今回も短めです、すみません。
突如として現れた《比翼》のエーデルワイスに、祝と王馬は困惑を隠せずにいた。
当然だろう。
百歩譲って自分たちの闘いの場に邪魔が入るとしても、よもやそれが世界最強にして最も悪名高い剣士が乱入してくるとは夢にも思うまい。
「双方、武器を収めなさい」
「なに……?」
「……」
王馬は解せんとばかりに眉を顰め、祝は表情を変えることなくエーデルワイスを見据える。
「何の真似だ? 如何に“貴女“といえど、これは俺の生涯をかけた闘争の一つ。邪魔立てするのであれば容赦はしない」
「場所を選べと、そう私は言っているのですよ。オウマ」
そう王馬を諭す彼女は、どうやら彼と知己の間柄のようだった。
一応、二人が知り合いであることは祝も原作知識より知っている。王馬は嘗て《解放軍》の長である《暴君》に挑み、その末に敗退した過去を持つが、その際に彼の命を救ったのがこのエーデルワイスなのだ。
「月影先生から貴方の監視の依頼を受けた際にはまさかと思いましたが、本当にこうなってしまうとは。あの人の慧眼には感服するばかりですね」
「……月影獏牙の差金か」
「えぇ、はい。彼は曲がりなりにもこの国の現職総理大臣であり、何より国家の行く末を憂う人間の一人。故に国土が荒れ、国民が死するような事態を看過する人ではありません。……引きなさい、オウマ。これ以上は、私も剣を以って貴方を止めなくてはならなくなる」
「…………チィッ」
舌打ちを一つすると、王馬は《月輪割り断つ天龍の大爪》を解き、続けて霊装を解除した。どうやらエーデルワイスの忠告により矛を収める決断をしたらしい。
元々王馬には、エーデルワイスに対して返しきれないほどの恩があるのだ。そんな彼女の頼みを無闇に断ることなど、彼の生真面目な性格からしてできはしない。
加えて戦力差もある。エーデルワイスがこう言う以上、王馬が継戦の意思を見せれば言葉の通りに彼女は剣を振るうだろう。それも赤子の手を捻るかのように容易に王馬を取り押さえてしまうに違いない。それならば無駄に剣を交えるのよりも、ここは大人しく退くしか王馬には選択肢などないも同然。
そして王馬が戦意を収めたのを認めるや、エーデルワイスは今度はもう一人へと視線を向ける。
そこには変わらず大鎌の刃に黒い炎を宿し、黙したまま興味深そうにエーデルワイスを眺めやる祝の姿があった。
「こんばんは。貴女とは初めましてですね、《告死の兇刃》」
「へぇ? 私のことをご存知なんですね、《比翼》のエーデルワイス。それともお話に出てきた月影総理の入れ知恵ですか?」
「それもあります。しかし貴女のことは以前から存じていました」
「……私を?」
その意外な言葉に、祝は少しばかり驚いたように目を見開いた。
世界に名立たる《比翼》が、《七星剣王》とはいえ一学生騎士でしかない自分のことを知っているとは思わなかったためだ。
「どこで私のことを知ったのか少々興味がありますね」
「貴女は自分が思っている以上に悪名が轟いていることを知るべきですね。世界各地で強者に大鎌を突き立て続けるその所業はかなり有名ですよ。それに一年前に《
「……なるほど」
祝の脳裏に浮かんだのは、《砂漠の死神》こと彼女の師匠の一人に当たる人物だ。
正確には“現時点の師匠”だが。彼からは仕事関係の伝手や技術を教わっている程度の関係だが、一応今のところは彼に師事していると言えなくもないので師匠と定義しておく。それほど真面目な関係なのかと問われると言葉を濁すしかないが。
「何はともあれ、貴女にもここは退いて戴きたい。月影総理より聞いています。貴女とて、このような場で周囲の住民を巻き込んで争うのは不本意のはず。……その炎については私も初めて見聞しますが」
「他の人には内緒にして戴きたいんですけどね。……まぁ、何はともあれ私としてはここで退くのも吝かではありませんが」
しかし祝としてはここで全てを終わりにする以上、王馬に聞かなければならないことがあった。
それを確かめるために、再び視線を王馬へと移す。
「王馬くん、ここで手打ちにするには私の質問に答えてもらう必要があります。でなければ私は、この《比翼》のエーデルワイスと闘うという無理を押してでも貴方を殺さないといけなくなる」
その言葉にエーデルワイスが視線をやや鋭くするのを感じながら、しかし気にする様子もなく祝は言葉を紡ぐ。
「私は質問に答えました。だから王馬くんも質問に答えてください。……貴方は私を“殺した”という事実を――いいえ、もう回りくどい言い方は止しましょう、私が予知以外の能力を持つことを誰かに話しましたか?」
チリッ、と大鎌から漏れ出た漆黒の火の粉が足元の地面に落ちる。
それだけでその地面は一瞬で燃え果て……なぜか灰ではなく塵となって風に舞う。
その光景を目に焼き付けながら、王馬は苦々しい表情で「否」と首を横に振った。
「……本当に? 本当の本当ですか? 貴方の剣に誓えるくらい本当ですか?」
「諄い。話す相手もいない。それに貴様の能力を言い触らしたところで、俺に何の得がある?」
