「狩り殺せェ、《
徐に諸星が石突を地面へと突き立てると、彼の全身から黄金の魔力が噴き出す。そしてそれらの魔力は彼の身より離れるなり三つの塊へと分裂し――次の瞬間、陽炎のように揺らめきながら巨大な虎の首へとその姿を変じさせた。
「散れッ!」
諸星の号令の下、三頭の虎が各々咆哮を上げながら祝へと飛びかかる。
まるで本物の虎が駆けるかのような速度で迫るそれらは、その首を構成する魔力の全てが《暴喰》だった。つまりあの
「遠距離攻撃までできるんですか……!」
《既危感》によりそれを瞬時に把握した祝は、襲いくる黄金の虎たちに堪らず距離を取った。
あれらは漏れなく祝の大鎌を殺す一撃必殺の魔術。それを三方から囲まれるように放たれれば、流石の祝でも分が悪い。
しかし闘いが許されているのは狭いリングの中のみ。
後ろへと退いた祝を、瞬く間に《暴喰》たちが追い詰めていく。
どうやら射程範囲はリング内を覆い尽くすほどらしい。――そう判断したのか、祝はやがてその足を止めると、大鎌を背後に大きく振りかぶり……
「うっっぉりゃああああッ!!」
大鎌が振り下ろされ――次の瞬間、空気が断裂した。
そして嵐のように舞い踊る、常人ならば食らうだけで全身がバラバラに千切れるであろう衝撃波。
地面を抉りながら放たれたその不可視の斬撃は空気すらも削り飛ばし、祝へと牙を剥いていた《暴喰》をまとめて消し飛ばさんと吹き荒れた。
「そいつは知っとるでッ!」
しかし諸星もさるもの。
その技は鍛錬の過程で祝に披露されたことがある技だ。残念ながら諸星では再現が叶わなかった絶技ではあるが、しかし使えないからといって対処ができないわけではない。
咄嗟に《暴喰》の顎門を操作した諸星はそれらを一気に散開させ、祝から距離を取らせることで衝撃波を回避する。
「その技は距離が開くと極端に威力が落ちる。間合いさえ計り違えなければそれほど恐ろしい技やないッ」
「……ちぇ~」
鬱陶しそうに、されどどこか楽しげに祝は唇を尖らせる。
しかしその表情とは裏腹に、祝は早くも動き始めていた。衝撃波によって捲り上げられたコンクリート片の粉塵を目眩ましに、《暴喰》の一頭に間合いを詰めていたのだ。
そして――踏み込んだ震脚の轟音とともに縦拳をその鼻っ面に叩き込む。
轟音に続く爆音が会場中に響き渡る。
一撃。人間の、それも見た目だけは麗かな少女の細腕から放たれた一撃で《暴喰》の顎門は爆散して果てていた。
「数さえ揃えれば勝てるとでも?」
「ッ、舐めんなや!」
挑発とも取れる祝の言葉に、諸星は残った二頭の《暴喰》を襲いかからせる。
それと同時に自身も吶喊。むしろ《暴喰》たちに先んじて、金色の魔力を纏った黄槍を祝へと突き出していた。
「うぉらぁぁぁああああッ!」
黄金に輝く槍。
一瞬で間合いを詰めた諸星がその一刺を差し向けると、祝は目にも留まらぬ速さの手刀で《虎王》を弾き飛ばす。
そして弾き飛ばすや否や、祝の視線が諸星の胴へ――瞬間、諸星の胴半身が金色の魔力を纏う。祝は思わず舌打ちを放った。
刺突の動作の最中にも関わらず、祝の視線すら逃さぬその観察眼。
そしてそれをたった一手で無敵の防御に変えるその魔術。
「はぁ〜、本当に面倒ですねその能力。というかそんなにバカスカと《暴喰》を連発して、魔力は保つんですか?」
「安心しィ! 試合中いっぱいは保たせてみせるで!」
二カリと笑いながら、諸星が続け様に刺突を繰り出す。
それを手刀と腕刀で弾き飛ばしながら……突如として祝がその場を飛び退いた。直後、頭上から《暴喰》の顎門が祝のいた空間を食い千切る。
かと思えば彼女の背後からもう一頭の《暴喰》が回り込み、《三日月》を噛み砕かんと大顎を開いていた。
(これでどうや!)
