「あははー! ここにいたんだ、イッキくん!」
「あ、天音くん……」
今まさに話題に上っていた天音の登場に、一輝は思わず顔を引き攣らせた。
しかしそんなことを知らぬ天音は、興奮したように一輝へと語りかける。
「イッキくん、二回戦への進出おめでとう! さっきの一回戦も観ていたよ! 凄い激戦だったね、僕感動しちゃって!」
「ああ……ありがとう。わかったから少し落ち着いて……」
子供のように捲し立てる天音を宥めながら、一輝は改めて天音を観察する。
こうして見ても、彼が高校生だと思えないほどに小柄で華奢だ。そして表情がコロコロと変わる様子はまさに幼子のようで、外見からも立ち振舞からも彼のことを一輝が嫌う要素はない。
それでも胸中を過るのは、やはり嘗て感じた不気味さだった。
しかし一輝としては、この素直な気持ちを天音にぶつけることは気が引けた。それは一輝が、理由もわからず他者へと嫌悪の感情を伝えることに抵抗を覚えたからだ。しかも彼は悪意をぶつけてきているわけではなく、少なくとも表面上は自分のことを慕ってきているように見える。
そんな天音に、その幼い子供のような外見も相まって、一輝は正直な言葉を口にすることができずにいた。
しかし……
「失礼」
「あうっ」
困惑する一輝を他所に、珠雫は容赦なく天音の横腹に前蹴りを叩き込む。そして一輝と天音の間で仁王立ちした彼女は、明確な敵意の下、天音を睨みつけた。
珠雫としては天音の態度などどうでも良かったのだ。そんなことよりも一輝が彼に嫌悪感を抱いているというだけで他の幾千の理由よりも拒絶の理由足り得る。そもそも珠雫からしてみれば、天音は破軍襲撃だけで充分に敵対の対象だ。故に珠雫は天音に対し、一輝のような容赦を抱くことはない。
そんな珠雫の言葉を聞き、天音は縋るように一輝を見やった。
「う……そうだよね。僕が嫌われる理由なんてそれだけで充分か。ごめんよ、一輝くん。でも、僕はそのことについては本当に悪かったって思っているんだ。今日君に会いにきたのは、おめでとうって伝えたかったのもあったけど、どちらかというとそのことのお詫びの意味もあって……」
「お詫び? それは――」
その時だった。
スピーカーが一瞬ノイズを流したかと思うと、アナウンスが会場へと響き渡る。
『お知らせ致します。Bブロック第三試合まで残り十分となりました。選手は控室にお集まりください』
その放送に一輝が我に返る。
気が付けばリングの再設置が終了しており、既に試合ができる状況となっていた。これ以上話し込んでいては天音とキリコが試合に遅れてしまう。
「何だか話が見えないけれど、そろそろ時間みたいよ。話は後にして、そろそろ控室に移動した方がいいんじゃないかしら?」
キリコも試合に遅れると思ったのだろう。まだ話し足りないとばかりに口を開こうとする天音にそう話しかける。
しかし当の天音は、話しかけてきたキリコに対してなぜか首を傾げた。
「えっと、どちら様?」
それは天音の口からは決して出てはいけないはずの言葉だった。
これから命をかけて闘う対戦相手の顔を知らないなど、常識的に考えればあり得ないからだ。
しかし天音は本当にキリコのことを知らないらしく、その事実に彼女は顔を引き攣らせながら自己紹介する。
「……私も多少は顔が売れているものだと自負していたけどね。廉貞三年の薬師キリコよ。これから貴方と試合をすることになっているのだけれど」
「あー、そうなんだ。ごめんなさい。僕、イッキくん以外の騎士は本当に有名どころくらいしか知らなくって」
「……随分と余裕なのね」
キリコの表情がますます引き攣る。
当然ながらキリコとしては気分の良い話ではない。仮にも彼女はBランク。世間ではAランクにすら届き得るとまで噂される才女だ。それを鼻にかけるわけではなかったが、そうまで噂される自分をここまで興味なしと切って捨てられるのは彼女のプライドに関わる。
