落第騎士の英雄譚  兇刃の抱く野望   作:てんびん座

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毎度ながら、感想や誤字脱字報告ありがとうございます。
実は今回の更新は今までで一番投稿するかどうか悩んだ回です。今後のストーリーの持って行き方を決定付けてしまうので「別ルートを今からでも考え直した方が……」と何度も思いましたが、結局プロットの通りに進めることにしました。


化け物には化け物をぶつけんだよ!

 破軍学園は小高い山の中腹に存在している。

 つまり付近の平地からならば、大まかに学園がある位置を望むことができるのだ。

 

 だからこそその日、多くの人々がその光景を目の当たりにすることとなった。

 

 破軍学園から立ち昇る黒煙――それを突き破り、呑み込みながら天空へと昇る龍の姿を。

 それは黒龍だった。

 瓦礫を吸い上げ、黒煙を身に纏い、全身を黒く染め上げた漆黒の龍だ。雲すらも突き破り天上へと首を伸ばした黒龍に、麓の街の人々は呆気に取られるしかない。

 それがやがて特大サイズの竜巻だと人々が気付き、その超常現象に動揺と畏怖を心胆に刻み込まれる。

 

 それは常識的に考えれば伐刀者による魔術だろう。

 発生源が破軍学園であることからもそれは明らかだ。

 しかしあの見るからに強大な竜巻を発生させることなど、例え伐刀者であっても可能なことなのだろうか。

 神話を体現するかのようなその黒龍に、人が、街が畏怖に震え上がる。

 そして人々がその光景に動揺する中、破軍学園に急行する黒乃と寧音も時を同じくして彼方にその光景を捉えていた。

 

「くーちゃん、ありゃあ……!」

「ああ、あれほどの規模と密度の風の魔術……間違いなくAランクの伐刀者だ!」

 

 二人には予感があった。

 国内においてあれほどの規模の風を行使できる伐刀者となれば、その数はかなり限定される。そしてその内の一人は破軍学園に帰還しているであろうとある生徒と非常に強い因縁を持つ人物。

 

「まさか王馬ちゃんか!?」

「恐らくはな……」

 

 《風の剣帝》黒鉄王馬。

 かの少年が襲撃者、あるいはその内の一人である可能性は非常に高い。

 だが、それにしてもあの規模の魔術は異常だ。確かに王馬はAランクに相応しい魔力量と潜在能力を秘めていた伐刀者だったが、それでもあれほどの魔術を行使できるほどに成長していることには驚愕を禁じ得ない。

 そしてもう一つ問題がある。

 

「仮にあの魔術の使い手が《風の剣帝》で、もしもあの魔術が《月輪割り断つ天龍の大爪》だったとするのならば……!」

 

 あの異様な竜巻はただの予備動作に過ぎない。

 本命の一撃はまだ始まってすらいない。

 そして黒乃の懸念は間もなく現実のものとなる。

 

「ッ、ヤベェぞくーちゃん!!」

 

 新幹線の最高速度すらも凌駕する速度で疾駆する二人。

 彼女たちの視界の先で立ち昇っていた巨大な竜巻がやがてゆっくりとその巨体を傾がせ――

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「――《月輪割り断つ天龍の大爪(クサナギ)》」

 

 その小さくも殺意と剣気を纏う号令に、《龍爪》は歓喜の声を上げていた。

 まるでこれまで自身を縛り付けていた枷を脱ぎ去ったかのように風が刃に集約し、それらは王馬の身体から引き出された莫大な魔力によって更なる風を呼ぶ。

 数キロ四方の大気が《龍爪》へと収束され、圧縮されることで突風が巻き起こった。

 王馬の長い髪もまた吹き荒れる風に引き込まれ、重力に逆らい空へと伸びる。

 

「ぅぉぉっ、何じゃこりゃぁ……!」

 

 未だ《天龍具足》による慣性を殺し切れていない祝は、遠ざかっていくその光景に思わず心境を漏らしていた。

 それは彼女が知り、そして予測していた《月輪割り断つ天龍の大爪》をあまりにも超越していた。

 半径だけでも優に数十メートルあり、刃渡りとも言えるその全長は雲を割るほど。先程まで雲を纏い身を隠していた日輪はその姿を引きずり出され、陽光が大地を照らす。

 恐らくは低い位置の雲を掻き乱しているだけなのだろうが、それでもこの風撃の射程が数キロに亘っているのは間違いない。

 こんなものを地面に叩きつけたが最後、小さな町ならば振り下ろしの一撃とその余波だけで消し飛ぶこととなるだろう。

 

