三度目の夜に。   作:晴貴

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16話

 

「瀧くん、なんか疲れてない?」

 

 眠りから完全に覚めた三葉は、身支度をする俺に向けてそう言った。

 疲れているように見えたのなら、それはもう間違いなく朝の一件のせいである。夜、父さんと顔を合わせるのが気まずい。何を言われるのだろうか。

 そんな素直な心境を語るということは、三葉の取った行動も説明しなければならないということだ。

 寝ぼけていたとはいえあられもない格好で俺の布団に忍び込んだ挙句、俺に押し倒されている(ように見える)瞬間を俺の父親に目撃されたと知ったらこいつはどうなるだろうか。いい印象を残したがためにあいさつ一つであんなに緊張していた三葉のことである。羞恥心で卒倒するくらいはしかねない。

 ……世の中には知らない方がいいことがある、という好例だ。

 

「慣れない東京の空気を吸ったせいかもな」

 

「だとしたら糸守に馴染みすぎ」

 

「向こうには実家みたいな安心感があるんだよ」

 

 不思議なことにそうなのだ。

 生まれも育ちも東京で故郷というものを持たない俺にとって、絵に描いたような田舎町である糸守の地は、日本人の郷愁を強く刺激してくる。仮に彗星災害さえ起らなければ年に数回は帰省したいくらいには気に入っているのだ。

 恐らく五年前に訪れていたという記憶も関係しているんだろう。あの町が無くなってしまうと考えるのは、正直なところかなり胸が締め付けられる。

 まあ口にしたところでどうにかなる問題でもないから言葉にはしないけど。三葉も同じように考えているんじゃないかと思う。

 

「そう言えば瀧くんって入れ替わりのときも結構生活自体は楽しんでたよね」

 

「それお前が言う?」

 

「私は元々東京生活に憧れてたんやもん」

 

「カフェ行ってケーキ食ってただけじゃねぇか」

 

「瀧くんがバイト入れすぎてたから遊びに行く時間がなかったの!」

 

「お前が無駄遣いしてたおかげでな!」

 

 ギャーギャーと騒がしく言い争いながら、同時に懐かしさも感じる。あのときはスマフォのメモ機能を通したやり取りだったけど、実際に口に出して口論するというのは新鮮だった。

 そしてうまいこと話は逸れた。

 

「ってこんなことしてないでさっさと出かけるぞ」

 

「え、もうそんな時間?」

 

 時計を見れば午前十時の少し手前である。今日は三葉たっての希望で東京デートに洒落込む予定だ。

 ……ごめん、ちょっとだけ嘘ついた。俺も内心すげー楽しみにしてました。

 

 さっきも言っていたように、入れ替わっていた当時の三葉はあまり東京を見て回る余裕がなかった。観光と呼べるほど大層なものではないが、まあウィンドウショッピングでもしてみよう、ということだ。

 いくつか三葉が気に入りそうなところもあるしな。

 

「行こ、瀧くん」

 

 玄関から出てすぐに、言い争っていたのが嘘のような笑顔で三葉が俺に手を差し出してくる。

 俺は何を言うでもなくその手を取った。

 

「ん」

 

「えへへ」

 

 照れと嬉しさが入り混じったような表情を見せる三葉。この一ヵ月の間でお互いにもっと恥ずかしいことなんて色々してきているはずなのに、手をつなぐとか、ふれる程度のキスをするとか、面と向かって「好きだ」と想いを伝えるだとか、そんな単純なことの方に俺も三葉も未だにドキドキさせられていた。

 俺としてはもうちょっとスマートにエスコートしたいのに、その道はなかなか険しい。

 

 そんなことを考えながら手をつないだままマンションを出る。四ツ谷駅から赤坂見附を経由して表参道まで出る。渋谷や原宿ほど若者の街という感じはしないが、その分どこか落ち着きがあって見て回りやすい。

 表参道というと高級なブランドショップが立ち並んでいる印象かもしれないけど、案外三葉が好きそうなカフェや、若い女性向けのショップとか雑貨店も多くあるのだ。

 

 まああくまでも知識として知っているだけで、ほとんど足を運んだことなんてないけど。

 いくつか目的地はあるが適当に歩き回っても三葉なら楽しめるだろう。俺としてはその姿を見られるだけでも足を棒にする価値はあるので、今日はこいつの好きなようにしてもらおうと思う。