「理事長に頼まれて仕方なく出場した身だったけれど、気が変わったわ。次の試合が楽しみよ、それだけ大口を叩いたからには相応の実力を見せてもらおうじゃない」
「あー、うん。それは無理かも。だって貴女とは
「はぁ? それはどういう……」
天音の意味深な言葉をキリコが問い詰めようとした時だった。
不意に彼女の携帯電話が着信音を鳴らしたのだ。
そのタイミングの悪さにキリコは舌打ちを漏らしそうになるが、連絡先の表示を見て顔色を変える。そこに映し出されていたのは、彼女自身が院長を務める薬師総合病院だったのだから。
「ちょっと失礼。……はい、もしもし? これから試合なんだけれども、一体何かしら?」
『先生ッ、大変なんです!!』
その場にいた全員に聞こえるほどの音量で、電話の先から大声が響く。耳を劈くようなその声にキリコは眉を顰めながらも、電話に向かって「落ち着きなさい」と宥めすかした。
しかし同時に、キリコは電話の向こう――病院の気配が慌ただしいことも感じ取っていた。
何かが病院で起こった。
そう頭の中で予測を立てながら、やや早くなる口調で電話に問いかける。
「一体どうしたというの? 慌てず、順に説明して」
『そ、それが……! 入院している患者さんの容態が急変して、危篤状態に……!』
「何ですって⁉ 一体誰が危篤状態になったというの!」
『それが……患者さん全員が危篤状態なんですッ!!』
「な……」
あまりに予想外なその内容にキリコは思わず絶句した。
同時に頭の冷静な部分が主張する。――どう考えてもあり得ない、と。
キリコは七星剣舞祭に参加する絶対条件として、自分が広島の病院を留守にする間に患者の容態が変わることがないことを自分に課していた。そして事前の綿密な診断の結果、自分が少々病院を留守にしても問題はないという診断を下した上でこの大会に出場したのだ。
それが一人ならともかく、全員の容態が急変するなどどう考えてもあり得ない。あり得たとしても、それは天文学的数値に等しい。
しかしそのような推測など、事ここに至っては何の意味もない。
混乱の極みの中にありながらもキリコは電話先に対応を指示。移動用のヘリがこちらへ回されていることを確認すると、静かに電話を切った。
そして――
「……さて、これはどういうことなのかしらね。紫乃宮くん」
諸悪の根源と思われる人物を睨みつけた。
しかし件の天音は白々しくも慌てたようにキリコの問を否定する。
「ま、待ってよ、言いがかりだよぉ。大体、大阪にいる僕が広島にいる君の患者さんにどうこうできるわけないじゃないですかぁ」
「ぐ……」
キリコは押し黙る。
そう、常識的に考えれば不可能だ。物理的な距離的にももちろんそうだが、仮に天音の仲間がキリコの患者にどうこうしたとしても、病院の警備やスタッフの目を潜り抜けて全員に手を出すことなどできはしないだろう。
だがそんな中、一輝だけがこの謎の現象の正体に心当たりを見出していたのだった。
事前に加賀美より聞いていた、巨門学園の模擬戦の戦績が
「……ああ、そうか。そういうことだったのか。それならば君の能力にも説明がつく。……つまるところ全ての順序が逆だった、それだけなんだ」
一輝たちの知る紫乃宮天音という少年の能力は“予知”――それは彼が《前夜祭》でアリスの裏切りを事前に察知してみせたから。
しかしそうではなかった。
全ては順序が逆。
彼は予知をしてみせたのではなく、彼が《前夜祭》の成功を
つまり天音の能力とは……
「『自分の願いを叶える』――つまるところそれが君の能力なんだろう?」
「…………」
一輝の断言に天音は目を細める。
しかしそう間をおくことなく嘆息し、やがて苦笑をしながら「まぁね」と首肯した。
