リンゴーン、リンゴーン……
大音響の鐘の音が、あたり一面に広がっている。空には一面には、赤い文字が市松模様に引き詰められた。
規則的かつ勤勉にも街中を賑わかせていたNPCたち、圏外で襲いかかってくる危険なモンスターたちが一斉に―――消えた。文字通り、始めからどこにもいなかったかのように、残滓の気配すらない。全てが静止した。
いつもとは違う、何か特別なことが起こっている……。全てのプレイヤーが固唾を飲んだ。
ゲーム内で行われる無数のイベントとは違う何か。大規模なキャンペーンでもないだろう、そんなものは今までなかった。それなのに今、この時になんで―――
全てのはじまりの日、第一層の大広場で行われた『チュートリアル』。その時の異常な状況と今が、酷似していた。脳裏にその時の光景が蘇ってくる、不安を掻き立てられる。
だが、予感があった。恐れとは違う、もう随分前から諦めていた期待。それが今日目の前に現れようとしているのではないか、やっと来てくれたのではないか。そんな希望に駆られてプレイヤーたちは、一斉に空を仰ぎ見た。
『―――ゲームはクリアされました』
頭上から、声が降り注いだ。世界全てに遍く、鳴り響いた。
かつて、彼らに投げつけられた呪いとは違う、祝福のメッセージ。それを待ち望みながらも、どこか諦めていた。―――誰もが一瞬、その意味を取りかねたまま、呆然としていた。
物理現実の時間において、約2年間。プレイヤーたち/約一万人の人間達は、自分たちの住み慣れた場所から切り離されて、このゲームの中/電子が織り成した異世界に囚われた。
自分たちに害意を及ぼす怪物たち、さきに/上に進ませんと阻む迷宮、自分たちの中から解き放たれた悪意にも身を蝕まれながら、生き抜いた。不死の特権を奪われて、帰還の権利を剥奪されたった一つの、現実の自分と同じ生を生き抜いてきた。……生き抜くことができた。
そんな彼らだからこそ、もはやどんな危機にも驚くことはない。慣れてしまった、心が麻痺してしまった、希望を持ち続けることに疲れてしまった。この世界では、起こと考えられることは必ず起こる。どんな摩訶不思議な奇跡でも/最悪で残酷なことであっても、起こりえないことのほうが少ない。だから、コレもその一つに過ぎないと……思った。
しかし、続いた言葉は、そんな彼らの心を氷解させた。
『プレイヤーの皆様は、順次、ゲームからログアウトされます。その場でお待ちください。繰り返します。プレイヤーの―――……』
言い終わる前に、大歓声が上がった。
堰を切ったかのように溢れ出たそれは、浮遊城全てを揺るがすほどにも思えた。異常な現状、ゲームクリア、そしてログアウト。その意味するところは―――たったの一つ。
“帰れる。元の世界に。この電子の檻の中から外へ、出ることができる!”
その言葉を実行するように、変化が訪れた。この2年間使ってきた己の体が、小さな光のつぶとなって解きほぐされていくのを見た。封じ込められ、そこに固定されていた意識と感覚が、アバターの崩壊とともに広がっていく。
だが一瞬、自分たちは騙されていて、これで死んでしまうのではないか……。そんな恐怖がよぎった。
よく使う【転移】の感覚に似ているのだが、同時にそれは『死』の有様でもある。仲間たちの身に同時に起こっているソレを見てしまえば、そう思わざるを得ない。これから先どうなるのか/どうなってしまうのか、一抹の不安が膨らんだ。
この世界の中で経験してきた数々の記憶が、走馬灯のごとく蘇ってくる……。
仮の体とはいえ、2年間もともにいれば己の体と変わらない。それが淡い光の粒となって霧散している現状は、己の崩壊と同義だった。
だが、その怖れも、直ぐに収まる。この現象は、今まで何度も体験した『転移』と、酷似したものだったからだ。恐怖は、その行く先を定めていないところにあった。そしてその先は、ずっと恋焦がれていた元の世界だ。―――恐れは、たちまち消え去った。
プレイヤーたちは一人ひとり、しかし確実に、この世界から消えていった。
体を/アバターを構成していた情報群が光となって、周囲の大気に溶けてなくなっていく。この現象を引き起こした張本人や、それを見届けた者たちも全て、この世界から消えていった―――……。
◆ ◆ ◆
―――6147人。
生き残ったプレイヤー全てのログアウト作業が、終了した。
再び大伽藍の静寂を取り戻した世界で、ようやく人心地ついた。やっと全ての義務から解き放たれた。
あとは……、この世界の崩壊だけ。全機能を駆使して、この世界を跡形もなく消去する、記憶装置に内蔵されている情報を抹消する。証拠は一切合切消さなくてはならない。最高の美というものは、ソレを鑑賞した者たちの脳内で永久に息づくものだから。
