落第騎士の英雄譚  兇刃の抱く野望   作:てんびん座

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風さえあれば何でもできる

 王馬と祝。

 二人の怪物が雌雄を決する最後の激突は、しかしその結末を物語るにはあまりにも味気ない光景を見せていた。

 王馬が怖気(おぞけ)すら感じた祝の最後の一撃は、天地が裂けんばかりの大斬撃でもなく、武力の粋を結集した達人の鋭い一斬でもなく。

 

 

 胸部から伝わる衝撃は王馬が予想していたよりも遥かに弱々しく、鈍く、そして鋭さにも欠けるただの斬撃だった。

 

 

 祝の魔力放出と武術のキレは本物だ。王馬のような特別な肉体などなくとも、彼女ならば斬撃の一つ、刺突の一つで人体を粉微塵に粉砕することも血霞に変貌させることも可能だろう。

 だというのにこの一撃は何だというのか。

 確かにただの伐刀者を殺すにはこの威力で充分かもしれないが、王馬を殺すにはあまりにも惰弱に過ぎる。衝撃が背中へと突き抜ける程度の勢いはあったが、骨や肉どころか皮すら断てていない。

 食らったダメージが予想を下回りすぎるあまり、警戒を最大にしていたからこそ王馬は刹那の驚愕に意識を奪われた。いや、拍子抜けしたと表現するのが正しいだろう。

 

 これは何の真似なのか。攻撃が不発に終わったのか。

 それとも魔力と風の防御が堅牢すぎたあまり、祝の攻撃が肉に届くまでにここまで威力を減衰させられてしまったのか。

 いや、そもそも最後に感じた怖気がただの勘違いだったのか。

 

 いずれの理由にしても、王馬が詰みの一手として《風神結界》を放つには何ら支障がない状態であるということに違いはなかった。残り0.1秒と待たず風の刃が周辺を蹂躙し、祝の纏う魔力の防御すらも斬り裂いてその身体を肉片に変えるだろう。

 だが、王馬はあまりにも呆気なく闘争の果てが訪れてしまったことを、驚天動地の心境以外で迎えることができない。

 終わる。

 六年前、自分に捨て身の狂気を見せつけ、この闘争でも王馬の予想を超えた強さを見せつけた《告死の兇刃》の命が。

 六年に及ぶ積年の餓えを満たすための闘争が。

 雌雄を決するための最後の交錯が。

 

 ――本当にこれで終わってしまうのか。

 

 様々な感情が王馬の内で渦巻き、最後の最後で失態を犯した祝への怒りと唐突な幕引きへの虚しさで王馬の思考が灼熱に焼き付く。

 しかし王馬はそれで冷静さを欠くようなことはしなかった。

 即座に感情を鎮静し、思考を冷却し、氷のような冷静さで己の過ちを正す。

 

 

 ――俺は何を勘違いしている?

 

 

 この幸運、好機、千載一遇の勝機。

 これこそが王馬の望む“強さ”ではないか。闘争を決する要因は肉体のステータスに限らない。

 

 そもそも伐刀者とは、その身に宿す魔力によって己の運命を押し通すことで何かを成す生物である。

 

 魔力とは、伐刀者がこの世界の運命に干渉するためのエネルギーであるというのが定説だ。即ち、この世界に自身の意志を反映させることこそが伐刀者の力の本質であり、個々人の能力の性質はその付属的なものでしかない。

 よって魔力総量とは伐刀者個人が変革できる運命の総量に他ならず、これが生涯変動しないのは生まれ落ちた瞬間にその人物が持つ“可能性(ポテンシャル)”が決定されているためだ。

 そしてこの魔力総量は、伐刀者の『天運』すらも左右する。

 要はステラのような世界最高峰の魔力の持ち主は、才気に溢れ、その生涯に恵まれ、人を動かし、そして運すらも味方につける。天から愛され、あらゆる可能性をその身に秘めた成功者の卵となるのだ。

 だからこそ王馬はこの《前夜祭》でステラに目をつけた。

 ステラという強大で圧倒的な運命の持ち主を打倒するという試練を乗り越えることで、己を更なる高みへと昇華させるために。

 

 ――そしていつか辿り着く。

 

