないのだが、それはそれで少し人間として損をしていると感じなくもないのだった。
話が逸れた。
その後、私は原作の
本心を言えば剣士なんてその辺の雑草でも食わせておけば体調なんて治るだろ、と思わなくもない。しかし今回だけは好奇心がそれを上回っていた。
最初はステラも遠慮していた様子だったが、やはり見た目の通り身体は疲労困憊だったらしい。少し押すだけで素直に肩を預けてきた。
そのまま彼女が連れ――たぶん黒鉄――と待ち合わせをしているという正門まで運んでいく。
しかし運んでいる途中で気が付いた。
何を話しゃいいんだ……?
こちらは原作キャラのことを知っているが、実際に自分とステラ・ヴァーミリオンという少女は初対面なのだ。
馴れ馴れしい態度を取って変な目で見られるのは嫌だし、かといってこちらが知るはずのないことを喋っても彼女に怪しまれるだけだ。
下手に彼女と口論になって国際問題に発展した日には、もしかすると私の輝かしい大鎌ロードに傷をつけることになりかねない。
そう思った私は彼女と碌に話すこともできずほぼ無言だった。時々様子を伺うように声をかけるのが精一杯で、それ以外は爆弾を扱うかのように丁寧に彼女を運ぶ。爆発して死ぬのが私だけならば構わないが、大鎌に被害が及ぶことだけは阻止しなければならない。
そして気が遠くなるほど長く感じる時間を歩いた頃、ようやく目的地の正門が見えてきた。正門の前にはジャージ姿の黒鉄が佇んでおり、ステラを探すかのように辺りを見回している。
やがて彼の視線がこちらに向き、ステラを見て安心したのか柔らかい笑みを浮かべた。
しかし私と目を合わせるなり表情を引き攣らせたのはなぜだろう。
「……? なんだかイッキの様子がおかしいわ。ひょっとして貴女、アイツと知り合いなの? この時期に学園にいるってことは二年生か三年生よね? もしかしてクラスメイトだったとか?」
「同学年でしたし知り合いと言えば知り合いですけど、クラスは違いましたね。以前、彼とは前理事長の企画で模擬戦をしたことがあるのでその繋がりで少し」
「……前の理事長の? ふーん」
納得したのかしていないのか微妙な声色でステラは頷いた。
何ぞい、今の間は。もしかして、前理事長と黒鉄との確執についてもうステラはこの時点で聞いているとか? なるほど、それのせいで少しピリピリしているのかもしれない。
しかし私は理事長から「授業免除のための試験をする」って言われたからノコノコ付いていっただけで、それで相手が黒鉄だったと言われただけというのが全てだ。裏の事情については何も聞かされていないのだから警戒されても困る。
というか、その時の模擬戦は私にとっても
文字とアニメでしか見たことのなかった黒鉄の分析力の極み《
いや、黒鉄のあの眼力はマジで異常だって。見切りとか尋常じゃない。写輪眼でも持っているんじゃないの、アイツ。原作で桐原が黒鉄のことをイカサマ呼ばわりしていたが、本当にあれは反則だ。絶対に出てくる作品を間違えている。
「センパイ、もう歩けるから大丈夫よ」
「そうですか?」
そんなことを考えていると、ステラが疲労の色を隠しきれない様子ではあったものの地力で歩き始める。
つまり私たちは碌に話もしないまま、ついに正門に辿り着いてしまったのだ。内心では安堵が強いが、若干勿体なかったようにも思う。
そしてステラは幾分か良くなった顔色で黒鉄に駆け寄っていった。
しかしやがて踵を返すと、こちらへと戻ってくる。
「ここまでどうもありがとね、センパイ。そういえば自己紹介がまだだったから名乗っておくけど、今年からここに入学した一年生のステラ・ヴァーミリオンよ。センパイはアタシに気付いていたみたいだから、必要なかったかもしれないけれどね」
「これはご丁寧に。二年生の疼木祝です。よろしくお願いしますね」
ツンデレお嬢なイメージばかりが先行していたが、意外と礼儀正しい。
