三度目の夜に。   作:晴貴

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5話

 

 気持ちが浮ついているというのが自分でもわかる。まるで羽でも生えたのかと思うほど体が軽い。それでいて胸の中は温かな感情で埋め尽くされている。

 これが人を好きになるということ。これが誰かを愛するということ。

 私はそれを二度目の高校生活で初めて知った。

 

 ……ダメだ、気持ちを抑えきれずに顔が勝手ににやけそうになっちゃう。

 なんとか必死にこらえているけど気が抜けるとすぐに口元がゆるむ。

 落ち着くのよ三葉。今でこそまた女子高生をやってるけど、ついこの間までは一社会人として立派にOLをやってたんだから!

 

「……お姉ちゃん、さっきから何やってるん?なんか気持ち悪いわ」

 

「んな!」

 

 妹の四葉がいきなりそんなことを言い出す。花も恥じらう乙女に向かってひどい言い草だ。

 

「なんてこと言うのよ」

 

「だってさっきからニヤニヤしたり真面目な顔したりおかしいんやもん」

 

「……顔に出てた?」

 

 出とったよ、と四葉とお祖母ちゃんの声が重なる。そんなにわかりやすかった?

 それに、とお祖母ちゃんが言葉をつづける。

 

「三葉、あんたがそんな間違いをするなんて珍しいな」

 

「え?……うわ!」

 

 手元を見れば、組紐の編み方がめちゃくちゃ……。うぅ、普段はこんなミスしないのに。

 瀧くんのせいだ、瀧くんの。……瀧くんの声、聞きたいなぁ。「三葉」って、名前を呼んでほしい。

 あとで電話かけてみようかな。今ならもう話したり逢ったり、いつでもできるんだ。そう思うと、なんか夢を見ているような気分になる。

 早く明日にならないかな。

 

「お・ね・え・ちゃ・ん!また間違っとるよ!」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「まただらしない顔でにやけとるし。不気味やわ」

 

 返す言葉もございません……。

 というかそんな顔もし瀧くんに見られたらどうしよう。恥ずかしさで気絶するかもしれない。

 

「今日はもう終いにするかの。四葉、ワシらで片しておくから居間でお茶を淹れとき」

 

「はーい!」

 

 四葉が元気よく部屋から出ていく。私は大きなため息をついてからお祖母ちゃんに謝った。

 

「ごめん、お祖母ちゃん。全然集中できとらんかった」

 

「そういう日もあるやろうし気にせんでええ。しかし三葉、あんた、好きな子でもできたんか?」

 

「ええっ!?」

 

 顔がボッと熱くなる。なんでわかったの?

 もしかしてお祖母ちゃん、人の心読めたりする系のお人だったり?

 

「顔つきが昨日までとまるで違う。恋を覚えた女子(おなご)の顔をしとるよ」

 

 組紐を片付けながら、お祖母ちゃんが楽しそうに笑う。これが年の功ってやつなのかな。

 いや、でもこれはさすがにお祖母ちゃんが特別のような気がする。

 

「……実は、好きな人っていうか、彼氏が……できたんやけど……」

 

「あれまぁ。明日はお赤飯やな」

 

「ちょっと、お祖母ちゃん!」

 

「何も照れることはありゃせん。三葉の年頃ならお付き合いするくらい普通やさ」

 

 そりゃ一般的にはそうかもしれませんけどね。限界集落に片足つっこんでるこんなど田舎じゃ異性の同年代は数少ない上に知ってる顔しかいないから、なかなかそういう感じになりにくくて恋人を作るハードルは高いのよ。

 

「……反対はしないの?」

 

「なんでワシが反対せないかんね?」

 

「私これでも宮水神社の巫女やろ。男女のお付き合いとか控えてほしいんやないかと思って」

 

 それが私にとっての不安だった。今までは彼氏を作ろうと思ったことなんてないし、お祖母ちゃんから特に言い聞かされてもいない。

 でもやっぱり巫女と言えば心身ともに清らかな女性というイメージがある。……私、体はともかく心は俗物まみれだったから今さらかもしれないけど。

 

「変なところで時代錯誤やな三葉は。そんなことしとったらこんなちいさい神社はすぐ立ち行かんようになるわ」

 

「……まあ、そうやね」

 

 ごもっともな言葉だった。

 それにあと半年もすれば宮水神社も彗星災害で消えてなくなる。立ち行かない、なんて次元の話じゃない。

 ご神体は無事だったから移設するって手段もなくはないけど。でも世知辛いことにそんなお金はないのよね。

 一瞬『巫女の口噛み酒(※生写真付き)』が脳裏をよぎる。

 何を考えているのよ私!とその考えを振り払う。瀧くんに飲まれただけでもあんなに恥ずかしかったのに、知らない人になんて恥ずかしい以前に嫌悪感が勝る。ぜったいムリ!

 

「そうや、三葉。明日あんたの彼氏連れてきないや」

 

「ちょ、なんでよ!?」

 

「三葉が好いた相手と話してみたいでな。心配せんでも“あんたに三葉はあずけられん”なんて言わん」

 

「えぇー……」

 

 お祖母ちゃん、なんか生き生きしてない?

 

 

*  *

 

 

「――というわけなんやけど……」

 

 昼休み。校庭の端っこ、糸守湖が一望できる場所で乱雑に放置された机に座り、昼飯を食っていた時のこと。

 三葉に「今日、うちに()ん?」というお誘いを受けた。事情を聞いてみればあの婆ちゃんが俺に逢いたいと言ってるらしい。

 なるほど、と思いながら俺は返事をする。

 

「行きたい」

 

「え、ほんまに?」

 

 いかにも意外という感じで三葉が目を丸くする。

 そんなに驚くことか?