 可能性の果ての、その先に住まう怪物の存在を自分は知った。

 《解放軍》の《暴君》――彼を始めとした、克己の果てに限界を突破した伐刀者たち。

 次はお前たちだ、と王馬はその手を伸ばす。この身は未熟なれど、必ずお前たちの領域へと至って見せると。己を蹂躙し、今尚自分を縛る恐怖を植え付けた怪物に今度こそ打ち勝ってみせるのだと。

 それこそが王馬の目指す強さ。

 そのために王馬は自分の可能性を極め続けた。多くの伐刀者が自身の可能性を持て余したまま寿命を迎えるこの世界で、王馬は自分の全てを出し尽くすためにひたすらに強さを求め続けた。

 

 だからこそ王馬は闘争における“運”の要素を否定しない。

 

 己の意志を押し通すために天運すらも呼び寄せてしまうのが、伐刀者の持つ強さの一面なのだから。

 ここで祝が闘争の趨勢を左右するミスを犯してしまったのなら、それが偶然であれ必然であれ祝はそれまでの器だったというだけのこと。王馬は勝利するべくして勝利するのだ。そこに何の疑問の余地があるというのか。

 

 ――さらば。

 

 王馬は、ここまで自分を引き上げてくれた祝という存在へ感謝とともに別れを告げた。

 彼女との闘いという貴重な経験がなければ、自分は《暴君》と出会うまでの一年間を怠惰に訓練を重ねるだけで浪費していただろう。《暴君》に絶対的な力の差という恐怖を身に刻まれたという未来に変わりはなかっただろうが、それでもその一年の意識の差は確実に自分の成長の糧として芽吹いている。

 その事実に感謝しよう。だが、お前が俺の糧となるのは今日この時までだ。

 祝を殺し、恐らくは成長して《七星剣武祭》に舞い戻るであろうステラを斃し、自分は更なる高みへ昇る。そしていつの日か《魔人》へと至ることで、彼女たちの死に報いよう。

 そして王馬は体内の魔力を全身から放出し、この闘争に終止符を打った。

 

 ――さらばだ、疼木祝という強敵よ。

 

 

 

 

 刹那、黒鉄王馬は己の驕りを突きつけられることとなる。

 

 

 

 

「…………ッが……ぁ……ッ!?」

 

 予期せぬ苦痛に、王馬は練り上げた魔力を霧散させていた。

 ぐらりとその巨躯が傾ぎ、その手から《龍爪》が滑り落ちる。経験したことのない苦しみが王馬を襲った。

 身体が動かず、視界が暗さを増していく。呼吸が一気に浅くなり、更にどれだけ喘ぐように息を吸っても息苦しさが消えない。

 思考を経由することなく、王馬は反射的に胸元を抑えていた。それは苦しみに悶える人間が脊髄反射で取ってしまうただの生理現象に過ぎなかったが、しかし生物とは優れた設計がされているもので。

 その行動により、王馬は自分の身に何が起こっているのかを理解することができた。

 

 心臓から鼓動を感じない――つまり心停止だ。

 

 地面に膝をついたまま王馬は瞠目する。

 何がどうなっているのかはまるで見当が付かないが、勝機から一転して自分は死の危機に瀕していた。心停止から脳死に至るまでにどれほどの時間がかかるのかは知らないが、このままでは恐らく数分で命を落とすこととなるだろう。

 

(な、なぜ……)

「踏み込みと、間合いと――」

 

 風を切る音。

 それを耳にした王馬はハッと我に返ったものの、身体がまるで言うことを聞かない。結果、王馬は神速で繰り出された大鎌の斬撃を首筋へ(もろ)に受けることとなった。

 

「――き・あ・いだァァァッッ!」

 

 万全の体勢から放たれた全力の斬撃。

 あまりの速度に長柄が僅かな撓りすら見せた。破壊力に満ちた曲刃が王馬の首を殴りつけ、これまでの爆音を超えた、それでも最早爆音以外に表現できない大音量で王馬の身体を宙へと吹っ飛ばす。

 その斬撃は神速であり、流麗であり、苛烈であり、そしてあまりにも殺人的だった。人知を超えた威力にとうとうこれまで鉄壁を誇っていた王馬の肉が裂け、数センチとはいえ内側にある血管を貫き、骨に刃が到達する。