 

「わあ、これ可愛い」

 

 三葉がさっそく足を止めた。ポップな感じというか、キャンディーカラーやパステル色が目につくセレクトショップだ。

 そんなお店の前で三葉が目を輝かせながら、どこか期待した眼差しを向けてくる。頭に犬耳、お尻に尻尾が見えるような気がするが幻覚だろう。

 

「気になるなら入ればいいだろ」

 

「いいの?」

 

「むしろなんでダメなんだよ」

 

 そういえばこいつ下着もこういう感じのが好きだったっけ、なんて思いながら手を引いたまま店の中に入る。

 楽し気に見て回る三葉を一歩引いて観察する。踊るような足取りとはまさにこんな感じだろう。

 しかし外見は女子高生だからこういう服装もまだ似合うけれど、中身は今年で二十六歳の三葉だ。再会したときのあの見るからにお姉さんという雰囲気の三葉にはあまりそぐわなさそうである。

 というかそもそも、俺の記憶が正しければ入れ替わり当時も寝巻はともかく私服となるとこういういかにも女の子らしい感じの物は少なかった。今の服装もその例に漏れない。

 

 たぶんだが、それも町での立場が関係していたのかもしれない。三葉は常に周囲から見られている人間だっただけにカッチリとした服装ばかりだったんだろう。自分の好みに関わらず。

 だからだろうか。楽しそうに見ている割には食指が動いていないように見えるのは。買っても着る機会ないしなぁ、とか思ってそうだな。

 

「なんか気に入ったのあったか?」

 

「うん、この組み合わせとかどう?」

 

 そう言って三葉が選んだのは胸元にリボンがあしらわれた純白のブラウスに薄い桜色のカーディガン、そしてチェック柄のミニスカートだった。女性のファッションには詳しくないけど、ガーリッシュ的とでも言えばいいのか?

 まあ三葉の普段の印象にはない格好だが、着れば似合いそうではある。

 

「いいんじゃねぇ?着てみようぜ」

 

「えー、でも……」

 

 遠慮しようとする三葉。その背中を試着室に押し込んだ。

 

「ほら、いいから」

 

「わっ!もう、わかったよ」

 

 厚手のカーテン一枚を挟んで衣擦れの音がする。それを聞きながら待つこと数分。

 試着室のカーテンが恐る恐る、という感じで開かれた。

 

「ど、どうかな……?」

 

 その姿をまじまじと見つめてから、俺は正直な感想を述べる。

 

「なんか、三葉っぽくはない格好だな」

 

「やっぱり……」

 

「でも似合ってる。か、可愛いと思うぞ」

 

 ちくしょう、ちょっと噛んだ。やっぱりそう簡単にスマートな男にはなれない。

 

「ほ、本当!?」

 

「ああ」

 

「じゃ、じゃあコレ、買おうかな……」

 

 そう言うと、三葉はショップの店員を呼ぶ。

 そして買い物を終えて店の外に出た三葉の服装は、今買ったばかりの三点セットになっていた。始めに着ていた服は店の紙袋をもらって俺が持っている。

 いきなり着替える必要あるか?とはさすがに聞かない。たぶんだけど、俺が可愛いって言ったからそうしたような気がするからだ。これで勘違いだったら恥ずかしいけど。

 

 その後は同じように三葉の気になったお店に入ってウィンドウショッピングを楽しむ。そうしてお昼近くに差し掛かったところで本日の目的地の一つであるカフェに到着した。

 

「お、ここだ」

 

「『Eggs'n Things』?あ、パンケーキのお店や!」

 

 そう、原宿・表参道エリアと言えばパンケーキの最激戦区でもある。人気上位の店が徒歩圏内に集中しまくっているのだ。

 その中でここは一番人気を誇る有名店である。それだけ人気があるのでまあまあの行列もできているが。待たずに入るには朝一で並ぶか夜に来るしかないって口コミで広がっていたけど事実らしいな。

 

「待つとすると一時間くらいかかるけどどうする?」

 

「待つよ!」

 

 即答だった。本日二回目となる犬耳と尻尾を幻視する。

 行列に並んだ三葉はずっと楽しそうに話しかけてくる。

 

