赤木しげるのSecond Life   作:shureid

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幕間

 

 対局が行われていた広間から控え室へと移った照は、テーブルに置かれていた複数の湯呑へ一直線に向かうとその一つを手に取る。マイペースな姉だなと感心半分呆れ半分で座布団へ腰を降ろした咲は、茶葉の量に苦心している姉を横目で見やる。

 備え付けてあったポットからお湯を吐き出させると、茶葉から香り立つ湯気に軽く息を吹きかける。そしてふと、最後に部屋へ入って来た智葉の名前を呼ぶ。

 

「辻垣内さん」

 

「……ん?」

 

 壁際に腰を降ろした智葉は、テーブルの中央に置かれていた和菓子へ同時に手を伸ばし、それを巡って睨めっこをし始めた咲とネリーから照へと視線を移す。

 

「勝つって、どうすれば良いと思う?」

 

「随分と難しい質問だな」

 

「相手の弱点を攻めるのは、勝つことに繋がると思う?」

 

「……なぞなぞか?」

 

「いや」

 

「それは勿論だろう、相手の弱点を攻めるのは勝負の定石だ」

 

「……お姉ちゃん?どうしたの?」

 

「つーまーり、宮永姉は末原を生殺しにするって言ってるんじゃない?宮永妹」

 

 咲から和菓子を勝ち取り、満足そうにそれを頬張ったネリーは甘さを噛み締めながら先程の試合を思い返していた。赤木が犠牲になる事で流れた局ではあったが、そのまま続行していれば恐らく照がツモ和了る。そうなれば恭子の点数は疑いようがなく、瀕死と言える地点まで落ちる。

 点数が満足にある状態であの打牌なのだ、そうなればもう手を進めるどころか足を引っ張り続けるのは明白だろう。

 

「何故かはわからないけど、向こうは末原さんを庇ってる。それもかなり重点的に」

 

「うっわ、毒舌」

 

 本人は意識していないようだが、恭子にだけは聞かせられない台詞だなと苦笑いしながら咲は次の和菓子目掛け手を伸ばす。

 

「だから、私はもっと末原さんに場残りして欲しいと思ってる」

 

「……異論はないな」

 

 辻垣内智葉は考える。先程の半荘、末原恭子はこれでもかと裏目を引き続け自滅していった。恭子を切り捨ててしまえば、赤木が満貫払いなんて愚行を犯さずに済んだだろう、そもそも恭子自身がこの場で闘えるレベルであれば、あんな事にはなっていない。

 そう考えれば非常に打算的で、現実的な話だ。それに智葉は対面の男子に嫌な予感を感じている。宮永照のお墨付きと言う事前情報しかなかった訳だが、実際に相対してみるとその不気味さは際立っていた。先ずネリーが焼き鳥と言う点だ、ネリーのプレイスタイルならばそれもあるかもしれないが、果たして。

 

「ネリーも良いよ」

 

 ネリーヴィルサラーゼは苦心した。自身の長所と短所は理解している。長所、それは機を待てると言う事。短所、機が来なければ手も足も出なくなってしまうと言う事。しかし、ハッキリ言ってしまえばこの短所の方は特に苦労する事が無かった。嘗て相対した者の中で、ネリーに機を引き渡さない者などどれ程居ただろうか。

 所詮は皆一瞬の機の中で輝き、散っていく。そうなれば散った花弁は地に落ちる事なく、再び舞い上がりネリーの頭上を彩り始める。だがどうして、奥歯を噛み締め待てども待てどもその時が来ないのだ。確かにこのルールではツモ和了りがし辛い。圧倒的なツモ連打で相手を木端微塵に吹き飛ばすネリーと照が同卓していれば、仕方の無い話かもしれない。

 だが照は気を遣ってか、あのインハイで嘗て見せたような鬼ツモ和了りを見せていない。ならば自分が行ってやろうと待ってはいるのだが、待ち人は来ず。

 

「私は……お姉ちゃんがそう言うなら……」

 

「ありがとう」

 

