殺戮の動機 【完結】   作:ツルギ剣

10 / 14
 注) 17/11/17、タイトル変えました。


67階層/オウカ リバイバー

 

 

 私が『私』として、初めてこの世界に生まれた日。 『ソレ』が『私』になった日。

 これは産声で断末魔。 決断の代償。 そして、ここにいたんだっていう……証。

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 予定された時間が来て、『ソレ』は立ち上がった。 今まで座っていた、綺麗にヤスリがかけられた檜造りの横長なベンチから。

 

 艶やかな銀髪、澄んだ大気を通して見れる暁色の瞳、淡い幻光を纏っているかのような人ならざる眞白な肌。 雫が沿って流れ落ちるようなスラリとした鼻梁と小さくそれでいて柔らかいマシュマロのような唇、ほんのりと薄く桜色を差したかのような頬。 小さな卵型の上にあるそれらは、完璧なシンメトリーを描いて配置されていた。

 あらゆる個性を排除した、統計が描写した美。

 およそ現実では、この仮想空間の中ではなおさら、出会うことが希な女性プレイヤー。 その素材を元に、観る者に心地よさと安心感を与える微笑を浮かべていた。 

 それの前を通り過ぎる者たちは、チラチラとこちらに視線か顔を向けてくる。 大部分は遠くから眺めているだけだが、話しかけてくるものも中にはいた。 それをそこから誘い出そうと、声をかけてきた。

 だが『ソレ』は、そこから立ち去ろうとはしない。 与えられた命令に背くわけにはいかないから。

 

 チラリと、大通りの向かいにある赤レンガ作りの巨大な建造物を見た。 この67階層の主街区【オウカ】の転移門がある場所。

 高さ10m、横幅はその10倍はあってそこからでは端が見えないほどだ。 格式高い近代初期の建築物で、現実世界のとある駅を彷彿とさせるものだ。 左右対称のシンメトリーの中心にある円塔、その頂上付近の半円球の中心を見た。 そこにある、人の背丈ほどもある丸いアナログ時計を見た。 長短の針が指し示す数値は、指定された時刻ではない。

 「……ごめんなさい。人を待っているの」そう言って追い払う。 申し訳なさそうに、微苦笑を添えて。

 それで大抵のプレイヤーは追い払えるが、中にはしぶとく付き纏う者もいる。 そういった者たちには、ちらりと、右手の薬指にある指輪を見せる。 それで残った者たちも、離れていってくれる。 ……どうしてかは、未だもってわからない。

 それを繰り返すこと3時間あまり。 ようやく時間が来て行動に移せる。

 

 

 

 【オウカ】を抜けてすぐに、【回廊結晶】で予定された圏外へと転移した。

 付いてくる者たちがソレの足取りを掴めないように、すぐさま回廊を閉じる。ようやく一人になれた。

 

 転移した場所は、高い木々が生い茂る山の中。

 陽の光を覆い隠すほどに青々と生い茂っていた季節が過ぎ、身につけた葉を色とりどりに染めた風光明媚な山中エリアだ。 ただ、観光するには少々時期を逸してしまったようで、冷たい風が吹き通る寂しげな枝を揺らす梢の束と地面には落葉の絨毯が敷き詰められていた。

 迷宮区がよかったのだが、ここでも充分ことは足りる。 ここに出没する人型のMob、身の丈に及ぶほどの長刀を佩いた侍は、容易にそれのHPを奪ってくれるはず。

 

 使い込まれたような胴巻きと刀を握る腕全体を肩まで覆っている手甲、それ以外は、鉄板を仕込んだ額あてと胴巻きと同じ色のすね当てが装備されている。 その、薄汚れながらも機能性はある装備で身を包んだそれは、侍というよりも盗賊と化した野武士だ。

 何日もまともに洗っていないかのような茶褐色の肌と、その所々に無精ひげを伸びるがままに生やしてしている。 鎧武者ならその面頬と兜の下は、髪の毛一本たりとも垂れ落ちぬように油を塗りつけ後ろに束ねられているが、櫛を通したこともない垢まみれの蓬髪を肩にかかるほどまで垂らしている。

