月下美人を枯らさぬようにと   作:諸行無常

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次第に気温が下りつつあり、季節は冬を迎えようと いますが、物語はまだ真夏日です…


祭り囃子が聞こえる前に。

「……詠水くん」

 

「なんだ」

 

「話を要約しますと、今日は通わせが無いおかげで、祭まで暇を持て余しているという事で良かったんですかね?」

 

「まあ(おおむ)ねはそんな感じだ」

 

「だからと言って私の家で不貞寝する必要はあるんですかね!?」

 

「別に減るモンでもないだろ」

 

「あの、お鉢に入ってた煎餅(せんべい)が馬鹿みたいな早さで減っているんですがそれは…」

 

「馬鹿が馬鹿とか言ってんじゃねぇぞ。ぶっ飛ばすぞ馬鹿野郎」

 

「ごめんなさい、一旦泣いてもいいですか?」

 

 

 

 

無駄に忙しそうにする村人達とは裏腹に、する事があまりにも無さ過ぎた俺は、絹羽商店から一旦は帰宅するも、すぐに葵の家へと赴き寛いでいた。葵の家は色々と充実しており、実に快適だからな。

 

 

 

葵の家は里守之稲荷を祀る神籬(ひもろぎ)の近くに建てられた立派な屋敷で、この村の中でも倣神野本家に次ぐ広大な敷地面積を誇る。だが、葵とその両親、祖母、妹しかこの屋敷に住んで居ない為、家の掃除がかなり過酷らしい。まあ一軒家を一人で掃除している俺の方がよっぽど過酷だがな。

 

 

そんな屋敷の中で、俺は置いてある菓子を貪りながら、腹ばいの姿勢になって足をパタパタさせている葵がテレビゲームをしている所をのんびりと鑑賞していた。ちなみに今の葵は神社にいる時とは違って、巫女服ではなくヘソ丸出しのチューブトップにショートパンツという、半分裸みたいな格好をしている。家の中だからとは言っても、年頃の女がそんなにも肌を露出しているのは如何な物なのだろうか。今年は例年になく暑いので、気持ちは分からなくもないが…

 

 

「あっ、詠水くん今エッチな目で私の事を見てましたね?女の子はそういうの分かっちゃうんですからね!!気をつけてください!!」

 

嬉しそうな声で言うな。この上なく哀れだぞ。

 

「ああ、なぜそれほど貧相な体をそこまで見せびらかせられるのか不思議に思ってだな」

 

「あなた本当に最低ですねっ!?普通だったら、今夜に『紙渡し』を控えている女性に向かってそんな事言いませんよ!?」

 

「なんだ?今年は『柳包(やなぎづつ)み』を折るつもりなのか?」

 

「うぐっ……お、折るかもしれませんよ……ね?」

 

「俺に聞くなよ」

 

この調子ではもうしばらくの間は処女巫女のままだろうな。

 

「それにしても、祭りを控えているというのにのんびりとゲームに興じていても良いのか?神事の準備があるのだろう?」

 

少なくともこんなふざけた格好のままで祭りを迎えるのは論外だろう。

 

「大丈夫ですよー、まだ正午も迎えていませんからね。舞と祝詞はちゃんと覚えちゃってますし、巫女服には諫ちゃんと(みそぎ)をした後に着替えますから」

 

数年前までは祭りの直前になると分かりやすくテンパっていたあの葵が、随分と余裕をかますようになったじゃないか。むしろ、今頃は諫奈の方がテンパっているくらいか。

 

「それに村人を集めた状態での祝詞の奏上は、倣神野の方が先になりますからね。諫ちゃんは今年が初めてですし、色々と手厚く準備をしたり舞の練習をしてるんじゃないですか?」

 

「まあ諫奈はお前と違って覚えが悪いからな。なんなら本番ギリギリまで練習しても完成度が怪しいくらいだ」

 

むしろ姫女即位式で、あの長ったらしいセリフを噛まなかったのが不思議なくらいだ。

 