それもそうか。彼女の実家は小国の王家なのだから、挨拶などのマナーに対する教育は行き届いているのだろう。
それに引き換え、さっきからこちらを何とも言えない表情で見ている黒鉄は何なのだね? ライトノベルの主人公が久しぶりに同級生の少女と会ったんだから、挨拶していたら転んでその子の胸にダイブくらいかませないのだろうか。リトさんを見習えリトさんを。王族に嫁ぐという意味でも彼は君の大先輩だぞ。
もちろん私にそんなことをしたらダイブしてきた瞬間に息の根を止めるが。
「……イッキ? 大丈夫?」
「ッ……ああ、ごめんねステラ。少しぼうっとしていた」
流石に見かねたらしいステラが黒鉄に声をかけるが、それでも彼は曖昧に笑ったままだ。
それでも居心地が悪そうなままであるため、流石の私もここは空気を読んで退散することにした。
まだランニングの途中だし、新学期が始まっていない今日は一日中好きなだけ修行することができる。この後はプールの中で素振りをする予定だ。腰まで浸かった状態で行う素振りの感覚はまた独特で、それ故に大鎌への愛を試すのに不足はない辛さを誇っていると言えよう。
そうとなれば、こんなところで剣士なんぞと道草を食っている場合ではない。剣士どもがいくら草を食もうとどうでも良いが、私はそれほど暇ではないのだ。
「では、私はこの辺で失礼します。ヴァーミリオンさんはお大事に。黒鉄もまた新学期にお会いしましょう」
その言葉を最後に、私はその場を走り去ったのだった。
しかし、もうすぐ新学期ということは原作が本格的に始まるのか。そう考えると何だか感慨深い。
それに前世の記憶を思い出してから既に10年以上経つが、それほど前に読んだ小説の内容を自分もよく覚えているものだ。
まぁ、流石に隅から隅まで覚えているということはない。なんだかこんなイベントがあったような、こんな人物がいたようなということは薄っすらと覚えているが。
ちなみに、プライベートの問題からあの二人がラブコメっている部分は積極的に思い出さないようにしている。いや、だってあくまで他人でしかない私が個人の趣味とか恋愛模様について首を突っ込むのはおかしいじゃん?
これで私が男だったのなら「ヒロインを寝取ってやる!」とか考えたのかもしれないが、生憎私は女だ。そして大鎌に人生を捧げた大鎌至上主義者であり、NTRとかハーレムとかは本気でどうでも良かった。
さて、そんなくだらないことよりも今は修行だ!
まずはランニング30キロ! 血反吐が出るくらいのペースで行ってみよう!
◆ ◆ ◆
走り去っていく祝の背中が見えなくなり、ようやく一輝は留めていた空気を肺から吐き出す。
彼女がいなくなっただけで、一輝は周囲の空気が幾分か軽くなった様にすら感じていた。
「イッキ、本当に大丈夫? 途中でへばったアタシが言っても説得力ないけど、顔が真っ青よ。やっぱりあのセンパイと何かあったの?」
「……まぁ、去年ちょっとね」
「……さっきあの人から聞いたわ。去年、イッキがセンパイと試合をしたって。それも……その、前の理事長の計らいでって」
「あ~」
心配そうにこちらを見上げるステラに、一輝は曖昧な返事をすることしかできなかった。
だが、彼女と何かあったというステラの勘は正しい。事実、疼木祝という少女は一輝にとって忘れたくとも忘れられないと言えるほど大きな存在だ。
何せ一輝は、彼女の手によって留年に追い込まれてしまったのだから。
事の発端は一年前。
一輝の実家である黒鉄家が、一輝の存在を疎ましく思い本格的に学園に圧力をかけ始めた頃の話だ。
その時期になると学園側は一輝に対して裏から手を回して嫌がらせを度々行うようになり、時には彼らに嗾けられた生徒が一輝を決闘という名目で襲撃すらするようになっていた。一輝が反撃すれば「無許可で決闘を行った」と一輝を陥れるという魂胆があり、そのまま退学に追い込まれる恐れすらあったのだ。
