落第騎士の英雄譚  兇刃の抱く野望   作:てんびん座

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毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます!
特に誤字ですが、最近変換ソフトと書き込む媒体を変えたので少し増え気味です。本当にありがとうございます。


我が生涯に一片の悔い無し(死んでない)

「――ッふ」

 

 祝の口元から漏れる短い呼気。

 刹那、《三日月》の石突が王馬の胸元に突き立てられていた。石突が捉えたのは王馬の真芯。穿てば心臓を貫くだろうその軌跡が意味するのは、王馬すらも瀕死に追い込んだ絶技《魂穿ち》。

 一撃目から必殺を図る祝に、しかし王馬とて一方的に屠られるほど弱者ではない。

 風の動きから祝の初動を読んだ王馬は石突が接触する直前、僅かに身を捩ることで衝撃を回避。結果、《魂穿ち》が心臓を掠めるに留めたのだ。

 

()ァッッ!」

 

 攻撃が不発に陥るや、王馬は胸に突き立つ《三日月》など物ともせず踏み込んだ。

 確かに祝の一撃は強力だが、それは魔力放出による瞬間的な爆発に過ぎない。こうして一撃を受け止め終えた後の力比べならば王馬に分がある。

 そして王馬は《龍爪》を横薙ぎに一閃、祝の胴を薙ぎ払いにかかった。

 しかし祝の《既危感》に見通せない反撃はない。刺突を放った瞬間には王馬の反撃が視えていた彼女は、突き立てた石突はそのままに滑らせるように後ろ足を踏み込ませ……

 

「……はッ!」

 

 轟音とともに王馬が吹き飛ぶ。

 祝は前後の脚を入れ替えると同時、その重心移動に合わせて全身の筋肉と魔力放出を連動させ、密着状態から再び打突を放ったのだ。

 無手において『寸勁』とも呼ばれる武術の極意。だが祝の手にかかれば武器越しに繰り出すことすら容易なことでしかない。

 しかし如何に強力な打撃であっても、それだけでは王馬の肉を貫くことはできない。万全の体勢で放った祝の斬撃によってようやく骨まで届く威力になることを鑑みれば当然のことだった。

 だが、王馬もただやられてばかりではない。

 

「……捕らえたぞッ」

 

 胸から伝わる衝撃に呻きながらも、王馬の左手は遂に《三日月》の柄を掴み取っていた。

 平均的な膂力は王馬が明らかに上。だからこそ祝にとって王馬に動きを制されることはそのまま敗北に直結しかねない。

 そしてこの千載一遇の好機を王馬が逃すはずもない。

 

「ぬァッッ!!」

「おうっ!?」

 

 王馬が《三日月》を振り上げ、それに引っ張られて祝までもが彼の頭上へと晒される。そして王馬は、その勢いのまま祝を地面へと叩きつけた。

 しかし祝はこれを霊装を()()()()解除することで回避。王馬の手に握られた部分の柄のみが空気に融けるように消失した。

 

「小癪な真似をッ」

「器用と言ってくださいな」

 

 空中で笑いながら身を翻す祝。

 しかしそれは紛れもない悪手。飛翔系の能力がない限り、人間は空中において絶対的に無力だ。腕も脚も空を切るばかりの滞空時間となれば、どのような達人であっても慣性の枷から逃れることはできない。

 

(ここで獲るッ)

 

 風によって祝の位置と軌道を確認。

 王馬は即座に右手の《龍爪》を奔らせ、そのまま祝の着地を狙い斬撃を放つ。

 しかしその一撃は虚しく空を切った。

 なぜか。王馬の軌道計算は確かに完璧だった。常識的に考えれば今の一刀で勝敗は決していたはず。

 しかし敵は天下の七星剣王であり、常識を彼方に置き去った怪物だ。それを常識で考えたことが失敗だったと王馬は刹那に悟る。

 

 なんと祝は地面ではなく、未だ王馬の頭上にいた。

 

 いつの間にか《三日月》を手放した彼女は()()()王馬の左肩を掴み、まるで平地の上であるかのように危なげなく倒立していたのだ。

 そして王馬の首元にひたりと冷たい刃が押し付けられる。

 そう、王馬の肩を掴んでいるのは片腕だ。

 ならばもう一つの腕は必然的に大鎌を掴んでおり、そして祝が敵の頭上を取ったという有利を有効活用しないはずがない。

 

(……ッ!?)