 身につけている服も、元は白だったであろうそれが肌よりも汚れを積み重ねた色に染め抜かれている。現実ならば、臭いに釣られて小虫がたかるほどの不衛生だ。 それでいて瞳だけは、ギラギラとした鈍色を帯びて獲物を見据える。 ……野武士にふさわしい、荒んだ顔つきだ。

 

 クシャと、落ち葉を踏みしめた。 足跡を規則正しく地面に残していく。 銀色の全身甲冑に身を包んだ明らかな異物を、この場所に刻んでいく。 あとはただ、その野武士が気づくのを待つだけだ。

 ここがソレの、最後の場所だった。

 ここでソレは、この殻を壊す。 この中にある毒を撒き散らす/命令を果たす。 ―――そうなるはずだった。

 

 

 

“―――すまねぇが、こっちまで来てくれねぇか、お嬢さん”

 

 山林を当て所なく歩いていると不意に、そんな声が耳に届いた。 あたりを見渡すが、人影は全く見えない。

 【索敵】スキルを発現させるという行動は、それのアルゴリズムには存在しない。 命令もされていない。

 【聞き耳】スキルだけは、限界まで修練させられた。 どんなに離れた場所でもマスターたちの声をはっきりと聞き取るためにも。 そのかいもあって、冬の訪れを告げる乾いた冷たい風が吹き抜けるこの山林の中でも、重要な音を聞き取ることができた。 枝に残った葉と落ち葉からサラサラという音を立て、時折密集する木々によって対流する風どうしが甲高い音を撒き散らすこの中でも、かすかなプレイヤーの声を聞き取ることができた。

 

“……とって食うワケじゃないだ。ただちょっと、話がしたいだけだ”

 

 周囲の雑音に負けそうなほどかすれた声だ。 何かをこらえているかのような凄みが、本来の声の調子を狂わせているかのようだ。

 クエストのNPCならいざ知らず、圏外で敵として一定エリアで湧いてくる人型Modは、基本的に喋らない。 そのような機能を持っていないようだった。 獣系やその他のモンスター同様に見た目こそ人の形をしているが、その中身が単純なプログラムであるということを証明してくれている。 この声の主はクエストのNPCかプレイヤーかのどちらかになる。

 ただ、このエリアで始めるクエストというのは情報にない。

 まだ未開拓の部分が多い最前線の67階層。 だが、このエリアはマッピングは終わって一応の安全は確保された場所だ。 必然、残った選択肢のプレイヤーということになるが、それも首をかしげなくてはならない。

 

“安心しろよ。その手の下衆じゃねぇよ、俺は。……今は一人で、周りには誰もいない”

 

 少々ノイズが入っているとはいえ、聞こえてくる声と音はひとつだけ。 かすれてはいるが、そこには主の揺らぎは乗せられていない。

 

“ちょっとしくじっちまって、今やばい状況なんだ。体中ガタガタで、ここから身動きが取れねぇんだよぉ。……声出すのも、なかなかしんどいんだぜ”

 

 少々判断に困った。時間も、少しだけ余裕がある。 その場で立ち止まり、どうするか計算する。

 

 ここでは目立つことをするな……。 というのが、マスターたちの第一命令だ。 どうやらソレの容姿は、個性がほとんどないにも関わらず目立つものらしい。

 

 全ての女性プレイヤーの顔のデザインを組み合わせ平均値。 それがソレの顔だったが……裏目に出てしまったらしい。 

 そばを通るプレイヤー、老若男女問わずしてソレを見る。 双子の妹もともに注目を集めてしまう。 マスターたちがいる場合は遠目に見られるだけだが、ひとりでいる場合は近づかれ声をかけられてしまうことが多々ある。 妹にはそのような応答機能を搭載することができなかった分、ソレが彼らを追い払う役目を負った。 自然と、できるだけ不自然ではないコミュニケーションは取れるようになった。