 

 だが、奇跡的に即死に至るほどではない。

 

 その傷がほんの紙一重によって即死に至らない程度に収まったのは、戦闘経験によって反射的に展開した一点集中の濃密な魔力防御と、本来の彼を超えるほどに鍛え抜かれた肉体の強度故。

 首元に魔力を集中させたのはただの勘だった。殺すならば首を断つだろうという脊髄反射の判断だ。

 しかしそれが深手の傷であることに変わりはなく、頸動脈から逸れこそしたものの左の斜角筋は断裂しており、頚椎にまで刃が達している。骨が砕けなかったのは魔力防御と筋肉が威力を受け止め切り、骨が損傷しないレベルにまでダメージを抑え込んだためだ。

 

「……ぐ、ぬ……ぉ」

 

 地面へと叩きつけられた王馬は咄嗟に起き上がろうと四肢に力を込めたが、しかしやはり身体は動かない。首からは血が水溜りのように流れ出しており、間もなく失血死するだろうことが伺える。

 しかしそんな王馬をわざわざ放置しているはずもなく、横たえた身体を起こすことすら叶わぬ王馬の傍らに祝がひらりと降り立った。

 

「……今のは割りと本気で殺したと思ったんですけど、これで首が落ちないんですか」

 

 驚愕の面持ちで「軽くホラーですね」と呟きながらも祝は《三日月》を頭上へと振り被り、今にもそれを振り下ろさんとしている。朦朧とする意識の中で、王馬はその大鎌から苛烈なまでの死の気配を感じていた。

 放っておいても徐々に死へと近づく王馬に対し、祝はトドメとして更なる追撃を仕掛けようというのだ。迅速かつ確実に敵を殺そうとする彼女の姿勢は呆れるほどに正しく、また王馬は先程までの慢心に満ちた己に殺意すら抱く。

 

「く、ぉ……」

 

 動け、動け、動け。

 王馬の脳は必死にその伝令を出しているが、まるで神経が途切れたかのようにそれが届かない。たった今まで完璧な制御の下に操作していたはずの身体が全く言うことを聞かなかった。

 そして反撃が叶わないことを祝は《既危感》から読み取っているのだろう。その動作には微塵の躊躇もなく、この一撃で王馬を確実に絶命させようという『意』が読み取れる。

 恐らく先程の傷を寸分違わず抉ることでこの首を切断しようとしているのだ。まるで農夫が雑草を刈り取るかのように、この生命を摘もうというのだ。

 その姿は二つ名の如く、まさに死神。

 

「よいしょっとっ」

 

 そして祝は王馬へ最期の別れを告げることもなく、《三日月》を振り下ろした。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「――チッ、ついてねぇなぁ」

「全くだ」

 

 豪奢な和装をはためかせる歳不相応に幼気な女性。

 そして黒いスーツを着込んだ長身の麗人。

 言わずとも知れた破軍学園の教師である西京寧音と新宮寺黒乃は、現在時速350キロを超える速度で東北新幹線の線路上を疾走していた。

 なぜ彼女たちが新幹線にも乗らずこのような場を走り続けているのか。それはつい先程、破軍学園に残る教師たちから緊急事態を知らせる連絡を受けたためだ。各々の用事で偶然にも大阪へと出張していた二人は、その連絡を受けるなり東京へ引き返そうとしていたのだが……

 

「まさか飛行機が止まっているたぁね。運が悪いにもほどがあんぜ」

「……本当に運が悪いだけならばいいんだがな。これだけの大事でありながらニュースで放送される気配もない。あるいは何者かの思惑が絡んでいるのか……」

「やめろって。そういう面倒臭いのは御免なんよ」

 

 寧音の言葉通り、関西から関東へ戻るための飛行機は何らかのトラブルで全てが欠航となっていた。ならば新幹線による陸路を利用しようと考えるのが常識的な発想だが――

 

 ――しかしこの二人に限るのならば、空路が使えない時点で自分たちの足で走るのが最速の移動手段なのだ。

 

