自己紹介は苦手だ。知らねぇ他人に大事な個人情報をばら撒くなんて、正気なことじゃない。 それに……すでに終わった分際だ。
死人に口なし。……それじゃ、今の俺は一体何?
『うるさい墓』とでもいうものだろう。 だから、語るべき過去や名前だってない。
とりあえずは持っているが、そいつは俺のモノじゃない。 俺のモノじゃないのに、俺のモノだと言うのは詐欺だろう? それに、静かな墓所にうるさい墓は迷惑極まりない、雰囲気ぶち壊しだ。 俺は『分』てやつを知ってるんだよ。……そいうのも、俺の『前世』と違ってる部分だ。
だから語るべきは、これまでじゃない、これからだ。
何か言ったようで何も言っていないが……まぁいいだろう。
これでも寝起きなんだよ。 気持ちよく眠ってたのに、無理やり起こされたんだ。 だから、あまり気分はよろしくないんだぜ。 ほんと……そういうものだろ、寝起きって?
こんなものでいいかな、俺の自己紹介は。
それじゃ、終わりの始まりだ。
◆ ◆ ◆
【イチゴ】の/杜の叫びが放たれた。
「結城ィーーーーーッ!!」
その声と共に巨大な塊が、空を裂いた。 【コウイチ】の/結城のもとへと横殴りに放たれていく。
【柔術】スキル、対間隙・反射技【鏡面殺】―――
簡単に言うと、相手の攻撃をそのまま相手に返すだけ。 ただ、力の反射方向を変えれば、別の対象へとぶつけることもできる。 むしろ、ちゃんと相手に返してやることのほうが難しい……らしい。
『らしい』としか言えないのは、この【柔術】スキルについて俺は、知識としてしか知らないからだ。
【対不意打】【対死角】【対硬直】というのは、想像の範囲内にギリギリ収まっている。 だが、【対間隙】というのは魔術の領域だ。
敵の攻撃を正面から受け止めつつ、そこに生じる僅かな隙を捉えて相手のシステムアシストを奪う。 その僅かな隙というのは……ソードスキルを発動させてしまうことで引き起こされるシステムのプレイヤーへの干渉現象に由来するもの、らしい。 その時プレイヤーの意識とそのアバターの接続は弱くなってしまう、そこに付け込む技だ。
ソードスキルとは、システムに直接自分のアバターを操作させることだ。 命令を送ってこの仮想世界で実行させるまでの現実的な距離を、最短にするコマンドだ。
どんなプレイヤーにも必然的に起こってしまう遅滞。 有り体に言えばそれは、肉体の反射と同じ現象でもある。 情報伝達速度が上がることで優先度も上がって、高速・最大の攻撃力を引き出すことができる。 ただ、その攻撃は早く重くはあるが、決められた型通り・決められた的しか打てない。 そのため、それらを知っていれば発動後でも充分対処可能だ。
しかしそれは、誰でも使える戦術に過ぎない。 【柔術】はそこから、敵のアシストを奪う。 高速で迫り来る刃をさらなる瞬速で奪う。 自分の意識がその刃をはっきりと認識する必要がある。 意識を数十倍に/あるいは数百倍に『加速』する必要がある。 刃に攻撃判定が生じないほどまで、スローモーションで見えるレベルまで―――。
そんな世界におけるアバターは、棒人間レベルまで簡略化されることだろう。……やったことないからわからん。
【対間隙】のシステムアシストを引き出すためには、システムアシストを遥かに上回る伝達速度を自前の生体脳で引き出さないといけない。 恋人同士の見つめ合いや走馬灯でもいい。 それをどうにかして、その瞬間にひねり出さなくてはいけない。 ……そんな珍妙な話になってしまうからだ。
軌道を読み取って、迫り来る刃のわずか先に掲げた手のひらをそこに合流させる。 そして、受け止めたそれを弾き返してしまう。 バレーのレシーブの要領だ。
ただしその球は、言葉通り目にも止まらぬもの。 自分の体を縦に輪切りにできる重さと鋭さを持った極太の刃。 一歩どころかミジンコ並みの間違えであっても、そんな笑えない未来が待っている。
ただし成功させれば、余波だけで吹き飛ばされであろう奴の真っ赤なHPは無事。 同時にあの死神を倒しうる逆転技になる。