その反応に一同は動揺を隠せない。天音の首肯が本当だというのなら――それはもはや神の如き力ではないか、と。
「……流石は照魔鏡の如くと讃えられる《無冠の剣王》、僕如きが隠し果せるはずもなし、か。……うん、その通り、それが僕の能力だよ」
「なら、やっぱり薬師さんの患者さんたちの容態も君が……!」
「いやいや待って待って! それは違うよ」
慌てたように天音が補足する。
自分はそのような願望を懐いてなどいないと。
「僕が願ったのは全然違うこと。僕の能力は君たちが思うような細かい内容じゃなくてね、もっと大まかな、僕のざっくりとした
それが僕の能力――《
笑いながらそう語る天音に、最早誰も言葉を発することすらできない。
恐らくは因果干渉系に属する能力なのだろうが、しかし規模があまりにも滅茶苦茶にすぎる。
因果に干渉することで己のあらゆる願いを叶えてしまうなど、しかも天音の言葉が事実ならば細かい操作や条件も必要なく『ただ願うだけ』で能力が発動してしまうなど、到底人間の持ち得る能力ではなかった。
まさに“神”の御業だ。
ここまで規格外の能力など、他に類を見ないどころか誰も想像したことすらなかった。それほどに規格外の能力。
そんな中、真っ先に口を開いたのはキリコだった。
「……つまり紫乃宮くんの能力は、何でも願いが叶うほど幸運に恵まれていると捉えていいのね?」
「うん、そうだね。そういう考え方でいいと思うよ? まぁ、僕自身にもそれは推測でしかないんだけど。だって――僕の願いが叶わなかったことなんて今まで一度もないんだからさ」
「……ッ。なら、貴方の願いがあくまで能力で叶えられたものだというのなら……貴方を今ここで殺せば全てが解決っていうことよねッ?」
その言葉が終わるや、キリコが霊装のメスを顕現させる。
その行動に一輝たちが息を呑む中、天音はやはり困ったような笑顔を崩すことはない。
「いや、やめておきなよ。僕の経験上、そういうことをされると『死にたくない』っていう願いが叶っちゃうんだ。僕の能力は結果を成就させるだけでその過程までは考慮しないんだから、何が起こるかは保証できないよ?」
「何ですって?」
「つまり……そうだなぁ、例えば君が攻撃しようと考えた瞬間に大地震が起こって闘っている場合じゃなくなったりとか、他にも君が呼んだヘリが到着直前で事故に遭ってその対応に追われるだとか……そういうことが起こりかねないっていうことだよ」
「そ、そんなことができるっていうの⁉」
「さぁ、わかんないや? 願ってみないことには、ね」
「ぐ……ッッ」
今度こそキリコは歯噛みした。
そのようなリスキーな真似ができるはずなどない。もちろんこれが天音の真っ赤な嘘である可能性も否定はできないが、しかし真実だった場合を考えればキリコにとってリスクが高すぎる。
その瞬間、キリコの頭は嘗てないほどに回転していた。どうすればこの状況を打破できるのか。あるいは土下座をして許しを請えば患者への手出しをやめてもらえるのか。もしくは患者のためにも、やはりこの少年を全霊を尽くしてここで殺すべきではないのか。
あらゆる思考が目まぐるしくキリコの脳内を巡り渡り、――そして彼女の明晰な頭脳は判断する。
(……打つ手が、ない)
それは明確な敗北宣言だった。
最早これ以上の問答も抵抗も無意味だ。キリコにとって最善なのはこの状況を打破することではなく、この現状を維持することで最悪を防ぐことのみ。
「……わかったわ」
それだけ言うと、キリコは霊装を引っ込めた。
そしてキリコの意思を感じ取った天音は「冷静で助かるよ」と笑って嘯いたのだった。
「さてっ! そういうわけだから、僕が控室に行く必要がないことを説明できたところで、さっきの話の続きをさせてもらうね!」
「さっきの話だって?」
一輝は冷や汗を流す。