 

 空気から伝わる感覚によってそれを理解した王馬はその信じ難い光景に絶句すると同時、《天龍具足》で祝を弾こうとするももう遅い。

 刹那、魔力を片腕から放った祝はその勢いで――王馬の片耳を斬り飛ばしていったのだ。

 

「ッぐッッッぉぁぁああああああッ!!」

 

 新たな激痛に声を漏らす王馬だったが、しかし即座にそれを反撃の雄叫びに変えたのは流石と言える。その咆哮すらも追い風にしたかのように《龍爪》が閃き、片耳を奪った下手人を断罪せんと唸る。

 だが、魔力放出を叩きつけられた王馬は、それによって大きく体勢を崩されていた。それによって咄嗟の反撃は空を切り、祝は曲芸師のように宙でくるりくるりと回って危なげなく地面へと着地した。

 

「……なるほど、軟骨ならばギリギリ普通に斬れるんですね」

 

 刃にこびり付いた血と肉を眺めながら、祝は興味深そうに分析している。

 そして苦しみ悶える王馬を前に祝は楽しげに大鎌を元の長さに復元すると同時に一旋。その勢いにより、刃から赤い軌跡を描いて耳の欠片が飛び散った。

 そして同じ血が、王馬の左耳から痛みとともにドクドクと流れ出ている。それを腕で押さえ付けながら、王馬は魔神と錯覚するほどの恐ろしい形相で祝を睨んだ。

 だが祝はそれを一瞥すらせず、顎に手を添えながら王馬の全身を見渡している。

 

「骨は骨でも柔らかい部位は斬れる……なら他はどこが斬れるんでしょうね? 細い骨? 薄い肉? それとも指の関節くらいなら意外と簡単に砕けるんですかね?」

 

 まるで子供の自慢のように満面の笑みを浮かべながら、再び祝は霞むような速さで踏み込む。

 痛みに呻きながらも、距離を詰めさせまいと王馬は《真空刃》を一閃させるが、祝は僅かに姿勢を落とすだけでこれを潜り抜けた。ほぼ直進と差がない祝の動きに王馬は二刀目を放つことができず、舌打ちしながら打ち合いに応じる。

 ――その瞬間、王馬は腕に電流が奔ったのかと錯覚した。

 

「むっ……!?」

 

 《三日月》と《龍爪》が激突する。

 するとその刃を伝い、これまでになかった衝撃が王馬の腕へと流れ込んだのだ。衝撃は腕の筋肉と骨を蝕み、それは腕の痺れとなって王馬を襲う。

 しかし祝がそれで手を緩めることはなく、一合が終われば次の打ち込みが迫るのは当然のことだった。結果、握りの甘くなった王馬の剣は容易く祝に弾き飛ばされ、そのがら空きの身体を祝に晒してしまう。

 

「しまっ――」

 

 思わず王馬が声を漏らすが、祝にそれを最後まで聞き届ける理由もない。

 踏み込みが地面を穿ち、《三日月》が唸る。体勢を崩した王馬にはそれを受ける他に選択肢はなく、咄嗟に《天龍具足》と魔力防御によって防御を固めるのが精一杯だった。

 一体今度はどこを斬り落とそうというのか。

 軌道から考えて指が狙いではないことはわかる。しかし先程の祝の口ぶりからして、またどこかの部位を実験的に斬り落とそうとしているのだろう。

 ならばその部位で一点集中の防御を固めれば、今度こそ防ぐことが――

 

 ――いや、待て。

 

 その瞬間、王馬の脳裏を閃光のように何かが横切る。

 祝から感じる違和感。視線、体勢、力の配分、筋肉の駆動、呼気の強さ、大鎌の伸び――あらゆる情報を空気から読み取る王馬だからこそ感じ取れた違和感だった。

 おかしい。何かがおかしい。王馬の経験が全力で警鐘を鳴らしている。この選択は失敗だと本能が叫んでいる。

 

 王馬は反射的にそれに従い――それが命を救った。

 

 右から迫る曲刃。

 それを王馬は自由の利かない両腕ではなく、地面を踏みしめていた右脚で仰け反るようにして蹴り上げたのだ。それによって刃先が逸れた大鎌は威力を失い、祝は斬撃を空振らせてしまう。