 宮永照は決心していた。インハイで先鋒を務める自分には点数調整の余地が無い。ツモ和了りを続けるだけ続けるだけの作業になっていたのかもしれない。実際それで相手に何もさせず飛ばした事だってある。しかしそれを決勝の卓でやれと言われればどうだろうか、流石の照でも困難を極める。何故難しいのか、それは各々がそれぞれの資質を用いて阻止してくるからだ。

 だからこそ、照は決心した。和了るだけではない、知略し、葛藤し、そして強い打牌を打つ為にはその世界へ身を投じなければならないと。目指す場所はチームのプラス収支で先鋒戦を終える事では無い。決勝戦の卓で三人を飛ばせるような圧倒的な強さ。相手の力量を見極め、時にはツモり、時には計略を巡らせ策を討ち取る強かさ。

 果たしてそれを手に入れたのなら、最早そんな宮永照を止められる高校生が存在するのだろうか。

 

 

 

「……だが」

 

「?」

 

「そんな事が起こる確率の方がよっぽど低いが、それでもある。誰にでも飛翔の時は」

 

「…………」

 

「無論、こんな小休憩で何かが変わるとは到底思えない。インハイのインターバルで一皮も二皮も剥け別人と思える程強くなる人間なんて、かつては居なかった」

 

「……末原さんがそうと言いたいの?」

 

「いや、そう言う訳では無い。だがその選択をしたのならば、この事を覚えておくのも悪くは無い」

 

 

 人はどんな瞬間に変わるのだろう。

 

 

 こつこつと練習をしている時、練習の成果を試合で出した時、苦虫を何度も何度も噛み潰すような悔しい思いをした時。

 もしかしたら一瞬の内に急激な変化を見せるのかもしれない。本人も気付かない僅かなレベルで変化を見せているのかもしれない。

 

 インハイで強者と呼ばれる人間は、何も麻雀のルールを覚える前から麻雀が強かった訳では無い。既に持っている彼女達は覚えていないだろうが、必ずどこかに転機はあったのだ。

 例えばそれは――。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな話題の渦中にいる恭子は縁側から足を放り出し、月を見上げていた。夏至が過ぎたと言ってもまだまだ夜とは言い難く、その薄い月に月見と言える程の風情はない。落胆している訳でも、現実逃避している訳でも無かった。ただ、月を見上げていた。

 こんなことで現状が打破出来る訳では無いのだが、一度心の整理は必要だろうと一人にして貰っているが、このまま休憩時間が終わればそれはただの現実逃避に化けてしまう。

 

 

「…………ウチって、何が得意なんやろ」

 

 

 自問自答。

 

「宮永照も裸足で逃げ出す圧倒的な打点!……ちゃうな」

 

「天江衣も泣いて謝る圧倒的な場の支配力!……そうやこれこれ……って……んな訳ないやないかーい」

 

 自問自答。

 

「結局……何がしたいんやろ……」

 

 恭子は上半身を支えていた両手を解放すると、背中を廊下へ押し付けその心地良い冷たさに心を奪われていた。

 

 

「……善野監督」

 

 

 

 

 

 麻雀のプレイスタイルを細分化するならば、途方も無い数の枝分かれが起きるだろう。しかし、それを二つに分けると言われれば、存外簡単に分けられてしまう。

 手役重視か、鳴き重視か。極端に言ってしまえば各々のプレイスタイルの発端はこの二つのどちらかから派生している。ならば、末原恭子はどちらに分類されるか。

 

「……鳴き重視」

 

 鳴き重視と言っても、そこから先はまだまだ枝分かれが続く。鳴いて軽めの手を作っていく速攻型か、要所で鳴きを混ぜながら打点に絡めていくバランス型か、将又場を翻弄する為に鳴きを入れる変則型か。極端に言えば咲の戦法も鳴き重視と言える。

 

「速攻型……」

 

 速効型のメリットは何だろうか。

 麻雀でよく言われる例えがある、喰いタンのみで和了るか役満を聴牌するだけのどちらが良いか、答えは喰いタンで和了る事だ。和了れぬ万点より和了れる千点。他家が全員手役重視の打ち手ならば、和了る事なく終局もあり得る。

 ではデメリットは。

 打点に絡み辛い、降りる時に安牌が少なくなる。色々あるが、恭子はこの時、ふと何時もなら考えない方向へ思考がワープした。

 