《過剰なる女神の寵愛》の件ですっかり忘れていたが、天音は一輝に何の用があって訪れたのだっただろうか。
そう、確か“お詫び”がどうと言っていたような……
「そうそう、お詫びだよ! 本当は破軍襲撃のお詫びとして僕の能力を教えてあげたかったんだけど、でもそれは先にイッキくんにバレちゃったからね! だから改めてお詫びをしなきゃって今考えたんだけど……そうだ! これならきっとイッキくんも心から喜んでくれるよね! それを僕が君にプレゼントをしてあげる!」
人懐っこい笑みを深めながら謝罪する天音に、一輝は凄まじい胸騒ぎを覚えた。
耳鳴りが酷い。
何か、今からこの少年は自分では想像もできないような何かを口にする。そんな予感がある。
そんな直感により一輝は天音の言葉を遮ろうと口を開くが、それは少しばかり遅きに失した。
「僕はイッキくんにプレゼントしたいんだ! 七星剣舞祭の優勝を!」
その言葉は、寒々しいまでの沈黙を以って受け止められた。
誰もが言葉を発することができない。
それほどまでに不吉な言葉。
「なん……だって……」
「イッキくんって確か、七星剣舞祭で優勝できないと破軍学園を卒業できないんだよね? せっかく君がこんなに頑張っているのにそんな結果に終わるなんて悲しすぎるよ! ……ぁ、もちろん君が優勝できないって言っているんじゃないんだよっ? でも万が一ってこともある。そんなことになったら僕は悲しくて死んでしまいそうだ! だから僕が願ってあげるよ! 君の華々しい優勝を! 喜んでよイッキくん! 《紅蓮の皇女》も《風の剣帝》も《七星剣王》すら僕の能力の前では敵じゃない! これで何の苦労もせずに卒業を――」
天音が囀り続ける。
その言葉の大半を一輝は聞き取ることができていなかった。
天音の言葉が本当ならば、彼の願いは最早叶ったも同然。きっとその望み通り、キリコとの試合のように一輝は何の苦労もせずに七星の頂へと達することができるのだろう。
ふざけるな。
そうとしか言い様がなかった。
一輝は頭に血が昇っていくのを感じていた。
確かに天音の能力を使えば容易く《七星剣王》の座に就けるのかもしれない。
だがそれは、一輝のこれまでの努力に対する愚弄だ。いや、一輝だけではない。彼を含めた、この大会に参加する全ての選手すら馬鹿にしている。
仮に天音の能力で手にしたとして、そんな優勝杯に一体何の意味があるだろうか。
それで得られた《七星剣王》の座にどれほどの価値があるだろうか。
一輝が七星剣舞祭で優勝したかったのは、もちろん卒業のためでもある。しかしそれ以上に『自分の価値を信じる』という信念を貫き、それを形として証明するためなのだ。
だというのに目の前のこの少年は、その全てを台無しにしようとしている。
そんな真似、一輝は断じて許すことなどできない。許せるはずもない。
故に一輝はこの瞬間、天音に対する最後の情を捨てていた。今までは根拠のない嫌悪感に困惑していたが、ここまで“悪意”に満ちた言動をされれば一輝とて黙ってはいない。
だからこそ一輝は拒絶の意を込めて天音を突き飛ばそうと――
「ぷ……ふふふ……」
しかしその瞬間だった。
天音の悪意と一輝の拒絶。その間に差し込まれたのは――堪えられないとばかりに漏れたような笑み。
寒々しさすら感じていたその場の空気が、絶対零度にまで冷え落ちる。
一輝たちの視線が一斉に声の主へと突き刺さる。
「ふ、ふふ……あぁ、ごめんなさい邪魔しちゃって。どうぞ、続けてください」
その声の主とは、口元をニンマリと、まるで不思議の国のアリスに登場するチェシャ猫のように歪めた祝だった。顔を赤らめながら顔を脇へと逸し、口元を手で覆い隠しながらもその奥にある愉悦の表情を隠し切れてはいない。
その予想外にすぎる彼女の反応に、一輝を含めた一同は呆気に取られるしかない。