「犬神様に奏上する祝詞や舞は、私たちのそれと比べてかなり複雑ですからね。退位するまでの間、一度も間違える事なく神事や儀式をこなしてきた諫寧さんの凄さを改めて感じますよ…」

 

「確かに、そう言われてみれば神繋の巫女が行う舞は、姫女のそれに比べてシンプルに感じるな」

 

「舞や祝詞なんてものは、別に小難しい必要はありませんからね。里狐様にいつもありがとうございます、これからもよろしくお願いしますって気持ちが伝わりさえすれば良いのですよ」

 

楽観的かつ大雑把な思想だな。だが、祭神はあのふざけた倒した幼狐なので、その程度の扱いでも十分だろう。堅苦しい祝詞など無用の長物と言えよう。

 

「ところで詠水くん、もう少しでお昼になりますがお昼ごはんはどうします?もしならお母さんにお願いして詠水くんの分まで作ってもらいますが…」

 

「いや、それは俺が飯をたかりに来たみたいで気が引ける。そろそろ家に…」

 

 

 

 

「にぃには家に帰れませんよ」

 

 

 

 

いきなりしゃしゃり出てくるなり訳の分からない事をほざき始めた第三者へと視線を移すと、眠たげに目を半開きにした黒髪の少女が、警備員のごとく両手を広げて部屋の出口に立ち塞がっていた。

 

 

 

 

 

「ここを通りたくば、(よもぎ)をブチ(おか)してからにしてください」

 

 

 

 

 

キメ顔だった。

 

 

 

 

 

「…葵、お前の妹は何故こんなにも頭が大変な事になってしまったと言うのだ」

 

「私に聞かないでくださいよ。憶測の域を出ませんが、確実にお母さんの影響でしょうね」

 

「憶測で確実とはどういう事なんだ…」

 

「お二人とも、(よもぎ)等閑(なおざり)にして勝手に夫婦漫才しないでください。切なすぎて濡れてしまいます。間違えました。もう濡れています」

 

「末期じゃねぇか」

 

「姉として恥ずかしい限りですよ…」

 

「おい、さりげなく自己を美化するな。お前の方がよっぽど生きてて恥ずかしい存在だぞ」

 

「詠水くん、定期的に私を攻撃するのやめてもらえませんかね?」

 

「また等閑(なおざり)にされてます。屈辱です。しかしこの恥辱……嫌ではありません」

 

 

抑揚の無い声でそう(のたま)った少女……神繋(かんなぎ) (よもぎ)が恍惚とした表情で身悶えだす。最近の中学生はこんなにも性癖に対する秘匿意識が低いのだろうか…?

 

「にぃに、本日は絶好の()()()()日和です。そして驚く事に、つまみ食いにうってつけの処女がこんなところに。昼食など摂っている場合ではありませんね。さあ、劣化しないうちに(よもぎ)をお召し上がりください」

 

何をトチ狂ったのか、蓬はいきなり着ていた服を脱ぎ始めた。

 

「ちょっ、年頃の女の子が何やってるんですか!?お姉ちゃんの前でそそそそそそんな破廉恥な行為は認められませんよ!?いや、私の前じゃなくてもダメです!!」

 

顔を真っ赤にした葵がPS4(プロステイションフォース)のコントローラーを放り投げ、服を脱ぎ始めた蓬に駆け寄り、その手を拘束する。以前から気になってはいたが、なぜ葵は妹に対してまで敬語を使っているのだろうか…

 

「離してください。貧乳駄目巫女のねぇねにどうこう言われる筋合いなどありません。土曜日や日曜日の夜に、人知れずにぃにの名前を連呼しながら手淫に(いそ)しんでいる事を暴露されたいのですか?性の悦びを知りやがって。バラされたくなければねぇねは第三者らしく…」

 

「ああああぁぁぁあぁああぁああ!!!??それもう暴露しちゃってますからっ!?………あっ。ちちちちちち違います!!全然(ちげ)ぇし!?全くの事実無根で草。そのような事実は一切存在しておらぬわ!!詠水くん、勘違いしないでよねっ!!」