つまり―――杜の命を刈り取らんと振り下ろされた死神の大鎌は、獲物から逸れて脇へと振り抜かれた。
その軌道上にそっと掲げられた奴の手のひらに/当たるか当たらないかのギリギリの瞬間、急、そのベクトルをそのまま/ほぼ直角に変えてしまった。 仲間であるヒースクリフの元へ―――。
結城に止めを刺そうと、十字盾を突き刺そうとする目前。 目の端に映ったのだろう、迫り来る脅威を目視。 すぐさま攻撃を中止、盾の本領を発揮すべく切り替えた―――。
ギイィィッ、という鉄と鉄が摩擦し合う音。 火花のようなライトエフェクトを散らしながら、急ブレーキをかけられた電車の騒音。
死神の大鎌は盾の内側へと食い込もうとする。 しかし、盾表面の緩やかな湾曲/真正面ではなくわずかに傾かせた構え、鎌は突き刺さることなく逸れていった。 絶死の不意打ちを躱しきった―――
しかし、その爪跡を深く、刻まれた。
強烈すぎる一撃を凌ぎ切ったがために、硬直時間を課せられた。 致命的な隙。 剣を握った結城浩一郎を前にして、あらゆる防御が取り払われた。
呆然と、刃を受け入れんと諦めてかけていた結城。 しかし飛び込んできたその好機に、本能が反応。 雄叫びをあげた。
「お……おああぁぁぁーーーーーっ!!」
振りかぶるなどぜず、そのまま。 鋒を奴の胸元へ滑り込ませようとした。
―――勝った。僕はこの人に!
そう確信させるに足る、瞬間だった。 避けようもない。
事実それは、奴の胸部装甲をわずかに抉った。 妨げるモノなど何もない、そのまま貫けば奴のHPは0になる。 いくらGM権限を使おうが手遅れだ。 ここからの逆転はありえない……そのはずだった。
だが茅場は―――嗤った。
奴の奥底に潜む狂った何か、全てを己の地獄に堕とさんと邁進させる汚泥。 ソレがその時、にじみ出てきた。
ソレを認識するまもなく、結城の腕は……止まった。 突き込んだその剣が、貫く寸前で止まる。
何が起きたのかわからなかった……。 麻痺にも似た虚脱感が腕を止めてた。 全く力が入らない。
困惑しながらも視界には、その原因が露に映った。 納得させられた。 ……これじゃ、どうしようもないな。
胸から二の腕ほどの刃が生えていたんじゃ、仕方ない。
ソレを認識すると同時に、吐血した。
「―――ぐふぅッ!?」
口元から、鮮血のライトエフェクトが漏れ出た。 胸元からも撒き散らされる。
その真っ赤な噴水の中心には、背中から深々と胸を貫いた大太刀が、屹立していた。
ヒースクリフでも死神のモノでもない。 だがソレはそこにあった。 結城の胸を差し貫いている。
茅場がGMの魔法を使ったのだろうか? そんな暇はなかった。 そもそもそれができれば、こんな戦いは成立していなかった。 指先ひとつ/声一つでことが足りたはずだ。 それをやらなかったのは奴のプライドかルールへのこだわりか、それともできなかったのか……。 今となっては定かではない。 ……俺としては、できなかった方に一票投じる。
そういうことだから、これは魔法でもなんでもない。 ギリギリルール通り。 ただちょっとした、インチキが使われただけ。
俺の死骸が動いて、装備していた薙刀で結城を背後から突き差した……なんていうものは、インチキ以外の何ものでもない。 それも、恐ろしく趣味の悪い類の。
「こ、これ、は……なん、で?」
「楽しんでいただけたかな、結城くん」
驚愕を越えて戦慄している結城。 その耳元まで近づいてた茅場が、囁いた。
静かにその場から一歩下がると、右手に/長剣を真横に振りかぶった。 刃にクリムゾンの光が帯びる。 ソードスキル―――
そしてそれを、ためらいなく―――振り抜いた。
スパンと、がら空きになっていた結城の首筋に、赤い横線を一本引いて……
結城の顔が恐怖で固まる、いや……止まった。 スイッチが急に途切れたかのように。
強ばった表情のまま顔が/頭全体が、真横にずれた。 ゆっくりと名残惜しむように滑る……。 が、ある一瞬を境にグラリと傾いた。
そして、そのまま首元から……落下した。
ボトリと、音が鳴った。 続いて勢いよく、鮮血が噴出した。