「……なら良かったです〜! いやぁ、迂闊に口外していようものなら、その人を見つけ出して殺さなければならなかったので。王馬くんもこのまま誰にも喋らないでいてくださると、私としては嬉しいんですけどね……」
「……ッ」
刹那、王馬は祝の視線を浴びた途端に周囲の温度が数度下がったかのような怖気に襲われた。
殺気ではない。現に祝の視線に殺意はない。
ただそこにあるのは冷徹なまでの、まるで蟻を眺めるかのような観察眼。王馬より嘘偽りの気を僅かにでも感知したのならば、即座にその命を奪い取ろうという、ただそれだけの意識。
必要ならば殺そうという意思を見せながら殺意が感じられないという、明らかに矛盾したその視線。
その異様としか言いようのない眼差しに、王馬は思わず息を呑んだ。
しかしその視線を遮るかのように、エーデルワイスは二人の中間に立ち塞がる。
「《告死の兇刃》、何度も言いますがこれ以上の争いは――」
「黙っていてください。私は今、王馬くんと話をしています。私が確信を持てない以上、貴女の仲裁に従う必要性を感じません」
「……それは他ならぬこの私が敵に回ることを理解した上での発言ですか?」
「関係ない、と私は言っているんですよ」
刃に宿る黒炎が祝の意思に呼応したように猛る。
祝としてはこればかりはエーデルワイスも何も関係がなかった。
ここで王馬が少しでも言い淀むような様子を見せれば、あるいは邪な思考を抱いたと判断したその瞬間から彼は祝にとって最優先の殺害対象に変わる。そうなれば最後、エーデルワイスや周辺住民には悪いが“死力を尽くして”王馬を殺しにかからねばならない。
そして敢えて言うのならば、これは祝から王馬に対する最大限の譲歩でもある。
本来ならば祝としては、この場で王馬を抹殺することが最も確実で安全な選択肢なのだ。それを敢えて見逃すということは、即ちリスクとしては大きくてもリターンは皆無に等しい。エーデルワイスが敵に回る可能性があることを差し引いても、ここでこんな問いを投げかけることそのものが祝の優しさなのだ。
そんな剣呑と冷徹さを兼ね備えたような気配をエーデルワイスも感じ取ったのか、その表情に小さく渋面を浮かべながら王馬へと視線を移す。
「オウマ、どうなのですか? 恐らくここがこの後の展開の分水嶺です。貴方の回答によっては、私は剣を以ってこの場を収めなければならなくなる」
「……確信を以って話したことは、ない。そもそも俺自身が貴様が生きていることに半信半疑だったのだ。暁においても俺が仕留め損ねただけという形で概ね意見は一致していた。貴様が蘇ったなどと考えている者は一人としていないだろう」
「それ、神に誓えます? っていうか私に誓えます? 貴方の剣に、天地神明に誓って言うことができますか?」
「諄いと言っている」
「それくらい私は“マジ”ということです」
最早堂々巡りに近いそのやり取りに、王馬は疎かエーデルワイスも渋面を隠せない。
この慎重な、言い方を変えれば臆病なまでの確認。
祝が携えるこの炎は、この少女にとってそれほどの意味を持つものなのかと二人は察した。
そしてだからこそこの埒を明けさせるために動いたのは、その手段を持つエーデルワイスであったことは驚くに値しないことだろう。
「ならば私の剣に誓う、というのならどうでしょうか」
エーデルワイスが霊装である剣の内の一振りをその場に突き立てる。
その不可解な行動と言動に、祝は首を傾げた。
「貴女の剣に、とは?」
「このままでは堂々巡りのまま話が終わりません。よって私の剣と能力を以って、その宣誓を誓いの儀とさせていただきます。――私の唯一にして絶対の伐刀絶技《
《無欠なる宣誓》――それはエーデルワイスが保有する唯一の伐刀絶技にして契約を司る能力。
彼女の霊装《テスタメント》の前で自主的に宣誓された契約は、誰であろうとその内容を遵守しなければならなくなるという能力だ。これに叛した言動を行った者は、宣誓の際に打ち込まれた楔によってその心臓を引き裂かれ、その生命を奪われることとなる。
これを解除することは術者本人であるエーデルワイスにも不可能であり、加えて言うのならば能力の発動に必要なその煩雑さ故か外部からの解呪も不可能。
まさに絶対遵守の契約を結ばせる魔術なのだ。
「……なるほど。確かに聞いたことがあります。《比翼》のエーデルワイスの能力は戦闘向きのそれではないと」
「はい。なのでこの能力を約定の要とすることで、この場は収めてほしいのです。いかがですか、《告死の兇刃》?」
「私としては確実な信用方法があるのならば、それに従わない理由はありません。ついでにエーデルワイスさんにも他言無用の誓いを立てて戴けると嬉しいのですが」
「構いません。元より誰かに言い触らすつもりもありませんからね。それでオウマ、貴方は?」
「構わん。……いや、一つある。これが誓われなければ俺はこの誓いには納得できない」
「へぇ?」