「瀧くんはここに来たことあるの?」

 

「ねぇよ」

 

「えー、もったいなくない?」

 

「そりゃカフェ巡りは趣味だけど、司たちとくるには難易度がな……」

 

 パッと見で列に並んでいるのは女性かカップルだけだ。別に男だけで来店しちゃいけないなんて決まりはないだろうが、この中に男子高校生三人で混ざるのには勇気がいる。

 ……あ、そもそもアイツら今は中学生か。

 

「確かに司くんと二人できたらまた勘違いされちゃいそうだね」

 

「あれ本当に大変だったんだからな?お前が女らしく振る舞うから司とできてるって噂にまでなったし」

 

「あはは、ごめんなさい」

 

 不思議なもので、三葉とこんな下らない会話をしているだけで時間はあっという間にすぎていく。

 混み合う店内に案内されてテーブルにつく。メニューを見つめる三葉の眼差しは真剣そのものだ。早く決めないとまだ並んでるお客にも迷惑になる。

 

「まだ決まらないのか?」

 

「どっちにしようか選べなくて……」

 

 なんだ、そんなことで迷ってたのかよ。俺は呼び鈴を押した。店員がこっちにやってくる。

 

「ちょっと瀧くん!?私まだ決まってないんやけど!」

 

「どっちも頼めよ。二人で分けて食えばいいだろ」

 

「あ、ありがとう!」

 

 笑顔が眩しい。パンケーキ一つ、正確には二つだけど、それだけでえらい喜びようである。

 好きなのは知っているけどここまで傾倒する女心というのは未だにいまいちわからない、というのが正直な心境だ。

 三葉が注文したのは大量のホイップクリームが盛られたものと、イチゴやラズベリー、バナナなんかがふんだんに散りばめられたフルーティーなものだった。さっそく、といった感じで三葉がホイップクリームの方にメイプルシロップを投下する。

 

「胸焼けしそうな光景だな」

 

「この甘さがいいんよ」

 

 こんなところでもお行儀よく手を合わせ、いただきます、と呟いてから三葉はパンケーキにナイフを入れた。

 大量のホイップクリームはどうやらきめ細かく泡立てられたものらしく、見た目に反して軽くナイフが入った感触にすら感動している。それを俺に伝える前に食えばいいのに、と思わなくもない。

 切り分けて、ようやく口をつける。その瞬間に三葉の顔がさらにゆるむ。『頬が落ちる』という表現を体現しているかのようだ。

 

「おいしい……幸せ……」

 

 糸守では見せられないような顔だ。そんな三葉を眺めているのも悪くない。

 自分の小皿にフルーツの方のケーキを取り分けていると、不意に三葉の手が止まった。

 

「どうした?」

 

「あ、あの、えっとね……」

 

「ああ、こっち食べるか?」

 

「そ、そうじゃなくて……」

 

 急にもじもじとし出した。怪しい動きをするなよ。

 そう注意をしようとしたところで、三葉が一口サイズに切ったパンケーキをフォークに刺して俺の前に差し出してきた。

 ……これは、まさか。

 

「あ、あーん……」

 

 自分から行動に出た三葉の顔は真っ赤だ。視線は泳ぎまくっているし、フォークを持つ手は小刻みに震えている。ケーキが抜け落ちそうである。

 そしてそれを受ける俺はと言えば当然躊躇う。二人きりのときならいざ知らずこの衆人環視で「あーん」をされて平然と食いつく度胸はない。

 

 しかし何故かはわからないがここまでの羞恥を感じてまで三葉が行動を起こしているその想いを無下にはしたくない。だって今にも泣きそうなくらい目が潤んでるし。

 加えて周りの席の連中が「あれあれ」なんて小声でささやき合いながらこっちに注目しているこの空気。

 俺に退路はなかった。

 

 覚悟を決めて三葉の差し出したパンケーキを食べた。離れた場所から「おお」とかいう感嘆が聞こえた気がする。囃し立てられないだけまだましだと思うことにする。

 

「……おいしい?」

 

「あ、ああ……うまい」

 

 ものすごい甘ったるいけど。たぶんこれはクリームやシロップの甘さのせいだけじゃないだろう。

 ああ、周囲の視線が痛い……。

 

 




デートが長くなりそうなので二つに分けます。

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