しかしそんな中、祝に対し最も早く立ち直りを見せたのは意外なことにも天音であった。
「っ、……ああ、そっか! ごめんごめん! そういえばここに《七星剣王》ご本人がいることを忘れていたよ! ごめんね、嫌な思いさせちゃったよね? 現役の《七星剣王》の前で優勝をプレゼントするだなんて話、するべきじゃなかったよ! でも、申し訳ないんだけどイッキくんの将来のためにもここは優勝の座を譲ってあげてくれないかなって」
天音が笑いながら祝へと語りかけるのを聞き、一輝を含めた皆は血の気が引くのを感じていた。
当然だ、何せ相手はあの《告死の兇刃》なのだから。
何がおかしくて彼女が笑みを見せるのかは誰にもわかっていないが、このような巫山戯た言葉を投げかけられれば彼女が不快に思うことは目に見えている。
そして彼女が不快に思うということは、即ちそのまま刃が伸びてくるということに他ならない。それこそ天音が『死にたくない』などと暢気なことを考える前に。
そうなれば血の雨が降る。そして縦しんば天音が生き残ったとしても――彼の言葉が正しいのならば――起こるのは周囲を巻き込んだ天災だ。どちらに転んでも恐ろしいことしか起こらない。
そう一同が背筋を凍りつかせる中。
「…………ぷっ…………ふふふふ、あははははははっ!」
しかし祝は《三日月》を顕現させることもなく、より笑みを深めるどころか唐突に声を上げて大笑し始める始末。
「ヒィヒィ」と腹を抑えて涙を見せるその様子は、心底からこの状況を面白く思っていることの証拠だった。
これには流石の天音も顔を顰め、不快げに低い声を漏らす。
「……何がそんなにおかしいのかな? 僕は真面目にイッキくんを優勝させてあげようと思っているんだけど? それとも僕にそんなことができるはずがないって思っているのかな」
「ふふふっ……いえいえ、本当にごめんなさいね。ただちょっと、ふふ、おかしくて……いやぁ~、ここまで笑ったのって久しぶりですよ」
「ッ……だから何がそんなに可笑しいのかって聞いているんだけど。それとも《七星剣王》様は耳が悪いのかな?」
遂に天音の口から漏れた皮肉も、しかし祝は笑って受け止めるのみ。
そして徐に天音へと近寄る。急な接近に天音は思わず後退ったが、しかし祝は気にも留めずジッとその瞳を覗き込んだ。
「天音くん。今まで自覚していなかったんですけど、私って君みたいな人のこと凄くすっごく好きみたいなんですよ〜」
「…………は、はぁ?」
好き。
その唐突すぎる言葉に天音は理解が追い付かない。加えて言うのなら、その言葉に天音は疎か一輝たちまでもなぜか背筋が寒くなる感覚しか抱くことはできなかった。
しかし祝は至極真面目に天音に対して本気で好意を感じているらしく、目を輝かせながらますます天音へと顔を寄せていく。
「そう、好きですよ? 実際に会って話を聞いてみて確信しました。君は素晴らしい人ですよ、私が保証します。きっと黒鉄辺りも彼の魅力を理解できると思うんですけどねぇ~?」
「えっ、僕が……?」
視線を向けられた一輝は思わずたじろいだ。
そして疑問に思う。
一輝から見て、天音という少年に好意を抱く理由など一片たりともない。だというのに祝は、一輝を名指しで指名してきた。一体彼女の目には、天音がどの様に映っているというのだろうか。
しかしその理由を一輝は程なくして知ることとなる。
「い、いやぁ……急に告白されてビックリだよ! でも、できればそういうのは時と場所を考えてほしいなって――」
「だって君みたいに惨めで、情けなくて、生きている意味すら感じられないような人に初めて会いましたから」
「だからおかしくて〜」と
「……どういうことかな」
「あ〜あ〜、別に大丈夫です何も言わなくていいですから。どうせ私も何も答える気はありませんし。……ただね、私にはわかるんですよねぇ。君がどうしようもなくこれまで負け続けてきて、這い蹲り続けてきて、そして諦め続けてきた人間だっていうことが」