「それを対人で使いますか、普通」

 

 確実に個人を相手に使用する規模の魔術ではない。都市や大軍の殲滅に使用される“戦略級魔術”に相当することは明らかだ。

 あるいは“禁技”(シールドアーツ)として連盟より使用を禁じられてもおかしくはないほどの大魔術。

 そのあまりの便乱坊(べらぼう)さにボヤく祝であったが、しかし一転して自身が絶体絶命の窮地に立たされていることだけは正確に理解していた。

 あれを魔力防御で防ぐことは流石に祝でも無理だ。そして遮蔽物に身を隠そうにも、王馬はそれごと祝の身体を肉片も残さず粉砕してのけるだろう。

 つまり防御と回避は不可能。

 

 

 ならば攻めるのみ。

 

 

 ゴバッ、と大気が爆ぜる。

 何と祝は背後へと大威力の魔力放出を行い、それによって慣性の運動エネルギーを無理やりに殺し尽くしたのだ。これによって祝は全身を叩きつけられたかのような衝撃を受けることとなったが、しかし死ぬことと比べれば大した問題ではない。

 だが、王馬もみすみす祝に反撃を許すつもりなどなかった。

 既に《月輪割り断つ天龍の大爪》という魔術は完成している。後は《龍爪》を振り下ろすだけで全てが終わるという段階にまで事は至っているのだ。

 故に王馬は微塵の油断も躊躇もなく、その最強にして必殺の刃を繰り出す。

 

「……これで――」

 

 全身がバラバラに引き裂かれそうだ。

 《月輪割り断つ天龍の大爪》を噴射した圧力は、全て王馬の身体へと伸し掛かっている。常人ならば準備段階の余波だけで身体が圧壊するだろうこの魔術に耐えられるのも、偏に王馬の強靭な肉体があってこそ。

 それを示すかのように、王馬の踏み込み、その一歩で地面に蜘蛛の巣のような亀裂が奔る。

 だが、王馬の心と身体は折れない。

 全ては勝利のために。更なる強さを得るために。

 

「――終わりだァァッッッッ!!!!!」

 

 ゆっくりと《月輪割り断つ天龍の大爪》が傾ぐ。

 その斬撃の軌道は狂いなく祝を目指しており、その大鎌ごと彼女を粉砕せんと唸る。

 

「いいえ、まだです」

 

 しかし高々距離を取られた程度で打つ手を失う祝ではなかった。

 翳されるは右の掌。

 そしてその人差し指には、極限の集中状態にある王馬をしてもようやく直前になって気付くほど()()魔力の糸が結び付けられていたのだ。

 その糸が伸びる先は――王馬の“左肩”。

 霊体化していた糸が強い魔力を帯びることで励起し、その姿を実体化させる。そして祝の手から放出された魔力は一瞬で糸を伝導し、王馬の左肩へと到達し、まるで布へと吸い込まれる水のように浸透した。

 

 

「――《月頸樹(ゲッケイジュ)》」

 

 

 それは突如として起こった。

 王馬の左肩の筋肉――それを構成する鋼の筋繊維の僅かな隙間。

 そこが俄に祝の魔力を纏ったかと思うと、そこから一斉に“黒いナニカ”が鮮血と共に顔を覗かせた。

 

「ぐおおおおおおおッ!?」

 

 ブチブチと皮が裂け、肉を押し退け、まるで内側から獣が牙を立てたようにそれは身を顕にした。

 その正体は――刃だ。

 左肩を中心に、肘から首元まで。そこからまるで植物が芽を出すように《三日月》の短剣や曲刃の破片が出現したのである。

 ギチギチと皮を突き破るその様はまるで剣山だが、しかし姿を見せているそれらが全てではない。

 あまりにも予想外の事態に王馬は思い至っていないが、刃は腕の中をも侵食している。貫けない筋肉や骨以外、血管や柔らかい肉などは今の一瞬で蹂躙の限りを尽くされてしまっていた。