幸いにも一輝は一方的に攻撃を受けるばかりで一切挑発に乗らなかった。回避すらも戦闘行為と難癖をつけられる可能性があったため、全ての攻撃を受け続けた。この一輝の判断によって計画は失敗に終わったが、息のかかったその生徒は厳重注意だけで済まされてしまったのだから学園側の悪意は明らかである。
こうして学園と一輝の水面下の戦いは熾烈を極めてゆき、ついに学園は『一輝が能力値に満たないため授業を受けさせない』というありもしない規則を用意してくることとなった。
能力値のことを持ち出されては、生まれの才能であるため一輝にも抵抗することができない。まさか学園がここまで悪辣な手段を用いてくると思わなかった一輝は、ついに膝を屈することとなったのだが……
「だが、君にも一つチャンスをあげよう」
そこに光明が差した。
一輝を集中攻撃する当時の理事長一派の暴走を見かねたその他の教師たちが異論を唱え、それに閉口した理事長が一輝に最後の機会を与える運びとなったのだ。
曰く、「騎士とは己の力で運命を切り拓くもの。ならばその力を示せば進級を認めよう」と。
まさに千載一遇の好機だった。地獄に仏と言ってもよい。その光明に一輝は決起し、最後の最後で理事長たちは一輝の力を侮ったのだと抵抗した教師たちは歓喜した。
だが、皮肉にも侮っていたのは教師たちだったということを後に思い知らされることとなる。
理事長は嗤いながら一輝に告げた。
「力を示す――それは即ち強敵を打倒することだ。その相手として、我々は彼と同学年の疼木祝を指定する。二年生以上を指定しなかったのは、我々の厚意だと思いたまえ」
今になって思えば、その厚意とやらに彼らの悪意がどれほど凝縮されたものだったのかがわかる。何せ彼女はこの後、七星剣王という地位を得ることとなる少女だったのだから。
その少女について、まだ学園で一輝が村八分にされる前に噂は少し聞いていた。
戦うことに狂い、暴力に溺れてしまった戦闘狂。強者であれば上級生であろうと噛み付き、学園の秩序を乱す札付きの不良。しかし、大鎌という霊装のハンデを持ち、それ故に荒れてしまったのではないかとも聞く。
餓えた狼のような女――それが総じて彼女を知る者が口にした言葉だった。
最近は学校に来ることもなかったため、一輝はてっきり退学になったのだとばかり思っていたが。
そしてその条件が出された即日、一輝は彼女と闘うこととなった。
一輝は事前に戦う相手を徹底的に分析する戦術家の側面も持つ。しかし理事長側は一輝に一切の情報を渡さないためなのか、理事長室でその条件を伝えられたその足で一輝は試合に臨む流れとなる。
そして出会った少女は、餓狼すらも喰い殺す“修羅”だった。
遠目に姿をみることはあっても臨戦態勢の祝の姿を直に目に映したのはそれが初めてだったが、普段の姿からではわからなかった彼女の纏う空気に一輝は慄かされることとなる。
彼女の瞳は、餓狼の如くという荒々しい噂に反してまるで凪いだ海のような静けさを保っていた。しかしその奥には夜闇のように漆黒の深淵が広がっており、まるで一輝を引きずり込もうとするかのようにこちらを覗き込んでいる。
あれが、あんなものが餓狼だというのか。
否、断じて否。あれは畜生如きが放つ眼光ではない。
では幽鬼か。
それも否。彼女が放つ気配は、生者のみが持つ貪欲なまでの黒い活力。
ならば……あれが“修羅”だというのか……!?
それこそが“是”であった。
力を、もっと力を――彼女の瞳は地の底から響くような低音で叫んでいる。
戦を、もっと戦を――彼女はその力を得る戦場を求めている。
血を、もっと血を――彼女は己の糧となる敵の血を欲している。
それは極みの境地の一つ。強さに対する無限の餓えと果てのない闘争心。
力を求めるその貪欲さは餓狼であろうと幽鬼であろうと噛み砕き、それが毒の海であろうと躊躇わず飲み干す。その果てに力があるのならば、喰らい尽くさぬ理由がない。
修羅……これこそが修羅……!
