三度目の夜に。   作:晴貴

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13話

 

 糸守に引っ越して一ヵ月。五月に入り、気温も少しずつ高くなりはじめた頃。

 ゴールデンウィークを目前に控え、宮水家の居間で三葉と並んで明日提出する課題に取りかかっていると、その横でお茶をすすっていた婆ちゃんがふと俺に声をかけてきた。

 

「そういえば、瀧」

 

「どうかした?婆ちゃん」

 

「アンタ、今度の連休はどうするね。東京の実家に顔は出すんか?」

 

「まあ帰って一泊くらいはしようかなって思ってるけど」

 

 父さんには無茶言って転校させてもらったしな。近況の報告も兼ねて帰ろうかなとは思っていた。

 あと司たちにも会っておきたくはある。

 

「ほうか。三葉、よければ連れて行ってもらったらどうや?」

 

「ええっ!?」

 

 俺のとなりに座っていた三葉がすっとんきょうな声を上げた。

 

「なに言うとんのお祖母ちゃん!」

 

「なにって、せっかくやし瀧の家族にあいさつしてきたらええやろ」

 

「そんな、いきなり言われても……」

 

 三葉があせって挙動不審になりながら俺の方をチラチラと見てくる。

 まあ俺としては父さんに三葉を紹介するのは構わないんだけど。

 

「あー……くるか?」

 

「……い、いいの?」

 

 上目遣いの三葉が戸惑いがちにそう聞いてきた。

 

「ああ。彼女だって紹介したいし」

 

 三葉は俺が転校させてくれって頼んだ一番の理由だからな。それを父さんに教えることはできないけど、人生初の彼女ができたってことは報告しておくのが筋だろう。

 

「それなら……行きたい」

 

 三葉はもじもじしながらそう言った。

 こうしてゴールデンウィークに三葉を連れて東京に行くことになった。あとで父さんに連絡しておくか。

 そんな俺たちを見守る婆ちゃんの視線は終始温かかった。

 

 それから三日後。鈍行電車や新幹線を乗り継いで、俺と三葉の姿は東京にあった。

 まるで懐かしくもない光景だ。むしろ糸守で一ヵ月暮らしたせいで人の多さや空気の味にすこしだけ違和感を覚える。これが俺にとっては当たり前だったんだけどな。

 

「久しぶりの東京やー」

 

 三葉が楽しそうに笑う。

 東京の空気にあてられたのか、さっきまでは信じられないくらい緊張していたのがうそのようだ。

 

「いや、久しぶりって三葉も一ヵ月前まで東京で社会人やってただろ」

 

「そうやけど、高校生の私としては久しぶりやもん」

 

 そういうことか。三葉の言いたいことはわからないでもない。

 俺も大人のときに糸守へ行くのと高校生のときに行くのではまるで意味が違う。三葉との入れ替わりがあった、この高校生という瞬間だから特別なものがある。

 そもそも俺が大人になってから糸守に行くのって不可能だしな。

 本当なら送れなかった、でも送ってみたかった三葉との高校生活。何の因果かそれが実現している今は、やっぱり俺と三葉にとって奇跡としか言いようのない出来事なのだ。

 

「まあそれはさて置き。まずは家に行くぞ」

 

「い、いきなり瀧くんのお父さんにあいさつするん?」

 

 三葉が再び顔を真っ青にして表情をこわばらせる。

 こいつは何にそんなビビってるんだか。

 

「それが一番の目的だしな」

 

「まだ心の準備が……」

 

「あと十分でしろ」

 

 四ツ谷駅から十分も歩けば俺が住んでいたマンションに到着する。うろたえる三葉の手を引いて歩き出した。

 そして容赦なく玄関の前まで引っ張ってくる。

 ガチャン。

 

「ただいま」

 

 インターフォンを鳴らすこともなく玄関を開けた。カチコチに緊張しているせいで三葉の「お、おじゃまします」という声はかなり小さい。多分父さんには聞こえていない。

 まあ三葉を連れてくるのは伝えてあるし、その証拠に玄関からリビングに続く狭い廊下が小奇麗になっている。積み重なった雑誌類や段ボール(中身入り)なんかが姿形もなくなっている。

 一昨日の俺の電話が来てから片付けたな。俺が帰省するだけならそこまでやらないし。

 ものすごくそわそわしている三葉を引きつれてリビングへ。

 

「お帰り、瀧」

 

「ああ、ただいま」

 

「それでそちらがお前の……」

 

「彼女。名前は宮水三葉」

 

「は、初めまして!み、宮水三葉といいます!十七……じゃなくって、十六歳です!岐阜からきました!」

 

 なんか自己紹介下手じゃねぇか?