「――ッ!!」
その言葉に、今度こそ天音は飛び退った。
鼻先まで近づいていた祝の顔が遠ざかり、しかしその視線と笑みは片時も天音を逃さない。
何だ。
この女は自分の何を知っている。
まさか、……絶対にあり得ないはずではあるが、この女は自分の“過去”を知っているのだろうか。あの忌まわしく悍ましい過去を。
しかしそんな天音が抱いた疑問に祝が答えるはずもなく、祝はクスクスと笑う。
「な、何を……」
「きっと黒鉄が羨ましかったんですよね。努力でここまで伸し上がってきちゃった人を見ると、気分が悪くて仕方がなかったんですよね。足を引っ張りたくなっちゃったんですよね。目を見ればわかります。だって今の君、凄く気持ち悪い目をしていますもの」
笑いながら、祝は再びゆっくりと歩き出す。
「私はね、君みたいな色んなことを無理だできない恨めしいって諦め続けて惰性のままに生きている人を見るとこう思うんです。
――あぁ、私は頑張ってきて良かったって。
こんな薄ら惨めでゴミみたいな人間に
再び縮まる距離。
しかし天音は祝の言葉と視線に身体を絡め取られ、最早後退ることすらできなかった。
「私もね、凄く時々ですけど思うんです。夢に向かって全力疾走して生きてきましたけど、ひょっとして自分の人生は間違っているんじゃないかって。もしかしてこの努力は無駄で、私のしていることは徒労に過ぎないんじゃないかって。でもね、君みたいな人を見かけると、ハッと我に返ることができるんです」
天音の瞳を覗き込む祝の瞳。
そして天音はようやく気が付いた。祝は皮肉でも何でもなく、言葉の通り心から天音という人間の存在そのものを嘲笑っているのだということを。
「私はこんな風になっちゃダメだ! こんなドブに棲むネズミみたいな生き方をしたら、それこそ私の夢に失礼だ! だから頑張らなきゃ、って!」
パッと咲く花のような笑顔。
しかし最早天音にとって、その笑みは不吉の象徴だった。
「ですから君はそのままの在り方で大丈夫です! 落ち込まないで元気を出してください! 弱くてクズで何にもできなくて、なんで生きているのかすらわからないくらいの無意味な人生! 素晴らしいです! そういう人は頑張っている人の糧となり勇気となり丁度良い踏み台になります! きっと君はそういう人たちのために生まれて生きてきたんですよ! それを黒鉄だってすぐに理解してくれますから!
なので君はそのまま、黒鉄に優勝をプレゼントしちゃってください!
私はそんな君のせせこましい悪意にも負けず、頑張って頑張って頑張って、君が足を引っ張ったことで親が死のうとこの会場の人たちが皆殺しにされようと《七星剣王》の座を守り続けますからね!」
そこに映るのは漆黒の闇。果てが見えず、まるで奈落の底を覗き込んだかのように広がる永遠の黒。
天音にはそれが何なのかわからない。あまりに理解不能すぎて、脳がその闇を直視することすら拒絶する。しかし祝の闇はその拒絶すら許さず、現に天音は全身が硬直し瞬きすらできずにいた。
「あ……あ、あ……」
俄に天音の身体が震え出す。
何だこれは。何なのだこの
歯がガチガチとぶつかり合う音を聞きながら、天音は心底この少女に出会ったことを後悔していた。あまりにも未知にすぎる祝は、その言葉が徹底して自分を貶める言葉ばかりだというのに天音は怒りどころか恐怖しか抱くことができずにいる。
同時に天音は頭の何処かで理解した。
これは自分とは全く違う未知の存在だ。自分とは違う、諦めや惰性を踏破した先にいる怪物なのだということを。
その怪物を何と呼べば良いのか天音にはわからない。しかし唯一確かなのはこの闇に呑まれたが最後、天音は心が何かに侵され死より残酷な思いをするだろうということだった。