何が理由で力を求めるのかは知らないが、そのためならば常識など躊躇なく踏み潰す異端の中のさらなる異端。
闘争の権化。
不吉の象徴。
健常な精神を持つ者ならば恐怖と嫌悪に震えてしまうその佇まい。そんな存在を前に、一輝は不思議と負の感情以外の不思議な何かを感じていた。よくわからない感情が一輝の胸を焦がし、目を離すことができなくなる。そして彼女に何かを、心が何かを叫びたがっているのだ。
理解不能な感情だった。異様な空気に気圧されはしたが、これは恐怖ではない。この膨れ上がる不気味な感情に、一輝は同年代の伐刀者に対して初めて足が震えた。
そしてその正体を理解したのは、激戦を終えた後だった。
試合の詳細はあえて語らない。ただ、一輝は留年してしまったという結果だけが残った。
しかし今後の学園生活がかかっていたということを差し引いても、彼女との闘いは非常に充実したものだったと一輝は今でも思っている。あの闘いは一輝にとって千金にも勝る貴重な体験だった。
一輝の中での餓狼という前評判は、闘いを通して完全に覆されていた。彼女から伝わる全ての動きは、言葉にするまでもなく武と力への誠実な信念が伝わってきたからだ。
信念を通すために武術を使う自分とは違い、彼女は彼女の武術を純粋に愛している。自分とは違う形で武術を極めようとする求道者なのだと一輝は言葉でなく心で理解した。
そして同時に理解する。試合の前に祝に対して一輝が感じていたもの。
それは『憧憬』だったのだと。
戦っていた彼女は、常に美しかった。
そして純真な歓喜の笑顔を浮かべ、闘いをこれ以上なく楽しんでいた。
自らが傷つき、また敵を傷つけるという野蛮な行為を神々しいものへと変貌させるほどの、闘いへの感謝があった。
――こんな風に、自分も闘いだけを好きでいることができたら……。
一輝は嘗て、曾祖父である黒鉄龍馬からとある信念を受け継いだ。
『才能など人間の一部だ。だから才能がないからといって諦める必要はない』――この信念を他の人にも伝えられる人間になりたいと感じた。そしてその言葉を体現するためにこそ自分は諦めず、その言葉を非才な失敗者による負け惜しみに貶めないためにも自分は強くならなければならないと思ったのだ。
故に、一輝にとって武術とは最終的に信念を押し通すための“手段”なのだ。
しかし祝は違った。純粋に武術という力そのものを愛し、感謝し、そして楽しむ彼女は武術こそが“目的”に違いない。あるいは信念こそが武術であるのかもしれなかった。
それこそが修羅であり求道者でもあるということ。
諦める必要はないと龍馬は言った。それはつまり、諦めても良いのだという優しい言葉でもあるのだと一輝は考えている。
しかし祝にとって信念とは諦めるものではなく、死んでも貫き通すものなのだ。愛しているから、感謝しているから、楽しいから――そんな武術のために死ねるのならば本望。むしろ死如きでそれを諦めるなどあり得ない。
彼女の武術はそう語りかけるかのように鮮烈で苛烈だった。
その在り方に、“武人”としての一輝は憧れた。
彼にも細やかながら存在する磨き上げた己の武術への誇り。そしてそれを築き上げる過程で感じた喜びと達成感。己を育ててくれた武への感謝。強い敵と闘い、それを斃すことへの喜び。
それらを彼女の在り方はどうしようもなく刺激した。
もしも彼女のように武術以外のものを全て捨て去ってしまえたのならば、きっと一輝の抱えるコンプレックスや苦しみからは全て解放されるのだろう。その感覚は、まるで重い鎧を捨て去って全裸になるかのような解放感を与えてくれるに違いない。
それは何と甘美な誘いなのか。
――でも、それは龍馬さんの信念を忘れ去るということになってしまう。
目的を忘れ去り、手段に溺れることと同義だ。
即ち、それこそ修羅の道。
一輝の初志を考えるのならば、到底受け入れられない道だ。
だが、それでも。一輝はその道に徹しきれるほどの鋼の精神を持っているわけではない。ほんの僅かな、それこそ魔が差すほどの小さな隙間。そこを祝の姿は通り抜けて一輝を刺激する。
その感情を自覚して以来、一輝は祝とまともに顔を合わせることができなくなった。
再び顔を合わせるだけでも、また彼女の在り方が己の“弱さ”を
(それ以来、偶に疼木さんを見かけても気まずくて避けるようになっちゃったんだよなぁ。実際、今日もかなり危なかった)
実際、今日顔を合わせてみて一輝はそれを実感した。以前ほどの胸の騒めきはなかったが、それは彼女が本質を表に出していなかったからだろう。もう一度彼女の臨戦態勢を見れば自分がどのような感想を抱いてしまうのかは未知数だ。
だが、彼女の近くにいるといつか憧れが信念を越えてしまいそうで怖い。
だから一輝は彼女が苦手だ。この気持ちに一輝がケリをつけない限り、彼女と普通に会話することは難しいだろう。
(でも、今年こそは……!)
