三度目の夜に。   作:晴貴

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12話

 

「なあ、アンタたちほんとにどうしたんよ?」

 

 自習の授業が始まってしばらく、課題のプリントを半分以上消化したところで、サヤちんが小声でそう聞いてきた。どうした、というのは、まあ私と瀧くんが最近あまりにもよそよそしいことについてだ。

 理由は単純で、我ながらデレデレしすぎだって思うくらい瀧くんに甘えて、あられもない姿を晒しちゃったせいでちょっと羞恥心が大変なことになってるってだけなんだけど。傍目からするとケンカでもしているように見えるらしい。

 

 それはどうでもいいけど、瀧くんにエッチな子だって思われたかもしれないのが気がかりだった。入れ替わりのたびに私の胸を揉んでたみたいだし瀧くんも瀧くんでエッチだ。私の体に対してそういう興味を向けていたんだから嫌われたりはしないと思うけど……。

 だいたいあの雰囲気で思い留まる瀧くんが悪いんだ。あのまま手を出してくれていたらあんな風に私から誘う必要なんてなかったのに!しかも結局邪魔が入っちゃうし。

 まったくもう、私の覚悟を返してよね!

 

「どうもせんよ。ケンカしてるわけでもないし」

 

「その割には距離取ってない?立花君なんか、今日学校にも来てへんし」

 

「午前中の内には来るってさ」

 

 瀧くんは今日もまた町役場で避難訓練の実現させるために動いている。望み薄だって言っていたけど、ダメでもその行動が後々それが効いてくるかもしれない、ということらしい。

 あんまり頼りにならない言い方ではあるけれど、瀧くんがそう言うなら私は信じてる。そして私は私にできることをやるしかない。

 サヤちんとそんなやり取りをしていると、いつもの陰口が聞こえ始める。

 

 ――町長と土建屋は、その子も癒着しとるもんやと思ったけどな。

 ――親の言いつけなんやないの?それが嫌で立花と、とか?

 ――あの二人、いかにも訳ありって感じやったしね。

 

 松本たちの陰口にはいい加減慣れたものだ。同級生=クラスメイトみたいな等式が成り立つこんな狭い町だから当たり前といえばそうなんだけど。

 でもそこに瀧くんの名前が出るだけで、お腹の底から湧いてくる不快感を抑えるのに苦労する。私や父のことなら好き勝手に言えばいい。けど瀧くんのことを松本たちの口から語ってほしくない。

 

 ――でも最近、立花そっけなくない?宮水もうあきられたんかもよ。

 ――そもそもなんで立花は宮水に熱心やったわけ?お金でも渡したんちゃう?

 ――町長は町に、その娘は男に金をまくってか。さすがの血筋やな。

 

 ああ、今日のは一段とひどいな。温和なテッシーのこめかみもひくついているし、サヤちんはなぜか泣きそうになっている。それ以外のクラスメイトは聞いていないフリに務めているのか、手元のプリントに集中しようとしていた。

 そうやって意図してとにかく冷静に、俯瞰して状況を見ようとする。それは陰口を言われている自分自身の姿を含めてだ。

 

 でも、できなかった。陰口に耐えられなくなったとかではなく、視界の端にとらえた人影が誰のものか気付いてしまったから。

 教室の入り口に、瀧くんがいた。そして松本たちの会話をバッチリ聞いてしまっていた。

 なんでそれがわかるのかといえば、瀧くんの目がゾッとするほど冷たいものになっていたからだ。静かな怒りの炎を燃やしているようにしか見えない。

 

 瀧くんは気が強い。奥寺先輩が言うには弱いのにケンカっ早い。

 入れ替わったとき、どこでこしらえてきた傷なのか頬に大きな絆創膏を貼りつけていたこともあった。

 そんな瀧くんが次にどんなアクションを起こすか、簡単に想像できる。というか私の体に入っていたときに松本たちの陰口に我慢ならず机を蹴り倒して花瓶を割った張本人だし。

 

