「ズズッ、ズズズッ、んぐっ! んぐっ! じゅずゥウウッ!」
大天幕の中に響き渡る水音。
人間の性を刺激する音であったが、この音で劣情を催すものは内にも外にも居ない。
寝台に縛り付けられた男児は余りに幼く、精通を迎えたばかりである。
己の男根に襲う今だ経験のない感覚に恐怖を抱き、助けを求めようにも口を布で塞がれ声は出ず、ひたすら目許に涙を溜めてやめるように懇願の眼差しを送っていた。
「じゅるじゅ...ぢゅう、ん、ん、うぶっ...ぱぁっ!! ほらほら...こんなに震えてるよ、さっさと出しちまいなよ」
男児の股間に顔を埋める美女。
しなやかな肢体が蛸のように男児の体に絡み付いていた。
男根を口に含むが、その口の周りは――酷く焼け爛れていた。
美しかったであろう貌。歯茎は剥き出しとなり乾き、頬の周りは赤黒く変色していた。
失った唇、柔らかな頬。
女性としての柔らかな印象は消え失せ、悪魔が乗り移ったように俗悪なモノへ変わり果てていた。
噛り付くように男根を含むみ、赤い舌を絡みつかせていた。
激しく、執拗に、放精へと導く。
男児は悲鳴にも似た声を上げ射精した。
女はそれを余すことなく飲み干し、恍惚に満ちた表情を浮かべる。
淫情の発散――と言うわけではなく、女にとっては美容と言ってよかった。
医学の発達していない時代は信憑性の低い医薬品とて信じられてきた。
人に由来する生薬、精液もその一つ。
日本の文献では切り傷火傷に効くと記され、古代中国では精液は不老不死の妙薬とも。
かの女帝は童貞の精液を集め呑んでいたという。
この女も生薬の効能を信じて疑わず、更なる美を、果てには醜く焼傷顔の治癒すら望んでいる。
いつ現れるかも知れぬ効能を信じ精液を飲み続け、味すらも分かる様になってしまった。
男児ばかり狙うのもそれが理由であった。
大人のモノはただ苦いばかりで旨みはない、だが子供のモノは味が濃く、甘いのだ。
良薬口に苦しとも言うが、そのようなものあって堪るか。
彼女が男児を狙う理由はもう一つある。
それは彼女に剣の手ほどきをした者と、その面容を照らし合わせているからだ。
有り体にいう「愛」というものであった。
必死になって貌を治そうとしているのもそのためだ。
彼の寵愛を我が物とする為、美を追求し、勝利を追及し、あらゆる手を付くし、殺し奪い辱める。
心の奥底に燻る盲目的な恋煩い。
管亥と云う男に貌を焼かれ、幾人もの慰み者となっていた己を救い出したのはかの男。
剣を教え、願望を教え、勝利欲を教えたのもあの男。
恋焦がれる止まない男性の名。口にする度に快感が駆け巡り股座が水気を佩びる。
「武田ぁ...赤音ぇ...」
女の手が男児の首に伸びる。
両腕に力が加わり、柔らかな首筋に爪を食い込ませる。
殺意は無く、果てしなく底のない愛が彼女を狂わせていた。
男児が苦しげな声を漏らすたびに、その声を愛しい人の声に重ねる。
あの人が苦しんでいる、あの人が苦悶している。
ああ、嗚呼、なんて甘美なのだろう。これが愛、これが満欲。
私が彼を傷つける事で、私がどれだけ彼を愛しているのかを理解させたい。
私が彼の首を絞める事で、どれだけ近くに居るのかを感じさせたい。
快感の地獄の居場所を奪った彼。奪い白痢私に生き方を教えた彼。
恩讐が愛を深める。
最高に恨めしく、酷く狂おしい。
「赤音ぇ...赤音...赤音、赤音赤音赤音赤音赤音ッッ!!」
親を知らず男を悦ばす事のみを覚えてきた女は、夜盗の群れたる匪賊達によって育てられた。
育てられたと言うが扱いは人ではなく、家畜そのもの。
純情はありえない、初潮を迎える前にして散った少女。モノを扱うことだけを覚えた。
だが覚えれば覚えるだけ、快感が増した。
不快感などありはしない。匪賊達の笑いは女を卑下するもだとも知らずに前向きに捉えていた。
しかし奴が壊した。赤音が私の地獄のような天国を。
棟梁であった管亥を殺し、私に――
狂おしい、愛おしい。恨めしい、怨めしい。
彼を殺したい、彼を愛したい
――彼を支配したい。
女はついに男児を縊り殺した。
咽返るような瑞々しい死臭に頬を緩ませる。
何度目になるか分からない。男児を殺すたびに想う。