そして天音の心は軋みを上げ、遂に祝の瞳に呑まれ圧壊しようとしたその瞬間――
『お知らせ致します。Bブロック第三試合は薬師選手の棄権により中止となりました。よって第四試合の破軍学園の黒鉄珠雫選手と武曲学園の浅木椛選手を……』
「ッッ、うわあああああああああああッッッ!」
次の瞬間、アナウンスで我に返った天音は祝を突き飛ばし、彼女に背を向けて全速力で走り去っていた。突き飛ばされた祝は多少蹌踉めく程度で転ぶこともなく、天音を「元気ですねぇ」と笑って見送る。
そしてすぐに天音の背中は人混みに紛れて見えなくなり、その場には沈黙が舞い戻った。
しかし誰もが絶句する沈黙の中、祝だけが上機嫌に笑っている。
「話を遮ってしまいすみませんね、黒鉄。あまりにも面白いものを見つけたので、つい思いの丈をぶつけてしまいました。貴方のことですから、きっと彼に何か一言くらい言いたかったでしょうに?」
「……いいや、大丈夫だよ。むしろ助かったくらいだ。あれ以上彼の負の感情を受け続けていたら、僕の方が調子を崩していたかもしれない」
「そうですか? きっと黒鉄なら、私と同じ様に“あれ”を面白おかしく眺められると思ったんですけど。黒鉄みたいな努力の人は、きっと事情を知れば知るほど玩弄して楽しめるはずです。お気に召しませんでした?」
「……ああ、最悪の気分だよ」
吐き捨てるように一輝は呟いた。
祝のようにある種極まってしまった
しかし同時に決意も固まっていた。
一輝は最早、天音に一片たりとも気を遣うことはない。もし先程の言葉の通り一輝の努力を愚弄するつもりだというのなら、その時こそ一輝は容赦しないだろう。
……もっとも、天音がそれを為すには眼の前で笑う少女を七星剣舞祭から排除しなければならないわけなのだが。
(きっと彼は、さっき疼木さんの“闇”を垣間見たんだろう)
そのことだけは一輝も天音を気の毒に思う。
祝の言葉の大半は意味がわからないものだったが、しかし彼女の言う通り天音が諦観の果てにあのような悪意を一輝に向けてきたのだとしたら、疼木祝という少女はその対極に位置する存在だ。
何せ修羅とは、常人が持ち得る諦めや妥協という言葉を忘れ去り、求道のためだけにあらゆるものを捨て去ってしまった人間なのだから。
そんな存在を肌で感じ取り、魂に刻み付けられてしまえば、もう人は今までの自分ではいられない。特に一輝のような修羅に片足を突っ込んでいた人間や、あるいは望まずしてその対極に辿り着いてしまったような人間は尚更に。
(天音くん、君の過去に一体何が……?)
祝が天音の何を知っているのかは、一輝としてはどうでもいい。
しかし彼の黒々とした、祝とは別種の闇を湛えたあの目。
それがどうしても一輝には気になった。
あの目――あれをどこかで自分は見たことがある。それを一輝は確信していた。しかしそれがいつなのか、どこで見たものなのかが一輝には全く心当たりがなかったのだ。
「彼とぶつかるのは準々決勝か」
恐らく、それは嘗てない様相の闘いになるだろう。
それが熾烈なのか、あるいはそうでないのかは一輝にもわからない。
だが心してその闘いに臨まなければ、地に伏して敗北を味わうのは自分になるかもしれない。
一輝はそんな予感がしてならないのだった。
◆ ◆ ◆
その後、キリコは到着したヘリに搭乗して広島へと蜻蛉返り。
続く試合で珠雫は武曲学園の浅木椛を打ち破り、見事に二回戦へと駒を進めることとなる。
そして王馬のいるCブロックの試合も何事もなく終了し、Dブロックが始まる。
そのDブロック第一試合は――破軍学園・疼木祝 対 武曲学園・諸星雄大。
昨年度七星剣舞祭の序列一位と二位による頂上決戦が、一回戦という序盤から始まろうとしていた。
次回はようやく祝vs諸星です。
やっと戦闘回!