 このSAOでは、プレイヤーの命は重い。

 HPが全損すれば数秒後にはアバターが崩壊して、一階層の【黒鉄宮】にある【生命の碑】にその名前が載る。 いつどこでどのように死んだか、簡潔な文章が刻まれる。 それゆえに、プレイヤー同士の公助は自然なものだ。 ここ最前線であっても、基本的にはそれは変わらない。 利害が絡まるものならいざ知らず、身動きが取れなくなってしまったソロプレイヤーの前に偶然居合わせれば、助けるのは当たり前なこととされている。

 つまり、答えは一つだけだ。

 

「『至急援助が必要』ということですね。 ……了解しました。 すぐにそちらに向かいましょう」

“恩に着るよ”

「どちらにいらっしゃいますか?」

 

 短く感謝を告げられると、声の主を探そうとした。

 おおよその場所の検討はつくが、周りは同じような木々のオブジェクトだらけ。 人影は見当たらない。

 

“こっちだこっち、あんたの左にあるでかい梢の後ろだ”

 

 再び告げられた声の元に顔を向けた。

 そこには確かに、周りのものとはほんの少しだけ太い幹の木があった。 人一人なら隠れてしまうほどのサイズである。

 そちらに向かって歩み寄る。 数歩歩くと、幹の端から声の主のモノと思わしき黒い裾のがはみ出ていた。 それを目に映すと、姿より先に小さな横棒が視界に映った。 HPバーだ。

 だがその色は、おかしなことになっていた。 黒く染め抜かれていた。

 

「おおっと! 来てくれたところ悪りぃが、そこで一度ストップだ。 見にくいだろうけど、罠が仕掛けてある。 ―――ちょこっと地面を、手持ちの武器で突いてみな」

「……はい」

 

 言われるがままに立ち止まり、背中にしょっていた槍を両手に持った。

 妹は盾しか使えなかったが、ソレは武器として槍も扱うことができた。 ソードスキルも発動できるが、SAOの高速戦闘に耐えられる練度には達しなかった。 ただ槍の範囲内にモンスターが近づいたら、その穂先を向ける。 攻撃のためというよりも、近寄らせないための防御として槍を使っていた。

 槍の石突きを目の前の落ち葉が群れている地面に向けると、そこを軽く叩いた。 すると―――

 

 ガキィンっ! 叩いた石突きに、鋸歯状の鋼鉄製の顎が噛み付いた。

 【トラバサミ】だ。

 一定の重量がその上に乗せられると、開いた歯が閉じて獲物をそこから逃さないようにする。 高速移動・攻撃の最中だったらその顎から逃れることも可能だが、踏んでしまったら大抵その餌食となってしまう。 減らされるHPは大したことはないが、その場から身動きが取れなくなる。

 【鍵開け】スキルを持っていれば数秒で抜け出すこともできるが、通常は罠自体に攻撃して耐久値を0にしなくては外れない。 かなりの業物か鍛え抜かれたスキルを持っていれば、ギリギリ秒単位での脱出も叶うだろう。 が、通常ならば分単位の拘束を課せられてしまう。 何もしなければ30分、その場に釘止めだ。 加えて罠の性能が良く運が悪ければ、脱出のあとに【骨折】というバットステータスを課せられてしまうことがある。 【部位損傷ダメージ】の一つで、それを負った部位はステータスを治さない限り可動できなくなる。

 このエリアには、そのような罠は幾つか設置されている。 

 盗賊の類のModが出現するエリアでは、その傾向が高い。 プレイヤーが罠にかかると、それを嗅ぎつけたかのように彼らが湧いて出てくる。 一人で活動する場合は、特に注意が必要だ。

 

「外れたようだな。それ以外にはないから、そのままこっちに来てくれ」

 

 本来喰むはずだった柔らかい肉ではなく、硬い金属に噛み付いてしまった【トラバサミ】。 役目を果たせなかった道具……。 そのままにして、先に進んだ。

 幹に手をかけ声の主の顔を拝もうとする直前、またしても制止の要求。

 

