青天の霹靂   作:ぬえぬえ

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炸雷

 目の前に広がるのは白い靄のような空間。

 

 上に目を向けると、少し離れたところに大小様々なバルブやメーターが付いた巨大な鉄の塊。そしてそこから延びる様々な太さのパイプが部屋中を覆いつくさんばかりに張り巡らされ、天井や壁、床に繋がっていた。しかし、その殆どのパイプは殴られたように凹んでおり、凹んだ場所、またはその近くに出来た隙間から白や黒の蒸気が勢いよく吹き出ている。

 

 

 『機関室』―――――それを見た時、そんな言葉が頭に浮かんだ。

 

 

 鼓膜を叩くのはけたたましくなるアラーム音。そして、遠くの方から聞こえる砲撃音に発砲音、無数に響く足音、飛び交う怒号、幾重にも上がる悲鳴。感じるのは重油でも溜まったような頭の重さ、徐々に遠退いていく手足の感覚、そして腹の底にまで響き渡る衝撃だ。それは同時に足元をも揺さぶった。

 

 

 それにつられて足元に目を向ける。ダラリと床に垂れる手足、そして脇腹に深々と突き刺さった鉄片、そこから湧き水のように迸る真っ赤な液体――――血とそれで出来たであろう大きな血だまり。自らの身体から流れるそれを見た瞬間喉の奥から込み上げるものがあり、それを吐き出すと胸の周りは真っ赤に染まった。

 

 

「――――!!」

 

 遠くの方で声が聞こえる。悲鳴のようなそれは途切れ途切れに聞こえ、やがて甲高い悲鳴となって消えていった。無数に聞こえていた足音は、飛び交う怒号は、幾重にも響き渡る悲鳴は徐々にその数を減らしていく。それと共に、自身の身体から力、生気が抜けていくのを感じた。

 

 

 それと同時に目の前がゆっくりと黒く染まっていく。手足の感覚は既に消え去った。口から止めどなく溢れる血を抑える力も気力も、とうの昔に尽きた。あとはもう、暗くなっていく視界に従って閉じられていく瞼を待つのみだ。

 

 唯一、感覚の残った目が半分まで閉じられた瞼からの、最期の光景を映し出す。

 

 そこに映るは、先ほどよりも遥かに膨張した鉄の塊。付いているメーターの全てが右に振り切れており、繋がっていたパイプのいくつかは外れて生き物のように床の上をのたうち回っている。その1本が激しく脚を打ち据えて大きな青痰を作っているが、感覚のない今となっては大したことではない。

 

 

 周りを鉄の塊で囲まれた最期――――――――そんな言葉を思い浮かべた瞬間、微かに口が動いた。

 

 

 

 

 

 

『死にたくねぇ』

 

 

 声にならず口だけで語られたその言葉。しかし、それを言い終わる前に目の前の鉄の塊が破裂し、強い衝撃と共に目の前が真っ白に染まった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ァ……」

 

 薄く開かれたリ級の目に映ったのは、何処か古ぼけた天井。

 

 真っ直ぐ揃えられた木の板が隙間なく並えられ、所々に茶色のシミが付いている。いまだボーっとしている頭のまま、リ級はその境目の筋を辿ってゆっくりと辺りに目を走らせた。

 

 古ぼけた天井同様これまた古ぼけた壁に表面が軽く擦り切れて変色した畳、茶色く変色した本棚には、分厚い本が押し込まれるように入っている。それがリ級を囲むように鎮座していた。

 

 更に言えばリ級は白い敷布団の上に寝そべっており、その身体には茶色の毛布が掛けられている。要するに彼女は布団で寝ているのだが、布団などを知らない彼女にとって何か柔らかいモノが乗っているな、ぐらいにしか思わないだろう。

 

 

 そんな周りの光景、そして柔らかいモノが掛けられた自身の状態に、リ級は働かない頭のまま首を傾げた。

 

 

 リ級が意識を失ったのは海の上、それも周りには島のようなものが無い大海原である。そんなところで意識を失えば、後は海の底に沈んでいくだけ。しかし、ここは海の底ではない。場所は不明ながらも、海中ではないことは確かだ。

 

 さらに言えば、彼女の艤装は最低速度で航行するだけで悲鳴と金属音を鳴らすほど大破していた。仮に意識を失ってからも艤装が動いていたとしても、あの何も見えない大海原から島に移動できるハズはない。艤装の浮力を失えば海の底に沈むのみだ。

 

 