「見え見えです」
しかし祝の《既危感》に通常の不意打ちも闇討ちも騙し討ちも通用しない。
振り返ると同時に足刀が跳ね上がり、その顎門を一撃で消し飛ばした。
ならばと残った首を差し向けるが――それも祝の振り返り様の衝撃波により一瞬で吹き潰される。
全滅した《暴喰》に思わず諸星は舌打ちした。
「……チッ、そう上手くは行かんか」
「いえ、今のは結構ビックリさせられましたよ? 遠間から近間まで網羅しているとか、ハッキリ言ってヤバさだけで言うのなら先日の王馬くんに並びます。並みの伐刀者なら何もできずにやられると思います」
「それは自分には通じんっちゅう嫌味か? それとも自分が並みやないっちゅう自慢か?」
「嫌味でも自慢でもありませんよ。――これは余裕というものです」
「……抜かしおる」
額から冷や汗を流しながら、諸星は獰猛に笑った。
そして試合が一段落したことを見計らったのか、実況がけたたましく驚愕の一声を上げる。
『な、何だ今のはぁぁあああ!! 疼木選手が大鎌を振るったかと思うと、爆風とともに《暴喰》が吹っ飛ばされましたァ! 疼木選手の伐刀絶技は予知のはず。だというのにあの攻撃は何だぁ⁉︎』
『……信じ、られませんが……どうやら単純に大鎌のスイングによる衝撃のようです。しかしただ大鎌を振っただけであれほどの衝撃波を生み出すなど、どう考えても異常です。魔力放出による身体加速があるとはいえ尋常ではありません。同じことをやれと言われても、KOK選手の中にもどれだけ今の技を再現できる者がいることか……』
『牟呂渡プロですら絶句せざるを得ないほどですか⁉︎』
『断言させて戴きますが人間業じゃありませんよ。フランスの《黒騎士》くらいではないでしょうか、同じことができるのは。……しかし驚くべきは、それほどの技に苦もなく対処した諸星選手ですね。間合いを上手く調整し、見事にそれを空転させました』
(見事に、か。確かに傍から見ればそうかもしれんが……持っていかれた魔力はデカいんやで?)
笑みを浮かべながらも、諸星のその内心は穏やかではない。
《暴喰》の顎門を三頭、さらに得物に一つ、さらに防御にも魔力を回していたのだ。祝の指摘通り、消費した魔力量はかなりのものである。一連の攻防で四割は使い切っただろうか。
残った魔力で今と同じことをやろうと思えば、途中でガス欠は必至だろう。対して祝は低燃費で即死級の格闘技をバンバンと放ってくる。
(くそッ、あンの馬鹿力め。というか刃が通らないと見るや衝撃波やら拳やらで強引に対処して来おるとか、脳筋も程々にせぇよ)
しかし今の攻防で祝の腹は読めた。
祝は純粋な大鎌の攻撃が危険と判断したことから、その他の物理攻撃で諸星を撹乱。《暴喰》が発動できなくなるほどに痛めつけたところを大鎌で仕留めるつもりなのだろう。
最早そこまで来れば大鎌なしで仕留めにかかった方が効率的なのではないかとすら思われるが、そこは彼女の絶対に譲れないポリシーだ。必ず最後は大鎌で殺しにくる。
(けどなぁ……徒手空拳で簡単に攻略できるほどワイの槍は甘くないで)
『剣道三倍段』という言葉がある。
無手が剣に勝つためには、その間合いの不利から三倍の実力が使い手に求められるという指針だ。無論これが正確かどうかは定かではないが、しかしその理論そのものには納得できるところもある。
そして無手と槍の間合いの差は無手と剣のそれよりもさらに広い。
(とはいえ祝は徒手空拳でも達人級っちゅうのは既に見とる。しかもさっきの衝撃波みたいな隠し技がこれ以上ないとも限らん。ここは慎重に――)
諸星の思考が戦術を組み立てられたのはここまでだった。
なぜなら祝が、先程のように再び《三日月》を大きく振りかぶったためだ。今度の角度は……左の脇構え。
