三度目の夜に。   作:晴貴

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7話

 

 目を覚ますと、視界いっぱいにまだ見慣れない木目の天井が映る。どうにも天井が低く感じる……っていうか低い。身長が伸びてそう感じるんならよかったけど、単純に東京のマンションより高さがないだけだ。

 俺が糸守町で暮らしているのはこじんまりとした平屋の一軒家だ。外観からはかなり年季を感じさせるが、室内はリノベーションされているので意外と小奇麗である。元は高齢者が一人で暮らしていたそうだが施設へ移ることになって空き家となった。

 それを町で買い取って設備に手を加え、賃貸物件として売りに出していた家だ。人口流出の続く糸守町は、人口の引き留めと並行して新しい住民を迎え入れることにも力を入れているらしい。

 

 どうして家具家電付きの単身者用アパートを選ばなかったのかといえば、まずは糸守町内にそんなものがほとんどなかったからである。駅前の方にはいくつかあったがどれも高校まで遠かった。高校まで徒歩一時間って……。

 もう一つの理由としてはこの平屋の家賃が駅前のアパートと大して差がなかった、というのもある。家電やらなんやら初期投資は少しかさんだけどその程度。

 リサイクルショップで必要最低限のものをそろえるだけならバイト代の貯金でじゅうぶん事足りた。

 

 畳の上に敷いた布団から体を引きはがす。ぐーっと大きな背伸びをして、窓の外の太陽の光を薄く通している障子を開け放った。

 視界に飛び込んできたのは山脈の輪郭をぼやかす春霞の空。

 今日は暖かくなりそうだな、なんて思いながらゆったりと支度を始める。

 平日月曜の朝。当然今日も学校がある。

 しかし俺が袖を通したのは糸守高校の学ランではなく、一枚のTシャツ。おまけに下はジーンズという極めてラフな格好だ。そのまま朝食を食べ、食器や洗濯物の片づけを一通り済ませる。のんべんだらりとやっていたおかげで、それらが終わったのは時計の針が午前十時を指そうか、という時間だった。

 

 遅刻確定だが、学校には前もって遅れると連絡しておいた。三葉にも『今日は用事があるから学校に遅れる。朝はテッシーたちと行ってくれ』と伝えてある。

 時間もちょうどいい頃合いだ。その用事を済ますため、俺は薄手のジャケットを一枚羽織って家を出た。

 

 目的地は町役場。別に三葉の父親のところへ乗り込もうってわけじゃない。単にある事の確認をしにきただけだ。

『企画課』というプレートが下がっている窓口に声をかけ、担当者の人と応接用のソファーに腰かける。担当の人は関口さんという五十代くらいの男性だった。

 

「こんにちは。立花といいます」

 

「ああ、こんにちは。それで君は秋祭りの日程と進捗の状況が知りたいんやっけ?」

 

「はい、そうです」

 

「今のところ開催は例年通り十月の上旬を予定しとるやさ」

 

 関口さんが何やら書類をめくりながらそう言った。予定、ということはまだ本決まりではない。

 とはいえ例年通りというくらいなのだからそこから日を大きく動かす理由も特にはないということでもある。まあ伝統のあるお祭りだしそうだろうな。

 

「正式に決まるのはいつ頃なんですか?」

 

「そうやなぁ。遅くても来月の頭には開催日と催し物の内容はおおよそ決まるやろうね。しかしなんでそんなことを?立花君は秋祭りでイベントでもやりたいとか?」

 

「そういうわけじゃありません。ただ今年の十月四日にやりたいことがあって、そこに秋祭りが重なっていないかどうかを確認したかったんですよ」

 

「やりたいこと?」

 

「ええ、糸守町民総出の避難訓練です」

 

「……はい?」

 

 関口さんが素っとん狂な声を出す。まあいきなり高校生がやってきて、町全体を巻き込んだ大がかりな避難訓練をしたいと言い出したらそうもなるだろう。

 

「避難訓練って……なんの?」

 