 事実、王馬の左上腕は常時とは比べ物にならないほど膨れ上がっている。内側で滅茶苦茶に生えた刃によって肉が膨張しているのだ。腕が千切れ落ちていないのは、強靭な筋肉と骨がそれを繋ぎ止めているからに過ぎない。

 

(左腕が……!? これはまさか平賀の時のッ)

 

 瞬時にその正体に行き当たる王馬。

 これは以前、平賀が破軍に傀儡による遠隔攻撃を仕掛けた際に祝によって仕掛けられた魔術だろう。

 糸によって魔力を敵の体内に伝導させ、内側で霊装を展開するという悪魔の技だ。

 王馬の左肩――祝は一度そこに触れている。恐らくはその時に後の布石として糸を括り付けていったに違いない。

 しかし王馬がそのことに思い至る前に事態は大きく動く。

 

「馬鹿なッ!」

 

 左腕が死んだ――それはつまり、両腕で支えていた《月輪割り断つ天龍の大爪》の制御に不足が生じるということに他ならない。

 頭上から降り注ぐ圧力のバランスが崩れる。

 右腕一本で踏ん張ろうと力を込めるも、皮肉にも王馬自身が最大の威力を込めたと自負する必殺の魔術がその程度で止まるはずもなかった。

 そして――斬線がズレる。

 失われた左腕の穴を突くように風の巨龍は左へ、左へと傾ぎ……祝を射線上に捉えることなく無人の大地へと斬撃を炸裂させた。

 

 

 その瞬間、爆音によって全ての音が掻き消された。

 

 

 風が逆巻き、瓦礫が粉塵になるまで断裁され、横倒しになった竜巻が蹂躙した跡には何一つ残らない。

 射程は優に数キロにまでも達しているだろうその大斬撃。

 地表に叩き付けられた後もその威力は一切減衰することなく、螺旋状の破壊が斬線を阻む全てを削り取っていく。

 しかし《月輪割り断つ天龍の大爪》という魔術が如何に破壊の権化であろうと、それが指向性を持った魔術である以上は当たらなければどうということはない。

 最後の一手――王馬の乾坤一擲の奥義はここに空転した。

 だが――

 

「ぎッ!?」

 

 叩き付けられる暴風の大剣。

 その斬線は確かに祝を捉えることには失敗した。

 しかし祝にとって不幸だったことは、《月輪割り断つ天龍の大爪》という魔術は直撃を避けても尚、殺人的な威力を宿していたということだった。

 祝を正面とするならば、《月輪割り断つ天龍の大爪》が振り下ろされたのは十一時から僅かに左へ逸れた方向。この極限の戦局においては全くの見当違いの方向と言っても過言ではない致命的なミス。

 それでも暴風の余波は筆舌に尽くし難く、竜巻から漏れ出た僅かな風力ですらも侮ることはできない。

 

 事実祝は、《月輪割り断つ天龍の大爪》本体からすれば微風にも等しい余波をその身に受けたことで――右半身の骨が粉々に砕け散っていた。

 

 祝の全力の魔力防御など何の意味も為さない。

 まるで障子を破るかのように魔力の鎧を破壊し尽くし、風圧の鎚が祝を殴り飛ばす。

 たった一撃。

 それだけで祝の右腕と右脚は氷細工のように粉々に砕け、衝撃に耐え切れなかった右肩の関節が血飛沫を上げながら捩れ、真紅の軌跡を描きながら千切れ飛んだ。

 右側の頬肉が裂けて消し飛び、赤く彩られた歯が顕となる。

 錐揉みしながら吹き飛ぶ祝は、他の右半身もそれらに劣らず千切れ、裂け、そして陥没していた。

 疑う余地すらなく重症だ。たった今まで無傷に等しかった祝を、王馬の奥義は掠らせることすらせずにここまで追い込んだのだ。

 

 

 そして――だからこそこれで王馬の敗北は決定的となった。

 

 

「クソォッ!」

 

 左腕を潰された代わりに、王馬は祝の右半身を破壊した。

 王馬の負傷はまだ他にもあるとはいえ、総合的に見れば怪我の度合いはこれで互角となった。

 ……否、()()()()()()()()()()()()()

 

(これも予知による適応だというのかッ!?)