一旦は了承の意を見せた王馬だったが、しかし何か思い至ったのか一つの条件を出してきた。
その条件とは……
「疼木。七星剣舞祭のトーナメント表は既に確認したな? 俺とお前は数日後、準決勝で再び刃を交えることとなる」
「そうですね」
「その試合で、次こそ俺は貴様を殺す。だが貴様は衆人環視の下で“全力”を出すことはないだろう」
「仰る通りです」
「……だからこそここで《無欠なる宣誓》に誓え。俺はその舞台で
「え゛っ!?」
突きつけられたその言葉に思わず祝は驚愕する。
「そ、そんなこと私が誓うと本当に思っているんですか……? というかそもそも実現可能だと本気で思っているんですか? つい先日の時点で互角だった王馬くんが私に圧倒的な敗北感? 正気とは思えません」
「いいや、貴様は誓う。なぜならばここで誓いから逃げることは、お前自身が大鎌の可能性を否定することに他ならないからだ。そして俺は実現する。必ずだ」
「ぐっ……」
そう言われてしまうと祝としては弱い。
大鎌こそ最強であると、祝は常にそういう生き方をしてきた。もちろん業腹ではあるが、自分の未熟さ故にその性能を引き出しきれず敗れ去ることはあると納得はしている。
しかし先日、祝は王馬と引き分けた。
そんな相手からこんな誓いを申し込まれて背を向けるということは、即ち「敗けるのが怖いから逃げる」と公言したも同然。大鎌の可能性を信じているのならば到底できないことだ。
それに敗北した際のリスクこそ話にならないレベルで大きいものだが、要は勝てば何も問題はないも同然。もしも祝の大鎌に圧倒的な実力とそれへの信頼があるのならば何も躊躇することなどないはずだと王馬は言っているのだ。
(…………落ち着いて。冷静に考えろ)
そこまで考えたところで祝は深呼吸する。
そうだ、冷静に考えてみろ。
どう考えても王馬のそれは不可能な妄想だ。人間とは数日で成長できるような生命体ではない。それこそ王馬クラスの達人ともなれば、僅かな成長ですら膨大な時間を要する。それは《魔人》であろうと変わりはない。
ならばここでYesと頷くことに何の支障もない。
ないが……
(これって明らかな負けフラグだよね)
祝は知っている。
そうやって相手を過小評価し、状況を楽観視した人間から敗北し死んでいくのがお約束ということを。「やったか!?」と叫んだ人間から死んでいくのはお約束だ。
疼木祝とは敗北フラグを決して容認しない女。目に見える敗北フラグを立てるなど彼女がそのような迂闊な真似をするはずもない。
そもそもこんな取引は、王馬がこちらの足元を見て吹っかけてきた悪徳な契約だ。こんなものを馬鹿正直に守る理由など祝にはそもそもないのだ。
もちろんこんな契約をしたところで祝が――強いて言えば大鎌が敗けるとは思わないが、しかし余計なリスクを増やす必要も……
「ふん、なんだ? 大鎌使いとはその程度か。剣士の挑戦に怯え竦む程度ならば、初めから世に出てこなければ良かったものを。負けるのが怖いのならばとっとと去れ」
「…………………………………………おォン?」
その後、無事に宣誓は完了となったのだった。
後に祝は語る。――ついカッとなってやった、今は反省している。
◆ ◆ ◆
「……はぁ。何とかなりましたね」
肩を怒らせながら去っていく祝を見送りながら、エーデルワイスは深く溜息をつく。
今回は無事に話し合いで決着がついたが、それはまさに幸運により齎された結果でしかないということを理解しているためだ。誰かが何か一つでも選択肢を違えていれば、あの祝という少女は迷うことなく自分に刃を向けていただろう。彼女の目には、そんな狂信的なまでの熱量が確かに宿っていた。
(それに、それだけではない)
エーデルワイスは確かに感じていた。
祝の瞳の奥に潜む、その黒々とした憎悪の色を。
彼女が自分の何にそこまで憎悪の炎を燃やすのかはわからないが、しかし彼女が自分と刃を交えることに殊更の躊躇すらなかったのはあの感情こそが大きいのではないかとエーデルワイスは考えていた。
それに何より彼女は先程の対話の中、数度とはいえエーデルワイスに向けて挑発とも取れる動きを仕掛けていた。宛ら、剣士が鯉口を切って挑発をするかのようなその行動。
その全てをエーデルワイスが無視したことから大人しく引き下がったようだったが、仮にも『世界最強の剣士』である自分に対して何とも豪胆と言わざるを得ない。
「……エーデルワイス、貴女に頼みがある」
祝の背中が完全に夜の闇に消えると徐に王馬が口を開く。
そしてエーデルワイスが振り返ると、そこにはギラギラと獰猛な視線で祝が消えた闇を睨む王馬の姿があった。
「頼み、ですか?」
「ああ……俺を、鍛えてほしい」
◆ ◆ ◆
失敗した。
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した。
なぜ私が某バイト戦士のような独白をしているのかと言われると、全ては先程の王馬くんとのやり取りが原因だ。
なぜあんな挑発に乗ってしまったんだ、一時間前の私!!!