バウンドなどせず落下したその場からほんの少しだけ転がる。 横倒しになって止まった。 その端正な顔立ちは一切崩れることなく、何が起きたのかわからないと言わんばかりの瞠目を浮かべたまま。 そんな頭の上に、真っ赤なシャワーが降り注がれた。
断頭=即死攻撃……。 初手でやられるはずだったことを、そっくり返した。
結城の生死を確かめることもせず茅場は、すぐさま振り返った。 そして、残った標的を見据えると、呟いた。
「……止めに使おうと思っていたのだが、なかなか思い通りにはいかないものだな」
その声を合図に俺だったモノが、結城の体から薙刀を抜き払った。
残った胴体は、薙刀が抜き去られると支えを失う。 ほんの少しグラグラと立ちすくむも、すぐに膝砕け、崩れるようにその場に倒れた。
バタンッという音を最後に、結城はこの世界から……消えた。
「―――さて、3対1になったが……どうする? 降伏すれば命までは取らないよ」
「……結城さんを殺した、あんたにか?」
言いながら杜は、自らの立ち位置を変えた。 その顔には幾分も戦意は失われていない。 だが、陥ってしまった危機的な状況で固くなってはいる。
唯一の仲間の死を悼むことができず。 そのまま放置して/切り替えて、生き残る道を探る。 脅威を冷静に分析する……ソレができる自分に腹が立ちつつも。
死神の攻撃を防ぐために、その射線上に茅場を乗せた。
そんな戦意の衰えぬ様子にも茅場は、泰然とした態度は変えず。 むしろ、柔和とも言える表情を向けた。
「いや、殺してはいないよ。見たまえ―――」
地面に横たわった/結城の死骸を指差した。 HPが0になってもなお、ここに残り続けている死骸……。
指摘されてようやく、その異変に気づいた。
本来ならHPが0になれば、モンスターであれプレイヤーであれその体は、細かいポリゴンの欠片へと変えられてしまう。
細かく分解されながらも、蛍が舞い上がるような瞬きを空中に躍らせる。 本の束の間、まるでどこにもいなかったかのように跡形もなく……この世界から消去される。
残酷であり同時に慈悲でもあるのだろう。
そのあっけなさは、プレイヤーがこのゲームを続けるためには必要な処置ではあった。 日常的には死に触れたことがないであろうプレイヤーたちでは、その重圧に耐えきれない。 これが現実だと理解してしまう、これがこのテーマパークの余興の一つだと、受け入れてもらえなくなる/拒絶反応が多大なエラーを引き起こす。 煌びやかで騒音に満ちたエンターテイメントと仄暗く静寂に包まれた死は、水と油だ。直接混ぜても、ひとつにはならない/なってはならない。……その仲介として考えられたのが、その『あっけなさ』なのだろう。
だが、もはや公然のデス・ゲームだ。 PTAや文部省の目を、この仮想世界で気にする必要などないはず。 なのにソレは残っていた。 現実の倫理コードは破れなかったらしい。 本物の別世界を夢見たあの茅場晶彦であっても、掌握しきれなかった部分なのだろう。 あるいは、異世界であることを強調するための演出なのかもしれないが。
HPが0になれば、プレイヤーの体は跡形もなく霧散する。 それが今日まで、この世界の常識だった。 だから―――
その死骸が『白い霜』に覆われるということは、聞いたことがなかった。
人の肌とは到底思えない硬質で冷たい何か/霜は、徐々に広がっていく。どんどん成長し固まっていき―――氷となった。
甲冑の蒼にも溶け込んいく。 金属と混じり合い/融合し、水晶のような塊へと変貌した。
はじめは切断面から。 次は装甲の薄い手足や首元、 空いた関節部から広がっていった。 空気を含んだためか、ホンの少し白くなっていた氷は、甲冑を取り込むことによって蒼く染まっていく。
全身に氷が張って包み込まれると今度は、その周囲の地面が凍りはじめた。
剣山のような氷が彼を中心に地面から生えてきて、広がっていく。 熱を食いながら、固く鋭く成長していく―――。
その広がりは、同心円状ではなかった。 まるで目的があるかのように蠢く/食指を伸ばしていく。 その爪先にあったのは……【コウイチ】の外れた頭部だ。 氷が/それ以前の白い霜のようなものが地面を這いながら進んでいく。