彼を殺す、殺して彼を愛し続けよう。彼が死んで死体になろうが、生殺しの人形に成り果てようが、この思いはこの愛は永遠のモノだ。
双方矛盾した気持ちにが織り成した選択が原動力となっていた。
「頭、頭ッ!」
部下の一人が天幕に駆け込んでくる。
誰もこの天幕には命惜しく近づかないが、唯一寄ってくる理由としては
膝を着き頭を垂れる賊が女に報告を言う。
「昨日、放った斥候が孔融の居城を特定したと」
「ようやく? 遅いわね。御仕置きが足りなかったのかしら?」
膝を突いていた賊の肩が僅かに揺れる。
小刻みに震えている姿が、女がどれだけ残虐なのかを物語っていた。
女は寝台に掛けられた服を羽織、立ち上がる。
手に取った剣は武田赤音の持つ「刀」と云うものを模造し作られたもの一刀。
「ああ、いいわ凄くいい。殺せば殺すだけ彼に認められるのよ。こんな素晴らしい事ある? 殺し多分だけ彼の命に近づけるなんて」
名の無い女は、自身を匹婦として育てた男の名を奪った。
白痴の剣士――管亥は焼け爛れた口元を綻ばせ笑い声を高らかに上げた。
+ + +
疾走、反転、攻撃、離脱。
幾億を越える手の中で現状に最適なものを選び出し、次の行動に肉体を動かす。
教練に順ずる伊烏は客将と云うたび場であり、本来ではこういった一般兵に混じり手ほどきなどすることはないのだ。
意味は薄いが、伊烏は動いておきたかったのだ。
片時もこの動きを、この原動力たる復讐心を忘却へ棄てぬ為にも、動き倒し継続して気持ちを昂ぶらせておきたいのだ。それが不眠症の兆候であるとも判らず、動いていた。
昨夜もろくに眠れず浅い眠りに落ちてはすぐに起きる、それの繰り返しであった。
結局やることは昔と変わらない。
復讐の成就へ。剣の練磨を、更なる高みへ。
白々明の朝に、疲労も取り消えぬ兵士を昏倒と云う睡眠へ導いていた。
木刀と模造剣とでやりあうのは始めてた。
模造剣を始め渡されたが、刃を潰しているとは言え肉体を「裁断」する薄さと重みを持った剣しかここにはない。加減を違えば間違いなく殺してしまう。
それでは困るのだ、ここに居る兵の命は一兵とて浪費するにはもったいない。
無駄な浪費は結果へ達する為には減らさねばなるまい。
前方逆袈裟に切り込まれる。
伊烏はそれを木刀で受ける。木の軋みが腕に伝わり、模造剣の跡がしっかりと木刀に刻まれる。
鉄と木では当然のこと耐久性は鉄のほうが上である。
伊烏もそのことは百も承知である。幾度も受けに回るのは木刀を失う。
避けるは容易である。刀と直刀の間合いは違い、直刀は刀より短い。短いと言っても数十センチの差ではあるが、刀の間合い避ければ充分過ぎた。
眼前の敵を制圧。間合いを詰める。
木刀を押し込み模造剣の手元へと、懐へ飛び込み敵の内股に左足を滑り込ませ左脛を払い除ける。
倒れ込む兵士の顎を左肘が打ち抜き姿勢均衡が崩れる。
伊烏に被さるように倒れた兵士。押し退けようとするが後方に別の兵士が攻めてきていた。
左足に重心を移し、軸とする。
腰を固め上半身を後方へ向ける、木刀で背後に居た兵士の脛を打ち抜き倒す。
倒れる最中の兵士のこめかみを柄頭で叩き意識を飛ばす。
伊烏の視線を
中段の逆胴を狙い横振りの直刀。それに応じるように切先付近で直刀の鎬を叩き上へと弾く。
弾かれた兵士は胴体を大きく見せている。伊烏の生じさせた勝機である。
素早く木刀を引き戻し、真っ直ぐ切先を敵の体へと合わせる。
左の脇の下へ木刀で突き、打ち抜く。
彼が刀であれば両肺を刺し貫くことができたであろう。
――――刈流 牛追
「痛めつけすぎだぞ。兵を何だと思っているんだよ」
起き抜けの木刀と模造剣のぶつかる音に苛立っている孔融がいた。
眼許に隈をつくり、跳ねた髪の毛を掻き回し教練の衝突音が騒音と言いたそうであった。
「すまない...少々やりすぎた」
「馬鹿共であっても大事な兵士だ。程度を知れ、馬鹿」
好き放題云い孔融は城の中へ引っ込んでいく。
厚顔無恥。一応伊烏も彼女を助けるためにこの場にいる。
それを云いたいだけ馬鹿と罵倒されるのは産まれてこの方初めてだ。「本音と建前の国」日本では滅多にない事である。昨日も根暗根暗と言われた。
