三度目の夜に。   作:晴貴

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2話

 

 糸守町は彗星が落下したせいで跡形もなく消し飛んだ。それはもう容赦なく、いっそ笑えちゃうくらい何も残らずに。

 けれど幸いにも住民のほとんどが被害の範囲外である糸守高校の校庭に避難していたため死傷者はほとんど出なかった。それは瀧くんのおかげだ。

 本当なら私は、そして町の人たちの多くは、あの彗星災害で死ぬはずだった。けど瀧くんはそれを何とかするためにこの町を探し出し、私の身体に入ってテッシーやサヤちんと協力して住民を避難させようとした。三年という時空さえ飛び越えて駆けつけてくれた、私にとっての王子様。

 まあ最後は私もがんばって父を説得したし、四人の力を合わせたからこその結果だけどね。

 

 とはいえ町はもう人が住めるような状態じゃなかった。あらゆる建物が吹き飛んだし、そもそも地形が変わって生活するための陸地までなくなったんだからしかたない。水の上で暮らすのはさすがにない。

 そんなわけで私は県内の高校に転校することになった。非常事態ということもあっておばあちゃんと父が和解とはいかないもののお互いが歩み寄るようにはなったのはこれがきっかけだった。

 それによって久しぶりに一家四人で生活を送ることになったりもした。始めは気まずさや気恥ずかしさもあったけど、半年もした頃にはそれもあまり気にならなくなっていた。

 案外、家族というのはそういうものなのかもしれない。

 

 そんな感じで高校生活を終えた私は卒業と同時についに東京へ上京を果たす。そこで四年間キャンパスライフを満喫した。

 時たま遊びにくるテッシ―やサヤちんを見ると私も恋人を作ってみたいなとは思ったものの、そんなことを考えると決まって胸の奥がざわついた。結局自分から恋人づくりに動くことはなく、何度か告白されたりもしたけれど全部断った。

 今にして思えばそれは、忘れてはいたけど無意識で瀧くんへ想いを寄せていたからだったんだとわかる。私も一途な女よね。

 こんな健気な女の子をほっぽり出して瀧くんは何をしているのやら。

 

「……また逢いに行っちゃおうかな」

 

 ついつい願望が口をついて出る。あー、でも今の瀧くんってまだ中学二年生なのよね。

 また怪訝な顔で「誰?お前」なんて言われたら……。あ、ダメだダメだ、想像しただけで泣いちゃいそう。

 

 だけど、私は覚えている。

 瀧くんのこと。瀧くんと入れ替わって過ごした東京でのこと。そして死んだはずの私がくり返した、あの夜のこと。それに東京で再会した時のことだって。

 大切な、好きな人の記憶。目が覚めてからだいぶ経つけどそれが薄れたり、忘れそうな気配はない。

 理解不能な謎現象にみまわれている真っただ中ではあるけど、瀧くんのことを覚えている、というだけでだいぶ心が落ち着く。これさえあれば私はきっとがんばれる。

 そんな気がする。

 

 でも私がこれだけ色々なことを覚えてるんだから、もしかして瀧くんも覚えてたりしないかな?

 というか覚えてないと不公平だよね?

 口噛み酒のこととか、私のおっぱい触ったりしたこととか、瀧くんが覚えてなかったら逢った時に恥ずかしいの私だけじゃん!

 それに私を……す、好きだって言って……いや、書いてくれた、の方が正しい?ど、どちらにせよそういう気持ちは覚えていてほしいし……。

 

「おーい、みーつはー!」

 

 私が道端で悶々としていると背後から声が聞こえた。サヤちんの声だ。

 変わってないなぁ、という苦笑が浮かびかけたけど、いやいや八年前なんだから変わってなくて当たり前やし、と内心で自分に突っ込みつつ、しかし懐かしいという気持ちだけは隠しきれずに、私はつい満面の笑みで振り返った。

 

「おはよう、テッシ―、サヤちん」

 

 そんな二人は私の顔を見て硬直した。そして二人で顔突合せ小声で何事かささやき合っている。

 

「なによ?」

 

「いや、妙に明るいというか、機嫌が良さそうやな」

 

「何かいいことあったん?」

 

 いいこと?まさか!