 止めるにはもう遅すぎた。瀧くんはすでに行動を起こしている。右足が軽く後ろに引かれているのが見えた。

 取った行動はなんのことはない。瀧くんは入り口横に置いてあるプラスチック製の、高さ一メートルはあろうかというゴミ箱を蹴りつけた。

 蹴り倒す、なんて表現で収まるほど生易しいものじゃなかった。例えるなら空手家のローキックみたいな感じに。

 

 ためらいのない蹴りによって、ドカ!だか、バキン!だか。とにかく鈍い破壊音が最初に聞こえた。

 そして軽く宙に浮かんだゴミ箱は、再び教室の床に落下すると、蹴られた勢いで横倒しのまま滑り、狙ったように前から二列目にある松本の席にゴカン!みたいな音を立てて激突した。

 

 松本も、いっしょに陰口を叩いていた二人も、それ以外のクラスメイトもみんな短く小さな悲鳴を上げた。テッシーやサヤちんも驚愕して表情筋を引きつらせている。

 まあ転校生であるところの瀧くんがいきなりこんな暴挙に出たんだから無理もない。

 

 そんな凍りついた教室の空気なんて瀧くんはまるで意に介さず、完全にビビっている松本に歩みよる。

 そして横倒しになっているゴミ箱に、踏み潰すくらいの勢いで右足を振り下ろす。壊れはしなかったが、決して頑丈とは言えないプラスチックのゴミ箱からはまた不穏な音が響いた。

 

「わりい。足が滑って倒しちまった」

 

 松本を見下しながら、底冷えするような声で、どの口が、と言いたくなるようなセリフを瀧くんは吐く。けど今この教室に、そんな茶々を入れられる人間は存在しなかった。

 

「でさ、俺と三葉の名前が聞こえた気がしたんだけど、それは俺の気のせいか?」

 

「いや、その……」

 

 松本は完全に委縮してしどろもどろだ。あとの二人も瀧くんから逃れようと視線をうつむかせている。

 いつの日か松本たちが痛い目を見ればちょっとくらい気分がスッとするかもと思っていたのに、いざその場面を目の当たりにすると瀧くんの怒りがすさまじくて逆に心配になってきたんだけど……。

 

 もう、止めよう。そう思った私より早く、授業の終了を告げるチャイムが鳴った。松本には福音に等しく聞こえたかもしれない。

 それで興が覚めたのか、瀧くんは松本のことなどどうでもよくなったかのように、廊下のロッカーから箒とちり取りを持ってくると自分が蹴り飛ばしたことで散乱してしまったゴミをはき始める。

 バイト先で毎日掃除をしていただけあってさすがに手際がいい。……じゃなくって!

 

 私も同じように掃除を手伝いつつ、クラスの様子をうかがう。その反応は逃げるように教室から出ていくか、動けないで席に座ったままかのどちらかだった。

 瀧くんがあそこまで怒ったのは私とのことがあるからだと思う。それは正直にって嬉しい。それだけ大切に想ってくれているんだって感じられるから。

 でもこれで瀧くんが怖い人だとか不良だとか勘違いされるのは嫌だった。当の瀧くんは何食わぬ顔でそのあとも授業を受けてたけど。

 

 これだけでもこんなド田舎の高校じゃ一大事件になる。でも、今回はそれだけじゃ終わらなかった。

 瀧くんのゴミ箱蹴っ飛ばし事件の翌日、その放課後。

 私が家で夕飯の支度をしていたところに、なんと松本たちが訪ねてきたのだ。そして三人は家から出てきた私の顔を見るなりいきなり頭を下げた。

 

「宮水、すまんかった」

 

 松本が開口一番そんな謝罪を述べた。

 両サイドの二人も「ごめんなさい」と口をそろえる。

 