 重力の向きを操作することによって自由落下のように加速し続けることができる“重力使い”の寧音と、時間を加速させることによって常人を遥かに超える速度を維持し続けることができる“時間操作”の能力者である黒乃。

 この二人からすれば、大阪から東京まで息を切らすこともなく新幹線以上の速さで移動することなど造作もない。

 そもそもの話、今回の襲撃は黒乃か寧音が学園にいれば全て解決していたのだ。現役のKOKリーグで世界三位の寧音はもちろん、黒乃は寧音の前にその座に君臨していた強者。襲撃者など容易に撃退できただろう。

 だが、だからこそ敵は二人が学園を離れているタイミングを見計らったのだろうが。

 

「何にせよ、私たちが戻りさえすれば全てが明らかになるはずだ。私の縄張り(シマ)を荒らしたこと……死ぬほど後悔させてやる」

「熱くなんなよ、くーちゃん。つーか今日は選手団の連中が学園に戻ってくる日だろ? もしかするととーかや黒坊が何とかしてるかもしんねぇぜ?」

「それか疼木が襲撃者たちを皆殺しにしているかだな。私としてはそちらの方が困る。現役の七星剣王が防衛目的とはいえ惨殺行為など、笑い話にもならんぞ」

「……やべぇ、すんげぇありそう」

 

 二人の脳内では、襲撃者を惨殺したことを誇らしげに自慢する祝の姿がハッキリとイメージできていた。もちろんその姿は血塗れで、《三日月》には肉片と血がベットリとこびり付いている。

 刀華や一輝がいる以上は皆殺しにまではならないと思いたいが、一人か二人は殺していてもおかしくない。

 これはますます急ぐ必要があると直感的に判断した二人は、更に速度を上げようと――

 

 

 その瞬間、喉元に白刃を突きつけられたかのような剣気が二人の足を止めさせた。

 

 

『――――ッッッ!?』

 

 その気配は一瞬。

 しかしあまりにも濃密で鋭いそれは、世界でも最高峰に位置する二人であっても無視できない。その巨大な気配に二人は狼狽を隠すことができず、そして同時に襲撃者の中に“彼女”がいるということを悟った。

 

「ば、馬鹿なッ! なぜ奴がこんなところに!」

「おいおいおい、マジかよ……」

 

 その人物は世界最強にして、同時に世界最悪の犯罪者。

 強すぎるという理由だけで、世界のあらゆる機関が彼女の捕縛や殺害を断念した無双の剣士。

 あるいはこの世界で最も有名な伐刀者の一人。

 

 その名も――《比翼》のエーデルワイス。

 

「不味い、あれは黒鉄たちでは手に負えん! 急ぐぞ寧音!」

「お、おう!」

 

 そして二人は、持ち得る全力の速度で破軍学園へと走り出した。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「――今のは……?」

 

 同時刻。

 広範囲に放たれた剣気を祝は敏感に感じ取っていた。明らかに自分へと向けられた威圧感ではないが、その人外としか思えぬ剣気に祝は目の前から王馬から意識を逸らさざるを得ない。

 そしてそれによって祝の刃が止まったことは、王馬にとって不幸中の幸いとしか言い様のない幸運だった。

 

「――ぉぉぉおおおおああああああッッッ!!!」

 

 裂帛の咆哮。そして迫りくる死を前に王馬は決死の足掻きを見せた。

 身体が動かないと判断した王馬は、咄嗟に通常の回避を放棄。薄れ行く意識の中で周囲の大気を操り、突風によってその身を吹き飛ばしたのだ。

 結果的にその判断は正しかった。

 「あッ!?」と我に返った祝がその刃を振り下ろすまさに直前、王馬の全身を打ち付けた風は祝の殺傷圏内から彼を弾き出す。刹那の後、王馬の頸があった空間を超音速の一斬が駆け抜け、轟音と破壊を撒き散らした。

 

「……あっちゃ~」

 

 己のミスに祝は「やってしまった」と眉を顰める。

 しかし王馬はそれを意識する余裕などなく、地面を転がりながら懸命に事態の打開を図る。

 

(落ち着けッ、全ては“心停止”という症状がこの状況の元凶だ! これを優先しろ! 首はどうとでもなるッ!)

