月下美人を枯らさぬようにと 作:諸行無常
葵と共に少し遅めの昼食をとった俺は、葵の部屋でダラダラとしていた。
廊下を歩く音が聞こえてくる。昼食後の洗い物が終わったのだろう。
「おまたせしました~……って、勝手に人のベッドに上がらないでくださいっていつも言ってるじゃないですか。しかもなんでご丁寧に布団までかぶってるんですか…」
「この布団、この枕、このマットレス…すべて俺が通販で注文し、すべて俺が絹羽商店から運び、すべて俺が組み立てたんだ。文句は言わせない」
俺が咎められるような要素は何一つとして存在していなかった。
「傍若無人とは詠水くんのために存在しているような言葉ですね…お茶請けを持ってきたので出てきてください」
葵はテレビの前に配置された折り畳み式のテーブルに水
余談ではあるが、双神村ではテレビ放送を視聴することができない。葵の部屋に置いてある液晶テレビは、
「そういえば、諫ちゃんの即位式はどうでした?ほんとなんでこんなタイミングで捻挫したんですかね……即位式に顔も出さないとか
葵はシュンとした表情になる。あざといぞ。
「そんなに気にする事でもないだろ。俺も退屈すぎて途中で帰ったしな」
「いやいやいや、途中退席は流石にダメでしょう!?よく分家の人たち怒りませんでしたね…」
「なんか諫奈が喋っている時に無限五体投地し始めたから、俺の退屈ゲージがカンストしてな。奴らは五体投地をしていたから俺の退室には気づくまい」
「いや、そのあと絶対気づくに決まってますよそれ……諫ちゃんの
あの重苦しい着物は姫女装束というのか。
「馬子にも衣装という奴だな。ああいった堅苦しいものを着こなしていると、さしもの諫奈でもどことなく威厳のようなものを感じられる。蓋を開けてみれば頭ん中パッパラパーだがな」
「褒めてるのか貶してるのかどっちなんですか…」
葵は呆れ顔で水羊羹を頬張る。一転して葵の表情が綻ぶ。そう言えば甘い物には目がなかったな、こいつ。
「…忘れるところだった。葵、みちくさ茶屋でみたらし団子を買ってきている。欲しけりゃ食え」
「…あの詠水くんが私のためにわざわざ買っていただけるだなんて、今日は槍でも降ってくるんじゃないですかね?ありがとうございます。お気持ちは嬉しいのですが、実のところみたらし団子が苦手なんですよ、私……ごめんなさい」
なんと。団子が食えないとは変わった奴だ。
「折角買って頂いたところを申し訳ございません…詠水くんが食べてください」
「いや、俺はもう食っているし、水羊羹を食っている今、全くと言っていいほど食う気にならない。さしもの
捨てるわけにもいかないので、処理に困った団子は神棚に供える事にした。
「里狐様にお団子をお供えするなんて聞いた事ないですよ……………ん?」
「油揚げだの洗米だのうまくもないものばかり供えられるというのも可哀想な話だ」
「ちょっと待ってください。詠水くん、今『香乃子』って言いましたよね?」
葵が話の腰を折り、眉をひそめて尋ねてくる。
「なんだ藪から棒に。言ったが、それがどうした?香乃子は甘味処の看板娘だぞ。お前も知っているだろう」
「それは知ってますよ。聞きたいのはそこじゃないです。なんで彼女の事を名前で呼んでいるんですか?詠水くんは基本的に
「俺が賜名で呼んでいるのはどうでもいい奴だけだ。香乃子にも俺の事を系名で呼ばせるようにした」
「だけって言ってますけど、詠水くんの場合はそっちの割合の方が多いじゃないですか…
「仲が良い訳ではないが、嫌いというわけでもない。向こうがこちらの事をどう思っているかは知らんがな」
俺は基本的に愛想が無い上に態度がでかいので、相手にあまり良い印象を持たれていない可能性の方が高い。自分で言うのもなんだが、コミュニケーション能力が壊滅的すぎる。あるいは単に人に嫌われやすい性格なのか。言ってて悲しくなってくるな。
「…甘桜さんは幅広い年齢層の殿方から人気がありますが、異性に対してガードが固い事でも有名です。彼女を口説こうと試みるも、無残に散っていった殿方の数といったら数え切れません。彼女が異性と下の名前で呼び合うなんて聞いた事ありませんよ」
耳寄りな情報だな。あいつ、そんなアイドルみたいな立ち位置だったのか…
