「貴様、なにを勝手にッ!!」
賈駆は後宮に響き渡る。
怒り心頭と云った表情で、背を向ける男に怒声を吐いていた。
男は笑うようにさも当然のように言った。
「焼き討ち虐殺だが?」
「やった事を訊いているのではないッ!! 何故焼き討つ必要があった!!」
「うーん...」
男は僅かに考え、そして言った。
「気分?」
「......はぁッ!?」
「
その男は帝、現皇帝にある少帝弁より使わされた武官であった。
各地に頻発する匪賊の横行や旱魃、疫病の終息を早める為に帝より董卓に投げてよこされた者だ。
霊帝が存命のときより王朝に仕えていたそうだが、その態度や行動は責任とは程遠い。
男とは言うがその立ち姿は女と見間違う。
正面を向いていけば男の服を着ているため男性と判るが、後ろを向いてしまえば朱い羽織のせいで女官と見間違えてしまう。
態度も行為も無茶苦茶を尽くし、薄ら笑いを浮かべた表情は不気味さを極めた。
「......っ、直感で、済ませていい話ではないだろうッ!」
「だめか?」
男は頭を捻った。
やにわに賈駆の背を冷気が伝った。
それは男の明確な圧力で、口出しをするなと云う意思表示でもあった。
見るのも不快、そういった目つきで男は賈駆に言い放つ。
「董卓の手は煩わせねえよ。こっちはこっちで好きに黄巾党を殺す。そっちの管理まで知らねぇよ」
くすくすくす。
鈴を転がすような笑い声。
楽しそうにそう言い、男は踵を返し賈駆の前より消えていった。
残された賈駆は激憤を押し込めるのに必死だった。
男が独断で滅ぼした郡は前漢の時よりその地を治めつづける善良な都であった。
だが男は、黄巾党の関与が認められると一方的な濡れ衣をかけ、市民も郡太守の一族もすべてを殺し尽くした。
部下の報告によれば、この男はあろうことか撃滅すべき黄巾党と手を組み、焼き討ったそうだ。
理由は明確ではない、ただ理解はしている。
このままあの男を野放しにしていれば董卓は暴君へ仕立て上げられる。
そうなれば各地の英雄は挙って頸を取るだろう。
いっその事暗殺を――だが、勝てるのか? 怪奇夜行の集団に。
男の従える軍は無双を誇っていた。
奴自身もそうだが、側近の二人は手に負えない。
見たこともない細身の剣を使う武官達。
諜報に措いても、よく出来た斥候も従えている。董卓の兵には猛将は居れど蛮勇を犯すものは一人としていない。質が元より違うのだ。
――武田赤音の率いる軍団は。
+ + +
雷雲の中、人馬の轟きが平原に木霊した。
先頭を奔る者の顔には焦りが濃く、長らく南方にいた事もあり衣服は露出部位が多く、血色の良い小麦色の肌は冷え切っていた。
紅色の方天戟を握る腕も震えと冷たさにより感覚が失われ、視界も霞みはじめていた。
後方に続く一団。
それは黄巾党の一派、管亥の元に集った無頼漢共であった。
「....ッ!! しつこいってのッ!!」
自分を鼓舞するように叫ぶが、状況は変わらず追われる身である。
自身の不運を呪うしかない。友人である孔融が窮地に立っていると訊き急ぎ馬を走らせるが、運悪くその敵の増援と出くわすなど誰が思おうか。
幾ら塵芥の群れとて、その数を超されれば逃げる他ない。
馬を走らせ逃げる事、おおよそ
しかし停まれば後ろの無頼漢の餌食だ。
数は大きく減っているが、自身の体調や馬の体調、足場の泥濘を考慮すれば勝ちを得ることは難しいだろう。友人も窮地にあるが、自身は崖っぷちに立たされている。
己の立場を悲観すればするほど、疲れは濁流のように押し寄せる。
孔融には大きな恩義がある。追われる身となった私に変わり病に伏せる母の面倒を見てもらった。