 

「俺も久しぶりに婆ちゃんに逢ってみたい。あと四葉にも」

 

 俺が最後に二人に逢ったのは八年前、糸守に彗星が落ちた当日まで遡る。どっちにも別れのあいさつとかはできなかった。

 そりゃあ俺があの二人と接してきたのはぜんぶ三葉としてだからお別れを言うなんておかしいんだけどさ。

 でもだからこそ。俺が俺として、立花瀧として逢える今なら、婆ちゃんや四葉と新しい関係を築ける。それはテッシーやサヤちんとも同じだ。

 

「なんや?」

 

 俺の視線に気づいたテッシーが首を傾げる。なんでもない、と適当に誤魔化した。

 そんなわけでその日の放課後。俺の姿は三葉の家にあった。

 ガラガラと鳴る木製の引き戸。畳の匂いに、縁側から望める緑豊かな庭。東京都心ではあまり目にする機会のない、趣きのある純日本家屋。

 懐かしいな、という感情が湧き上がる。三葉と入れ替わった日数を合計しても、俺が糸守にいたのは一ヵ月かそこらだ。だけど糸守の風景には胸を締めつけられるほどの郷愁を感じる。

 その中でもやっぱりここは特別だ。

 

「はじめまして。立花瀧と言います」

 

 宮水家の居間。いつも三人が顔を合わせて飯を食べている場所で、俺はテーブルを挟んで婆ちゃんと四葉に頭を下げながらそう言った。

 はじめまして、というのが寂しくて、声が少しだけ震えたかもしれない。そんな心中を察してか、となりに座った三葉が俺にだけ聞こえるくらいの声で「瀧くん……」と呟いた。

 

「はじめまして。三葉の祖母の宮水一葉や」

 

「私は四葉!小学四年生やよ」

 

 婆ちゃんは穏やかに、四葉は子どもらしく元気にそう名乗る。

 

「今日はお招きいただいてありがとうございます」

 

 俺はまた頭を下げた。ちょっと緊張してるな。

 

「そんな他人行儀にならんでええ。三葉の彼氏ならワシにとっては孫息子みたいなものやでね」

 

「あ、あはは……」

 

 孫息子って。反応に困って苦笑する。

 そりゃ俺が三葉と結婚すればそうなるけど、さすがに高校生の身でそれは先走り過ぎだ。最低でも安定した収入、できればある程度の貯金がないと。

 ……これ、先走ってるのは俺の方か。

 

「瀧さんは……」

 

「あ、瀧でいいっす」

 

「ほうか。瀧はこの町の生まれやないね?」

 

「はい。東京から転校してきました……昨日」

 

「昨日!?」

 

 四葉が驚きの声を上げる。

 そうだよな。糸守町に越してきたのは三、四日前だけど、三葉との初対面は一応昨日ってことになってる。その日の内に彼氏彼女の関係とか、どんだけ手が早いんだよって話だ。

 女に見境のない奴とか思われたりしないだろうか。もしそうなったら非常に不本意だ。

 

「それはまたえらく急やな」

 

「えっと、一目惚れというやつで……」

 

「瀧がかい?」

 

 その質問に答える前に横目で三葉を見る。俺と三葉の関係性を素直に語ることはできないので、ここへ来る前に恋に落ちた動機だけは事前に話し合って決めておいた。

 三葉は顔を多少赤くしながら頷いた。

 

「お互いに、です」「お互いに、かな」

 

 俺は指で頬をかきながら、三葉は消え入りそうな声で、言葉が重なる。

 

「……そうか、お互いにか。ほならそれはもう運命やさ。そういう相手との出逢いは一生に一度あるかどうか。大事にしないよ」

 

 元からシワだらけの顔をさらにしわくちゃにしながら笑って、婆ちゃんがそう言ってくれた。それだけでこの人に認めてもらえたような気がして少しだけ泣きそうになる。

 

「はい。三葉との出逢いも、三葉本人も、一生大事にします」

 

 ところがそう言った途端、居間の空気が固まった。え、なになに?

 俺が困惑していると、婆ちゃんがくつくつと笑い出した。

 

「ちょ、ちょっと、瀧くん!?」

 

 となりでは三葉がかなり慌てふためいている。

 その原因がわからず俺の方こそ慌てたい思いだ。笑いおさまった婆ちゃんがさっきとはまた違う笑みを浮かべながら言った。

 

「逢ったその場で一目惚れ。二日目にはプロポーズとは今時珍しい豪気な子やさ」

 

 プロポーズ……プロポーズ!?え、俺いつの間にそんなこと言った?

 自分のセリフを思い返す。……あっ、確かに一生大事にするって……。

 

「ち、ちがっ……そういう意味じゃなくて……いや、別にその気がないわけじゃないけですけど、さすがにそれはまだ気が早いっていうか……ほら、俺まだ高校生ですし!」

 

 しどろもどろな俺はどんどん墓穴を掘っていく。

 

「瀧さん、お姉ちゃんと結婚する気あるんやってさ。行き遅れんで良かったなぁ!」

 

 四葉が大きな声でそんなことを言う。明らかに三葉をからかっていた。

 三葉と目が合う。その顔は高熱を疑いたくなるほど真っ赤だった。そして俺も、たぶん同じような顔色になっているだろう。

 気恥ずかしさに耐えられず、二人そろって無言で視線を逸らす。その先では四葉がニヤニヤしていた。

 この幼女め……。

 

 俺が立花瀧として初めて訪れた三葉の家。その始まりはずいぶんとにぎやかで、色々な意味でいつまでも忘れられないものになった。

 

 




誰か糸守弁の自動変換ツールを作ってくれませんかね。

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