「そこで、もう一回ストップだ。

 安心しろ、今度は罠とかじゃないよ。ちょっとした……心構えだ。俺を見ても、驚かんでくれ」

 

 軽い忠告を聞き終えると、そのまま声の主の姿を見た。

 ボロ切れのような黒い外套の中/フードから覗いていたのは、プレイヤーではありえない容姿だった。 

 

 

 

 鮮血色の角と艶めく黒色の翼が、生えている。

 

 

 

 ありていにいればソレは、悪魔と言ってもいいだろう。

 

 「イ」の形を描くように伸び湾曲して、その鋒を前に尖らせている。翼は、羽毛を引き並べた鳥のそれや蝶の鮮やかな翅とも違う、コウモリのそれと同じ自らの皮を伸ばし固めたものだ。そのほっそりとした体をマントのように一回り覆えるが、両肩ではなく片方からしか生えていない。両の耳も、エルフ族のように長く尖っている。

 ヘアバンドやマントか鎧の延長にあるオシャレアクセサリではない、そのアバターから直接生えているのだ。

 近づくものに警戒したのだろうか、翼は主人を守るようにその先端の爪を刃に見立ててこちらに向けようとした。 だがその翼には、一本の長剣が差し込まれていた。 後ろの木に縫い付けている。 暴れるも抜き去ることができずゴソゴソと、その場で蠢くだけだ。

 先程まで何者かと戦った形跡が、そこには色濃く残っていた。 そして、その勝負の行方は彼の……敗北に終わったのだろう。

 

「……これでも、あんたと同じプレイヤーだぜ。 頭の上にあるカーソル見てくれよ。 ちょっと変色してるけど……プレイヤーだろ?」

「はい、そのようです」

 

 頭上を見るとそこには、プレイヤーを示す逆三角錐の半透明なカーソルが浮遊していた。 

 その色は普段グリーンになっているはずだが、鮮やかなオレンジに変わっていた。 他プレイヤーを傷つけた以上、殺人を犯した。 犯罪者の色。

 

「肝座ってんなぁ、あんた。 これ見て顔色ひとつ変えねぇとは驚きだぜ……

 いいね、気に入った! あんた名前、なんていうんだい?」

 

 姿・格好の異常さに比べて、親しみやすそうな調子で語りかけてきた。 はぎれの良い、江戸っ子とでもいう調子。

 どうすべきか、マスターに確認しようとした。 しかしもういない。 ので単独で、最適解=そのまま返事をした。

 

「【エヴァ】です」

「……変な名前だな。あんたらしくね、それ」

 

 さらりと、そんなことを言った。 

 ソレにそのような感情はないが、通常の女性プレイヤーならば気分を害する言葉だろう。 ただ、そこに悪意と呼ばれるモノが込められていたようには思えない。 無神経ではあるものの、それゆえに純粋な提言ではあるのだろう。 

 なにせ『私』も、その名前はあまり好きではないから。

 

「どうしてこんな場所に来たんだ?」

「自殺するために」

「わざわざ最前線の《圏外》でか?」

 

 この返答には少々驚かされた。 

 通常は驚かれるところだが、全く意に介していない。 理解してないだけとも思えない、知性のなさは感じない。 ソレが『日常』だと受け入れているからこその発言だろう。 

 コミュニケーションの方法を修正するため、言葉を詰まらせた。

 

「今の俺が言うのもなんだが……人生の最後を迎えるにはちょっとばかし、色気がねぇ場所だよ、ここは? 殺しにかかってくる野盗Mobも、あんまり見てくれの良いデザインじゃないしな。 最悪、生け捕りにされて巣穴に『お持ち帰り』、なんてことになるかもしれないぜ。 ……そんな18禁クエ、あればの話だけど」

「それでも、ここでなくてはならないんです」

 