「山火事を想定して、とか」

 

「……無意味なもんではないやろうけど、わざわざ秋祭り近くにやる必要はないな。しかも町民総出ともなれば費用もかなりのもんになる」

 

「やっぱりそういうのって地区ごとに分けてやったりするものですか?」

 

「もちろんやさ。小さな町とはいえ町民は千五百人。一斉に動かそうとすれば時間もお金もかかる」

 

 だよなぁ、というのが正直な感想だ。何よりも大きな問題はやはりコストだろう。社会は無駄なことに限りあるお金を浪費する余裕はないのだ。

 いきなりこの日に町民全員で避難訓練やりたいなんて頼み込んでも取り合ってもらえるわけがない。

 

「立花君はなんでこんなこと考えたんや?」

 

 十月四日に彗星が降ってきて町民の三分の一が死ぬからです……とは言えない。頭がいかれてると判断されて即追い返されることうけあいだ。

 しかし逆を言えば糸守町にも利のある提案をできれば一考の余地くらいは生まれる可能性もある。

 それらしい理由をこねくり回す。

 

「関口さんは今年の十月上旬に何があるか知ってます?」

 

「秋祭り以外でか?うーん、なにかあったかいね?」

 

「彗星ですよ。ティアマト彗星」

 

「ああ、そういえばちょくちょくニュースで聞くな」

 

「それが地球に最接近するのが十月の上旬。俺の予想では十月の四日です」

 

 予想というか確定事項だけど。あと二ヵ月もすれば各メディアでも『最接近は十月四日』と報じ始めるだろう。

 

「ほうほう。しかしそれと避難訓練は関係ないやろ?」

 

「直接は。でもその二つを関連付けることで相乗効果が得られないかなと考えています」

 

 正直なところ、町の避難訓練に真面目に参加する人間がどれだけいるか、という話だ。およそ千年間隔で隕石がやってくる以外は基本的に平和な町だ。特に若い世代は億劫にしか思わないだろう。俺だってそう感じるし。

 でも町をあげてのイベント、というくくりにしたらどうだろうか。

 

「ティアマト彗星の接近はおよそ千二百年ぶり。間違いなく世紀の天体ショーになります。それだけ世間の……いや、世界の注目度は高くなる」

 

「そんなにすごいものなんか?」

 

「数日間にわたって肉眼で確認可能というのは本当に貴重です。最接近日となれば恐らく星が降ってくるような幻想的な光景になりますよ。それに天体観測が趣味という人は結構多くて、たとえばこれとか限定的なデータになりますけど……」

 

 そう言って俺はカバンから取り出した簡素なグラフデータが記された数枚の紙を関口さんに手渡す。

 

「これは?」

 

「天体観測用の望遠鏡や、望遠鏡に関連する備品の売り上げ数です。案外市場規模も大きくて、それに載せてるのは望遠鏡、双眼鏡、レンズ、テントくらいですがニュースで報道が開始されてからはどれも右肩上がり。もう品薄な専門店まで出てきている状態ですよ」

 

「……立花君がこのデータを?」

 

「データと呼べるほどのもんじゃないですけどね」

 

「いやいや、高校生でこれだけのもんを作れるとは驚きや」

 

 そりゃなりたてほやほやとはいえ中身は社会人だからな。大学でも似たようなことをやる機会はあったし。それでもプレゼン能力は関口さんを始め、長年こういう仕事を続けてきた人たちには遠く及ばないだろう。

 ありがとうございます、と褒め言葉は素直に受け取っておく。

 

「で、まあこれだけ注目度の高い天体現象です。避難訓練後に町民全員で星空を眺めるのもイベントとしては一興じゃないかと思うんです。避難訓練の参加率も上がるでしょうし」

 

「なるほどな。君の考えや本気度はようわかったわ。けどそれをやるなら秋祭りでもじゅうぶんやろ?わざわざ避難訓練と関連付ける意味はなんや」

 