(来るッ)
直後、衝撃波の嵐が爆音を奏でながら空間を切り裂く。
予め攻撃を予見していた諸星は全力の後退により衝撃波の範囲外へと逃れることに成功。
しかし祝もこれ一つで仕留められるとは思っていなかったのだろう。衝撃波を放つや否や、疾風の如き速度で諸星へと吶喊していた。恐らくは先程のように衝撃波を目眩ましに懐へと飛び込む腹だ。
「させるかいッ」
放たれる《三連星》。
しかしその刺突が祝の額に触れると思われたその瞬間、――祝の姿が霞のように掻き消える。
(ッ!? こいつは黒鉄のッッ)
諸星は気付く。
以前動画として上げられていた、一輝が得意とする剣技の一つである第四秘剣《蜃気狼》。先程の蔵人との闘いでも彼が使用していた技だ。
足捌きにより動きを誤認させるこの技は、相手の読みが深いほどに
何はともあれ、諸星が祝の術中に落ちたのは変わりがない。
即座に諸星は思考を切り替え、祝の動きを追う。
(祝はどこに!?)
右――いない。
左にもいない。
前後への動きを欺いたわけでもない。
つまり諸星の視界には既に祝の姿は、ない。
(上かッ!)
諸星の視線に影がかかる。
咄嗟に頭上へと目を向ければ、そこには大鎌を上段へと振り上げた祝の姿がある。刃筋の向きからして、狙いは諸星の頭部。恐らく頭から股までを真っ二つに切り裂くつもりだ。
ならば話は早い。
《暴喰》を頭部へと集中。この一手だけで片がつく。
大鎌を振りかぶった祝がいるのは空中。如何な達人といえど、空中で身動きは取れまい。攻撃を繰り出すか、それを中断して硬直を生むかの二つに一つだ。
数瞬。まさに刹那の間の反応の差。
あと一秒でも諸星の反応が遅れていれば、彼は祝によって抵抗する間もなく斬り刻まれて絶命していただろう。
しかしその数瞬が二人の勝敗を分けたのだ。
(今度こそ
槍を引き戻しながら諸星は思わず目を見開く。
期せずして諸星が先程繰り出した状況を再現することとなってしまったが、これは諸星にとって幸運以外の何物でもない。
攻撃をしてくるのならば良し。《暴喰》で大鎌を粉々に砕いてくれよう。
攻撃をやめるのならばそれも良し。着地の瞬間を《虎王》で刺し貫く。《暴喰》があれば魔力防御も関係ない。
その攻防に観客一同は息を呑んだ。実況と解説もそれを予見し「遂に決着か」と激しく叫び倒す。
そして刹那、諸星と祝の視線が交錯し――
次の瞬間、空気が爆ぜるかのような轟音とともに祝は地面へと着地していた。
跳躍したと思われた次の瞬間の着地。
そのあまりの上下動の速度変化に諸星の視線すら追い付けない。
まるで格闘ゲームのキャラクターの空中コンボのような、常識的に考えれば不可能なその軌道。
その動きに、諸星は完全に置いていかれた。
これこそが祝の答え。
DEAD or DEADの選択肢に突きつけた三択目の選択肢。
「本当に便利ですよねぇ、魔力放出って」
まるでジェット噴射のように指向性を持たせた強力な魔力放出。
先程の自身すら傷つける魔力放出の応用により空中で身体にかかる慣性を制動し、反動で強引に地面へ運動エネルギーの
最早彼女には地に足を付けなければ人間は移動できないという常識すら通用しなくなった。遂に彼女は“空”すらも克服したのだから。
「この調子なら、虚空を蹴るのすらもう夢じゃない。実験の協力、感謝します」
諸星が祝を追いかけるように視線を下ろすと同時、鈍色の刃が陽光を反射して輝く。
その流れるような祝の攻撃に、観客は疎か解説すらも理解が追いつかない。
誰もが諸星の勝利を確信していた。諸星が空中の祝を捉えた瞬間、全てが決着するだろうと確信していた。誰もが一流の騎士として認めるであろう一輝でさえも外野から見ていてそう確信していたのだ。