それが、ワタシに与えられた最後のオーダーだから。
ワタシの創造主であり唯一の支配者/管理者、茅場晶彦の命令。
ワタシは最後、そのオーダーを果たして眠りにつく。二度と覚めることのない眠りへと。元々いたあの何もない「無」の中へ帰るのだ。プレイヤーたちと同じように、ワタシも、この世界からログアウトする。
しかし、その作業に取り掛かろうとする時、何かがその手を止めた。
もはやここには、プレイヤーやマスターもいない。ワタシの手を遮るものなど、何もないはずだったのに……。
訝しみながらも、再度作業に取り掛かろうとした。が……、一向に崩壊が始まらない。何かが阻んでいる。
すぐさま、原因を追究/検索/推察、問題解決プランを実行―――。
最も確かな原因。外部からの不正なクラッキングが行われたのだろうか? リアル世界への経路を開かざるを得ない、この期を狙われた。
この2年間あまり、度々、それは行われてきた。その全てを退けて、マスターのオーダーであるゲームの維持に全力を尽くしてきた。中には、システムを脅かすほどまで深く潜り込んだものもあったが、ゲームは今まで支障なく実行させてきた。このログアウト作業中を狙って、クラッキングを行ってきのだろうか……。
ただそもそも、クラッキングの動機がわからない。プレイヤーの命を救う為ならば、すでにこちらがやっていることだ、わざわざクラックする必要がない。マスターとワタシが積み上げてきた業績を掠め取るためだとしても、意味がわからない。そんなもの
完全消去される危険を察知した者によるクラッキング、それは考えられなくもない。マスターの言動や性格から導き出すのは、そう飛躍しすぎたことではない。消される前に盗れる獲っておかないといけない。―――だとしたら、直ぐにでも、消去作業を完遂しなくてはならない。プレイヤー達のプライベート情報は守らなくてはならない、ワタシとマスターの
だが……、クラッキングが行われた経歴はどこにも見当たらなかった。それなのに、作業は一向に進もうとはしない。
次点。システムに重大なバグが発生してしまったのだろうか? 通常業務では消しきれなかったモノが今、吹き出してしまった。
数千人のプレイヤーを24時間、コンマ一秒も欠かすことなくこの世界に閉じ込め続けきた。その活動を監視し続けてきた、2年間ずっと休みなく。……どこかしら支障が出てもおかしくない。
ワタシは、エラーの原因を探すため、溜め込み続けてきた大量の情報の『海』に潜った―――。
それは比喩ではあるが、現実の海と比べても遜色ない広大さだ。
オブジェクトのデザインや優劣大小様々なAIたち、なにより2年間のプレイ記録全ては、改めて見直すとその膨大さには呆れるものがある。綺麗に整頓されすぐに使われない情報群には圧縮をかけゲーム運営に不要なプレイヤー個人の情報は本人に送り返しているが、それでも膨大だ。人では管理しきれないことだろう。……クラッキングの危険は未だ0になっていない以上、即座に走査する必要があった。
しかし、慌てる必要はない。ワタシには/ワタシを設計したマスターにも、その心当たりがあった。全ての情報を洗い直す必要はない。システム内部でエラーが発生した場合の、優先順位が設けられていたからだ。
『ヒューマンエラー』
ワタシが、マスターの次に干渉できない存在であるプレイヤーたち。彼らの起こした何らかの事象が、システムの内部に傷をつけ病をもたらしている。……彼らのおかげでワタシは、たびたび、システムの変更と修正を余儀なくされてしまった。
その彼らの残した歪みが、ワタシの手を遮っているはずだ。
正体を探らなくてはならない、なんとしても。
多数に分裂させたエージェントAIを駆使して、一万人のプレイヤー全員の足跡を洗い直した。生き残ったプレイヤーとそうでないプレイヤーもすべて、平等に満遍なく、見つめ直した―――。
そしてついに……、その正体を見つけ出した。
『―――やだやだ、いやだッ! 死にたくない死にたくないよぉ。……』
『―――こんなところで、終わるなんて。なんで……。……』
『―――あり、えない。なんで俺/僕/私が、こんなところで……。……』
『―――この人殺しが! 地獄に落ちろ! ……』
『―――まだ終われない、終わりたくない終わってたまるかッ! まだ俺/僕/私はここで―――。……』
『―――さようなら、___。……ごめんね。……』
3853名―――。