掛け替えのない友人の救援へ馳せ参じられない屈辱に、唇を噛み赦しを求める。
(帝釈天でも阿修羅だっていい。今だけで――)
冷雨の中、太史慈は馬を走らせ続ける。
「ッ!! ちょっと待って。もう少し頑張ってッ!!」
内股に感じる馬の痙攣、それはまさに馬が潰れる前触れであった。
次の瞬間、馬が前足より崩れ落ちた。
汚泥の中に放り出される。
受身をとり、方天戟を構えるが震えが止まらなかった。
指は何とか動くが、身体は長時間馬上に居たせいで筋肉は硬く凝り固まっていた。
馬上の揺れが消え切れておらず、今たてばふらつくだろう。
膝立ちで方天戟を構える。
雷鳴が轟き辺りを照らし上げた。
ふと気づく。隣に生える二つの足に。
――黄巾党。
背筋が極寒の冷たさとなり、震える身体でそれを見た。
暗黒が其処に聳えていた。
紺色である衣服は黒雲により同色に見えた。
腰には細身の剣が差してあり、顔は薄暗くはっきりと見えない。
稲妻が走り、それの顔を照らし出した。
「――――」
悪鬼。
いや、幽鬼――
鬼以外形容仕様がない男がそこにいた。
薄暗さが戻り、彼に闇が掛かる。
その姿は奇怪である事が当然の言わんばかりにそこにある。
鬼は足を進めた。
「――そっちにはッ!」
太史慈は止めようと叫ぶが遅かった。
蹄の音は轟音となり目の前に現れた。瞬く間に距離を縮める。
だが心配は無意味であった。
無頼漢の直刀が彼の頭上へ振り下ろされる瞬間、冷雨を越える冷たさが奔る。
左足を付いた男は腰の剣を抜き左肩に担ぎ上げた。
暗闇の中、間合いは読み取れず得物の冷たさが空気を伝い太史慈の肌を舐めた。
雷鳴が響き、男を照らし上げた。
無頼漢の直刀は彼の頭上を空振り、明後日の方向へ。
だが彼の剣はしっかりと捉えていた。
横一線に振られた剣は馬の肢を捉え、前後の足のみならず無頼漢の足諸とも切り飛ばしていた。
雷電と共に現れたこの男は、太史慈の願った神の使いなのか。
雷に照らされた彼の剣は、この世の物とは思えないほど美しかった。
雨をその刀身に滴らせた青白い白刃。雷と共にその色に染まり、天の色を吸い取っているようであった。緩い反りを描いた刃渡りは三日月のように輝き、周囲を魅了した。
醜き剣士。
美しすぎる剣。
――美醜一体。
これほど矛盾した存在が居るだろうか。居るなら彼こそが天の御使い。
優美を極める剣舞。神速の抜刀、即斬殺を体言して、醜悪を極める表情を浮かべ吼えていた。
人の名前か、それとも別の何かか――
天空に吼え立てる鬼は声は悲哀に満ち、慟哭であった。
鬼も哭くのだな。
腕の力は抜け落ち、方天戟は泥の中に沈んだ。
太史慈はその戦いを眺め、穏やかな心になってしまう。
至極の琴の音色で奏でられる子守唄を聴いているようであった。
彼の戦いは優勢を保っているのに、どういう訳か藻掻いている様にも見えた。
まるで他者を斬るのが己の苦痛と同等であるかのような表情で、彼は戦っていた。
嫌なら剣を置けばいいものを、何故殺し殺されの世界に手を出した。
疲労により身体の均衡が失われ、顔より汚泥に突っ込んだ。
なんと心地がいい泥か。母親の胎を想像させた。
鬼哭啾啾と哭く声が冷雨降る平原に木霊した。
+ + +
「......」
着物に溜めた雨水をぶつけ、血泥を洗い落とす。
小さな村落であった人は居らず、廃村となっていた。
洪水火事疫病、もしくは匪賊に襲われたか。人の気配はなく遺骸と烏の棲家となっていた。
雨は止む気配すら見せずこれ以上の強行軍は不可能であった。
大方の泥が落ち、伊烏は桶に自身のモノを投げ入れた。
「......」
一人であればこれで終わりだが、もう一人分ある。
非常に布面積が少ない服があった。