《蜃気狼》による撹乱からそれを見破り対処することも、それによる勝利への確信すらも利用した祝の奇策。
そしてその祝の策は見事に人々を混乱の渦に叩き込んだ。
ただ一人。
「――せやろな」
そう。
たった一人だけ。諸星雄大という男を除いて。
「お前ならばこの局面、絶対にワイの思惑を上回ってくると思っとったで」
「……もぉ~、いい加減しつこいですよぉ」
《三日月》は…………未だ動かず。
誰もが理解すらできぬ内に祝の勝利が決まったと思われたこの局面で、当の祝がその一手を繰り出さない。
その理由は唯一つ。
諸星の
頭部のみへと《暴喰》を展開すると思われたこの局面で、諸星だけはただ一人、祝に対して直感的に欠片の油断すらしてはならないと理解していたのだ。だからこその全身への《暴喰》だった。
無論、全身へと防御を回せばその分だけ魔力を食う。それが単なる魔力防御ではなく、《暴喰》という伐刀絶技であるのならば尚更だ。
しかし、所詮はそれだけだ。
体力を消耗するだけで一命を取り留めるというのなら、その程度は安い代償。諸星は進んでその代償を払うだろう。
徒手空拳を警戒し、後方へと飛び退きながら諸星はほくそ笑む。
「常識的に考えれば、頭部への《暴喰》だけで決着がつく場面。けどな、お前がそんな浅はかな展開運びをしてくるわけがないやろが。ワイはお前ほどお前を舐めとらんで。絶対に何かあるってピンと来たわ」
そう、諸星はわかっていたのだ。
祝は必ず何かを仕掛けてくる。それも諸星が予想もできないような、誰もが呆気に取られるような“何か”を。
ならば諸星がするべき対策は唯一つ。――全力の防御だった。
だからこそ祝がこの場面でトドメを刺しにくることを想定し、全身を《暴喰》で守るという選択をしたのだ。
『お、おぉぉっとォ⁉︎ 何だ今のはッ! いや本当に何なんでしょうか今のはぁぁあああッッ⁉︎』
『ま、魔力放出の応用なのでしょうか? しかしこれはもう身体加速や行動加速といった領域を超えている……! 彼女の発想力と、それを実現するだけの魔力制御能力に我々の常識が通用していませんッ! 長年騎士の世界に身を置いてきましたが、ここまで常識外れの伐刀者は初めてだ!』
『しかしその裏をかくかのように、諸星選手も《暴喰》で全身をガード! どうやら疼木選手への警戒が功を奏したようです!』
「え、えぇ~。そこは普通に油断して死んでおく場面じゃありません? せっかくゆーくんの作戦に乗った感じで逆転しようと思ったのに」
大鎌を一旋させて持ち直した祝は、真実呆れたように諸星を見やった。
しかし実際、諸星のその弛まぬ警戒心が祝の戦術を覆したのだ。諸星としては「やはり」という他ない。祝としてはますます面倒なことこの上ないだろうが。
(とはいえ、また仕切り直しか)
槍を構え直しながら、諸星は内心で毒づく。
気が付けばこれで何度目の仕切り直しだろうか。どちらかの猛攻・奇策をどちらかが躱し、迎撃し一呼吸。そして再びの接戦という流れが先程から続いている。この流れはあまりよろしくない。
なぜならば、その度に消耗させられているのは一方的に諸星のみだからだ。
《暴喰》による魔力の消耗と空振り続ける己の攻撃。これにより、着実に諸星は体力を消耗させられていた。
その一方、祝は未だ無傷に等しい。魔力の消費も人知を超えた魔力制御によって超絶的な燃費を誇る魔力放出くらい。予知に至っては戦闘中に支障が出るほどの魔力の消耗もないと聞く。
つまり一見すれば互角に張り合っているように見えるこの試合。
結果的に見れば、一方的に諸星が追い詰められているのだ。
(クソッ、気に食わん!)