 

 錐揉みしていた祝が「あは」と笑みを浮かべる。

 そして左手一本で大鎌を振るい、即座に姿勢を制御。残された左脚で地面を掴み取り、魔力放出によって慣性を殺す。

 

(あと一歩――)

「あははっ」

 

 微かに聞こえた笑い声。

 それを王馬が耳にした瞬間、祝は既に地面を蹴り砕いていた。

 半死半生の身で漆黒の大鎌を振り翳し、自身の血と肉がこびり付く長髪を乱れさせながら、削げた頬肉の下から歯を剥き出しにしながらも鮮烈な笑みを浮かべて。

 激痛に身を苛まれているだろうに、その技の冴えは衰えることを知らず、その笑みは些かも苦痛に歪むことはない。

 

(奴の命に届かなかった……!)

 

 考えるまでもなく王馬は理解した。

 必殺の《月輪割り断つ天龍の大爪》を食らうことは即ち死という敗北に他ならない。

 ならば瀕死の重症に陥ろうとも反撃のために左半身だけでも生かす。祝はそう判断したのだ。

 恐らく先程の状況下において、あの大怪我を負う以外に最適の解答は存在しなかった。だから祝は躊躇なく、それどころか笑って右半身の骨が砕け、肉が削げる選択をした。

 常人が抱く痛みへの恐怖や失敗への不安など微塵も感じさせないその行動は、まさしく狂気の沙汰。

 空を翔けて迫る祝を眺めやりながら、王馬は悔しさに奥歯を噛み締める。

 嘘偽りなく全力だった。

 王馬は本当に全ての力を振り絞ってここまで繋げたのだ。この一撃で勝利を得るために、文字通り死力を振り絞った。

 だというのに、それでも……

 

(それでも届かないというのかッ……)

 

 暴風すらも掻き消すような哄笑を響かせながら、漆黒の死神が迫る。

 自分の全てを限界まで使い果たしても彼女には届かなかった。

 確かに数値上の魔力は王馬よりも祝の方が上であることは確かだ。しかしその数字の差は――その身に秘める可能性(うんめい)の差はこれほどまでに広いというのか。

 このまま自分はその残酷なまでの運命に頭を垂れ、この生命を差し出すことしかできないというのか。

 

 

「――まだ、……だァッッ!!!」

 

 

 否、断じて否だ。

 王馬は己の信念と魂に誓った。

 絶望に立ち向かい、それを超越することで更なる強さへと至る“道”を征くのだと。

 

 ――俺はまだ生きているぞ。

 

 心臓が激しく鼓動する。

 王馬の全細胞が猛り、唸り、咆哮する。

 その身から湧き上がる魔力すらも荒ぶり、暴風を纏う《龍爪》が軋む。

 

 ――生きているのならば、まだ闘えるはずだ。

 

 王馬の全てがそう叫んでいる。

 闘えと、魂の端から細胞の一片に至るまでもが命令している。

 胸元に刻まれた傷が、その勝利への渇望が王馬の諦観を許さない。

 

「ぅ……ぉ……」

 

 祝の必殺の刃が王馬に達するまでおよそ一秒弱。

 繰り出されるは、恐らく防御不能のあの斬撃。

 ならば王馬は交叉を以ってその必殺を征すしかない。

 

「ぉぉ……」

 

 その時、《月輪割り断つ天龍の大爪》が動いた。

 王馬は祝を捉えることができなかったこの竜巻を用い、祝ごと前方を薙ぎ払おうとしているのだ。

 しかしそれは明らかに無茶な選択だった。

 確かに《月輪割り断つ天龍の大爪》は王馬の魔力を吸いながら未だ暴風を吐き出している。

 しかし全身の筋肉で支えていたあの風圧を右腕一本で満足に動かすことなどできるはずがない。

 事実、刃のあまりの重さに右腕の筋肉は裂け、その下では骨に亀裂が入り始めていた。それでもこの竜巻を纏う剣を僅かなりとも動かすことができるのは流石と言わざるを得ないが……

 

(……私の方が速い)

 