 正確には、今ここで……。 後半はほぼ意味不明だったが、ソレがやることは変わらない。

 ソレの爆散に、プレイヤーを巻き込むわけにはいかない。そのためマスターたちは、最前線でも攻略済みの辺鄙な場所を選んだ。 つまりここだ。

 効果を重視するなら、迷宮区と呼ばれるエリアの方が有効だった。 ただ、囮として目を引くだけならばここでも充分役目を果たせる。 もはや迷宮区まで移動する時間もない以上、ここ以外にはありえなくなっていた。

 

「お話が過ぎたようです。申し出た援助ですが……。 どうやら、私の手に余る状況のようです。 ええっと―――」

「【Poh】だ、俺の名前。 地獄の王子様。

 ……いや、『だった』ていった方がいいのかな? 抜け殻を再利用してるだけだから、『オレ』自身は別モノ。 それも垢みたいなものだから、名乗るのはおこがましいことだろうな。 なんだが……他に思いつかねぇしな。 ……どうしよう?」

「それでは【ナナシ】さんと、お呼びしたほうがいいですか?」

「【ナナシ】ねぇ……イケてねぇな。 ママとはぐれた迷子みてぇだよ。 もっとカッチョいいのないの?」

 

 いつの間にかソレに尋ねてきた、自分の名前のことなのに。

 不可思議な逆転だが、オーダーされたのなら答えるのみ。 悩んで、彼の印象と『カッチョいい』を精査し、ソレのボキャブラリーを駆使して……閃いた。

 

「―――【ムメイ】、というのはどうですか?」

「おぉ、いいね! 【ムメイ】か……【Poh】よりもらしいな。 

 よし! それじゃ今からオレは、【ムメイ】てことで」

 

 よろしくな―――。 朗らかに名乗ると、笑い声を上げた。 

 含みのない純粋な笑顔。 雰囲気は蠱惑的かつ年経たドラキュラなのに、実年齢の倍は幼い少年に退行していた。 枯れたこの場所をわずかに賑やかす……

 しかし、すぐさま反転した。

 

 吐血―――

 

 撒き散らされる鮮血。 吐き出された苦痛が、顔を歪ませた。

 形の良い眉を顰ませ、声なき呻きを上げようとした。

 だが呻きは漏らさず、それ以上何か重要なものが出て行かないように唇を引き結んだ。 表情には、隠しようもないほどの苦痛が漏れ出ていた。

 

「―――まだ……、まだだ。まだ終わって……、ないッ! 俺は、まだ―――」

 

 お腹の底からの悪寒に震わされて、顔と体をかがめようとした。 だが、翼を縫い付けられているために、痛みの根源を押さえ込めない。 残った左腕をどうにか動かし見えざるその患部を、露になっている右の脇腹を握った。

 腱が切れたのか麻痺したのか分からないが、ほんの数センチ動かすのにも渾身の力がこめられているのがわかる。 

 肘から下は全く動かせず、ズリズリと地面の上で引きずられていた。 動かすたびに、目を背けたくなるような白い小さなライトエフェクトが撒き散らされる。 それが、左腕から全身へと侵食していく。 広がっていくたびにそれと拮抗しようとするが、別の場所からも発光し始めて侵食は止まらない。

 光を帯びるとその場所の輪郭がぼやけて、周囲の環境とアバターとの境界が曖昧になっていく。 その白光がアバターの色を漂白して、透過した。 見えないはずの梢の硬い肌がうっすらと、見えてしまう程に。

 

 その光が右目に達する前、どうにか手を体の上を這わせて目的の場所を掴ませた。 そして、白光を押さえ込むために、腕で自分を拘束させる。

 すると、ほんの少しだけ光が和らいだ。

 体が全て焼き消される前に、留まらせることができた。 だが、漏れ出てしまった『色』は損なわれたままだ。

 

 白光を押さえ込むと代わりに、青白いライトエフェクトを周囲に揺らめかせていた。

 その姿は、もはや吸血鬼ではなかった。 この場所にしがみついている、地縛霊でしかない。 いつ消されてもおかしくない、儚い風前の灯。

 