「ちょ、ちょっと、いきなりすぎて事態が理解できないんやけど……」

 

「……今までのことや。これで全部許してくれとは言わんしそんなこと言うつもりもない。だからこれはせめて昨日の分の謝罪や」

 

「別に嫌味で言うわけじゃないけど今さらやない?」

 

 そう、松本たちの陰口なんて今さらだ。それとも瀧くんの怒りが彼らに変化をもたらしたのかもしれない。かなり迫力あったしね。

 

「昨日の放課後、俺らんところに立花が来たんや」

 

「瀧くんが?」

 

「そうや。それで、俺らは立花に謝られた。『やりすぎて悪かった』ってな」

 

「だから私にも謝りに……」

 

「それもある。けどそれだけが理由やない」

 

 そこでようやく松本たちが顔を上げた。全員、とてもばつが悪そうな表情をしている。

 

「立花が言うたんや。『三葉は誰に言われるまでもなく神社の巫女や町長の娘っていう自分の立場に悩んで、苦しんでる。それでも三葉は自分なりに乗り越えようとしてるから、アイツを傷付けることはやめてほしい』ってな」

 

「瀧くん……」

 

 心の中が温かくなる。

 瀧くんの私に対する優しさ、私を理解してくれている喜び。そういうもので私の胸は一杯になる。

 

「あんなにマジで怒られたのって初めてで、うちらがやってきたのってそれだけひどいことなんやなって、やっと実感したっていうか……」

 

「それなのにあんなに怒ってた立花に謝られて、急に自分が情けなく思えてきたんやよ……」

 

 黙っていた二人もそう口にする。

 腹いせの報復に来たと言われた方がまだ受け入れやすいくらいには衝撃的な展開だけど、どうやら三人は本気で私に謝罪しているらしい。

 

「……なら約束して。それを守ってくれれば今までのことも含めて全部水に流すから」

 

「……ええんか?」

 

「約束を守れば、やよ?一つはテッシーとサヤちんにも同じように謝ってくること。サヤちんにはいつも何も言ってないけど、あの中じゃ一番繊細でつらい思いしとる」

 

「わかった」

 

「あと一つは、何があっても瀧くんの陰口はやめて。今度は私が三人を怒らないといけなくなるから」

 

「……ああ。肝に銘じておく」

 

 松本の言葉に二人も頷いている。なら、これで大丈夫かな?

 その日の夜、テッシーとサヤちんから立て続けに電話が入った。内容はどっちも同じで「松本たちが謝りに来た!」だった。結果から言うと二人も松本たちのことは許すことにしたらしい。

 一番の理由は私が許したんだから、自分たちが許さないとは言えない、とのこと。まあそれで丸く収まるのなら悪いことではないと思う。

 テッシーもサヤちんも優しいから、私のことがなくても最終的には許しただろうし。

 

 そんな形で予想外の一件落着を見せた瀧くんのゴミ箱蹴っ飛ばし事件。

 これを契機に変わったことがある。

 まず一つは、瀧くんの呼び名だ。一部を除いたクラスメイトのほとんどから「立花さん」と敬称をつけて呼ばれることになった。本人は微妙な顔をしていたけど、そうしたいくらいの迫力は確かにあったと私も思う。

 

 そしてもう一つは――

 

「なあ三葉、お前くっつきすぎだろ」

 

「えー、そうかなー?」

 

「ほとんど腕組んでるみたいじゃねぇか。いくら周りに人がいないっつってもこれは……」

 

「じゃあ早く瀧くん家にいこ?」

 

「……スマフォの電源は切っとけよ」

 

「もう切ってるもん……瀧くんのエッチ」

 

「それここで言うか?もうお互い様だろ正直」

 

「……そうかもね」

 

 もう一つは。

 私と瀧くんの関係が、また一歩進んだものになった、ということだ。

 

 




松本と一緒にいる女子生徒二人の名前はなんて言うんだろう?

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