国が違えば国民性が変わるのは分かるが、こうも恥知らずに云われるといっそ清清しい。
「子供なのよ。孔融はいつでも」
別の場所で教練をしていたのか、僅かに汗をかいた太史慈が来た。
「...しかし、あれで」
「統治者として勤まるのかって?」
太史慈は伊烏の考えを見通し、そして言った。
「勤まったのあれで、子供と同じ彼女が」
「問題が多いだろう。あれでは人が付いていけぬ」
「確かにね、でもあれはあれでいいとこがある。さっき『子供』って云ったじゃない」
「...性格的にではあるが。子供だ」
「子供だから、区別がはっきりしている。悪いことは悪い、良い事は良い。全てがはっきりしているから裏表がない。策謀なんてもっぱら無理。だか人がついて行く、子供だから護ってどこまでも素直で居させようとするの」
「気質故のカリスマ...か」
「かりすま? よく分からないが、つまりはそういうことだ」
この話には伊烏も思うところがあった。
人の持つ生まれながら命に刻まれた運命。その性質が気質として現れているのだろう。
かの将を、石馬戒厳もそうであった。
あの方も国のために命を捧げ外道へ墜ちる事も厭わない不屈の人であられた。
「伊烏は誰かに仕えた事は?」
「...とくにない。剣への研鑽をしていただけだ。いまだ足りぬ剣ではあるが」
「あんなに強いのにまだ足りない? 強さも程よくないと周囲より突き抜けると楽しくないだろう」
「俺よりも突き抜けている者など幾らでもいる」
「冗談はやめて。そんなものが大勢いるなんて気が持たない」
いや――いるのだ。大勢数え切れぬほど。
死闘で生まれた絆、佐竹義宗
東京の怪物たち、剣匠二十四傑。
救国の尖兵、倉田畢竟。
そして怨敵である――
無数の難敵、越えるべき敵は無数に居る。
剣を極めるために幾人も切り倒さなくてはならない。
この時代にもいるだろう。伊烏が知る、名を知らしめた武人が。陰に隠れる更なる武人も。
時代や土地に即した無双がある。そう考えた伊烏は僅かに昂ぶる。
赤音を斃さねばならぬが、無数の壁があるのなら己の剣がどこまで通用するか。
研鑽の果てに手に入れた「昼の月」を邀撃しえるものも居るのかも知れない。
この魔剣を、他の魔剣と衝突させる。
そのような事をすればどちらかが死ぬ。いや、どちらも死ぬかもしれない。
だがそれで構わない。そうでなくては死合いの意味がない。
赤音の魔剣を斬り捨てれば伊烏には何も残らない。
ならばいまだ知りえぬ剣客を探すのも悪くなかろう。だが今は――
今は――赤音を殺すことに全霊を傾けねば。
「相も変わらず。君は恐ろしく殺気立っている」
「......うむ」
太史慈の筋肉は硬く強張っていた。
その原因は伊烏にあり、言われて初めて自身が尋常ならざる殺気を垂れ流している事に気づく。
急ぎ気を落ち着かせる。
余りの気の立ち様に太史慈のみならず、他の教練に精を出していた一般兵まで気取られていた。
「気分を変えよう。鍛錬で」
「......」
太史慈の提案で伊烏の殺気は鳴りを潜める。
奇人変人を見る眼とは違う、伊烏は鬼と同じ怪奇として見られていた視線は徐々に外れていく。
棍を取った太史慈は軽く素振りをする。
「さっきの手合わせ見てたけど。――やりにくそうだったね」
観察眼も冴えている。
確かに人と共同して鍛錬を行うことは刈流にはありえない。
どれも一人で行われる形稽古だ。
もし人が参加する場合は、そのものは道場破り、もしくは死闘の時のみだ。
そういった場合は木刀など使わず、刀で応じていた。
鼎の鍛錬も、大抵は形を見て口伝やどういった動きをするのかという見稽古だ。
木刀と言えど凶器には変わりなく、加減を間違えれば汁が漏れよう。
――手加減と言うものを教えても無駄だ。
伊烏が師範代以前に綾瀬刈流を伝授した者がそういった。
覚えるべきは加減より技を。手心より脱力を。
棍を構えた太史慈。
さっきは無く、瑞々しい闘気が溢れ出た。
伊烏は構えず自然体に。
加減を覚えずにきた男にいきなり手加減をしろとは難しいが。
剛将を屠る訳にはいかない。
伊烏は静かに踏み込んだ。