 その時、リ級の頭に意識を失う瞬間に何者かに腕を掴まれたことを思いだした。それと同時に、意識を失う直接の原因となった脇腹の衝撃も。その二つが出た瞬間、リ級は一つの可能性を導き出した。

 

 

 

 

 ―――『鹵獲』―――

 

 

 

 

「ん……」

 

 リ級の背後から何者かの声が聞こえる。リ級は声の方を恐る恐る振り返ると、白衣を纏った一人の男が椅子に座ってモゾモゾと動いていた。

 

 男は何度か身を震わせ、間の抜けた声を上げて大きく伸び、そして大あくびを溢している。完全に油断しきっていた。

 

 その姿に、リ級はこの男が自分を鹵獲したのだと判断。そして、即座に砲門を男に向ける。しかし、彼女の目に映ったのは生き物のような歪な形をした砲身ではない。生気を感じない青白い肌に赤い斑点が浮き出た細い腕のみ。意識を失っている間にこの男によって剥がされてしまったのか。しかし、リ級にとってそんなことはどうでもよかった。

 

 

 敵か味方――――恐らく敵である目の前の男に鹵獲され、牙である砲門を剥がされた今、自身に待っている未来は一つ――――『死』しかない。

 

 

「えっと……」

 

 そんな思考を途切れさせたのは男の声。その声にリ級は反射的に男の方を向き、その目に何処か困ったような顔の男が映る。

 

 

 そして、目が合った。

 

 

 

「ッ!!!!!」

 

 

 その瞬間、リ級は自身の身体に掛けられていた毛布を男目掛けて投げつけた。突然の行動に対応できなかった男は顔面に毛布を喰らって椅子から転げ落ちる。毛布で視界を封じられた男を尻目に、リ級はドタドタと足音を立てながら廊下へと続くドア目掛けて突進。

 

 バキッと言う音と共にドアがリ級の身体ごと吹き飛び、リ級はドアを下敷きに廊下に投げ出される。その際、腕に鋭い痛みが走り、リ級は思わず腕を触った。

 

 

 すると、ネットリとした生暖かい感触。リ級が手に目を向けると、赤い血と共に細長く丸まった赤い皮膚がこびりついていた。今度は腕に向けると、先ほどの赤くなっていたところの皮膚が剥がれ、そこから血が滲んでいる。

 

 

 それを見た瞬間、リ級は命の危機を確信した。

 

 

 

 同時に、命の危機に対する『恐怖』を初めて覚えた。

  

 

 

「大丈夫か?」

 

 後ろから男の声が聞こえる。その瞬間、リ級の背筋を寒気が撫で、その恐怖心を大いに駆り立てた。

 

「ァ!!!!」

 

 獣のような声を上げて、リ級は転がる様に逃げ出した。後ろから男の声が聞こえるも、彼女は振り返らない。ただその目に恐怖を浮かべ、男の手から逃れて海に出ることだけが彼女の頭を一杯にした。

 

 

 そんな彼女の耳に聞こえたのは、微かな水の音。水、それは彼女にとって海そのもの。音の向こうには海が広がっている。その言葉が浮かんだ瞬間、彼女の足はその音の元へと走り出した。

 

 

 まるで棒で付かれたビリヤードの玉のように何度も壁に激突しながらも、ようやく音が聞こえた部屋にたどり着く。その前に着いたリ級にドアを開けると言う選択肢はなく、先ほど同様ドアにタックルすることで中に突入した。

 

「やばっ!」

 

 廊下の方から男の声が聞こえる。彼はそう言ってリ級とは反対方向に走っていったのだが、目の前に広がった光景を前にしたリ級はそれに気づくことは無い。

 

 

 

 彼女の目の前にあったのは、カビが所々生えたタイルにプラスチック製の椅子と洗面器、クリーム色のプラスチック製のヘッドが付いたシャワーと、その奥にある人ひとりが入れるほどの大きな真鍮製の浴槽。

 

 要するに浴室だ。シャワーから水が滴っているのを見るに、リ級が聞いた音はシャワーから洩れる水がタイルに落ちた音だろう。

 

 

 もし、彼女以外がそれを見れば浴室だとすぐに分かったと思う。しかし、そんなものなど知らないリ級にとっては見たこともない世界に映っただろう。彼女の目がシャワーから滴る水に釘づけなのも、シャワーが水を出すと言う情報を持っていないからだ。

 

 