「……こわない」

 

 ただ和了る事だけを考えた鳴き重視の速攻型には、怖さが無い。何故なら晒した事により自分の手は何点の手かを皆に宣言し、更に手の内を明かしているようなものだからだ。二三四の並びを三つ晒したとしよう。ドラを考慮しないのであれば、逆立ちしてもその手は満貫にならない。

 

「相性悪いねんな……早和了りしても……満貫以下はカウントせえへんし……」

 

 恭子は満貫を切り捨てるこのルールに相性が悪いと感じたが、直ぐに考えを取り消した。団体戦の大将戦は、そこで試合が決まる大一番だ。最下位の場合はどうしても打点が必要になる事はある。親ならば良いかもしれないが、親がない状況で早和了りをする意味は逆に相手を助ける事になる。

 

 

「点数は均衡……親が無い……第一打の中をポン……」

 

 

 相手からはどう見えているのだろうか。

 対面が中を一鳴き。先ずは白と發の行方を探す、三枚見えたらもう怖く無い、良くて鳴き混一。その時点でプレッシャーは霧散し相手を自由にさせてしまう。

 

「あー……もう……分からん」

 

 鳴くと言う行為は、不利なのだろうか。

 

「せやろ……点も下がるし……相手に手牌を二枚も三枚も見せるんやし……」

 

 あれ程薄かった月は既に幻想的な輝きを放ち、恭子を照らしている。

 

「相手の牌が見れたら嬉しいんかいな……」

 

 では逆に、麻雀に於いて手牌を相手に見せる事が有利になる場面は存在するのだろうか。

 

「……まあ、場合によっては」

 

 恭子の目には、月の光が何時も以上に輝いて見えていた。

 

「鳴くのって……奥が深いんやなあ……」

 

 ふと、上半身を起こした恭子は両手で作った握り拳を太腿の上に乗せると、一度月から目線を落とす。

 

「鳴きは自分を有利にする……ある意味でそれは間違いないねん、他人の牌を使って欲しいモン貰うんやから」

 

 もしかすれば、見方を変えれば全く同じ行動でも本質が変わって来るのではないか。

 

「自分を不利にする……?いやちゃう……同じ見方かも知れへんけど、鳴きは自分が不利になるんやなくて、相手が有利になるんや」

 

 鳴きは誰かが不利になる訳では無い、鳴いた本人と他家、両名が有利になる。それは同じように見えて、全く別のモノ。

 

「やったら……超速攻……」

 

 例えば自分が速攻を仕掛けよう、そうなると他家はどう思うか。

 

「普通に考えたら、皆満貫手を作りにいっとる。速攻は嫌な筈や」

 

 そして自身の手と相談するだろう、鳴いて安目を目指すか、どっしりと構えて速攻に一撃をブチ当てるか。

 場の支配、なんて言葉があると思った事がある。妬み羨み、無い物強請り。良いものだ、彼女らはただその場に座っているだけで場が思い通りになる。しかし自分にそれは無い、そんな事はとうの昔に理解している。

 

 

 だからこそ自分は腕を磨いたものだ。

 

 

 だからこそ、剛腕で場を支配するのだ。

 

 

 しかし只の超速攻を決めた所で、怯むような面子ではない。その超速攻の陰に、相手の心臓を穿つ刃が必要なのだ。

 

「その為には……チャンスを待つんか……」

 

 奇しくも、それは赤木や照が至った結論と全く同じモノであった。

 機を待つ、恭子はその本質に触れられた気がした。 

 

 

「善野監督から受け継いで、赤阪監督が買ってくれたウチの速攻……」

 

 それだけでは勝てない、だからそれを更に上のステージへと昇華させる。口で言うのは容易いが、行うは難し。

 恭子は再び月を見上げると、両手を突き腰を上げる。本当に色々あったが、どうやらここが己の分水嶺らしい。

 なにも付け焼刃で速攻を使う訳ではない、それは末原恭子の持ち味であり、唯一誇れる自分の長所だ。

 

「…………見とって下さいね、善野監督」

 

 

 

 

 

 

 案外、人が変わるのはこんな何でもない幕間の瞬間なのかもしれない。

 

 

 


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