 加速する戦況。

 その一方で緩慢になる時間感覚の中、祝は凄烈な笑みの奥で彼我の速度からそれを冷静に見切っていた。

 そして《既危感》も同様のことを告げている。予知はこの運命線上に祝が“害”を受ける未来が存在しないことを証明していた。

 このまま《三日月》は王馬の命を刈り取り、その魂を粉砕するだろう。

 咄嗟に反撃に移ることができたことは賞賛に値するが、敗北までの過程に無駄な足掻きが加わるだけのこと。

 そしてそれは王馬自身が誰よりも理解していることでもある。

 

(剣が……身体が……重い……)

 

 己の身体を支配し尽くす全能感。

 それを得ても尚感じるその重さに王馬は歯噛みする。

 まるで全身に重い鎖が巻きついているかのように、王馬の身体は自身の魂に付いていくことができていない。

 そしてその剣速もまた、あまりに遅い。

 祝へ交叉を挑むには明らかに不足。

 王馬の戦闘経験と理性が無情にも冷徹な判断を下す――自分のこの反撃は何の意味もなく失敗する、と。

 

(これが俺の限界なのか……?)

 

 緩やかに過ぎていく末期の一刻(ひととき)

 その中で王馬は己が生まれながらに身に刻まれた運命の限界値を感じていた。

 自分は今、嘗てないほどに最強だと確信できる。そして自分の中に眠る全ての力をこの一瞬で振り絞り、この身を闘争のためだけに闘いの中で昇華させ続けた。

 それでもまだ届かないあの領域。

 限界まで手を伸ばしても届かない、黄金の才覚を持つ者――ステラや祝のような鬼才だけが足を踏み入れることができる魔境。

 ただの天才でしかない王馬では一生を費やしても到達できないその場所。

 

(そうか……その先に《魔人》の境地があるのか……)

 

 王馬は静かに悟った。

 今まで垣間見ることすらできなかったその領域を、己の才能と運命を振り絞ったことで確かに視認した。

 次元の違い。その断層を、人であるならば頭を垂れるしかないその絶対的な序列の差を視た。

 

(だが、それでも)

 

 その絶望的な壁を視ても、王馬の剣が止まることはなかった。

 事ここに至って逆転の目はない。

 敗北は必定で、死は目前まで迫っている。例え魂が絶望を塗り潰し、闘争にこの身の全てを費やしていようとそれは変わることのない絶対。

 

(だが……それでも……!)

 

 しかし、()()()()()()()()()()()()

 不可能ならば自分は敗北するしかないのか。

 絶対であるならば自分は諦めなければならないのか。

 世界がそうあれと法則を定めているのならば、自分はそれに従うしかないというのか。

 

 

 ――巫山戯るな。

 

 

 王馬はその全てを拒絶する。

 その全てに抗う。

 己の勝利への渇望は、世界に否定された程度で萎れるような薄っぺらいものではない。

 例えそれが人の身では不可能な所業であろうと、死んでも、輪廻の果てに転生したとしても王馬は絶対に諦めることはない。

 

「……ぉ、ま……ぇは……ッ…………」

 

 ピキリ――何かが罅割れる音がした。

 ただ一刀を振るうことに極限まで集中している王馬はそれに気付かない。

 しかし祝は確かにその音を聞いた。それは予知という、因果干渉系の能力を持つ彼女だからこそ察知することができた異音。まるで鎖が千切れるような、同時に生命が卵から孵る過程でその殻を打ち破るかのような……

 

「嘘でしょう……!?」

 

 祝が瞠目する。

 それは必中であるはずの予知を“超越”して王馬の剣が僅かに加速を始めたためだった。

 

(《既危感》が見せた経験にこんな未来は……ッ、まさかこの土壇場で《覚醒(ブルートソウル)》を――)

 

 未来が姿を変えた。

 それは俄かには信じ難く、しかし紛れもない現実だった。その事実に、祝の凄烈な笑みが驚愕により強張る。

 祝のその変貌に、今度は王馬がニィと口角を持ち上げた。

 

 ――そうか。俺はまだ、お前を脅かす“敵”として在ることができているのか。

 

 王馬の喜悦が伝わったかのように暴風が荒れ狂う。

 無理な動作で右腕を変形させ、血を迸らせながらも《龍爪》が加速し続ける。

 《既危感》の捉えた未来を、限界という断層を踏破せんと足掻き続ける。

 全ては勝利のために。

 