確かに正面戦闘は《暴喰》のガードもあって互角だろう。
しかし持久力という点で諸星は祝に遥かに劣る。このままズルズルと試合を長引かせれば、最初に膝をつくのは自分の方だ。
となれば、狙うは短期決戦しかない。
(そろそろ腹ぁ括るしかないで、諸星雄大。祝の変態技術を恐れて守りに入れば敗北は必至や。つまり特攻覚悟の中にしか活はないッ。決着をつけに行かなアカン)
しかし諸星がそう決意する一方。
どうやらこの展開に痺れを切らしていたのは彼だけではなかったらしい。
クルクルとバトンのように大鎌を旋回させながら、祝は眉を顰めていた。
「……思ったより粘りますねぇ~。ここまで膠着した闘いは私的にもあまり経験がないです。最近だと王馬くんくらい? 他は大鎌でスパッと終わらせられた試合ばかりでしたから。……大鎌がほぼ活躍できていないという点では大違いですけど」
「ハッ。そりゃ結構なことや。その焦りは隙を生む。ワイはそれを容赦なく衝かせてもらうで」
「そうなんですよねぇ~。ゆーくんが相手だとそれもあり得るんですよね~」
「困った、困った」と笑う祝は、しかしその状況すらも楽しんでいるかのようだった。
恐らく彼女の頭の中は、ここからどうやって大鎌を輝かせようかという想像でいっぱいなのだろう。所謂嬉しい悲鳴というやつだ。
彼女はいつもこうだ。
困難の中でも常に大鎌の活躍できる場を求め足掻いており、そしてその足掻きにすらも楽しみを見出している。
苦行や困難すらも彼女の中では己と大鎌の可能性を試す場でしかないのだ。だからこそ彼女の心は折れず、曲がらず、弛まない。
「まぁ、とはいえ私の方も実験は無事に完了して技の引き出しも増えましたし、《暴喰》がある貴方相手では大鎌の必殺技をお客さんに魅せるのにも都合が悪い。なので本邦初公開。ゆーくんに今から面白い技を使ってあげます。――それを最後に試合を終わらせてみせましょう」
「……ッ!」
試合を終わらせる。
その一言に寒気を感じた諸星は、反射的に祝からさらに距離を取っていた。
後ろへ、後ろへと後退し、視野を拡げるためにリングの中央へと陣取る。それを追いかけるように祝もゆったりと歩を進め……気が付けば二人は試合開始時とほぼ同じ位置に陣取っていた。
相対した二人の間に広がる距離はおよそ十メートル。遠すぎず近すぎず、それでいてリング全体を捉えるには理想的な位置取り。
しかしそんな諸星の警戒を嘲笑うかのように、祝は尚も歩を進める。
「実はこれ、大鎌使いとしては邪道というか裏技というか……そういう感じの真っ当な技ではないのでちょっと使うかどうか迷っていたんですよね。それにカッコいいといえばいいんですけど、使い所が難しい上に未来の大鎌ユーザーたちが観ていても参考にならない類の技なんです。だから完全に見栄えだけを重視した技なんですよねぇ〜」
「まぁ、ゆーくんほどの人が相手ですし使うのも吝かではないか」と祝は零す。あくまで楽しげに。
裏技。
その言葉に諸星は警戒感を強め、改めて大鎌を注視する。
伐刀絶技なしでの衝撃波に空中移動。それすらも成し遂げた彼女がさらに“邪道な裏技”とまで語る存在。
それを彼女から引き出せたことに喜びはあるが、しかし同時に恐ろしさもあった。そこまで祝が言い切る技とは一体どれほど凶悪な代物であるのか、と。まさしく得体が知れない薄気味悪さがある。
だが決して諸星は弱気にはならない。
彼は既に決心しているのだ。祝の全てを超え、今年こそ七星の頂に立つのだと。
――そしていつかはあの“黒炎”すらも超えて、本当の彼女を……