 

「……へぇ?」

 

 感嘆したかのように息を漏らす祝。

 しかしそれも束の間。祝は斬撃の勢いを利用し、後ろ足で王馬の軸足を薙ぎ払った。身体を支えていた左脚が崩されたことで王馬は堪らず転倒し、地面へと背中を打ち付ける。

 そして地面へと引き倒された王馬へ、逸早く体勢を立て直した祝の振り下ろしが襲った。

 

「ぉ――」

 

 喉元から声が漏れる。しかし王馬はそれを言い切る暇もなく、転がりながら全力でその場から退避していた。

 そしてちょうど王馬の胴があった地点を斬撃が襲い、――そして刻まれた残痕が波紋のように爆散して飛び散る。

 明らかにただの斬撃ではなかった。

 ようやく痺れの収まってきた両腕を支えに地面から跳ね起きながら、王馬はその惨状に冷や汗を流す。これをまともに食らっていれば、王馬は少なからぬダメージを負っていたことだろう。あるいは一撃で絶命していた可能性すらある。

 

 ――心臓を止めても復活するのなら、破壊してしまえばいい。

 

 そんな祝の思惑がこの斬撃には込められていることを王馬は肌で感じ取っていた。

 恐らくは蹴りによって逸した先程の攻撃も、そして恐らくは腕に痺れを齎した攻撃もこれと同種のものだったのだろう。

 となれば、やはり先程の王馬の直感から下した判断は正しく彼の命を救ったことになる。

 つまり、先程の残虐性に満ちた独白はブラフだったのだ。王馬の意識を胴への薙ぎ払いから逸らし、僅かでも他の部位へと目を向けさせるための陽動だったのである。

 

「貴様も案外、姑息な真似をするな」

「あはは、バレちゃいました。でもこれくらいの駆け引きは普通でしょう?」

「…………チッ」

 

 腹立たしいが、こればかりは祝が正しい。

 あの程度の小細工にまんまと乗せられかけた王馬が間抜けなのだ。

 自分の落ち度を棚に上げて敵を卑怯と詰るなど、王馬のプライドが許さない。

 そんなことよりも、問題は先程から祝が晒し続ける数々の妙技だ。

 どれか一つでも各流派に伝わる絶技だろうに、それをこうも使い熟す祝はやはり侮れない難敵だった。

 

「……貴様、あとどれだけ珍妙な技を隠し持っている?」

「はてさて、どうですかね? 一つかもしれませんし、あるいは十かもしれませんし?」

 

 可愛らしく首をコテンと傾げながら、祝は王馬を恐れる様子も見せず歩み寄ってくる。

 王馬は《龍爪》を再展開し、祝とは逆にジリジリと間合いを計りながら横へ横へと位置を変えていく。

 

 ここに来て、二人の闘いはこれまでとその様相を一変させた展開へと変貌していた。

 

 王馬が敗北の間際に追い込まれたとはいえ、二人の勝負は先程まで確かに互角の体を見せていたと言うのにだ。

 王馬と祝。

 この二人の戦局を傾けさせているのは、偏に近接戦闘における引き出しの多彩さだった。王馬は確かに肉体こそ超人的だが、戦術や剣術はあくまで人間のそれ。その一方、祝の戦闘技術は王馬にとって全く予想のできないものだ。変幻自在にして予測不能な祝の大鎌は、王馬の肉体のアドバンテージすらも貫く。

 王馬の戦術はあくまで人間業の延長上でしかないが、祝の武術の全貌は未だ全くの不明。この差こそが互角を王馬の劣勢へと傾ける最大の要因だった。

 

「……ふん」

 

 王馬が不満げに眉根を寄せる。

 祝は《既危感》によって王馬の全ての攻撃を事前に経験し、その太刀筋を猛烈な速度で学習して成長を続けている。

 だが王馬は全くの初見で祝の妙技を捌き切らなければならない。

 攻め手は通じず、守れば一方的に技に晒される。

 状況はまさに八方塞がり。

 

(認めるしかあるまい。今、俺はこの女に追い詰められている、と)

 

 つまるところ、王道の闘い方では王馬には打つ手など残されていないのが現状だった。

 このままではジリ貧だ。

 そう遠からず王馬は祝の成長と自分の実力が起こす摩擦によって擦り潰され、ふとした拍子に呆気なく死ぬこととなるだろう。

 