 

「キャラがブレまくりだぞ。一体どこに突っ込みを入れたら良いのだこれは…」

 

「突っ込むなら(よもぎ)にナニを突っ込んでください」

 

「お前は喋るな」

 

「にぃに、塵芥(ちりあくた)を見るかのような目で見ないでください。更に分泌してしまいます。これ以上下着を汚すと、蓬はノーパンにならざるを得なくなりますよ?いえ、もう既に手遅れです。今の蓬は誰にも止められません。生半可な意志では蓬の劣情を抑える事などできません。覚悟してください」

 

「だから脱ぐなって言ってるじゃないですか!?」

 

葵が羞恥と怒りで顔を真っ赤にして蓬を止めているのいるのに関わらず、蓬は無駄に上気した顔で脱衣を継続する。なんなんだこの姉妹…村の要となっている家系に生まれる者のそれじゃねぇな。

 

なんとか蓬の両手を抑える事に成功した葵は、そのまま勢いに任せて蓬を床へと押し倒し、抑えつける。葵は俺が相手じゃなければ意外と動けるんだな…

 

事の沈静化に成功したかと思いきや、再び部屋の扉が開かれる音がする。

 

「あんたたちさっきからうっさいわね!!ふざけてる暇があるんなら祭りの準備で……も…………」

 

堪らずといった感じで部屋に乱入してきた女性……葵の母である神繋(かんなぎ) (あざみ)が、鬼の形相で我が娘たちの愚行を咎めるべく口を開くも、モノの一瞬で石化し、唖然とした表情になる。

 

 

母親の介入によって動きを止めた神繋姉妹だったが、かたや服が乱れ半裸の状態で抵抗をする妹、かたや感情的になって妹の身包みを剥いでいる姉………という構図に見えなくもなかった。

 

 

「葵……母さんショックだわ……なかなか詠水くんとくっつかないなー、早く孫の顔が見たいなー……なーんて期待してたのよ?それが蓋を開けてみればレズでシスコンだっただなんて……性に忠実なのはとても良い事だけど、これはちょっとね……。毎晩コソコソと詠水くんの名前を連呼しながら自慰をしてたのはカモフラだったのね……」

 

「ああああぁぁぁあぁああぁあ!!!???違う!!違いますから!!妹に欲情するわけないじゃないですか!!私は生粋の詠水くんLOVERですよ!?でもおっ…おおおおおお…ぉナニーはしてないですからっ!?皆してデマを拡散するのは感心しませんよ!!」

 

「母上…このままでは蓬の初めてがねぇねになってしまいます。相手がにぃにであれば、どんな陵辱も悦んでお受けさせて頂きますが、これは望まぬ展開です。さぞや里守之稲荷様も、己に仕えている者の横暴さに、悲しみの情をお持ちになられている事でしょう」

 

「いきなり服を脱ぎ出した人がいけしゃあしゃあと何を言っているんですか!?お母さん、変態の妄言に耳を貸してはいけませんよ!!詠水くんも黙って見てないで私を擁護してくださいよ!!」

 

 

 

葵、お前の要請はちゃんと聞こえている。しかしだ……

 

 

 

「詠水くんならもう居ないわよ」

 

「にぃになら窓から出ていきましたよ。あまりのワイルドさに蓬はほぼイきかけました」

 

 

 

 

 

「…ここ二階なんですけどおぉぉ!!??」

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

祭り前だと言うのにヒドイものを見てしまったものだ。あんなポンコツ一家が祭りの主催だと言うのだから傑作だな。

 

 

ふとスマホが振動を始めたので、何事かと思い取り出してみると、画面には『倣神野(ならしの) 諫寧(いさね)』の文字と共におっとりとした表情でピースサインをする巨乳…いや、爆乳の女性の画像が表示されている。

 

 

「……俺だ」

 

『うふふ〜、詠くんこんにちは〜。少しだけ〜時間をもらっても良いかな〜?』

 

聞き馴染みのあるのんびりとした女の声がスピーカーを介して聞こえてくる。

 