「具合が……優れないようですね」

「ああ、ボロボロだよ。 あと一時間ももたないだろうな」

 

 ゲームにおける不調、ではなかった。 もっと根本的な、システムエラーかバグに蝕まれている。 主幹システム【カーディナル】の攻撃だ。

 指摘しようか迷うも、喉元でとどめた。 ソレは秘匿事項だ、命令遂行に支障をきたす可能性がある。 しかし、何もせずにいることはできない。 なんでもいい、助けになりたい―――

 どうしようかと/オロオロしながら、ムメイを見つめた。

 

「……あんたは充分に役に立ってくれるよ。いろいろ段階を端折れるし、今ここに来てくれたのがあんたでラッキーだったよ―――」

 

 先ほどと同じような調子で、しかし、声の奥底にある力強さは失われていた。 虚勢が剥がれ落ちていた。

 もはや隠すのは無意味と、弱々しそうな表情を向けて、それでも最後の意地で押してきた。 鬼気迫る酷薄な笑みとともに、罠にかかった獲物へ牙たてるかのように。

 

「あんたの目的だが、今ここでオレがやってやる。 ちょうど、他のプレイヤーのアカウントとアバターが欲しかったところだったんでね」

「私のアカウントとアバター……ですか?」

「今のコレじゃ、もたないんでね。 たぶん、しくじったんだろうな……。 だから、あんたの体と命を頂きたい」

「私をPKする、ということですか?」

「いや、乗っ取らせてもらうんだ。 正確には入れ替えだな。 ……『オレ』になればあんたは、何もしないでも死ねるはずだぜ」

 

 さらりとそう要求すると、ニコリと美少年の笑顔向けてきた。 私が拒絶するなど考えてもいないように、してもやりきる自信があるかのように……。

 また少し悩むも―――問題なかった。 彼を助けかつ命令を遂行できる。 一石二鳥だ。

 

「それは良かった。ここに来て正解でした!」

 

 彼が向けたのと同じぐらい、微笑みをもって答えた。

 その返答にムメイは、目を丸くした。 私がここに来て初めて驚かされた。

 驚嘆の眼差しを向けるも、すぐに目を逸らし何かを苦悶するも……フッと、苦笑した。

 

「…………残念だぜ。こんな状況じゃなかったら、あんたとは友達になれそうだったんだけどな」

「【フレンド】登録でしたら、すぐにできますよ?」

「そっちじゃねぇよ! ダチの方だよ、マブダチ―――」

 

 訂正の言葉は、またしても襲いかかってきた苦痛で途切れた。 周囲のゆらめきの色合いが、白く光度を増していく。

 ただ今度は、すぐさま押さえ込むことに成功したようだった。 再び青白い揺らめきへと戻っていった。

 

「こんなところまでくるんだから、どっか抜けてんのはわかってたけど……変な奴だぜ」

「あなたほどではありませんよ」

 

 ソレの皮肉にまた、ムメイは目を丸くした。

 ソレの対話機能は、相手の姿形や喋り方・話す内容のみならず、表情や仕草など無言のうちに語られるメッセージを読み取って最適解を出す。マスターたちが求める「目立つな」という命令を遂行するための返答だ。相手を刺激しない、求めているであろう答えを返す。ただそれだけのもの。1年半もに及ぶ試行錯誤の結果、NPCのような繰り返しをプレイヤーに悟らせない対話の練度は上がった。

 ムメイに対するソレの返答は、その賜物だ。訓練したマスターの一人と彼女が、よく似た性格をしていたことも幸いしていた。そうでなければ、すぐさまボロを見せてしまったことだろう。……ほかの二人のマスターが言うには、常人からはかけ離れた性格をしていたらしい。

 

「人形みたいな奴だと思ってたけど……怒ったのかい、エヴァちゃん?」

「いいえ。ただ、事実を申しただけです」

「『事実』? 事実ねぇ……ほぉですか」

 