「ォ……れがぁ…………!」

 

 ビキリ、ビキリと何かを引き千切りながら、王馬が己の運命の最果てのその先へと足を踏み入れた。

 しかしその人間に許されざる行いを罰するかのように、王馬の全身から鮮血が舞い散る。意識の外に追いやっていた激痛が巨大な津波となって王馬に追い付き、その不屈の魂すらも削り潰すような苦痛が彼を襲う。

 常人ならば廃人と成り果てるだろうその苦痛。

 

 だが、それでも王馬は止まらない。

 

 最早痛みに思考が潰え、意識と呼べるものが殆ど残されていなくとも。

 五感が機能を停止し、斃すべき敵の姿を見失っていようとも。

 あるいは既に自分は死んでおり、この肉体にへばり付く魂の残滓に成り果ててしまっているのだとしても。

 

 ――それは王馬が闘いを止める理由には成り得ないのだから。

 

 そして王馬の限界という名の運命を縛る最後の鎖が引き千切れ――暴風の大剣と必殺の黒刃が、殺意と狂気が運命の定めを越え交錯を果たした。

 

「疼木ィィィィッッッッ!!」

「死ねぇぇぇぇッッッッ!!」

 

 気が付けば、二人は共に血を吐くように絶叫していた。

 時計回りに円を描く二つの刃は互いに必中。

 故に次の瞬間、両者とも敵の一撃を受け絶命することは誰が見てもわかりきった未来。

 それでも、だからこそ今は敵を殺し勝利することしか王馬の頭には残っていなかった。

 殺す。

 ただ殺す。

 0.01秒でも先に敵を殺す。

 例え他者に相討ちと見做されようとも構うものか。

 どうしても勝ちたい。

 吐き気がするほどに勝ちたい。

 死んでもこの女に勝ちたい。

 今この瞬間だけは《暴君》への恐怖すらどうでもいい。

 これまでの生涯はこの一瞬のためだけにあったのだとすら思える。

 例えこの生命が燃え尽きようとも、この魂に刻まれた渇望を消すことはできはしない。

 

 

 ――俺は、勝ちたいッッッ!!

 

 

 それがあらゆるものを捨て去り、闘争の化身へと至った今の王馬にとっての全てだった。

 裂帛の咆哮が轟く。

 充満していた殺意と狂気がこの一瞬へと凝縮され、二つの刃が死と破壊そのものへと昇華する。

 そして遂に彼我の間に広がる距離がゼロとなり――視界が真紅に染まると同時に王馬の意識は途絶えた。しかしそれでも、彼は最期の瞬間に確かにその目へと焼き付けることができたのだ。

 

 《月輪割り断つ天龍の大爪》が祝を呑み込み、その身体を血の霞へと変える光景を。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「うっひゃ~。これはまたスプラッタな」

 

 惨状としか言い表せないその光景に、天音は笑みを引き攣らせながら袖で鼻を塞ぐ。

 そこに広がるのは、破壊され尽くした大地を彩る一面の“赤”であり、鼻腔を満たすのは噎せ返るほどの鉄臭さだった。

 その異臭に凛奈などはあからさまに顔を青褪めさせ、その隻眼に浮かべた涙をシャルロットによって拭われていた。

 表情と反応に乏しいサラですらも眉を顰めており、唯一平気そうにしているのは多々良くらいのものである。

 

「人が死ぬ瞬間くらいは何度も見たものだけど、どうすればこんな()()ができるんだか」

 

 暁学園一同の視線の先には、地面へと仰向けに倒れる王馬の姿があった。

 既にその双眸に光はなく、しかし見開かれた瞳に反して総身は眠っているかのように弛緩している。そして奇妙なことに、まるで身体が内側から爆ぜたかのように内臓の破片と血の池が死体の周囲に広がっていた。

 しかしその酷い有り様に不釣り合いなほど、その表情は安らかなものである。死して尚笑う王馬に天音は「戦闘狂って怖い」と内心で引いていた。

 念の為に天音が王馬の口元に手を翳し、次いで首元から脈を計るも、どちらも手応えはない。

 故に天音は、間違いなく王馬が絶命していると判断した。

 