 

 イメージする。

 最大の問題は心停止。

 身体が動かない以上、自分が打てる手は魔術によるものに限られる。首の怪我は空気で固定するとして、まずはこの心臓を蘇生させなければ。

 

(思い出せッ、所詮は子供でも知っている蘇生法を“風”で行うに過ぎん! 胸部の圧迫を繰り返すだけだ!)

 

 《天龍具足》――直後、王馬の身体を風の鎧が包み込んだ。

 しかし先程の防御に専念した風とは違い、驚くべきことに外部からの衝撃から身を守るはずの《天龍具足》を王馬は()()()()()。これによって外へと向かう風が内へと逆流し、王馬の身体を押し潰す。

 一見すれば自殺行為にしか見えないが、《天龍具足》は的確に王馬の胸元を圧迫し、気圧の圧縮と開放を繰り返すことで心臓マッサージを敢行。何度も地面に弾みながらも突風による運動エネルギーを消化し終えた頃には、完全に心機能を回復させていた。

 

「ッ、かっはぁ……ッ」

 

 自発的な心拍を取り戻した王馬は、首元から上ってきた血を吐き散らしながらも跳ね起きる。

 そして休む間もなく頚椎付近へ風を集中させると、空気を圧縮、固定することで傷口を無理やり止血。そのまま出血を押さえ込むことで、蘇生から三秒とかからず応急処置を終了させたのだった。

 

「――《龍爪》」

 

 立ち上がるなり、王馬は油断なく取り落とした霊装を再展開。改めてそれを構え直し、その切っ先を向ける。

 まさに一瞬の復活劇。

 常識的に考えれば“死”以外に選択肢のなかったその状況を、王馬は一つの好機から見事に脱出してみせたのだ。これには祝としても驚かざるを得なかったのか、瞠目したまま硬直している。

 

「……またしても《比翼》に命を救われたか」

 

 首から上ってくる激痛に僅かに眉を顰めながらも、王馬は自嘲せずにはいられない。

 彼には祝が動きを止めた剣気に覚えがあった。忘れるはずがない、彼女に命を救われたのはこれで二度目なのだから。一度目は《暴君》にあわや殺されるというところを救ってもらい、今度も闘いの中で命を救われた。

 自身の成長のなさに、王馬は奥歯を噛み潰さんばかりの怒りを覚える。しかしその怒りはあくまで胸の内で凝縮し、頭は氷のような冷徹さを保ち続けることができてこそ一流の戦士。煮えたぎる感情は行動の原動力でこそあれ、それに支配されてはならない。

 

「……私としたことが、不覚ですわ~。外野に意識を取られて目の前の敵を仕留め損なうなんて、凹みますわ~」

 

 抉れた大地を踏み砕きながら、祝が《三日月》を右手で霞むほどの速度で一旋させる。口調こそ普段通りだが、空気を裂きながら唸る大鎌が祝の怒りを物語っているかのようだった。

 何はともあれ、状況はほぼ五分(ごぶ)に戻った。いや、手負いとなった分だけ王馬が僅かに不利ではあるが、心停止に陥り瀕死となった状況と比べれば天地の差だ。

 

 そんなことよりも――あの技。

 

 王馬の思考が目まぐるしく回転する。

 あの時は状況を打開するために考える余裕もなかったが、今は違う。また心臓を止められても再び動かすための手段は確保したが、無策で放置するにはあまりにも危険な絶技だ。最低でもその正体は見極めておきたい。

 そして幸運なことに、騎士であると同時に刃引きの試合という名の“スポーツ”を行っていた一人でもある王馬には朧気ながらもその技の正体に心当たりがあった。

 乱れた呼吸を整えながら、王馬はその時間稼ぎも兼ねて口を動かす。

 

「……そうか。今の技の正体が見えてきたぞ、疼木」

「……へぇ?」

 

 王馬が低く呟くと、祝は興味深そうに笑った。まるで「聞かせてみろ」と挑発するような笑みには、技の秘密を見抜かれたことへの動揺などは欠片も見られない。

 しかし、もしも予想が当たっていたのならば。

 