「構わんが今は通りを歩いている。変な話は避けた方がいいぞ」

 

『そっか〜…少し話し難いことだから〜一旦こっちまで来てもらえないかしら〜?』

 

諫姉が俺に話があるだなんて、九分九厘は面倒臭い話だろう。

 

「悪いが今からメシにしようと思っていたところだ。日を改めてくれ」

 

『あらあら〜…それは残念ね〜。でもでも〜今からおばさんの所に来れば〜おばさんの手料理が食べられるわよ〜?』

 

 

 

「可能な限り全速力でそちらへ向かう」

 

 

 

俺は陸上選手顔負けのフォームで、準備に追われた村人たちでごった返した通りを駆け抜ける事となった。

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「うふふ〜、詠くんったら〜息を切らしてまで急いでくれるなんて〜そんなにおばさんの料理が食べたかったのかな〜?」

 

「ああ。なぜ味噌カツというありふれたメニューで、こんなにも美味しくできるんだ?諫姉はもう姫女を退位したのだから、定食屋でも開いて欲しいのだが」

 

「もう〜お上手なんだから〜。でもでも〜、そんな事始めちゃうと〜分家の者が黙ってないから〜現実的じゃないよ〜。おばさんを詠くんのお嫁さんにすれば〜毎日作ってあげられるけど〜?」

 

俺は諫姉の軽口を無視し、目の前の馳走を食らう事に専念する。

 

 

先刻、倣神野諫寧からの呼び出し(ラヴコール)を受けた俺は、倣神野本家まで来ていた。

 

倣神野本家は神繋家を優に超える、非常に広大な敷地面積を誇っており、この小さな村ではその存在感を遺憾なく発揮している。

 

分家の人間が24時間体制で目を光らせている門をくぐると、立派な庭園が広がっており、村の集会所へ向かう道と『神前域』へ向かう道が存在している。『神前域』の前にはまたしても門が設えらており、より堅牢な警備がされている。『神前域』には罪喰之犬神を祀る本殿とその拝殿、姫女及びその子孫が住まう寝殿が存在しており、姫女直々の許可無しに入る事は、何人たりとも許されていない。

 

で、俺はそんな寝殿の中、元・姫女である倣神野諫寧が作った手料理に舌鼓をうっていた。諫奈の作る料理は天下一品だが、その料理を教えたのは諫姉(いさねぇ)だ。その諫姉が作った手料理なのだから…言うまでもない。

 

「食っておいて言うのもなんだが、倣神野()の金で作られたメシを俺が食うのは、あまり聞こえが良くないように思えるが大丈夫なのか?」

 

「うふふ〜、本当に今更ね〜。心配する事はないわよ〜、普通だったら〜村の人たちがコラ〜って怒っちゃうかもだけど〜詠くんにコラ〜ってしたら〜、おばさんがコラ〜ってしてあげるから〜大丈夫なのよ〜」

 

諫姉はほわわんとした顔で俺の頭部を抱きしめると、よしよしと頭を撫でてくる。やめろ、乳圧(にゅうあつ)で窒息する。

 

「諫奈は舞の練習か?」

 

「そうよ〜、今も拝殿で練習してるから〜是非見てあげて欲しいな〜。諫奈も〜詠くんに見てもらえたら〜もっと頑張れると思うの〜」

 

いや、むしろ人に見られると余計に緊張してしまうのではなかろうか?まあそんなんでは大衆を前に舞なんて出来たものではなくなってしまうが…

 

気づけば、目の前の皿と丼は空となっており、極上の昼食は完食してしまったようだ。

 

「…ごっそさん」

 

「うふふ〜、お粗末様でした〜。お腹いっぱいのところ申し訳ないんだけど〜少しだけおばさんのお話しに付き合ってもらえないかしら〜?」

 

変わらずのほほんとした表情でニコニコとしている諫姉だが、その目は俺の双眸を捉えて離さない。

 

「そっちが本題なんだろ。勿体付けてないでさっさと話せ」

 