「詠水くんは目を離すとすぐフラグを立てますからね。…どうやら今年の『紙渡し』は例年以上に激戦区になりそうです」
「フラグなんぞ立てとらんわ。
紙渡しとは、双神村で毎年夏に行われる伝統の祭りであり、村の子孫繁栄と無病息災を祈願するものだ。概要としては、村の女たちが男に20cm四方ほどの
女たちが男たちに渡す『白い紙』は『
この村には夜這いという習慣が昔から存在している。当時よりひとつの祭りのようにして行われており、不特定多数の男女が皆同じ場所で事に及ぶという非常に節操の無いものであった。そのため、女が妊娠しても「誰の子供か分からない」という事は珍しくなく、出産後も特に気にすることなく子供を育てたそうだ。また、夜這いの対象となる女は初潮を迎える12〜13歳より上で、男も精通を迎えたものから年上や大人の女性に相手をしてもらい、夜を経験するというメチャクチャなものであった。
しかしながら、この夜這いには強姦まがいな側面も散見され、次第に問題視された。この村において男尊女卑の色が強いのは周知の事実であるが、子を宿す母体となる女性は神聖なものであるという思想もあった。
ちなみに穢れとは、この村において『最も思い罪を犯した者』を意味しており、『穢れ』とみなされた者とその子供は『汚れきった子孫』として、神前にて
…で、それに準じてこの夜這いという文化も考え直す必要があると認識され、夜這いをかけるには大前提として女性側が夜這いを受け入れていなければならない、という必要最低限の条件が設けられた。その受け入れのサインとしてこの『柳包み』が使われるようになった。
今では、実際に柳の葉が包まれる事はないが、この『紙渡し』の祭りにおいて『柳包み』単体だけで使用され、女がこれを三角に折って男に渡すと『あなたの夜這いを待っています』という意思表示となり、紙を折らずに渡すと『あなたの無病息災を祈っています』という意味になる。『紙渡し』では、年端もいかぬ女児たちは、紙を折らずに自分の家族や仲のいい異性に渡し、大方16歳以上の年頃の女は紙を折らずに家族に渡すか、三角に折って意中の異性に渡すとされる。既婚者は自分の子供が男だった場合、だいたいは紙を折らずに息子に渡す。子供がいなかったりできたてほやほやの新婚さんだったりすると、三角に折って自分の旦那に渡し、そのまま熱い夜へと突入する。
『柳包み』は姫女の手で、双発村に住まう全ての女性に配布されるが、一人につき一枚なので、不特定多数の男が一人の女性に夜這いをかける事は不可能であり、昔のように女が妊娠した時に「誰の子供かわからない」といった状況にはならない。逆に、男は複数人の女から『柳包み』を受け取った場合、そのうちの一人を選んで…という事はなく、全員に夜這いをかける事もできる。
双神村では、男女間で子供をつくった場合、必ず婚姻関係を結ぶ必要があるため、未婚の女性が異性に『柳包み』を渡すのは、結果的には『あなたのお嫁さんにしてください』という意思表示になる。双神村では重婚が認められているので、『柳包み』を貰った女全員と結婚するという事も不可能ではない。ただし、全員を養い、全員の盤石徴税を払えるだけの多額の収入と、複数の妻を抱えながらも不和のない家庭を築ける器の大きさが必要とされ、昨今では重婚をする男はいない。
まあ、結婚する気がないと夜這いをかけてはならない、というわけでは無いので『柳包み』を渡してきた相手を妊娠させたくないのであれば、普通に避妊具などを用いて夜這いをかければいいだけの話だ。
まあ、早い話が『紙渡し』は年齢層によって趣旨が異なり、思春期の男にとってはバレンタインデーのような『柳包み』の争奪戦となり、脱童貞がかかった一大イベントという事になる。大抵の男は「あの子から貰えたらなぁ」とそわそわし、根拠のない自信と期待に埋もれ、祭り前は眠れない夜を過ごす事だろう。しかしながら、俺らの世代においては、そのふざけた幻想を
「何言ってるんですか。無自覚ハーレムとか大概にしてくださいよ。私、諫ちゃん、ハルちゃんは確定として、甘桜さんも怪しいです。あ、いろはちゃんも詠水くんにゾッコンでしたね。で、その他の女の子が何人か……このスケコマシ」
…なぜ唐突に俺は貶されているんだ?