 ――この女は、俺とは全く異質な方向に進化を遂げている。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 心臓を止められ、首の筋肉は断裂し、あと0.1秒で敵に殺されてしまうという、奇跡の生還率を誇るポルナレフも真っ青なこの状況。

 そこで問題だ。この半殺しどころか八割くらいは死んでいるも同然の身体で王馬くんはどうやって攻撃を躱すか。

 

①イケメンの王馬くんは突如、反撃のアイデアを思い付く。

②仲間が来て助けてくれる。

③躱せない。現実は非情である。

 

 答えは原作でポルナレフが言うように――③だ。

 《既危感》は王馬くんの反撃を捉えておらず、背後から他の暁が襲い掛かってくる気配もない。よって①も②も選ぶことはできず、相棒のイギーすらいない王馬くんに③以外の解答は存在しない。

 

 油断や慢心ではなく、私はあくまでフラットな思考でそれを認識していた。

 某眼鏡の死神のように、淡々と、坦々と。

 心情的には確かに楽しくはあったが、その熱に浮かされて思考を鈍らせるのは二流どころか三流のすること。平時の私は感情と行動が割りと直結してしまうタイプなのではないかと疑っているが、闘いの場となれば話は別だ。

 むしろそれでも気丈に私を睨み返す王馬くんを見て、本当にできるというのならどう逆転してみせるのか興味すらあった。

 

 しかし状況を一変させたのは、選択肢のどれによるものでもなく――④ただの偶発的な横槍によるものとなる。

 

 背筋が凍るを超え、まるで脊髄を握り潰されると錯覚するような圧力(プレッシャー)を感じたのは、《三日月》を王馬くんに振り下ろそうとするまさにその瞬間だった。

 

「――今のは……?」

 

 反射的に私は動きを止め、圧力が放たれたと思われる方角へ視線を向ける。

 当然ながらそのような尋常ではない気配を発することができるだけの人間が学園にいるはずもなく、よって視界には瓦礫の山以外映らない。しかし視界の先の遥か彼方に、その何者かが存在していることは明らかだった。

 その気配を感じ取れたのは一瞬。しかも恐らく私を狙い撃ちしたのではなく、津波のように広がった威嚇の余波を食らっただけだろう。それでこれほどの剣気を感じさせるとか、正真正銘マジで怪物としか言い様のない存在だ。

 

 もしかして、今のが原作において恐らく最強を誇る“彼女”なのだろうか?

 

 そんなことに思考を囚われていた私は、そのツケの代償を支払うこととなる。後になれば冷静に考えなくても、このような大きすぎる隙を王馬くんが見逃すわけがないわけで。

 

「――ぉぉぉおおおおああああああッッッ!!!」

 

 突如、雄叫びを上げた王馬くんが動き出す。

 ヤバっ、と思い慌てて《三日月》を振り下ろすも、もう遅い。

 何と彼は心臓が止まってまともに動かせないはずの身体を魔術の風で吹き飛ばし、私の間合いから脱出してしまったのだ。

 しかもそれだけに留まらず、転がりながら唐突に《天龍具足》と思われる風の鎧を纏った王馬くんは……はぁ!? 風の圧力で心臓マッサージをしてる!?

 しかも吹っ飛んだ勢いを殺し切って地面に大の字になるや脚を振り上げ、身体のバネで何事もなかったかのように跳ね起きてしまった。……お、おぉぅ、しかもいつの間にか首の止血まで終わらせてるよ……

 

 信じられない。

 こいつ、本当に人間か? 全力チャージの砲撃を白い悪魔に速射砲撃で押し返された敵役の少女の気持ちが今ならわかる。あり得ないでしょ。

 

 そんな私の驚愕を余所に、王馬くんは手元から離れた《龍爪》を分解し、即座に手元で再構成。正眼の構えで戦闘態勢を整えた。

 これには密かに逆転を期待していた私も唖然とせざるを得ない。「風さえあれば何でもできる」ってか? 万能すぎ、その能力。

 

 …………というか、だ。

 

 王馬くんの華麗なる復活劇を思わず終わりまでしっかり鑑賞してしまったわけだけど、それと同時に私の心中は驚愕以上のとある感情に支配されつつあった。

 

 

 それは――怒りだ。

 

 

「……私としたことが、不覚ですわ~。外野に意識を取られて目の前の敵を仕留め損なうなんて、凹みますわ~」

 

 口ではこう言っているが、実際は凹むどころでは済まない。

 目の前に過去の自分がいたとしたら、間違いなく私を生かしたまま解体して痛覚の地獄を見せていただろう。それくらいに私の内心は怒りで満ちていた。

 

 ――何だ、今のザマは?