 やっと瀧くんと再会できたと思ったらまた八年前に逆戻りだもん。二人がそんなわけを知るよしもないけど、これでいいことがあったなんて言えるはずがない。

 

「なんも!むしろ神様に一発おみまいしたいくらいやさ」

 

 こっちはそれくらい怒り心頭なのよ!

 

「巫女がそんなこと言いなや……」

 

 テッシーが呆れてるけど構うもんか。私はしょせんはんぱもんの巫女だ。

 

「今度は急に怒り出して……ストレスで情緒不安定になっとるん?」

 

「大丈夫やよ。ほら、学校いこ」

 

 そう言って私は先頭を歩く。となりにサヤちんが並んで、そのちょっと後ろをテッシーが自転車を押しながらついてくる。

 お決まりだったいつもの登校風景。

 奇妙な状況に怒りも困惑もあるけど、またこうして二人と当たり前のように顔を合わせられること、そして消えてしまった糸守で暮らせることは、ほんとならいいことに数えていいのかもしれないけど。

 

 でもあと半年もすればやっぱりこの町は消える。寝起きでスマフォを操作して『ティアマト彗星』で調べたけど、その答えは『今年十月に地球へ最接近』だった。

 たぶん、いや、きっと彗星は砕けて、この町に降り注ぐ。そうなれば糸守町は地図から消える。いやだけど、それは避けられない。何をどうやったって彗星を破壊することなんてできるとは思えない。

 そうするには自衛隊とかNASAとか、そういう人たちの力が必要だ。ど田舎の高校生が「彗星が割れるのでミサイルで粉々にしてください」なんて直訴したところで頭の中身を疑われて終わり。

 

 だから糸守町についてはあきらめるしかない。その代わりに、今度もみんなを助けるんだ。

 町が無くなっても、そこで暮らしていた人たちが生きていれば記憶に、心に町は残って、知識や思い出だけでも繋いでいける。それが「ムスビ」だ。

 そうだよね、お祖母ちゃん。

 

 学校のスピーカーからキーンコーンカーンコーンと、まるで急かす気の感じられないチャイムが流れる。予鈴だ。ゆっくりしすぎてしまった。

 

「テッシー、自転車!サヤちん、後ろに乗って!」

 

 テッシーから自転車を奪うように借りてまたがる。その後ろにサヤちんを乗せて、レッツゴー!

 

「おい、俺は!?」

 

「ダッシュ!急いで!」

 

「そりゃないやろ!」

 

 本鈴が鳴る前になんとか教室に滑り込む。私たちはちょっと余裕があったけど、テッシーの息は絶え絶えだ。お昼にジュースくらいごちそうしてあげよう。

 そんなことを考えながら担任を待っていると、教室の扉が開いた。一年生の時から引き続き担任になった先生は、手を叩いて注目を集めながらおなじみのセリフを口にする。

 

「静かにしろお前らー。二年生になって気分がゆるんどるんじゃないか?」

 

「二年生になってって、まだ一週間も経っとらんですよ先生」

 

 クラスメイトの一人がそう反論した。

 まあ日付を見れば私たちが二年生になってまだ三日目だ。それでゆるむなら最初からゆるんでるよね。顔見知りばっかりのこの町で気を抜かない方が難しいと思うけど。

 

「まったくだらしないきに。特に女子」

 

 先生が少しだけ語気を強めた。

 

「そんなんでええんか?せっかく東京から男子が転校してきたんにそんなだらけとって」

 

 その一言で一気に教室内の空気がヒートアップした。いや、それは女子だけで、男子は特に変わっていないけど。

 いつの間にか復活していたテッシーなんか、話を聞かずに『ムー』を読むことに集中してるし。

 しかし女子からは「どんな人?」「イケメンですか?」なんて質問が飛び交う。その中に混じって「そーいや先月の終わりくらいに坂上地区に越してきた人がいる言うてたなぁ」なんて田舎特有の情報網で事前に転校生の存在を察知していたような声も聞こえてくる。