「気になる事があってね〜、詠くんはここ最近で〜、()()()()()()()とお話しをしなかったかしら〜?」

 

「回りくどい聞き方をするな。俺の周りの女は変わった奴しかいないぞ」

 

「確かに〜詠くんの周りの女の子は〜個性的な子が多いけど〜そう言うのじゃなくて〜なんて言えば良いのかな〜……()()()()()()と会った、な〜んて事は無かったかしら〜?」

 

 

異質な女。そう言われて思い浮かぶ人物は一人だけいる。だが、諫姉はなぜそんな質問をしてきたのだろうか。そんなピンポイントな質問をしてくる時点で、()()()と出会った事は、なんらかの形で諫姉の耳に入ったと言う事だ。

 

あんな時間に、しかもあんな場所だと言うのにも関わらず、誰かに見られていたのか?もしかすると、俺の動向は全て倣神野サイドに監視されているかもしれないな。だとすれば、俺にはプライバシーってものが無いのかもしれない。

 

「もう一度言う、回りくどい聞き方をするな。俺を試すような真似をするなら、諫姉の質問には答えん」

 

「あらあら〜、試してるつもりなんてないのに〜。でもでも〜、どうしても知っておきたいから〜、質問の仕方を変えるね〜。

 

 

()()()()()()()に会わなかったかしら〜?」

 

 

 

分からない。それは諫姉にとって重要な事なのか?あの女は一体何者なんだ?

 

 

 

「……そんな事を知って何になると言うんだ?」

 

「こらこら〜、詠くんの言うとおりに〜おばさんは質問を変えたんだから〜ちゃんと答えないと駄目よ〜」

 

諫姉はぷっくりと頰を膨らませ、その奇跡とも呼べる双丘の前に人差し指のバッテンを作る。その歳の女がそんな仕草をしようものなら、普通は痛々しくて目も当てられない悲惨な状況になるのだが、20代と言われてもまるで違和感のない諫姉ともなると、全く痛々しさが感じられない。作為的ではなく素でやっているというのも大きな要因かもしれない。

 

「…夜道ですれ違った程度だ。名前すら知らん。『話した』と言える程、俺はあいつの事を知らない」

 

「え〜?本当に〜何も知らないの〜?」

 

 

 

諫姉に嘘は通用しない。

 

 

 

「知らん。強いて言うのならば『花が好き』だと言う事くらいだ」

 

「もう〜、女の子の好きな物を聞き出しているだなんて〜十分に会話してるじゃない〜」

 

「聞き出したわけじゃねぇよ。…俺の質問にも答えろ。諫姉はあの女の何を知っているんだ?」

 

「うふふ〜、()()()()()()()()から〜詠くんにこうしてお話しを聞いているのよ〜?知っている事なんて〜その子の名前とご家族だけよ〜。詠くん〜、その子はどんな子だったのかな〜?」

 

「だから花が好きだという事くらいしか知らんと言っただろう」

 

「そうなの〜?それ以外にも〜色々お話しはしてないのかしら〜?客観的な事実である必要はないから〜詠くんの主観的な感想を聞きたいな〜」

 

まるで世間話をするかの如く、気さくな態度で尋ねてくる諫姉だが、俺の目から決して視線を離そうとしない。

 

 

「……あいつは美しかった」

 

 

 

 

そう、あの夜はさながら幻想の如く。

 

 

 

 

夜に(こぼ)れた二つの白。

 

 

 

 

「すぐに消え去ってしまいそうなほどに弱々しく、咲き誇るこの一瞬に強く…強くしがみついているかのような………不条理と言う名の夜に咲いた白い花だ」

 

 

 

 

簡単にへし折れてしまいそうな華奢な腕は、死の恐怖を…生への執着を掴んで離さなかった。

 

 

鮮明に蘇る記憶が、俺の心を僅かに乱す。

 

 

「…そいつは命の危機に直面しても、他に縋る事しか出来ぬほどの弱者だ。だが…何か特殊な角度で世界を望んでいるようにも見えた」

 

 