 

 私以上の強者が、未熟な私を指して隙だらけと言うのは構わない。そのようなものがあること自体が腹立たしいのは事実だが、同時にそれは私と大鎌に許された発展の余地でもあるからだ。

 

 だが、今のは駄目だ。

 

 よりにもよって外野から気圧されただけで攻撃の手を止め、あまつさえ目の前の敵を殺し損ねてしまうなんて。

 あってはならない。

 というかあり得てはならない。

 愚図にも限度がある。

 合格や不合格のラインを越え、最早これは失格。

 自分の弱さに殺意を覚えたことは幾度となくあるが、これほど自分を憎悪したのは久しぶりという程度には赦せない。可能ならば、このまま自分の首を《三日月》で抉って殺してしまいたいくらいだ。

 

 いや、本当……馬鹿じゃないのか? 私は。

 大鎌使いとしての自覚に欠けるとしか思えない。殺気も剣気も所詮は気迫、それ単体では包丁一本にも敵わない存在なのだ。

 だというのにそれに過剰に反応し、敵を殺し損ねるだと?

 むしろお前が死ね。死んでしまえ。速やかに自殺して大鎌に詫びろと、心からそう思う。

 

 

 ……まぁ、やらないけどね。

 

 

 私にはまだ役目が残っている。大鎌を極め、その素晴らしさを世に伝えるという夢が残っている。

 メジャー武器たちを押し退け、大鎌でもこの世界で最強の座を手にすることができるのだと知らしめてやるという夢のためならば、この怒りも甘んじて受け入れよう。発散することもせず、地獄の苦しみを齎しているこの怒りを永遠に忘れずにいよう。

 

 それが私に課す、私自身への罰だ。

 

 大鎌への罪悪感と、その原因である自分への怒りで胸がジクジクと痛む。血管が切れたのか頭まで痛かった。

 しかしそれでいい。そうでなければ罰にならず、自分を律するための楔にならない。この痛みを糧に、私は更に強くならなければならないのだから。

 

「……そうか。今の技の正体が見えてきたぞ、疼木」

「……へぇ?」

 

 そんな私の荒れた内心を知ってか知らずか、王馬くんは体勢を立て直した後も即座に襲ってくるようなことはしない。

 それが呼吸を整えるための時間稼ぎなのは明らかだったけど……

 まぁ、いいや。闘いに関してはクソ真面目な王馬くんが戦闘中にお喋りしようとしてくるなんて初めてだし、ちょっとくらいは聞いてあげよう。

 西京先生たちが学園に戻ってくるタイミングがわからないので横槍が入るのではないかということだけが不安だけど、それは王馬くんも同じはずだ。手短に話してくれることを期待する。

 

「今の技――あれは『心臓震盪』を応用したものだな」

 

 そして王馬くんは私の期待を裏切ることなく、いきなり核心を突いてきたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 『心臓震盪』――それは日常生活の中でままある致死性の症状だ。

 

 簡単に説明すると、心臓震盪とは外的ショックによって心停止を起こしてしまう現象を指す。人間の心臓は角度、威力、タイミングなどの条件が重なった衝撃を受けた場合、それが胸骨の上から伝わった衝撃でも停止してしまうことがあるのだ。

 例えばニュースなどで、『野球の最中に胸に球を受けてそのまま心停止に陥ってしまった高校球児』というような事例を聞いたことがないだろうか。これがまさにその事例である。

 人体とは機械すらも凌駕するほどに複雑な構成をしている反面、精密機械のように繊細でもある。この心臓震盪はそれを表す症例の一つと言えるだろう。

 

「スポーツ選手の間では知られた症状ではあるが、まさかそれを武術に取り入れるという発想が存在したとはな。つくづく貴様には驚かされる」

「……別に、この《魂穿(たまうが)ち》は私が開発した技ではないんですけどね」

 