「ふん…仮に貰ったとして、どいつも折っていない紙だ。俺の職業柄、安全と言ったものを祈願されるのは不自然な事じゃないだろ」
「折られていない紙もですが、折られた紙も貰ってるじゃないですか!!…確かハルちゃんも折ってましたよね?」
葵が頬を膨らませて怒ってくる。お前は一体何と戦っているんだ。
「
「あ、愛が深いですね……じゃ、じゃあ、詠水くんはハルちゃんのところへ一回くらいは夜這いをかけていたり…?」
「どうだろうな。想像にお任せする」
「……詠水くんは歩く下半身ですね」
葵がジト目で睨んでくる。葵のクセに生意気な。
「下半身は歩く為のものだから当たり前だろう。何が言いたいんだお前は。まぁ、据え膳食わぬは男の恥…とだけ言っておこう」
18歳にもなって女との夜を知らないだなんて、村のおっさん連中どころか女にも馬鹿にされるわ。
「ふーん…へぇー…?そうなんですか〜……どうです?ここにも据え膳が居ますよ?巫女服少女の据え膳が居ますよ?
葵が巫女服をはだけさせ、上目遣いでこちらを見つめてくる。控えめに言って、気持ち悪い。
「遙は帰ってきているのか?」
「ありえないくらい強引に話をそらされました。女としての自信が完全に霧散しました。ゆるさない。あなたは絶対にゆるさない」
葵ははだけていた巫女服を正すと、なんだかよくわからないがヤバそうなオーラを纏い始める。神繋の巫女は超能力が使えるという偏差値の低そうな噂もあるので油断ならない。
「…知らなかったんですか?高校が夏休みに入ったみたいで、ハルちゃんは村に帰ってきてますよ。お家の手伝いとか受験勉強とかであまり外には出てないそうなので、一度顔を見せてあげてはあげてはどうです?」
「受験勉強…?ああ、大学受験か。そうか、あいつが『学業奨励生徒』になってから3年も経つのか…」
「ハルちゃんなら余裕で受かると思いますけどね。それにしても、大学へ行ってもハルちゃんはモテモテでしょうねー。まあ、黙っていればの話ですが」
「辛口だな。お前も人の事言えないだろ」
そう言うお前こそ、黙っていればただの可愛い巫女でいられるというのに。
「まあ明日あたりに顔を出すか。積もる話もあるだろう。…ところで葵、今年からは諫奈が犬神に
俺がそう尋ねると、葵はコテンと首を
「正式に即位が決まったわけですし、姫女様が執り行う神事は今後全て諫ちゃんがこなしていく事になるんじゃないですか?『紙渡し』も例外ではないかと思いますよ」
「…じゃあ、
「そうじゃないでしょうか?」
「おいおい…冗談じゃない。獣たちが跳梁跋扈する夜に、
「鈍臭くてすみませんでしたね…でもそれが詠水くんの仕事でしょう?か弱い女の子を守るのが男の子の務めですよ」
石光みたいな事を抜かしやがって。諫姉があれほど薙刀の扱いに長けているというのに、なぜああも諫奈はからっきしなんだ。
「通わせの途中で鎧熊が出たら、お前ら二人を同時に守るだなんて器用な真似はできん。何も無いところで転んだり、クシャミをしたりした瞬間にお前らの死亡が確定すると思っておけ」
「んなっ!?女の子2人を見捨てて逃げる気ですか!?極悪です!!非道です!!職務怠慢です!!!!」
葵があり得ないといった表情で罵倒してくる。
「やかましい。俺は如何なる状況であろうとも我が身が最優先だ。それに俺が言いたい事はお前らを見捨てる見捨てないだの、そんな話ではない。そうならないよう細心の注意をしろと釘を刺しているんだ。お前は山を歩くのに慣れているかも知れんが、諫奈はこれが初めてになるんだ。諫奈には改めて俺が注意を促すが、お前も気を引き締めろ」
葵は売り言葉に買い言葉をするかと思いきや、クスリと微笑を携えていた。
「…やっぱり詠水くんは、物言いこそぶっきらぼうですが、なんだかんだで私たちの事を心配してくれるんですね。とても嬉しく思いますよ」