 

諫奈とも、葵とも、遙とも…そして、俺とも全く違う視点を持っているように感じた。とても曖昧で漠然としすぎた感想だ。だが、あいつとの会話はどこかぎこちなく、それでいてどことなく心地の良い物だった。

 

 

「そっかそっか〜、きっと凄く素直な女の子なんだね〜。教えてくれてありがとう〜。でもでも〜、詠くんがそこまで一人の人間に気を向けるなんて珍しいわね〜?」

 

「良く言う。それは俺のセリフだ。あいつは先天性白皮症だという事以外にも問題でも抱えているのか?」

 

「そんな事はないよ〜。おばさんも〜詠くんと概ねは同じような感じだよ〜。あの子は〜、少しだけ他の子たちとは違う何かを感じるの〜」

 

 

自分では気づいていないだろうが、基本的に諫姉は曖昧な事を口にしない。わざわざ言葉にする事柄については、何かしらの根拠が存在している事の方が多い。

 

 

「……『何かが違う』の言い間違いじゃないのか?」

 

「うふふ〜、詠くんは〜変なところで鋭いね〜。それとも〜おばさんが分かりやすいのかな〜?実は〜、昨年にあの子が16歳になって〜初めて『清心浄魂の儀』を行ったんだけど〜一般的には見せない無いような反応を見せたから〜少しだけ不思議に思ったの〜」

 

清心浄魂の儀か…おっさんとの会話が初めて役に立った瞬間だな。

 

「諫姉の言う一般的な反応とは『負の感情を叫び、晴れやかな顔で帰っていく』と言う事か?」

 

 

 

 

「うふふ、詠くんには『清心浄魂の儀』に関する事は話した事が無いと思うだけれど…誰から聞いたのかしら?」

 

 

 

 

その慈母のような微笑みから放たれる黒い、黒い眼差(まなざ)しが俺に突き刺さる。

 

 

 

「教えん」

 

「そっか〜…じゃあおばさんも教えません〜」

 

諫姉は唇のまえでバッテンを作ると、首をふるふると横に振る。チッ、都合の悪い事になると、すぐにはぐらかしやがる。

 

 

「質問には答えた。もういいだろ」

 

「あっ、もう一つだけ訊きたい事があるの〜。今朝に詠くんが電話をかけてきたでしょ〜?タケちゃんが…ってところで通話が切れたんだけど〜、あれは何だったのかしら〜?」

 

 

犬神様ギルティファイヤーのくだりをバラすと、恐らくマジでシャレにならないので無かった事にすべきであろう。でなければ、おっさんが諫奈にギルティファイヤーされてしまう事になるだろう。それはそれでおっさんは悦びそうだが…あれ、これバラしても良くないか?

 

 

「…(たける)のおっさんが諫姉の事をいさねると呼称していた」

 

「うふふ…今度タケちゃんにはどんなお仕事をお願いしようかな〜?ちょっとだけ〜大変な仕事になっちゃうかもだけどね〜?」

 

 

 

………………おっさんに、合掌。

 

 

 

「そうだ、犬神で思い出した事があるんだが…」

 

「こらっ、ちゃんと犬神様には感謝の気持ちを持って〜敬意を払って〜様をつけなきゃ駄目よ〜?犬神様がどうかしたのかしら〜?」

 

「諫姉、『念調之牙神(おもいととのえのきばかみ)』という言葉を知らないか?」

 

 

 

不意に、俺の体が柔らかい感覚に包まれる。気づけば諫姉の両腕が俺の体に回され、後ろから抱きつかれる形になっていた。

 

 

その優しくも温かい抱擁は、冷たい鎖の如く強固で、俺を掴んで離さない。

 

 

 

 

 

「詠くん……誰から聞いたのかしら?どこで聞いたのかしら?いつ聞いたのかしら?なぜ聞いたのかしら?何を聞いたのかしら?」

 

 

 

 

 

無駄にでかい乳房が邪魔で諫姉の顔は見えない。

 

 

 

 

「質問をしているのは俺の方だ」

 