「ほぉ? だったら見せてもらおうやんけ。お前の言う裏技っちゅうモンを。ただし魅せ技感覚なんて舐めたことはせん方がええで? 隙あらば、ワイはそれを正面から打ち崩す」
「……う~ん」
不敵に笑う諸星。しかし一方の祝の表情は芳しくない。
いや、むしろその表情は曇り、まるで諸星のその気概を受けて申し訳ないとばかりに苦笑している。
「何や? 何がおかしいねん」
「いえ、そうやって息巻いて戴いたところ申し訳ないんですけどね? ――残念ながら原理上、ゆーくんはこの技を見ることすらできず死ぬんです」
そして祝は諸星が既に槍を構えていることすら眼中にないかのように、……尚もゆっくりと前進する。
その歩みは散歩でもしているかのように緩やかで、諸星への警戒感はまるでない。
それはまるで、「もう勝負はついた」とでも彼女が語っているようで――それが諸星の癇に障った。
「お前……まさかもう勝った気なんか? その裏技とやらを使えば確実にワイに勝てるとでも、そう言いたいんかッ?」
あと数歩で祝と諸星、両者の得物が届く間合いに達する。だと言うのに彼女のこの弛緩した闘気は何だ。
構えもなく、まるで欠伸でもしそうなほどに緩んだその空気は何なのだ。
「舐めるんやないでッッ、祝ィ!」
上等だ。
ならば受けて立とう。
その裏技とやらを完膚なきまでに攻略してみせよう。
諸星の全身から殺気が立ち昇る。まるで湯気のように充満したそれは《虎王》にも伝播し、その穂先からもゆらりと魔力が漏れ溢れる。
彼は決意していた。
祝が間合いに入ったが最後、これより先は一呼吸の間すらも置かず彼女を
(集中せぇ、諸星雄大。アイツの一挙手一投足すらも見逃すんやない。祝が妙な動きを見せたら、それがアイツの“裏技”の始まりや)
諸星の視野が祝へと集中し、その他の背景から色が消える。それだけでなく、周囲の客席から聞こえていたはずの音すらも消え失せた。
今まさに、諸星は
彼の全神経、全細胞が疼木祝という少女を注視している。
今の諸星は祝の吐息すら耳で捉えられる。それほどまでの集中状態に達している。
(さぁ、来い)
両者の間合いまであと三歩。
祝が大鎌を一旋、二旋させ肩に担ぐ。
(来いッ)
諸星の世界がスローモーションに変わる。
祝の一歩が長い。額から頰を伝い、顎から汗が滴り落ちた。
だがそれが地面に落ちる前に祝との間合いが二歩に狭まる。
(来いッッッッッッ!!!!)
そして汗の粒が地面に叩きつけられ。
間合いが一歩に縮まり。
全ての動きが緩慢となった世界で。
諸星は確かにその言葉を聞いたのだった。
「たとえ神の如き目を持っていようとも、“視えない”所からの攻撃は防ぎようがない。――至言ですね、これは」
そして――ゼロ。
その瞬間、諸星の脳は全身へと指令を送っていた。
地面から足首、膝関節、股関節、腰椎、肩、そして腕へと運動エネルギーを送り出し、最速にして必殺の一刺を繰り出さんとシナプスが弾け飛ぶ。
諸星は確信していた。この一刺はこれまでのどの刺突をも超えた極限の一撃になると。これならば祝が裏技とやらを繰り出す間すら与えず、彼女の心臓を穿つことができると。
最速にして最短。敵の身動きさえ許さぬ高速の一撃。
それ即ち、“神速”。
この局面に至り、諸星は真にその領域を繰り出す資格を得ていた。
気力と魔力が極限まで研ぎ澄まされ、集中力は超人の域にまで高められ、それを諸星の勝利に対する執念が追い風をかけている。
この一撃は、たとえ同じく武術の達人である《無冠の剣王》でも、世界最高の潜在能力を持つ《紅蓮の皇女》であろうとも、それこそ祝という兇刃であっても防ぐことは疎か、躱すことすら叶わなかっただろう。