「……《告死の兇刃(デスサイズ)》か」

 

 その名で最初に祝を呼んだ者も、今の王馬と同じ心境だったのだろうか。

 あるいはただ大鎌を持つという単純な理由だけでそう呼んだのか。

 真相は王馬の知るところではないが、血の臭いと死の気配を纏わせる祝の姿は正しく死神だった。そうでなければ悪鬼か悪魔だ。同じ人間とは思えない。

 王馬自身も自分が大概まともな人間からは逸脱していると自覚しているが、“これ”がそれであるというのなら人間という生物の定義は緩すぎる。

 嘗て《暴君》や《比翼》に対しても同じことを思ったが、彼らは本当に自分と同じ世界の住人なのだろうか。異世界から渡ってきた魔物の類と言われても信じられる。

 

「――く」

 

 祝の強さ。それによって齎される自身の死。そして目指すべき頂きの高さ。

 それを改めて自覚した途端、王馬の喉から無意識の内に息が漏れていた。

 しかしそれは恐怖から喉が震えたわけではない。これだけの絶望的な状況でありながらも、不思議と今の王馬に祝への恐怖や畏怖といった感情は浮かばないのだ。

 

 ――闘志がまるで薄れない。

 ――勝利への渇望が全く収まらない。

 ――剣を握るための活力が欠片も尽きない。

 そしてなぜかはわからないが、素晴らしいほどに痛快だった。

 

「……く、くく、くははははッ……!」

 

 王馬は笑っていた。

 これ以上ないほど凄烈に、心の底から愉快だと言わんばかりに。この声も、堪えきれずに思わず腹の底から湧き出たものだ。

 祝が訝しげに王馬を見やるが、そんなことは微塵も気にならない。それほどに王馬は愉快で仕方がなかったのだ。

 

「ど、どうしちゃったんですか? 血を流しすぎておかしくなっちゃいました?」

「くくっ……いや、なに……闘いそのものをこれほど楽しんだのは久しぶりだったものだからな。俺は“勝利”にこそ最高の愉悦を感じたがために闘い続けてきたが、その過程でこれほどの悦びを抱いたのは初めてだ」

 

 胸の内から湧き上がる歓喜。それは王馬の鋼の精神を以ってしても抑えることができない初めての感覚だった。

 もう、本当に馬鹿馬鹿しいほど一方的で圧倒的で絶望的な状況だ。

 それ以外に表現できないほど祝は強い。自分が積み上げてきた全てが崩れ去り、自分の修行漬けの人生の存在価値すら揺らいでしまう。

 六年前は祝と決着がつかない程度には拮抗していた。それがここまで差が広げられたという事実にプライドは完全にズタズタだった。

 だが、だというのに……

 

「なぜだろうな。こんな状況を楽しんでしまっている自分がいる」

 

 王馬自身にもその理由はわからない。

 普通ならば目前の死に恐れ慄くか、あるいは恐怖に打ち勝たんと己を奮い立たせるところだろう。

 実際、王馬は修行の旅の中で何度もそうして強敵や障害を打ち倒してきた。

 だが今、その感情は一切感じない。

 

 

 “強くなりたい”

 

 

 嘗てそう願った少年がいた。

 初めての剣術の試合で勝利することができて、そこで得られた達成感に酔い痴れたが故の願い。

 勝って、勝って、勝ち続けて。その末に世界で一番強くなったと実感できたのならば。

 

 それは――どれだけ気持ちがいいのだろう。

 

 たったそれだけの願い。

 物語の主人公のような、壮絶な過去や神から与えられた使命があるわけではない。我が儘を貫き通そうというただの身勝手な自己願望(エゴ)に過ぎない。

 だが、王馬にとってそれは家族も、約束された将来も、平穏な日常すら捨ててでも叶えたい崇高な願いだったのだ。

 そしてそれは今も薄れることなく王馬の胸にある。この絶望的な状況にありながら、王馬の胸の中で烈火のように燃え盛り王馬の魂に命じている。

 

 “闘え”と。

 