(まさかあの《風の剣帝》が学生騎士なんかにねぇ……)

 

 あの殺しても死ななさそうに見えた怪人が、高々日本の学生騎士の頂点などというお山の大将によってあっさりと屠られたことが天音には意外だった。

 しかし周囲を見回しても肝心の《告死の兇刃》の姿が見えないことから、あるいは相討ちに持ち込まれてしまったのかもしれない。

 

「まぁ、どちらにしても()()()()()()()()()

 

 天音がこの場に到着したのは、《月輪割り断つ天龍の大爪》が大地へと叩き付けられてすぐのことだった。

 つまり王馬がこの状態になってから、()()()()この瞬間まで数十秒しか経っていない。

 ならば彼らに打てる手段は残されている。

 

「サラさん」

「わかった」

 

 その名を呼ばれた途端、《血塗れのダ・ヴィンチ》の右手が目にも留まらぬ速さで虚空を奔った。

 右手に握られているのはボロボロの絵筆。そして彼女の左手に携えられたパレットを合わせたこれこそが彼女の霊装《デミウルゴスの筆》。

 その筆が、何もない空中に凄まじい速度で何かを描く。

 そして……

 

「《幻想戯画(パープル・カリカチュア)》――世界時計(ワールドクロック)

 

 ものの数秒で彼女の絵は完成した。

 だが魔力を帯びた彼女の絵画はいとも容易に条理を超える。

 何と彼女が虚空に描いた絵が次の瞬間に立体感を持ち始め、やがて二次元の平面世界から三次元の立体世界へと実体化を果たしたのだ。

 そして姿を表したその人物こそ、破軍学園の理事長にして《世界時計》の二つ名を持つ新宮寺黒乃その人だった。

 

「ひぇ~、相変わらず何度見ても凄いや。君の伐刀絶技は本当に反則級だよね。――絵を通して自分のイメージを具現化させるだなんて」

 

 戯けたように天音が語るも、サラは「あっそう」と一瞥すらしない。

 しかしやるべきことは理解していた。

 

「治して」

 

 サラのその言葉に従い、血に塗れることを厭う様子もなく黒乃の虚像が王馬の傍らへ膝をつく。

 そして王馬を囲うように白い魔法陣が出現したかと思えば――みるみる間に王馬の傷が塞がり、周囲に飛び散った血が映像を逆再生させたかのように王馬の身体へと戻っていったのだ。

 これにより数秒と待たず王馬の傷の殆どが塞がり、途切れていた脈と呼吸が回復する。

 だが……

 

「うむ? ダ・ヴィンチよ、まだ一際深い傷が残っているぞ?」

 

 治療を切り上げた黒乃が絵の具に戻り、「バシャリ」と地面へ撒き散らされる。しかし凛奈が指摘した通り、王馬にはまだいくつかの傷が残っていた。

 特に首元にはたった今多くの傷を塞いだ苦労を無意味にするかのような巨大な残痕があり、今も尚大量の血が流れ出している。

 これはどういうことなのかと凛奈が首を傾げるのも無理はないことだろう。

 しかしこれにはサラではなく、具現化のモデルとなった黒乃に問題があった。

 

「《世界時計》の時間操作で問題なく修復できる傷は数十秒以内に負ったものだけ。これはそれよりもっと前に作った傷だから無理」

 

 「だから……」とサラが再び絵筆を滑らせる。

 そして黒乃の時と同じように数秒で次の絵が完成した。

 

「《幻想戯画》――カンピオーネ」

 

 そして現れたのは白いボルサリーノ帽にジャケットを羽織った西洋人の男性。

 彼の名はカルロ・ベルトーニ。

 《カンピオーネ》の二つ名で知られ、現KOKリーグ世界ランキング二位にして“史上最高の水使い”と呼ばれる男だ。そして同じく水使いである珠雫も該当するが、高位の水使いは『治癒』と呼ばれる回復魔術を行使することが可能となる。

 よってイタリア最強とも名高い彼の手にかかれば、この程度の外傷では致命傷にならない。偽カルロが先程の偽黒乃と同じく手を翳し魔術を行使したことで、今度こそ王馬の傷は全て塞がった。