触手に掴まれた頭部にも、氷が感染した。
まず内側を侵食し、外へと染み出していく。 死の直前に固まった人形のようなその顔は、さらに生気を失った。 人として/生物としての質感が徐々に失われる、荒いポリゴンの角ばったモノへと堕していった。 内側に無理やり折りたたまれるように、【コウイチ】の顔が分解されていった……。
顔の判別すらできなくなっていくと、すべての特徴が消えた。 楕円球の輪郭のみを残すだけ/のっぺりとした球体となった。 完全な氷の塊に変わった。
『完成』するやいなやむくりと、胴体が起き上がった。
その姿はもはや、【コウイチ】以前に人からも外れたものとなっていた。 頭部が氷に食われている最中、胴体もまた、氷によって変貌を遂げていた。
氷の巨人―――
よつんばになってかがんでいるその高さでも、人の背丈をゆうに倍するものだった。 その横幅も、ふたまわりは違ったものだ。
手足が2つずつ左右にあって、その先に指らしき尖ったものが何本かある。 そんな特徴から『巨人』と言ったが、無機質な氷でできたその姿は『ゴーレム』といってもいいかもしれない。
できた自分の手で、何かを探す。 ガサゴソと手探りで、地面を/そこにあるはずのモノを―――
「ビーストテイマーの特権でね。 自分が死んでも使い魔が生き残っていれば、現実の肉体は死ぬことはないんだ。 ただ―――」
その手が何かに触れて……止まった。 指先をそこに這わせる。
そこには丸く、手のひらにギリギリ収まるほどの球があった。
己の頭部……。 それを確認するとガシリッと、掴んだ。 握りつぶすようにきつく固く―――。
手の中でそれは、どんどん小さくなっていった。 いや、その手に溶け込んで同化していった。
透明だった頭部は、巨人の蒼に侵食されて染色されていった。 同じ色にまで染め上げられると、指と手との境界を失ってつながった。 徐々に輪郭を失い、あったであろう質量も消えていった……
全てが手のひらの中に溶け込むまで、ホンの数十秒もかからなかった。
「……このように、ボスモンスターに変わってしまうがね」
球体を完全に取り込んだ巨人は、その場で立ち上がった。
その背丈は悠に人の倍ほどはあるが、自然体ではあったからだろう。 見た目ほど恐怖を掻き立てられない。 ただどっしりと、空気に重みが増した。
そして、見上げた。 頭のないその姿で、空を仰ぐ。 まるで、何かの到来を待っているかのように―――
それは、己の内側からやってきた。
平らな肩口から、氷の塊が膨張した。
それは急速に成長すると、人の胴体程の巨大さまで膨れ上がった。 氷を凍らさて、それを積み重ねていく。 幾重もの氷が空気を侵食しながら成長していくと、その大きさで止まった。
涙滴のような半球体……。 鬼火のように幾重もの鋭い火先を背中にたなびかせながら、巨人の肩に鎮座した。
その氷の塊は徐々に、表面を削っていく。 剥離するかのようにボロボロとひとりでに、滑らかな表面に凹凸を刻んでいった。
表の丸い球体状の部分には、人の顔に似た目と鼻と口が、だが明らかに人とは違う顔が出来上がった。 堀の深い眼孔から覗くのは白一色の瞳。 頬が裂けるほどまで開かれた口の端からは、鋭く太い牙が幾つも顔を出していた。 前に伸びたそれは、人一人は容易に咥えられるほどの大きさだ。
裏の火先は、さらに細かく分裂しつつ背中へと伸びていった。 幾十幾百幾千と分裂を繰り返したそれは、髪のような繊維へ変わった。 それらがまるで鬣(たてがみ)のように、硬質な体を柔らかく彩る。
首筋・肩・背中へと広がって、やがて全身を覆った。
髪と背後・腕・脚部には濃紺色の針のような剛毛が、首元と腹部には初雪のような産毛が生え揃った。 氷の塊から生き物のそれへと変えていく。 そして、左右の側面には先の尖った耳が二つピンッと、立ち上がると―――完成した。
巨大な獣人が、出来上がった。
巨人は、生まれたてのその眼光を、唯一の敵へと差し向けた。
【ザ・ブルービースト】―――