「…お前が都合の良いように解釈をしているだけだろ。そのプラス思考が羨ましくて仕方ないな」
「相変わらずのツンデレっぷりですね…大丈夫ですよ。山を通過する事がどれだけ危険を伴う事かは理解しています。気を抜いたりはしませんから」
「葵に関しては今更になって心配する事もないが、諫奈をどうするか…という話をしているんだ」
よく分からん植物に足を引っ掛けて、山を滑落していく諫奈の姿など
「そんなに心配なら、詠水くんが諫ちゃんをお姫様だっこすれば良いんじゃないですか?うら若き乙女を美味しくいただく為にお持ち帰りしてる感が出て素敵だと思いませんか?」
葵がニヤニヤと小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「言っている意味がまるで分からんし、16にもなった女を腕に抱えて山登りとか拷問でしかないだろ。…だがまあ、背負って行くというのも一つの手だな。下手に神経をすり減らすよりもはるかにマシだ」
普段から決して軽くない荷物を背負って山を登っているんだ。諫奈をおんぶした所で普段とそれほど変わらんだろう。
「…え?ほんとに言ってます?本当に実行するつもりなんです?」
突如、何故か葵が焦燥の色を見せ始める。
「あ?お前から提案しておいてなんなんだその反応は。一応は理にかなっているだろ」
「え〜…私はおんぶしてくれないんですか?」
「何をふてくされいるんだ。鈍臭い諫奈をどうするかという旨の話をしていたんだ。お前を負ぶさる必要性が見当たらん」
「む〜…諫ちゃんだけズルいですよ」
「お前から言い始めた事だと言うのに、お前が文句を言うのか…」
まったく、女というのは例外なく面倒臭い生き物だ。
「それに、背負うなら葵ではなく諫奈の方がいいに決まっている。背中で感じられる感触が貧相になってしまうからな」
「ははははははは詠水くんは面白い事を言いますねそのジョークとても気に入りましたよお礼に過去最大級の
葵はボソボソと早口でそう言うと、何処から取り出したのか千枚通しをこれ見よがしに掲げる。その先端が怪しく輝いている。
「…穏やかじゃないな。危険だ。やめておけ。大怪我をするぞ」
「大丈夫ですよ…そんなに怖がらなくても…すこ〜しだけ反省してもらうだけですから…」
葵が千枚通しの先端をこちらに向け、薄ら笑みを浮かべる。
………?
「何を勘違いしているんだ?大怪我をするのはお前だぞ?」
「あるぇ?返り討ちにされるんですか?私?あの、できれば反撃はしないでいただきたいです」
「はい分かりました、と言うとでも思っているのかこの馬鹿。馬鹿じゃないのか?馬鹿。アホ。馬鹿」
「何回馬鹿って言うんです!?煽り文句が小学生レベルですよ!?」
口喧しく騒ぎ立てる葵から千枚通しを取り上げる。こんな物を仕込んでいるとは物騒な巫女がいたもんだ。
水羊羹を平らげた俺は、
未だ正座して水羊羹を堪能している葵の膝に、頭を乗せて寝っころがる。
「ひゃっ!?…いきなりなんですか?」
「眠い、寝る」
驚きの声をあげる葵に、端的にそう伝え俺は瞼を閉じる。すると、安眠への誘いがより一層強い物へと変わる。
「ほんと、詠水くんは猫みたいな人ですね。これほどまでに自分の欲望に対して忠実な人はそうそういませんよ」
葵は囁くような小声でそう言い、まるで膝の上で丸くなった猫を愛でるかのように、俺の頭部を撫でつける。
「葵のくせに………生意気だぞ……………」
本当に眠い。これ以上は口を聞かんと主張するべく俺は顔の向きを変え、葵の腹に顔を
真紅の緋袴からは彼女の優しい香りと温もりとが伝わってくる。
「いつもお疲れ様です。ゆっくり休んでくださいね、詠水くん………」
メインヒロイン、永遠に出てこない気がする…