 

「東京の男子やって。どんな子かな?」

 

「さあね。少なくともクラスの男子よりはスマートなんやない?」

 

「なんや思ったよりも冷静やね」

 

「私が憧れてるんは東京の男子やなくて東京やよ」

 

 そりゃそうか、とサヤちんは前に向き直る。

 まあ何よりも私には瀧くんがいるから、というのが一番の理由だ。今さらぽっと出の都会派男子にうつつを抜かすほど尻の軽い女じゃないのよ。

 そんな風に意味もなく勝ち誇っていると、先生の「入ってこい」という声に、一拍の間を空けて一人の男子が入ってきた。

 

 その横顔を見て、私の時間は止まった。転校生は「あんまりハードル上げないで下さいよ、先生」なんて言いながら右手で首の後ろをさわる。知っている。あれは彼が焦った時によくやる癖だ。

 田舎では見かけないちょっとチャラい髪も、気の強さを表しているような眉も、けど人の良さそうな大きめの瞳と声も。

 知っている。すべてが記憶にある通り、そのままだ。

 なんで嘘どうしてここにありえないでも――

 

 驚きとわからないことばかりで考えがまとまらない。現実味の薄い光景に、気が付けば息を止めていた。

 微かに唇を震わせながら、せき止められていた息といっしょに彼の名前を吐き出した。

 

「瀧、くん……?」

 

 小さな呟きだったはずの声は、一瞬の空白を縫うように進んで彼の耳に届いた。瀧くんの視線が教室窓際の最後尾、私の方へ向く。そして目と口元を優しげにふっとゆるませた。

 前の席に座ったサヤちんが「え?え?」と私と瀧くんを交互に見やる。教室のあちこちから「宮水さんの知り合い?」「親戚とか?」なんて聞こえてくる。

 

 でもそんなものはどうでもいい。目立つのがいやとか、恥ずかしいとか、そんなことを考える隙間は一ミリもない。

 私の心は全部、目の前の瀧くんのことで埋まっている。

 

 瀧くんが一段高くなっている教壇から降りて、まっすぐと私の元にくる。それにつられて私はイスを倒すような勢いで立ち上がった。

 そして少しだけ手を伸ばしさえすればふれられるくらいまで近付いた瀧くんは、笑いながら言った。

 

「やっと見つけた」

 

「瀧くん、なの……?ほんまに?本物の……瀧くん?」

 

「どんだけ疑ってんだよ」

 

 ははっと声を出して笑う瀧くん。なんで笑ってるの?私なんて、涙で瀧くんの顔、まともに見れないのに。

 だから私は手を伸ばした。瀧くんが本当に自分の前にいるんだってことを確かめるために。

 伸ばした指先は、その腕に、ふれた。さわれた。

 

「……本物や。瀧くん、瀧くんがおる……!」

 

 堪えきれずに瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれだす。何事かと教室のみんなが騒めく中、瀧くんは苦笑した。

 

「また泣いてる。お前って案外泣き虫だよな」

 

「瀧くんがいきなりくるからやろ!誰のせいでこんな……!」

 

「悪い悪い」

 

 軽い調子で手を合わせる瀧くん。

 本当に悪いと思ってるのかこの男は!

 

「ああ、それから、聞きたいことがあったんだ」

 

「……なに?」

 

 制服の袖口で涙をぐしぐしと拭って、ちゃんと瀧くんと目を合わせる。

 それはさっきまでと違う、真剣みがこもった、吸い込まれそうな瞳だった。

 瀧くんは私を真っ直ぐ見つめながら、まるで万感の想いを込めたようにその言葉を口にした。

 

 

 

 ――君の名前は、と。

 

 




この小説最大の難関は方言じゃないかと思う。

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