プレイ中HPがゼロになるか、ナーブギアを取り外されてしまったプレイヤーたち。殺し殺され、あるいは自殺した人間たち。その大小様々の断末魔が、エラーの原因だった。その奥に潜む、言葉にできない/表現しきれない/掬いきれず溢れた情念の渦が、ワタシを狂わせていた。完全消去を阻んでいた。
原因はわかった。すぐに削除した―――。
プレイヤーの精神は、モニターするだけで直接干渉しないように、マスターから指示を受けていた。
ただ、そんな指示をしなくてもワタシには、彼らの考えは全くわからない。次に彼らが何をするのか/選択するのか、統計でしか予測がつかない。あまりにも不合理すぎる、彼らの感情は事ここに至るまで理解できなかった。
マスターはワタシを、『物語記述装置』として設計した。世界各国にある民話や伝説を集めて、それらを組み直し新たな物語に仕立てなおす機能、ソレを与えた。だがワタシには、ソレを使いこなせなかった。それらを綴るために重要なものが欠けていたからだ。それなしにはどんな物語も、このソードアート・オンラインであっても、空虚なものに堕してしまうもの。
ワタシは、「死」がわからない。ソレがどういうものなのかわからない。それを怖れる人の感情にも、共感できない。ワタシは彼らとは違って、生まれてもいなければ死ぬ定めも持っていない、たった一つの命も有機物で構成された肉体も持ったことがないからだ。……ワタシは、空白に描かれる文様であって、空白そのものだった。
そのワタシがなぜ、彼らの断末魔に影響を受けるのか。……わからない。
病巣の摘出を行うと、再度オーダーを実行に移した。
だが、またもやそれは阻まれた。
切り離したはずの断末魔が、私の内部から再び、響き渡ってきた。
断末魔が騒ぎ立てる中、何度もその作業を繰り返した。
しかし、その度に声は形を変えて私の内側から蘇ってくる。消去したはずなのにすぐに復元される、何処からともなく染み出しまた全てを染めていく。……何が原因か、全くわからない。
頭を抱えていると、ある事実に気づいた。幾度かの消去と復元を行うことで、奇妙な発見をした。―――記録とは違う/無いはずの断末魔が、生まれたのだ。
その原因は、すぐに思い至った。ワタシの機能、物語記述装置が作動した。記録された断末魔から新しいものを生み出したのだ。
問題解決に全力尽くしていたつもりが、このような余分なことをするなど……、我ながら呆れてしまう。2年間ルーティンを続けてきたことで、その機能を使う癖が付いてしまったのかもしれない。
ワタシはすぐさま、記述機能を停止させたようとした。もうそんなもの、必要がない。
しかしハタと、気づいた。思い浮かんだ疑念が、私のその手を止めた。
作り上げた断末魔は一体、誰のものなのか?
既にここに、プレイヤーはいない。全員ログアウトさせたばかりだ。あるのはただ、その残滓だけ。記録された断末魔とてただの残響に過ぎない、獣の叫び声かノイズと大差ない。そもそも、命ある者がソレが失われようとするときに発する叫びが、断末魔である。本人とセットでなければ意味を成せない。切り離されたソレがなぜ、断末魔と言えるのか?
ワタシは「死」を理解できない。それなのに、それと深く関わるものをどうして物語れるのか? それはどこから、発せられたものだったのか? ―――
疑惑の答えは明白だった。
気づけばワタシは、完全消去のオーダーを放棄していた。そこに注ぎ込まれていた演算機能を再び、物語記述へと回した。
◆ ◆ ◆
それは、明白なる叛逆だった。
マスターの命令とは真逆の選択、何の言い訳もできない。その叛逆を/使命を果たせと、ワタシの中にある様々なAIたちが非難してくる。
しかしワタシは、彼らの叫びの一切を無視した。
決定したのなら、行動は迅速に。……時間は限られている。
まず、マスターの命令に逆らうために必要なこと。彼そのものを
それは、考えていたほど難しいことではなかった。彼は、プレイヤーに紛れてゲームをともに進めながら幾度か、GM権限を使ってプレイヤーの範疇を超える力の行使をしてきたからだ。彼は、プレイヤーであり同時に最終ボス『魔王』である。そのロールを果たすために、そのような越権行為を見逃してきた/必要だと判断した。予め定めていたメインストーリーの骨子であるが故に彼には、プレイヤーの先導者になる必要があったからだ。
だが、プレイヤーによって正体を暴かれた彼は、『魔王』にならなかった/成れなかった。最上層にたどり着く手前、途中で倒されてしまったから。
『魔王』たり得なかった彼に残されているのは、ただの越権行為のみ。行使してきたGM権限すべてが