 時間を巻き戻し、世界最高クラスの治癒術で残りの傷を纏めて消し去る。時間制限こそあれど、これがサラの持つ死者すらもこの世に呼び戻す最強の治療方法(コンビネーション)だった。

 

「これで大丈夫」

「……改めて思ったんだが、テメェの能力ガチのチートだよな。なんで当たり前のようにボロ雑巾みたいになった死人を生き返らせられるんだよ。マジで意味わかんねェ」

「そう?」

 

 王馬を完全に蘇生してのけたサラに、多々良が呆れと畏怖の混じった心境でボヤく。

 しかし当のサラからすれば、これでも大した労力をかけていないのが実際のところだった。本人と同等のスペックを持たせて戦闘させるならまだしも、今のように治癒だけを目的としたイメージの具現化ならばそれほど魔力を消費することもない。

 事実、彼女はこの二人を用いた治療方法を「旅先で役立つ応急グッズ」程度の認識しかしていなかった。もちろん、世界最高クラスの戦力であり能力者でもある二人を救急箱程度としか考えていないサラが異常なだけであるが。

 

「さてとっ! それじゃあ王馬くんも無事に生き返ったし、さっさと撤収しよう。破軍の選手団を無事に殲滅できた以上、長居は無用だしね」

 

 天音の号令を最後に、暁学園は気絶する王馬を連れて夕闇の中へと消えていった。

 彼らにとって()()()()()のは、入れ違いになるように黒乃と寧音が周囲の敷地ごと消し飛び、廃墟となった破軍学園に帰還を果たしたことだろう。

 そして黒乃が時間操作の能力によって学園で何が起こっていたのか把握した時には、既に彼女たちが追跡できないほど彼方へと暁学園は遠ざかっていたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 その日、全体の建物の九割以上を瓦礫の山へと変えられた破軍学園の姿は全国ニュースで報道されることとなった。

 そしてその下手人である暁学園は、なんと逃げ隠れすることもなく世間へと自身の正体を明かし、「我らこそが暁だ」と名乗りを上げたのである。

 この大事件に連盟は即座に動いた。日本政府に対し、下手人である学生騎士たちを即座に逮捕するよう要求したのである。

 しかし暁学園の理事長を名乗る人物の登場に、連盟を含め世間は動揺を露わにした。

 

 なぜなら、その理事長とは日本の“現総理大臣”だったのだから。

 

 月影獏牙首相は、連盟傘下であり、同時に七星剣王を有する破軍学園を少数精鋭にて撃破したという事実を大いに利用した。

 即ち、「日本の騎士は連盟の下に居らずとも充分に強い」と主張したのだ。

 そして後は祝の原作知識にある通り。

 連盟は七星剣武祭を自身と日本の代理戦争として取り扱い、連盟傘下の学生騎士が暁学園を潰すよう事態は推移していったのだった。

 そしてそのニュースの中で、一際世間の驚愕を煽る内容が報道される。

 

 

 ――『《七星剣王》疼木祝選手、事件に巻き込まれ死亡か』

 

 




もしかすると『前夜祭編』はあと一話だけ続くかも……?
終わる終わる詐欺を連発してしまい申し訳ありません。


 原作を知らない人のための解説その参。
 サラ・ブラッドリリーとは、七星剣武祭で一輝と対戦した天音に次ぐ暁学園の万能チート能力者です。
 色の概念を媒介に自分のイメージを具現化する能力を持ち、その応用によって伐刀者を能力ごと再現できるというチート能力を使えます。
 つまり彼女はイメージさえできれば全ての伐刀者の能力を使うことができるということに……


 原作を知らない人のための解説その肆。
 実は魔力量そのものは上の下から中レベルで、暁学園の中でも中堅クラスの黒鉄王馬(もちろん世間的に見れば普通に天才の領域です)。
 しかし魔術の威力や応用力、武術、身体機能、精神性などが突出しており、伐刀者としては間違いなくAランクの実力持ちです。
 本作では鍛えに鍛えに鍛えまくった結果、元々はCだった魔力制御すらもAに格上げされております。

【伐刀者ランク】A
【伐刀絶技】月輪割り断つ天龍の大爪
【二つ名】風の剣帝

【攻撃力】A
【防御力】A
【魔力量】B
【魔力制御】A
【身体能力】A
【運】C

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