上質な布を使っている、どう洗うべきなのか。
武芸に関する知識はそれなりに持ちえているが、こうした一般家事の経験や知識は皆無に等しい。
衣食住で食を除いた知識がない事が悔やまれた。
「...水洗いか」
丁寧に扱い、泥を落としていく。
仮にもこの服は女性のものだ。手荒く扱い破いてしまえば裸一貫で野に捨てることになってしまう。
そのような特殊な性癖は伊烏は持っていない。女性に対して少なからず恐怖心がある伊烏にとって「沸騰」されてしまうことが何よりも怖いことだ。
大まかな泥汚れを濯ぎ雨風をぎりぎり凌げる母屋へと戻る。
衣服を乾かすには火が必要だが、薪が足りるだろうか。
母屋に残された薪はもって今夜分だけ、ここに長くは往生できない。
する気もないが、今夜限りは急いで移動することも叶わないだろう。
濡れた衣服を入れた桶を持ったまま、馬屋と向かう。
閑散としたとした馬屋には二頭だけ馬が居るだけ。伊烏の馬と、助けた女性のものだ。
伊烏の馬は健康であるが、問題はもう一頭にある。
苦しそうに鼻息を荒げ、立つ事も儘ならないようであった。
(...もう無理か)
転倒した際に自重により右前足の骨を折ってしまっていた。
根気強い介抱があれば治るだろうが、それを行う者も道具もない。
この馬は長くはないだろう。
放置するのは心苦しい、しかし安楽死に導く薬は持ち合わせず、馬の強靭な骨格を貫き確実な死をもたらす道具もない。馬の足を両断したように脊椎の隙間を切れば死ぬだろう、だが馬は人と違い頸の骨は強靭であり“はな”を毀れさせる危険性があった。
復讐を願う身の上、得物を粗末に扱うことは避けたった。
せめても食らうことだけは出来るよう、希少品である氷砂糖を口の近くに置く。
馬屋を離れ服を乾かす為、炊事場へ向かった。
飯を作るついで、火にかざし乾かせばいいだろう。
煤払い落とし釜戸の近場に引っ張ってきた衝立を置き、衣服をかけた。
薪に火をつけるために火打石を摩るが、湿気のせいかなかなか火種が出来ない。
誘火綿に火種は起きず僅かに苛立った。
「......」
何度も打ち付けるが結果は同じ、向きになってやっていると背より気配が撫でた。
主としてその気配は敵意である。反射的に振り返り、組討をかけていた。
状況はすぐに理解できた。視界に掠めたのは錆び色、相手の手には芯まで錆び付いた中華庖丁が握られていた。
手首を押さえるよう足払い。覆い被さるようにして押し倒す。
抵抗は弱く、衰弱している。片手で恥部を布で隠していた事もあるだろう。
襲ってきたのは、居間で寝かしていた助けた女性であった。
男に裸に剥かれ投げ転がされていたのなら襲われて然るべきところだ。
そして今の状況はどう言おうが伊烏は、強姦魔と同じ立ち居地だ。
彼女の手が震えていることが分かった。
「...すまない」
女の手より庖丁を取り、上より退く。
既に誤解はされているだろうが、更なる誤解を招かない為に距離をおき火種をまた作り始める。
彼女の方天戟を“はな”と共に管理しておいて良かった。
そうでもしなければ、今の間で頸なり、心臓を突かれていただろう。
彼女はそれ以降何もしてこない。
無用心に背を見せたことが敵意がないこと感じ取ったのか。後ろにはいるが何もしてこない。
あるとき問いが飛んでくる。
「あんた、さぞ名のある剣士なのだろう?」
「......」
「その剣名何と云うのだ。よければあなたの名と共に」
「......」
誘火綿に火がつき、釜戸に薪をくべる。
淡い橙色が伊烏を照らし出し、不気味な悪鬼である事を助長していた。
伊烏は振り向き間を置いた。回答に詰まったが答える。
「流儀、