どう考えても無駄にリスクを増やしただけじゃないか私!!!
あんな安い挑発に乗って、それでリターンゼロの約束をしてしまうとか、もうこれ漫画やアニメだと悪役の敗北フラグ驀地だよ!? そしてここはラノベの世界だよ!? 迂闊すぎだよ私!!!
「あーっ、失敗したーっ!」
ホテルのベッドでゴロゴロと転がりながら、私は先程の軽率な行いを悔い続ける。
いや、別に勝てば問題ないということはわかっている。
でも私はフラグ信仰をするタイプの人間なので、こういう無駄なリスクを背負い込みたくないのだ。なのでこういった『敗北フラグ』とも呼べるものを立てることは極力遠慮したいのだが……
「……でも、まぁ……必要経費と考えるしかないのかな?」
仮に私があそこでNoを突きつけていた場合、王馬くんは意地でも私との宣誓に首を縦に振らなかっただろう。最悪、衆人環視の前で私が妙な能力を持っていることを公言しかねない。
そう考えるとエーデルワイスさんの能力で絶対の保証を得られたのは大きなリターンと考えることもできるが……しかし本来ならばリスクなしで得られた誓約なのだと思うと途端に勿体なく感じてくる。
あー失敗したー。
もう過ぎたことは仕方ないけど。
……しかし、先程のやり取りが成果ゼロだったかというと、実際大きな収穫はあった。
それは《比翼》のエーデルワイスを生で見られたということである。
実際に剣を振るう姿こそ見られなかったが、それでも生でその姿を見るのと強さを噂程度で聞くのとでは大きく違う。
ハッキリ言おう、あれは正真正銘の化物だ。
放たれる剣気、その佇まい、そして威圧以外の気の殺し方――その全てが私の知るあらゆる伐刀者のそれを遥かに凌駕していた。全く底が見えない。それこそ全盛期の南郷先生くらいなのではなかろうか、あの人とまともに闘えるのは。西京先生や黒乃先生、それに今の師匠ですら彼女には恐らく及ばないだろう。
試しに何度か挑発こそしてみたものの、それの流し方も優雅そのものだった。こちらの“気”に気付いていないはずがないだろうに、まるでそれを素通りさせるかのように袖にされてしまった。
それらの観察から得られた情報より断言する。あれには“まだ”勝てない。
勝てる光景が思い浮かばない。
逃げるので精一杯だろう。
「でも“いつかは”勝てる。それだけはわかった」
枕に顔を埋めながら、思わずくぐもった笑い声が漏れる。
理屈ではない。あくまで直感的な確信。
エーデルワイスという頂は確かに高く険しい。
だが、自分と大鎌ならばいずれそこに辿り着ける。
そうなれば世界最強は私のもの。そして私が最強ということは、だ。
「やっぱり大鎌は世界最強になれるだけのポテンシャルがある」
その事実を改めて確信できた。
そういう意味では、私は今日とても幸福だ。
「絶対に奪い取ってやる、その『世界最強』の称号を」
何年先か、何十年先かはわからない。
しかしその場所はお前のような“剣士風情”がいていい場所ではない。
故に必ず至る、その頂へ。
それまで首を洗って待っているがいい。
原作未読の方のために注釈しておきますと、エーデルワイスの霊装名とウチのヒロインの伐刀絶技名がかぶっているのは偶然です。
私の作品の方が先出ししてしまい、そのしばらくした後に原作でもこの名前が出てきてしまいました。今から変えるのも手間なのでこのまま通すつもりです。