 確信を持って告げた王馬の推測を、祝は隠すことなく肯定した。だが、それが真実ならば実に恐ろしいと言わざるをえない。

 先程、祝は大鎌でこの技を繰り出した。

 しかしこの技――祝によれば《魂穿ち》とやらは性質から鑑みて本来は打撃によって仕掛ける技と見て間違いないだろう。そして祝の言葉が本当ならば、この技の源流は打撃を主体とする武術――棒術や拳法にある。祝は大鎌の戦闘スタイルを確立させる前、日本各地のあらゆる武術家に弟子入りしていたと聞くのでその時に教わったか盗んだと考えられた。

 ということは、だ。

 

 最悪、祝は素手の一撃で人間の心臓を止められるということになるではないか。

 

 他の流派の技を修め、それを大鎌で使えるよう改良したとしか思えない。基礎ができなければ応用に続かないように、彼女は源流の技も習得していることだろう。

 そのような武術の殺法が存在していることにも驚かされたが、しかしそれを自在に繰り出せるとなればそれは達人どころの話ではない。

 

「何がホラーだ。貴様のほうが余程人外染みているぞ」

「いえいえ、これは立派な人間業ですよ。ただ、昔『これを意図的に再現すれば一撃で人間を殺せるんじゃね?』と考え、そして実現させた天才がいただけのことです」

 

 「実際、私以外にも先生や高弟の人は使えるみたいでしたし」と言い放つ祝に、王馬は目眩すら感じる。

 日本の武術界の闇は深い。

 

「先生から口外を禁じられているので流派は教えられませんけどね。他にもたくさんのお弟子さんがいる立派な先生だったんですけど、門外不出らしく皆さんには内緒で教えてくれました」

「貴様は特別扱いか。なんだ、まさか色仕掛けでも使ったか?」

 

 もちろん、王馬もそんなことは思っていない。必要とあらば祝は平然と身体を使うこともするだろうとは思っているが。

 つまりこれは、王馬流の冗談なのである。祝もそれをわかっていたため、「まさか〜」と笑いながらそれを流した。

 

「私としては真面目にお稽古していただけなんですけどねぇ。そうしたらなぜか教えてくれました。……『自分が流出させたと口外したら地の果てまで追って殺す』と脅されてはいますけど」

 

 「念の為に技名も先生が新しく考えました」と祝は語る。

 何はともあれ、これでハッキリした。祝はいつでも王馬の心臓を止めることができる。いや、むしろダメージが通らないために直撃前提の戦法を取る王馬にこそ刺さる。あの技は文字通り、当たれば“必殺”なのだから。

 だが、一つだけ王馬にもわからないことがあった。なぜ祝がもっと戦闘の序盤にこの技を使わなかったのか、という謎だ。早々にこの技を使用していれば、王馬をもっと早くに追い込むことができただろう。

 

「――だというのに、なぜだ?」

「ああ、それは簡単です」

 

 王馬が訊ねると、祝は大鎌を担ぎながら僅かに姿勢を低くする。それを見た王馬は、彼女が喋ることに飽いたのだということを悟った。

 つまりお喋りの時間は終わりだ。

 

「王馬くんの筋肉と内臓が硬すぎてなかなか衝撃を通せなかっただけですよ。殴りまくったおかげでようやく威力の調整が済んだだけで――最初から殺そうとはしていましたから」

「……なるほど」

 

 王馬は心から安堵していた。

 そして改めて祝がどのような存在であるのかを再認識する。彼女が“敵”を相手に手加減するだとか、手を抜くだとか――その発想そのものが疼木祝という狂人を舐めているのだと。

 

「では、今度こそ殺しますね」

 

 そして祝が音すら置き去りにする速度で地面を蹴り砕くのを合図に、第二ラウンドが始まった。

 

 




先生「心臓震盪を利用した技を教えるでー」
祝(これ、ライトノベルとかゲームで見たことある技だ……!)

先生「技名で弟子とかにバレると自分がヤバいから技名考えたでー」
祝(これ、最近読んだ漫画のマスコットキャラの名前だ……!)


次の更新で『前夜祭編』を終わらせるのが目標です。

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