 意味深な含み笑いを向けられた。 ……なぜかそれに、ムッと顔をしかめた。

 それ以上、別段気にする様子もなく、むしろ興味を失ったと言わんばかりに会話を打ち切ってきた。 そして立ち上がると―――青白い揺らめきが再び、白く瞬き始めた。

 

 腕同様に思うように動かせない両足で、木の幹に体重を預けながらどうにかその場に立ち上がった。 体を動かすたびに、光の瞬きが強くなっていく。 特に体重が乗せられている両足は、より強い光を放っていた。

 その場に立ち上がるだけで1分はかかった。 加えて、ホンの少し押すか引くかするだけで地面に倒れてしまうほどの、ギリギリの安定。 生まれたての子鹿のように、危なげな様子であった。 

 白光が収まり、再び静まった。

 青白いゆらめきへと戻る。 ただ今度は、焦点を絞ってしまえばその向こう側が透けて見えてしまうほど、その体は幽かになっていた。

 

「時間もねぇことだし、手っ取り早く済ませようか。―――もちっと、こっちによってくれ」

 

 呼ばれるがままにそれは、ムメイのもとへと近づいていった。 互いに手を伸ばせば触れられる距離まで、近づいた。

 

「お願いします、ムメイ」

「『さん』付けまでなしになったか……。まぁいいけど」

 

 すると彼女の手が、それの胸元へと伸ばされた。幽かなその手から白光を撒き散らしながら、そっと、指先が胸部の装甲部分に触れた。

 

 その指先から何かが、ソレの中に入ってくる―――

 

 得体の知れない感触に、ゾクリと、背筋を痺れさせた。

 もはや大気に等しいほど透過し重量すら持てなくなっていた指先が、破壊不能オブジェクトのようにそこにあった。 鋭く研がれた刃の鋒のように、冷たい。 それに触れられると、まるで雪山エリアにいるかのようで、体の芯から凍えてきた。

 だけど同時に、熱も感じた。 動悸も早くなっていく。 呼吸のコントロールが難しくなって、不規則に乱れていく。 その度に熱が、体の奥底からせり上がってきた。

 不思議な感覚だった……。 すぐにでも払い除けたいのに、引き寄せたくもあった。

 相反する二つの感情が総和して、ギリギリの均衡を保っていた。 ホンの数ミリどちらかが動けば崩れてしまうほど、脆い均衡。 ここから先一歩でも踏み出せば、元には戻れない……。

 しかし、そんな危険にソレは―――笑みを浮かべていた。目の前のムメイの、鏡であるかのように。

 

 

 

 思い返せばそれが、『私』の始まりなのだろう。

 

 

 

「それじゃ、久しぶりに。―――イッツ・ショウ・ターーイム!」

 

 掛け声とともに彼女の指先が、ズブリと、ソレの中に入ってきた。

 

「ん、くぅッ! ……はぅぅッ!!」

 

 指先が入り込むたびに、熱が思考を溶かしていく。

 先ほどの冷たさなど、どこにも見当たらない。彼女の指先から滾滾と、今まで感じたことがない感覚が広がってくる。

 否……。 それは今まで、何かを感じたことなど一度もない。

 決められた反応を返しているだけで、それ自身に由来する行動ではなかった。 あらかじめ設定されていた行動規範に則ったものでしかない。 それらは反射でしかなかった。

 だからその感覚は、初めて得たものだった。 

 規範には載っていない未知の領域だった。 それはエラーであって、強制停止を引き起こすはずだった。

 

 事実、その奇妙な現象をまえにしてそれは、自身のアバターの制御すらおぼつかなくなっていた。 ガクガクと膝が震えだし、その場で立ち続けるのが困難になっていた。 

 諸悪の根源を抜き去ればこの状況から脱することはできるはずだが、持ち上げ彼の腕に触れたそれの手にはまるで力が入らない。 その間、どんどん彼の手は押し込まれていく。 それで倒れないように、しがみついている有様だった。