 そして何よりも、部屋の向こうには海が広がっていることを想像していた彼女にとって、浴室と言う空間は予想外だった。『水がある場所に海がある』と言う、彼女にとって当たり前のことが外れたのだ。その衝撃は大きい。

 

 

「動くな!!」

 

 目の前の光景に放心していたリ級の耳に、男の怒鳴り声が聞こえる。その声にリ級は反射的に声の方を向くと、そこには大きなバケツを抱えて鬼のような形相を浮かべた男が立っている。抱えているバケツの中身は白く濁った水で満たされており、彼の抱え方からリ級にその液体を掛けようとしているのは明白であった。

 

 

 

 その光景にリ級の恐怖心が金切り声を上げ、同時に彼女は男から逃げるように浴室に飛び込んだ。がむしゃらに手を伸ばして飛び込んだため、伸ばされたリ級の手がシャワーヘッドへと繋がるホースがある蛇口に触れる。

 

 

「ばッ!?」

 

 男が叫ぶ。しかし、その声もすぐに掻き消される。

 

 

 

 

 

「ァァァァァァアアアア!!!!!!」

 

 

 男の叫びをかき消す様に、リ級の叫び声が浴室に響き渡ったからだ。その声は叫び声と言うより、断末魔に近い。そして、その断末魔と共に微かに聞こえるのはシャワーの音。リ級が伸ばした腕が偶然シャワーの蛇口を捻り、シャワーから出てきた水をリ級に降りかかっているのだ。

 

 

 しかし、リ級が海と思って求めてきたシャワーの水は、彼女に牙を剥いた。

 

 

 シャワーの水が肌に触れた瞬間、焼けるような激痛がリ級を襲い、同時に触れた肌が赤く変色して皮膚が過剰に水を吸ったようにブヨブヨになる。そこに勢いよく降り注ぐシャワーによってブヨブヨになった皮膚は剥がされ、今度は赤い皮膚にシャワーが降り注いで更なる激痛が彼女に襲い掛かった。

 

 シャワーの水は彼女が触れた蛇口を元に戻せば簡単に止まる。しかし、偶然で蛇口を捻ってしまい、何故シャワーから水が出てくるのかすら理解できていない彼女に止めることなど不可能だ。故に、彼女は痛みから逃れようともがくしかなく、それは更なる激痛を生むことになった。

 

 止めどない激痛の応酬によって、リ級は何度も意識が飛びそうになる。ここで意識を手放せば、少なくとも激痛からは逃れることが出来た。しかし、それはシャワーから逃れることを放棄することを意味し、強いては死に至るかもしれない。その考えが、リ級の恐怖心を煽り、意識を無理やり繋ぎとめていた。

 

 それは拷問を意味している。終わることのない、死ぬまで続く拷問を。

 

 

 

 

 

 しかし、それは彼女の横を白い白衣が通り過ぎたことによって終わりを告げた。

 

 

 白衣が通り過ぎたと同時にシャワーの水が止まる。突然、激痛から解放されたリ級は糸が切れた人形のように全身の力が抜けてその場に崩れる。しかし、床に倒れ伏すよりも前に何者かが彼女の身体を抱き上げた。

 

 

「酷ぇな」

 

 朦朧とする意識のリ級の耳に男の声が聞こえ、同時に彼女は白い布のようなもので身体を包まれた。皮膚が剥がれた状態の肌が布が触れると普通は激痛を伴うのだが、リ級はそれに触れても痛みを感じない。むしろ、心地よさを感じた。

 

 

 次に彼女が感じたのは、磯の香り。懐かしき、海の香りだ。その香りの元は、包まれた白い布だった。その香りを嗅いだ瞬間、彼女の身体に疲労感がのしかかった。

 

 

「水道水の薬品……いや、熱湯だったのも原因か」

 

 頭上から聞こえる男の声、同時にリ級は自分を顔を撫でられるのを感じた。意識を手放す一歩手前で、リ級は薄目を開けた。

 

 そこには先ほどの男。ボサボサだった髪は何故か綺麗にまとまっており、その先からは水が滴っている。服は先ほどの白衣とは違い、年季の入った茶色のセーターにこれまた年季の入ったベージュのパンツ。それらも所々不自然に濃く変色しており、髪同様その端から水を滴らせていた。

 

 

 そして何よりも、先ほどの鬼の形相を浮かべていたとは思えないほど優しく、そして悲しそうな表情を浮かべたのだ。

 

 

 それを見た瞬間に緊張の糸が切れたのか、リ級の意識は瞬く間に深い闇に落ちていった。

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