単調な名前。 だが、定冠詞がついている名前は、この世界で唯一の存在である証明。
放たれた威圧が/押しつぶすような冷気が、エリア中に広がっていく。 視線を通して杜へと、突き刺さっていく。
「結城君の意識は、カーディナルが幽閉した。 彼のアバターと使い魔から作られたこのモンスターが、誰かに倒されるまでは、死ぬことはないよ。 だから―――」
「■■■■■■■■■■!!」
底冷えするような重低音が、響き渡った。 あまりにも凶悪な産声……。
そこにいるソレには、結城の要素は一切感じられない。 だが……それでも、結城だったモノから生まれたもの/変貌したものだ。 その過程を見てしまった。
その凶相以上のおぞましさに杜は、ギリギリ冷静さを保っていた一線が破れたのを、感じた。
「これで4対1だ。
アクセスポイントの場所を教えてくれれば、ゲームクリアまで結城くんの命は保証しよう」
茅場は、感情を込めず淡々と/しかしだからこそ煽っているかのように、取引をもちかけてきた。
巨人も、主人の期待に応えんとか、その体に戦意をみなぎらせ始めた。 獰猛な猟犬のように、それを爆発させる瞬間を/主人の一言を、今か今かと待っている。
杜は、そんな彼らを倍するように/その目に激怒を込めて、茅場を睨みつけた。
「……ふざけるな」
状況はさらに最悪になった。もはや、足止めすらままならない戦力差だろう。
ヒースクリフ・俺・死神そして巨人。 奴の【柔術】がいくら規格外でも、この人数差は覆しようがない。
この状況俺ならば、もっと別の方法を取っただろう。 そもそも、こんな状況に追い込まれることにならないように、立ち回ったはずだ。 ……俺は、この狂気が支配している瞬間をずっと、避けてきたから。
「おや、彼は親友ではなかったのかな?」
表情は柔和なまま、詰るように煽ってきた。
「『親友』だからこそだ―――」
杜は初めて、構えらしい構えを取った。
両手を肩ほどまで上げて、指・手首・肘を緩やかに曲げて敵勢力に向ける。
「逆の立場だったら、俺はそんなことを望まない。人質をとって悦に入っているお前の鼻っつらを、ぶん殴ってもらいたいと思うだろうな」
啖呵を切ると、戦意が迸った。
劣勢だとは微塵も思わせない気迫が、その眼光から放たれる―――。
それは、魂がないはずのプログラムの塊にすら、響きわたっていた。 各々、迸ったものをその身に受けて、武器を強く握りしめて構え直していた。
その中で茅場だけは、静かに/そよ風が吹いたほどの穏やかさのまま、杜に微笑みをむけていた。 奴が立っている場所だけ凪が、杜の戦意に揺れない静けさが鎮座していた。
「そうかね、残念だ……。
それでは―――」
だがそれは、嵐の前の静けさに過ぎなかった。
「君を倒して終わりだ」
凪が一気に―――津波に変わった。
杜のそれを押し返しぶつかって、嵐を呼ぶ。
茅場の表情も変わっていた。 柔和な仮面を破り捨てて、酷薄な笑が浮かべられていた。
今まさに獲物を刈り取らんとする猛禽の眼光、隠していた鋭い牙が垣間見える猛獣の口角。 漏れる吐息は、臓腑の底で煮えたぎった悦びの穂先……
押さえつけていた狂気を剥き出しに、敵と対峙し始めた。
―――これが、茅場晶彦か……。
『天才』という言葉の意味が、その顔に現れていた。
人よりも優れた爪と牙を持ってこの世に生まれてしまった奴は、若くして勝利者になった。 誰も成し得なかったことを平然としてのけた。 その対価として、巨額の富と名誉が授けられた。 誰もが彼を羨んだ、誰もが彼に希望を向け……絶望に落とされていった。
だが、奴はそれに満足しなかった/できなかった。
全て余分だった、求めていたものだけが手に入らなかった。 だから……何もかもをも、捨ててしまった。 己の未来さえも、全てゴミだと吐き捨てるかのように……。
その果てに、このゲーム/地獄が生み出された。
仮想世界は、人の隠された真なる欲望を顕にする……。
現実の自分とは違う顔と姿形。 人間社会ではタブーとなっていることすら平然と行える倫理の外れた世界、それを許容する無垢な世界。 物理法則すらも捻じ曲げる超人的な力を、そこに来るすべてのゲストに無償で配布する。 現実のみならず肉体の枷からも、人の心を自由に遊ばせる。