 敗北と死は不可避であろうこの状況。万が一の幸運すらも先程使い果たし、もう自分には何も残されていない。恐らくは逃げることすら叶わないだろう。

 それでも存在しないに等しい可能性に賭けて逃亡し、僅かな延命を図ってもいい。

 逃亡を完全に諦め、命乞いをしてもいい。

 他の暁の下へとさり気なく誘導し、袋叩きにしてもいい。

 だが、王馬はそれらのどの選択肢も選ぶ気にはなれなかった。ただ魂の命じるがままに、絶望に立ち向かい、それを超越することで更なる強さへと至る“道”を自然と選び抜いていた。

 

「俺は全てを捨ててきた。家も、生活も、将来も――そして今、俺は命すら失いかけている。嗚呼、恐らく俺は人間が得るべき最低限の幸福すら捨てて道楽に耽る落伍者なのだろうな。ここで死ねば、誰もが俺を愚かと嘲笑(わら)い、そして剣に取り憑かれた哀れな生涯だったと蔑むのだろう。

 

 

 ――だがそれでも俺は、この絶望の中で一片の悔いすら抱いていないッ!

 

 

 感謝するぞ、疼木。この極限の状況に至ることで、俺は己の歩んできた道に誤りなど何一つなかったことを改めて知ることができた」

 

 本当に清々しい気分だ。

 全てを、命すら失いかけたことで、王馬は己の魂が示す偽りのない“道”を再確認することができた。

 ならば、ここで死線に挑むことは本望。むしろ死線を越えてこそ本当の強さへと至る道が開けるのだと王馬は確信していた。

 

「お前は俺が斃す」

 

 その言葉に、祝に刻まれた傷が悦び疼く。

 全身の筋肉が武者震いし、痛みすらも感じない。

 だというのに五感は嘗てないほどに冴え渡り、そして同じく嘗てないほどに己の肉体をコントロール下に置いていることを感じる。

 そして、王馬も気が付かない内にゆらりと――その身体から揺らめく炎のような魔力が溢れ出ていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 あっ、ヤバい。

 

 笑いながら、しかし据わった目で剣を構える王馬くんを見て、私は王馬くんが何かヤバい一線を越えたのだということを悟った。

 王馬くんの全身から立ち昇る魔力には見覚えがある。あれは黒鉄の《一刀修羅》の時にも出た、制御し切れずに体外へと魔力が漏れ出ている現象だ。

 あれは制御し切れないほど大量の魔力を一気に燃焼させない限り起こることはないんだけど、それを王馬くんレベルの伐刀者がしているということは……

 そしてその結論を出し切る前に――ゴバッと地面が爆ぜる。

 

 そして既に目の前に王馬くんがいるというね。

 

 っていうか洒落にならない!

 《既危感》によって王馬くんが動き出す前、足に力が込められた瞬間には斬線から脱していた私だったが、そこからコンマ一秒ほどしか斬撃が繰り出されるまでに間がない。

 つまりそれは、間合いが開いていながらも思考から動作の終わりまでが極端に短時間であることを示す。

 今までの攻撃が何だったのかと思えるほどの圧倒的な速さ。

 動きそのものはただの正眼からの面打ちなのだが、速すぎて基礎技が超必殺技に昇華されてしまっている。

 

()ァァッッッ!!!」

 

 返す刀で二撃目。

 それを私は咄嗟に大鎌で受け流す。長柄の表面を滑らせ、刃に引っかからないように丁寧に押し退けて――

 

「――ォッ」

 

 軌道を――ズラして――

 

「――ォォォオオオッ」

 

 駄目だ!

 斬撃の威力が高すぎて、軌道が全く変わらない!

 今までとは桁違いの膂力によって加速した《龍爪》は、逆に《三日月》を押し退けながら――

 

「オオオオオオアアアアアアッッッッ!!!」

 

 遂に斬撃は私の受け流しを破壊し、その刃を爆進させた。

 空気抵抗を魔術によってなくしたことで音速を遥かに超え、そして破壊力を増したその一刀が迫る。

 それに対し私は斬線に合わせて魔力防御を一点集中させて展開。即死という最悪の展開を免れるべく防御を固めたが……

 

「ッ邪魔だァァァアアッ!!」

 

 王馬くんのあまりの脚圧に周囲の地面が割れる。

 筋肉が膨れ上がり、立ち昇る魔力が地獄の業火のように王馬くんから噴き出す。

 あまりの速さに《龍爪》がギチギチと悲鳴をあげた。

 しかしその咆哮とともに更に加速した斬撃は私の魔力防御を硝子のように粉々に砕き、そのまま私の身体を引き千切るかのように断ち斬った。

 