一輝は知らず知らずの内に拳を握る。
去年は高嶺の花でしかなかった《七星剣武祭》という舞台が、今年は決して自分の手の届かぬ場所ではなくなった。
しかしその舞台の頂点に立つのであれば、自分はあの修羅を今度こそ精神的に乗り越えなければならない。
静かなる決意を胸に秘めた一輝は、今日も己を鍛え続ける。今年こそは、この手に握る刀の霊装《陰鉄》があの修羅を斬り伏せることを信じて。
◆ ◆ ◆
「そういうわけで、僕が一方的に彼女を苦手に思っているだけなんだ。今の理事長先生の話によれば、疼木さんはその企てについて何も聞かされていなかったようだし」
一輝と祝の因縁。
それを一輝は寮へと帰る道すがらでステラに語って聞かせていた。
ただ、彼女に感じた修羅の気配についてだけは詳細を暈す。個人的な印象を話してしまえば、ステラが要らぬ偏見を持ってしまいかねないからだ。二人が出会う機会はこれからもあるだろうし、ステラに余計なことを吹き込みたくはない。
あるいは絶対的な才能を持つ彼女ならば、彼女に対してもまた一輝と違った感想を持つかもしれないのだから。
「そうなの……何だか悪いことを聞いたわね」
「いや、構わないよ。それに、今となればあれも貴重な経験だったと割り切ることもできる。何せ疼木さんと戦ったことで、目標の高さを知ることもできた」
「目標?」
可愛らしく首を傾げるステラ。
それを見て一輝は、「ああ」と苦笑する。どうやら彼女は祝が何者なのかを全く知らなかったらしい。
「そうか、ステラは外国人だから知らないのかもね」
「外国人ってことは、センパイは日本だと意外と有名な人だったの? 何ていうか、見た感じは普通の女の子って感じだったけど」
「うん、凄い有名人だよ。何せ彼女は、去年の七星剣王だからね」
「…………は? ……えッ、あれが!?」
七星剣王をあれ呼ばわりとは凄まじく失礼な物言いだったが、一輝も気持ちはわかる。
戦いが絡まない場における彼女は、愛想が良いだけの普通の修行マニアだ。顔立ちこそ整っているものの、ステラと比べれば見劣りしてしまう程度でしかない。
七星剣王と聞くと世紀末覇者のような雄々しい姿を想像してしまいがちだったステラからすれば、祝は色々と物足りなかった。
「でも、実力は確かだ。魔術の相性もあったけど、去年の決闘で僕は彼女に
「そんな……」
驚愕の事実にステラは絶句した。
Aランク騎士である自分すらもあしらった一輝であっても彼女に敗北したというのか。
俄かに信じられることではない。
しかしそれは紛れもない事実だった。試合の詳細は省くが、最終的に一輝の刃は彼女から勝利を捥ぎ取ることができなかった。
「彼女は強い。七星剣武祭の頂点に立ったのは偶然なんかじゃないよ。疼木さんは僕の知る限り、間違いなく最も強い学生騎士だ」
ステラに語ると同時に、一輝は己にも言い聞かせる。
彼女は、強い。
だが、今度こそ勝つのは自分だと。
七星剣武祭の出場者を決める代表選抜戦は近い。
一輝「勝つことができなかった(敗けたとは言っていない)」