 

「瀧の父の和彦です。快適とは言えないかもしれないがゆっくりしていくといい」

 

「ありがとうございますっ」

 

 三葉が直角に腰を折ってお礼を言う。俺も父さんも苦笑いだ。

 かなりアガってるようなのでひとまず俺の部屋に押し込んで落ち着かせる。

 

「っはあぁぁぁ~……緊張した……」

 

 荷物を置くと、三葉は大きく息を吐き出し、心臓の辺りを押さえながら脱力したようにずるずると崩れ落ちた。人生の基本のはずのスカートが乱れてるぞ。

 ちなみに父さんは三葉の状態を気遣ってか「昼までには戻る」と言い残してさっき出かけて行ってしまった。今の内に平静を取り戻させないとな。

 

「ただあいさつするだけでそんなに緊張するか?」

 

「するよ!第一印象は大切なんやから!」

 

「だとしたらテンパってる印象しか与えてないけど」

 

「言わんといて……」

 

 わかりやすく落ち込んでいる三葉。

 だからスカート!その格好で体育座りするな、見えそうで見えないのが余計気になる。

 いや、むしろこの体勢でも見えないんだから、それだけ基本をマスターしているという見方もできるのか?

 

「……ねえ、私、瀧くんのお父さんに変な子だって思われとらん?」

 

「思われてねぇよ」

 

「瀧くんに似合わんとか……」

 

「言われないって。お前ってそこまでネガティブだったっけ?」

 

 ポジティブとまでは言わないけど、ここまで後ろ向きなことを言うのもめずらしい。

 とにかく落ち着かせようと、頭をワシワシとなでつける。なんか子どもをあやしてるような気分になってくるな。

 

「ネガティブっていうか、瀧くんのお嫁さんに相応しくないって思われたらどうしようって思うと不安で……」

 

「……ん?」

 

「私ふつつか者やし、言葉はなまってるし、巫女やし……」

 

「それうしろ二つ関係ないだろ。というか三葉、お前今日俺と結婚すること認めてもらうつもりで来たのか?」

 

「そこまでとは言わんけど、け、結婚を前提としたお付き合いをしていますって……」

 

「……それでそんなに緊張してたわけ?」

 

「うん」

 

 どんよりとした表情には「失敗した」と書いてあるようだった。

 俺も婆ちゃんも、付き合っていることを報告するつもりであいさつを、っていう話をしていた。それが三葉の中では結婚のあいさつに近いものへとすり替わっていたらしい。

 いやまあ俺も宮水家ではいきなりプロポーズ未遂やらかしたし、三葉の精神年齢を考えれば結婚というものを普通の女子高生より強く意識するのも当然と言えばそうなんだけど。

 

 ああ、もう。俺と結ばれることをそこまで大切に、真剣に、本気で想ってくれているのがたまらなく嬉しい。コイツのそんなところがいじらしくて、可愛く感じてしまう俺もどうしようもない。こんなんじゃ三葉のことをどうこう言えやしないだろう。

 今すぐ父さんの元に行って「三葉と結婚するから」って宣言したい気分になる。

 

 ……ダメだ、俺も落ち着け。

 無理言って転校した挙句、ひと月で作ってきた彼女を連れてきていきなり結婚したいなんて言い出すとか常軌を逸してる行動だ。そのせいで結婚なんて言語道断だと言われるかもしれない。

 だいたい三葉はともかく男の俺はまだ結婚できないし。ここはそう諭すのが俺の役目だろう。

 

「なあ三葉」

 

「なに?」

 

「“立花三葉”と“宮水瀧”ならどっちがいい?」

 

 全然諭せてなかった。むしろ俺までダメになりかけている。

 それほどまでに宮水三葉という存在は俺の心をかき乱す。

 三葉は俺の質問に答える前に、自分の方から強く抱きついてきた。その勢いに押し倒されそうになったのをなんとかこらえる。

 三葉は俺の胸に顔をうずめたまま言葉をもらした。

 

「“立花”。ぜったいに“立花三葉”がいい。これまで瀧くんが生きてきた名前といっしょになりたい……」

 

 名前も、人生も、いっしょに。俺も三葉も、互いにそう思っている。強く、望んでいる。

 心の底で繋がっているような感覚に、幸福感や充足感すら感じてしまう。しかしそれでいてなお、俺たちはお互いの存在を求めていた。

 今度は俺の方から強く抱きすくめる。三葉がすこしだけ苦しそうに、けれど甘い声を出す。

 

「……瀧くん」

 

「三葉……」

 

「ダメ……止まれなくなっちゃう」

 

 三葉はそう言うが、しかし体では言葉ほどの拒否を示さない。むしろ声色の甘さは濃くなっていく。

 

「このまま、抱きしめるだけだから」

 

「そんなことばっかり言って。あ、ほらもう……どこさわっとんの?」

 

「腰だろ」

 

「それより位置がちょっと下のような気がするんやけど」

 

 俺は右手で三葉の体をなで回して、その柔らかさやぬくもりを堪能する。対して、しばらくされるがままになっていた三葉も、突然俺の首筋に軽く吸いつくようなキスをしてきた。とろけた表情で、何度も何度もくりかえし。そんなキスとキスの合間に、三葉の舌が首筋を這う。

 ザラザラした舌とぬるっとした唾液の感触に背筋がゾクゾクと震え、体中が粟立つ。

 

「三葉、それはちょっとまずいって……」

 

 反応しちゃうっての。

 

「先にはじめたのは瀧くんやもん。一応、声を出すのは我慢してね?」

 

 しかし俺の抗議は受け入れられず。

 何かしらのスイッチが入ってしまった三葉は、そう言って妖しく笑うのだった。

 

 


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