否、その神速の槍を前にして対処が可能な人間がこの世に何人いることだろうか。その存在は、それこそ《魔人》と呼ばれる領域の人間たちの中でも一握りであろうことは想像に難くなかった。
だが、それには一つ。
たった一つだけ致命的な前提があった。
――たとえ研ぎ澄まされた能力があっても。
――たとえ極限の集中力があっても。
――たとえ、道理を覆すだけの執念があったとしても。
「実際に出せなければ無意味ですよねぇ」
あるいは諸星が“ゾーン”の領域に到達していなければ、
しかし全神経を
矢を放つ間際の引き絞った鉉を断ち切られたかのように。
必殺の刺突を放たんとしていた諸星は、気が付けば地面に膝をついていた。
「…………あ?」
カランという乾いた音とともに、《虎王》が地面に滑り落ちる。
その黄槍はカラカラと地面を転がりながら、やがて罅割れたように亀裂を走らせ、そして虚空へと魔力となって散っていった。
「…………は?」
理解が追いつかない。
まるで時が飛んでしまったかのように。
何が起きた。
呆然とそう思わず呟こうと口を開き――自然と喉奥から何かがせり上がってくる。その激流に耐えきれず、諸星は思わず口元からそれを吐き出した。
「……かっは」
赤い“ナニカ”が口元から溢れ出る。
血だ。
吐き出した全てが血だった。次々と喉奥から溢れる血に諸星は思わず咽せ返り――そこでようやく胸元から襲いくる激痛に気が付いたのだった。
「あ、が、ああああぁぁぁぁあああああッッッ」
諸星の絶叫に引き摺られるように、胸元から、そして背中からも血が噴き出す。
それは鈍色の刃だった。
「っっあああああぁぁぁぁぁ……」
膝をついていた諸星が、力なく地面へと崩れ落ちる。
心臓を貫かれた諸星に、最早再び立ち上がるだけの力は残されていなかった。
それでも最後までその視線は祝から外すことはない。それだけは、たとえ敗北しようとも捨てられない、決して譲れない諸星の意地だった。
そしてその視線の先で、諸星は信じがたい光景を目にすることとなる。
「な……ぁ⁉︎」
胸元から突き出る鈍色の曲刃。
血に塗れ、砕け散った心臓の欠片を装飾として纏おうとも、それを他ならぬ諸星が見紛うはずがない。
それは自分が恋い焦がれ、また憧れ目指した少女がこの世で最も信頼する武器の刃なのだから。
つまりこの胸を貫く刃は、間違いなく祝の《三日月》だ。
どんな絡繰があるのかは知らないが背後から諸星の背を祝は貫いたに違いないと、咄嗟に諸星は考えていた。
そのはずなのに……
祝が未だ手にしている武器――それも間違いなく《三日月》であった。
刃紋も、浅く描かれた反り具合も、何より何度も刃を合わせたことで知ったその重さも。その全てがその存在を物語っている。
だが、それは決してあり得てはならない。
なぜなら、《三日月》は未だ諸星の心臓を貫いているのだから。
霊装は一人につき一種類、一つが原則。稀にアリスのように複数の形で顕現する場合もあるが、祝がそうだなどと諸星は聞いたこともないし、またこのような重量系の武器で複数型の霊装など見たことすらなかった。
故にあり得ないはずなのだ。彼女の手に収まっているはずの霊装が、こうして自分の胸を貫き続けていることなど。
だがこれではまるで、《三日月》が
「……な……な、んで……?」
倒れ伏した身体からさらに力が抜ける。
悠然と歩み寄ってくる祝に、諸星は呆然と呟く。
意味がわからない。
呆然とする諸星に、祝は《三日月》を振り上げながらニコリと笑った。
「一体いつから――――
無情に言い放たれた言葉。
その言葉の理解が追いつく時間すら祝は許さず――振り下ろされた《三日月》の曲刃が諸星の頭蓋を断ち割った。