 そこが問題だ。関口さんの言う通り、その二つを関連付ける必要性はない。言ってしまえば天体観測だってどうでもいいんだから。

 ただ十月四日に糸守町の人間が全員彗星災害の範囲外にいるように仕向けるための詭弁だ。当然、説得力には欠ける。

 

「話題のティアマト彗星を、町民が全員集まって眺める。地元のキー局にそれを知らせておけば全国ニュースで取り上げてもらえるかもしれません。糸守町の星はきれいです。東京とは大違いだ。天体観測となると長野の野辺山や阿智村が有名ですけど岐阜だって負けてないと俺は思ってます。これを機に知名度を上げて糸守の夜空を観光資源にすることだって可能じゃないですか?」

 

 可能という言葉は便利だ。大抵のことは可能か不可能で言うと可能に分類される。

 確率上その可能性が残っているなら、それは可能と言って差し支えないのだ。

 

「うーん……」

 

 しかし関口さん……というか世の社会人ともなればそんなことは誰もが百も承知である。

 その後もあの手この手で口説いてみたが、結局この日は手応えのある反応は得られなかった。

 

 

*  *

 

 

 覚悟はした上での行動だったけど、それでもやっぱりショックはショックだ。

 長々と力説した疲れと落胆で身も心も重たく感じる。そんな体を引きずって俺が高校に到着した時にはもう昼休みになっていた。

 

「おお、瀧。重役出勤やな」

 

 教室へとつづく廊下で俺の姿を見つけたテッシーが、後ろから肩に腕をがっとかけてくる。これ司や高木もよくやるよな。

 高木のはたまにいてぇ。

 

「よおテッシー。三葉は?」

 

「教室にいるやろ。なんや、愛しの彼女に早く逢いたいんか?」

 

「ああ。だから早く行くぞ」

 

「……言った俺の方がはずいってどういうことやさ」

 

 知るか。その場に三葉がいないならこれくらいの弄りはなんともない。

 いたらダメだけど。

 というか昼飯買ってないんだけどどうしよう。制服に着替えるためにさっき家に戻ったんだから食ってくればよかった、と思いながら教室に入る。クラスメイトに適当にあいさつしながら自分の席、三葉の真ん前に座った。

 

「あ、瀧くん。ずいぶん遅かったね」

 

「思ったより時間がかかったんだよ。おかげで昼飯買いそびれた」

 

「おにぎりならあるよ。食べる?」

 

「三葉のじゃないのか?」

 

「ちゃうよ。ちょっと多めに作ってきちゃっただけやから」

 

「じゃあもらう」

 

「あ、あと余ったおかずも食べてええよ」

 

 三葉がカバンから小分けにされたおかずの容器を取り出す。いや、これ、余ったっていうか……。

 なんか三葉に餌付けされ始めてる気がする。まあそうは思っても空腹には勝てないから食べるんだけど。

 

「お熱いことやね」

 

「サヤちんにもテッシーいるじゃん」

 

「ええー、コレぇ?」

 

「コレとはなんや、コレとは!」

 

 この二人はちょっとつつくとすぐ言い争いを始める。ほぼ毎日やってるのによくあきねぇな。

 もしかしたらあきるとか通り越してルーチンなのかもしれない。それだけ遠慮のない仲とも言える。

 そんな二人を眺めながら、三葉に声をかけた。

 

「今日、俺んち寄ってかないか?先のことについて話しおきたいんだけど」

 

 先のこと。それだけで三葉にはじゅうぶん伝わる。

 少しだけ神妙な顔をしながら三葉は頷いた。

 

 本当ならこのまま何気ない日常を送って卒業までいきたいところだけどそうはいかない。

 この時間軸で目覚めて約半年。そろそろ彗星災害の被害を抑えるために動き出さなければいけない時期になっていた。

 

 




『君の名は。』観まくってるせいか、最近は冒頭で瀧が目覚める直前の「覚えて、ない?」だけで泣きそうになってきた。
あの三葉の声たまらなく良いです。

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