人は誰しも、心に闇を抱えている……。
それは本来、心には必要なものだろう。 だが、文明社会と肉体がそれを拒む。 煌びやかで綺麗なものだけしか、受け入れようとはしない。 そうすることで、『発展』を続けてきた。 だがその結果として、闇は置き去りになった。 追いやられることで、より強く濃いものへと変貌していった。 ―――そしていつしかそれは、感情を持ち始めた。
一つに戻りたい……
乖離してしまった己をもう一度、元の体と社会に適合させたい。 そんな望郷の念。 その感情が、仮想世界を現実社会に保っている。 VR技術は、その需要を糧にして今まで発展してきた。……健全であると自他共に認める者は、それを必要としない。
仮想世界は、心の闇こそ求めている……。
大なり小なり、そのように設計されている。 その在り方からは、茅場晶彦であろうとも例外ではない。 むしろ創造主でもある奴こそ、その影響を一番受けているはずだ。 『神』を抑制するものなど、誰もいるはずがない。 ましてたった一人の『絶対神』なら、それが現れない方がおかしい。 ……奴もまた、神ならぬ人でしかないのだから。
求めていたのは、自分を倒しうる好敵手の存在だったのか? それとも、別のことだったのか?
それは、奴の内側に問いかけるべき問題だろう。……うるさい墓でしかない俺に、奴の心などわかるわけはないのだ。
「―――ああ、そうだな。 お前を殺して終わりだ」
杜の言葉が、ひどく遠いところから聞こえてきた……。 俺が耳から、切り離されていたからだ。
耳だけじゃない。目や鼻、肌からすらも俺が剥離していく。 どんどん遠ざかって/霞が濃くなっていくかのように、感覚は麻痺していく……。
次第に、それらがどんなものだったのかすら……わからなくなってきた。
その声を最後に俺は、このエリアから切り離された。
あとにはただ、底のない黒が周囲を包み込み、俺を……遮断した。
暗闇の中/意識のみをそこに、揺蕩わせて。
◆ ◆ ◆
悲惨な状況だが杜は、戦い続けるらしい。 その戦意は、茅場の狂気に当てられても萎えてはいなかった。
俺ではない『俺』だったものが残した記憶が、そんな杜を助けてやりたいと訴えてくる。 だが、どうしようもない/どうすることもできない。 こうやって記述することしかできないのが俺だ。 ……危機的状況を変えるには、あまり意味のない行為だろう。
加えてそれすらも、もはやできなくなってきた。
今の俺を稼働させている計算領域は、あの俺だったアバターの中にある。
ほんの僅かなリソース、東京ドームの中で蟻が一匹ピョンピョン跳ねているようなものだろう。 期待してくれるのは嬉しいが、過大評価しても何もできない現状だ。 このように喚いても、何かを変えれたとは思えない。 そんなリソースが確保されていたことはなかなかに興味深いことだが、どうせなら、もっと大きめのサイズにして欲しかった。
そんな計算領域も、すぐに枯渇した。 大食漢の戦闘プログラムを稼働させるために徴収されちまう。 ……相手がでかすぎて/手がなさすぎて、笑うしかない。
だが/だからこそ、試してみる価値はある。
この僅かな計算領域から、全てを狂わせてみせる―――
それにはちょっとばかし、時間がかかるだろう。 成功率は奇跡と呼んだほうがいいものだ。 だがこのまま終わるのは、性に合わない。
俺は、人を驚かせることが好きだ。 驚かされることも好きだ。 好奇心いっぱいの子供だ。 だから、予定調和の中で消えちまうのは大っ嫌いだ。 ―――『神崎等合』は、そいつを認めない奴だ。
何より、彼が助けなきゃならない者は、まだこの世界にいるのだ。彼の娘はまだ、ここにとらわれているはず。 だったら、消えるのはまだ先だ。
……そうでなくちゃ面白くないだろう、茅場さんよぉ?
長々とご視聴、ありがとうございました。
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