「ごめんね、詠くん。それはね、知り得ない名なの。初代の姫女が秘匿した名なの。詠くんが知るはずの無い名なの。だから、私は知る必要があるの。禁書(きんしょ)に近づいた者が誰かを、知る必要があるの」

 

「禁書………だと?」

 

「禁書は姫女だけが読む事ができる…犬神様の本殿に眠る初代の姫女が遺した書物なの。他者の目に触れる事などあってはならない事なのだけど、仮に他者に読まれたとしても当時の字は姫女にしか解読できないはずなの。知り得ないのよ、その名は」

 

「なるほどな。つまり俺にその名を吹聴した者は禁書に触れた者、或いはその者に関わりのある者だと言いたいのか?」

 

「ごめんね、詠くん。教えて欲しいの。私は知る必要があるの」

 

「知ってどうする?」

 

「全てを問い、全てを語ってもらうの。そして、本殿にその身を侵入させた罪を償ってもらうのよ」

 

 

そうか……そうか…………

 

 

 

「くっ……ははははははははは!!!!」

 

 

 

可笑しい。可笑しくて仕方ない。

 

 

 

「詠くん、何が可笑しいのかしら?」

 

「可笑しいに決まっているだろう。諫姉じゃ問いただす事も、罪を償わせる事もできないからな。相手が悪すぎる」

 

「………神繋(かんなぎ)の人間なの?」

 

「あの能天気な一家が、そんな無駄な事に労力を費やすとでも思うのか?」

 

「でも、詠くんは知っているのでしょう?禁書に触れた者を、知っているのでしょう?」

 

「そもそも、その前提が間違っている」

 

「前提……?」

 

「そいつは禁書など読んでもいないだろうし、存在すら知らんだろう。その名を()()()()知っていただけだ」

 

そもそも、倣神野の厳重な警備をかいくぐり、犬神の本殿に近づく事ができるような輩はこの村にはいないだろうよ。

 

「そんな事はあり得ないの。でなければ姫女の血を受け継いできた者のうち、誰かが口外してしまった事になってしまうのよ?」

 

「それはあり得ない事なのか?」

 

「あり得ない事よ。それは初代姫女に対する冒涜であり、犬神様に対する冒涜でもあるのだから。…詠くん、お願いだから教えて。知らなくてはならないの。姫女の遺志を穢した者を、知らなくてはならないの」

 

諫姉、少し落ち着いた方がいいぞ。

 

「諫姉、あんたには嘘が視えるんじゃないのか?聞こえていなかったのであればもう一度言うぞ」

 

 

諫姉はより強く、俺を抱きしめる。

 

 

 

「そいつは最初から知っていた」

 

 

 

間髪いれずに質問を浴びせてきた諫姉だったが、ここへきて沈黙を保ち始めた。珍しく考え込んでいらっしゃるようだ。

 

「ごめんね〜、詠くん〜。おばさん少しだけ動揺しちゃったから〜急にまくし立てちゃったね〜」

 

いつものおっとりと、ゆっくりとした声が背後から聞こえてくる。

 

「気にすんな。珍しいものも見えたしな」

 

「も〜、あんまりおばさんを〜揶揄(からか)っちゃ駄目だよ〜?」

 

おい、乳を押し付けるな。圧死する。

 

そんなくだらない死に方はしたくないので、諫姉の腕から逃れ、食卓を離れる。

 

「…詠くん〜、その名を知る者が誰か〜教える気はないのかな〜?」

 

「無いな。だが…ヒントをくれてやってもいい」

 

俺は無意識に悪戯っぽい笑いを浮かべてしまう。

 

「そいつは全てを知っている。そいつは人を愛してやまない」

 

「…詠くんは犬神様にお会いしたのかな〜?」

 

「近からずとも遠からずってところか。それは外れだが、辛気臭い話はここまでだ。もう一つの神に失礼だからな」

 

 

 

 

 

何せ今宵は、神が直々に『楽しむが良い』と言った祭りなのだからな。

 

 

 

 

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