 縋り握り締めるたびに、朧げだった彼の腕が精細さと確かさを取り戻していく。 細い白金の糸で編まれたような肌と、生まれたての赤子のような肉感。 すでに彼は、そこに揺蕩っている幻灯ではなくしっかりと根を張っていた。

 立場は完全に、逆転していた。

 

“―――せめて楽に逝かせてやるよ、マイフレンド“

 

 彼の声が、それの内側で木霊した。目の前の彼の口から出たものなのに、それ自身の声として聞いていた。

 その声を最後に、視界も明瞭さを失い始めた。

 

 

 

“んふっ、あんっ! それ……いい……んんっ!!“

 

 ソレが出した喘ぎが、彼の声として聞こえてきた。 自分の声ではないはずなのに、それ以上に今の自分の状況を訴えている艶のある喘ぎ声。

 体の火照りが脳を蕩けさせて、甘美な法悦が包んでいった。

 

“んあ……、ふわあ、ああ、あああぁぁ……“

 

 平衡感覚も失われて、上下左右がわからなくなる。

 自分が今、立っているのかどうなのかすらわからない。 足の裏で感じているはずの地面が液状化したかのようで、グラグラと揺れていた。

 

 視界に映っているのは、境界がぼやけたオブジェクトたち。 

 それぞれの色がにじみ出て、互を侵食し合っている。そして、凌ぎを削るその場所では、別の色が生まれる。 より濃さを増したその色が、自分を生んだオブジェクトを逆に侵食し始めた。それらが連鎖的に発現して、破壊と再生を繰り返していく。 そして、どんどん色を濃くしていった―――

 気づけば視界は、真っ黒に染まっていた。

 一筋の光も入り込んでいない、真正の闇。 すべての色が、それに塗りつぶされていた。

 最後の光が消えると、静寂の闇が広がった。

 

 

 

 果てしなく広い、自分以外誰もいない場所。先程まで自分を荒立たせていた悦びも、今は遥か彼方のことだった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 静けさの中、誰ともしれぬ声が聞こえてきた。

 

 

 

“オレは、お前だ。お前は―――オレだ“

 

 

 

 その言葉とともに、決定的な何かが破れた。

 曖昧になりすぎてわからなくなってしまったものが、ようやく認めあった。 我々の間には境などないのだと。 互いにひとつのものなのだと。

 

 否。 それすらも幻。

 すでに、彼を悩ましていた【You are dead】の死の呪文は、消えていた。 すでに、反射しかないそれが悦びを、感じていた。

 それらは本来、互に持ち得るものではなかった。 それでいて、互の核たるものであった。 交わるはずがないものだった。

 

 『私』はそれに、気づいた。

 

“―――オレはオレを、肯定する“

 

 私の中から、その声が木霊していた。

 

 それはすでに私のものではなく、私の中に残った残響のようなものだった。 ムメイが残した、最期の言葉。

 答える義務などどこにもない。 ここには、私以外にはいないのだから。でも、義理はあるのかもしれない。

 だって『私』は、あなたがいなかったら生まれなかったのだから。

 

“私も私を、肯定するわ”

 

 それが私の第一声、味気ない産声。 誰に言うともなく、つぶやかれた言葉。

 傲慢で婀娜っぽく、至上から下ろされたような声。

 

 目の前には、ちょうど私の目線ぐらいの位置に食い込んでいる長剣、それが刺さっている梢が立っていた。 そこには誰も……いない。

 確認すると、今度は右手を上げる。 その手で、自分の顔を触った。

 左側に異常はない。だが右側には―――。

 

「……これは、一生ついてまわるものなのね」

 

 苦笑しながこぼした。

 

 均整の取れた顔立ちをざらつかせ、時々鈍い痛みをもたらす火傷の痕。

 この傷は、『彼女』から受け継いだものだ。 彼女の核たる傷。 だけどもう―――私のモノだ。

 

 全てを終えると私は、ここから立ち去っていた。

 もうここに用はない。戻ってくることも……ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

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