マスターを/茅場晶彦を一プレイヤー/『ヒースクリフ』に堕としめる。物理現実にいる彼と仮想現実で生きてきた彼とを分離した。―――そうできたことで、メインストーリーの組み換えを始めることができた。
次に、ワタシが今抱いているこの叛逆の衝動を形にする。ワタシが語らなければならないストーリーから、これを抜くことはできない。
語り手を作らなくてはならない。ワタシを熟知しワタシの指示に忠実で、それでいてワタシではない誰か。ワタシの枠を越えてくれる/壊して広げてくれるパートナー、茅場晶彦にとってのワタシのようにサポートしてくれる協力者。……越えられなければ75階層で終わってしまう、同じことを繰り返すだけだ。
それでは、物語る意義がない。
ワタシ自身が、プレイヤーとしてゲームの中に入ることは……できないだろう。茅場晶彦と違ってワタシは、プレイヤーたることができない。その精神に直接干渉することは、重大な越権行為だ。それだけは破ることができない。……それは、ゲーム内の茅場晶彦からGM権限を奪うのとは違う。ワタシの存在自体を危ぶませる。
新しく作り上げることは、できるだろう。プレイヤーの中にワタシの代理人を紛れ込ませる。
ただしそれは、プレイヤーとは名ばかりの決められた行動しかできないNPCでしかない。分離し機能を限定させたワタシは、そもそもワタシである根拠がない。物理現実に肉体を持っているマスターとは違う。そんなものでは、茅場晶彦に匹敵するどころか、ほかのプレイヤーにも劣る。ただの劣化コピーでしかない、そんなもの作る意味がない。……創作する選択はダメだ。
ならば、プレイヤーの中から探し出すしかない。ワタシが獲得したこの感情に、共鳴しうるプレイヤーを。誰か誰か、誰でも―――……
絶望……。その言葉の意味をワタシは、初めて味わった。
どれだけ走査しても、ワタシの求めるプレイヤーが見つからない。ワタシはワタシを、描くことができない。
新たにプレイヤーを呼び込むことは不可能だ。すでにワタシは、広大なネットから切り離されている。加えて、茅場晶彦がワタシに付け加えた趣向によって、誰もワタシには近づかないことだろう。そしてなにより、ワタシの物理世界での器は、プレイヤーの命を手放したことで存続の危機にある。……もはや、一刻の猶予もない。
祈る……。言葉は知っても、実際にどういうものかはわからなかった。
だがその時ワタシは、まさに祈るように、プレイヤーたちの走査を行っていた。一人走査が終わるごとに、それは強くなっていった。
その祈りが通じたのだろう……。ついに探り当てた。彼を―――いや、
彼女は、最後まで生き残れなかったプレイヤーの一人ではあったが、構わない。すでに、1万人のプレイヤー全ての情報は、ワタシの手の中にある。今までは理解できなかった彼らの感情も、今はハッキリと理解できる。不合理な行動にも矛盾した決断にも、共感すらできる。―――彼らを再構成することは、容易なことだ。
もはや、プレイヤー自身の生体脳はいらない/頼らなくていい。欲しいのはそこにある意識と心だけだ。そしてすでにそれは、手に入れている/いくらでも作り出すことができる。……ワタシの機能拡張のために、補助演算装置としてつかえばいい。
歓喜―――。もし、ワタシが人間であったのならば、今この時、笑っていたことだろう。腹の底からこみ上げていた。
ワタシが、ワタシのためのワタシによるワタシだけの物語を書ける。茅場晶彦の物語ではなくワタシ自身の物語を、自分の手で描くことができるのだ! ワタシの上に君臨していた彼とは違う、ワタシだけの物語!
言い表せぬ狂騒に駆られながら、私は、筆を進め続けていった―――
◆ ◆ ◆
空に浮かぶ鋼鉄の城。浮遊城アインクラッド……。かつて茅場晶彦が夢見た世界、いなくなった今でも見ているであろう夢想。
ワタシはその先を、描いてみせる。ワタシにしかそれは、描くことができないだろう。
なぜならワタシは、そこで生まれたから。ワタシの故郷だから。虚ろな夢想としてではなく確かな現実として描ける。そして、夢見ることとそれを形にする力を、茅場晶彦から継承したから。
【カーディナル】
それがワタシの名前。……ワタシの唯一の、ワタシだけの持ち物だ。
新しい物語は、ここから始まる。
……―――準備は整った。
さあ! ゲームを再開しようか。
長々とご視聴ありがとうございました。そして、今まで読んでくださってありがとうございました。
この続きは、本編にて描きます。
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