「――ぁっ」

 

 声を上げる暇さえない。

 断ち斬るだけに収まらず、その斬撃が与えてきた衝撃によって私の身体がバラバラに吹き飛んでいくのを視界の端で捕らえた。

 刃が通過した左脇腹から右胸にかけてが熱くて痛い。

 そして捩れながら吹き飛んでいく右腕が、もう繋がっていないというのにまるで何本もの刃物で滅多刺しにされているかのように痛い。

 食道を逆流してくる血と吐瀉物が気持ち悪い。

 断面から零れ落ちていく内臓が尾を引くように伸びていき――その思考すらも許さないと言うかのように、王馬くんの三撃目が私の頭を斬り潰した。

 

 

 伐刀絶技《既危感(テスタメント)》――発動。

 

 

 そして時は巻き戻る。

 私の失敗という経験が過去の私へと受け継がれ、同じく死傷した()()()の痛みと苦痛が破滅的なまでの量の経験値となって蓄積されていく。

 その感覚を味わいながら私の意識は途切れ――

 

 可能性上に存在する全て世界線の経験を私が認識したのは、王馬くんの初撃を躱した直後だった。

 

 最初にこの伐刀絶技を使い始めた頃には立ち眩みと嘔吐感と精神的疲労と知恵熱で死にそうだったこの感覚も、既に慣れ親しんだものだ。

 もう何万、何億、何兆ほどこの攻撃からの流れで殺されたのか思い出せないが、その経験値の中から冷静に失敗のパターンを分析し、そこから最適解を直感と戦闘経験で導き出す。

 即死するほどの酷い失敗の動作と、僅かに成功できなかった軽症レベルの失敗の動作を比較し、検証し、その延長上に存在するはずの無傷(せいこう)という未来を瞬時に導き出す。

 

「覇ァァッッッ!!!」

 

 返しの二撃目。

 それを私は紙一重で躱した。鼻先を斬撃が通り抜け、前髪を撫でる。

 パワーアップしたところ残念だけど、もうその攻撃も、そこから広がる次の攻撃パターンも……

 

「もう死ぬほど見飽きています」

 

 次の瞬間、王馬くんが繰り出したのは刺突の二連撃。足運びだけで躱す。

 そして繰り出される斬撃の嵐と、その間に襲い来る神速の刺突。十、二十とその斬撃は続き、まるで途切れる様子が見えない。

 この技は原作で知っている。

 絶えることのない高速の斬撃で敵を捉え、連続攻撃によって確実に敵を屠るという黒鉄家の剣士が学ぶ()()の奥義。

 

 その名も旭日一心流・烈の(きわみ)《天津風》。

 

 初撃から百八撃目までの全ての攻撃が決められており、使い手は無心でこの全てを繰り出せるまで骨身に技を染み込ませるという。

 そして増大した王馬くんの魔力放出と身体能力によって更に進化を遂げた《天津風》は、最早斬撃の壁だった。

 一秒間に七、八連撃は繰り出されるそれを、しかし私は一つ一つ丁寧に躱していく。

 

 なぜ私にそんなことができるのか。

 答えは単純で、私には《天津風》が描く軌道の全てが視えているからだ。

 無心で百八撃を放つと聞けば凄まじいが、それはつまり初撃の時点でこれから放つ全ての攻撃が決まっているということ。

 そんなもの、《既危感》の前では硬直時間の長い盛大なテレフォンパンチでしかないのだ。膨大な経験と捌き切るだけの速度さえあれば、《天津風》などただの作業ゲーでしかない。

 どれだけ壮大な弾幕だろうと、正面安置では⑨呼ばわりされてしまうのと同じだ。

 

 だが、それこそが彼の狙いだと気付かされたのは、この二秒後に《既危感》が経験を齎した時だった。

 そして私が経験を取得した瞬間から()()()()()刹那の後、王馬くんが動く。

 

「あっ、何それズルい!」

「――()ァッッ!」

 

 私が声を上げると同時、練り上げられ、逆巻く風の魔力。

 そして放たれたのは、《天龍具足》の最大開放だった。凄まじい速度で斬撃を繰り出しながら、同時並行で広範囲攻撃を放つ。

 しかもどうやらこの戦術は《天津風》を使いながら考えたものらしく、初撃を躱した時点では《既危感》の探知範囲に存在しなかった。

 《既危感》は周囲の人間の思考と自然現象などを総合的に擦り合わせて未来を算出する。それはつまり、咄嗟に思い付いた思考を良く考えもせずに反射的に実行されると私が反応し切れないということなのだ。

 だから私は斬撃の檻に閉じ込められたまま――至近から暴風を食らって吹き飛ばされた。

 

 攻撃は身体の反射と経験にだけ完全に任せて、頭は魔術に切り替えたってこと!?

 信じられない。

 人間業じゃないぞ、これ!

 例えるなら、全力で100メートル走をしている途中で急に出された計算問題を速度を落とさずに暗算で解いているようなものだ。そして絶対にどちらかのクオリティが落ちるところを、王馬くんは完璧に並列させている。

 クソッ、暁学園の生徒は化物かっ!

 

 って、文句を言っている場合じゃない。

 風の衝撃は魔力放出で威力の大半を殺したけど、このままだと際限なくぶっ飛ばされ続ける。

 咄嗟に石突を地面に突き立てた私は、ガリガリと地面を削りながら柄に両足を乗せて全体重をかけて姿勢を保つ。宛ら着地キャンセルをするデルフィング第三形態のように!

 

 だけど、その間にも王馬くんとの距離はどんどんと広がっていく。

 そして舞い上がる砂利やら瓦礫やらに紛れて小さくなっていく王馬くんが高々と《龍爪》を頭上に掲げ――

 

「――《月輪割り断つ天龍の大爪(クサナギ)》」

 

 そう呟くのが見えた私は、盛大に顔を青褪めさせたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 ――身体が恐ろしいほどに軽い。

 

 それが王馬が最初に驚いたことだった。

 身体だけではない。この手に握る《龍爪》に至っては羽根でも掴んでいるのかと錯覚するほどに重さを感じず、魂の奥底から無限に力が湧いてくるかのようだった。

 それだけでなく、なぜか魔力も身体から溢れ出てくる。

 膂力、魔力、気力――その全てが王馬にとって経験したことがないほど絶好調だった。

 

 だが、それが王馬の体験した進化とは別種の“力”だ。

 

 本能的にとはいえ、王馬もこれが人間が手を付けるべきではない禁断の領域に眠る力なのだということはわかっている。この力を使い果たした時、もしや自分は力尽きて命を落とすのではないかという懸念も確かにあった。

 しかしそんなことよりも、王馬にとって重要なのは『自分が祝という敵を超えられるのかどうか』ということだけだったのだ。

 

 力を絞り込め。

 殺される前に殺し尽くせ。

 意識を研ぎ、祝を殺すことだけを考えろ。

 この闘いの後のことなど、今はどうでもいい。

 ただ、今だけは――目の前の強敵を殺すことだけを考えろ。

 

 剣を振るう内、王馬の思考からは雑念が完全に掻き消えていた。

 各感覚が風を通して極限まで広がり、王馬自身の器官で捉えた主観的な感覚と、魔術によって得た俯瞰的な感覚が完全に融合する。

 全身の筋肉が解れ、王馬の全細胞が祝への殺意に躍動した。

 そして祝を《天龍具足》によって弾き飛ばした時、それらの感覚は頂点に達する。

 

 ――これが最後の勝機。

 

 王馬の本能と理性は、一瞬の差もなくそれを悟っていた。

 ここで全ての余力を注ぎ込み、僅かな可能性すらも残さず祝を鏖殺しなければならない。

 僅かにでも手を緩めれば、祝は間違いなくその隙間を抜けていってしまうだろう。

 ならば己の持つ最強にして最大の魔術を用いて、完膚なきまでに絶対的な勝利を掴み取る。

 

 そして王馬は《月輪割り断つ天龍の大爪》を抜き放っていた。

 

 これで全てを終わらせるために。

 勝利をこの手に得るために。

 あの死神を殺し、新たな境地へと至るために。

 

 

 

 

 

 ――どこかで、重く堅い鎖が擦れる音がした。

 

 

 




次の更新で『前夜祭編』は終了の予定です。
寧音先生、早く来てー!

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